妖華−女神館の住人達
 
 
 
 
 
第百七十六話:ヒトスジシマカのシュプレヒコールの如し
 
 
 
 
 
「シンデレラ、ねえ」
 そう言ったきり、台本と配役一覧表を眺めているのは黒瓜堂の主人である。
 シンジにとっては、千円も一千万円もさして変わらない。自分の生きる道に於いて大した価値を認めていないからだ。
 しかし、さくら達にとってはそうもいかない。金に執着していようといまいと、目下自分達の前には一千万があって、それをイロイロ回転させなければならないのだから。
 結果として、黒瓜堂が呼び出されたのだ。
「つまり、最低限ペイするにはどうすればいいか、と言う事ですか」
 こくこくと頷いた中にはすみれも入っている。実家から援助してもらう、と言う手もあるのだが、それは神崎すみれのプライドが許さないらしい。
「大体は見当つくんですけど、ちょっとブランクが長かったから…」
「なるほどね。まあ、五千万出してと言えばあっさり出すでしょうが、最低限元は返さないと嫌なんでしょ」
「当然ですわよ。わたくし達の舞台が赤字で終わるなど、そんな事は絶対にできませんわ」
「まあ、それはそうでしょうな」
 一応主役となるシンデレラにはさくら、王子はマリア、継母と愉快な仲間達にはすみれと織姫とレニが入っている。
 無論、魔法使いはアイリスだ。
 配役的には一応できている。
 ただ、黒瓜堂が見た感じではインパクトが弱い。あくまでも正攻法に見えるのだ。
 つまり新機軸がない。
 今回は織姫が入るが、舞台など未経験だし、さくらもまだ経験は浅い。正攻法でどこまで通用するかは、正直言って未知数だろう。
「とりあえず、君らが出来る所までやってごらんなさい。広告宣伝に費用を掛ければ良いという物ではありませんしね。直前の予測でどうしても赤字になりそうだったら、その時は切り札(最強のカード)がありますから」
「『……』」
 よござんす何とかしましょう、との答えを期待しなかった、と言えば嘘になる。ただそこまでは行かずとも、もう少し積極的な事を言ってくれるかと思っていたのだ。
「黒瓜堂さん…」
 遠慮がちに口を開いたのはさくらであった。
「何です?」
「あまり気乗りしないように見えるのは…やっぱりマリアさんが原因なんですか?」
「そうストレートに言われても困ってしまいますが――」
 言葉を切ってから、
「まあ、そうなりますか」
 どう聞いてもストレートだ。
「尤も、ウチの店員が揃って反対する位でね、私にとってはどうでもいい事です。子供の戯言に取り合うほど暇じゃないんですよ。邪魔な存在ならとっくに始末しています。それがうちの経営方針ですから」
 思わず、ごくっと喉が鳴った娘達だが、
「私に敵意持ってるヒトがいる劇団を助けるのもゲイがない、と言う事もありますが、今回はお手並み拝見としましょう。私が手を貸すと言っても、そんなに大げさな事をする訳じゃありませんし」
「分かりました…」
 黒瓜堂はウニ頭を揺らして帰っていったが、やはり釈然としない。言うまでもない事だが、助けてくれて当然とは思っていない。
 単に、儲かるから何とかしてくれると考えていたのだ。さくら達にしてみれば、別段大もうけなど必要ない訳で、とりあえずシンジに完済出来ればいい。
 残った分は黒瓜堂の主人が持って行ったとしても、別に構わなかったのだ。
 だが乗ってこなかった。
 儲け話にならない、と言うよりもやはりマリアが原因だろうと、全員の思いは一致している。
 はーあ、とため息をついてから、
「とりあえずやるだけはやってみましょう。あたし達に出来るのはそれしかないし、どうしても無理なら黒瓜堂さんも何とかしてくれるって言ってたから」
「そう…ですわね」
 黒瓜堂の主人が、マリアに何かする可能性はほぼ皆無だから、シンジ絡みなのは間違いない。それが分かっているだけに、彼女たちも強くは言い難いのだ。
 顔を見合わせて、お互いの憂鬱げな表情を見合わせた娘達だが、
「オーナー、何の話でした?」
「ああ、舞台のお手伝いを。御前が自給自足を言い渡したのでね、困ってました」
「動かれますか」
「めんどくさい」
 ぷるぷると首を振ってから、黒瓜堂はシートに身を沈めた。
「つーか、オーケー出すとあの娘の命が危ない。うちには血の気の多い女が多すぎる」
「なるほど」
 豹太がアクセルを踏み込むと、車は滑るように走り出した。
「私もですよ、オーナー」
 
