2009.04.01
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●マイコン少年からセガのプログラマへ
   
原: Hiroさんは、セガに入社する前からパソコンというかコンピュータ関係は得意だったんですか?
   
Hiro: マイコンですね。マイコン少年で、コモドールのVIC-1001を持ってました。その頃は中学か高校だったかな。
   
光吉: VIC-1001って、白い奴ですよね。
   
Hiro: 当時はマイコンブームで、自分でも絶対ほしいと思ってて、当時は10万円以上する中、VIC-1001が69,800円で出たんですよ。これは買いだなと思って、発売日に買いました。それで、ベーシックでゲームを作って、自分で曲も付けてました。
   
原: ゲームを作って、さらに自分で曲も付けるってすごいですね。
   
Hiro: 曲は付けてましたね。キャラクタが動くたびに音符を拾って音がなって、ゴールするとアニメの曲を自分でアレンジした奴を流れるようにしてました。VIC-1001は、音色が3音+ノイズが鳴らせて、サウンドの機能が充実してて楽しかった。
   
原: じゃあ、中学〜高校の頃は、バンドとマイコンの両方をやってたんですね。
   
Hiro: そうですね。VIC-1001でプログラムの面白さとコンピュータで音が出る楽しさをかみ締めた感じですね。あと、ゲームを作って雑誌にも投稿してました。
   
原: ベーマガとかですか?
   
Hiro: いや、ベーマガの前で、マイコンゲームの本だったかな? ベーマガにも出したことはありますね。
   
原: 掲載されたことはあるんですか?
   
Hiro: 2〜3回。それがカセット(テープ)になって売られたこともあって、印税も入った(笑)。
   
原: ゲームを自分で作ってしまうぐらいだから、ゲームが好きで、ゲームが作りたいという理由で就職先にセガを選んだんですか?
   
Hiro: ゲームも好きなんだけど、プログラムでなにかを作るのが楽しかったから、研究開発をするところに行きたいと思って、いろいろ調べたら、ゲームを作っている会社があるっていうのを初めて知って。なので、入社する前はセガを知りませんでした。
   
原: Hiroさんは、セガ入社時はプログラマだったというのは有名な話ですが、プログラマ志望で入社したんですか?
   
Hiro: 本当は、セガに入社する時には、ゲームに音楽を付ける仕事をやりたかったんだけど、面接で投稿の話とか、マシン語もできるっていう話をしたらプログラマ。有無を言わさずプログラマ(笑)。
   
  (一同笑)
   
Hiro: プログラムももちろん好きなんで、まぁいいやと思って。
   
原: その頃は、サウンドだけの仕事というのは、もうあったんですか?
   
Hiro: 同期のファンキーK.H、林(克洋)君が初ですね。
   
光吉: へぇ。
   
Hiro: その前は、ハード部門の一部がサウンドをやっていたんです。なぜなら、その前の時代は抵抗を繋げて音を作るっていう時代だったんで。
   
原: ちなみに、就職試験はどんな感じでしたか?作品提出とかありましたか?
   
Hiro: 作品提出はなくて、面接と簡単な筆記試験だったかな。面接は鈴木(久司)さんで、自分の話しかしない人だった(笑)。
   
光吉: 鈴木常務?
   
Hiro: 面接ってこんなんなんだぁって思った。ずっと話を聞いてるだけなのかって(笑)
   
  (一同笑)
   

 
●経済学部からセガのサウンドへ
   
原: 光吉さんの頃の入社試験はどうでしたか? セガは大きな会社になっていて、かなり大変だったんじゃないですか?
   
光吉: 実はですね。その頃はバブルの最後の頃で逆に入りやすかったんですよ。僕は専攻が経済なんですけど、全然音楽と関係ないじゃないですか。
   
原: 経済学部だったんですか(驚)。
   
光吉: 一応、教職も取ってたんで教師っていう選択肢もあったんですけど、教育実習に行って現実を見まして……。
   
原: (笑)
   
光吉: 学生時代にずっとバンドをやっていましたし、できれば何か音楽に関われる仕事ができればいいなとは思ってました。セガについては大学の時に後輩から「ギャラクシーフォース」を聞かされて、今のゲーム音楽はすごいなと知ってですね、機会があったらこんな仕事をしたいなと思っていました。実は、もともとセガの求人も、営業向けの就職説明会に参加したんですよ。そしたら、たまたま僕じゃない人がパッと手を上げて「サウンドやりたいんですけど、どうしたらいいですか?」って質問したんです。
ギャラクシーフォース -G.S.M.SEGA1-
1988年に発売されたCDで、S.S.T.BANDのデビュー作。「ギャラクシーフォース」「獣王記」「サンダーブレード」のオリジナル版に加え、「スペースハリアー」「アウトラン」「アフターバーナー」「ギャラクシーフォース」のアレンジを収録。
   
原: 営業向けの説明会でですか?
   
