妖華−女神館の住人達
 
 
 
 
 
第百八十八話:邪悪 IN 巴里――癒えぬ傷跡(前)
 
 
 
 
 
「君が大神一郎君ですね。ミサトさんから色々と聞いていますよ」
「は…ははっ」
 直立不動で敬礼した一郎の背後では、コクリコがグリシーヌにぎゅっとしがみついているところだ。本来ならエリカなのだが、そのエリカは左からグリシーヌにしがみついている。
 結構個性も強く、一郎も屡々手を焼く巴里花組の面々だが、やはり巨大ウニのインパクトは絶大だったらしい。
 しかも、花火や一郎と同じ国の出身者と来ているのだ。サムライを想定していたエリカに取っては、怖いと言うよりショックも大きいらしい。
 グリシーヌはと言うと、左右からしがみつかれた上に、これも威圧的なウニ頭に押されて、やや引き気味に見える。
 別に黒瓜堂が威張っている訳ではないのだが、
「黒瓜堂と申します。よろしくお願い申し上げ奉り候」
 と、一郎とミサト以外は理解も出来ないような挨拶をかました上に、一礼した時にウニ頭がにゅっと伸びてきて、娘達は慌てて飛び退いたのである。
 無論、本人はこの効能を知っている。だから黒瓜堂はあまり礼をしたりしないのだが、中にはそれを無礼に思う者もいて、その場合必ずと言っていい程“飛び退かされの刑”に処される事になる。
 残る戦力はロベリアだが、これはさすがにウニに引いたりはしないものの、珍しく絡んだりもせずに眺めている。そう、分かっていたのだ――これが自分と同類項の人間である、と。
 即ち、悪の巣窟だと。
「そ、それでその…く、黒瓜堂さん…」
「何でしょう?」
「その、ミサトさんにお聞きしたのですが、は、花火君の事でお話があるとか…」
「ええ、そうなんです」
 どかっと、勧められもしないのに勝手にソファへ腰を下ろした黒瓜堂を見て、
「エ、エリカ…いやグリシーヌ!」
「え?」
「黒瓜堂さんに昆布茶…じゃなかった紅茶をお持ちしろ、急げ!」
「え?あ、ああ…ほら二人ともさっさと離れろ」
 言うまでもなく一郎は一般人であり、ミサトも存在自体が異種のそれではない。黒瓜堂が普通の人間の雰囲気を放っていれば、また話は変わったかも知れないが、明らかに奇々怪々な雰囲気を醸し出しており、グリシーヌも飲まれたらしい。
 グリシーヌが早足で姿を消してから、
「す、すみません気が付かなくて…」
 黒瓜堂がちらりとミサトを見た。
「よく人間の出来ているメンバーだ」
「ありがと」
 ミサトの口許に微苦笑が浮かぶ。無論ミサトは、黒瓜堂の意図するところは大凡分かっている。単に褒めているのでない事位、分からぬミサトではない。
「で、北大路花火嬢の話ですがね」
「あ、はい…」
「見つけましょうか――大神一郎」
「『!?』」
 黒瓜堂の言葉で、室内に一瞬にして緊張が走る。或いは、花火の失踪にこの男が関与しているのかと思ったのだ。
 無論――黒瓜堂を見ればそう思うのも、極めて無理からぬ話ではあるのだが。
「エリカ・フォンティーヌ嬢とコクリコ嬢」
「『……』」
「私が絡んでいるのではないか、と言う顔ですね」
「…ち、違うんですか」
「エリカっ!」
 ミサトは、咄嗟に懐の銃へ手を伸ばしてから気付いた――今回は、黒瓜堂一人しか来てはいないのだ。自分が撃った方がまし、と思ったのである。
 何を、そして何故かは自分でも分からなかった。
 黒瓜堂は当然気にした様子もなく、
「ロベリア・カルリーニ、君は?」
 と訊いた。
「……」
 ロベリアは一つ肩を竦め、
「あんた、あたしがそう思うとか言ったら、ここのお子様はバカばっかりとか言ってさっさと帰ろうと思っていたろ。違うかい?」
「『え…?』」
「ご名答。良い勘してますね」
 ウケケケと笑って、
「その通りですよ」
「『……』」
(エリカ、ボクこの人怖い…)(コクリコ何言ってるんですか…私もですよぅ)
 
