『いのちの食べかた』


森達也
理論社 2004.11
本体¥1000


第1章
もしもお肉がなかったら?
  1. きみんちの晩ごはん
  2. 僕たちの知らないこと
  3. 牛とのおつき合いのはじまり
  4. お肉を食べないわけ
  5. すき焼きと豚肉の登場!
第2章
お肉はどこからやってくる?
  1. 牛と豚がやってくる
  2. おいしいお肉はだれのため?
  3. 二つの大問題
  4. お肉ができあがるまで
  5. 職人さんの名人芸
  6. 「人間」という生きもの
  7. いのちを食べるということ
第3章
僕たちの矛盾、僕たちの未来
  1. お肉禁止令
  2. 僕らはとても忘れっぽい
  3. 大人は、万能じゃない
  4. 「穢れ」って、なに?
  5. 「不浄」って、なに?
  6. 僕たちの「弱さ」の歴史
  7. 村ごと大引っ越し!?
  8. 小さな優越感
  9. 君はすべてを秘密にできるかい?
  10. メディアの過ち
  11. 無限大の傷つけ装置
  12. だまされることの責任
  13. 僕らの麻痺
  14. 忘れられない記憶
  15. 僕たちが生きているということ
 
あとがき
2005.6.1
この本は小学生でも読めるように、漢字にフリガナがふってあるし文章もとても読みやすく親しみやすいように書かれている。だから、この本は若いやつは読むことができる。しかし、逆に脳みその硬貨しきった大人は読むことができないんじゃなかろうか。
特に、動物達に「感謝して食べています」なんてうわべの言葉で自分自身をもごまかし正当化して疑わないような人にはキビシかろう。「感謝」は、いや本当の感謝はとても大切です。でもそれをくちばしる前に現実を見てくださいよと。現実を知らずに感謝なんて、ありえないでしょ。スタミナ源とかタンパク質とかを引き合いにだしつつ毎日毎日おいしいとかマズイとかいいながら食べてる人肉、いや間違えた、牛や豚やニワトリの死体の肉の部分が、もともと生きてる動物であったことさえ忘れ、それがどう殺され解体されるのかも知らない。想像してみたことすらない。それでいながら「感謝していただいてます」。
言葉は綺麗でも、プラス思考に考えてみても、見えない所に隠しても、日本社会のせいにしてみても、大量の赤ん坊を母親に産ませ、苦しみのなかで太らせ、わずか数年で喉元切り裂いて殺す現実は変わんない。それが、牛丼に乗っかったりバーガーに挟まったりしてるお肉の現実。なんで、目をそむけるの?いつまで目をそむけ続けるの?
答えは簡単。現実があまりにもえげつないから。あまりに悲惨すぎて、まともに目を向けることができない。見ると、知ると、わかってしまう。動物が悲惨な目にあってることを、自分がとんでもないことをしているということを、認識してしまう。だから、見ないし、考えない。知りたくもない。
だから、一生思考停止に生きるか、勇気をだして解放に向かうか、どちらかしかない。勇気があれば現実を受け止めることができる。現実を直視し受け入れた人は破滅するのではなく、希望に向かってあるきだすことができる。ちゃんと生きていける。償いをすることができる。成長することができる。多くの動物を助けることができる。希望に向かって歩くことができることは、とてもありがたいことです。

 『現在の芝浦と場は、一言にすれば大規模な食肉工場だ。繋留所で一晩休養した牛や豚は、水で体を洗われてから、それぞれの工程に運ばれてゆく。まずは大動物、牛の場合から見てみよう。

 体を洗われた牛は、一頭がやっと通れるだけの幅の通路に追い込まれ、先頭の牛から順番にノッキングを受ける。この光景は、まるで一頭ずつ、押し当てられたピストルで額を撃ち抜かれているように見えるが、額に当てられたピストルの銃口から出るのは弾丸ではなく、「ノッキングペン」と呼ばれる細い針だ。
 銃口から飛び出す針の長さは3センチほど。眉間を撃たれると同時に脳震盪を起こした牛は硬直し、次の瞬間、通路の側面の鉄板が開かれ、段差にすれば1.5メートルほど下の床にまで、牛は四肢をこわばらせたまま傾斜を滑り落ちる。この時点で、眉間を撃たれた牛は、すでに意識を失っているといわれている。
 牛が斜面を滑り落ちてくると同時に、待ち構えていた数人の男たちが牛を取り囲む。頭に回った一人が、眉間に開けられた穴から金属製のワイヤーを素早く差し込む。1メートルほどの長さのワイヤーが、あっというまに牛の身体に吸い込まれて見えなくなる。
 差し込まれたワイヤーは脊髄を破壊する。つまり全身が麻痺するわけだ。牛によってはこの瞬間に、片足を痙攣させるなどの反応を示す場合もあるが、ほとんどの場合は無反応だ。
 このとき、ほぼ同じタイミングでもう一人が、首の下をナイフでざっくりと切る。切断された頸動脈から大量の血がほとばしる。天井に取り付けられたトロリーコンベア(吊り下げ式のベルトコンベアと考えればよい)から下がる鎖に片足をひっかけて、牛は逆さまに吊りあげられる。
全身は麻痺しているが、牛はまだ死んではいない。つまり心臓は動いている。ここが肝心なのだ。心臓は動いているから、血液は切断された頸動脈から床に大量に放血される。
 ノッキングからここまで、時間にすれば数十秒だ。放血を終えた牛が、トロリーコンベアで次の工程に運ばれるとほぼ同時に、次の牛が傾斜を滑り落ちてくる。
 最初のノッキングの位置を間違えれば、すべての手順が狂う。それどころか苦痛で牛が暴れだしたとしたら、たぶん取り押さえることは難しい。闘牛は分かるよね。猛り狂った牛はとても危険だ。その状態になってしまう。だから全員、とても真剣だ。

 頚動脈を切られて吊るされた牛は、次に頭を落とされ、さらに前脚が切断され、後脚も落とされる。それぞれ専門の職人がいる。つまり自動車工場を想像すればよい。ベルトコンベアで運ばれた自動車のフレームに、エンジンがのせられ、ボディが取り付けられ、自動車は少しずつ形になってゆく。と場はこの逆だ。トロリーコンベアで運ばれる牛は、少しずつ小さなパーツに解体されてゆく。』

 『さて、胴体だけになった牛は、次に皮剥き機で皮を剥がされる。大きなローラーのような機械にナイフで少しだけ切った皮の端をひっかけて、ゆっくりと巻き取るのだ。皮はきれいに剥がれ、薄い脂肪の膜に包まれた肉塊が静かに揺れている。
 次がすごい。待ち構えていた職人が、腹にナイフを入れる。同時に内臓が、もうもうと白い湯気を立てながら一気にこぼれ落ち、真下のスチール製のシュートにどさりと落ちて、あっというまに下の階へと滑り落ちてゆく。
 こうして頭と足、そして内臓も別にされた牛は、次に「背割」といって、背骨にそって縦に二つに割られる。使う道具は、専用の電動ノコギリだ。昔はこれを手挽きのノコギリやナイフでやった。大変な労力だ。もちろん電動のこぎりになったからといって、今でも楽な仕事ではない。背骨に沿って正確に切らなければ、できあがった肉の価値は大幅に下がる。』 (お肉ができあがるまで)
   








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