2009.04.01
 
音楽が嫌いだった少年時代
Hiro師匠の意外な趣味
野球少年から理科部、そして音楽へ
マイコン少年からセガのプログラマへ
経済学部からセガのサウンドへ
新入社員研修


GA-COREをご覧の皆さん初めまして。ヴァフィョーン原と申します。セガで一番好きなハードはメガドライブというオールドゲーマーです。 この度、長年のセガマニア歴が高じて(?)セガを代表するコンポーザーお二人にインタビューさせていただくチャンスを頂き、緊張しながら大鳥居へ行ってまいりました。
 

  <出席者紹介>
Hiro師匠

セガのFM音源サウンド黄金期を築き上げた名コンポーザー。代表作は「スペースハリアー」「アウトラン」「アフターバーナー」「ファンタジーゾーン」等多数。現在は第三AM研究開発部のサウンドセクションチーフ。
光吉猛修

歌って踊れるセガの名コンポーザー。代表作は「R-360」「デイトナUSA」「セガラリー」「シェンムー」等多数。作曲以外では「バーチャファイター」の影丸などの声も担当している。また、アニメ版「バーチャファイター」では主題歌「愛が足りないぜ」で歌手としても有名。現在は第三AM研究開発部所属。
※インタビュー後に部署統合があり、お二人とも2009年4月よりAMR&D1に異動されました。
   
原: 本日、インタビュアーを勤めさせていただく原です。よろしくお願いします。
   
Hiro: よろしくお願いします。
   
光吉: よろしくお願いします。
   
Hiro: あれ、原さんって以前にどこかでお会いしたことありますかね?
   
原: 実は、かなり前の話ですが、メガドライブの「レンタヒーロー」がドリームキャストに移植される時に、発売イベントやライブなんかでお会いしたことがあります。覚えていていただいてありがとうございます。
ヴァーミリオン対レンタヒーロー オリジナルサウンドトラック
メガドライブ誕生20周年記念CDの第2弾。Hiro師匠が担当した「ヴァーミリオン」と「レンタヒーロー」のオリジナル版のほか、「ヴァーミリオン」は[H.]と並木晃一による新アレンジを2曲、「レンタヒーロー」は光吉猛修や影山ヒロノブによるオープニング曲のボーカルアレンジ等を4曲収録。
   
Hiro: ああ、「レンタ」のヴァフィョーン原さんね。この名前なら覚えてますよ(笑)。原さんってブログとかやってません? 最近見た記憶があるんだけど。
   
原: はい。最近「ヴァーミリオン対レンタヒーロー オリジナルサウンドトラック」のことを書いたので、検索されてたどり着いたのかもしれませんね。
   
Hiro: ああ、たぶんそうだ。批評(※)ありがとね(笑)。
   
  ※アレンジ曲の選曲について不満を書いたのを見られていたようです……。
   

 
●音楽が嫌いだった少年時代
   
原: まずお二人の出身地を教えていただきたいのですが……。まず、Hiroさんからお願いします。
   
Hiro: 千葉です。千葉の銚子。
   
原: 就職するまで、銚子にいらっしゃったんですか?
   
Hiro: そう。ずーっと銚子。
   
原: では、就職する時に東京へ引っ越して、寮に入ったという感じですか?
   
Hiro: そうですね。
   
原: 光吉さんはいかがですか?
   
光吉: 僕は福岡です。ただ、父が営業の仕事をしていたので転勤が多くて、生まれは福岡なんですが、3歳ぐらいの時に千葉の方に引っ越して……高校の時に仙台に引っ越して……就職で東京に来たという感じですね。
   
原: 定番っぽい質問かもしれませんが、子供の頃から音楽が好きだったんでしょうか? 例えば、小学生の頃からピアノを習っていたとか、ギターを習っていたとかありますか?
   
Hiro: 小学校の頃は音楽の授業は大嫌いでした。常に5段階中の3で、音楽にはまったく興味がなかったですね。
   
原: え、じゃあ、音楽始めたのはいつ頃からなんですか?
   
Hiro: 始めたのは中学校の頃です。最初はフォークギターから入って、あの頃は、さだまさしとか、松山千春とか、アリスとか。
   
光吉: 世代的にはそんな感じになりますよね。
   
原: ギターを選んだきっかけというのは?
   
Hiro: フォークギターが流行ってて、周りでやってる奴が結構いたんですよ。で、自分でも始めて、その時にはもう自分で作曲もしてました。
   
光吉: じゃあ、コピーとかよりは最初からオリジナルで。
   
Hiro: コピー半分のオリジナル半分かな。
   
光吉: それはギターで作ってたんですか?
   
Hiro: そう、ギターで。
   
光吉: 歌詞もあって?
   
Hiro: そう、歌詞もあった。
   
原: 作詞もしてたんですね。
   
Hiro: してたしてた。
   
光吉: それ録音してないんですか?(笑)
   
Hiro: 録音はしてないけど、譜面っていうか、歌詞カードっぽいのにコードが書いたのは、まだあるかもしれない。
   
光吉: ああ、歌本みたいな感じで。
   
Hiro: そうそう(笑)。
   
原: ちなみに、ギターは自分で始める時、誰かに教えてもらったりしたんですか?
   
Hiro: いや、本で。何て言うのかな、ギターコード表みたいな奴を買って。
   
原: Hiroさんというと、キーボードのイメージが強いんですが、ギターからキーボードに変わるきっかけはなんだったんですか?
   
