妖華−女神館の住人達
 
 
 
 
 
第百四十七話:古の末裔(壱)
 
 
 
 
 
 シンジに帰国を急かした翌日、黒瓜堂とレビアの姿は出雲にあった。
 無論、綾小路葉子ではない。闇雲神社を訪れた二人は、応接間に通された。
 神社は一歩門をくぐれば、神主の力量は大抵分かるものだが、今二人を包んでいるのは“無”であった。
 かといって、主がボンクラというわけではない。その奥では主の力量を強烈に主張しており、何人たりとも侵し得ない結界にも似たものを感じさせる。
「彼女はまた腕が上がったな。前より一層気配が消えている」
「ねえオーナー」
「はい?」
「別にそういうの専門じゃなかったんでしょ?何で分かるの」
「君らしくもないことを。訪問先でのんびりとお茶を飲んでいて、四方の壁が一斉に襲いかかってきたらどうするんです」
「あの、うちは大丈夫ですから」
 白衣と緋袴――型通りの巫女衣装に身を包んで現れたのは、ここ闇雲神社を一手に仕切る闇雲那魅であった。元はAMPの一員だったが、今はもうこの神社を一人で守っている身である。
 勿論生活はあるのだが、アメリカ政府から大量に礼金は貰ってあるし、年に一度正月だけこの神社を開放する時は、那魅の巫女姿見たさに大賑わいとなり、それだけでも一年の生計は立ってしまう位だ。
「ここで心配はしていませんよ。一段と支配力が上がりましたね。これなら魑魅魍魎の類もまったく侵入出来ないでしょう」
「ありがとうございます」
 清楚に一礼してから、
「でも姉上からはまだまだだと。例え人を通しても悪霊は通さないようにしないと、一人前とは言えないのだと」
「無理なの?」
「ええ、やっぱりお正月は気分の悪くなる方が出てしまって…」
「困ったものね」
 湯飲みを取り上げて一口飲んでから、
「だったらいっそのこと、解放を止めちゃったら?別に困らないんでしょう」
「だ、駄目ですっ」
 大きな声を出した那魅に、黒瓜堂がレビアの腰をつねった。
(何するのよっ)
(あんたは黙ってなさい)
(…分かってます。勝手にやって下さい)
「ここで願い事をすれば叶うからみんなも来る。でも全部じゃ人間堕落するから、一年に一度にしている。でしたよね?」
「そうです。確かにうちの神社は霊験あらかたではありますが、だからと言って全てが思い通りになってはいけないのです。そもそも人間の努力と言うのは――」
 十分後、黒瓜堂は腰をおさえていた。
 さっきの仕返しとばかりに、レビアがおもいきりつねったのだ。
(余計な事してるのはオーナーでしょ)
(ちょっと地雷踏んだ)
 更に五分後、漸く口を挟む隙を見つけ、
「な、那魅お茶もらっていいかしら」
「あ、すみませんレビアさん。今いれますから」
「大丈夫よ。自分で出来るわ」
 レビアが立っていった後、
「ごめんなさい、私つい止まらなくなっちゃって…」
「いいんですよ。人が訊ねて来る事も少ないんでしょう?」
「ええ」
「まったくジャイアンもたまには来ればいいのに」
「あの、ジャイアンって?」
「ラリー・ジャイアン。イイネーミングで…あ」
「久しぶりだな、黒瓜堂。元気そうで何よりだ」
 チキ、と撃鉄を起こしたのはかつてAMPを創設したラリー・シャイアンその人であり、
「何だ、いるならいると最初から言ってくれないと。もう少しで秘蔵の写真を見せちゃう所でした」
「やっぱりお前だけは射殺しておく!」
「ま、待って下さいラリーさん、駄目ですっ」
 慌ててラリーを羽交い締めにした那魅に、
「冗談だ那魅。いくら私でも、この神社を血で汚す気はないよ」