 
 
 
 
 違う、とマリアは内心で呟いた。
 無論自分だけ異世界に放り込まれた、とかそんな事ではなくて、舞台稽古の事だ。
 昨日まではとは確かに違う空気と雰囲気、原因は分かっている。
 勿論すみれだ。
 同じように見えて根本的に違う――トゲトゲした感じが無くなっているのだ。単にそれだけなら――それでも十分大した事だが――まだ違和感はなかったろう。
 がしかし。
「ほらさくら、そこはそうじゃないでしょ?もう舞台まで時間がありませんのよ」
「はーい」
(何なのよ、あの意気投合したような練習は…)
 すみれが折れてさくらに合わせたとか、単にそれだけでは片づけられぬ何かがあり、得体の知れぬそれは、マリアの心に小さなトゲとなって刺さっていた。
 勿論、良いか悪いかと言えば良い事だ。自己顕示欲の塊で、世界の中心には自分がいるのだとすら思っていかねないすみれが、さくらに対してあんな接し方が出来るとは、マリアは思ってもいなかった。
 シンジの介入は考えられるが、単に窘められただけで出来る事ではないし、縦しんば出来たとしても心からのものにはなりえまい。
 接するさくらの方とて、それは敏感に感じ取る筈だ。
(一体、何があったのかしら…)
「マリア!」
「え…あ、はい」
(ちっ)
 王子様の番になってきたのにうっかりしていたらしい、マリアは内心で小さく舌打ちして舞台に走っていった。
 
 
 
 
 
「花火君がどこにいるか、分かるってるんですか!?」
「いえ?」
「え?それじゃ…こちらの有力者にお知り合いが!?」
「いーえ、いませんよ」
 首を振った黒瓜堂だが、実際には嘘だ。大使館を通して怪しいブツを売りつける事で人脈を作っており、日本に大使館を置いている国で政府筋に全く伝手のない方が少ない位だ。
 勿論、フランスには作ってある。何せ悪の親玉を自称するだけあって、対象の場所を選ばないから、結構な人脈を作っておかないと色々と面倒になる。
 そう――悪を極めるのも大変なのだ。
「別に、犬の糞を踏んで歩く連中の力など借りずとも、少女の一人位簡単に見つかりますよ」
 黒瓜堂の言葉にミサトはくすっと笑い、巴里の娘達は怪訝な顔になった。微妙に方言を交ぜた為、彼女達には分からなかったのである。
 無論、そのまま聞かれると暴動が起きかねないからだが、だったら言わなければいい、と言う選択肢は無いらしい。
 ウニスタイルは悪の印、と黒瓜堂が呼ばれる所以である。
「見つけ出す事自体は大した手間ではありません。どこにいるかなど知りませんが、十分も経たずに見つけ出してご覧にいれますよ――生死を問わずにね」
「『!?』」
「な、何だと…で、ではっ、花火はもう死んでいるかもしれないと言うのかっ」
 堪えきれず、とうとうグリシーヌが食ってかかった。
「では逆にお訊ねしますが、生きてぴんぴんしているのに自由意志で連絡一つして来ず、しかも知り合いの全くいない所で自由を謳歌している、とそう言われるのかなグリシーヌ嬢は?」
「そ、それは…」
 確かに、単純に黒瓜堂の台詞を否定するならば、花火は自分の意志で出て行ったと言う事になり、しかも仲間の事など忘れた生活をしている事になる。ある意味、そちらの方がショックは大きい。
「言い方を変えましょう。連絡してこない、のではなくて出来ないのかも知れない――自分自身の都合でね」
「え…それはどういう意味です?」
「事態は、事によってはとても単純かも知れないという事です。散歩中、車を避けようとして転倒し、頭を打ったらうちどころが悪くて一時的に記憶を喪失している、とかね。決して考えられない事ではないでしょう」
「しかし…エリカではないのだから」
「エ、エリカはそんなにおっちょ――」
 言いかけた言葉へかぶせるように、
「エリカ嬢が記憶喪失になった、と言うデータは受け取っていない。多少おっちょこちょいで地雷源で点火役になる、と言う事はあっても、未だ無かった事をさもあるかのように茶化していうのは良くない事ですよ」
「……」
 え?と、エリカがちょっと驚いたように黒瓜堂を見る。意外だったらしい。
「話を戻しましょう。別に、北大路花火嬢の現況について予測しに来た訳ではないし、予測してみても意味のない事です。要は、生死を問わずの条件で私が探し出した場合、あなた達に何が出来るかという事なんです。もっとはっきり言えば――」
 ウニ頭を揺らして一同を見回し、
「敵に回っていた場合、躊躇わずに討てますか?と言う事です」
 それを聞いた時、隊員達の反応は二通りであった。虚を突かれたような顔に、驚きと怒りと哀しみの混ざったような色が浮かんだのはロベリア以外の者達で、少し経ってからにっと笑ったのはロベリアであった。
「君たちも知っていると思いますが碇シンジ君――私の友人です――彼はいつもこう言っています。自分が敵に洗脳されて敵に回った場合、躊躇わずに討てると言い切れたら一人前だ、とね。あなた達の仕事は敵を討つ事ですが、そこに誰が加わる事になっても討つ事を強いられる可能性はあります。残念ですが…元気であれば敵になっている可能性は決して低くはない、と私は見ています」
「『……』」
 妙に自信ありげに言い切る黒瓜堂を見て、本当に花火の情報を何も掴んでいないのかしらと、ミサトは内心で小首を傾げた。
 
