妖華−女神館の住人達
 
 
 
 
 
第百九十九話:なのはさんのお時間:マカラカーンのこころとジオンガ!
 
 
 
 
 
「駄目だ、ちっともアイデアが浮かばん!ウガー!」
 最近の女児は早熟だから、アウターのみならずインナーも旧態依然とした白下着では満足しない、エロくて売れるものを考え出せ!と、部長の号令一下、部を挙げて女児をターゲットにした下着作りに取りかかったのだが、普段は成人向けをターゲットとしており、女児用は守備範囲外である。
 それでも仕事だから否応なく作ってはいるのだが、試作品の山も机の周りに散らばるデッサン用紙の残骸も、満足を得る出来の代物は含まれていない。
 今日の夜には幹部会がある。総長として君臨し、並み居る極道の幹部達を束ねる仕事だが、考えるだけで気が重くなってくる。机に向かい、紙に鉛筆を走らせせている時が、静也にとっては一番気の休まる時間なのだ。
 行き詰まろうが煮詰まろうが、好きでもない身分――自分の意思とは別によく似合っている――やくざの総長でいる時よりはずっとましだ。
「少し休憩するか」
 この部屋には、誰も立ち入るなと厳命してある。ゆえに身の回りの事も自分でしなければならず、お茶でも淹れようかと立ち上がった時、携帯が着信を告げた。
 総長専用の携帯で、またトラブルでもあったのかと静也の眉がわずかに寄ったが、発信元を見て表情が緩んだ。
「近藤です」
 自分より年下の、それも極道とは全く無縁の相手にこの電話でこんな対応をしていると幹部達が知ったら卒倒しかねない。
「いよう俺俺」
 類い希なる能力と経済環境に恵まれながら、その強大な能力故にそれを怖れ、内向的なヒキコモリと化した時期があるが、邪悪な手により再生した知り合いである。
「ご機嫌だな、どうした?」
「幼女のパンツおくれ」
 いきなりパンツ、しかも幼女のとくれば真性の変態であることは間違いない。
「玉を七つ集めて持ってきたら交換してやる」
「玉?」
「あ、いやなんでもない」
 奇怪な台詞の割に起源は知らないらしい。
「で、幼女の下着がどうしたって?」
「その前にひとつ」
「ん?」
「バレンタインって、近親から限定でブツをもらうんじゃなかったの?」
(……)
 その気になればチョコレートの山を築きそうな筈だがと、静也はちらっと宙を見上げてから、ああと思い出した。
「そういうヤツもいる。が、本場は恋人間でのやりとりだし、日本でも普通は女から男に贈るもんだ」
「末代まで呪ってやる」
 俺をか、と訊くほど静也は愚かではない。
「で、その礼に使うんだな」
「そーゆーこと。サイズは後で送るから試作品で構わない」
「お前にそんなモンを送れるか。ちゃんとしたものを選んで――」
「近藤静也が捨てずに取ってある試作品に、有害なものなどあるまい」
 途中で遮られ、おまけに出てきたのがこの台詞と来た。
 反応に困った静也の表情が硬直したのもやむを得まい。
「…いいだろう、採寸表を送ってくれ。適当に見繕って手配しておくよ。ただ、一つだけ条件がある」
「なに?」
「着用した感想を聞いておいてくれ。モデルじゃあてにならんし、素人につけてもらうのが一番だ」
「りょーかい」
 電話を切った後、静也は暫く携帯を眺めていた。
「請け合ったのはいいがこれじゃあな〜」
 箱の中に山と積まれた下着の山はどれも下着の形をしてはいるが、一般人に、それも実用品として渡せるものは殆どない。つまるところ、失敗作に毛の生えたようなものばかりだ。
「そうだ、秋野さんに頼もう。碇の頼みなら大丈夫だろう。化ッ」
 奇怪な笑いを浮かべた直後、再度携帯が鳴った。
 着信番号を見た静也の表情が一瞬で変わる。
「俺だ」
 ジャージ姿で下着の没デザインの山に埋もれながら、全身から漂うカタギとは程遠い生粋の極道。
 この姿こそが、母にして二代目姐の近藤妙、そして龍宝国光をはじめとする幹部達が、下着会社勤務の総長という噴飯物の身分を認めざるを得ない理由であった。
 近藤静也。
 碇シンジの友人にして下着会社勤務のサラリーマンであり。
 構成員一万人を超えると言われる広域指定暴力団新鮮組三代目総長である。
 もう一つの携帯――カタギ用――を取り出した静也だが、折角調達してやったのに、相手がころっと忘れていやがることになるとは想像もしていなかった。
 
 
 
 
