私が単身赴任でウィーンに来ているお話はいたしましたが、ようやく主人が日程をやりくりして、日本からやってきました。日頃の罪滅ぼしに、好きな音楽をたっぷりという音楽三昧の日々をプレゼントしました。そして今回の特別寄稿となりました。どうぞお楽しみを。


その1「モーツアルトのコンサート行きませんか?」 

 ウィーンの中心街シュテファン寺院や王宮の前あたりでは観光客風の歩き方をしていると、かつての宮廷音楽師の姿・形をした若者に声をかけられる。彼らはドイツ語ばかりでなく英語、フランス語、中には流ちょうな日本語で、声をかけてくる。とにかく広場の大道芸人とともにウィーンの観光風物詩といってもいいだろう。彼らは観光客か住人かを一目で見分ける術を心得ているようである。物見高く目をあちらこちらに向けていると、即座に声をかけるらしい。
 というのはじつは連れ合いからの受け売りで、当方はウィーンははじめての、いや、ヨーロッパ自体はじめての赤ゲットお上りさんであるから、そんな声をかけられるのも嬉しい。「モーツアルト?ベートーベンだよ。」と日本語で応じる。「モーツアルト。」とドイツ語、「いや、ベートーベン。」・・・・・ひとしきり神童と楽聖の名前を呼び合ったあげく、宮廷楽師は笑いながら次の客目指して離れていった。

 ウィーンに行けば本物のヨーロッパ音楽が聴ける。クラッシク音楽好きとして50有余年生きてきた人間にとって、ウィーンは桃源郷である。だから、昨年11月に連れ合いから「ウィーンで、ベルリンのベートーベンチクルスやるけど聴く?」というメールをもらったときには一も二もなく飛びついてしまった。それから3ヶ月、仕事の調整やら長期休暇の言い訳やら考えつく限りのあれこれの結果、「ウィーンで聴くベルリンフィルのベートーベン 13日間の旅」と相成った。
 今回のベルリンのチクルスは、5つのピアノコンチェルトと9つのシンフォニーで構成されている。毎夜一人ずつのソリストがピアノコンチェルトを、そして1〜2曲のシンフォニーを、最後に「合唱付き」で締めくくりという6日間のイベント。もちろん滞在中の正味11日間を有効に、日本人的に、どん欲に使い切るにはこれだけでは足りない。「オペラも見たい。それもウィーンならではの。」、「オペレッタは?」「音楽ミサはないの?」「室内楽は?」「肝心のウィーンフィルは聴けないの?」「マーラーは?」・・・・・連れ合いのウィーンでの生活はまるきり音楽専門の旅行代理店と化した。
 そんなわけで、できあがったのは「ウィーン近郊の街もみたい」というこれまた当方の望みでドナウ河畔小旅行の1日を除いた11日すべてが12回の音楽会で埋まった。あまつさえ、最終日24日にはウィーンフィルのマーラー3番とベルリンフィルのベートーベン9番合唱付きを同じホール、ムジークフェラインで聴くという空前絶後のスケジュールであった。

 音楽好きでない方もいらっしゃるであろうからちょっと説明をしておこう。といってもベートーベンの9番交響曲「合唱つき」は日本ではアマチュア合唱団や市民団体のイベントとして毎年そこかしこで演奏されているからその内容はご存じだろう。いっぽうの当日午後3時半開演のマーラー3番は1時間を超す大曲揃いの彼の作品の中でも1、2をあらそう大曲である。特徴は第4楽章にメゾソプラノの独唱と少年合唱、女声合唱が加わること。登場する打楽器群の多さや8本と指定のあるホルンの数など、ムジークフェラインの狭いステージに乗せるのは限界に近い曲である。
 おそらく、夜7時半のベルリンフィルの設定と同じ規模の曲という会場運営上の理由からだろうが、それにしてもふたつのコンサートであわせて300人はゆうに超えるだろう出演者とおびただしい数の楽器を考えると裏方の仕事量は想像を絶するものがある。どなたか、ムジークフェラインの運営に詳しい方がいらっしゃったらそのあたりの事情をぜひ教えていただきたいものである。

