妖華−女神館の住人達
 
 
 
 
 
第百九十話:邪悪 IN 巴里――癒えぬ傷跡(後)
 
 
 
 
 
「オーナー、家出娘の居場所が判明しました。端末の方に送っておきます」
「よろしく」
 頷いた黒瓜堂の前には、ミサトと瞳が寝っ転がって――完全に酔いつぶれており、二人の白い太股がむき出しになっている。ボーリングのピンみたいに並べられているワインの瓶は、いずれも空で三ダース近くある。
「く、黒瓜堂殿には世話になったから…」
 と、顔を赤くして一郎を拉致していったグリシーヌからの差し入れである。頬を染めてまで礼を言われることでもないが、折角のワインを無駄にするのも間抜けな話だ。
 ほんのりと頬を染めて寝入っている二人の人妻は、妖しい色香を漂わせているが、悪の親玉はと言うと最高級のワインをラッパ飲みしながら、その顔に酔いの色は微塵もない。
 猫に小判、とはこういう事を言うのかも知れない。
 なおそのつまみはというと、
「魚沼屋、そちも悪よのう、か」
 くっくっく、と実に愉しそうに笑っている。時代劇の悪役が活躍するシーンを肴に、高級ワインをラッパ飲みする奴というのは、世界広しといえどもそう多くはあるまい。
「さて、と」
 立ち上がって机に向かっていき、携帯端末を開けた。既にレビアからファイルは届いている。
「……」
 僅かに首を傾げてから、もう一度画面を見る。
 やはり酔いのせいではない。
「こんな所に堂々とアジトを構えるとは。大胆不敵なのか或いは…光武を侵入させない為かはて」
 レビアの指し示した先は、一見何の変哲もないアパートであった。
 だがその場所は――建物全体が強力な妖気に覆われていたのである。資料にあった見取り図を見る限り、通路に光武が入れるスペースはない。人間が二人くらいなら通れるが、こちらは五人いる。つまり前後に隊列を組んだ所を狙い撃ちに出来ると言うことだ。
 この巴里花組には、シンジのように強力な後詰めがいない。生身での戦いを主体にしてこなかった事を考えれば、決して有利とは言えない状況である。
 ワインをラッパ飲みにした黒瓜堂が、
「まあ、何とかなるでしょう。光武無しだと何も出来ないようでは、私が光武を爆破して帰った後、完全に機能が停止しますし」
 物騒で、かつろくでもない事を呟いた。
 
 
 
