妖華−女神館の住人達
 
 
 
 
 
第百九十六話:アスカ、10億(23億)の女(後)〜半万年に一度の大バーゲン〜
 
 
 
 
 
 天に向かって髪を逆立てるいつもの不遜な髪型で、黒瓜堂の主人はグラスに注いだ液体を眺めていた。琥珀色の液体は、この間発売されたばかりのビールで、この男には珍しくノーマルの飲料だ。
 泡立つ液体を眺めていた黒瓜堂がグラスを手にした時、
「オーナー」
 部屋の外から呼ぶ声がした。
 ここは、とあるホテルの一室で、保養施設と言えば聞こえはいいが、元々有名ホテルだったのをいつも通りの手段で入手し、籠城までも出来るよう半要塞化されている悪の拠点だ。。
 戦闘改造を施したのはレビアで、本店同様とまではいかないまでも、迫撃砲や戦車砲程度では陥ちない仕様にはなっている。
「起きてますよ。何かありましたか、レビア?」
「店の庭先で侵入者を感知しました」
「それはそれは」
 その表情がわずかに動いたのは、庭先と聞いたからだ。侵入を謀る輩自体はそう珍しくもないが、いきなり庭先とは珍しい。というよりも、レビアの眼が光るあの店で、突如庭先に現出するのは実質不可能なのだ。
 それこそ異空間から突如湧いてでもしない限り、必ず察知される。
「但し、見たことのある反応でしたが」
 見たことのある反応が庭先に突如現れたなら、現象に説明もつく。そしてそれを出来るのは目下、ただ一人しかいない。
「不良娘が遊びに来たかな」
「どこかの誰かさんに夜遊びを教えられた上、二つの世界を繋いでもらったので、行き来を覚えた魔法少女のようですね。オーナー、どうなさいます?」
「今の君の格好を知っておきたい」
 レビアはまだ部屋のドアを開けていない。
「ネグリジェでもパジャマでもベビードールでもありません。残念でした」
「じゃ、迎えに行ってきて下さい。ここの場所を知らぬまま、ホウキに乗って夜空を徘徊する魔法少女になられても困る」
「分かりました。ところでオーナー」
「ん?」
「私がどんな格好してると思ったんですか?」
「壺を割ったのに逆ギレして主人をお仕置してる最中のメイド」
「……」
 くっ、と口惜しげに唇を噛んだレビアが、くるりと身を翻す。
 想定外だったようだ。
 出て行く車の奏でるエキゾースト音を聞きながら、グラスを傾ける表情は、妙に満足感あふれるものであった。
 危険なウニ頭を潮風に吹かれながら、眼下の暗い海を眺めていた黒瓜堂の元へ、レビアがなのはを連れて戻って来たとき、時計の針は二時間も進んでいなかった。
「オーナー、今戻りました」
 ちらりと柱時計を見て、
「まだ夜遊びできるほどには発育していないと見える。ご苦労でした」
(…今笑わなかった?)
 レビアの眉がわずかに寄ったのは、嘲られたと思ったからではない。本店の周りをうろうろしていたなのはを見つけ、車で運んできたのだが黒瓜堂の言うとおりすぐに寝入ってしまった。今もレビアの背で寝息を立てているなのはだが、それを見た黒瓜堂が笑ったような――いつも通り邪悪に――気がしたのである。
 自分を見て笑うならまだしも、なのはを見て笑ったのなら危険すぎる。
「君は誰かと寝るのは好むまい。置いていくがいい、今晩はここに泊めるから」
「いーえ、私が責任持ってお預かりします。じゃ、オーナーモヤスミ!」
 ドタドタと遠ざかっていく足音を聞きながら、
「ちっ、逃げられてしまいましたね」
 と、さほど残念がってもなさそうな表情で呟いた。
 そしてこう言った。
「明朝レビアに遭うのが楽しみですよ」
 と。
 翌朝、なのはを伴い部屋から出てきたレビアを見て、黒瓜堂は満足げに笑った。一睡もしていないことを、その表情が如実に物語っていたのだ。
 レビアがひどく人見知りを――睡眠限定で――する事を、黒瓜堂はよく知っていたのである。
「黒瓜堂さん、おはようございます」
 ちょこんと頭を下げたなのはに、
「おはよう。夕べはよく眠れましたか」
「あ、はい。すみませんレビアさんに迎えにきてもらっちゃって。レビアさん私のせいで寝不足になっちゃって…」
 私の手から少女をさらった報いです、とは言わなかった。全く脳裏に浮かばなかったと言えば嘘になるが、言っても面白くない。
 この場にはシンジがいないのだ。
「言い出したのは本人でね、別に構いませんよ。それよりどうして店(こっち)へ?」 
「あの、ちょっと遊びに…あ、思い出した!黒瓜堂さんっ!」
「なんです?」
「爆発しちゃってるじゃないですか。まさか誰かに攻撃されたとかっ!?」
 黒瓜堂は頷き、
「ええ、ちょっと爆撃されましてね」
(オーナー?)
 こんな朝っぱらから、しかも起きてて寝ぼけるのはどういう事かと呆れた視線を向けたレビアだが、当然黒瓜堂は意に介した様子もなく、
「一発かましに行きたいんですが、君も行きますか」
 すう、となのはの雰囲気が変わっていく。
「一緒に行きます」
 現出させたレイジングハートを手に、こくっと頷いたなのはを見て、レビアの眉間が寄った直後、不意に黒瓜堂が笑った。
 ウケケケ、といつも通り奇怪に笑ってから、
「やはりそうでしたか」
「『え?』」
 にゅう、と手を伸ばしてなのはの頭を軽く撫でて、
「これで確定した。なのは嬢、影響受けすぎ」
「え、影響?なんのですか?」
「シンジ君の」
 顔に?マークを浮かべているなのはに、
「この間アイリスと喧嘩したでしょう。どうしてです?」
「あ、あれはその、だってアイリスが…」
「以前の君ならしていましたか?」
「え…」
 尋ねられて、なのはの表情が固まった。
 言われてみれば、確かに普段の自分とは違う気がする。絶対に争いは避ける、という性格ではなかったが、よく知りもしない相手と、それも裸で取っ組み合うような事はしなかった筈だ。
「正確に言えばシンジ君の気に中毒った、と言うところかな。自分では自覚していないが、戦闘系の雰囲気が伝染るんですよ。誤解の無いように言っておきますが」
「は、はい」
「影響を及ぼしているのはあくまでもシンジ君です。分かりましたね」
「はい…それであの…私はどうしたら…」
「別に。性格面で少し戦闘的になる所が出ても、日常生活では別に困らない。向こうの世界では平凡な小学三年生、と言うわけでもないでしょう。ああ、それからうちの爆発の件ですが――」
(なーにがあくまでも、よ。この嘘吐き大王は)
 なのはと話し込んでいる黒瓜堂を見ながら、レビアは内心で毒づいていた。シンジの影響、というのが全面的に嘘、という事はないが、それはむしろ能力面での影響であって性格面の――それも少し悪が混ざったようなそれは、明らかにこの男の所為だ。
 だいたい、夜遊びしてこちらの世界へやってきた挙げ句、急いで帰るとも言わず殴り込みに付き合うような魔法少女が、そうそういる筈もないのだ。
 どう悪の素顔を暴いたものかと考えていたせいで、
「…ビア…レビア!」
「あ…何か」
 呼ばれた事に気付かず、
「なのは嬢、君は起きてて寝ぼけるような大人になっちゃいけませんよ。いいですね」
(くっ…)
 黒瓜堂の正体を暴くどころか、自分が恥をかく羽目になり、怒りと屈辱で顔を赤くしているレビアに、
「私は、なのは嬢と食事に出かけてくる。間もなくアスカを引き取りに来るから、あとはよろしく」
「…分かりました」
 言い置くと、なのはを伴ってさっさと出かけてしまった。
 
