第19便・・・5月のウィーン


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 ウィーンの5月は楽隊の演奏で始まりました。
 5月1日と言えば日本でもメーデーですが、この日オーストリアは休日です。休みだと言うのでちょっとゆっくり活動開始というつもりでいたら、朝の8時に突然外で楽隊の音楽が鳴り響き始めました。わが家の前の道はバスが通るとはいえ、一方通行で普段の交通量はそれほどありません。その道がなんとメーデーのデモ行進の通り道になっていたのです。ただ、デモ行進と言ってもシュプレヒコールを叫ぶわけではなく、それぞれのグループは楽隊が先導し、人々は垂れ幕や大きなプラカードをもって静かに行進しています。鉄道の支線整備を訴えていたのは鉄道員の組合でしょうか。地球環境を守ろうというプラカードも見かけました。

 街の木々の緑は日ごとに色濃くなっていきます。わが家の窓から見えるあの中庭の木はマロニエでした。白い花を咲かせています。木々の向こうに見えていた家々はほとんど葉の陰になってしまいました。この家に来たとき中庭に面する窓にレースのカーテンしかかかっていず、夜になると家の中が丸見えになってしまうのにこの国の人々は気にしないのだろうか、と思っていましたが、なるほど皆が窓を開ける季節にはちゃんと目隠しができるようになっていたようです。

 この風薫る5月を代表する花はやはりライラックでしょう。ザンクト・マルクス墓地のライラックの花がきれいだという話を聞いて、さっそく出掛けてみました。ライラックと墓地との取り合わせはなんだか不思議な気がしましたが、行ってみるとなるほど見事なライラックです。それぞれの墓碑のかたわらに必ずと言っていいほどライラックの木が植えられ、ライラックの並木もあります。人の背丈の何倍もの高さにそびえるライラック。満開の花で枝は重そうにしなっています。墓地の中程、小さな広場の真ん中にはモーツアルトの墓碑がありました。モーツアルトが、1791年、この墓地のどこに埋められたかははっきりしていないのですが、1900年代の始め、この墓碑が建てられたのだそうです。石の柱に悲しげにもたれている天使が印象的ですが、ここにもライラックが植えられていました。墓とライラックの間に何か関係があるのでしょうか。帰路、中央墓地にも行ってみることにしました。

 春たけなわの中央墓地は前回訪れたときとはまったく異なった雰囲気でした。様々な色の花が咲きそろい、木々も緑濃い葉をつけています。凍てつくような寒さの中あれこれ考えながら歩き回ったあの日とは対照的な明るさです。楽聖達の墓碑の周りには色とりどりのパンジーが植えられていました。ところがこの中央墓地にはライラックの木はほとんどありません。そもそも各々の墓に植えられているのは芝生や花だけで、道の両側や広場以外に木はほとんど植えられていないのです。墓地の作られ方に大きな違いがあるようです。あのザンクト・マルクス墓地はそもそも共同墓地だったわけですから、もともとは墓の区画もなく木々が生い茂っていたのでしょう。そんな中、春ともなればあたりを甘い香りで包み、夏には木陰を作ってくれるライラックがそれぞれの墓の周りに好んで植えられたのかもしれません。

 そして、5月11日、ウィーン芸術週間が始まりました。今年はムーティ指揮の「フィガロの結婚」が最大の売り物のようですが、5月から6月いっぱい、オペラ、劇、コンサート、それぞれが盛りだくさんのプログラムです。オープニングセレモニーは夜の9時半からでした。9時過ぎ、ようやく暗くなり始めた空をバックに市庁舎がライトアップされています。特設舞台にはウィーン交響楽団が並んでます。市庁舎前広場は、ウィーンでもこんなに人が集まることがあるのかと思うほど人で埋まっています。その沢山の人がワルツの演奏が始まると曲にあわせて右左に体を動かし始めます。狭いスペースを見つけて踊り始める人もいます。ワルツのウィーンここにありという風情です。シェーンベルク合唱団によるコーラスやソリストのアリアなどが次々に披露された後、最後の締めは再びウィーン交響楽団でした。最後の曲はもちろん「美しく青きドナウ」です。曲が終わり人々の盛大な拍手。すると、それにあわせて花火が上がりました。次々とあがる花火は初夏の訪れを告げるかのように華やかにウィーンの空を飾っていました。