 翌朝、集合時間は八時と告げておいたのだが、その時間には誰も来なかった。
 唯一来たのは、戦闘に直接参加しないメル・レゾンと、シー・カプリスの二人だけであった。
「『お、おはようござい…ます?』」
「おはよう」
 二人が見たのは、せっせとウニ頭の手入れをしている黒瓜堂の主人一人であり、一郎達の姿はおろか、ミサトまでいないではないか。顔を見合わせて時計を見、慌ててがさがさと手帳を開くがやはり八時集合と書いてある。
「あ、あの〜みなさんは?」
「腎虚と満腹の対比、及び名酒によって引き起こされた酩酊は人間性が惰弱な証拠です」
「『は、はあ…』」
 頷いたが、何を言っているのかはさっぱり分からない。
「まあ、仲間を助けると言っても女であれば、快感が優先するのは別に珍しくもないことです。起こしに行くのはおやめなさい。敵と戦う前に戦斧で両断されたり、機関銃で蜂の巣になどされたくないでしょ」
「え!?」
 何をしてるのかと呼びに行こうとしたメルの足が、ぎくっと止まった。
「あ、あのそれって一体…」
 黒瓜堂はそれには答えず、
「そんな事より、今日行く先のデータに目を通しておきなさい」
「い、行く先ってまだ決まっていないでしょう」
 この変なウニ頭は何を言っているのかと、奇妙な物体を見る視線を向けた二人に、
「昨夜、うちのモンから連絡が入りました。花火嬢の居場所は既に掴んでいますよ。お疑いなら、別途探して頂いても構いませんよ。別に信憑性を強要するものではありません」
「『……』」
 二人は顔を見合わせた。確かに、墓地にいる花火を見つけたのはこの男らしいが、どうせ偶然に決まっているし、だいたいその場で確保しなかったからまた探さなければならないのだ。
「分かりました。私たちは独自のルートで探します。残念ながら、あなたをそこまで信用できませんので。シー、行くわよ」
「う、うん…」
 黒瓜堂に言われた言葉が何かに触れたのか、柳眉をキッと上げたメルが、シーを促して出て行こうとした次の瞬間、
「『ううっ…』」
 その腹に拳が吸い込まれ、二人はその場に崩れ落ちた。
「ごめんね、馬鹿ばっかりで」
 立っていたのはミサトであった。
「別に構いませんよ。うちの従業員じゃないし、帝都とはレベルが違う。小娘相手に怒るほど若くもないんです」
「若くない、ねえ…」
 ミサトは、微妙な表情でオウム返しに呟いた。見た目は二十代に見えるこの男が、その数倍の齢に達しているらしいと知ったのは、知り合ってからしばらく後の事だ。
「それであの…」
「昨夜は何の夢を見てました?」
「え?」
「プロレスごっこの夢とか?」
「な、何でそれを…」
 やった事もないのに、何故か瞳とリングの上でプロレスをしている夢を見たのだ。
「二人の白い太股が絡み合ってまして、しかもミサトさんが唸ってましたからもしかして、と思いましてね」
「!」
 顔を赤くしたミサトが、反射的に太股をおさえてから、自分はこの男の守備範囲ではなかったと思い出した。
「毛布掛けてくれた?」
「放置して風邪をひかれた場合、姉貴に風邪なんてひかせて!とシンジ君に逆恨みされたら困るでしょう」
「あ、ありがと」
「それで花火嬢の居場所なんですが、分かりましたよ。昨夜の内にレビアから情報が入ってます。その前にミサト嬢」
「え?」
「目障りなので、片付けてください」
「分かってる。グリシーヌ、ロベリア」
「『んー?』」
 そこへ、世にも幸せそうな花組のメンバがーひょこっと顔を出した。
「片付けろ」
 伸びている二人を見て一瞬顔を強張らせたが、それでも聞き返す事はせずに黙って運び出していく。
「さすがですね」
「止めてよ」
 ミサトは心底嫌そうに首を振った。
「帝劇の椿達は、あんたの情報に疑念を挟むなんて間違ってもしないでしょ。まだまだ調教不足なのよ」
「まあ、あっちは御前の人選ですからね。レベルが違うのは致し方なし。さて、彼女たちが来る前にこれを」
「さすが情報網なら蟻も逃さないって感じ…ん?」
 プリントされた紙をしげしげと眺めてから、
「これ、もしかしてオーナーの子分?」
「私だったらエッフェル塔を占拠してますよ。それともう一つ」
「え?」
「聖地にでも誘き寄せて殲滅しています。光武の評価は、エヴァの十分の一にも達していません」
「……」
 まもなく勢揃いした面々を、黒瓜堂の視線が端から眺めていく。
「エリカ・フォンティーヌ」
「はい!」
「グリシーヌ・ブルーメール」
「はい」
「コクリコ」
「うんっ」
「ロベリア・カルリーニ」
「はい」
 言うまでもないが、黒瓜堂は隊長ではないしまとめる気もない。それなのに点呼を掛けて、しかもロベリアまでが素直に応じたではないか。
 理由は決まっている。
「皆、元気そうな顔色で何よりです」
「い、いやあ別にそんな事は…」「ねえ?」「く、黒瓜堂殿決めつけすぎだぞ」
 口では否定しながら、彼女たちの顔色は実に艶々した健康的な色であり、協調性に於いてはかなり問題のある連中なのに、まるで仲の良い姉妹みたいに寄り添っている。
「大神一郎」
「…はい…」
(こ、これはさすがに…)
 ミサトでさえも同情した程にその頬はこけ落ち、およそ精気というものが感じられない。しかも足までふらついている。エリカ達の過ぎる位に健康的な様子と比較すれば、昨晩何があったのかなどと訊くまでもない。
「大神、出撃出来るのか?光武は使えないのよ」
「だ、大丈夫であります…。て、帝国軍人として…例え…こ、この身が朽ちようとも…げほっ!」
 一郎は激しく咳き込んだ。この分だと、アパートの階段を一歩上った途端に絶命しかねない。
「ミサトさん、どうします?これでは連れて行くのに不安がありますが」
「…確かに不安だらけね。あんた達、少しは加減ってものを覚えなさいよ。まったくもう」