 
  
「んじゃ、行こうか」
「あ、ああ…」
 カンナを乗せて車を走らせながら、シンジの眉は微妙に寄ったままであった。アスカの失態と、一時的な錯乱を聞かされたシンジは、昨夜の内にフユノから写真を取り寄せていた。
 妙な結界に妨げられはしたが、爆発の惨状が把握できる程度の写真は撮影できており、それだけに補償の解決策は依然として浮かばないままであった。自分やレニであれば、どれだけかかろうが払う事に問題はない。この帝都にいる限り、実家からの援助など一銭も受けずとも、稼ぎ出すだけの自信はある。
 が、シンジは当事者でなく、アスカとも無関係なのだ。それでもシンジに払わせる事を良しとするような性格なら、一時的とは言え錯乱など起こさず、碇フユノもまた、最初から女神館の住人になどしていなかったろう。
 しかも、アスカを逆さにして絞ってみても、到底出てくる金額ではない事も分かっており、それだけにシンジの表情は晴れない。
(大将…)
 横にいたカンナには、まだ全貌が掴めていない。それでも、昨日は何かに憑かれた程上機嫌だったシンジが、女神館を出てからずっとこの表情なのを見れば、アスカ絡みで相当悩んでいる事位は見当が付くから、何も言わずに黙っていた。
 但し、
(これだけ悩んでるって事は、黒瓜堂の人が相当怒ってるんだろうなあ…。まあ、温泉壊されちゃ無理もないよな)
 些か見当外れではあったが。
 真相はまだ、レニにしか伝えていないのだ。
 車がアクアラインにさしかかった頃、シンジの携帯が鳴った。
「はい…うん…え、居ないの?そう、分かった」
 もっともだ、と頷いたシンジに、
「あの…何かあったのかい?」
「店の方にはいないらしい。違うアジトに行かれたんだと」
「そっか、忙しい人だもんな」
 それを聞いたシンジは、ふ、と笑っただけで何も言わなかった。多忙で出かけている、などと目出度い話ではなく、本拠地を爆破されたから居場所を移したのだとは、説明するのも面倒だったのだ。
(それにしても、問い合わせる前に連絡してくるとは)
 レニの扱いを誤り、シンジに吹っ飛ばされる寸前までいったフユノだが、シンジが巴里から戻って以来完全に復調していたのだ。
 ミサトでは実力が足りず、シンジに至ってはその気すらない現状で、碇財閥の総帥に落ち込んでいる時間など与えられないのが現状だ。確かに今のシンジは、援助を受けずとも十分やってはいけるものの、生まれ育った環境は決して実家の資金力と無縁ではない。
 シンジがその辺を理解するには、もう少し時間を要するかもしれない。
 とまれ、行き先を聞いたシンジは、
「桐島、ベルト締め付けて」
「え?あ、ああ…うぉ!?」
 ぐっとアクセルを踏み込み、シートにカンナを押しつけたまま、車は急加速して疾走していった。
 