 
 
 重傷と言えば重傷だが、良人にしては回復が遅い。いや、遅すぎると言ってもいいだろう。
 回復力が落ちた、と言う見方もあるが、狭霧にはその原因が分かりすぎるほどに分かっていた。
 碇シンジだ。
 負傷に直接シンジが絡んでいる訳ではないが、合わせる顔がないと精神的にダメージを受けている部分が大きい。
 辞表をわざわざ、それもご丁寧に灰と化してから持ってきたシンジだが、黒木は未だに起きあがっていない。
 身を挺して総理を守ったのは、日本国民として、いや法の下にいる者としては当然であり、銃撃なぞ加えた黒瓜堂とシンジこそ断罪されるべきである――と、普通はそう考えるのだが黒木は考えない。
 既に一度、シンジには文字通り死の淵で助けられているのだ。決して義理に薄いタイプではなく、故に懊悩もまた深いらしい。
 とはいえ、何時までも籠もっていられるものではない。ヒキコモリにも限界がある。
 気乗りしない、どころか生気すら不十分に見える夫に、狭霧は何も言う事が出来なかった。何と言っていいのか、分からなかったのである。
「行ってくる」
「はい…」
 祈るような気持ちで頷いた。何を願うのか、自分でも分からない。
 と、その時玄関のドアが叩かれた。
 ガン!ゴン!ゲン!
 牧歌的な破壊音に、咄嗟に狭霧が身構えたが、黒木が制した。
「よせ。胎児に母親の過激な運動は禁物だ」
「あなた…」
 さして身構えもせずに開けたのは、相手が分かっていると言うより、ろくでもなさそうな訪問者の接近に気付かなかった自分を思ったのかも知れない。
 立っていたのは狭霧には予想外――黒木には予想内のシンジであった。
「黒木、牛乳ある?」
 第一声がこれであった。
「え、ええ…」
「あっためて持ってきて。喉乾いた」
「分かりました」
 狭霧には任せず、自分で行った。マグカップに牛乳を注ぎレンジに入れる。回転するカップを見ながら、シンジが何をしに来たのかと考えたが、すぐに結論は出た。
 考えるだけ無駄である、と。
 自分がシンジの行動を読めた事は、ほとんど無かったのだ。先だって倉脇を守れたのは、ある意味必然の結果を考えただけで、推理と言うほどではない。
 そもそも、シンジの方に読まれていたではないか。
 湯気の立っているカップを持って玄関に戻る。
「うん」
 受け取ると、熱い牛乳を一気に飲み干した。
「悪くない」
 ありがとう、とも美味しかったとも言わない。
 カップを返してから、やっと狭霧を見た。
「順調?」
「え、ええ…」
「そうかい」
 どう聞いても、気になって訊いた、と言う風情ではない。
「出かけるぞ」
「どちらへ?」
「魔道省。最近顔出して無かったんで、たまには顔出さないと入り口の巫女さんに呪われる可能性が高い。どこへ行く気だったか知らんが、俺の用事が優先する。魔道省まで運搬よろしく」
「――分かりました」
「あ、ちょっと待て」
「何か?」
「産婦人科行く所だった?」
「いえ、病院は昨日行ってきました」
「ならいい。運転手よろしく」
 さっさと背を向けて歩き出してから、その足が止まった。
「亭主借りるぞ」
「……」
 すっかり目立つようになった腹をおさえるようにして、狭霧が深々と一礼した。シンジの境遇など、無論狭霧は知っている。
 魔道省へ行くのに、わざわざここへ来る必要など微塵もない少年であることも。
 碇中隊、とは良人が付けたネーミングだが、魔道省にはシンジに憧れる者が多い事位狭霧も知っている。
 黒木が着いた時、どんな空気が迎えるかは想像に難くない。
 運転手にさせる為ではなく――わざわざ黒木を迎えに来たのだ。
 ドアが閉まっても、狭霧の顔は上がらない。漸く上がったその顔には、一筋の涙があった。
 それは、狭霧がシンジを認めた初めての瞬間でもあった。
「若…」
 車の中で、黒木は遠慮がちにシンジを呼んだ。呼ばれたボンボンは、シートを倒して軽く目を閉じている。
「あん?」
「何故…わざわざ来て下さったのですか」
「俺の行動に理由と原因を求められてもね」
 目を閉じたままうっすらと笑ったシンジが、むくっと起きあがった。
「碇シンジの弱点はメンタルだそうだ。つまり、中途半端に力を持っているものだから何事に対しても、全力を尽くす事ができないらしい。要するに役立たずってことだ」
 一割は合っている。
 が、九割は誇張され、捏造されている。
 発言者が聞いたら、
「誰もんな事言っとらんわ!」
 と、逆さづりにされてくすぐられる可能性がある。もっとも高い可能性は、麻縄で雁字搦めに縛られたのち、服のあちこちを破いてからさくら達に進級祝いとして送られる事だろう。