 ぶつくさぼやきながら、ミサトが懐から取り出したのは注射器であった。一郎に近づき、消毒もせずに腕へ針を突き刺す。それを見た思わず娘達から、あっという声が上がる。
 一郎が、がくっと首を折ったのである。
 五秒、十秒と経ち、さすがに心配になって近寄ろうとした時、その顔がゆっくりと上がった。
「もう大丈夫、復活しました」
「お、大神さん…本当に大丈夫なんで…いたっ!?」
 ぽかっ。
「あんたらが絞り取ったのが原因でしょうが。どの面下げて気遣ってるのよ」
「す、すみません」
「大神君、本当にいいんですね?」
「大丈夫、完全に復活しました」
 訝しげな顔で隊長を見やる娘達だが、確かにさっきと比べれば急激に回復しているように見えるし、顔色も良くなってきた。
 何よりも、本人が大丈夫と言い切っているのだし、戦力としては欠かせないのだからこれ以上言うこともない。
「さて、メンバーが揃ったところで作戦を発表します。本日は二人ずつペアを組んでください。大神君は後詰め。然る後に突撃を。もちろん生身でね」
「『……』」
 ぽかん、と口を開けている隊員達の前で、黒瓜堂がスクリーンのスイッチを入れた。
「こ、これは…」
「彼女が今いるのはここです。多分最上階の部屋のどこかでしょう。屋上から屋根をぶち抜き、各部屋を破壊して進むなら別ですが、そうでなければ階段から進攻するしかありません。この幅じゃ、光武は無理でしょう」
「黒瓜堂殿」
「何です、グリシーヌ嬢」
「映ってはいないが…な、何か建物を覆っている妙な物を感じるのだが…」
「良くできました」
 家庭教師が生徒を褒めるような口調で、黒瓜堂が言った。
「わざと解像度を下げたんですが、これはうちのスタッフが解析してきた映像でね。建物全体が妖気に包まれています…というのは勘違いで」
「?」
「ちょっと調べたら、君たちと同じ波動でした」
「ま、まさか…」
「そのまさかです」
 頷いて、
「この建物をガードしてるのは妖気の混ざった霊力、つまり北大路花火嬢の霊力ですよ」
 突きつけられた現実に、隊員達は皆言葉を失った。確かに、それだけ聞けば幽閉された花火が、その霊力を強制供出されている可能性もある。
 が、グリシーヌが婚約者の亡霊に身体をまさぐられ、切なく身悶えしている花火を見ているのだ。操られているにせよ、花火は自らの意志で敵に回ったと考えるのが妥当だろう。
「も、もし…もしですよ?このまま放っておいたら花火はどうなるんですか」
「エリカっ!」
 いきなり消極策に出たエリカに、コクリコが咎めるような視線を向けたが、黒瓜堂は視線で制した。
「彼女の能力次第、じゃないですか?」
「と言うと…」
「大神君、君はどう思います?」
「やっぱり…花火君を先頭に立ててこちらへ攻め込んでくるとか…」
「いい発想です。ただ、私なら彼女の霊力に妖気を混入して増加させ、絶対に安全な拠点を作り上げますよ。霊力と妖気の二重ガードの上に、その最奥にいるのは花組のメンバーだ。少なくともここの隊員達は攻めにくい。このまま放置した場合、多分数日で半径三キロくらいが取り込まれるでしょう。場合によったら、一般人など近づくことも出来なくなりますよ」
「やはり、今しかないのか」
 グリシーヌが呟く。それは、重苦しい呟きであった。
 同僚であり、また友人でもある花火がかなりの高確率で敵に回った事で、先延ばしで事態は好転しないのか、とグリシーヌが弱気で無責任な事を考えたとしても責められまい。
「私の出来る事は情報提供までです。あとは大神君、君に任せます。適当にやっつけちゃって下さい」
「りょ、了解…」
 スクリーンを黙って見つめていた一郎が、やがて意を決したように前へ出た。
「我々はこれより、巴里に仇なす敵の撃破に赴く。総員――」
「あ、大神君」
「はい?」
「こういう時は花火嬢の救出をお題目にして大丈夫ですよ。政府筋からクレームは来ませんから」
「そ、そうですよね」
 ごほんと咳払いして、
「我々はこれより、巴里に仇なす敵の撃破に赴く。ただし、目標はあくまでも我々の友人を取り戻すことにある。巴里華撃団出動!」
「『了解!!』」
「ではミサトさん、黒瓜堂さん、行って参ります」
「んー、まあ気をつけてね」
「もしどうしても窮地に陥ったら、Camon Black Melon と叫んでごらんなさい」
「な、何ですかそれ?」
「秘密のお呪いですよ」
「は、はあ…」
 一郎が首を傾げて出て行き、隊員達がその後に付いてぞろぞろと出て行く。彼らが出て行ってから、
「もらっておいて…っていうか使ってから訊くのもあれだけど…あれって副作用無いのよね?」
 吸われてグロッキーだろう、と言うことを黒瓜堂は既に見抜いていた。自分が許可を出したのだし、四人の娘達が一郎を放り出されて、牽制し合うだけで何もせぬほど間抜けではないと見ていたのだ。
「一時的に回復させる薬です。多分95%以上の確率で干物になってますから、ミサトさんから注射してやって下さい」
 なんで自分でやらないのか、さては自分に責任を押しつける気かと思ったら、
「私がニヤッと笑ってから注射した場合、効果が出る前に卒倒されるおそれがありますので」
「……」
 言われるままに引き受けてしまい、一応効果は出たものの急に不安になってきたのだ。
「出ますよ」
 黒瓜堂は事も無げに言った。
 まるで、当然と言わんばかりの口調であった。
「え!?」
「副作用も無しで、あんな急激に大きな効果が出るわけ無いでしょうが。人生舐めてませんか?」
「…どういう副作用よ」
「四時間後にぶっ倒れます。わかりやすく言うと、ツケが回ってくるって事です。命に別状とかじゃないんで、その辺は安心して下さい」
「……」
 