「もう…ラリーさんたら冗談きついんですから。それで黒瓜堂さん、今日は何かあったんですか?」
(ラリーさん、目は笑ってなかったし…)
「ええ」
 頷いて、
「ラリー、最近暇ですか?」
「忙殺でもないがな。それより花組とか言ったな、児戯を黙って見ている気か?」
「花組自体では所詮児戯だが、育成計画に励んでいるのはシンジだ。自分が正義の使者になるのはご免だというのは、分からない事もない。生温く見守るつもりだ」
「生温く、か。まあいいだろう」
「シンジとは知り合いだったか?」
「会った事など無い。だが相手が降魔であれ妖魔であれ、潰せる時に潰しておかないと後悔するぞ。それ位は知っているだろう」
「分かっている」
 黒瓜堂は頷いた。
「当初のAMPは間違いなく、N・Yを跋扈する妖魔より能力は下だった。それを香津美・リキュールに拘ったせいで最終的には敗北を喫する事になったのだ」
「そうだ」
「とはいえ、ガレーン殿のおかげで君も妹と暮らせているし、香津美・リキュールも想い人を失わずに済んだ」
 一度は敵となり、心を取り戻したものの仲間に討たれたラリーの妹は、魔道士ガレーン・ヌーレンブルクの手で命を与えられたのだ。
「それには感謝している。しかしだな」
「ん?」
「なぜガレーン殿は貴公のような男に腕を創ったりしたのだ」
「写真の束如きで部下を売る上司に言われたくないが」
「ほほう」
 ピキッと室内が殺気だったところへ、
「まあまあお二人とも。ラリー署長、私も今では黒ちゃんの所で良かったと思っています。後悔はしていません」
「私はもうとっくに署長ではないよ。真奈が立派にやってくれている…で、本当に良いのか?…レビア?」
「い、いえ…大丈夫です」
(黒ちゃんと呼ぶなって言ったろうが。帰ったら覚えてろ)
 意思伝達だけで脅迫されたのだ。
「そうそう、忘れていました。今日来た目的なんですが、夢幻の二人に連絡をしておいて下さい」
「あやねとかすみに?」
「そうです――碇シンジが間もなくこの地に来ると」
 黒瓜堂の口許に邪悪な笑みが浮かんだ。
「もしや封印を解きに?」
「まさか。第一、シンジはその事すら知りませんよ。女神館の住人達のレベルが低いから、あの子に会いたくなったのでしょう。帝都に出没する降魔の事は知っているでしょう」
「勿論です」
「その連中のボスなんですが、うちの店員で片づけようかと考えています」
「黒瓜堂さん?」
「無論、正義ではありませんし、あの娘達の仕事を取る為でもありません」
 不意に室内に静寂が訪れた。
「黒瓜堂殿、自分の言っている事を分かっているのか?」
 口を開いたのはラリーであった。穏やかな口調だが、その裏には峻烈な刃を含んでいる。
「分かっていますよミスラリー。もしも連中がそれに気付かなかったら、ウチも出番はありません。出来れば避けたいものです――ガレーン・ヌーレンブルクが命を賭けて封じた物を解く事は」
「レビア」
「はい」
「とんでもない所に就職させてしまったようだな」
 いいえ、とレビアは首を振った。
「ボンクラでは文字通り生き残れない。だからこそ楽しいんです」
「そうか…」
「随分な言われようだがラリー、一つ忘れていませんか?」
「忘れている?」
「決戦が帝都なら、人的にも経済的にも被害は甚大です。でも聖地なら、被害の規模は比較になりません」
「それはそうだが…」
「じゃ、那魅殿、連絡の方は頼みましたよ。きっちり煽っといて下さい」
「了解しました」
 那魅がにこっと笑って応じ、にゅうと伸びた手が握手される。
 悪巧み成立――。
 