 
 
 シンジが車を飛ばしている頃、なのはと黒瓜堂の主人は南房のとある喫茶店にいた。
「え?それじゃ、アスカさんが温泉を壊しちゃったんですか」
「そう」
「?」
 なのはの両頬に?マークが浮かび、
「シンジさんが迎えに来るんでしょう?どうして出てきちゃったの?」
「なのは嬢とデートしたかったので」
「ふうん」
 ちゅーっと、ストローでジュースを吸い上げ、
「本当のところは?」
「…なのは嬢、何時の間にそんな世俗慣れしたね?」
「だって、黒瓜堂さん私に興味ないでしょ。それに、ネタをネタと分からないと黒瓜堂さんと付き合うのは難しい、って碇さんがゆってた」
「空気を読まない少年だ。まあいい、私が君を連れて出てきた理由でしたね。第一は、不良娘に朝ご飯を食べさせること。もう一つは、シンジ君をあまり困らせたくなかったのでね――現時点では」
「現時点では、なんですか?」
「確かに壊したのはアスカだが、きっかけの87%はシンジにある。シンジもそれは分かっているから、色々困ってるんですよ」
「そうなんですか?」
 ちょこんと小首を傾げたなのはに頷いた直後、
「そうなんです…痛?」
 見ると、その小さな手に持った爪楊枝で黒瓜堂の手を刺している。
「ねえ黒瓜堂さん、不良娘って誰の事ですか?」
 にこにこと笑ってはいるが、その瞳は決して笑っていない。
「そらまあ、深夜に家を抜け出して異世界へ遊びに来るような某魔法少女の…イテテ」
「家出じゃありません。ちゃんと代役置いてます!」
「ほう?」
「ちゃんと、ユーノ君に変身魔法であたしになってもらって、学校も行ってもらってるんだから」
「そう言えば、君を引き込んだ小動物がいると言ってましたね」
「そうです。私、不良少女なんかじゃないんですから」
 えへん、と胸を張ったなのはに、
「何だったかな。確か…リス科のタイリクモモンガと言ったかな」
「ちっ、違います!ユーノ君はそんなんじゃありません。ユーノ君は…ユーノ君は…え、えーと…その…」
「キャラット?」
「そ、そうそれ、キャラットです。タイリクモモンガなんかじゃありません」
「それは失礼を」
 黒瓜堂の顔に笑みが――怪しい笑みが浮かんだが、なのはは気付かなかった。
 くい、とコーヒーカップを傾け、
「なのは嬢、そろそろ行きましょうか」
 伝票を取って立ち上がった。
「はい。あ…ご馳走様です」
「いえいえ」
 この辺りは季候も年中穏やかで、この季節はもううっすらと汗ばんでくる程だ。
「帝都とは空気が違う…」
 深呼吸したなのはが呟いたところへ、黒瓜堂が戻ってきた。
「さて、この後どこかへ行きますか?何なら、レニでも呼び出して――」
「黒瓜堂さんでいいです」
「私と?」
 面白いことを言う少女だと云うふうに、なのはを見た。
「折角こっちに来たので、訓練できる所がいいです」
 なるほど、と黒瓜堂は頷いた。
「それなら大自然や娯楽施設は不向きだ。でも、どうして私を?」
「だって、シンジさんなら絶対心配要らないけど、レニお姉さまは巻き込めないから」
「賢明な判断だ。私なら巻き込んでも別に影響ないですからね」
「はいっ…あ」
 頷いてから気付いたがもう遅い。
「あ、あのっ…そう言う意味じゃなくてその…これはっ」
「別に構いませんよ。さ、行きましょ」
「は、はい…」
 車に乗り込み、アクセルを踏み込む寸前、
「そうそう、なのは嬢」
「は、はい?」
「キャラットじゃなくてフェレットです。使い魔の種類位は把握しておくものですよ」
「!?」
 首筋まで、みるみる真っ赤になっていくなのはをシートに張り付け、車は危険に加速し始めた。
 
 
 
