修辞学ゼミ
(rhetoric)

最近の大学生に共通する欠点は、「読み」「書く」能力が弱いということである。これは大学での(またその後の)学問的研究のためだけでなく、社会人として自分の意思を伝達するためにも是非とも必要な能力である。
このゼミナールは、他者の主張を論理的に理解する力と、説得的に自分の主張を述べる力を養成することを目標としている。具体的には、(エッセイや論説風の文章を題材として読み、その論理構造を解明する練習と――これは時間の都合で、今回はカット)、テーマに沿った論述を構成する技術を磨く訓練をする。
考えること、その考えを人に伝えることは、一つの技術である。ここで、その技術を磨いて欲しい。


[論証の方法と説得の技術]

アリストテレスは『弁論術(修辞学)』の中で、
「(この人は信用できるという)話し手の人柄に係っている説得」
「聞き手の状態(感情)に訴える説得」
「言論そのものに係っている説得」
という三種類を挙げている。(言論内容以外の要素も大きい。)

(1)論理的演繹
 →論理的推論の性質(基本的には、A→B、B→C、故にA→C、という三段論法;トートロジー)
 →様々な誤謬推理を見破る
 →隠れた前提(大前提や媒概念)を探す
  (トゥールミンは、「主張(claim)」と「データ(data)」を結びつけている隠れた前提を「論拠(warrant)」と呼ぶ。)

[例題1a]
「エイリアンも生き物なんだから、必ず、死ぬ」という主張(議論)の論理構造を分析せよ。
[解]
「エイリアンは生き物である(A)。生き物は必ず死ぬ(B)。ゆえに、エイリアンは死ぬ(C)。」つまり「A∧B⊃C(A+B→C)」という形の論証。
この(B)が、隠れた前提(大前提)であり、しかも間違った前提だ。(トゥールミンの議論モデルでは、「A」というデータと「C」という主張を結びつける論拠が「C」。)

[例題1b]
次の主張は正しいか、考えよ。
「東大はよい教育をしているとは思えない。単に最良の学生を選んでいるだけで、それらの学生がのちに成功したら、それが東大の功績と考えられているだけのように思える。」(小野田博一『論理的に話す方法』より)

(2)対人論証
(論証の非論理的な部分)
 →動機を明らかにする(なぜ、そう言う?)
 →権威に基づく論証(例えば「子どもが可哀想だ」といった決まり文句;誰も反論できない前提;統計やデータという数字のマジック)
 →インパクトを与える

[例題2]
プロ野球一リーグ化で、誰がどんな利益を得るのか、指摘せよ。

(3)トポスの発見
(「トポス」とは、観葉植物ではない(それはポトス)。ギリシャ語で、有効な論点が見出される「場所」のこと。)
 →反論を組み立てる
  (反論を聞かず、自分の主張だけを繰り返せば、議論に負けることはない。そもそも議論にならないのだから。
  反論するためには、まず相手の主張とその根拠を分析しなければならない。)
 →対立する議論(立論と反論)の共通点を探す;弁証法
  (将棋で「三手の読み」と言う。次に自分が指したい手だけなく、それに対して相手が指してくるだろう手を考える、そして更にそれに対する自分の指し手を考える、ということ。基本は、「主張とそれに対する反論」の繰り返しだ。しかしその時、将棋とは違い、両者が同じ主張を繰り返せば、「水掛け論」に終わる。ヘーゲルはこれを「悪無限」と呼んだ。主張と反論の前提にある隠れた主張を明らかにすることが、議論の発展を可能にする。それが「弁証法(=対話法)」だ。)
  反論には、立論とは違う主張をする「異論」と、立論の主張の不適切さを示す「批判」という、二つ形式がある。例えば「美味しい店があるから、今日はラーメンを食べよう」という主張に対して、「僕はカレーが食べたい」と言うのは「異論」だ。両者は必ずしも矛盾しない。この場合なら、お昼はラーメン、夜にカレーを食べればいい。「ラーメンを食べてはいけない。なぜなら、第一に、ラーメンだけでは栄養が偏るし、第二に、君が行きたいと言うラーメン屋は、…」と言うのが「批判」だ。