 話は、なのはが女神館へ再訪し、浴場でレニを待っていた――全裸で――前日に遡る。
 
 
「ねえ黒瓜堂さん」
「なんです?」
「ジュエルシード持って行ったでしょう」
「ええ」
 その存在自体が厄介なエネルギー源であり、まして異世界などへ渡れば何を引き起こすか分かったものではないそれを、持って行ったという少女も少女なら、当然のように肯定する男も男だ。
 ただし、男の方は存在からして十分邪悪なので、世界の一つや二つ崩壊しても自分の研究に邁進できれば気にしない可能性が高い。
「で、それを何に使うんですか?」
 と、なのはが咎める風も無く訊いた。
 シンジを驚嘆させる能力の持ち主だけあって、色々な意味で順応性が高いのかもしれない。「目下、研究中です。持ち主の願いを叶える――といいますか、具現化する性質を持ったものらしいのですが、私の願いを叶えてくれるような代物では無い。分解・調査して同じ成分の物が作れれば面白いのですが」
 使い方によっては、世界すら崩壊させかねないそれを、保管どころか分解して模造品を造ると言い出した。
「造ってどうするの?」
「ジュエルシードjr量産化の暁には、人間界などあっという間に征服してみせる」
「せ、征服っ?」
「売りさばいて大もうけするのですよ。パワーを制御すれば大した事はできませんし、万一暴走したとしてもそれはそれ。私の経済力増加の前にはつまらん問題である!」
 ガッツポーズしてみせる姿も、実に邪悪である。
 子供と散歩している親がいたら、我が子を抱いて全速力で駆け出すことは間違いない。
 が、一緒に居るのは子持ちの主婦でも純粋な子供でも無い。
 五精使いにその能力の高さを賞賛され、その素質や良しと邪悪な男に肩入れされている少女である。
 ちょこんと小首を傾げて、何やら考え込んでいる。
「どうしました?」
 予想外のリアクションに毒気を抜かれたのか、訊ねた黒瓜堂の表情はやや間抜けであった。
「いえその…黒瓜堂さんって…違う時ありますよね」
「違う?」
「今みたいな話をする時って、すっごく悪なんですけど、そうでも無いときはそうでもないっていうかその…あ」
 黒瓜堂の手がにゅうと伸びて、なのはの頭を撫でた。
「さすがは我が弟子が驚嘆する能力だけのことはある。ご褒美あげましょう」
「あ、ありがとうございます」
 女神館の住人達なら、一部を除いて確実に警戒心を露わにするところだが、そこはまだませているとはいえ年端もいかぬ少女、素直に頭を下げた。
「ところで、君に連れられてこの世界へ来たが、何用で私を呼んだのですか?」
「残りのジュエルシードの回収があるんです。少しお手伝いしてもらっていいですか?」
「構いませんよ」
「よかった、きっとそう言ってくれると思ったんです。だから、ユーノ君を紹介しておこうと思って。いいですか?」
「変身能力を持ったフェレットの友人ですか。是非、遭ってみたいものですね」
 ん?とシンジなら首を傾げたろうが、なのははシンジでははない。
 断られるとはあまり思っていなかったが、あっさりと快諾されて少女らしい屈託の無い笑みを浮かべた。
 それから間もなく黒瓜堂の主人は、高町なのはの家に近いレストランでコーヒーカップを眺めていた。なのはは家まで一緒にと言ったのだが、シンジが同道しているならいざ知らず、自分だけが一緒に行った場合、家人の反応は凡そ想像出来る。
 他人の受け止め方くらいは分かっているらしい。
 それを承知で赴くほどの用でもない。
 コーヒーの波面を眺めていたところへ、
「お待たせしました」
 私服に着替えたなのはがやってきた。
 フェレットをマフラーのように首に巻き付けている。
 ちらりと時計を見ると、未だ十分程度しか経っていない。息を切らせているところを見ると、全力疾走でやってきたのだろう。
「そんなに急がなくても良かったのに。大丈夫ですか?」
「だ、だいじょうぶです」
 なのはが座ったところへ、ケーキが運ばれてきた。
「彼女へ」
 手でなのはを指し、軽く頷いた。
 礼を言って、もぎゅもぎゅと食べ始めたなのはの首元へ視線を向け、
「そちらが?」
「あ、はいユーノ君です」
 くるりと身体をほどき、テーブルの上にフェレットが二本足で立つ。
「ユーノ・スクライアです…フェレットが喋っても驚かないんですね」
