妖華−女神館の住人達
 
 
 
 
 
第百三十五話:噛む女
 
 
 
 
 
 シンジが管理人としてこの女神館にやって来て、今まで女しかいなかった所に男が加わった。
 普通は圧倒されるか欲情に溺れて放逐されるか、大抵はそのどちらかだが、シンジの場合はいつも我が道であり、住人達もその例には漏れなかった。
 とは言っても、別段集団生活だからと強いるわけでもなく、ごく当たり前のように今までの生活を変えていく。
 例えば、共同生活だから時間だの規律だのを守れと言うより、美味しいご飯とおやつが時間に合わせれば出てきて、その代わり時間通りに行かないと出てこない方が、必然的に時間は合ってくる。
 食う・寝る・遊ぶ、人間の三大欲求だが、食うと言うのは最も優先される。
 人間の本能を刺激した方が強制するよりも効果はあるし、最も大きいのはシンジにその気がない事だ。住人だってそう間抜けではないし、シンジが手段としてそれを選んでいればそれ位は見抜く。
 処女の調教には単純が一番…もとい、集団の和を為すにはシンプルが一番という事になるのかも知れない。
 がしかし。
 年度最優秀賞を取りそうな管理人がすっと消えた場合、後を任された者は大いに迷惑するのではないだろうか?
 
 
「…こら、人の話聞いてる?」
 シンジが周囲を見回したのは、十五秒ほど経ってからの事である。それもその筈で、出雲に行くと言い出したシンジに、まったく無反応だったのだ。
 さてはこの娘共俺の存在を無視する気かと思ったところへ、
「冗談でしょう?」
「…ナヌ?」
「だって、私達まだ魔界に行きだしたばかりで、エヴァなんて全然触れないんですよ?その時期に私達を置いて何処に行こうって言うんですか」
 ひな鳥じゃあるまいし、そう言いかけたのを寸前で止めて、
「もしもしさくらちゃん?」
「駄目です却下します」
 何で俺が束縛されなきゃならないんだと、
「俺がどこに行こうと自由でしょ。ね…え?あの、もしもし?」
 ふるふる。
 数名が揃って首を振っており、残る者も意味合いは違うが賛同の色はない。
 俺の自由は何処に行ったと胸の中でぼやいてから、
「まあいい。別に今すぐ行く訳じゃなくて、とりあえず君らと機体のチューニングが済んでからだから。それにもう降魔退治の指揮は任せてあるし」
「どうして今なんですの?別に降魔が片づいてからでもいいじゃありませんの」
「女の子を待たせるものじゃない」
 ピクッ。
 ついシンジが口走った途端、何人かの眉が動いた。
 ただしシンジは気づかぬまま、
「い、碇さん、その方とはお約束がおありですの?」
 一番平静なすみれが訊いたが、訊いた途端ちょっと後悔した。
「ア?」
 シンジの眉がにゅっと上がったのである。とりあえず、どう見ても恋人との逢瀬に出かける表情ではない。
「約束〜?」
「い、いえっ、何でもありませんわっ」
 慌てて首を振った。
 ただでさえ余計な事を口走って絶頂を逃したばかりである。ここでシンジを怒らせでもしたら、二度と口づけすら出来なくなるかもしれないのだ。ここは一つ、誰かに地雷を踏んでもらうのがベストである。
 あまりフェアではないが、これは勝負なのだ。こんなところで早々にリタイアするわけにはいかない。
 がしかし。
「じゃシンジ、約束もしてないお――人のところに何しにいくのよ」
 女、と言いかけて止めた。微妙な知り合いだった場合対戦車用地雷になりかねない。
「お仕置き」
 シンジの答えは短く、そしてはっきりしていた。
「『お仕置きって…』」
 その答えを聞いた時、娘達の心を過ぎったのは何故か軽い妬心であった。誰ぞがシンジを怒らせて火炙りとか釜ゆで、と言うわけではないと何となく感じ取ったのだ。
(憎っ)
 でもって、すみれの心に浮かんだのはこれであった。
 自分が導火線を踏み掛けて慌てて退いたというのに、アスカはあっさりとクリアしてしまったではないか。
(見ィてらっシャイ)
 すみれが雪辱を誓った時、
「おにいちゃん、それで何時帰ってくるの?」
「分からない。ま、いざとなったら君らが完敗してもあやめがいるし」
「あやめお姉ちゃん?」
「この間から順調に開発が進んでる。霊刀持たせての効果はメンバー全員足したより上だから。だから俺も安心して出かけられるってもんだ」
「そう。それなら大丈夫――って言うと思ったの?」
 きゅっ。
「ふぐっ?」
 アイリスに、それも両手で首を絞められ思わずシンジは喘いだ。吐き出した時ならまだしも、吸気の時だっただけにダメージ大である。
 クリティカルヒットを受けたシンジが、
「何か俺に殺意でも持ってる?」
「おにいちゃんを殺してアイリスも死ぬんだもん。どうせおにいちゃんもう帰って…いったーい」
 スパン!