[例題3]
次の主張への反論を書け。(香西『反論の技術』より)
「私はミス・コンテストになんの興味も持っていないが、これらの開催に「人権の問題」として抗議する女性たちの運動を見聞きすると、なにか気になってたまらない。
 正面からこの問題についていうなら、美しいものが美しいと評価されて、なぜいけないのかということだろう。「身長や顔かたちなど、自分の意思や努力でどうにもならないことに優劣をつけるのは、人権侵害です」というが、自分の意思や努力でどうにもならないことは、ほかにもたくさんある。知的能力や才能はすべてそうではないか。日本では平等思想がゆきわたりすぎたあまり、母親たちは過大な期待を抱き子供を塾に駆りたてる。努力によってある程度の進歩はあるかもしれないが、自分のからだを美しく保つにも、それなりの努力が必要なのと、五分五分ではないだろうか。
 なによりも書きそえておきたいのは、応募する女性たちは、自分の意思で参加しているという事実だ。奴隷の品評会とは違う。彼女たちはこれをファッション・モデルや女優への登竜門とする場合だってあるだろう。廃止されたとき、彼女たちの「職業選択の自由」や人権はどうなるのか。「私は美人じゃないけれど、頭はいいのよ」という女性がいる。「私は勉強はからきしだめだけど、美人だわ」という女性がいる。差別撤廃論者として、どちらの女性に価値があり、どちらは価値がない、などといえるだろうか。それぞれに個性があるだけではないか。」(木村治美「ミス・コンテスト批判に」)


[パラグラフの構造]

(1)基本形式
0 一つのパラグラフには、一つの主張(結論)
1 主張文(Topic Sentence)―パラグラフの最初に「主張」を書く
2 主張の根拠(Supporting Sentence)―主張を支える「データ」を(いくつか)書く
  その際、主張に直接関係するデータだけを書く
  (内容的には、そのデータが事実であり、有効なデータになっているかどうかが問題)
3 結論文(Concluding Sentence)―パラグラフの最後に主張の内容をもう一度書く(場合によっては省略可))

これは、反論の場合も同じ。ただし、反論の場合には、
1 「筆者は『〜』と言っている。しかし、それは、間違っている(妥当でない/根拠がない)。」―先ず、批判する箇所を引用する
2 「なぜなら、第一に〜。」―批判の根拠を順次、述べる
  「第二に、〜」
という形式で書く。

[例]
クローン人間が「オリジナル人間」の記憶を持つということはない。
第一に、個人の記憶は脳細胞に残るものであり、遺伝子レベルでは残らない。したがって、遺伝子をクローン化しても、記憶は再生されない。
第二に、もし記憶が遺伝子に残るとするなら、記憶は刻々増えたり減ったりするのだから、遺伝子の構造も、今この瞬間も刻々と変わっているはずだ。しかし、それはありえない。
第三に、仮にそれがありえるとすると、同一人物でも、過去と現在、子どもと大人の段階では、遺伝子の構造が違うことになる。しかるに、クローンとは元の個体と同じ遺伝子を持つ者のことである。したがって、クローンは「オリジナル」と同じでない遺伝子を持つことになり、もはや「クローン」ではない、ということになる。
したがって、クローンが「体細胞核移植」という現在の方法で作られるものである限り、SF映画などでよくあるように、クローン人間が元の人間の記憶を持つ、というようなことは断じてあり得ない。
(三番目は、帰謬法 reductio ad absurdum のつもりで書いてみました。閑な人は、この立論に対する反論、もしくはもっとしっかりした立論を、考えてみてほしい。)

トゥールミンの議論モデル

データ――→主張
     ↑
    論拠(理由付け)

1 論拠について、それを支持する「裏付け(backing)」を明記する
2 議論の確実性の度合いを示す「限定詞(qualifier)」をつける(「可能である」「確実である」など)
3 論拠の有効性に保留条件として「反証(rebuttal)」を提示する

(2)複合形式
野矢『論理トレーニング』では、文と文、パラグラフとパラグラフとの基本的な接続関係を、次の四つに分類している。
解説 A=B (A。つまり/すなわち、B。)
根拠 A→B (A。だから、B。)
付加 A+B (A。そして/また、B。)
転換 A〜B (A。しかし、B。)


[例題4]
次の文章(藤田教授の主張)の論理構造を分析せよ(『論理トレーニング101題』より)。
「清潔はビョーキだ」の著書がある東京医科歯科大の藤田紘一郎教授(寄生虫学)も、座り派の増加について「清潔志向が行きすぎてアンバランスになってしまっている」と指摘する。「出たばかりの小便は雑菌もほとんどいない。その意味では水と同じぐらいきれいだ。なんで小便を毛嫌いするのか。ばい菌やにおいを退けすぎて、逆に生物としての人間本来の力を失いかけている一つの表れでないといいのですが」(朝日新聞、2000年3月26日付朝刊)