 
 
「ここか…」
「間違い、ないな…」
 黒瓜堂に渡された資料にあった場所はすぐに見つかった。街の中心からは外れているが、別に隠れる風情でもなく堂々と建っている。と言うよりも、元からあった建物を利用したのだろう。
 花火がいる、というのはすぐに分かった。建物全体から漂う妖気に混ざっている霊力は――間違いなく花火のものだったのだ。
「しかし昨日の今日でもうこんな…」
「それだけは――」
 花火の霊力が強いんだろう、と言いかけてロベリアは言葉を呑んだ。口にしたところで、どうにもならない事である。
「行くぞ」
「『了解』」
 最初から光武は諦めており、全員が生身武装状態になっている。
 一郎を後詰めに、と黒瓜堂は言ったが、こんな状況で女を前には出せないと、
「俺が先頭に立つ。エリカ君とグリシーヌ君はその後ろに。それからコクリコ」
「なあに?」
「ロベリアと組んで、少し離れてろ。俺がピンチになったら、この二人を盾にして何とか持ちこたえてるから、コクリコはロベリアを連れて戻れ。黒瓜堂さんの所まで戻って、先陣が壊滅したと伝えるんだ」
「そ、そんな…」
「コクリコ、これは命令だ…いて」
「盾になる二人って」「あたしたちの事ですか!」
「…それ以外に誰がいると思ってるんだ。昨日は二人がかりで人を思いきり吸い取っておいて!」
「『あふっ!?』」
 一郎の手がにゅうと伸びて、二人の胸を鷲づかみにした。
「わ、分かりましたよもうっ」
「ロベリアもいいな」
「分かった。さっさと見捨てて逃げてやるから安心しな」
(なんか強気って言うか…邪悪になってない?)
 昨日は完全に受け身だったくせに、妙に強気になっている。こんな一郎を見るのは初めてだ。
 
 黒瓜堂謹製。
 
「じゃ、みんな…行くぞ」
「『了解』
 抜刀した一郎が正面を見据え、中に一気に踏み込んだ。
 敵がいる様子はない。
「あれ?」
 首を傾げた次の瞬間、天井が火を噴いた。
「砲台!?」
 消火装置か何かかと思ったら小さな砲台だった。舌打ちした一郎が地を蹴ろうとした瞬間、エリカの機銃が轟然と吼えた。斉射を浴びて砲台が沈黙する。
「エリカ君」
「えへへ、あたしだって少しは…きゃっ!?」
 植物の根のような物が、廊下の両端からわらわらと進んできた。
「『成敗!』」
 左に跳んだ一郎が、右へ走ったグリシーヌが、それぞれと刀と斧を一閃させて断ち切っていく。
「距離が開いてるのはエリカが撃つだろ。近いのはあの二人が片付けるだろ。じゃ、あたしらは暇だよな」
「何言ってるの駄目だよロベリア、僕たちもちゃんと参加しなきゃ!」
「へいへい…ってコルァ!」
 根の化け物が二つ、防衛ラインを突破して突っ込んできた。ロベリアのチェーンが伸びて思い切りひっぱたき、奇妙な音を立ててそいつは四散した。
 およそ十五分後、一階の廊下に敵はいなくなったが、光武を使えない分疲労度は大きく、全員が肩で息をしている。
「隊長、ここって何階建てだっけ」
「五階建て」
「…先の長い話だな」
「ああ」
 