 
 
 
 
「な、何をしてるの一体」
 市内の散策から戻ってきた瞳は、一瞬ぎょっとして立ち竦んだ。
 教師がミサトで花組の者達が生徒、の筈だった。
 がしかし、目の前の光景はどうみても十字架に掛けられている者達と、それを嬲るミサトの図にしか見えない。
「あ、お帰り瞳。巴里見物は楽しかった?」
「うん、久しぶりだったから…って、ミサト何やってるの」
「大した事じゃないわ。ただ、この連中がボンクラだから、ちょいとヤキをね」
「ちょいとってあなた…」
 確かに出血してはいないが、隊員達の身体を拘束する蔓からは相当な快感乃至は苦痛がもたらされていると見えて、コクリコとロベリア、それに一郎はもう失神している。しかも皆、揃って衣服が破れており、白い肌があちこちから覗いているではないか。
「こういう事はね、生かさぬように殺さぬようによ」
 ミサトがにっと笑う。
「大神に流れたのは電流で、この小娘共に流れたのは快感よ」
「で、でも皆処女でしょう」
「なーに言ってるのよ、そんな訳無いじゃない」
「え?」
「みーんな隊長とお楽しみよ。と言っても、ここから得られる快感はそんなの比じゃないけどね」
「ど、どれ位なの」
 ちょいちょいと手招きし、瞳の耳元に口を近づけ、
「全・身・性・感・帯」
 ぞくりとするような声で囁かれ、瞳の顔がかーっと赤くなる。
「瞳もやってみる?とってもイイわよ」
「結構よ。それよりそろそろ下ろさないと、この子達まずいんじゃないの」
「私の知った事ではない。大体シンちゃんがこっちで女作ってイライラしてるというのに、この子達と来たらまったく使えないんだから」
「ねえミサト、その事なんだけど」
「何よ」
「このエリカって子はずっと一緒にいた?」
「エリカ?ずっと一緒よ。一時間も外出はしてないわ」
「じゃあやっぱり…」
「どうしたの」
「数日前、この子が長身で長い髪の人とホテルに入るのを見たような気がしたのよ。多分あれシンジ様だったのよ。でも一緒にいたのはこの子じゃない」
「どういう事…まさか!?」
「多分そのまさか――シンジ様と一緒にいたのは敵の女よ」
 すうっとミサトの顔色が変わったそこへ、携帯が鳴った。
「はいもしもし…シンちゃん!?シンちゃん、今一緒にいる女は…え?」
「分かってる。分かっているよ姉貴」
 電話の向こうから聞こえたのは、弟の静かな声であった。
「相手が誰かも知らんで、嬉々として抱いてる訳じゃない。そんな事より急用が出来たんで帰国する」
「帰っちゃうの?」
「帰る。それより姉さん、巴里花組と隊長の関係はどうなってる」
「一郎ちゃんと隊員達?ハーレム状態よ」
 あえて聞こえるような声を出したミサトに、まだ生き残っている娘達に顔がぽうっと赤くなる。
「わ、私達はそんなハーレムだなんて…ぽっ」
 語尾におかしな物を付ける娘は放って置いて、
「シンちゃん、それがどうかしたの?」
「大神一郎の偽者には気を付けるように言っておいて。多分一人じゃないから」
「エリカ・フォンティーヌ抱いたんでしょ」
「え!?あ、あたしそんな事してませんようっ」
「アンタの事じゃないからちょっと黙ってなさい」
「姉貴の言うとおり、模写だ。それもほぼ完璧のやつ。もっとも、俺は隊員の顔なんて知らなかったから無意味なんだけどね」
「そっか…」
 何となく気に入った、ならまだしも単純に騙される事は、シンジの場合ほぼあり得ないと言っていい。
 その子の事気に入ったの?とそう言いかけて、何とかミサトは踏みとどまった。
 自分はもう人妻なのだ。もしそうだとしても、口を出せる立場ではない。
 寂寞を抑えて言葉を飲み込んだミサトに、
「巴里の連中が戦っている相手の全貌が見えたよ」
「え!?」
「姉さんならすぐ探り出せると思う。一応、一発かましておいたから。じゃ、後は頼んだからね」
「ちょ、ちょっとシンちゃんっ?シンちゃん!」
 電話を切ってから、
「瞳」
「なに?」
「あたし…完璧に振られちゃったわ。疲れたから少し寝る。あの子達下ろしておいて」
「了解」
 瞳は何も言わず頷いた。
 とりあえず、この場はそれがいいと思ったのだ。突っ込み所ではあっても、ここはそっとしておくのが友人というものだろう――理由が明快な涙ではあっても。
「あのっ、瞳さんっ」
「どうしたの」
「さっきあたしを抱いたとか言ってたみたいだけど…あたし、もしかして夢遊病になっちゃったんですかっ?」
「え?」
「だ、だってエリカは大神さん一筋って決めてるのに、知らない人とエッチな子とするなんて夢遊病になったとしか…」
 潜在能力はトップレベルなのだが、この辺りは最下位である。内心で小さくため息をついてから、
「あなたを抱いた訳じゃないわ。ただね、敵の中に人をそっくりに模写出来る者がいたみたいなのよ」
「そ、そうなんですか」
「ええ。あなたは身も心も大神さんの物なんでしょう?」
「はいっ、勿論ですぅっ」
(能力は高いんだけど…)
 うーんと、首を捻ってからはっと気が付いた。
(ハリセンでツッコミいれる人が居ないんだわ…)
 