 
 
「ここが、花婿に逃げられた娘が消息を絶った墓地ですか」
「あの黒瓜堂さん…」
「何です瞳嬢?」
「あの子は…北大路花火さんは、別に逃げられた訳じゃ…」
「逃げられたんですよ――冥府へね」
「!」
 ああでもないこうでもないと、喧々囂々結論が出ない娘達を置いて、黒瓜堂は瞳に案内されて墓地へとやってきていた。
「貴女も分かっているでしょう。どんな別れより遠くつらいもの――それは幽冥境を異にする事だ、と」
「黒瓜堂さん…」
「君らの旦那は、目下恥ずかしがって逃げ回っている状況ですが、捕まえようと思えばいつでも捕まります。でもあの娘は、冥府まで会いに行くしかないんです。それを、逃げられたと言わずして何と言うんですか」
「……」
 一瞬優しい面もあるのかと思ったが――気のせいだったらしい。
「ま、その辺の談義はともかくとして、やっぱり拉致された訳じゃなさそうですよ」
「え?」
「ここは、場所が場所ですから色々な思念が残っているんです。どうしても負の感情の方が強いんですが、例え一瞬であっても誘拐などされれば、時間的にもかなり色濃く残っている筈です。が、墓地内は無論この入り口付近にも、そんな思念はまったく見あたりません。何があったか知りませんが、自分の意志でついていったと見るのが正解でしょうね」
「それって…脅迫された場合も分かるんですか?」
「脅迫?つまり無理矢理行かされたって事で?」
「ええ」
「普通なら分からないんですが、分かりますよ」
「え?」
「北大路花火嬢の下着を借りましたから」
「し、下着っ!?」
 黒瓜堂の台詞に、瞳の顔がすうっと赤くなる。が、危険なウニ頭はさも当然という風情で、
「思念を引き出すにはそれが一番手っ取り早いんですよ。それとも、他に何かいい案をお持ちで?」
「い、いえ…」
「私が下着など、好き好んで触ってると思うんですか?」
「ごめんなさい…」
「完全に守備範囲外の年齢だというのに」
(え!?)
 瞳はぐりぐりと耳を押した――聞かなかった事にしようと、決心したのである。
「瞳嬢に面白い物をお見せしましょうか」
「面白い物?」
 黒瓜堂がポケットから取り出したのは、小さなブルーの紙であった。中心部分だけ、まるで液体を垂らしたかのように、赤く染まっている。
「これは…?」
「検査薬、とでも言いましょうか。うちの商売道具でね、詳しい説明は省きますが、要するに思念をプラスとマイナスで計る代物です。これはここに残っていた北大路花火の思念、そしてこの色は――喜びですよ」
「!?」
 それを聞いた途端、瞳の顔色がさっと変わった。外見は単なる危険なウニ頭だが、この手の事になると、結構高い能力を持っている事は知っている。
 では花火は――自分の意志で仲間達から離れたというのか!?
「それと――ん?」
「どうかしましたか?」
「いえ、別に。私はもう少しこの辺を見物してから戻ります。先に戻っていてもらえますか?」
「分かりました。お気を付けて」
 瞳の車が走り去った後、
「もういいですよ。出ていらっしゃい」
 黒瓜堂の視線は前を向いていたが、ごそごそと人影を吐き出した茂みは背後であった。
「こんなところで会うとは奇遇…と言いたいが、そうでもなさそうですね。元気にしていましたか、ローザ?」
 小さく頷いたのはローザ・シャイアン、黒瓜堂の天敵ラリー・シャイアンの実妹であった。
 