光吉: そうなんですよ。そしたら「デモテープ送ってくれればいいですよ」って。
   
原: じゃ、その人が手を上げて質問しなかったら……。
   
光吉: 営業やってましたね(笑)。でも時代なんでしょうね。経済だけど面白そうだから、まぁいっかみたいな(笑)。今だったら僕みたいなのは拾ってもらえてないと思います。
   
原: でも、最近は一芸のある人を採用する企業っていうのもありますよね。
   
光吉: どうなんですかねぇ。でも、僕は面接で「S.S.T.BANDをやりたいです」って言いましたけど(笑)。
   
(一同笑)
   
原: ちなみに、その時に送ったデモテープはどんなものでしたか?
   
光吉: インストの曲を2曲ですね。全部手弾きで、マルチトラックレコーダーに重ねていって作りましたね。リズムマシンだけは打ち込みですけど。
   
原: Hiroさんは、採用する側としてそれを聞いてたりするんですか?
   
Hiro: たぶん聞いたと思う。
   
原: その時の曲が、その後何かのゲームの曲になってたりしないんですか?
   
光吉: あ、実はですね……えっ〜と、なってないな(笑)。
   
(一同大爆笑)
   
原: ちょっと聞いちゃまずい話かもしれませんが、光吉さんはセガ以外のゲーム会社も受けられたんですよね。
   
光吉: あ、大丈夫ですよ。僕はゲームの音楽をやりたいなと思っていたので、いろいろ受けましたね。ナムコ(現バンダイナムコ)さん、コナミさん、あとはタイトーさんとSNKさんだったかな? セガの他に一社最終面接まで行った会社があったんです。 ただ、その時にはセガの内定をもらっていたので、 気持ち的には他の会社はどんな感じなんだろうと。 そしたら、試験がすごかったですね。部屋に入ると電子ピアノが置いてあって、 「今からメロディだけ聴かせるんで5分以内にアレンジしてください」みたいな。 あと、絶対音感の試験もありましたね。元々絶対音感は無いんですが、 たまたま当たっちゃって。逆に面接官が驚いてました(笑)。 その後、役員さんと面接があったんですけど、僕もその時頭が回らなくてセガに内定もらってることを言っちゃったんです(笑)。
   
(一同大爆笑)
   
光吉: 「まだどうなるか分からないんですけど」とか言っておけばよかったのに「どんな会社なのか細かい部分を知りたくて来た」みたいな事を最終面接で聞いちゃったもんだから、結局「君は何がほしいんじゃぁ」「帰ってよし」みたいな感じでした(笑)。
   

 
●新入社員研修
   
原: セガに入社してからのお話を聞いて行きたいんですが、お二人の新入社員研修の頃は、ゲームセンターの店舗へ行くとかはありましたか?
   
光吉: 師匠の時代はありました?
   
Hiro: ウチらはなかった。会社に入った瞬間にプロジェクトに入れられた。
   
光吉: 僕の時はありました。新入社員全員で山中湖に合宿に行って、その後、店舗と工場に分かれ1週間交代って感じだったと思います。店舗でゲーム機からお金を集めて、ジャラジャラやって売上をカウントした記憶がありますね。
   
Hiro: それは今でもやってますね。
   
原: じゃあ、光吉さんの頃から始まったんですかね。
   
Hiro: ウチらの時にやらなくて失敗して(笑)、3年ぐらい後から始まったような気がします。
   
光吉: 店舗と工場の研修の後に、コンピュータ研修っていうのがあったんですよ。自分達でゲームを作るって言う。
   
原: それは音楽を鳴らすってことじゃなくて、本当にプログラムをするんですか?
   
光吉: プログラムですね。できる奴は音楽鳴らしてましたけど僕はビープ音出すのに一苦労、みたいなレベルでした(笑)。
   
原: Hiroさんの時はどうでしたか?
   
Hiro: 入社して、一週間ぐらいで中(裕司)と林君と3人で組まされて「女の子向けのゲームがほしいから作って」って言われて。
   
原: 「ガールズガーデン」ですね。
   
Hiro: だから研修も何にもないですから。まぁ、中もゲーム作ってたし、じゃあ、やろうかって。
   
原: すごいですね。
   
Hiro: いきなり機材を与えられて。企画もデザイナーもいないんですよ。だから、自分で絵も描いて。
   
原: ドット絵もやってたんですか?
   
Hiro: 最終的にはデザイナーは1人入ったんだけど、それまでは自分でドット絵書いてました。だからプロジェクトメンバーは4人ですね。音楽は林君で。
   
光吉: 林さんが作った曲を師匠がコンバートしたりしてたんですか?
   
Hiro: いや、その頃はサウンドはプログラムも覚えないとダメだったから。
   
光吉: じゃあ、林さんが自分でやってたんですね。
   
Hiro: 最初上がってきた曲はボツにした。俺だったらこんなのは作らない、って(笑)。
   
  
  次回は「アウトラン」や「アフターバーナー」等、FM音源時代の 開発エピソードをお伝えします。お楽しみに!


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