 
「なるほど、そう言う事ね」
 シンジの事だから、どこかの料理学園にでも電話するのかと思ったら、掛かった先は喫茶店であった。
 マユミから話を聞いた泪は軽く頷き、
「シンジ様からお話は聞いています。多分二週間がリミットで電話がある筈だから、女神館に行くようにと」
「そ、そこまで…」
「そうでなかったら困るでしょう?」
「はい?」
「私が何も聞いていなかったら、国外へ行っていたかもしれないわ。もしそうなってしまったら、あなたの手助けは出来なくなってしまうもの」
「は、はい…」
(きれいなひと…)
 別にマユミはそっちの気はないが、泪の全身から漂ってくる成熟した色香に圧倒されていた。帝都花組だけではなく、他の住人だって端から見れば十分美人だったり可愛かったりするのだが、シンジの知り合いとなるとまた別格なのだ。
 おまけにシビウや戸山町の若き当主と来れば、シンジが美形コンプレックスになるのも無理はない。
 シンジだって平均よりは上だが、如何せん比較対象のレベルが高すぎるのだ。ひょんな所で、マユミはシンジの気持ちが少しだけ分かったような気がした。
「それはそうとマユミちゃん」
「あ、はい」
「とりあえず女神館にお邪魔するから。実地で作った方が分かり易いでしょう」
「はい、お願いします」
「でもその前に見せておく物があるの。ついてきて」
 一転して口調の変わった泪の後に慌てて続く。
 泪に通されたのは地下の一室であった。
「私達の絵画コレクションよ。これを見ても気は変わらないかしら」
「どれも高そうな絵ですけ…え?た、確かこの絵はどれも盗み出された物ばかりの筈…それがどうしてここに…」
 泪は黙して答えない。
 ちょうどそこに、愛がコーヒーを持ってやって来た。
「最近はだいぶ上達したんだよ。さ、どうぞ」
「ありがとうございます…あらメッセージカードですね」
 真っ白な紙を裏返すと、そこには猫の顔が描かれており、それを見た時マユミは泪達の正体を知った。
 そう、それはマユミも数回見た事のある犯行予告カードであり、それを使っていた怪盗の名前をキャッツアイと言った筈だ。
「さ、気は変わった?」
 カップを取り落とさずに済んだのは、日頃から積んでいる修練のおかげだったろう。
 それがなければ、間違いなくマイセンのカップは床に落ちていたはずだ。
 