「人語を解する動物には慣れているのでね。私は黒瓜堂、小さな雑貨屋の店主です」
 君が自分の首を切り落としてその首が喋ったら少しは――という台詞がちらっとは浮かんだのが、口にはしなかった。
 慣れている、というのも嘘では無い。
「なのは嬢からフェレットと聞いているが、少し違うようにも見える。ここは個室でね、呼ぶまで店員は来ないし他の客も入ってこない。真の姿を見せてもらっても良いかな」
「!」
 ユーノは一瞬身体を硬直させたが、なのはは気づいておらず、チョコレートクリームからせっせとイチゴを隔離している最中だ。
「…わかりました」
 ユーノが床へ降り立ち小さく何か唱えた直後、小動物はみるみるその大きさを増していき――それはやがて人の姿となった。
「ん…えーっ!!」
 漸く顔を上げたなのはの目に映ったのは、自分と年端の変わらぬ少年であり、
「それが本来の姿かな?」
 問うた黒瓜堂に少年が頷いた直後、なのはは口に入れたばかりのストロベリーを吹き出していた。
 咀嚼されていない果物が、原形を留めたまま少年の顔を直撃する。
「少女から顔に掛けられる気分はどうかね」
 女神館の管理人であれば、邪悪な問いの中に羨望に似たものを感じ取って、さもありなんと頷いたかもしれない。
「ちょ、ちょっと…くすぐったいです…」
 顔をわずかに赤らめる少年とは対照的に、なのはは未だに呆然としている。
 怪我をしたフェレットを助けたら魔法石を集めるよう頼まれ、道具一式を託された。ずっとフェレットだと思っていたのに、目の前にいるのはどう見ても人間である。
 フェレットだと思ったらミンクだった、どころの話ではない。
「も、もう…」
「『?』」
「もう夜は一緒に寝ないんだからねっ!」
 漸く出た台詞に、黒瓜堂は僅かに邪悪な笑みを浮かべ、ユーノは困ったような表情を見せた。
「な、なのはの寝相が悪いから今でもゲージで寝てるんだけど…って…なのははこの姿知ってるよね?」
「ね、寝相悪くないもんっ!ユーノ君が暴れるから悪いんだからっ!それにっ、わたしがその姿見るの初めてだよっ」
 す、と黒瓜堂が片手を上げた。
「お二人の仲が良いのは分かったが、その位にしておきなさい。いくら個室とはいえ、あまり大きな声を上げては店員がきますよ」
「『は、はい…』」
 人語を解するフェレット、と聞いてさして驚きもしなかったが、なのはに道具を託し、その使い方まで教えたとあっては話が変わってくる。
 邪悪なアンテナで何を受信したのか、この店へ来た時わざわざ個室を指定していたのだ。
「元の姿へ戻りたまえ。その姿なら、同居していてもさして問題にはならんだろう。なのは嬢がどうしても嫌なら、こちらでお預かりしてもかまわないが」
「大丈夫です。ちょっとびっくりしたけど…嫌じゃないですから」
「承知」
 黒瓜堂が頷くと、なのはが手を伸ばしてユーノの頬を左右にむにっと引っ張った。
「でもユーノ君、もう隠し事は無しだからねっ!」
「りょ、りょーひゃいひまひた」
 じゃれ合う二人に、黒瓜堂は穏やかな視線を向けていたが、ふと二人の動きが止まった。
「ユーノ君、今…」
「うん、間違いない」
「どうしました?」
「ジュエルシードの波動を感じたんです。間違いないと思います」「すぐに行かないとっ」
 一瞬で表情の切り替わった二人に、
「折角ですし、私もお供してよろしいですか?」
「え…」
 なのはは黒瓜堂を知っているが、ユーノは黒瓜堂の主人を知らない。見るからに邪悪な雰囲気を満載した男、としか認識できず、躊躇ったのも当然だったが、
「勿論です。お願いします」
 当然のように頷くなのはを見て、なのはがここまで不用心に言うのなら、それなりに根拠があるのだろうと言葉を重ねなかったが、
「一応お返ししておきましょう。こちらも持ってないと条件が成立しませんからね」
「?」
 ポケットから黒い袋を取り出し、その中へ無造作に入れた手が持っていたのは――。
「ジュ、ジュエルシードっ!?ど、どうしてっ!?」
「この程度の魔石なら私でも抑え込める。先日、想い人のレンタル代金としてちょうだいした魔石の方が抵抗力は高かった。女の想いは扱いが厄介ということかな」
 モリガンが聞いたら、激怒するに違いない。
「は、はあ」
 魔界の女王は、つれない想い人を拘束する為に人間界の価値で10億円相当の魔石を寄越したのだが、ユーノはそんなことなど知る由も無い。