 
 
「送り出しておいてなんだけど、あの子達だけで何とかなるの?」
「絶対ならない、に金貨四百十五枚」
「…その枚数はどこから来たのよ」
「当店独自の算定基準を当てはめました。ま、それはそれとしてちょっと出かけて来ます」
「どこへ?」
「どこってほら、生身で勝てる相手じゃないでしょう。少しは余計なお世話を焼いてさしあげないと。ね?もし私が討たれたら、帝都に連絡を。仇討ちはシンジ君に任せます」
 散歩に行くみたいに気楽に立ち上がった黒瓜堂が、ウニ頭を怪しく揺らして出て行く。
「…自分は生身じゃないわけ?」
 呟いたミサトだが、その危険さは花組など足下にも及ばないことを、ミサトはよく知っているのだった。
 
 
 
「つ、着いた…」
「全員生きてるか〜?」
「『な、何とか〜』」
 五階まで何とかたどり着いた隊員達だが、文字通り満身創痍になっていた。二階以降は敵の強さが急激に増し、四回では全方位の砲台まで出てきた。
 全員の服はあちこちが破れている。花火の格好をした敵が出てこなかっただけまだましだったろう。
「しかしここは…敵がいないようだが…」
「油断するな!敵の罠に決まってるんだ」
 がしかし。
 各部屋の扉を蹴り飛ばし、十からある部屋をしらみつぶしに調べたが、花火の姿はおろか敵の姿もない。
「?」
 隊員達が怪訝な顔を見合わせた時、不意に哄笑が聞こえた。
「ご苦労だったね、花組とやらの者達よ。私はこれからよ花火と結ばれる。彼女の霊力には及ばないが、折角だから君たちの力も頂くとしよう。ゆっくりと休んでくれたまえ――そう、永遠にね」
「ふ、ふざけた真似をっ!!」
 赫怒したグリシーヌの戦斧が天井を切り裂くが、無論敵の姿はない。
「あの、大神さんこれってまさか黒瓜堂さんに…」
「それはない。あの人がそんな事をするメリットが無いしだいたい…あっ」
 不意に声を上げた一郎が、ポケットから見取り図を取り出す。
「この建物には地下がある」
「『えーっ!?』」
 文字通りボロボロになって此処まで来たというのに、それは全て無駄だというのか。
 糸が切れたような表情でエリカが、続いてコクリコが座り込む。グリシーヌとロベリアは壁に寄りかかったが、その表情は明らかに暗い。
 親玉は上にいる、とばかり思いこんでおり、ここへ来るまでに気力と体力をかなり使ってしまったのだから無理もない。花火を助けたい気持ちに変わりはないが、ふっと切れた糸をすぐに繋げるのは容易なことではない。
 と次の瞬間、いきなり爆発音が轟いて廊下に大穴が開いた。
「『!?』」
 ばっさばっさと、翼をはためかせて何かが舞い込んできた。
「あ、どうも」
「く、黒瓜堂さんっ!?」「ど、どうやって廊下に穴を!?」
「結界に一発かましまして」
「は、はあ…」
 いずれも呆気に取られている。
 だが彼らは知らない。
 この建物を覆う霊的な結界は、一郎達を阻むまでには至らなかったが、花火の霊力が大きく織り込まれている事を。そこに衝撃が加わると言うことは、供給源となっている花火も決して無事では済まない、という事を。
 地下にある大きな倉庫で、花嫁衣装に身を包んだ花火が両肩をおさえてうずくまり――その双眸に危険な光が宿っている事など、知りもしないのだった。
「別に欺す気は無かったんですがね。まあ最初から二手を当然と強いるのも酷な話ですし、お詫びと言っては何ですが、私から君たちにこれを」
 黒瓜堂が懐中から取り出したのは、小さな小瓶であった。片方には青い液体、もう片方には赤い液体が入っている。
「それ何ですか?」
「媚薬と強精剤。花火嬢に一発かまして奪還できたら差し上げますよ」
「け、結構ですっ」
 反射的に遮ったのは一郎であった。昨夜、薬など使わずとも四人からあんなに抜かれたのに、この上この連中を燃えさせて一体どうしようというのか。
「人の話は最後まで聞くもんです。カモン」
 くいっと指を曲げて呼ぶ。
「……」
 明らかに嫌そうな表情で耳を寄せた一郎に、
「一人十発は出しても萎えない。ついでに副作用無し。飢えた女達に群がられてヌキ取られ、悄然と萎えていてそれでも男かね?」
 それを聞いた一郎の眉がすうっと上がっていく。
「も、もらいますっ!俺が、たかが四人相手にヌかれるだけの訳がないでしょうっ!」
「結構だ。で、君らは?とてもモエモエな夜を過ごせますよ。昼間からでも結構ですが」
「要るっ」「い、頂いておこう」
