- 第1章
- もしもお肉がなかったら?
- きみんちの晩ごはん
- 僕たちの知らないこと
- 牛とのおつき合いのはじまり
- お肉を食べないわけ
- すき焼きと豚肉の登場!
- 第2章
- お肉はどこからやってくる?
- 牛と豚がやってくる
- おいしいお肉はだれのため?
- 二つの大問題
- お肉ができあがるまで
- 職人さんの名人芸
- 「人間」という生きもの
- いのちを食べるということ
- 第3章
- 僕たちの矛盾、僕たちの未来
- お肉禁止令
- 僕らはとても忘れっぽい
- 大人は、万能じゃない
- 「穢れ」って、なに?
- 「不浄」って、なに?
- 僕たちの「弱さ」の歴史
- 村ごと大引っ越し!?
- 小さな優越感
- 君はすべてを秘密にできるかい?
- メディアの過ち
- 無限大の傷つけ装置
- だまされることの責任
- 僕らの麻痺
- 忘れられない記憶
- 僕たちが生きているということ
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- あとがき
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2005.6.1
この本は小学生でも読めるように、漢字にフリガナがふってあるし文章もとても読みやすく親しみやすいように書かれている。だから、この本は若いやつは読むことができる。しかし、逆に脳みその硬貨しきった大人は読むことができないんじゃなかろうか。
特に、動物達に「感謝して食べています」なんてうわべの言葉で自分自身をもごまかし正当化して疑わないような人にはキビシかろう。「感謝」は、いや本当の感謝はとても大切です。でもそれをくちばしる前に現実を見てくださいよと。現実を知らずに感謝なんて、ありえないでしょ。スタミナ源とかタンパク質とかを引き合いにだしつつ毎日毎日おいしいとかマズイとかいいながら食べてる人肉、いや間違えた、牛や豚やニワトリの死体の肉の部分が、もともと生きてる動物であったことさえ忘れ、それがどう殺され解体されるのかも知らない。想像してみたことすらない。それでいながら「感謝していただいてます」。
言葉は綺麗でも、プラス思考に考えてみても、見えない所に隠しても、日本社会のせいにしてみても、大量の赤ん坊を母親に産ませ、苦しみのなかで太らせ、わずか数年で喉元切り裂いて殺す現実は変わんない。それが、牛丼に乗っかったりバーガーに挟まったりしてるお肉の現実。なんで、目をそむけるの?いつまで目をそむけ続けるの?
答えは簡単。現実があまりにもえげつないから。あまりに悲惨すぎて、まともに目を向けることができない。見ると、知ると、わかってしまう。動物が悲惨な目にあってることを、自分がとんでもないことをしているということを、認識してしまう。だから、見ないし、考えない。知りたくもない。
だから、一生思考停止に生きるか、勇気をだして解放に向かうか、どちらかしかない。勇気があれば現実を受け止めることができる。現実を直視し受け入れた人は破滅するのではなく、希望に向かってあるきだすことができる。ちゃんと生きていける。償いをすることができる。成長することができる。多くの動物を助けることができる。希望に向かって歩くことができることは、とてもありがたいことです。
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