 大体、存在自体が危険極まりない上に、文字通り人体に超有害なこの物体をいくら人間離れしているとは云え、人の形をした者が素手で触れるとは想像もつかなかったのだ。
 しかも、
「いいです。黒瓜堂さんが持ってて下さい。今日は一緒に行ってもらいますから」
 驚くどころか平然と言ってのけるなのはを見ては、もう目を点にして立ち竦むしか出来なかったのだが、
「ほらユーノ君、ぼんやりしてると置いてっちゃうよ。来なかったらユーノ君に全部払ってもらうからね」
 くすっと笑ったなのはの言葉に、漸く我に返った。
「そ、それは困るよ。僕、お金持ってないんだからっ」
「君に支払いを持たせては、私のランクが悪から悪へと下がるのでね。そんな事はしませんよ。さて、話もまとまった事ですし、行きましょうか」
 二人を先に外へ出すと、黒瓜堂は店員を呼び出した。
「お、お呼びでしょうか」
 天に逆らうウニ頭を見てどことなく引き気味の店員に、
「支払いはこれで」
 懐から取り出したのは金塊であった。
 その数は二つ、
「一つが100gある。おそらく不足はあるまい。もし足りなければここへ連絡を」
 置かれた名刺と金塊の間で、視線が往復している店員を後に店を出た。
 この反応なら、この世界に於ける金の価値はいつもの世界とそう変わらないと見たのだ。
 金塊は本物だし、普通なら十分すぎる価値があるが、ジュエルシードの分解からそれ以上の利益が出ると、この男は判断していたのである。
 そしてもうひとつ――この世界の貨幣を用意し忘れた、という事もあり、むしろそちらの方が理由としては大きい。
 悪を標榜しているくせに、時々間抜けである。
 駆け出す二人の後をついていく黒瓜堂の主人だが、二人が振り返らなかったのは正解だったろう。
 その姿は宙に浮いており、足は地についていなかった。
 そして、その背に変わったところは何もないにも関わらず陽光は――確かに翼の影を映していたのだ。
 こんなものを見た日には、幼い少女の人生観にろくでもない影響を与えることは間違いない。
 まもなく、黒瓜堂にもそれと分かるほどの妖気が伝わってきた。
「なのは嬢」
 地に降りた黒瓜堂が呼んだ。
「あ、はいっ?」
 急制動を掛けて振り向いたなのはに、
「なかなか面白い気を発している。既に具現化しているようですね。で、どうするんです?」
「ジュエルシードの本体を取り出して、封印するんです」
「誰が?」
『「え?」』
 なのは以外にいないだろうに、この危険な男は何を言い出すのかと、ユーノと二人して怪訝な表情になったが、
「私がやりましょう」
「!?」「く、黒瓜堂さんがっ?でもどうしてっ?」
「あんな石など私程度で十分、それより君は戦闘態勢をとっておきなさい。石に気付いたのは、君たちだけではないようです」
 黒瓜堂の言葉に、なのはの視線がある一点を振り向く。その遙か先には、バルディッシュを手に、宙を飛翔してくるフェイトの姿があった。
「フェイトちゃん…」
「さ、いいですね」
「は、はいっ」
 なのはが頷くと、黒瓜堂はすたすたと歩き出した。
 今度は早足で進んでおり、陽光もその邪悪な翼の影を映し出すことは出来なかった。
 そこへフェイトが飛来し、二人の魔法少女が空中と地上で対峙する。
「また来たのね…」
 前回、あっさりと撃退して以来、フェイトが不覚を取ったのは邪悪なペアであって、なのはが一気にその才能を開花させたことをフェイトは知らない。
 何も知らず、何も出来ないまま邪魔をしてくる少女、の認識しかないのだが、なのはは少しだけ困ったような表情を見せた。
「うーん、回収はしたいんだけど…今、黒瓜堂さんが採りに行ってるから…」
「黒…まさか」
 呟いた瞬間、身体全体を強張らせたフェイトを見て、ユーノはこの少女が既に黒瓜堂の主人を知っている――ろくでもない意味で――と気付いた。
「な、なんで…なんであの男がまた!?」
 一瞬で、戦闘どころか硬直モードに入ってしまったフェイトを見ながら、これは相当な精神的外傷(トラウマ)になったらしいと、ユーノは敵ながらちょっぴり可哀想になってきた。
(一体…何をされたら名前を聞いただけでこんなになるんだ…)
「フェイト!」
 下から呼ぶ声でフェイトの硬直が解けたが、現れた女を見てユーノはある事に気付いた。
(ん…髪が…変?)
