ソシュール
Ferdinand de Saussure (1857-1913)


1)言語の形相性

a) パロールとラング
言語が実際に用いられ、語られる(パロール)場合には、半ば無意識的な、言語の構造(ラング)が前提にある。
それは、例えばチェスのゲームが行われるとき、諸々の一般的なルールの集合(→ラング)が先に存在し、それに則って個々のゲーム(→パロール)が行われるようなものである。
またその際、チェスの駒は、それ自体が独立に意味を持つのではなく、他の駒との関係の中で、初めて意味を持つ。
「語は対象の名である」という言語に関する根本的な誤解(→ウィトゲンシュタイン)は捨てなければならない。

b) 二重分節
知らない外国語を聞くときに明らかなように、言語は続けて発声された一連の連続した音声として現われる。
その意味では、外面的には、動物の鳴き声と変わらないように見える。
しかし人間の言語は、鳴き声とは違って、よりミクロな単位へと分節化されている。
文は「語」という単位の結合に分析され、語はさらに「音素」という単位の結合に分析される。
それらは共に、デジタルな存在であり、他との差異によって意味を持つ、恣意的(arbitraire)な存在である。

2)言語の恣意性

a) 音素における恣意性
「音素は弁別特性の束である。」(ヤコブソン)
(続く)

b) 語における恣意性
シニフィアン(signifiant)とシニフィエ(signifié)
(続く)

c) 差異の体系としての言語

「そこには差異しかない。積極的(ポジティヴ)(+)な辞項は、一切存在しない。
…シニフィアンの働きは差異に基づいている。
同様に、シニフィエを考えてみても、そこには聴覚的次元の差異によって条件づけられるであろう差異しかない。
…こうして我々は、観念の差異に結びつけられた音の差異としてのラングの全体系に直面することが出来る。
与えられた積極的(ポジティヴ)(+)な観念は一つもなく、また観念の外にあって決定される聴覚記号は一つもない。
しかし、相互に条件づけあう差異のおかげで、つまり、かくかくの[聴覚]記号の差異(−)とかくかくの観念の差異(−)が結ばれたために、我々は何か積極的(ポジティヴ)(+)な実体に似たものを相手にすることになる。
この結合の積極的(ポジティヴ)(+)な要素があるために、そこにはもはや差異しかないとは言えず、我々は対立について語ることができるだろう。」(「第三回講義」―丸山『ソシュールの思想』から引用)


参考文献
ソシュールの言語理論が持つ哲学的な意味については、何はともあれ、
丸山圭三郎『ソシュールの思想』(岩波書店)
丸山圭三郎『ソシュールを読む』(岩波セミナーブックス)

辺りを一読するべきだろう。もっと手短に、というのであれば、
丸山圭三郎編『ソシュール小事典』(大修館書店)
ソシュール自身の講義は、
小林英夫訳『一般言語学講義』(岩波書店)
影浦峡・田中久美子訳『一般言語学講義―コンスタンタンのノート 』(東京大学出版会)


→村の広場に帰る