「……」
「倉脇早善を解剖すれば、出てくる答えなんて予め分かり切っている。わざわざ出向くまでもなく、拉致してきても良かったんだ。そうすれば、料亭一軒無駄にする事もなかった。無論、黒木が半分成仏する事も。だから微妙に悪いと思ったの」
「そんな事は…」
「それともう一つ、魔道省には自分の国籍を忘れてる連中が多いかなと思って」
「国籍?」
「常に事実を誇張・捏造しながら恩義をきれいさっぱり忘却して、謝罪と賠償を求め続ける屑民族ならいざしらず、だ。法治国家のこの国にいるまともな国民なら、自国の総理が危険な目に遭っているのを見ながら放置はしない。それは当然の事であって、危害を加えるなんてのは論外」
 それが黒木に対しての事なのか、或いはシンジと黒瓜堂を指しているのかは分からなかった。
「何はともあれ、日本の総理はまだ安心出来るボディガードを持ってるってこった。着いたら起こして」
 それだけ言うと、再びシンジはシートを倒して目を閉じた。
 十四秒ほど経ってから、静かな寝息が聞こえてきた。
 魔道省に着いた黒木を出迎えたのは、やはり冷たい空気であったが、それらはすべてシンジの前で雲散霧消した。
 シンジの気が鋼鉄の盾と貸してすべて弾き返すのだ。
 最上階の部屋に着いた時、一瞬異様な空気が二人を包んだ。この階には、特にシンジを慕う者達が多い。
 それだけに、黒木の一件はとっくに知れ渡っていたのであろう。
「シンジさん、お久しぶりです」
「こう見えて結構多忙なボディなんだ。十六号、少し髪伸びた?」
 十六号と呼ばれた娘はくすっと笑って、
「シンジさんを真似して伸ばしてみました。似合ってますか?」
「二十五ヶ月早い」
 微妙な月日と共に、額を軽くつついた。
 チョン、とつつかれた途端、十六号の顔が真顔になった。
「先だって、築地のとある料亭が壊滅した折、官邸ではシンジさんへの追捕を検討したようですが?」
「何だ、知ってたのか。危ないな」
「危ない?」
「どこから洩れたか知らんが、それはそのまま国家存亡の折にも繋がってくる。仮にだけど、喚いて自分の無能さを広めるしか能のない女でも外務大臣になって、しかも政府の緊急移転先を漏らすような事でもあったらどうする?」
「そ、それとこれとは…」
「おんなじです」
 むにっと頬を引っ張ってから、
「立て札を出して碇シンジ追討令を検討した訳じゃないでしょ。一応機密事項には違いない。そんなのがあっさり洩れるようじゃ危険だと言っとる」
(……)
 シンジの言いたい事はよく分からない。
 ただ、シンジが黒木に妨げられた事を全く問題にしていないのは、どう聞いても明らかだ。
「俺が自ら乗り出した訳じゃない。危ない旦那一人に総理が簡単に殺(と)られたら、日本の安全神話は一気に崩壊する。まだまだ日本も大丈夫ってことさ」
 鉄鎖で縛ってピラニアと4Pさせてあげます、そう言って微笑む黒瓜堂の顔が眼前に現れ、シンジはぶるぶると首を振った。
 とりあえず、二泊三日で被検体を引き受けると、先に言い出した方が良いような気がする。
「シンジさん?」
「…あ」
 現実に戻り、十六号のすべすべした頬を両手で挟んだ。
「俺の言った事、了解?」
 じっと目を覗き込むと、頬をうっすらと上気させて頷いた。
 用が済むとさっさと手を離し、
「日本に於ける安全神話論に異見があるなら、俺が聞く。直接言ってきてね」
 声のトーンは至って普通だが、それの意味するところは明らかだ。
 黒木の事を問題にしてはならない、と一番の当事者であるシンジがそう言ったのだ。
 以後、何らかの含むところを持ってあの晩の事を口にする者は誰もいなくなった。天秤に乗せた場合、片側にはシンジの不興という極めて重い石が乗っかっているのだ。
 失言の報いとしてはあまりにも重すぎる。
「んー」
 魔道省を出て伸びをした時、後ろで妙な気配がした。
 人の形をしてはいるが人に在らざる者――ただし、シンジはよく知っている。
「珍しいね、こっちへ出てくるとは」
 自分に好意を持たぬ相手とは知りながら、シンジの口調はいつもと変わらない。
「お迎えに…上がりました」
 敵意と悪意と殺意が滲み出ぬように、苦労しているのがよく分かる。
「モリガンが俺を拉致してこいって言ったの?秀蘭」
 ゆっくりとシンジが振り向くと、立っていたのは美麗の中国娘、秀蘭であった。かつてシンジが魔界を訪れた折、子供扱いした事で敵に回した娘である。
 慕う姉を手込めにされて――手込めどころか最初シンジは興味すら無かったが――殺意と敵意に尾びれと背びれがついて現在に至る。
 ただし、シンジにその認識は全くない。
 