 
 
 
 
「そう言えば…」
 マリアが口を開いたのは、夕食も半ばの頃であった。
 今日はシンジとも離れているし、無論食べさせてもらったりもしていない。先日のはシンジの策だったらしいが、二人の姿が妙に似合っているだけに、ほっとしている娘が数名いるのも事実である。
 がしかし。
「シンジ」
「ん?」
 マリアの口から最初に出た単語はシンジの名であり、場の一部が一瞬にして硬直する。
「今日の舞台稽古は、随分と和気藹々だったのよ」
「ほう?」
「特に…すみれが随分と変わって見えたわ。すみれ、そうだったわよね」
「え…べ、別にわたくしは…」
「別に?何もなくて、昨日まで織姫やさくらをあんなに叱りとばしていたあなたが、明らかなミスにさえ殆ど怒りもせず、笑って流せるの?」
 表情は穏やかだが、マリアの目は笑っていない。
 無論シンジはすぐに気付いたが、何も言わずにパスタをくるくるとフォークに巻き付けた。
「そ、それはその…マリアさんの勘違いですわ。わたくし、そんなに怒ってなど――」
「いたわよ」
 すみれの言葉を、マリアが冷たいとさえ言える口調で遮った。
「『……』」
「無論、あなたが怒ったりしなくなったのは良い事だと思っているわ。雰囲気も殺伐としなくなったしね。でも気になるのよ。時も場所も考えず、とにかくミスに対しては叱りとばしてきたあなたが、あんなに穏やかになれるなんて。舞台の役柄ならいざ知らず、それ以外でもあれ程変われるなんて、自分とさくらの問題だから放っておいて!と言われ続けた私としては、是非訊きたいわね」
(お、おにいちゃん)
(あん?)
(と、止めないでいいの?)
(俺は舞台関係者じゃないし、舞台に興味もないから)
(もー、おにいちゃんっ)
「と、特別に何かがあった訳ではありませんわ。ただ…い、今までが少し言い過ぎたと思い直しただけですわよ」
「今までは微塵もそんな気配がなかったのに、何故今日になって突然思い立ち、しかも即日実行出来たのかしら。それとも――」
 マリアは何も言わずに、ちらっとシンジに視線を向けた。
「ん?なに、マリアちゃん?」
 気付いたシンジが顔を上げた。
「いえ、何でもないわ」
「何でもなくて俺をじっと見つめるの?」
「だ、誰も見つめてなんか…」
「そう?なら俺の気のせいだな。マリアが、俺が関与しているなどと思い込む筈はない。そうだな、マリア?」
「……」
 ふーっ、とマリアが息を吐き出した。
(打つ手を間違えたわね…)
「そうね、シンジはそんな事に口を出したりする訳はないし。すみれが思う所あった、と言うのならそう言う事にしておきましょう」
「マリアにしては随分と絡む。その殺伐としてギスギスしてトゲトゲした性格がだいぶ丸くなった時、他の娘達に原因を説明したのか?」
「…誰が殺伐でギスギスでトゲトゲですって」
「おまえだ」
「根拠は」
「根拠だ?お前の元の状態など俺が一番よく知…ハッ!?」
「『……』」
 シンジは、位置的にはすみれ擁護の辺りにいた筈だが、何時の間にかチクチクした視線が集まっている。
 ケホっと咳払いして、
「ま、まあいい。とにかくマリア…」
「な、何」
「女など簡単に豹変もできる生き物だと、太古の昔から相場が決まっている。すみれの心の変化など、他人が手を突っ込んで原因を漁るものではない」
「…分かってる」
 と、これで問題は片づいたかに見えたのだが、
(さっき碇さんもマリアさんも揃って赤くなってた…絶対に怪しい!)
 一部の娘の心には、小さいながらも影を残したままであった。
 なお、
(豹変出来る生き物って…それどーゆー意味ですの!)
 少しおかんむりのすみれだったが、原因をこれ以上追求されるのは困る。
 シンジに手ずから淫毛をそり落とされ、尖った性格もそり落とされたのだ――などとは、口が裂けても言えない台詞である。
(でも…気持ち良かったですわ…)
 正確に言えば、性格が変わったのとは少し違う。
 ただ、無毛地帯となった自分の秘所を眺めている内に、段々と気分が穏やかになってきた、と言うのが実際のところだ。
(だから、生えてきたらまた碇さんに剃って…も、もうわたくしったら何という事をっ…あら?)
 気が付けば、気付かぬうちに満座の視線は自分に集まっていた。さっきまで突っ込まれて困っていたすみれが、いきなり顔を赤くしてもじもじし始めれば当然の反応だろう。
「べ、別に…なんでもありませんのよっ」
 幾分赤い顔のまま、すみれは慌てて手を振った。
 ますます怪しい。
 