「で、誰よこれ」
 勝浦まで車を飛ばすと黒瓜堂はおらず、代わりに祐子が出迎えた。
「このレビア様に荷物引き渡し係をやれなんて、そんな餌には釣られないわよ」
 何がどう餌なのかは不明だが、シンジが着く前にさっさと出かけてしまったのだ。
 一晩ですっかり憔悴したアスカを引き取ってきたのだが、緊張の糸が切れたのか途中からは着くまでずっと熟睡したままであった。
「多分、昨日寝てねえんだろうなあ」
「いや、不眠の窶れじゃない。眠りはしたのだろう。ただ、かなり浅かったようだが」
「そんなもんかい」
「そんなもんだ」
 とりあえずアスカが無事と知り、僅かに気が晴れて戻ってきたシンジだが、そこに待っていたのは度肝を抜かれる光景であった。
 男女が二人、白布に包まれて玄関に置いてあったのだ。
 そして冒頭の台詞に戻る。
「門前で倒れていたのよ。行き倒れには見えなかったので、中に運んでおいたわ」
 と、マリア。
「あなたに連絡しようかなと思ったのだけれど、必要なかったでしょう?」
「うむ、要らん」
 シンジは頷いた。
 この女神館は、シンジがフユノから管理を任されているのだが、元々の施工主はフユノであり、シンジになってから一層パワーアップしている。とは言え、さすがに完全登録制にはできないので――登録を拒んだ上、堂々と押し入ってくる知り合いが最低一人はいる――魔物や妖物の類、或いは敵意や害意を持っている人間だけを弾くようになっている。
 つまり今転がっている二人は、少なくともこの女神館へ通常或いは善意を持って訪れたのでない事は確定している。そんな人間の処置まで一々確認が取れるほど、シンジも暇ではない。
「これ、男の方は欧米系だな。学校に行ってる連中の知り合いかもしれないから、とりあえずその辺に転がしておいて。何だったら吊しても――」
 言いかけた時、シンジの背に負われていたアスカが身動きした。
「お、起きたか。もう女神館に帰ってきたよ」
「ん…あたし…!?」
「どしたの?」
 不意に背中でアスカが跳ね起き、落ちそうになった所を寸前でシンジが支える。
「どうして…パパとママがこんなところで…しかも縛られているの?」
「『…え?』」
 三人の声が共鳴したその頭上で、野鳥が一羽甲高い声で啼いた。
 間もなく二人とも意識を取り戻したが、さすがにいきなり赫怒したりはしなかった。マリアが殴った訳ではないし、目覚めた時にはちゃんと寝かされており、単に行き倒れたところを助けられた格好だったからだ。
 来るであろう事、そしてその用件がアスカの連れ戻しにある事は既に分かっている。しかも、アスカがそれを拒んだ結果、現在まで数ヶ月に亘って仕送りを止めた事も、また。
 魔界に放り込めば、事は五分で終わる。無数の生き物たちが、それこそ骨も残らず食い尽くすだろうし、司法の手などいくらでも誤魔化せる。
 だがシンジが黙って聞いていたのは、フユノの言葉を思い出していたからだ。抹殺して終わりなら、片付いてからシンジに告げていたろう。
「碇シンジ君、君には感謝しているのだよ。君が管理人として良くやってくれている事は、アスカを一目見れば分かる事だからね」
(時期悪いな)
 シンジが内心で呟いた通り、黒瓜堂の温泉を爆破してしまった事から、一晩で憔悴したアスカのやつれ様は、いかにここまで寝てきたとは言え、到底隠しきれるものではない。
 仕送りを止められたせいだ、と言うのも如何にも無様である。
「君はあの方の孫だそうだね。あの方の見当違いとは言わないが、これ以上ここには置いていけないと、今アスカを見て確信した。娘は明日、私達と一緒に帰国する。異存はないね」
 一方的にまくし立て、
「アスカ、聞いての通りだ。すぐに用意をしなさい」
 アスカにも勝手に命じる父親に、シンジが漸く口を開いた。
「さてと、些か性急な結論に見えますな。お話を伺っていると、アスカの方から帰国を願ったとは見えない。祖母からもそれは聞いているし、何よりも娘が思い通りにならぬからと言って、生活に絶対必要な仕送りを止めるというのは、少なくとも日本語を流暢に操るご両親の為されようとは思えませんが」
「私が日本語を解する事に何か関係があるのかね?」
「この日ノ本は、未開の蛮族が治める国でも酋長の機嫌一つで人が生贄にされる国でもない。法治国家であり、法に基づいて治められている。アスカが未成年である以上、その保護者には扶養義務がある事はご存じの筈だ。何より言うことを聞かせる為、娘の生活の糧を止める事を何ら厭わぬ親御の元へ戻せば、その機嫌一つで生命の危機をもたらされる事は明白。そんな所へアスカを返す訳にはいきません。子供は、親の機嫌一つで生命すら左右される玩具ではないのでね」
(シンジ…)
 もしかしたらいきなり火炙りにでもするのではないかと、僅かに危惧していたアスカだが、シンジにその気配がないのにほっと安堵していた。無論アスカとて、決して帰りたいとは思っていないし、ここにフユノはおらず頼れるのはシンジしかいない。自分でも気づかぬうちに、シンジのシャツの裾をきゅっと握っていたのだが、両親はそれを見逃さなかった。
「確かに、些か方法が強引だった事は認めますわ。ただ、母としてどうしても不安になってしまったの」
「不安?」
「ええ」
 にこっと笑った母親を見た時、アスカは嫌な予感がした。データの裏打ちはないが、この手の予感は大抵当たる。
「身長は180センチを超え、ルックスも決して悪くない。その実力も魔道省で一、二と言われる程で、何よりも碇財閥の次期後継者と来れば女の子は放っておかないでしょう。アスカ、あなたもね?」
「!」
 赤くなったアスカが慌てて手を放し、
(シンジは財閥の事を言われるのが嫌いな筈だけどな)
 隣室で覗いていたレニが呟いた。
「アスカだけ、ならいいのだけれど、他の娘(かた)達も何やら思いを寄せているとあっては…母親としてはついつい心配になってしまいますわ。それは…お分かりいただけるかしら?」
「つまり、私が管理人の立場を利用して酒池肉林の材料にしているのではないか、とそういう事で?」
「いいえ、そのようなものを利用するまでもなく、十二分に魅力的な要素をお持ちですもの。強引に我が物にする、なんて事は思っていませんわ」
 シンジだけではなくアスカも絡め、しかもシンジ自身は惚れ込まれるだけの人材だと言っているのだ。それだけ聞けば、勝手に片想いされる方に問題がある、とも聞こえるが、要は男と一つ屋根の下になど暮らさせてはおけないと言っているのだ。
「到底不釣り合いな人を想って学業に――」
 母親がそこまで言いかけた時、
「ご免!」
 玄関で訪う声がした。