 女がフェイトの仲魔で名をアルフ、姿を人にも狼にも取れることは知っている。
 がしかし。
 フェイトと、今は人の形をしているアルフ、二人しておかしいのだ。
 そう、髪型が。
 前回と違い、ばっさりと短くなっているのだが、明らかに素人がぶつ切りにしたような切り口になっている。髪は女の命、と誰が言ったかは知らないが、いくら何でも理髪を生業とする店へ行けば、こんな切り方はされまい。
「フェイト、どうしたのっ!?」
「あ、あの男が…く、黒瓜堂が来てるって…それでジュエルシードを…」
「!」
(あ、こっちも固まった)
 アルフが口を開けたまま、これも完全に硬直モードに入り、微動だにしなくなったのだ。
「なのは…こ、これは…」
 ユーノが視線を向けると、なのははふるふると首を振った。
 事情を知らない、ではなく知らない方がいい、ということらしい。
 降りてきたフェイトが、そっとアルフを揺するが、硬直状態から戻って来る様子はない。
 どうやら、アルフの方が黒瓜堂についての負の記憶が強いらしい。
「フェ、フェイトちゃんあの…」
 お人好しのなのはが声を掛けた瞬間、
「ギエエエー!」
 身の毛もよだつような悲鳴が聞こえ、三人が思わず耳をおさえるのと、
「フェイトっ!」
(あ、動いた)
 アルフの硬直が解けるのが同時であった。
 アルフが戻ってほっとしたフェイトだが、目の前の少女――なのはが、敵は敵だが今回は採取していないということ、何よりもあの忌まわしい思い出の根源が絡んでいると知り、どうすればいいのかと動けずにいた。
 なのはの方も、黒瓜堂が採りに行ったものだから、ここでフェイトと戦っていいのかも分からず、二人の魔法少女は、敵同士ながら、お互いをちらちらと見ながら膠着状態となっている。
 時折、うっかり視線が合ってしまうと、何故か二人とも赤くなり慌てて視線を外す。
(この子達、何してるんだろう…)
 これも自分の立ち位置が分からなくなってきたユーノが内心で呟いた時、
「お待たせしましたね」
 邪悪な足取りで黒瓜堂が戻ってきた。
 スーツ姿に乱れはなく、どこにも傷は見られない。
 となると、さっきの断末魔は誰が発したのかと背筋が寒くなった四人だが、
「石の回収は完了しました。ここにあります」
 何かを挟んだ二枚の小さな紙を取り出した。
 現物をそのままなのはに渡す事は、一応自重したのかもしれない。
 漸くフェイトとアルフに視線を向け、
「仲魔想いの魔法使いとその仲魔か、先日以来だね」
 す、と一礼した途端、アルフとフェイトの表情から揃って血の気が退いていき、なのははというと――。
 首を傾げていた。
 ビデオには、獣態時のアルフが楽しそうに毛をむしられる姿も、無理矢理人の形を取らされ、心の臓を抉られそうになっている場面も映ってはいないのだ。
「さてなのは嬢、これで私の仕事は終わりました。また、いつかお会い――」
「いいえっ」
 なのはが妙に力強く首を振り、悪の言葉を遮った。
「封印したのは私じゃないし、この間も私は何もしなかった。フェイトちゃん、一対一で勝負だよ!」
(…何でよ)
 ユーノは眉を寄せ、黒瓜堂の主人は、にっと笑った。
 なのはが受け取ってじゃあ、と帰らないことなど百も承知していたのだ。
「一対一?どうせその男に頼るんでしょ、大体あんたフェイトにやられたばっかりじゃない」
 噛み付いたアルフの言い分は尤もだが、
「なのは嬢が一対一で、と言ったのだ。状況がどうなろうと、非力な私ごときが手を出す幕ではない。魔道を使えぬ私に何が出来ると言うのです」
『「……」』
「な、何が――」
 魔道を使えない非力などと大嘘を!と言おうとしたアルフをフェイトが制した。
「分かりました…その勝負受けます」
 そう言って、なのはを見据える視線を、なのはの視線が真っ向から迎え撃つ。
 さっきとは一転して、戦士の表情で互いを見つめる二人を見て、ユーノが首をかしげた。
(この二人っていったい…)
 永遠に続くかと思われた魔法少女二人の邂逅は、邪悪な音で断ち切られた。
 ぽんぽんと手を叩き、
「では、話は決まった。ユーノ君と言ったかな、君は自宅へ戻りなのは嬢の代役を。そこの使い魔も、お帰りいただこう。結果がどうあれ、私が二人をお送りする」