 
 
 
 
「少し歩きますか」
「はい…」
 訊くまでもなく、ローザがやってきた理由など見当がついている。ただし、こちらから言い出す事でもないので、言わせる事にしたのだ。
「行方不明の娘(こ)がいるのですか?」
「ええ。まあ、大した事ではありません。その気になれば、と言うより多分レビアはもう捕捉している可能性がありますし、何よりもシンジ君に鍛えられた娘ではありませんしね。魔界を歩いた事もない娘など、縦しんば敵に回ったところでどうという事はないですよ」
 グリシーヌが聞いたら、赫怒するに違いない。
「レビアなら、捜し物は得意ですものね」
 ローザはうっすらと笑った。今でこそ、温和しめに見えるローザだが、かつては敵に回り、AMPを危地に追い込んだ程で、大魔道士ガレーン・ヌーレンブルクがいなければ、今頃は姉のラリー共々この世にいなかった可能性大だ。
「それであの、黒瓜堂さん…」
「何です?」
「その…今年もあの方のお墓参りに行かれるのですか?」
「ええ」
 黒瓜堂が墓地にいたから思いだした、みたいな口調だが、黒瓜堂から見れば一目瞭然で、隠蔽工作になど全然なっていない。
 あの方、とは無論ガレーンの事だ。言わずと知れた大魔道士だが、黒瓜堂を造ってしまった事は大いなる疑問、と言うより唯一の汚点とされている。
「毎年、決まった日に行っているのはローザも知っているでしょう?」
「あ、あのごめんなさい。そう言う事ではなくてその…こ、今年は私も…」
「聖地へ?」
「はい…」
 まるで初な小娘のように、ローザが小さく頷く。
 ガレーンが、その全てを賭して邪悪な聖魔を封じた地に、その亡骸は眠っている。この人間界にあるのは、あくまでも仮の物であって、そこには遺物が数個埋葬されているのみである。
 大魔道士が眠る墓所の場所は、吸血鬼の貴公子と黒瓜堂以外には誰も知らない。無論ローザも、そこへ墓参どころか場所さえ知らないのだ。
「ラリーが、君をここへ寄越したのですか」
「いえ、祐子さんが…」
「祐子が?」
「お店へお電話したら、祐子さんがこちらへ来られていると…」
 ウニ頭を揺らして、黒瓜堂は天を仰いだ。確かに、どこへ行ったかと訊かれれば、余人ならいざ知らずローザ相手なら隠すまい。
 隠密行動だからと箝口令は敷いてこなかったのだ。
「こっそり来るのを忘れていましたよ」
 黒瓜堂は何も言わずに歩き出し、ローザがその後を追う。やがて二人は川辺に出た。
 川岸に腰を下ろし、しばらく水面を眺めていたが、やがて黒瓜堂が口を開いた。
「私の物になるなら、考えてもいいですよ」
「黒瓜堂さんの物に…え!?」
 台詞が理解出来ぬまま、唖然と黒瓜堂を眺めたローザだが、あっという間にその肩を掴んで押し倒されていた。
「さて、どうします?」
「えっ、あ、あのっ、ちょ、ちょっと黒瓜堂さん…っ」
「では素直に諦めると?」
「そ、それは…あっ」
 声を上げた時にはもう、危険な顔が迫っていた。