「僕が行きます」
 ひょこっと顔を出したレニにシンジが頷き、やがてレニに伴われて黒瓜堂が入ってくると、アスカの両親は明らかに警戒した表情を見せた。どうやら、この第一級危険人物のことは調査が済んでいなかったらしい。
「旦那、昨日はご迷惑かけました」
「うむ。して、こちらは?」
「アスカのご両親。アスカを連れ戻しに来られたのだと」
「ほう、それはそれは。それなら従わねばなるまい。未成年は、親の意向に従うのが日本の法律だ。それから、未成年者の債務は法定代理人が負うことになる。掛かった費用については、支払って行かれるのが筋というものだ」
 突然現れたウニ頭に、二人とも警戒の色を隠さなかったが、どうやらシンジに同調する者ではないらしいと、
「さすがに、物の道理が分かっておられると見える。ところで、失礼だがアスカの知り合いの方かな?」
「黒瓜堂と申します」
 す、と一礼した姿からは、普段の危険な匂いがすっかり消えており、それを見て警戒心もやや緩んだのか、
「この人の言われた事に異存はない。生活費等、立て替えていただいた費用は全額お返しするつもりだ。私達とて、そこまで厚かましくはないつもりだ」
「それは結構」
 黒瓜堂の第一声を聞いた時、シンジはその意図が何となく読めたので黙っていたが、アスカはちっとも分からない。やはり自分は当然のように解雇なのかと、俯いていたのだが、何故かシンジの代役のように頷いた黒瓜堂に、両親は怪訝な視線を向けた。
「ご両親から確約を得て私も安心しました。ではこれを」
 懐中から取り出し、夫婦の前に置いたのは一葉の封筒であった。
「『?』」
 中に入っていた紙を取り出し、広げた瞬間その顔色が変わる。
「こっ、これは…これは何の冗談だっ!アスカに23億円の請求だなどと…冗談にも程がある」
「わざわざご両親の来られる日を見越して、請求書を捏造するほど物好きではない。そもそもここの住人達は一部を除き、保護者から御前へ一時的に親権を預ける形になっている。つまり、御前はその名に於いて子供達の生活行動に許可を出し、或いは制限する事が可能だ。御前の許可を得た上で、アスカ嬢には現在私の店でアルバイトをしてもらっているが、過日敷地内の温泉を破壊してしまったのでね」
「『……』」
 項垂れているアスカを見れば、金額の適正さはともかく、何やらの事象があったのは見て取れる。
「見ての通り、宛名はアスカ嬢になっている。アスカ嬢に一生かかって払ってもらうか、或いは実質の保護者たる御前に払わせようと思っていたが、ご両親が支払いを確約された以上、ご両親にお渡しするのが筋というもの。よもや、債務を放り出して娘だけを連れ帰るなどとは言われますまい。無論――」
 両親の異論を阻むかのように、
「不慣れな娘に複雑な工程を任せたのではないか、或いはそもそもが捏造ではないか等、疑問・異論はおありでしょう。まあ、私も紙切れ一枚で碇財閥総帥に億単位の金額を要求する趣味はない。証拠等については、これに収めてある。アスカ嬢が破損させた時の映像から、見積もりの概算まで一式揃っている。心ゆくまで見ていただいて構わない」
「…ひ、一つ訊かせてもらいたい」
「何でしょう」
「その金額が正しいかどうかはともかく、アスカがそのような失態をしたのなら、少なくとも両親である我々に連絡があって然るべきだろう。例えあの方が代わりに支払われたとしても、そんな莫大な金額を払っていただいたのを我々に知らせもしないというのは、道理としておかしくはないのかね」
「確かにその通りだ」
(あ、戻ってる)
 頷いたその姿に妖気が漂っている事をシンジだけは気付いた。
「但し、私の目的は現状回帰であって金そのものではない。極端に言えば、御前が人脈を駆使して百万円で済ませればそれで構わない。それをお二人に告げるかどうかは、御前が判断される事だ。また、すぐに告げなかったのは簡単な理由ですよ」
 黒瓜堂が妖気を宿した双眸で二人を見据え、
「差し迫って必要のない見合いに際し、娘の生活の糧を止める事を何ら厭わぬお二人では、告げた途端におかしな逆上でもされては困ると思ってね。これでよろしいかな?」
「『……』」
「アスカ嬢を連れ戻るというのなら、その債務もお二人で解決されるがいい。但し期限は2週間。その間に結論を出して頂く。私の算出した金額以下で戻せる業者を見つけるか、或いはその金額を支払うか選択はお二人のご自由に。無論その間、アスカ嬢は私の手元で監禁飼育…ゴホン、もといお預かりしておく」
(今の半分本気じゃなかったか?)
 黒瓜堂の口から出た金額に、アスカを始め住人達は真っ青になっていたが、シンジに黒瓜堂を観察する余裕は残っていた。現状回帰、と黒瓜堂が言った事で、何らかの含みがあると見抜いたのだ。
 妙に自信ありげな黒瓜堂の態度に圧されたか、或いはその妖気に中ったかは不明だが、ディスクを受け取った二人はアスカを伴う事無く引き上げた。
 二人が帰った後、
「さて、コーヒーでももらいましょうか」
「了解」
 シンジの淹れたコーヒーを飲みながら、
「私の出した金額は、一般人を使った場合の最安値です。あれ以下では出来ません――普通の人間では、ね」
 そう言って怪しく笑った。
「あ、あのオーナーあたしは…」
 おそるおそる訊ねたアスカに、
「今まで通りの生活で構わない。君のご両親の力量次第だが、お二人が出す結論によっても違ってくる。もし、現状回帰或いは支払いの目処が立った場合は、ドイツへ帰国する事になる。義理とはいえ、娘の為にそこまで出来るなら、シンジ君も異論はあるまい」
「……」
 シンジの反応は、とそっと見やると、我関せずとばかりにコーヒー豆を挽いているところであった。
 あたしの事なんてどうでもいいの?と、口に出そうなのをぐっとおさえ、
「も、もし無理だったら…」
「黒瓜堂クオリティを見る事になる」
「は、はい…」
 何がどうクオリティなのかさっぱり分からないまま、アスカは頷いた。
「じゃ、御前に呼ばれてるので私はこれで」
 立ち上がった黒瓜堂を見送りに、レニが門まで着いてきた。普段は、出てきても玄関止まりである。
「レニ、何です?」
「あの…アスカのこと…」
 それには直接答えず、
「昨夜、なのは嬢が来ましたよ。店の回りでウロウロしていた所を捕獲しました。羞恥プレイというのもなかなかいいもんです」
「く、黒瓜堂さんまさか…」
「まさか、何?」
「い、いえっ、何でもありませんっ」
 ぶるぶると思い切り首を振ったレニの肩に手を置き、
「シンジの従妹の君でも心配ですか?」
「い、いえ…」
「まあ、なるようになるものです」
 