[例題5]
林田の発言に反論せよ。
八神「だが…待てよ…もし隣の人がドロボーだったらどうするんだ?」
林田「前田さんの隣にドロボーが住んでいるワケないでしょ」
八神「なぜそんな事が言える?」
林田「だってニュースの報道を見てると、ドロボーの住所って大抵「住所不定」になってるじゃないですか!!」

解答例
林田「それは警察に捕まっているいわばダメなドロボーだろ…優秀なドロボーは捕まっていないから金もあるだろうし、マンションに住んでいてもなんら不思議はない!!」(野中英次『課長バカ一代』より)
これはなかなか素晴らしい反論だと思うが、八神課長は、こう答える前に、「ドロボーの住所が大抵「住所不定」ってことはないだろ。それに、仮にそうだとしても、だよ、」と一言、突っ込んでおくべきだった。

[例題6]
次の主張に反論せよ。
「結婚前は、余り女性と付き合わない方がいい。余り女性と付き合ったことがない人は、少しでもいい女性と知り合うと、本当に素晴らしい女性に出合ったと思えるからだ。逆に多くの女性と付き合うと、少しくらいいい女性に出会っても、満足できないようになるからだ。」(内容的には、「初恋の人と結婚しろ」と言った、キルケゴールの『あれか、これか』?)

[例題7]
次の文章を読んで、適切な突込みを入れよ。
「実は私は、衆院解散とほぼ同時に小泉圧勝を予想していた。…
 まず私は「政治のプロ」などでは全くないから、政治を論ずることについてのエリート層ではない。そういう知り合いもほとんどいない。だから彼らに意見を聞くというすべは持たない。一方、米国に住んでいて日本のテレビは全く見ず、日本の情報はもっぱらネットに依存した生活を送っている。
 私は総選挙の結果に興味があったので、解散と同時に丹念に日本のブログ空間の言説を読んだ。私は情報を分別するリテラシーは高いほうなので、数時間かけて、だいたいの感じを掴むことができた。そして驚いた。凄い小泉支持率じゃないかと。むろんすべてのブログを読むことはできない。そして私というバイアスがかかることも事実だ。しかしそれを差し引いても、小泉支持の声が異常に大きい。特に「自分は民主党支持者だが今回だけは小泉」というようなことを書いている人が目についた。私は小泉支持のかなり強い風が吹いているのを感じた。
 そんなおり珍しく、母から国際電話がかかってきた。話の中身は、「今回の選挙は、誰に入れるべきなのか」という軽い相談であった。私は「政治のプロ」ではないが、家族・親戚という小さなコミュニティの中では、専門でない政治のことについても、それなりに意見が信用される。私は母に、今回は小泉支持だと伝えた。私は「老人も子供含めて一〇人に一人」くらいのコミュニティ内での信用をもとに、小さな影響力を行使した。…」(梅田望夫『ウェブ進化論』ちくま新書)