 
「何の用?」
 三十分後、シンジは魔界にいた。
 断っても良かった、と言うより気乗りはしなかったが、もしも秀蘭を手ぶらで帰した場合、自分を襲撃はしないだろうが、人形娘と決闘を繰り広げる可能性がある。
 似たような体躯で、同じくらい美しい二人だが、お互いへの敵対心は燃える溶鉱炉よりも熱く燃えさかっている。
 シビウがいればさっさと止めるだろうが、もしもいなかった場合――或いは機嫌が良くない場合――甚大な被害が生まれる可能性がある。
 どう考えても、戦いを挑まれて人形娘が引く事はあり得ない。美少女同士の決闘も悪くはないけれど、街から恨みを買うのは困る。
 だから出向いてきた。
 と言うより、派遣主もそれを見越した上で秀蘭を寄越したのだろう。姉同士――シビウとモリガン、妹同士――人形娘と秀蘭は不倶戴天の敵同士だが、姉妹の組み合わせが入れ替わった場合は、妙に仲がいいのだ。
「会いたくなったのよ」
 ある意味、赤面しそうな台詞を口にした魔界の女王は、湯船から顔だけ出してシンジを迎えた。
「そう」
 辺りを見回しても、特段変わった事はない。
 どうやら、本当に会いたいだけで魔界まで引っ張り出したらしい。
「引っ張ってくれないかしら」
 湯の中から白い腕が伸びてくる。黙って近づき、にゅうと伸びた腕を引っ張ろうとした途端、逆に引っ張り込まれた。
 予想範囲内の行動ではあったが、ある事を忘れていた――ここはモリガンの本拠地なのだ。
「服濡れちゃったぞ」
「今何て?」
「はん?」
「もう一度」
 湯を沸騰させてやろうかとも思ったが、
「濡れたと言ったんだ。三半規管に狂いが生じたか?」
 不意にモリガンが笑った。毒を含んだ美しい妖花のような笑みであった。
「つまり、もっと濡れる人がいればいいのね?」
 シンジの反応は待たず、始めなさいと命じた声には、甘いものは微塵もない。
「始め…!?」
 瞬時にアンテナを張り巡らせたが、上下左右に異変はない。 
 後方に感知した。
 ぎくっと振り向いたシンジの口がぽかんと開く。
「ご、ご覧下さい…」
 はらりと中国服を滑り落とした秀蘭がいた。地面に座り込んで脚を大きく広げている中心には、本来あるべきものが存在しない。
 無毛なのだ。
 片手は乳房に、片手は秘所に当てた秀蘭が、きゅっと唇を噛んでぎこちない手つきで自慰を始めた。
 初めは堅さが残っていたが、徐々にその頬が赤らんでくる。どんなにセックスの上手い相手でも、自分の身体は自分がよく分かる。
 ぷっくりと尖ってきた乳首を指の間に挟んでしごきながら、秘所に出し入れする二本指はたっぷりと濡れている。
 秀蘭の艶めかしい唇が、はあぅ、と熱い吐息を漏らし、たまらなくなったように四つん這いになるのを見てから、シンジは振り返った。
「ネタ?」
「贈り物よ。胸の大きさは違うけど、生えていないのはおな…んうっ」
「なーにが同じ、だこの大嘘つき。こんなになってるくせに」
 剛毛ではないが、髪と同じ色の淫毛が秘所を覆っている。シンジがそこへ手を伸ばしてきゅっとこすったのだ。
 当然裸で入浴しているし、突然の不意打ちに逃げる隙もなかった。一瞬肩が震えたが、それでも手を押さえようとも後退しようともせず、シンジの手はそのままに、
「わ、私の事ではないわ」
「つまんない事言ったらこのまま指入れるからね」
 それを聞いた時、モリガンの表情がぴくっと動いた。
 それもイイ、と思ったのかも知れない。
「アイリス――イリス・シャトーブリアンよ、あんっ」
 ぬるり、と指が侵入したのはつまらないネタだったからではない。予想のかなり斜め上にあった名前に、思わず指が滑ったのだ。
「アイリスがどーしたって?」
「抱くんでしょ」
 言った途端不意に身をよじった。するりと伸びた指がアヌスに、それも二本侵入したのだ。
 あっという間にとっ捕まり、シンジの膝の上で向きを変えさせたモリガンに、
「どうせお湯の中だからほぐれてる。問題ない」
「ぬ、濡れる筈ないでしょっ、きゅ、急にひぁっ」
 アヌスに突っ込んだ指をぐりぐりと動かしてから、
