SCINE01:REPORT "TOGA SPRING ARTS FESTIVAL"

 

【4/29(祝)】
 利賀・新緑フェスティバル初日は4/29。この日の公演は、青年団、SCOTそしてク・ナウカとどれをとっても見逃せない関東勢のそうそうたる顔ぶれである。
 7:37am東京発の新幹線「あさひ」に乗り、越後湯沢で9:08am特急「はくたか」に乗り換える。富山駅に着いたのは11:29am。富山駅構内の雰囲気は、少し成田駅に似ている。
 改札を抜け、早々に駅レンタカーへと向かう。前もって予約しておいた車は、わざと小さいのを選んだ。親切なおじさんが、道順を教えてくれる。
 富山市から25km程南下すると八尾につく。そこが目的地への道の中間地点だ。利賀村に行くには、そこから更に道なりに進む。
 八尾までは、川沿いの一直線の道がほとんどで、造作もなかった。この分では予定時刻より随分早く到着するだろう、そう思った。
 甘かった。問題は、利賀村の名が標識に現れるようになってからだった。
 緩やかなカーブとトンネルを幾つか抜けるとそこにはダム湖が広がっていた。
 湖の縁をなぞるようにして、細い道が延々と続く。水は満々と湛えられ、新緑が目に眩しい。景色はすこぶる良い。ガードレールがないからだ。
 定期的にやってくる対向車のおかげで、ここが一方通行ではないことを知らされる。
 スピードは一気に70km/hから20km/hに変わった。
 新緑フェスティバルとはよくいったものだと、感心する。気温のせいか、それとも圧倒的な量から来るものなのか、緑の色が普段見慣れているものとは全然違う。
 萌ゆる緑は自己主張が強い。
 言葉を語らぬ木々の雄弁さを面白く思いながら、時々車を止めて外に出る。山の空気を味わうつもりだったが、そのうちポイント選びの目的が変わった。河川事業又は砂防事業が入り、人の手の加わった箇所がよく見える所で止まる。それが、面白いほどあるのだ。次から次から現れる。ものすごく苦労してこの細い道を維持していることが、そのことからも読める。
 実際、利賀村へと続く道は、ほんの30年前までは冬期は閉鎖されていたという。かの村は、かつて陸の孤島だったのだ。
 
【利賀フェスティバルの歴史】
 利賀村では、どんなきっかけで演劇のフェスティバルが開催されるようになったのだろうか。
 謎を解く鍵は、開催地にある。
 フェスティバル開催地は、利賀村の中に設置された合掌文化村というユニークな劇場群である。
 元々、古い伝統的な合掌造りの家屋を保存する目的でつくられた地域であり、最初は単なる近隣村の真似事だったと思われる。
 そこに、ある演劇人が登場する。1976年に劇団「SCOT」が入村し、この合掌造りの建物の一つを本拠地として、演劇活動を展開したのである。それがきっかけとなり、合掌文化村には新たな劇場が、趣旨に賛同した磯崎新(注:超有名な建築家なのですよ。)により次々と造り上げられ、さらに野外劇場には勅使河原宏(注:生け花の草月流の家元です。)の作品が水面に浮かび上がっているという、誠に贅沢、誠に魅力的な空間が出来上がった(富山県がこの価値に気づいたのは、この辺(1980年代)だったのだろう。1994年、合掌文化村は、富山県利賀芸術公園として県立化している。ううむ。)。
 1982年夏、世界演劇祭「利賀フェスティバル」が開催された。国内外から高名な或いはパワーのある劇団と観客が訪れ、オリエンタルで幽玄な空間に酔った。以来、毎年7月末から8月初めの約十日間、同祭が開催されている。
 SCOT開催者である鈴木忠志がえらいのは、彼が十分に政治的な動きもこなしている点である。未来につながる運動は、ただ好きというだけでは続けるのは難しい。それはそれで、別の才と別の努力や忍耐を必要とする。
 利賀村がえらいのは、当初これ程までには有名ではなかった某演劇人の願いを受け入れるだけの度量があった点である。そして、彼と彼の思いを育てた点は、もうこれはすごすぎる。
 人によっては、彼の試みに便乗しただけじゃないか、というかもしれない。だが、それこそが、多くの自治体では踏み込めないポイントなのだ。税金を使って後押しするだけに、やみくもに援助してやればよいというものでもない。彼が本物であるかどうかを見極める目を、村の方が持っていなければ、こういったことは出来ない。
 このことは、演劇フェスティバルだけに言っているのではない。利賀村が村おこしとして着目した「そば」から続く長い物語(これは、後ほど語るとしよう。)は、村の目が確かであることを証明している。
 1995年、今まで夏にのみ開催されていた演劇祭をGwの時期にも開催するべく鈴木氏は、小劇場系劇団として活躍する4つの劇団に声をかけた。それが「P4」、すなわち加藤幸和(花組芝居)、平田オリザ(青年団)、宮城聰(ク・ナウカ)、安田雅弘(山の手事情社)である。彼らは趣旨に賛同し、新作発表の場として参加した。
 1998年で4年目を迎える新緑フェスティバル。今年が前年までと大きく違うのは、P4が主催者サイドに首を突っ込むようになった点である。
 招かれて演じる、ただそれだけでなく、主催者とより深い関係を築こうとするほどに、彼らはこのフェスティバルへの価値を認めている。

  

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