[例題8]
次の推論が正しいか、検討せよ。
「「在日うざい」
 この種の、ある世代よりも上の人間ならば、まゆをひそめずにはいられない表現を用いた書き込みが、2チャンネルを筆頭とする匿名掲示板では珍しくないのである。書き込み主の属性は匿名掲示板ゆえにわからないが、在日の人が、こういった捨て台詞を書き込むとはちょっと考えづらい。
 あるいは、
「これだから女は(以下、悪口雑言が続く)」
 こういった書き込みもまた珍しくはないのだが、これについてもまた、女が書き込んだとはやはり考えにくい。
「低学歴、必死だな(藁)」
 という書き込みについても、同様の推測ができる。
「○○って昔は屠殺場だか食肉工場だかがあったとこでしょ」
 最近はとうとう、この種の書き込みまでも見られるようになってきた。これがつまり、誰を差別するためになされた書き込みなのか、知らない2ちゃんねらーのほうが多いらしいため、「よく見かける」というところまではまだ広がっていないが、いずれは……と思われるのである。もちろん、「昔は屠殺場だか食肉工場だかがあったとこ」の出身者が、こういったことを書き込むわけはない。
 ということは、つまり、真っ当な神経の人間ならば「見るに耐えない」と感じるような差別的な書き込みをする人間とは、おそらくは、「在日ではなく、女ではなく、低学歴ではない人間」だと考えられるのであり、それはすなわち……。
 いや、いささか結論を急ぎすぎたようだ。
 それに、では、そういった推測にあてはまらない人間は、その種の書き込みをしないのか、というと、決してそうではないとも言えるのである。
「私は女だけど−、在日じゃないしー、低学歴じゃないしー」
 こんなふうに考えた結果、たとえ女であっても、真っ当な神経の人間ならば「見るに耐えない」と感じるような差別的な書き込みをしてしまう、そんな場合はやはりありえるのである。
 ともあれ、ネットの匿名掲示板とは、在日であるとか女であるとか低学歴であるとか等の、現実の世界の中でも「差別されてしまう」側の人間をバッシングすることに喜びを見出す、そんなタイプの人間にとって、心地いい空間なのである。
 では、現実の世界の中でも「差別されてしまう」側の人間をネットでたたいている人たちとは、現実の世界の中では「決して差別されない」側に属する人間である、と言えるのだろうか。
 こう考えたとき、一つの疑問が浮かんでくる。
 現実の世界の中では「差別されてしまう」要素であるのに、なぜかネットの中ではそのことをパッシングする書き込みが見当たらない属性がある、ということだ。
 すなわち、
「貧乏人のくせに」、だ。
 ありとあらゆる差別がうずまいている、と言えそうな匿名掲示板なのだが、この種の書き込みは、意外と見当たらないのである。なぜか。
「バッシングしている人自身がそうだから」
 もしかして、これが答えなのではないのか、最近の私には、そんなふうに思えてきているのである。
 ここまで書いてきたことをまとめると、つまり、真っ当な神経の人間ならば「見るに耐えない」と感じるような差別的な書き込みをする人間とは、おそらくは、「在日ではなく、女ではなく、低学歴でないものの、しかし、低所得な人間」なのではないのか、そんなふうに推測される、ということである。」
(荷宮和子『声に出して読めないネット掲示板』中公新書ラクレ)


[ディベートの例題]

1)原子力発電は止めるべきか?

2)プロ野球は一リーグがいいのか?

3)電車の中で飲食をしてよいか?

4)バレなければ、悪いこと(浮気、カンニング、銀行強盗など)をしてもいいか?

5)アルバイトでホスト(水商売)をしてもよいか?

6)クローン人間は作ってよいか?

7)ネットで映画や市販ソフトを無料でダウンロードしてよいか?

8)戦争は悪か?

9)宗教は迷信か?

例題は、
A)特別な知識を要求しないもの(3-5)
B)多少の(専門的)知識を要求するもの(1/2/6)
C)世界観や人生観に関わるもの(7-9)
という三つのパターンを用意してみた。(1/2は時事ネタ)
それぞれに関して、肯定と否定の、両方の立論を考えてみて欲しい(ゼミでは、素材の文章を用意する)。


参考文献
加地大介訳『
マグロウヒル大学演習 現代論理学(T)』(オーム社)―最初の二章がこの分野の解説と演習問題。
野矢茂樹『新版 論理トレーニング』『論理トレーニング101題』(産業図書)―一冊だけ読むなら、これだ(旧版も含めて3冊あるが)。
香西秀信『反論の技術』(明治図書)―もう一冊読むなら、これ。ともに実例が豊富で、論証能力を鍛える訓練になる。
福澤一吉『議論のレッスン』(NHK出版 生活人新書)
茂木秀昭『ザ・ディベート』(ちくま新書)
伊藤順康『自己変革の心理学』(講談社現代新書)、または、国分康孝『自己発見の心理学』(講談社現代新書)
 ―論理療法の解説書(Activating Events原因となる出来事→Belief→Consequence結果、という連鎖における「Belief System」の変更。隠れている前提を論理的な文章に書き直す。)

有名な「トゥールミンの議論モデル」については、
Stephen E. Toulmin, The Uses of Argument, 1959/2003, Cambridge U.P.(翻訳はないが、福澤『議論のレッスン』などで紹介されている。)
アリストテレスの『弁論術(修辞学)』は岩波文庫で出ているが、アリストテレスに興味がない人が読んでも時間の無駄だろう。むしろ、
香西秀信『議論術速成法』(ちくま新書)
の一読を勧めたい。


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