「一人で棺桶入ってろ」
 つまみ出して、
「とにかく!ヘボ管理人の一人や二人居なくたって狼狽えるんじゃないの。君らは選ばれた娘でしょ。どの子だって、その辺で迷っていたのを拾ってきた訳じゃないよ」
「だ、だけど…」
「大丈夫。今は単なる役立たずだが、君らを選んだのは碇フユノだ。自信持っていい」
「分かったわシンジ」
 一瞬の沈黙の後、最初に口を開いたのは意外にもマリアであった。
「シンジがそこまで言うなら、ちゃんと留守は守ってる。シンジだって、私達があっさり敗退するとは思ってないから任せるのでしょう」
「無論だ。それでマリア」
「なに?」
「内の事はお前に任せるからね。しっかり番してるように。外の事は全権あやめに任せるから特にさくら」
「あ、あたしですか?」
「そう、さくらと書いて問題児と読むお前だ」
「ひ、ひっどーいあたし別に問題児なんかじゃ…」
 口を尖らせて抗議しかけたが、途中で止まった。
 シンジが一瞥したのである。
 睨まれた訳ではないが、シンジの根拠を一瞬にして思い出した。
「もっとも可能性が高いのはさくらだが、他のメンバーにも言っとく。あやめには、ウチの住人共が言う事を聞かなかった場合、腕の三本や四本は折っていいと言ってあるからね」
「!?」
 無謀だとは思わない。
 シンジがここまで言う以上、それなりの根拠はあろう。しかしこれほどの強硬策をシンジが許可するとは思わなかったのだ。
 今度こそ、場が完全に静まりかえった。
「あ、あのよ大将…」
 おそるおそる切り出したのはカンナだが、この状況を打開できそうなのはマユミかカンナ位だったろう。
「何か?」
「べ、別にあたい達はあやめさんの言う事を聞かないなんて気はないよ。なあ、みんなだってそうだよな」
 僅かながらも頷くのを見て、
「そ、そこまで強硬な事しなくても、いいんじゃないかな」
「ほう」
 シンジの声にカンナは背筋が凍ったような気がしたが、
「あやめは斬り込む訳じゃない。つまり現場にいるわけじゃないからね、絶対服従は必要なんだ」
 シンジの声は穏やかであった。
「現実問題として、さくら辺りはまだ従えない筈だ。あやめとかえでの無能振りは知ってるからね」
 自分の言葉を否定するような事を口にしたが、
「でも、俺から見れば君らよりは遙かに役立つ。素材の問題もあるが、何より修羅場を抜けた人間は強いよ。経験値ってのは、いざという時紙一重の差になる」
「あ、あのシンジ」
「どした?」
「その…正直に言って欲しいんだけど…」
「住人達の正確なスリーサイズとたいじゅ…ほぶっ!?」
「何でアンタがそんなの知ってるのよっ」
「管理人の基本て言うんですか?これを知らなきゃ管理人にはなれないの」
「…まあいいわ。とにかくその…あ、あたし達ってシンジの言うレベルにまであがれるの?それとも…無理なの?」
「無理」
 答えは即答であった。
 ある程度予測はしていたが、予想を遙かに超えるスピードで、さすがにショックは隠せない。
 ただし、
「アスカの言うのが文字通り要求したいレベルって事なら、俺なんていなくても自分達で降魔を処分出来るランクって事だから。それは無理って最初から分かってる」
「…あんたそれ嫌がらせって言わない」
