「ゆとり」ができれば勉強できるのか
2002年3月10日 産経新聞
正論 「ゆとり」ができれば勉強できるのか
教育は「原点」に立ち返れ
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大学で補習授業という現実
大学に入っても数学が理解できず、漢字もまっとうに読めない。
それで著名大学でも補習授業をしているという。私も数年前までは現役の教員で
その現場を知っているだけに、こうした状況を認めざるをえないのは悲しい。
その原因の一つは大学の数がやたらに増え、そこに少子化現象が追い打ちをかけた
ため入学定員を満たすのが困難となり、数学や語学など基礎の勉強が重要な科目を
入試から外して、誰もが安易に入れるようにしたためである。
中国からの留学生で定員の過半を集め、東京への流出を引き起こして問題となった
酒田短期大学の例などは、まさに氷山の一角と言ってよい。
しかし一般的に言って、大学生の学力水準と勉強への意欲が著しく低下している
ことは疑いない。私は最近まで地方の新設大学の学長を務めていたが、分不相応に
立派な図書館はいつも開散としていて、学生の読書意欲のなさに驚いた覚えがある。
また語学や数学の基礎ができていないため、教員が個人的に補習授業をしていたのも
知っている。受験科目を厳しくすれぱ受験生が集まらない。安易にすれぱ授業について
いけない学生が増える。こうした悪循環に陥っている大学は、いま全国にたくさん
あると思う。大学の数を増やせぱ国民の教育水準が上がるわけではない。
そのレベルが問題なのである。
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教員のための「ゆとり」確保?
ところで、大学は高等学校卒業生の受け入れ機関だから、小中高12年間の教育が
しっかりしていなければどうにもならない。敢えて言うが、現在の大学生の学力は
この十二年間の反映であるから、これまでの政府の初中高等教育の政策如何(いかん)
が問題になる。思うに、いま各方面がら批判されている「ゆとり教育」がその元凶
ではないだろうか。
「ゆとり教育」に基づく旧文部省の指導妻領が実施されたのは1980年以降の
ことだが、この四月からはさらにこれが強化され、公教育の授業の時間数は三割
ちかくも減少するという。20年以上にわたる実験の結果が今日問題になっている
学力低下なのだから、批判が出るのは当然である。
結局のところこの「ゆとり」とは、少人数学級制、受験競争の弊害の除去などを
口実にした、教員のための「ゆとり」確保ではなかったのか。
私たち戦前の小中十一年間の教育は、「ゆとり」どころではなかった。
小学校は一学年八十人クラスが五組、中学では五十人クラスが五組だったが、
それ以外に補習授業も受けていたから、遊ぶ暇などはあまりなかった。しかし
先生方は熱心で、文章には必ず「起承転結」がある、英語や国語などは必ず音読して
耳・目・口を使う「三位一体」でやれ、漢文は毛筆で自文帳に書いてこいと厳しく
教わった。
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何よりも大事な基礎と基本
こうした教えはいまでも身についていて、大いに役立っている。
「急ぎの仕事は忙しい人に頼め」という話が雑誌編集者にはあるそうだが、
こうした中学時代に、餓えたように文学書や哲学書を乱読した覚えがある。
暇がなかったからこそ逆に夢中になり、熱心に読書したのではなかろうか。
人間は暇があれぱ読書するというものではない。最近、遠山敦子文部科学相が
「ゆとり」よりも「学力重視」を打ち出し、中央教育審議会も「教養重視」
の答申をだしているが、これは私も大賛成である。
「ゆとり」ができれば生徒が勉強するわけではない。そのゆとりをどう生かせる
かが問題で、これは教員一人一人の責任にかかっている。小中高時代は知識の
吸収力が一番旺盛なときである。これを政府が「ゆとり」といった美名で放任
してはいけない。勉強の基礎と基本、よき読書習慣をこの年代で身につけさせ
なく高等教育に進んでも伸ぴる可能性は低い。
この10年間に公立と私立高校の進学格差が大きく広がったことは誰もが認める
ところだが、これを是正するには現在悪評の高い新学習指導要領などを見直す
必要がある。最近、テレピで知ったのだが、私の出身校(旧制府立一中)の
日比谷高校が進学校への転換を目指して、入試方法を改善するなど努力して
いるとのことだが、これは卒業生としては嬉しいことである。自立心よりも
周囲への依存心の強い日本の風土には、アメリカ式の自由放任は適さない。
しかしそのアメリカでも、プレップ・スクールと呼ばれる全寮制の高校などは
別である。規律や礼儀といった躾にも極めて厳しい。
アメリカの教育も多種なのである。
早稲田大学名誉教授 鳥羽欽一郎(とばきんいちろう)
昨今の国際競争の荒波の中を生き抜くためには
国民の知力は不可欠の要素であるというのが諸外国の常識である。
そのため、各国は国を挙げて学力向上を図るという意味での
「再武装」を行っている。
この中で、独り我が国のみが「ゆとり教育」という
「一方的武装解除」を行っているのだ。
新学習指導要領が今まで以上の国力低下を招くことは必至である。
これはもう文部科学省の犯罪的行為といっても過言ではない。
高崎経済大学 八木秀次
2002年3月28日 産経新聞 正論より