第14便・・・ウィーン中央墓地


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 ウィーンの中央墓地に行ったのは1月中旬でした。すぐにご報告したいとは思ったのですが、なかなか考えがまとまらずすっかり遅くなりました。考えていることがまだ十分整理できたわけではないのですが、見たこと感じたことをひとまずご報告しておきたいと思います。
写真館・ウィーンのお墓」と併せてご覧ください。

 ウィーンで活躍した楽聖達の眠る中央墓地は観光ガイドにも載り、観光バスのコースにも入っているところです。その朝久しぶりに晴れ渡った青空を目にして前々から行こうと思って果たせずにいた中央墓地に出かけることにしました。墓地に行くならば小雪の舞う中もいいのでしょうが、一人で歩くことを考えて、あえて晴れた冬の日を選びました。

 楽聖達の墓は第32A区で、第2門から入ってすぐのところにあるとのことでしたが、市電を一駅手前で降り、墓地の中を歩くことにしました。
 門を入ると目の前に並木道がまっすぐ続いています。道の両側の並木は、自分が巨人国に迷い込んでしまったかに思えるほど巨大です。11時ですから陽は高く昇っているはずなのに、木々は道に長い陰を落としています。どこまでも続く並木道を歩いていると人間そのものの存在がいかに小さいかがひしひしと感じられます。

 この並木に仕切られて何区にも分かれた墓地があります。各々の墓の奥には墓碑がおかれ、手前が墓です。オーストリアでは、今でも土葬が多いとのことです。そしてこの縦3m、横1.4mという空間をどう使うか、そこに墓の美学があるようです。

 墓碑の多くは四角い石碑で故人あるいは家族の名が彫ってあるのですが、女神や天使の彫刻で飾られているのものもありました。
 その手前の墓にあたる位置は盛り土にしたものと石棺にしたものとがあり、その石棺も蓋を置いているものもあれば、盛り土のままのものもあります。盛り土の場合、そこに芝生を植えたり花を植えたりしてあります。この時期の寒さを防ぐためでしょうか、パンジーなどの花の上にはそっと覆いがかけられていました。

 そして墓碑の手前には赤いろうそくが置かれ、その多くは雨風を防ぐガラスの覆いの中に入っていました。この写真のようにろうそくの火がついている墓がいくつもありましたが、家族が頻繁に訪れているのでしょうか。
 そう言えばスーパーでもよくこの赤いろうそくを目にします。直径5センチほどのろうそくには72時間と書かれていましたから、3日の間灯りをともすことができるようです。

 国民の大半がカトリック信者だというこの国では家族たちがクリスマスにも墓地を訪れる習慣があるのでしょう。クリスマスリースやクリスマスツリーが置かれている墓も数多くありました。見事な緑と赤のコーディネートで美しく飾られた墓からは埋葬されている人やその家族の人柄が伝わってくるようです。樅の木が置かれていることもありますし、松ぼっくりを金や銀に塗っている物も見かけます。色鮮やかな花まで飾られていると思ったら真っ赤な造花だったという場合もあります。

 墓のいくつかには色鮮やかな花輪が何十個も置かれていました。亡くなったばかりの方のお墓だと思われます。上の写真に見られるように日本の常識から考えると葬式の花輪にしては華やかすぎる色合いですが、神に召された人の天国への旅立ちを飾ろうという心があらわれているのかもしれません。送り主の名前がリボンに書かれ、故人への一言が添えられています。

 そして墓碑。書かれているわずかな文字の中にこれを刻んだ人の心まで読みとれ、はっとしてしまうものがあります。亡くなった人の生年と没年が書かれたその下に何人かの名前と生年だけが刻まれた墓碑まであるのです。
 複雑な思いを抱きながら歩いているとき、この写真の墓碑を目にしました。女性の名前の下に書かれた数字から彼女が33才という若さでなくなったことがわかります。下の名前はおそらくご主人でしょう。マリアさんの生まれたのが1900年ですから、同じ頃に生まれたとすれば、100才です。今どうしているのでしょう。その墓に飾られた花は枯れ、乾ききってからからになっていました。

 楽聖達の墓はモーツアルトを頂点にベートーベン、シューベルトの三人の墓が並んで置かれていました。モーツアルトはここには埋葬されていませんから、石碑だけです。そしてそれを取り囲むようにしてブラームスとヨハン・シュトラウス(息子)の墓がありました。裏手にはヨハン・シュトラウス(父)とランナーの墓が並んでいました。
 今年のアルヌンクール指揮のニューイヤーコンサートではこのランナーが紹介されていましたが、生誕200年を迎えたこの作曲家は日本ではあまり知られていません。並んだ墓を見ながら、この国の人にとってランナーがヨハン・シュトラウス(父)と並ぶ作曲家であることを再認識しました。

 三人の楽聖達の墓に戻ると、観光客おぼしい3人連れが来ていました。強いなまりのあるフランス語を話す人がガイド役をつとめていましたが、この女性はベートーベンに一輪の赤いバラを捧げていました。そしてふと気がつくと、雀よりも小さくて華奢な鳥がチーチー、チーチーと澄んだきれいな声で鳴き続けています。他の区画で見かけた鳥はカラスと雀だけだったのに、何故かこの区画にはこんなにきれいな声の鳥も訪れるようです。あまりにも見事な鳥の声は偶然とは思えず、ごく自然に「魔笛」の世界を思い描いてしまいました。