「大丈夫、別に要求はしないから。自分は一高もない分際で、結婚相手には三高を望む厚顔無恥な女の真似はしない」
「そ、そう言うモンなの?」
「そんなもん。ま、どこぞの馬鹿が名無しで答案出したりしなかったら今頃ここにはいないんだし、何とかなるでしょ。そんな事より、ちゃんと学校は行くんですよ。寝坊したりしたりさぼったりしたら、帰ってから釜ゆでにするからね」
「分かってるわよ、そんなの。もう茹でられるのだけはごめんだからね」
「何ならいい?」
「それはまあ気持ちいい方が…こら」
「ちょ、ちょっと待った訊いただけじゃない、何でそこで怒るのさ」
「う、うるさいわねアンタが悪いのよっ」
「アーウチ!」
 一撃も絞首――何故か身体の接触重視が多い今晩だが、元から気にしないシンジは気づいていない。
 だいたい初対面からして、全裸の娘の乳を揉んでみたり茹でられかかったりと、或意味キてる出会いであり、今更この程度ではピクリとも来ない。
 ほとんど抱きつくような格好の締め上げから何とか解放され、
「行く前に機体合わせはしていくから。じゃあね、おやすみ」
 出て行きかけたが、
「あ、そうだ山岸」
「私ですか?」
「そう私。ちょっとお部屋までいらっしゃい。ちゃんとシャワー浴びてきてね」
(な、何て事をっ!)
 思わずマユミが心の中で叫んだのは、あまりにもタイムリーな“ディスペンサー”だったからだ。
 思わぬ伏兵に向けられた殺気に近い視線を全身に感じながら、マユミは何も言わず立ち上がった。
「私に何か恨みでもあるんですか」
 返答次第では小一時間問いつめてやると決意したが、
「山岸に俺の大事な物あげるから」
「は?」
 奇妙な答えに首を傾げたが、次の瞬間しゅるしゅると服を脱ぎだしたのには度肝を抜かれ、
「い、碇さん駄目ですそんな事急にっ」
「何が?」
「…え?あれ?」
 そっと目を開けると、確かに服は放り出されているが、別にシンジは半裸にもなっておらず何やら抱えて戻ってきた。
「あ、ごめんね服脱ぎっぱなしにして」
 三枚着ていたのが一枚になったらしいが、絶対わざとに決まっている。
 留守中部屋に強力なトラップを仕掛けてやると即決した所へ、シンジが書類を持ってきた。
「これは?」
「お料理のレシピ。普段作ってるのを三十種類くらい書いてみたから。俺がいないとどうせ料理は山岸に押しつけるでしょ」
「え、ええ…」
「山岸の手なりで作るなら要らないかもしれないけど、どうする?」
(しまった…)
 マユミは基本的な事をすっかり忘れていたのに気づいた。
 確かにシンジの言うとおりなのだが、前任者はシンジなのだ。マユミの見たところ、特に変わった材料を使っているわけではないが、しかし評判は自分の時よりも確実に数段上だ。
 おまけに、自分が食べても美味しいときた。
 と言う事は、少なくともこれに近い物位は作らないと、我が儘な小娘共に何を言われるか分かったものではない。どの程度の物が作れるかは分からないが、これを貰わずにシンジがさっさと行ってしまってたらどうなったかと、マユミはぞっとした。
「はーあ、シンジの作ったのって美味しいわよねえ」
「やっぱり碇さんでないと駄目ですわよね」
「マユミのも決して不味くはないのよ。でもね…」