「で?」
 と訊いた。
「だ、だから…れ、練習台にしよ…はぁんっ…お、思ってっ」
 この辺り、責められなれていない分、シビウより初々しい――と言えば本人は怒るかどうか。
「何の練習に〜?」
 訊かずとも分かっているが、わざわざ訊いた。モリガンが身悶えする度に、指を千切らんばかりに締め付けてくるアヌスはいじりっぱなしだ。
「よ、幼女は初めてで…むうっ!?」
 不意に唇が重なり、舌が入り込んできた。これがマリアなら間違いなく用心した筈だが、ここにいるのはマリアではない。
 送り込まれた物を嚥下したのも、ある意味では余裕の表れかもしれない――できるならやってごらんなさい、と。
「もう、変な物飲ませないで」
 妖しい手つきで口元を拭ったが、驚いた様子はない。
 次の瞬間、その顔が染まるのと、シンジの眉が寄るのとが同時であった。文字通り全身が真っ赤に茹で上がったモリガンの肢体が震えだした途端、シンジの指が凄まじい圧力で締め付けられたのだ。
 前と後ろが同時にぎゅうっと締まった時、一瞬指が切れたような気がした。一瞬だけ圧力が弱まった瞬間に何とか抜き出す。
 とりあえず無事な我が指を見て、シンジはほっとした。
 欲情に耐えられなくなったように、両の乳房を揉み出したモリガンだが、股間へは手が伸びない。ギリギリの所でもじもじと脚をすりあわせている。
 シンジの前だから抑えている、訳ではない。一寸でも触れたら理性が飛ぶ、と自分で分かっているのだ。
 真っ赤な顔で紙一重の理性を保っているモリガンが、
「な、何を飲ませたのよ…」
「一つしかないでしょ――魔族専用のび・や・く」
 はふ、と吐息と共に囁いたのがとどめになった。
 声にならない叫び声を上げて、全身を弛緩させたモリガンが倒れ込んでくる。
「これだから、処女卒業したては早いんだ」
 あまり思っていなさそうな声で言うと、岩に寄りかからせてから、湯を滴らせながら立ち上がった。
 四つん這いになり、指も三本に増やして獣のような自慰に耽っていた秀蘭だが、初めて見る姉の痴態を呆然と見つめている。
 秀蘭の知るモリガンは、常に責め側であって受けに回った事など無い。まして、相手が気の狂うような快感に悶絶する事はあっても、まさかモリガンがそうなるなどとは想像も付かなかった。
 ついさっきまであられもない声を上げていた口元も、半開きのままモリガンを見つめていた秀蘭だが、シンジが近づいてくるのに気づき慌てて胸を隠した。
 が、全裸である。
 やむなくぺたんと座り込み、脚で秘所を、手で胸を覆った秀蘭だが、却って扇情的な格好になっている。
 汗と体液で身体は濡れているのだ。
「み、見るなっ」
 叫ぶように言ってから、
「み、見ないで…お願い…」
 蚊がシュプレヒコールをあげるような口調で言い直した。何があったかは不明だが、モリガンからはきつく厳命されたに違いない。
「いい、と思う」
「え…な、なにをっ…」
 何がいいのかに気づき、秀蘭は首筋まで染めた。魔族の娘に世辞は通用しない。
 裏を返せば、ストレートな意見と知ったのだ。
「また濡れてきた?」
「う、うるさいっ」
 少しトーンはアップしたが、所詮は蚊の仲間だ。
 さっきのがヒトスジシマカだとすれば、今度のはキンパラナガハシカ位だろう。
「濡れてないのは困るんだけど」
「何だと」
 全裸の少女に――無毛及び肢体は上気中――キッと睨まれたが、シンジが歩み寄ってその耳元になにやら囁くとその表情がふにゃっと緩んだ。
 淫靡で、とてつもなく邪悪な事に違いない。
「俺でもいいんだけど、姉妹同士の方が波長合うと思って」
 頬に軽く触れると、達した余韻の残っている妖艶な肢体には目もくれず、さっさと歩き出した。
 数歩行った所で足が止まる。
「ん?」
「こ、今回はその…れ、礼を言う…」
 シナハマダラカの鳴くような声であった。
 シンジは何も言わず、軽く片手を挙げて歩き出す。
 妖しい期待に頬を染めた妹が、怪しい薬の影響で全身が性感帯と化している姉の元へゆっくりと歩み寄ったのは、それから数十秒後の事であった。
 