「じゃ、商談成立。さて、行きますか」
 少々思惑にずれはあるが、花組の隊員達は再起動して立ち上がった。さすがに入ってきた時程足取りは軽くないが、それでも完全にやる気の断たれてしまったさっきよりはるかにましになっている。
 てくてくと再度また一階まで降り、廊下の一番端まで歩いていくと地下への階段がある。
「ここか」
「そうみたいですね」
 黒瓜堂が頷いた。他の者達は気づいていなかったが、黒瓜堂は階下から漂う気が強くなっているのに気づいていた。
 それも怒りの気だ。
(壁を壊されてお怒りと見える)
 最後方で、黒瓜堂は邪悪に笑った。
 地下一階は大きな広間状になっており、その入り口で一郎達の足が止まる。
 そこにいたのは――白無垢の花嫁衣装に身を包んだ花火であり、その横には男が寄り添っている。おそらくフィリップという花火の婚約者――に変装した魔の者だろう。
「花火君!っ」「『花火っ』」
 捕らえられた筈なのに、窶れるどころかひときわ美しさを増しており、思わず走り寄ろうとした隊員達を見て、花火は微笑った。
 婉然と。
 そしてどこか危険な笑みで。
「わたくしの結婚式にいらしてくださったのね、ありがとう」
「『!?』」
「な、何を言っているのだ花火!そこにいるのはお前の婚約者などではないぞ!」
「そうだよ花火、一緒に帰ろうよ」
 次の瞬間、花火の手が動いていた。
「ロベリア」
 黒瓜堂の声と同時にロベリアが動いていた。二人の襟首を掴んで床に引き倒していなかったら、間違いなく花火の矢に射抜かれていたろう。
 花火の矢には、間違いなく殺気が充ちていた。
「は、花火…」
 呆然と花火を見つめるグリシーヌとコクリコ。エリカもまた、ショックを受けたように動けない。
「ちっ、これだからお嬢様は嫌なんだよ」
 舌打ちしたロベリアが、
「あのさ、さっきのブツだけどよ」
「何です?」
「花火の死体を持って帰ってもくれるのか?」
「ロベリア、貴様何を言っているのか分かってるのか!」
「黙ってろ」
 グリシーヌには一瞥もくれず、
「で、どうなんだよ」
「どうぞ。ただし効果は半減。帝都の花組には、こんな時何も出来ずに立ちつくす娘も、そして――」
 ロベリアを冷ややかな眼で見た。
「無論、何もせぬ内から見捨てる、それも仲間を見捨てるような役立たずも存在しない」
「なんだとっ!」
 帝都の花組には、ただでさえミサトに煽られてライバル意識を持っている彼らである。そこへ持ってきて揃って役立たずと断じられ、これで巴里花組に火がついた。
「ロベリアは左、エリカは右へ回れ!コクリコはそこで遊撃!隊長は私と一緒に斬り込んでくれ。巴里花組が役立たずかどうか、東洋からの客人に見せてさしあげるっ」
「いいだろう。各自散開!」
「『了解!』」
 にっと笑った黒瓜堂の前で、花組の戦士達が一斉に動いた。ロベリアとエリカは、左右からフィリップの格好をした怪人に迫り、一郎とグリシーヌが、霊刀と戦斧を手に花火へ迫る。
「言っても分からないなら、お仕置きが必要だな花火っ」
「あらあら、皆さん勢いよく」
「『うぷ!?』」
 花火がくすっと笑った直後、一郎とグリシーヌの視界が遮られた。花火が花嫁衣装を投げつけたのだ。反射的に二人が後方へ飛び退いた。矢を撃ち込まれた白無垢が、ゆっくりと床へ落ちてくる。
「花火君は…う!?」
 そこには――スクール水着姿で弓矢をつがえた少女が、いた。
「スク水!?ず、ずるいよあんなアイテムで」
 何がどうずるいのかは不明だが、一郎が刹那顔を赤くして見とれた所を見ると、やはり効能はあるらしい。
 だがそんな事を言っている間にも、フィリップの形を取っていた敵は、身軽に宙で一回転すると妙にあごの長い仮面をかぶった姿に変貌し、エリカとロベリアを一歩も寄せ付けない。
「我が名はマスク・ド・コルボー。冥府までお送りしてさしあげよう」
 花火は連べ打ちで矢を射ちこんで来るから一郎もグリシーヌも懐に入り込めず、グリシーヌに至っては戦斧の長さが邪魔になり、弾くのが精一杯の有様だ。
 一方、
「花火、ねえ花火ったら目を覚ましてよ!一緒に帰ろうよ、ねえってば」
(……)
 本人は一生懸命に呼びかけているつもりだが、そんなコクリコを正直鬱陶しい、と思ったのは黒瓜堂一人では無かった。
「さっきから訳の分からない事ばかり叫んで!わたくしはフィリップと一緒に静かなところへ行くのですっ!」
