いのち考



2005.6.8 wed

AAPN.org - Asian Animal Protection Network  http://www.aapn.org/
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で日本語やくしてもらったのがこちら(訳文と原文を表示)です。

このホームページ今日初めて知ったんですが、濃いですね。
またまた、現実つきつけられてツライけど、すでにベジタリアン(ラクト・オボだけど)だから、かろうじて耐えれてる感じある。

あの、京都で去年の5月に開催されたベジタリアンパラダイス トーク & 上映会で上映された「動物の一生」とかそんな感じのタイトルだったであろうビデオの屠殺シーンをまのあたりにしたときに、この気持ちを強く感じた。

「ああ、おれ今このビデオみてる現時点において、すでに、ベジタリアンであってよかったなぁ・・・」

肉の呪縛から抜け出れん人には、非常につらいと思う。つらすぎて見れんでしょ。罪悪感が胸を突き刺すにちがいない。ツライけど、おれは直視できる。ベジタリアンやから、かろうじて受け入れられる。改善したいと思う。救いたいと思う。自分が動かなきゃと思う。

動物の死骸を喰う人も、ネコがさばかれる画像ならみれると思う。
自分はやってないから罪悪感がないし、自分自身の問題を直接えぐられるわけではないので、「かわいそう」とか「中国人に対する憤り」程度ですむ。悪いのは自分ではない。自分の問題ではないから、批判できるし、「かわいそうやん!」って素直に感情を抱ける。

メニューの Food and Medicine Animals(食物と薬の動物)のページのキャットフードってとこクリックした所に、中国の人がネコをさばいてる画像が置いてあります。

血抜きしてさばかれるネコの動画
ちゃんと見えへんけど、包丁の柄か何かで頭をどついて脳震盪状態にしたネコの首を、切れにくいナイフで切り裂いて血抜きする。毛を刈って、火あぶりにする(毛を焼くため?)。おなかを切って内臓抜き取る、というか、手でかき出すというか。そして、炒める調理する。以上。そんな動画。
首を切るときに痛くないように脳震盪をおこさせる、これはブタやウシの屠殺と同じ。でも、このネコ確実に意識ある! 足バタバタしてるし、顔が痛い痛い言うてる。ええ加減なもんです。だいたいそもそもその意識飛ばすぐらい頭どつかれるときに痛いやろ。(ブタの場合mpeg)

もっと痛くない殺し方あるやろ、首切らんでもええんちゃうの?
『いのちの食べかた』に書いてたんやけど、うまい肉にするためには、血抜きせなあかんらしい。死んだら、血がどろどろになって体内に残るせいで肉がまずくなるらしい。だから、生きてる(心臓が動いてる)状態で血をドバドバ流させるために首を切り裂くんやけど、あまりにもかわいそうやし痛いやろう、ってことで脳震盪おこすらしい。意識飛ばすらしい。「意識が無いので痛みはありません。だから、かわいそうなことはありません。問題は解決しました。安心して肉食ってください」みたいな。でもそれで、ほんまに痛み苦しみまで飛んで楽に死ねてるんかはわからん。
幸せな死に方じゃないことは確か。
残酷な運命を強いてるのは確か。

屠殺の画像・動画は「菜食のすすめ」ってホムペに豊富にあります。
http://jazzmens.net/vegetarian/index.html

自分にはどうすることもできないのに絶望的な現実だけを突きつけられても、ほんとにどうすることもできなくて、悲しくて、つらいだけだから、やっぱり現実を見ないようにしていたほうがいいっていう結論を無意識のなかでだして保守的に「いままでどおり」に落ち着くんだろうけど、押し殺してもじぶんのなかに影は存在してるから、そんな話しを聞いたり、ベジに接触したときに投影して、それゆえ、激しく批判したり、否定したり、ありもせん先入観で決め付けてみたり、冷静に評価できなかったり、悪いところダメなところ矛盾点を探す努力したりして低めよう低めようとするんじゃないか。

実際は、本当は、この殺されるブタの問題は、どうすることもできない問題ではなくて、どうにかすることができる問題で、どうにかしていかなきゃならない問題で、現実にたくさんの人がどうにかしなければと活動してる問題で、勇気さえあれば、現実を直視することができる問題で、その第一歩をふみだすことができる問題で、なかまがいて、世界中になかまがいて、共通の認識で前進していける友達がたくさんいて、平和に向かってすすんでいける問題なんです。

ベジタリアンになることは、死骸のうまみの呪縛からの解放であり、人類の豊かな未来に向かって前進すること、そのスピードを加速することなんです。

だから、イメージと全く逆。
ベジタリアンになると、いろんなことが制限されて、なんにも食べれないし、自由が制限される。なんていう勝手なイメージとは全く逆のことが起こるんです。制限は外食ぐらいですか。くだらん制限ですよ。くそくらえって感じ。精神の解放がかなりでかいですね。だって以前は肉に縛り付けられてたわけですから。半ば強制的に思考停止状態の人間を、都合のいい人間を日本人を作り出すというプラン通りの人間だったわけですから。マクド食べーの、牛丼喰い〜の、牛乳のまされ〜の。常識なんてくそくらえなわけですよ。ぶたを平気で大量に性交させて産ませて不自由に不自然に育て喉切り裂いて血抜き殺す。それでいいのだ、それがいいのだ、うまけりゃいいじゃん、しかたないじゃん、だって社会が、だって現実が、だってだっておいしいんだもんだってだってそうしてきたんだもん・・・・・・・。みんなそう考えてるしそれが当たり前、それが常識。常識? そんな常識くそっくらえだ。

いま、アメリカでは俺ら世代、んじゃなくてティーネイジャーの4分の1がベジタリアンだと。日本でもかなり増えつつあるが、まだまだスローだ。スローすぎる。前進は、向上は、改善は、進化は、スローより、もう少し早いほうが速いほうがいい。あせ禁であることは一応解ってる。あせりは禁物だし、それぞれのペースがスピードがあるから、押し付け強要はダメだし無駄だし、逆効果なんだと思う。けど、そんなに余裕があるとは思えない。動物は確実に死んでる。日本人が2004年に食べたウシ126万7602頭、ブタ1618万3495頭。ニワトリはもっともっと多い。ブタの場合mpeg このブタが1600万頭強。どれだけの血が流れただろう、流れるだろう。いや、流させてしまったんだろう。

いそいで、ベジタリアンにならんでいい。ただ、その現実を知っててもらえたら、現実をかみしめて豚肉をかみしめていただければありがたい。

といいながら、ほんとはそんなことはありえないということも知ってる。だって、絶対食べたくないもん、食べへんもん。ベジタリアンは、自分がこうと決めたからそれを押し通してる、とかそういう意志の強い人だとか、そういうんじゃなくて、なにか、からだが、心が、なんか全てが欲しないつうか、拒否するつうか、ほんまに食べたくないから食べないんであって、我慢とか禁欲とかそんなしょうもない話しじゃないから、ただ、「感謝していただいてます」とか適当なセリフでキレイ事で済ますんだけはやめて欲しいです。







とっぷ