「嫌よ」
 アルフは即座に否定した。
「フェイトを一人で、あんたみたいな奴と行かせられない。私も行くわ」
「お褒めにあずかり光栄ですな」
「褒めてないっ!」
「す、すみません…」
 仲魔をこれ以上暴走させては危険と思ったか、フェイトが割って入った。
「手ぶらで一人だけ帰ったら、きっと怒られるから…」
「いいでしょう」
 誰に、とも聞かず、黒瓜堂はあっさりと頷いた。
「どのみち一人では帰れないし、送迎役がいれば私の手間もはぶけるというものです」
 それを聞いたとき、なのははこの男がどこへ行こうとしているのかを知った。
「黒瓜堂さん、魔界ですか」
「ええ。あそこなら君が全力を出しても構わない。女王には私から話をしておきます。シンジ君が君をどれだけ開発したか、私も興味があるのでね」
「か、開発だなんてそんなぁ…黒瓜堂さんのえっち」
 うっすらと頬を赤らめ、もじもじするなのはを見て、居合わせた全員が同じ感想を――無論一人は除く――抱いたことは言うまでも無い。
 そして、この場に於いて真実を知っているのは、その一人のみである。
 魔界に入った途端、数歩も進まぬ内に膝を突いたフェイトに、
「決闘開始は二時間後、なのは嬢はここから真っ直ぐ行った先で待っている。ひとつ言っておくが、彼女は初めて魔界(ここ)へ入った途端、生き生きしていたよ」
 黒瓜堂の主人は邪悪な声で告げた。
 三十分ほどで動けるようになったフェイトだが、二時間後、宙に浮いて待っていたなのはを見て呆然と立ち竦んだ。
 最初に会った時は魔道服に身を包んでいたし、手にもレイジングハートを持っていた。
 だが、今なのはが手にしているのは明らかにレイジングハートではないし、衣装も軽装のままだ。
 しかも、背中から邪悪な黒い翼を生やして宙に浮いている黒瓜堂と談笑中だ。
 足先から脳天まで、一気に強烈な悪寒が突き抜けたような気がしたが、首を振ってなんとか振り払った。
「フェイト…大丈夫?」
 心配そうに訊ねるアルフに軽く微笑うと、バルディッシュを手にして地を蹴っていくが、その笑顔はやや強張っていた。
「おや、来ましたね。ここで飛べるようになるとは、なかなかのものです。さて、フェイト・テスタロッサ嬢」
(?あいつ…フェイトをまともに呼んだ?)
「確認しておきます。時間は無制限、どちらかが戦闘不能になるか、ギブアップした時点で終了。戦闘不能の判断は私がします」
「…分かった」
「魔法は好きなだけ使うといい。君たちがどれだけ強大な魔法を使っても、この世界には何の影響もないし、既に女王には話を通してある。それと一番肝心なことですが――」
 ちらりとなのはを振り返ると、少女は僅かながらしっかりと頷いた。
「負けた方は、勝った方の命令を一つ聞くこと。拒否は許されない」
(!?)
 勝った方に私が採取したジュエルシードを差し上げます、だと思ったし、それ以外のことは考えてもいなかった。
 だが、なのはの様子を見る限り、黒瓜堂から押しつけたようには見えない。
(いったい何を考えて…)
 さすがにフェイトが戸惑った時、
「フェイト、やっぱり罠だよ。こんな構成も分からない場所で戦うなんて、相手の思うつぼじゃない」
「そんな趣味はない」
 間髪入れず、邪悪な声が降ってきた。
「なのは嬢のジュエルシード収集だけが主眼なら、用はとうの昔に終わらせている。君らを白骨化する機会を、ここへ入った時から何度フイにしたと思っているのです?」
(くっ…)
「それと、この世界で君らの魔力が増幅されることはあっても、制限されることはない――基本的に」
「基本的!?」
「そう。相性次第では、魔法を操るどころか術を放つことすら出来なくなる。飛翔できている、という事は少なくとも最悪の相性ではないだろう。とは言え、どうしても嫌だというのならここでなくても構わない」
「…ひとつ教えて」
「え?わたし?」
 フェイトの視線は、黒瓜堂を通り越してなのはに向いていた。
「初めてここに入って二時間経った時…あなたは何をしていたの」
「火から逃げ回ってた」
 なのはの答えは早かった。
「もー、碇さんてば手加減してくれないんですから!」
 ぷぅ、と可愛らしく口を尖らせるなのはだが、その眼は笑っている。