 放たれた矢を何とか二人がかわした直後、不意にエリカとロベリアが戦い始めた。
「エリカ!?」「ロベリアっ!」
「無駄だ、二人には互いが私に見えている。さあ愚かな娘達よ、互いに殺し合うがいい」
「止めて二人ともっ!!」
 コルボーの哄笑に、血相を変えたコクリコが走り寄ろうとした瞬間、花火の矢がコクリコを襲った。走り出そうとしたまさにその時であり、弾くこともかわす事も出来ない。
「『コクリコっ!!』」
「ひっ…」
 コクリコが目を見開いたまま飛来する矢の前に立ちつくし、隊員達が悲鳴のような声を上げる。敵ならまだしも味方に討たれて最初の死者が出るのかと、隊員達が思わず目を閉じた次の瞬間、矢は鈍い音を立てて突き刺さった。
 だが、目も開けられない彼らの耳に聞こえたのは、
「ど、どうして…」
 呆然と呟くコクリコの声だったが、その声は傷を負った者の声ではなかった。
 目を開けた彼らが、刹那幽霊の大群に取り囲まれたかのような顔で立ちつくす。
「おチビちゃん、走り出すときは計画的に」
 邪悪に笑った黒瓜堂だが三本の矢を受けた腕は――根本から千切れかけていた。
「三本の矢、か。なかなかいい案です…おや?」
 その顔がゆっくりと動き、ちぎれかかった腕に向く。
「ふむ」
 頷いた直後、コクリコがゆっくりと倒れ込んでいく。この男は――自らの腕を引き千切ったのである。幼い少女の目に、それは耐えられなかったに違いない。
 グリシーヌとエリカも口元をおさえて必死に吐き気を堪え、一郎も両手をきつく握りしめている。唯一平然としているかに見えるのはロベリアだが、その顔も僅かに血の気は引いている。
「愚かなことを。そんなに死にたければ心臓を抉り出し…ぐああああっ!!」
 何が起きたのか、一瞬誰も理解できなかった。
「黙れ粗大ゴミ。出でよ雷蛇」
 自分で自分の腕を持った黒瓜堂が、慌てる様子もなく腕を断たれた所に押しつけると、それはあっという間に繋がったのだ。そのまま手のひらをコルボーに向けた瞬間、そこから出た何かがコルボーを絶叫させたのだ。
 それが雷撃だと気づくまで、十秒近くかかった。
「大魔道士ガレーン・ヌーレンブルクの失敗作、この私があの世へ送ってくれる。冥土の土産に死ねぬ身体をよく見ておくがいい」
 コルボーのマントが、帽子が、その仮面が焼き焦がされていく。
 だがそれが落ちることはない。それらは皮膚に張り付いて肉に食い込み、苦痛のあまりのたうち回るコルボーは、もう絶叫する事も出来なくなっている。それでも依然として手を緩めぬ黒瓜堂は、これも肩を朱に染めているのだ。
 やがて黒瓜堂の手がすっと上がり、雷撃が止んだ。事態を殆ど認識できぬ隊員達が見つめる中、
「出でよ縛妖蜘蛛!」
 手から放たれた巨大な蜘蛛が、既に肉塊と化しているコルボーに取り憑き、その身体を貪っていく。それを見ながら黒瓜堂は、躊躇う事無く花火へ手を向けた。
「雷蛇」
「きゃあああーっ!!」
 雷撃が花火を襲った瞬間、スクール水着が裂けた。それと同時に縛妖蜘蛛はコルボーを食い尽くし、花火も正気に戻ったのだ。
 無論そんな事は黒瓜堂には分かっている。そして――この邪悪な男には関係ない。あっという間に水着が身体から落ち、真っ白な肌にみるみる赤いみみず腫れが出来ていく。
「や、やめて下さいっ、グリシーヌ助けてっ、あああーっ!」
「は、花火っ、正気に戻ったのかっ!?く、黒瓜堂殿もういいっ、ぐあっ!?」
 縛妖蜘蛛の足が一閃し、グリシーヌを床に押さえつける。たまらず飛び出したエリカも、そして一郎までもが縛妖蜘蛛に押さえつけられてしまった。コルボーを食ってその妖気を吸収した事で、縛妖蜘蛛の身体は更に大きくなっている。
「や、止めろ!もう花火は正気に戻っくああっ!」
 ロベリアに、黒瓜堂は躊躇う事無くもう片方の――くっついたばかりの手を向けたのだ。
 シンジが居たら、きっとこう言ったに違いない。
「なんか…配線がキレてる?」
 と。
 ある者は縛妖蜘蛛に押さえつけられ、またある者はその皮膚や髪をちりちりに焦がされ、もはや室内が死の匂いに包まれるかと思われた直後、
 ゴン!
 あまりにも危険な音がして――ゆっくりと黒瓜堂が前に倒れ込む。
 そこに立っていたのは、ハンマーを手にした女であった。
 嫌な予感のした祐子が、急遽巴里まで飛んできたのである。暴走状態の黒瓜堂を、他に被害を出す事無く制止できるのは、目下地上に於いてこの娘ただ一人しかいない。
 
