教科書が教えている歴史 韓国
産経新聞(平成13年6月22日)より
教科書が教えている歴史18
韓国I
日本は武力で改革を要求し、清・日戦争を挑発した
日清戦争の「功」は評価せず
日清戦争(一九八四年−五年)での日本
の勝利は韓国(朝鮮)が千数百年にわた
る中国の支配圏、影響圏から抜け出す決
定的なきっかけになった。それは韓国に
とって近代化推進のチャンスになった。
しかし、韓国の中学教科書「国史(下)」
はこう記述している。
「朝鮮に軍隊を派遣した日本は朝鮮政
府の内政改革に干渉しながら彼らの侵略に
利用しようとした。甲午改革は日本の
干渉があったとしてもすでに開化思想を
基に推進されていた開化政策を継承した
ものだった。甲午改革で政治、社会、経
済的な面で近代的な制度が作られ、わが
国が近代社会に発展する契機になった。」
日本軍の派兵は、農民による大規模な
反乱である「東学農民運動」の鎮圧のた
め政府軍支援に出兵した清軍に対抗する
もので、これが日清戦争のきっかけにな
った。
しかし、教科書では「東学農民運動を契
機に軍隊を派遣した日本は、この機会に
侵略の足掛かりをつくるため武力で朝鮮
政府を脅して内政改革を要求し、清・日
戦争を挑発した」とあり、清の派兵には
触れていない。
内政改革というのは国政事務の宮中か
らの独立、科挙の廃止、租税の金納、身
分差別廃止、拷問禁止など近代化のため
の制度改草だった(甲午改革)。後には
頭のまげをやめる「断髪令」なども出さ
れた(乙末革命)。
しかし「改革があまりにも性急に推進
されただけでなく、日本の千渉によって
国民の反発を買いもした」という。つま
り日本が近代化を押し付けたため守旧的
だった世論の反発を受けたというわけ
だ。
教科書はこの時期についてしきりに
「日本の干渉」を強調し批判しているが、
「干渉」とは近代化推進のことである。
したがってこのあたりの経過は、保守派
の強い抵抗で自主的改革(近代化)が遅れ
たため干渉を招いたということだろう。
韓国は中国の支配圏から脱したことで
これまでの「朝鮮」という国号を大韓
帝国」に改め、国王・高宗は高宗皇帝と
なり年号も自前の「光武」を定めた(一
八九七年)。それまでの国号の「朝鮮」
は、朝鮮王朝スタートに際し中国(明)
に選んでもらったものだったからだ。
教科書は大韓帝国の出発を「自主国家
の姿をもった」ものと高く評価し「大韓帝
国は列強勢力がお互い競争する情勢を利
用し自主国家として発展するため各種の
改革を推進した」とする一方で「(しか
し)執権層内部の保守的傾向で大きな成
果は上げられず、外勢の侵略も効果的に
防ぐことができなかった」と書いている。
「中国支配圏からの独立」は朝鮮半島
の歴史においては重大なできごとであ
る。しかしそれが日清戦争での日本の勝
利によってもたらされ、自前でなかった
せいか、その歴史的意味については詳し
く記述されていない。
「(日清戦争の後三国干渉でロシアは
満州での鉄道敷設権を獲得するなどその
勢力を拡大し、わが国にも各種利権を強
要し浸透してきた。ロシアはその間、推
進してきた南下政策の一環として釜山付
近の馬山浦に海軍基地を造ろうとし、満
州に軍隊を駐屯させようとした。このよ
うなロシア勢力の増大は清・日戦争後、
積極的にわが国に対する侵略政策を推進
していた日本との対立を激化させた」
正確な記述である。
日本は日露戦争一九○四−五年)で
勝利した後、引ぎ続きロシアの脅威を背
景に韓国に対する支配を強め、まず日韓
保護条約(韓国では乙巳条約一九〇五
年)で外交権などを握った。その際、
「米国や英国など列強は東アジアでの彼
らの利益が保障されることを代価に日本
の侵略を黙認した」としている。
その後、「高宗皇帝を強制的に退位さ
せた日本は軍隊まで解散させた後、大韓
帝国を植民地にするため侵奪を続けた。
つまり大韓帝国の司法権を奪った後、警
察権まで統監部が掌握し、行政、司法、
治安などすべての分野に対する支配権を
強化していった」が、教科書は日韓併合
についてはこう記述している。
「日帝は李完用(当時の総理大臣)を
中心とした親日内閣に大韓帝国を日帝に
合併する条約を強要し、ついにわが民族
の国権を強奪した。これによって長い
間、独自的な文化を創造しながら発展し
てきたわが民族は日帝の奴隷的状態に陥
るにいたった」
日韓併合後の日本支配のことは、中学
「国史(下)」では民族の独立運動」
という章になっている。そしてその記述
のほとんどは「三・一独立運動」「大韓
民国臨時政府」「国内の独立運動」「民
族文化守護運動」として、支配されたこ
とより自分たちがいかに日本に抵抗し、
よく戦ったかという内容になっている。
(ソウル黒田勝弘)