中国は「共産主義者の国と認識せよ」

2002年3月10日 産経新聞

第4部 動き出す巨人

アジアは生き残れるか 45

華人への忠告

「共産主義者の国と認識せよ」

後先かまわぬ対中投資ブームの中で、東南アジアの中国系、華人ピジネスマン

たちの意気が上がっている。1997年のアジア通貨危機以降、シンガポール

企業は混迷から抜け出せない東南アジアの近隣諸国に見切りをつけて、

投資を中国にシフトさせている。ところが、シンガポールの中華総商会が

企業向けに開催した「対中投資セミナー」をのぞくと、勢い込むピジネスマンに

対して講師の投資コンサルタントがしきりに手網を締めていた。

「華人の多くは、中国のことは自分たちがだれよりも知っていると思いたがる。

しかし、それは単なる錯覚であることを頭にしっかり刻み込んでください」

華人といえぱ、木の葉が落ちてやがて根をはるように「落葉帰根」の本土回帰が

心の奥底にあると考えがちだ。しかし、華人コンサルタントのアンドリユー・

ウン氏は、シンガポールの華人にとって祖先の母国は、数世代を経てすっかり

遠い存在であると注意を喚起する。ウン氏はこの講演で「いつ、どこで、だれと、

どのように、中国のIT(情報技術)市場に踏み出すべきか」を語った。

ところが、中国ピジネスの現実を見てきたウン氏は、「投資にあたっては、中

国があくまでも共産主義者の国であることを忘れないようにすべきです」と

クギを刺す。

講師の口から「共産主義の国」という言葉が飛ぴ出した瞬間、会場の視線が

いっぜいに一人の人物に注がれた。ゲストとして招かれていた中国大使館の

経済担当公使である。法律はあっても運用面でさまざまな抜け穴があり、

その生殺与奪の裁量権を共産党が握っているというのがウン氏の解説だった。

中国政府のいう「社会主義市場経済」に幻惑されて、日ごろは「共産主義」

という政治的な枠組みの存在を忘れがちであるとも力説した。

ウン氏の注意事項の中には、「われわれが書類にハンコを押した段階で、

法的には拘束力があることに十分注意をすべきだ」というのもあった。

シンガポール人は同じ中国を母国にしても、公文書はすべて英語だし、

欧米諸国のピジネス慣行に合わせて契約書はサインで済ませる。中国式に

ハンを使う慣習をとうの昔に忘れてしまっているのだ。「中国を熱知している

との錯覚」と言われて、シンガポール人ならだれもが思い浮かべる

いまいましい事件の記憶がある。

上海から西へ80キロの荒野に広がる「蘇州・新加坡工業薗区」の悪夢である。

年配者には「蘇州夜曲」で知られる江蘇省蘇州市に、シンガポール政府と

中国政府が1994年、シンガポール西部のジュロン工業回地をモデルに

新産業都市をつくる契約を結んだ。

建国の父たるリー・クアンユー上級相が九二年に蘇州を訪問した際に、

当時の市長から持ちかけられて始まった大事業だ。七十平方キロの土地に人口

六十万の都市をつくる巨大プロジェクト。六十万都市といえば、岡山市や熊本

市の人口に匹敵する規模である。ところが、この工業団地に外国のハイテク

企業の進出が決まりかけたころ、蘇州市当局が工業団地に隣接する同じ規模の

土地に、「蘇州新区」というそっくりさんをつくって外国企業の争奪に乗り出した。

預かってきた高価なヤギから、こっそりクローンをつくったようなものである。

しかもシンガポールで研修を受けた蘇州の技術者たちは、帰国するとみんな

隣の蘇州新区に流れ込んだ。新区の分譲価格が半値以下と安いから、外国企業が

こぞってそちらに投資したためだ。

リー・クアンユー上級相は契約書をかざして江沢民国家主席にまで掛け合ったが、

「現地で解決されるでしょう」と答えるぱかりでさっぱりらちがあかなかった。

結局、工業団地開発有限公司の出資比率であるシンガポールの65%、中国の

35%をそっくり逆転させて、二○○一年から経営権が中国側に移管された。

これが「友好のシンボル」の顛末(てんまつ)である。リー氏は切歯範腕

(せっしやくわん)し、中国の巨大市場はシンガポール人のトラウマになった。

かくて、「だれよりも中国を知ってるなんて思うな」との警句が引き継がれる

ことになった。日本国内の対中投資セミナーでも、「中国は共産主義の国である」

なんて注意を呼びかけているのだろうか。(シンガール 湯浅博)

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