 
 
「結界が破壊された内部から雷撃が外に撃ち出され、周囲の家屋に与えた被害総額が六億円。花火は正気に戻ったし、花組は全員入院で全治一ヶ月。めでたしめでたし、か…なわけないだろ!」
 赫怒して報告書を引き裂くイザベルの横で、メルとシーがびくっと身を縮めた。確かに花火は帰ったし、花組同士で殺し合うような事にはならなかったが、雷撃に身を焦がされ、巨大な蜘蛛には囓られそうになった等とは、一体どういう事なのか。
 何よりも、イザベルを一番怒らせているのはフユノの対応であった。
「十億出しておく。後始末はお前が全てしておくのじゃ」
 事も無げにそう告げて、さっさと電話を切ったのである。最低でも賠償はあのウニ頭にさせるべきなのに、賠償どころか咎める事さえしないのだ。
 
 がしかし。
「まあ…さすが悪の総帥と言っておくわ」
「何よりの賛辞ですな」
「はいはい」
 花火を始め、あちこち血に染まった隊員達を見た時は、さすがのミサトも一瞬心臓が止まったのを自覚したが、黒瓜堂が暴走した結果だと知ってある意味ほっとした。
 黒瓜堂は他人だが、洗脳されて敵に回った花火は仲間なのだ。これがもし仲間同士で傷つけ合った結果なら、その絆はもう元には戻るまい。
「で、元気にしてますか?」
「分かってるんでしょ?一部分だけ元気なガキ共よ」
 つまりは一郎がちゃんと心も体も隊員達と繋がっていないせいだと、意味不明な説を唱えだした黒瓜堂に丸め込まれ、傷もろくに治っていない身体で夜な夜な盛っているのだ。
 ミサトとしては別に構わないが、どこまでも悪に関しては邁進する奴だと、秘かに感心しているところである。
「ま、放っておけば仲直りするでしょう。飴が降ると地が固まるってやつです」
「…何か字が違ってない?」
「気のせいです。さてミサト嬢、あとは君の仕事ですよ。少なくとも、心が離反したりする事の無いようにね」
「分かってる。一応お礼言っとくわ、ありがと。彼女によろしくね」
「では私はこれで」
 ふらふらと危険に揺れて去っていくウニ頭を眺めながら、
「あれなら…帝都にシンちゃんが居なくても大丈夫かもね。こっちに呼んじゃおっかな」
 ミサトの呟きを、つむじ風がそっとさらっていった。
 
 
 
 
 
(つづく)

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