 
「お帰り。ご苦労様でした」
「ううん、大したモンじゃない。それより、わざわざの迎えすみません」
「いいんですよ。ちょうど手が空いてましたから。それでオーク巨樹の方はどうしました」
 悪巧みで機嫌がいいから、とは無論言わない。
「旦那に言われた通り、眠らせてあるよ。所詮植物だし、燻しておきました」
「それは名案。帰りの便には不埒な客など居なかったかね」
「帰りは静か。ハイジャック野郎なんかいたら、素ッ首落として窓から捨てようと思ったんだけど、誰もいなくて残念。それで、サリュに何かあったの」
「ええ。やはりオーク巨樹の影響を完全に断ち切るのは不可能と判明しました。分身、と言うよりは本体に近い存在で、影響は消えません」
「やっぱり…そっか」
「分かってた?」
「そうじゃなくて」
 シンジは首を振り、
「もう大丈夫です彼女は人間ですよ、そう言うなら俺に帰ってこいなんて言わないでしょ。オークを眠らせろって言われた時に、何となく分かったんだ」
「そうでしたか。着いたら起こします。少しお休みなさい」
「うん」
 一分と経たず、すやすやと寝息を立て始めたシンジに向かって、
「一睡もしてないのですか」
 黒瓜堂は奇妙な事を訊いた。
 返答はすぐにあった。
「一睡もしていない。機内ですら眠らなかった。おそらく、あの娘の事がよほど気になっているのだろう」
「そうでしたか」
「言っておくが勘違いするなよ。私は、あの娘の消滅を願ってなどおらぬ。素直に喜べぬ部分はあるが…だからと言って消滅を願うほど落ちぶれてもおらぬ」
「分かっているフェンリル小姐。それはそうと」
「ん?」
「お望みなら薬を作って差し上げますが。いつまでも、主の痴態を見るだけではつまらないでしょう?」
「ふん、くだらん。くだらんが…一応訊いておく。何を望みだ」
「細胞を少々頂く。ちと、作りたい物がありましてね」
「そんな事だろうと思った。ふん、くだらんな」
 フェンリルがぷいっとそっぽを向いて消えてから数分後、
「取りあえず考えておく。貴様、約定は違えんだろうな」
「黒瓜堂の名に賭けて」
「どのくらい持つ」
「一日位は可」
「ふん」
 黒瓜堂の主人はニマッと笑った。
 揺れ動く心に、結構な手応えを掴んだらしい。
 
 
「私…多分住人達の中では、マリアさんに次いで碇さんの事知ってると思うんです」
 俯いていたマユミの顔が上がった。
「さくら達みたいに恋愛感情はないけれど、理解はしてるつもりです。この街を守るとか正義の為とか言うのは…その為には人を斬る事もあるし、またそれを背負ってもいかなきゃならないんだって事も。それに、必要なのは能力であって建て前じゃないと思うんです。だから、お願いします」
「なるほど、ね」
 泪は軽く頷いてから、
「じゃ、シンジ様がそこまでご存じじゃなかったら?確かに、私達はシンジ様に捕らえられた後、御前様の護衛を任されたわ。泥棒を捕まえて、それをその日の内に祖母の護衛にするなんて、並大抵の人には出来ない事よ。でも、もしそうじゃなくて普通に知り合いだと紹介されていたら?シンジ様もご存じなくて、あなたが初めて聞いたのだとしたら?」
 意地の悪い質問だとは分かっていた。
 ただ、シンジに言われたからだけが理由では、少々自主性が足りない。別の言い方をすれば、泥棒を使うのはシンジに言われたからであり、自分にその気は無かったとも取れるのだ。
「お願いしています」
 意外な事に、マユミの答えは即答であった。
「碇さんと会う前なら別かもしれませんけど、私碇さんと会っちゃってます。レニが来なかったら、碇さんは間違いなく御前様を殺してました。その碇さんにお世話になっておいて、泥棒は駄目だとか言うほど、私は厚顔無恥じゃありません」
「ふむ…いいんじゃない泪姉。分かってるみたいだし」
「そうね。ただし、反対する人がいたら何も言わず、見てお出でなさい。いいわね?」
「反対する人?」
「女神館の娘さん達が、全員受け入れる事はあり得ないから。最低でも一人は反発するわ。その時にあなたが何か言うと、却ってややこしくなるかもしれないから」
「分かりました」
「じゃ、ちょっと行ってくるわ。愛、永石さん、後はお願いね」
「行ってらっしゃいませ、泪お嬢様」
「後は任せておいて」
 泪の後に続いたマユミだが、泪の言葉がぴたりと的中し、しかも人数まで的確に言い当てている事は、この時点で知る由もなかった。
 