(そうか、あの男の訓練を受けたのか…)
 最大出力でなかったとは言え、目の前の男共々自分の雷撃を平然と受け止め、素手から発した術を自分の腹部に叩き込んで地に落とし、全く寄せ付けなかった青年の手ほどきを受けたとあれば、短期間でこの変貌ぶりも納得がいく。
 黒瓜堂が何かするしないに関わらずアルフの言う通り、場所はこんな見たこともない世界、しかもなのはが自分に遠く及ばないと来ている。闘いには、正直気乗りしない部分もあったが、シンジの名前を聞いてフェイトの闘志に火がついた。
 黒瓜堂になのはを気遣う様子が微塵もないのも、なのはに、それだけの実力がついたと見ているからだろう。
 完敗しただけならまだしも、アルフは毛を毟られ、人の姿に戻された上に自分共々髪を切られたのだ。あの母がさほど怒らなかったのも、その姿を見たからだし、何としても目の前の黒瓜堂共々シンジを倒し、ジュエルシードを奪還しなくてはならない。
 どちらが持っているかは知らないが、奪われたそれが全てなのはの手に渡ってはいないと、フェイトは見抜いていたのである。
「分かった。ここでいいわ」
 黒瓜堂が、ふわふわと地上に降りていく。
「では」
 邪悪な声を合図に、二人の魔法少女が戦闘態勢に入る。
 フェイトはバルディッシュを構え、なのはは――奇妙な杖を軽く手に持ったままだ。
「あんな木の棒持たせて、ハンデのつもり」
 尖った声はしたが、近づいてはこない。
 毛を毟られたトラウマは癒えていないようだ。
「レイジングハート、といったかな。あの魔法具はまだ解析できていないのでね。彼も、あれを主体とした戦い方は教えていない。あの杖は、依頼されて作ったものだが、うちが仕上げた代物は、フェイト・テスタロッサ嬢の相手として不足はなかろう」
 魔法具であるレイジングハートは、優れた道具ではある反面、発動まで時間のかかる魔法が多く、また本体に仕込まれたカートリッジも使用する為、絶対的な実力差がある現時点では却って無用の長物になりかねないと、戦闘方針の見地からもシンジはさっさと切り替えた。
「…いくよ」「うん」
 黄色に輝く発射体を身体の周囲に発生させたフェイトと、軽く杖を構えただけのなのは。
 だが、なのはをよく見ていれば、その杖が僅かに変化(へんげ)したこと、そしてなのはが小さく何か呟いた事に気付いたかもしれない。
 杖の先からにゅうと顔を出したそれは、龍の形をしていた。
 その口から薄紫色の気体を吐きだし、それがみるみるなのはの全身を覆っていく。発射態勢を取ったフェイトの眼前で、なのはが慌てたように杖の先端をこちらに向けてくるが、
「遅い!フォトンランサー、ファイア!」
 シンジと黒瓜堂に放ったのと同じそれが、前回より威力を増してなのはを襲う。
 黄色い光になのはが包まれたのも同じ、そしてダメージを負った様子もなく宙に浮いているのも、変わらない。
 違うのは――フェイトの口元に笑みが浮かんだこと。
「ライトニングバインド」
 黄色を帯びた半透明のプリズムが、なのはの両手足を拘束し身動き出来ぬように締め付ける。
「私は…負ける訳にはいかない。この一撃で終わらせる」
 バルディッシュを手に発動呪文を詠唱しながら、フェイトの目に映ったのは――。
「黒瓜堂さーん、縛られちゃいましたぁ〜」
 悲壮感や絶望感どころか、緊張感の欠片もない声で黒瓜堂を呼ぶなのはの姿であり、やはり加勢を求める気かと獣化して黒瓜堂に牙をむくアルフなど知らぬげに、
「今度はレニに縛ってもらうといい。あの子は上手ですよ」
「はーい」
 これも必殺魔法を撃たれようとしていることなど、全く気にせず語りかける黒瓜堂の姿であった。
「フォ、フォトンランサーファランクスシフト!う、撃ち砕け、ファイア!」
 絶大な威力を誇るフェイトの最強攻撃魔法だが、威力が高いだけに、発動まで時間がかかる上に、相手を捕縛または動けなくしてからでないと真の威力が出ない。増殖させた多数の発射体から、無数にも見える魔弾が放たれ、必殺の気を帯びてなのはを襲う。
「いかに魔力が強大でも普通の幼女が魔術など受け止められぬと、なのは嬢が身を以て教えてくれたものを」
「!」