 間違いなく発狂してしまうだろう。
「あ、ありがとうございますっ」
 とっちめる事など完全に忘却し、深々と頭を下げたマユミに、
「うん。あ、それからこれを」
 渡された紙には電話番号が書かれている。
「碇さんの連絡先ですか?」
「Ne」
 シンジは首を振った。
「俺の携帯は預けておくから基本的に連絡はつかない。嬲って楽しんでるから邪魔しないでね」
「は、はい…」
(やっぱり彼女と…)
 マユミが当たらずとも遠からずな事を考えた事は知らず、
「どうしても料理がうまく行かなくなったら、そこに電話して。切り札が用意してあるから」
「切り札?」
「そ、切り札。ただし、そう簡単に電話するんじゃないよ。安い相手じゃないからね」
「わ、分かりました」
「それと、朝食の用意は面倒だからいつもの店に手配してある。寝坊してる娘はたたき起こして連れて行って。任せたよ」
「分かりました。おやすみなさい」
「おやすみ」
 静かに閉まった扉の向こうで、
「自信?そんなのあるわけないじゃないですか」
 マユミは小さな声で呟いた。
 
 
 翌日、学校が午前中で終わった住人達を連れてシンジは帝劇の地下に赴いた。念のため乗らない住人達は置いてきた。
 仲直りはしてるはずだが、また紅葉とレイが喧嘩でもしたら面倒だ。
 渡された資料で、機体に途方もない改造が施された事を知り、皆一様に驚いた表情を見せたが、仰天したのは起動した時であった。
 起動するだけなのだ。
 そう、まったく動かない。
 無論シンジには当然の結果だし、少し前までの住人達なら、動くどころか起動すらしなかったろう。起動出来ぬまま霊力だけを消耗し、下手したら脱力した操縦者を乗せた暴走していたかも知れない。
「ど、どうして動かないんですの」
「そんなモンだから。確かに魔界へ数度行ったことで霊力の底上げは出来たけど、使いこなすにはまだまだ時間が掛かる。そう簡単に乗りこなせるほど単純な改造はしてないよ。改造の指揮を執ったのは藤宮紅葉、作業にあたったのは魔道省の精鋭達だ」
 碇シンジのサインとキスを要求されたけど、とは勿論言わない。
「あ、あとどれ位掛かるんですの」
「実戦に使える位には…そうね、あと一ヶ月位かな。ただし、学業優先の君らだとそうはいかない。こんなの優先して留年したら一大事だ」
「で、でもそれでは…」
「大丈夫、ここに暇持て余してるのが一人居るから。この子にやってもらおう」
 シンジの指が向いた先はマリアであった。
「私?」
「そう私。どうせ暇でしょ」
「……シンジ」
「何?」
「なにじゃな――」
「あたいもやるよ大将。マリア一人だけ行かせるわけにはいかないぜ」
「行くなとは言ってない。桐島にも行ってもらうつもりだった」
「え?」
「ただ、暇持て余してるのはマリア一人だけってこ――OUCH!」
「もう一回言ってもらえるかしら?」
「う、ううん何でもないの。き、桐島と一緒だ」
「一緒だ?あ、そう」
「い、いやあの…お、お願いね」
「そうねえ、そうまで言うならやってあげてもい――!?」
(しまった…)
 天誅の一撃を与えた以外は、身体に触れてもいないし決して空気も甘くない。とは言え、このメンバーが揃っている中ではやや不用意な行動だったかもしれない。
(ん?)
