日韓の歴史研究 両国の誇りに傷

2002年3月8日 産経新聞

私にも言わせて欲しい

日韓の歴史研究 両国の誇りに傷

国民がどんなにすぐれた資質や潜在能力を持っていても、国が諸外国に対し、

毅然(きぜん)たる態度をとることができず、内政干渉を許し続けた結果、

押し付けられた歴史観をはねのけられぬままに、国民としての誇りが失わ

れていくならば、その国は必ず停滞から衰退へと向かっていくだろう。

今の元気のない日本を見ていると、経済構造や金融上の問題ではなく、

日本人の資質や意欲を見殺しにしてしまう、別の根本原因が横たわって

いるように思えてならない。

歴史教科書問題ほど国民の誇りを傷付けているものはない。

いや、傷付けられていることに気付かなくなるほど痛め付けられていることが、

もっと恐ろしい。

教科書について語りたいことは山ほどあるが、ここであえて筆を執ったのは、

今月にも始まる日韓歴史共同研究という世にも愚かしい、ぱかげた軟弱

外交に、警鐘を乱打し、読者の注意をひきたく思ったからだ。

そもそも歴史という学問一分野は、諸外国と共同研究することに全く

なじまない領域である。歴史観や歴史認識は個人に固有のもので、

全員の歴史観が全く一致するとすれぱ、ファッショそのものだ。

同様に全国民の歴史観を大きく くくったものが、国家に固有の歴史観と

して存在する。特に互いに侵略したり、侵略されたりという経験を

持つ隣国同士の歴史観は、大きく異なっている方が自然だ。

それを無理に一致させようとすれぱ、片方、あるいは双方の国民の

誇りが傷付くのである。

数学や物理、化学のような極めて論理的で、演繹(えんえき)的な

学問は、二次方程式の解の公式の導き方のように世界共通であるから、

大いに共同研究すればよい。それに対し国家としての経緯(いきさつ)

や国民の生き様(ざま)を根底に持つ歴史学や地理学は帰納的な分野で、

国としての歴史や地理のとらえ方は、国ごとにすべて異なり、共同

研究にはなじまない。その証拠に、日本人の作る世界地図は、面積的には

小国である日本を、そのど真ん中に置いているではないか。それは、

日本人としての世界地理のとらえ方を示している。当然、日本の歴史

教科書も日本人としての歴史のとらえ方そのものでよく、これに対する

圧力は、すべて内政千渉となる。

にもかかわらず、政府は日韓の歴史専門家の共固研究会を立ち上げよう

としている。小泉純一郎首相が、共同研究の成果(そんなのはあり

えないが)の教科書への反映を拒否したことは評価するが、韓国側の

意図は別のようだ。

「両国政府が共同研究の活動を支援していく」と明記している以上、

極めて危険な企てといわざるをえない。できれぱ共同研究の中止、

少なくとも政府の支援を中止すべきである。

私自身、文部大臣時代に、歴中の共同研究を明確に否定する答弁を

繰り返していたのだから、政府が共同研究の推進役側にまわろうと

するなら、政策を変更する理由を、はっきりと国民に説明する

責任があると考える。

元文相 鳩山邦夫氏

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