Hiro: 高校に入ってからバンドを組んで、高中正義のコピーをやってたんですね。最初はサイドギターをやってたんだけど、シンセメロがイントロとかに出てきたりするじゃないですか。それをシンセで弾いたりして、最初は1人でギターとシンセを両方やってたんだけど、そのうちシンセの方が面白くなってきてって感じです。音も作れるし。
   
原: 高校の時のバンドでは、他にどんな曲をやっていたんですか?
   
Hiro: カシオペアとか松岡直也のコピーをやって、その後オリジナルかな。
   
原: オリジナルはボーカル有りで?
   
Hiro: ボーカル有りですね。
   
   

 
●Hiro師匠の意外な趣味
   
原: 話がちょっと戻っちゃうかもしれませんが、音楽が嫌いだったという小学生の頃に、好きだった、今で言うハマっていたことはなんでしたか?
   
Hiro: レゴ!
   
光吉: あはは(笑)。
   
原: Hiroさんのレゴ好きは一部で有名ですが、子供の頃からだったんですね(笑)。でも、レゴってちょっと高級なイメージがあって、なかなか部品を揃えられないとかなかったですか?
   
Hiro: そんなことはなかったですね。兄が持ってた奴をお下がりで貰ったり、自分で少しずつ買い足したり。
   
原: キットになってる奴ですか? それともバラバラのパーツから自分で何かを組み立ててたんですか?
   
Hiro: ほぼ自分のオリジナルしか作ってなかったですね。
   
光吉: すげぇ(笑)。
   
原: 当時はダイヤブロックの方が主流じゃなかったですか?
   
光吉: ああ、ちょっと大きい奴ですよね。
   
Hiro: ウチはダイヤブロックじゃなくて、レゴと任天堂が作ってた任天堂ブロックっていうのを使ってました。
   
原: 任天堂ブロックなんていうのもあったんですね。
   
Hiro: 任天堂ブロックは、レゴと共通の互換性があったんです。ウチのホームページ ( CLUB LEGO )を見ると出てますから、見てください。
   
光吉: 宣伝ですね(笑)。
   
原: Hiroさんのレゴ歴は音楽歴より長いってことになりますね(笑)。
   

 
●野球少年から理科部、そして音楽へ
   
原: 光吉さんは、小学生の頃はどんなでしたか?
   
光吉: 師匠も今言いましたけど、実は僕も音楽の授業が大嫌いだったんですよ。特にヘ音記号とか理論的なものが苦手で、理論っていうほどのものでもないですけど、音楽の授業は全然ダメでしたね。ただ、歌ったりすることは、まぁ、普通どおりにしてましたね。その頃のアニメの主題歌だったり。
   
原: では、逆に好きだったことはなんですか?
   
光吉: 僕は野球少年でした。少年野球に入ってて、中学卒業するまでやってましたね。
   
原: その野球から音楽に変わるきっかけというのはなんだったんですか?
   
光吉: 少年野球の時は楽しかったんですけど、中学に入ってから、だいたいお察しの通り、先輩のしごきが辛くてですね。練習という名のしごきですね。
   
原: 私も中学は野球部だったので分かります(笑)。
   
光吉: 今で言うところのイジメですよね。それで野球が嫌いになっちゃったんです。で、高校に入ってからまったく逆のことをやろうと思って、理科部に入ったんですよ。
   
原: 理科部ですか?(笑)
   
  (一同爆笑)
   
光吉: 体育会系だったんで、文系を選んだんです(笑)。で、実はその時に初めてコンピュータってものに触れました。その頃はPC-8001とかですけど、音楽流してみたりして、コンピュータってこんなこともできるんだみたいな感じですね。
   
原: じゃあ、音楽から入るよりコンピュータから入った感じなんですか?
   
光吉: というか、その頃にYMOとかが流行ってまして、僕は音楽のきっかけはYMOなんですよ。それでキーボードというか鍵盤楽器を触りはじめたんです。ただ、もちろん音楽をやりたくて理科部に入った訳ではないので、星を見たりですとか、新聞紙で恐竜を作ったりとかしてたんです(笑)。
   
  (一同笑)
   
光吉: その中でシンセサンザーとか、なんかロジックとして面白そうだなというはあったんでしょうね。なんとなく電子楽器に興味があったりして。
   
原: なるほど。
   
光吉: それで、さっきもちょっと話をしましたけど、高校2年の時に親の転勤で仙台に引越ししたんですよ。で、転校した先でバンドみたいなのを組むきっかけがあったりとかして、音楽活動的にはそこからですね。それと、YMOが散開して次に聞く音楽が無くなってしまって、探してたら同じレコード会社でカシオペアっていう、同じインストの音楽をやってるバンドを見つけたんです。で、聞いたら全部手弾きで、あそこまでやってるいうんで、「エエッ!?」みたいな感じで(笑)。僕はそこから勝手にこれからは手弾きの時代だと思って、クラシックピアノを習い始めたんです。
   
Hiro: ちゃんと習ってたんだ。
   
光吉: 家の近くにたまたま個人で教えてくださる先生がいらっしゃって。
   
原: ちなみに、バンドをはじめてからは、ずーっとキーボードだったんですか?
   
光吉: 僕は大学卒業するまでキーボードですね。



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