 アスカの両親が白旗をあげたのは、黒瓜堂が危険に笑ってから五日後の事であった。
 当然ながら、県内で工事現場を黒瓜堂店舗と知ってなお、引き受ける業者など一店もない。かつて司直を翻弄し、挙げ句は押し寄せた精鋭を葬り去った連中の事は、第一級危険地帯として広く認識されており、二人が仕事を持ちかけた先では、袋叩きに遭いかけた所すらあったのだ。
 話を聞いてもらえても、そもそもの仕組み自体が理解されなかった。配管の一部が、結界を通して魔界に置いてあるなど、まともな業者が理解できる範疇ではない。女神館や魔道省でさえ、魔界から引いたりはしていないのだ。
 フユノに頼った場合、事態は二人の手を離れ、約定自体が無効となる為それも出来ず、壁に突き当たり身の危険まで感じた両親に残された手は、全面降伏しかなかったのである。単に業者が理解できないだけなら、地元の知り合いへ手を伸ばしもするところだが、自分達に死の依頼を持ち込む気かと、袋叩きに遭いかけたのは一店や二店ではなかったのだ。
「それで…アスカを君はどうする気なのだ…」
「別に。はした金でアスカ嬢をどうこうしようなどと、最初から思っていない。但し、あなた達に復旧能力がないと判明した以上、約定は守っていただく。今回の負債は御前に払ってもらう代わり、今後五年間アスカ嬢には一切近づかないでもらおう。無論、連絡も許さない。もしも接近した場合は、黒瓜堂の名に賭けて負債は全額支払って頂く」
(あの、オーナー…一応あたしの両親なんですけど…て言うか23億ってはした金なの?)
 言おうかと思ったが、原因は自分なのだ。もしも余計な火の手が上がっては一大事だと、アスカは神妙な姿勢を維持する事にした。
 まだ、黒瓜堂からカードは切られていないのだ。
 危険なウニ頭から妖気を漂わせた黒瓜堂に、這々の体でアスカの両親が追い払われた後、
「さてシンジ君」
「はーい」
「女神館(ここ)の権利は、住人と共に既にシンジに譲ってある。愚孫の不始末にこの年寄りを引っ張り出すものではない、と御前からの伝言です」
「…今度蒟蒻の具材にしてやる」
「御前に払わせるつもりだったのかね?」
「一応言ってみただけ」
「うむ。上機嫌なのは結構だが、住人をそれに巻き込みあまつさえ私の店へ来させるとは不届きもいいところ。よって、これを君に」
 渡されたのは請求書だったが、それを受け取ったアスカは眼をぱちくりさせた。
「あの、オーナー…金額が…」
 請求先はアスカだったが、そこに書かれていた金額は、10億円となっていた。
「違うのは当然だ。最初のものは、そもそもが君の両親に支払わせた場合のものだ。色々と使い道があるシンジ君と、使い道もなく何ら関係のない赤の他人では、請求金額も自ずから変わってくる。いわゆる、お得意様価格というやつです」
(それぼったくり過ぎです)
 突っ込んだのは、一人や二人ではなかったが、口にする者はいなかった。
「責任の帰属問題を考えるに、このうち八割はシンジ君が払うのが妥当な所と思うが、シンジ君はどう考えるね」
「よござんす」
「話は成立しました。じゃ、これを」
 テーブルの上に置かれた物を見て、今度はシンジが目を見張った。
「ちょっ、これ…某のマネーカードというやつでは…」
「え?シンジさんのですか?」「何で黒瓜堂さんが持ってるの?」
「今までにシンジ君が紛失したものを捜索・横領して私が使ってましたから」
「でもこれ、紛失の時点でリっちゃんが止めてる筈。どうして使用可能に?」
「そう言うことは本人に訊くものですよ」
 狸に化かされたような面持ちでリツコに電話を掛けると一度で出た。
「私が身体を持て余して、あそこに多足類が巣を張るまでどれ位掛かるか、が最近の研究課題なのかしら?」
「!?」
 慌てて携帯を持ったまま外に出る。幸い、住人達には気付かれなかったらしい。
「その件は別途相談するとして、俺が無くしたMCを旦那が持っててしかも使ってるんですけど」
「それが何か?」
「…え?」
「以前に言ったでしょう。私の口座から落ちているけれど、シンジ君の金銭感覚が正常になったら返してもらう、と。ある時払いの催促なしだけどね。ベッドの中で言ったから忘れたちゃった?」