 
「サリュ、サリュ」
 ぺちぺちと頬を叩くと、サリュはうっすらと目を開けたが、
「そう…私はもう死んだのね。下界のシンジを夢に見るなんて…あうっ!?」
 ピシッ。
「さっさと起きろー!」
「あ、あれ…シ、シンジ?シンジなの!?」
「うん。旦那から召還命令が出たから帰ってきたの」
「…シンジッ」
 危険だから完全隔離して生命維持装置を付けた事は、無論シンジには言ってある。維持装置を外しても落ち着いているのは、本体が眠っているからだと黒瓜堂は判断していた。裏を返せばサリュの容態が変化した時は、巴里のオーク巨樹が目覚めた時と言う事になる。
 既に別れは済ませたと言っていたが、無論本意ではあるまい。目に涙を溜めてサリュに抱きつかれると、シンジの目からもつうっと涙が落ちた。
「五精使いの分際でもらい泣きするとは、最近涙腺が緩んでないかね」
「ほ、ほっといてよ」
「その予定だ」
「え?」
「黒瓜堂の名に賭けて、預かった客人の中から死人を出すわけにはいかん。今から二刻の間、この部屋を完全に遮断する。君が巴里でオーク巨樹の封印に失敗した可能性もあるからな。それと」
 シンジにすっと近づき、
「肌を重ねていれば彼女の容態も回復するはずです。どうせ、帰りの飛行機の中では彼女の肢体を想像して身悶えしていたのでしょう?」
 怪しい口調で囁かれ、
「だっ、誰がそんなことっ!」
「シンジ…本当なの?」
「え?」
「本当なら、その…嬉しい…」
 聞かれていたらしい。
「う、うん…」
 揃って赤くなった二人にうっすらと笑い、
「ここまで相性がいいとは、羨ましい事です。では」
 黒瓜堂が出ていった後、シンジの感覚は完全に張り巡らされた結界の存在をキャッチしていた。さっきまでは、一部に穴が開いていたのだ。
「ねえシンジ…」
「なに?」
「シンジにお礼言ってなかったわ。このお店に送ってくれたこと、本当にありがとう。あの人達じゃなかったら、私を完全な結界に封じる事は出来なかった…ううん、それどころかシンジがオーク巨樹を滅ぼして、私は苦しみながら滅んでいくだけだったかもしれないもの」
「正直に言うと、俺はそこまで深読みはしていなかったんだ。でも、旦那なら余計な事言わなくても全部やってくれると思ったし。多分、サリュを連れてオーク巨樹退治に行けって言うと思う」
 シンジはそこまで言うと、サリュの目をじっと見つめた。
 サリュを連れて行くだけなら、二人きりにする筈がない。そこに織り込まれている物が何なのか、二人は言葉にせずとも分かっていた。
 すなわち失敗の可能性を。
 黒瓜堂の総力を挙げても、結局結界を張るしか手だてはなかった。シンジの精で満たされていれば、或いはオーク巨樹の影響を上回るかもしれないが、絶対ではないのだ。
「来て…」
 服をはらりと落としたサリュが両手を差し伸べる。
 短期間で急激に美しくなったような肢体を、シンジはきゅっと抱き締めた。
 黒瓜堂の主人が言った通り、結界はきっちり四時間後に解けた。
 中から姿を見せたのは幾分顔が赤いシンジと、首筋までうっすらと染めた上に、全身からぞくりとするような色香を漂わせたサリュであった。
(はて…?)
 ただし、どんな新婚夫婦でも真似出来ぬような空気に包まれて現れた二人は、主人が僅かに首を傾げた事には気付かなかった。
 
 
 
 
 
(つづく)

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