1991年 New York
       
  Truth Hurts の後半は、スタジオにはなかったアレンジで、静かな雰囲気の中、ドラムセットの前にフロントボックスの3人が寄り添いブラックモアがアドリブを展開する。このとき、バックにはロードが和音を隠し味程度に奏でているが、この日はボリュームがでかすぎたため、ブラックモアのご機嫌を少々悪化させてしまったらしい。
 首切りポーズでロードの演奏を中断するようにグローバーとターナーに訴え、ターナーが右手を上げてロードに知らせている。ほどなくキーボードの音量は下がり、このあとブラックモアのノンディストーションで咽び泣くギターソロが続く。約50センチの距離でフィンガリングを堪能できるターナーがうらやましい。

    


 

 1993年 Come Hell Or High Water

 Highway Star のトレモロ中、カメラマンとぶっかけ用コップに意識がいったため、ポジション間違え音が外れている。が、そんなの気にもとめてないとこがいい。
 更にこの頃トレモロ後のアドリブは小節数が決まっていたのか、ペイスに一任していたのか定かじゃないが、予期せぬところで不意にドラムのオカズが入ったため、まだソロを続けるつもりだったらしいブラックモアはオカズと同時にペイスの方を少し向きつつ、「おっもう終わりか・・・しかしむかつくカメラだぜ」といった様子が伺え、エンディング直前あたりでもまだ腹の虫がおさまらず、カメラに出ていくよう指差ししている。
 最後は怒りおさまらず、エンディングを弾きながらバックステージへと演奏終わる前に再び消えていく。ところでこのステージはなんでロードのソロがないんだろう・・・(CDのライブインヨーロッパでは当該音源が完全に収録されており、単純にカットしただけみたい。理由は・・・・ブラックモアのボイコットが長いこと、及び3番の途中で派手なノイズを一発ブラックモアがバックステージでぶちかましており、編集の段階でカットをすることにしたのだろう。と、いうことで、いじくり回されたオフィシャル音源は事実を伝えてくれないので、あんまり好きではない。)
    
    
  


 1995年 Dusseldorf

 Hunting Humans の2番をボーカルのバックでボリューム絞って、オブリガートプレイなんかをアドリブってたが、1番より小節が短くサビに入るのを勘違いし、バックの演奏がサビに入ると、あれっ・・と行った感じで他のメンバーのほうを見て、ごまかすように少しずつボリュームを上げてきてサビのコードを鳴らしている。
 
 Still I'm Sadの2番のリフをブラックモアが1小節先走ったため、ボーカルがうまく歌い出すことかできず、わけがわからなくなっている状態を無責任に嘲笑しつつも、数秒後にはきれいさっぱり忘れてプレイに専念している。

    
 
 
 1995年 Milano

 Hall Of The Mountain Kingが終了すると一旦終演だ。照明も全灯のなか声援に応えるべく、各メンバーはリラックスムードで手を振る。が、その最中ブラックモアは旧パープル時代からの定番ブレイクフレーズを演奏。ドラムは立ち上がってたため取りあえず、右足でブレイクを決めるが(本来ならシンバルあたりも絡める。)、ベースプレーヤーは脱着していたため、慌ててベースを持ち上げ右手を弦に伸ばすも間に合わず、ボーカルはへんてこなアクションにてポーズを取る。それでもまだ各メンバーは、これは終演後のちょっとしたブラックモア特有のお遊びで、一旦引き上げムードが蔓延していたに違いない。Temple Of The King以降微妙に狂い始め、曲中、曲間で何度も実施していたチューニングをここでブラックモアが始めた時点で、各メンバーはこれはいつもと様子が違うと気づいたに違いない。
 他のメンバーの準備体制などお構いなし、振り向いて確認することもなく、BURNの完全4度リフを開始。ベースプレイヤーはBURNのリフ1回の間に慌ててベースを装着して何とかベースの出番に間に合わせていた。アレンジやソロだけではなく、ステージの構成までインプロヴィゼーションされたんじゃ、着いて行くメンバーは気が抜けずちょっと辛いかも。ただ、その結果失敗してもブラックモアは怒るというより、薄ら笑みを浮かべることだろう。
    


 1995年 Paris

 1曲目のSpotlight Kid終了後、観客にギターを脱着してウェルカムの挨拶。2曲目に備えギターを装着したが、ストラップがねじれてしまい自分では矯正不可能となってしまう。ライブ演奏中にギターの弦が切れ、サブギターなど無く、2分ほどで弦を張り替える荒業を身につけるほどだった管理人としては、1度でいいからこういう身分で演奏してみたいものだ。
     


1995年 Osaka

 Black Masqueradeの後半ソロの弾き出しをキーボードに譲り、何小節かバッキングに徹する。頃合を見て顔で合図し、Blackmoreがソロを開始するが、気がつかないキーボードのメンバーはBlackmoreのソロと被ったままソロを続けたため、今回のツアーでお馴染みとなる「ちゃんと聴けや!」の耳指しポーズと怒りのジェスチャーが飛び出る・・・・両手放棄の瞬間は開放弦音ノイズとなっております。
  