 
「お疲れ。だいぶ上達した」
「うん。まあこれも偏にせい…もとい先生がいいからね」
「別にどっちでも」
「あんたってそう言うところ天然よね。まったくもってつまんないんだから」
 数日後、シンジは湯に浸かって月を見上げていた。
 アスカの教習は順調に進んでいる。坂道も覚えたしクランクもできた。バックもほぼこなすようになったから、とりあえず仮免中の大きな旗でも押し立てて、夜の首都高速でも走らせようかと思っているところだ。
 無論、ルーレット族のど真ん中へ突撃させる事は言うまでもない。
「結構楽しそう」
 邪悪に笑った時、入り口で人の気配がした。
(あれ?)
 入浴中の札は掛かってないが、わずかに結界は張ってある。以前アイリスに侵入されて以来、方針を変えたのだ。
 しまった、と呟いたのは大事な事を思い出したからだ――すなわち結界を張り忘れていた、と。
 いつも通り、タオルは身体に巻き付けてあるのでがさがさする必要はないが、入ってくるのが同性という可能性はあり得ない。おまけに複数だ。
 アイリスとレニなら分かる。それ以外だ。
 間もなく、さくらと織姫が入ってきた。
「おや珍しい組み合わせ」
 シンジと目が合った時、二人の反応は対照的であった。織姫の方は、きゃっと叫んで前をおさえたが、さくらの方は、
「あら?碇さん結界は?」
「忘れました」
 シンジの言葉に、にぱっと笑った。慌てて下を向いたが、シンジにはしっかりばれている。
 ツッコミは入れず、
「さくら、織姫送ってきて」
「はい?」
「顔真っ赤にして立ち竦んじゃってるし。結界忘れてごめんね」
「分かりました、送ってきます」
 くる、の部分の微妙なニュアンスに織姫が気付いた。
「ちょっと待って、今“来る”って言わなかった?」
 ええ、とさくらが当然のように頷く。
「だって折角入りに来たのに、碇さんがいたからって帰る事ないでしょう。別に変な事する訳じゃないし」
「そ、そう言う問題じゃ…」
 娘の与り知らぬ所で妊婦となっている母のみならず、幽冥境を異にしている父の一馬からもさくらの事は託されたシンジだが、さくらは無論知らない。
 本人の性格もあるが、シンジとの付き合いは妙に濃厚だったりする。
 なによりも。
「それにあたし初めてじゃないし」
「…え?」
(あ、馬鹿)
 内心で毒づいた数秒後、
「碇さん!それどーゆー事デスか!」
「んまったくもう」
 今日は月を見ながら長湯しようと思っていたのに、やっぱり世の中馬鹿ばっかりと声に出さずに呟いた。
 
 
 
 
 
(つづく)

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