 ムジークフェラインはウィーンフィルのニューイヤーコンサートでおなじみのホールであり、おそらくクラッシク愛好家にとってはあこがれのホールであろう。このホールはシューボックスといわれる縦長で、日本でいえば、東急文化村のオーチャードホールやオペラシティの武満メモリアルと同じ構造のホールだ。会場は平土間と平土間より一段高いロジェ、2階にあたるバルコンが周囲を巡っている。おもしろいのはステージ脇にもいすが並べられ、演奏者のすぐわきでも聞けることと、正面のパイプオルガンの脇、つまり2階のステージ側の隅にも席が置かれ、ここからはステージそのものは全く見えない。また、2階のバルコン席も2列目からはステージを見るのが難しい。もっともよくしたもので平土間以外の席は普通の椅子で、床に固定されていないから、お互いに場所を融通しあえばなんとか下が見える。そうでなければあきらめて立ったまま聴くという手もある。まあ絢爛豪華な黄金色のホールに入れば席のことは些末事。ここでは音楽が聞こえさえすればいいのだ。たとえステージが見えなくても、高い天井に描かれた女神達の間から空間にいっぱいに降り注ぐ音楽はこの上なく美しいのだから。
 そんなホールだから音楽を聴くという行為のすべて、会場に出向き、クロークにコートを預け、階段のそばにがんばっている係にチケットを見せ階段を上る、そしてホールの中で今日のプログラムを買う(同時に席の案内を依頼するがこれは当然チップをはずむべき行為である)・・・・・つまり実際に音楽を聴くまでのすべてのことが、すでにこれから聴くべき音楽の一部に取り込まれている、そんな印象を得た。
 さて、席に着こう。でもその前に一つ暗黙のルールも知らなくてはならない。席に着く順番である。古いホールの説明書きにはここは1660席であるとなっている。ところが、最近の説明ではおよそ2000席とある。なんと2割以上も収容人数が増えているのだ。ホールは20世紀のはじめに現在の形に改修が行われて以来、容積が増えたわけではないから、単純に椅子の数が増えただけ、つまり、椅子と椅子の間がおそろしく狭くなったというわけだ。だから1列の席の真ん中あたりの人は早めに席に着かなければいけない。また通路に近い席の人はあまり早く席に座ってはいけない。そうしたことが何となく暗黙の了解事項になっている。それと言うのもこのホールが会員組織で運営されていて自分の席を持つ人が多いからだろう。そういう目で開演前の席の埋まり具合をみていると、演奏開始間際にホールに飛び込み、ぞろぞろと人を立たせて自分の席に着いているのは観光客、とくにアメリカ人と日本人と見えてしまったのは当方の偏見の目だろうか。
 そんなわけで開演5分前に着席したあこがれのムジークフェライン、グローサーザールでクラディオ・アバド指揮ベルリンフィル、ベートーベンのシンフォニー第1番からウィーンでの音楽体験は始まった。

 今日のソリストはマルタ・アルヘリッチ、2番のピアノコンチェルトだ。彼女とアバドの競演はCDも多く残されているし、ある意味で気心の知れたともいうべき間柄。演奏にもお互いのためらいがみられない。それに彼女も豊富なキャリアのおかげかかつてほど演奏に感情の起伏をださなくなったように感じる。彼女とかつての連れ合いであったシャルル・デュトアのことはNHKの番組でも取り上げていたが、今では一人娘を挟んでとてもいい関係なんだそうだ。その昔は様々な逸話を聞くたびに「星の王子さま」のなかのわがままな「花」のことを思い出したものだ。サン・テグジュペリの連れ合いも相当なものだったらしい。

 さて、閑話休題。とはいうもののそこはアルヘリッチ。まるでつぎの音を早く聞きたいという気持ちにせかされるような力強く澱みのない音がアバドより先に楽員に伝わるのだろうかオケの音もぐんぐんよくなっていくのがわかる。

 彼女の髪を掻き上げる癖や首を振る動作がまるで指揮棒を振るかのようだ。そしてアバドもそれを承知で棒振りの役割はソリストにつられてオケが暴走しないようにテンポをキープする役割に徹するかのようだったのが印象的なコンチェルトであった。

.....つづく...... 

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