「も、いいです。また連絡する。じゃあねっ」
 道を歩いていたら六地蔵に襲われ、袋叩きにでも遭ったような顔で戻ってきたシンジが、
「微妙に俺のお金だそうです」
「あの、黒瓜堂さんどういう事なんです?」
「簡単に言うと、つまり、シンジ君が持っていたマネーカードは、今は東京学園の理事長がバックボーンになっていますが、いずれは返す事になっていたって話です」
「えーと…つまりその…もしかして横領とか?」
「もしかしなくても横領です」
 当然のように黒瓜堂が頷くと、娘達の視線が一斉にシンジに向いたが、その表情に特段の変化はない。
「まあ、旦那だしね」
(それでいいの!?)
「さて、話を戻しましょう。使った金額は大体5億、これに利息を付けると6億ほどになる。これで残りは2億、この分はシンジ君の身体で払ってもらう」
「『かっ、身体ー!?』」
「そう。一般人とは違い、五精使いの生体物質や血液には色々と使い道があるのでね。今、若干名顔を赤らめた子がいましたが、その想像には添えないと思いますので念のため。さて、アスカ」
「はい…」
 自分には全く関わりない所で話が進んでいったが、実際に壊したのはアスカなのだ。本当は自分が全額返したいとは思うものの、到底不可能なのは分かっているし、現実性を考えれば2億が妥当なのだろう。
 アスカにとって救いなのは、黒瓜堂が商売人であると言うことだ。その中身はともかく、考え方は損得優先の筈だから、損をしないように色々と考えているに違いない。
 生涯賃金が2億5千万だからそのうち2億を、一生返し続けるとか間延びした事は言わないだろう。
「残りは君の分ですが――」
 言いかけたところへ、玄関で郵便配達人の声がした。
「シンジ君、取りに行って」
「ヘイ」
 シンジのいない室内で、黒瓜堂は何も言わず手帳を取り出して何やら眺めていた。
 この悪の親玉がいかなる奸計を持ち出すのかと、ある娘は不安げに、またある者は少し愉しげに眺めていたが、観察モードに入るほど余裕があったのはレニとマユミだけである。
 悪の成分に慣れていないと難しいのだ。
 そこへ、シンジが戻ってきた。
「黒瓜堂のオーナーに、碇フユノから手紙です」
「そうですか」
 封筒を受け取ると、黒瓜堂は裏をアスカに見せた。
「アスカが残る場合のみ開封のこと」
 と書いてある。
(御前様?)
 折られた紙を開き、黒瓜堂が読み上げる。
「同封の小切手は、愚孫とその使い魔の失態に対する補償の一部にされたし、と。さて小切手はと…ほう、2億円ですか」
「『!?』」
 室内にどよめきが起き、アスカもすぐには反応できなかった。事態が把握に時間が掛かったのだ。
「あ、あのっ…そ、それって…オーナー?」
「それが、君に対する御前の評価だ。他の子達にも、もう一度お伝えしておきましょう。現在、ここにいる娘(こ)達は、文字通り生殺与奪まで御前に一任する形となっています。だからこそ、人外の存在である降魔相手の戦いにも出て行くのです。単なる寮であれば、そんな事はさせません」
「『……』」
「そしてこの金額は即ち、御前のアスカに対する評価がそれだという事です。それとも、買い被り過ぎだと異を唱えてみますか?」
 アスカがゆっくりと、そして力なく首を振った。
(あたしは…何も出来ない…)
 黒瓜堂の反応からして、フユノから手紙が来ることは知っていたのだろう。黒瓜堂から要請したかどうかは分からないが、アスカにはどうでも良い事だ。
 一つ分かっているのは、自分の不始末に対して何一つ出来なかったと言う事であり、それはアスカにこの上ない無力感を感じさせるに十分であった。
「アスカ」
「はい…」
「人には出来る事と出来ない事がある。億単位の金を左右に動かすことは、今の君には出来ない。だが、霊能力を上げて降魔退治に出かける事は、今の御前には決して許されぬ事だ。何も出来ぬと嘆くより、何故御前がそれを送ってきたのか、そして自分が何故女神館(ここ)に居るのかを考え、スキルアップを目指す方がずっと建設的ですよ。君は、この中で唯一私に雇用されている身なのだから」
「オーナー…」
 黒瓜堂は、危険なウニ頭を揺らして頷いた。
 