 このメンバーの聞き逃しによる耳指しポーズは↓の横浜でも連発されることとなる。


 1995年 Yokohama

 Smoke On The Waterの2番を熱唱中のベースプレーヤーに親近感をこめて近づこうとしたブラックモアだが、ギターシールドが何かに引っ掛かってしまいあきらめて定位置へと引き返す。

 

 ボーカル、ドラム、キーボードとそれぞれが、漫然とブラックモアのプレイを聴き逃してしまい、定番の約束ごとを3人とも完全に果たせず、嫌味で「耳聞こえてるの?」「ちゃんと聴いてくれ!」ってゼスチャーをブラックモアに送られている。
 The Temple Of The Kingでは、ボーカルがまだしゃべっている途中にギターのイントロを弾き出すよく演るパターンで始めたが、イントロ終わったことにボーカルが気が付かずきっかけフレーズが流れてもマイクスタンドは空の状態で、1発目のブラックモア耳指しポーズが出る。
 Maybe Next Timeでは、わざわざギター振り上げてドラムのタイミングまで知らせてるのに、バーギーは気がつかずドラムなしで曲が進行し、途中からバツ悪そうにドラムがインしてくる。2発目のブラックモア耳指しポーズが出る。
 Woman From Tokyo のイントロを少し遊びで弾いたあと、フィードバックをかけ、ロングサスティーンさせながらアーミングが出たら当然にブラックモアの定番ぺダルポイントだ。が、キーボードはコードを弾かず、ブラックモア耳指しポーズ3発目が出る。それでも気が付かないらしくブラックモアはあきらめてバーギーに一応演奏開始の合図を送りBurnのイントロを弾き始める。
   

 この日はモニターの調子が悪かったのかもしれない。それで他のメンバーは定番的なきっかけフレーズを聞き逃してしまったのかも・・・・実際、当のブラックモア自身も何度もバックステージに戻り、何やらスタッフに訴えていたようだし、めずらしくチューニングに苦労していたようで、70's年代によくやっていた曲間のGコードチューニングをめずらしく行い、Arielあたりからは頻繁にペグに手をもっていくようになり、バックステージにも音が聞こえないといったジェスチャーを送っている。ボーカルも自分の耳を塞いで音程を確認しながら歌う姿も見受けられた。

  

 The Temple Of The Kingをノンディストーションで弾くことにしたブラックモアは、メンバーに「音量下げろ」の合図をフェーダーボリュームを下げるようなジェスチャーで出す。しかし、ドラムだけが気が付かず静かなノンディストーションソロにもかかわらず、従前どおり派手なプレイを続けてしまう。ブラックモアは辛抱強くギターソロを静かに続け、二度目の再合図は出さず成り行きに任せている。
 あまりにバーギーがいつまでたってもドラムの音量を下げないので、いたたまれなくなったベースプレーヤーが、ドラム台の近くにより静かに叩くよう知らせている。あきらめてたのか内心いらついてたのかは知るよしもないが、表面上ブラックモアはポーカーフェースを取りあえず保っていた。
 ちなみに翌日の舞浜でも同様にサイレントの指示がなされ、問題なくアンサンブルの音量は下がり、素晴らしいノンディストーションアドリブを聴かせてくれる。(らいぶ・ぶらっくもあ参照)

    

    

 
 1995年 Maihama

 Perfect Strangers を膝付ポーズを取って、手でタウラスを押しながらノリノリで演奏中、2番でコード進行を勘違いしてしまう。
 C−D・・・C−D−F−Gのパターンを繰り返した後、G−A・・・と入るのだが、まだ繰り返す部分で一人G−A・・・と入ってしまい、タウラスの部分からすぐに元のコードに戻し、ごまかしながら後ろに下がって気を取り直している。ボーカリストはさぞかし歌いずらかったことだろう。

 

 Man On The Silver Muntain の最後でメインリフを繰り返し、通常はキーソロとギターが掛け合いソロをとったりブレイクさせて聴衆に歌わせたりする部分を大幅に省略し、いきなりエンディングへの合図を出したつもりがドラムに意図が伝わらず、ブラックモアのみエンディングのリフを弾くがドラムは暫くリズムを刻み続け、ブラックモアは「どうしよう、しゃーない、もう一回リフに戻って・・・」なんて躊躇しているうちにドラムがリズムを止めたため、エンディングの独演ソロをサイレントバージョンにて奏でる。
 大音響というのはミスのごまかしが本当にできるものだ。リアルタイム中なんか全然気がつかなかったし、何回も見直して発見するといった感じだ。アコギのブラナイだと一発で発覚してしまうだろう。この日のライブは非常にサイレントバージョンが多く、4曲目のSmoke On The Water のソロもサイレントだったし、この後のThe Temple Of The King のソロもサイレントバージョンだった。



 コンサートも終盤ラスト曲Hall Of The Montain King頃には酔いもほどよく、演奏中断など意味不明の行動(管理人はそういうの大好きです!)が頻発。映像のない音源だけ聴いた潔癖なファンからまた「リッチーは手を抜いてる!」って批判されそうな一幕だ。