1977年スタート profile 
   

 リッチーブラックモア(Ritchie Blackmore)の名前を初めて耳にしたのは、1977年夏、中学校1年生12歳の頃である。父親に買ってもらった2万円のYAMAHA製フォークギターを弾き始めていた私は、友人から「Rainbowというグループのギタリストはめっちゃええから聴いてみろ!」と勧められたが、その時はあまり興味を抱かず名前だけを記憶に留めることとなる。
 その後、別の友人より今度はDeep PurpleのLive in Japanと、後にDeep Purple In Londonというライブアルバムになるラジオ音源(Burn 1974.5.22)を収録したカセットテープや、Album-BURNの市販カセットテープをたまたま借りて聴いた時の衝撃ときたら・・・・インプロヴィゼーションされオリジナルを全く無視して感情の赴くままにプレイし、かつテクニカルな演奏に見事にはまってしまった。それはアドリブといいつつも既定(スタジオ録音)のフレーズを示唆させられる大半のロックギタリスト達とは異なり、全く別物と呼べるような、意識して異なるように弾くほど徹底されたアドリブであり、とにかくスタジオとライブ、またはライブごとのアレンジも含めたその相違感にしびれた。直ちにIn Rockから当時の最新Album-Long Live Rodkn' Rollまで、テープやレコードを借りまくって(中学生に何枚ものLPを購入する資金はあるはずもなく)ダビング収集した。そしてDeep Purpleのギタリストもリッチーブラックモアであるということを知るに至り、彼のコピーを始めることになる。              
  

 そして、今日まで拘り続ける程に決定付けたのは、1980年5月15日大阪フェスティバルホールの追加公演である。リッチーブラックモア(RB)という人物はギターを難しい顔をして黙々とプレイするイメージを抱いていたのに、オープニングでマグネシウムファイアが爆発すると、いつの間にか舞台にいて、所狭しと動き回りステージアクションの連発であった。その容姿があまりにも華麗で格好良く、ギタープレイ以上にRBのパフォーマンスに目を奪われ、他のメンバーの存在なんか忘れてしまうほどであった。この視覚効果は絶大で、英雄視する決定的な動機づけとなるには十分なコンサートであった。この生体験に遭遇しなければ、RBは単なる成長過程における参考程度となる他のギタリスト同様の扱いで終わっていたかもしれない。とにかく純粋に格好よかった!憧れた!惹かれた!・・ギタープレイ、アクションを癖まで含め真似しなければ気持ちに収まりがつかなくなった。テクがどうの、音楽性がどうの・・・ではなく、ギターを弾いてる姿・仕草がとにかく格好良かった。
                                 
 この日を境にRBのコピーに怒涛のごとくのめり込んで行くこととなり、時代が遷り変わり、人生観も随分と変化していくなか、70歳を超えた今なお現役の一線で活躍する彼の動向をチェックし、正規のアルバムは勿論、海賊版のLive音源にまで手を伸ばし、繰り返し手癖までコピーし続けている。初心者の頃はきっちり弾かない、ノイジーな演奏まで率先してマネをし、むしろそれこそがカッコいいとも思っていた。当然、音楽以外の趣味・嗜好・思考まで少なからず影響を受け、音楽以上に人物像そのものに憧れたアーティストといえる。20歳前後には様々なジャンル、ミュージシャンも聴いて随分コピーもしたもんだが、どれもこれも興味は一過性だったし、現在もコピーし続けているのはRBオンリーである。人間の思考は経年、加齢とともに変化するものだろうけれど、その軽重はともかく、旧弊のまま今後の人生すべてに拘り続ける存在であることは間違いなさそうだ・・・・

 

 LPのFireball(だったと記憶する)の付録だか見開きだったかに各メンバーへのQ&Aがあり、その中でRBが身長の項目で5−11(5フィート11インチは約180p)と殴り書きしているのを見た記憶がある。最近の国外サイト情報を調べてみたところ5−10.5(5フィート10インチ2分の1は約179p)ともあるが、まあ180pあるかないかってところであろう。覚知当初、まだ成長ホルモンが微量ながら出ていることに期待するとともに、177cmに留まる身長を何とか180pに到達させようと、雑誌広告の「あなたの身長はまだ伸びる」に騙され覚悟(O脚、X脚矯正して身長2pアップ的な)の詐欺本を購入までして1年ほど頑張ってみたが全く効果はなかった。マジ伸びたらノーベル賞ものやわな・・それほどRBに傾倒していた。
  