 黒瓜堂の呟きを聞いた時、アルフはなのはが身構えぬことと、一見なげやりにも見える余裕の理由を本能的に察した。
「フェイト、撃っちゃだめーっ!!」
 最早、止められぬと知りつつ、アルフの絶望的な叫びが響くのと、黒瓜堂が邪悪に笑うのとが同時であった。
「チェック・メイト」
 なのはが未だ光に覆われている状態でフェイトは既に第二撃を構えていた。どんな手を使ったかは知らないが、この射撃魔法はまともに受ければ無事では済まないと、伝授してくれた仲魔が言っていたのだ。
 まだ拘束は解けない筈、このままもう一度浴びせれば絶対に――。
「!」
 なのはが反撃してくるであろう事は、ある程度想定していた。最初から負けるつもりであれば、なのははともかく黒瓜堂が受けさせなかったろう。
 だがその色が自分と同じ――自分の放ったそれが、しかも威力を増して戻ってくる事は想定していなかった。
「くっ!」
 咄嗟にディフェンサーを展開し、防御または受け流しを図ったフェイトだが、次の瞬間その全身を凄まじい衝撃が襲った。
「!!!」
 悲鳴をあげる事も出来ず、逆しまに墜落していくフェイトを、急速に飛来したなのはが墜落寸前でそっと受け止める。
「魔法を受け止めて跳ね返すのがマカラカーン、わたしの魔力に応じて吸収できるって黒瓜堂さんが言ってたの」
 その効果を知らぬとはいえ、なのははフェイトが射撃魔法を詠唱するまで待っていたのだ――。
 単純に反射させるのではなく、一度相手の術を全て受け止め、自らの魔力を上乗せして送り返す。
 倍返しだ。
 但し、術者の能力は受け止められる術の限界と比例する為、受ける術の力が上回った場合、結界は崩壊し、力の暴走した攻撃を全身で浴びることになる。
 精であれ魔力であれ、桁外れの能力が要求される為、一見便利そうだが使える者が極めて限られてくる。
 修練の最終日、なのはに全力で撃たせた射撃魔法を受け止めたシンジが、この魔力なら殆どの魔法でも受け止められると判断したのだ。 
 そして、その殆どの中にフェイトは含まれている。
「…そっか…今の…魔法は?」
「ジオンガ。電撃魔法だって。ごめんね、やり過ぎちゃったね…」
「そんな…ことない…私も本気で撃ったんだから」
 フェイトはふるふると首を振った。既にマントは身体から外れ、衣服もあちこちが破れている。
「私の負け、だね」
「フェイトちゃん…」
「約束だよ。私のジュエルシードをあな――」
「あ、それ要らないから」
 不意になのはの口調が変わった。
「…え?」
 まさかの台詞に、フェイトの口がぽかんと開いた。
「勝った方が今回のジュエルシードを取る、なんて言ってないでしょ。勝った方が負けた方の言うことを聞く、って言ったんだよ?だからフェイトちゃんが勝っていたら、私のジュエルシードを全部取ることも出来たの。でも勝ったのはわたし。ね、フェイトちゃんクイズだよ」
「ク、クイズ?」
「うん。当たったら、このままおうちに帰してあげる。アルフさんと一緒にね。じゃあ問題」
「……」
「わたしがフェイトちゃんにしてもらいたいことって、なーんだ?」
 なのはの幼い舌が危険な艶を帯びて、ご丁寧にゆっくりと自分の唇を舐めていく。舌なめずりしながら、妖しい光を双眸にたたえて見つめてくるなのはを見た時、フェイトは自分の運命を知った。
 なお、アルフは既に捕縛済みで、黒瓜堂の手により雁字搦めに拘束されている。
「あ、あの…そのっ…キ、キスっ?」
 首元まで赤くなって言葉を絞り出したフェイトだが、
「ぶっぶー」
 なのはは簡単に首を振った。
「違うよ。今日のフェイトちゃんには…」
「わ、私には?」
「今日だけ、高町なのはのえっちなおもちゃになってもらいまーす」
「え、えええぇー!?」
 なのはの腕に抱かれながら、顔を赤くして抗議するフェイトと、これもうっすらと頬を染めて、少しだけ意地悪な表情で却下するなのは。
 そんな二人を、黒瓜堂は邪悪な微笑を浮かべて眺めていたが、その足下に居るアルフはもう抵抗を止めている。
「今度は尻尾の先まで、すべて毟られてみるかね?」
 邪悪な囁きに、あの悪夢が甦ったらしい。
 
 
 
  
 
(つづく)

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