外務省は公邸を飾り立てている場合か
正論 産経新聞 2003.8.16
外務省は公邸を飾り立てている場合か
「社交」を「外交」と心得る愚かさ
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不況どこ吹く風の外務省
マンハッタンの由緒ある邸宅を日本政府が買い取り、
改修したというニューヨークの国連大使公邸。
購入価格と工事費は合わせて約36億円だったそうだ。
サロンには、木彫りの彫刻が施された高い天井や
大理石の暖炉などがあり、20世紀初頭の米国
大邸宅の風格が漂う豪華さ。
原口幸一大使は「日本は2005年の安保理
非常任理事国に立候補する予定で、外交の場として
大いに活用できる」と8月1日、公邸公開に
当たって日本の報道陣に語っている。
バブル崩壊後、不況の嵐は一向に収まらず、
税収不足もあって各省庁ともに大幅な節約を
強いられている中、外務省の世界だけは別らしい。
いまだに国連の本拠地という名目のもと、
外交とは大勢の人間をご招待申し上げ、
談笑の場としてサロン的雰囲気を盛り上げる、
その華やかさを正当化し、憚らないのだから。
これが日本を代表する国連大使かと思うと情けなくなる。
少なくともドイツをはじめ他の国では、
公邸はサロンというよりむしろ、目は笑っているものの、
その実、本国でみっちりスパイ教育を受けた工作員が
密かに本領を発揮する情報収集の場と心得ている。
結果、その延長線上にある国連の舞台においては、
いかに自国を有利かつ高く売り込むかに奔走する。
日本が抱く国連=平和シンボルのイメージとは
ちと違うのである。
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他国外交は熾烈な情報戦
そういう意味では、ドイツはこの国連を最も
効率的に活用した国の一つに挙げられよう。
そのドイツが東西ドイツ同時国連加盟を果たしたのは
1973年。17年後の1990年、念願の統一を
達成した。
その間、東西、とりわけ東ドイツの情報戦は熾烈だった。
その主な目的は西ドイツのイメージダウン喧伝工作。
それが元で、西側のフランスやイギリスでさえ、
ドイツ統一に水をさしたものだ。
何しろ当時、東ドイツから西ドイツには約4万人もの
工作員が送り込まれており、他に約1万人の
東シンパ協力者が西にいたのだから。
その情報収集活動は手段といい方法といい実に
巧妙かつ狡猾だった。そればかりではない。
この情報収集を元に、相手の弱みを突いて
西からの経済支援に与(あず)かるタカリ戦術も
手掛けてきた。この手口をそっくりそのまま
踏襲したとみられるのが北朝鮮による一連の
対日政策である。
北朝鮮が韓国でなく日本にその矛先を向けたのは、
韓国自身が既に戦前の日本による植民地政策を
理由に反日色を剥き出しにしていたこと、
日本が世界に類をみない"金のなる木"の
国だったこと、その上、日本が戦後の
徹底した平和教育のせいで、国民の多くが
危機管理に疎く臆病になっており、容易に
脅かしが効くと睨んだこと、などからに違いない。
事実、この日本恫喝作戦は、少なくとも昨年の
訪朝直前までは成果を上げてきた。
国交正常化交渉を契機に「河野談話」にみられる
日本の迎合外交が常態化し、多額の金銭、
コメ支援を手に入れてきたからだ。
ちなみに、北朝鮮が韓国と同時国連加盟を果たしたのは
1991年9月17日。そのちょうど11年後に
小泉総理訪朝が実現し、事態は思わぬ方向へ
展開しはじめた。
北が拉致事件を公式に認めたことで日本にとって
初めて有利に事が運び始めたからである。
近く開催される6者協議はその第一歩といってもいい。
もっとも進捗状況は、ドイツが「ベルリンの壁」
崩壊後一年内に達成したのと異なり、牛の歩みに似て
歯がゆいばかりである。
一体その違いは何によるのだろうか。
日本では、大使館など在外公館の職員の多くは、
国益を前提とした熾烈な情報収集選に身を挺する
というよりは、公邸をサロンに優雅なパーティに
興じていさえすれば、外交は務まると
思い込んでいるからではなかろうか。
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情報機関の創設に本腰を
1997年、ペルーで発生した日本大使公邸人質事件は
まさにその象徴的事件だった。
豪華大パーティのスキをまんまと突かれ、ゲリラ襲撃に
なすすべもなかったからだ。
北朝鮮による一連の日本恫喝、翻弄外交もその類である。
北はスパイ能力に長けた外交官を一堂に揃え交渉に
臨むのに、日本はその発想はない。
従って彼らの手の平の上で踊らされてしまうのである。
このような情報収集能力が欠落した日本外交の現状を
目の当たりにすると、いくら器が立派でも、一体
何のための、誰のための外交なのかと思う。
もっとも、外交官にその能力がないというのなら仕方がない。
ここは一つ日本政府たるもの、思い切って情報専門機関の
立ち上げに本腰を入れるほかあるまい。
ノンフィクション作家(ドイツ在住)
クライン孝子