                                        
 そういえば、バンド仲間が次第に茶髪・金髪にしていくなか、一貫して染めずに黒で通したことや、喫煙が高校生の火遊びで終わり(前述の身長延伸作戦も重なり、タバコを吸うなどありえなかった。)、中毒化に至らなかったのもRBが吸わないのをマネしたからだなあ。RBに感謝! 逆にアルコールは様々な飲酒している画像、インタビューを見聞きしていたせいもあり、今や少々依存気味。それこそハイネケンビールやスコッチ、ドイツワインなどをはじめ随分RBの嗜好品を試したもんだ。2004年来日ショットのアコギアンプ上にサッポロ生黒ラベル350mlが・・・こんな些細な理由で当銘柄を好んでしまう。

 還暦まで数年となった現在も高校時代の体重を維持してるにも係わらず、体質なのか高尿酸値に戸惑っており、アルコールの飲みすぎに留意せざるを得ない状況で、RBが痛風に悩んでいるのを知り不健康な状態まで親近感を抱いてしまう。左手薬指で結晶化したプリン体除去手術を2016.2に行ったらしい・・・その影響か現在のRainbowの公演を観る限り速いパッセージはできなくなったようだ・・・・・発病させたいとは絶対に思わないけど・・・・・・・

  
                             
 さて、さすがに今はメンタルな部分までは傾倒してはいないが、相変わらずRBのギターをただ聴くだけでは物足りない。同じようにとりあえずプレイしてみたいということで、日夜独学中である。へんな手癖がつかぬよう、RBのギターコピー以外はご法度(邪道な要素はすべて排除、正に趣味の世界)にすることでRB節の感受性を低下させない念の入れようである。
  

 所有していたRB以外の様々なアルバムなどは、全部二束三文で不要物として大半を売りさばき、以来手元にはRB関係のCD、DVD、ブートしかない。それすら邪魔なため廃棄したいくらいだが、世の中便利なもので場所いらずの単なるデータ保存で済ますべく、最近じゃブートも含めコピーする音源はYou Tubeからダウンロードしてしてしまうことで済ましてる。扶養家族たちのブーイングにより、ストラトによるでかい音(Feed Backなど絶対に不可能)を奏でることができないため、日々爪弾くのはアコースティックやアンプなしでの練習がメインとなり、いかんと思いつつもLakewoodとAlvarezは腫れ物に触る扱いなのと比較し、Fender2本とスキャロプトのグレコはメンテもせずほったらかし・・・・おまけに若き日々に相当ステージで痛めつけたので傷だらけだ。大切にしてやらないとなあ。

  

 ここまでくると、当然今後もRBが追求していく音楽を盲目的に追従していくしかない。Blackmore's Nightオタクではない(Deep Purple、Rainbowオタクでもなく、純粋にRB個人に対するオタク)ので、RBがロック(Ritchie Blackmore's Rainbow)に戻れば、当然そちらにも触手を伸ばすこととなる。ゆえに当サイトの題名は「Ritchie Blackmore100%」なのである。

 
     
 社会の中核を担い、今や次世代の育成にも尽力を注がなければならない立場となってしまった現在は仕事、家事都合に奔走せざるを得ず、昔のようにギター中心の生活はとても期待できない。っちゅうことで、ここに私の知る限りにおいてRBのギタープレイを検証してみた。自分なりに情報収集、コピーをしていて発見したこと、推測したこと、感じたことをまとめたものなので必ずしも正しくはないかもしれないが、当たらずとも遠からずだと思う。興味ある方は是非参考にされたい。

  
 随時更新中ですが、気まぐれな性分のため、当サイトの運営について過大な義務感、見識感を全く持ち合わせておりません。RB奏法の極意を看破できると自負はしておりますが、一個人の私的な趣味ですので内容の真偽について一切の責任を負いかねます。なお、機材、コレクター系については弱い(特に経済的に)ので他の見識あるサイトにお任せします。筋金入りの筆不精につきSNS等については忌避させて頂いております。唯々一方的に拙論を開陳するだけのナルシスティックなサイトです。あしからず・・・・・

  リッチーブラックモア100%管理人 藪内一人More Black

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