(く、黒瓜堂さんはこんな事をする人じゃ…で、でもそんな…あれ?)
 想い人はいるし、大体この男の守備範囲に自分は入っていない筈だし、逃れたものか諦めたものか必死に脳をフル回転させたローザだったが、ふと妙な事に気付いた――黒瓜堂の唇は、自分を目指していないのだ。
 明らかに自分の顔からずれている。
「……」
 呆気に取られてその顔を眺め、そして――予定通りだったのか十センチ近くも離れたところへ顔が落ちてきた次の瞬間、銃弾が数発二人の付近の芝を抉った。
「!?」
 反射的に懐中へ手を伸ばそうとしたローザの手を、黒瓜堂がやんわりとおさえる。
「黒瓜堂さん!?」
「来ると思っていましたよ。というより、間違いなく来てると思っていましたがね」
 危険な顔が妖々と上がる。
「心配性の姉上は、妹を一人で旅行にすら出さないと見える。シスコンは相変わらず治っていないようだな、ラリー・ジャイアン」
「姉さん!?」
 起きあがったローザが見たのは、大型拳銃デザートイーグルをぴたりと構え、憤怒の形相でこちらを睨んでいる姉の姿であった。
「誰がジャイアンだ…さっさと妹から離れろこの変態!」
(つまり…最初から姉さんが来ていると分かっていてあんな事を?でも何時の間に)
「見え見えの餌でも瞬時に食い付いてくれるから楽ですよ。これだからラリーは釣りやす…ん!?」
 ラリーの背後に何を見たのか、その顔色が一瞬激しく動いた。
 
 
 
 翌日、黒瓜堂はグリシーヌを車に乗せて連れ出していた。
「黒瓜堂殿、この車はどこへ向かっているのです?」
「拉致、乃至は誘拐」
「…え?」
「つまり怪しい男が美少女を連れ回している図、の訳です」
「それは困ったな。傍迷惑な事を」
 そう言いながら、言葉とは裏腹に、グリシーヌは座席を倒してしまった。シートに身を預けて目を閉じたグリシーヌに、
「警戒しないので?」
「あなたが本当にそんな事を考えているのなら、抗っても無駄だろう。悪の親玉、とミサト殿はそう言っていた」
「さすがに、ミサト嬢は私の事をよく分かっておられる。が、寝るのは少し早いですよ」
「え?」
 懐中から、がさがさと取り出したのは人の顔が描いてある一枚の紙であった。
「この男の顔に、見覚えはありますか?下手な絵で申し訳ないんですが」
「男?」
 まじまじと眺めたグリシーヌの表情が、みるみるうちに変わっていく。
「フィ、フィリップ…」
「やはり見知った顔でしたか」
「花火の…婚約者だ…。だが今はもうこの世にいない筈、黒瓜堂殿これを一体どこで…」
 呻くように言葉を絞り出したグリシーヌに、
「昨日ちょいとね。デザートイーグルの大口径に追いかけられながら、写生したものですよ」
「はあ…」
 言葉の意味がよく分からぬまま、グリシーヌはぼんやりと頷いた。
 
 
 
 
 
(つづく)

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