 
 
 その日の夕方、シンジは魔界にいた。
 黒瓜堂の主人が女神館を辞す直前、
「今回のことは、魔界の女王に助力を得てある。無論、想い人の失地回復と言ったら、喜んで協力してくれた。礼を言って来るといいでしょう」
 と言い残し、さっさと帰って行ったからだ。
 根っからの嘘とも思えなかったし、何よりも23億が10億に下がり、しかも2億はシンジの身体で払わせると言いながら、全く言及しなかったからくりが気になったのだ。
「さて、モリガンの指名手配書をそこら辺に貼って…うぷ!?」
 言い終わらぬ内に、その首へ白い腕が艶めかしく巻き付いた。
「もぅ、遅かったじゃないの。あと十分立ってこなかったら連行しに行ってたところよ」
 魔界の女王が、甘い吐息と共に耳元で囁いた。
「うん。それはそれでちょっと聞きたい事があっ…あ、こら」
「はいはい、なんでも教えてあげるわよ。お風呂の中でね」
 あっという間に翼に包み込まれ、シンジの身体は宙に浮いていた。
「それでモリガンさん、旦那に何を渡したの?」
 塒へ向かって輸送されながら、どうしても気になるらしい想い人に、
「あなたの所のお嬢ちゃんが爆破したって言うから、材料と低級の夜魔を出したのよ。無論、夜魔は作業人員としてね。あれで修理は完了する筈よ。あと、魔界石を一箱おまけでね」
「魔界石?どれ位の?」
「人間界だと10億円ってかしらね。私にはどうでもいいものだけど」
 ピキ。
「で、その見返りには何を?」
「シンジを一昼夜貸し切り。あなた、もしかして聞いてなかったの?」
「あの…極悪人がー!」
「あん、駄目よ暴れちゃ。暴れるのはベッドのな・か・で。ね?」
 悪の親玉の一人勝ちを知り、じたばたと暴れるシンジを苦もなく取り押さえ、魔界の女王は嬉々としてその城へと飛んでいった。
 
 
 
「あっ、お帰りなのは。随分遅かったんだね」
「…ただいま」
 異世界から帰ってきたなのはをユーノ・スクライアが出迎えたが、なのはの表情は明らかに不機嫌そうであった。
 こんな表情を見せるなのはも珍しい、普段なら必ず何か言うのだ。
「学校の宿題はもうやっておいたからね。明日の用意もしてあるから後は…」
「もう分かったから放っておいて!」
 とりつく島もないなのはの後ろ姿に、
(今日ってあの日かなあ?でもなのはってまだ来てない筈じゃ…!?)
 今までにない殺気を感じ、びくっとユーノの足が止まる。
 レイジングハートをぴたりとユーノに向け、しかも全身から殺気を漂わせたなのはがそこには、いた。
「だーれがあの日ですってぇ?スターライト…ブレイカー!!」
「キャーッ!?」
 
 
  
 本日の黒瓜堂被害者――2名。
 巻き添えを食った者、数名。
 程なくして、魔界から戻ったシンジを待っていたのは、リツコであった。
「別途相談、してくれるのよね?私と一緒にベッドで」
「…誰か助けてー!」
 助けを求める叫びは、リツコの車の中へと吸い込まれていった。
 
 
 
 
 
(つづく)

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