 マリアの微妙な様子にシンジも気が付いた。
「さくら、すみれ」
「はい」
「なんですの」
 やはり、微妙なトゲがあったが、
「さくらだけでいい。さくら、斬り込みはおまえにやってもら――」
「ちょ、ちょっと碇さんどうしてわたくしを外すんですの」
「なんかチクチクしてるんだもん。やな感じ」
「べっ、別にそんなことありませんわ。碇さんの思い過ごしですわよ」
「本当に〜?」
「もっ、勿論ですわよねえマリアさん」
「そ、そうね。シンジの気のせいよ」
 こんな時女同士の連結は早い。
 数秒前の微妙な空気はあっさりと消え、
「まあいい。さくらとすみれ、先陣の斬り込みはお前達に任せるからそのつもりで」
「『は、はい』」
「それから桐島とマリア。お前達は左だ」
「『了解』」
「レニと織姫は右だ。いいね」
「はあ〜い」「了解」
「いずれは今言った布陣での攻撃になるからね。皆そのつもりで…痛っ?」
 ぎゅむっ。
 不意につねられた。
 無論アイリスである。
「おにいちゃん…私は要らない子なの」
 つねってる力の割に語尾は弱く、ほとんど泣きそうな顔に見える。
「そうじゃないんだけど、取りあえずまだ前線には出せないから。そうだな…アイリスは俺の膝でお留守番。それでいい?」
 七変化とは、多分こんな事を指すのだろう。
 アイリスの顔がぱっと嬉しそうに輝き、シンジにぎゅっと抱きついた。
「うんっ」
「アイリスだってもう少ししたら乗るんだからね。そこのとこ分かってる?」
「はーい」
 全然聞いてない。
 こりゃ駄目だと放っておく事にして、
「ま、来ないとは思うけど、もし来たら機体での出撃は多分無理。とは言え、前回の雪辱にはちょうどいい筈だ。すみれにもね」
 対降魔との初戦、勝つ事は勝ったが、はっきり言えば住人の力は役に立っていなかった。エヴァに乗っていた方も大苦戦だし、後方組もシンジの腕輪で一時的に力は得たものの、それがなかったらどうなっていたか分からない。
 すみれに至っては、発熱して参戦すらしていないのだ。
「も、勿論ですわよ。今度こそ華麗に撃退してみせますわ」
「うん。くれぐれも俺を強制送還することがないようにね。大丈夫?」
「『了解!』」
 生きの良い返事が返ってきたが、シンジの方は住人達以上に彼女達の実力は把握しており、もしも攻め込んできた場合どうなるか、ある程度予想はついていた。
 無論この娘達に戦死などさせるわけにはいかないし、気合いの入った顔を見ながら切り札の事を考えているのだが、娘達の方はそんな事などつゆ知らず、シンジに期待されているのだと、その思いは勝利に飛んでいるらしい。
 勿論、
「降魔を撃退した?そう、ご苦労様」
 で終わるとは思っていないのだが、どの辺まで考えているのかは、各人の顔を見れば大体分かる。
 ボスが敗戦避けの一手を考えている時、住人達は既に勝利報告を考えている。ボスの方が現実的なのだが、シンジは彼女達が嫌いではない。
 いや、だからこそ好きなのだ。
 これで現実的に戦力差を分析し、シンジに発つのは不許可などと言いだしたら、全員洗脳しかないではないか。
 とまれ、これで取りあえず出立に支障はなくなり、次の日から三日間、カンナとマリアの二人を連日魔界に行かせた。
 さすがにこの二人はタフで、シンジが境界まで迎えに行くと、もう自分で歩ける位にはなっていた。帰ってきてもそのまま朝までダウンする事はなく、やや疲労と倦怠に全身を覆われてはいるものの、自分で部屋まで帰っていく。
 シンジがこの時期を選んだのは、住人達が酩酊に近い初期状態の頃だと、いかにして疲労を戻しているのか他の住人に発覚するからだ。
 注射を打って回る手もあったが、さすがのシンジも違法注射だけは自信が無かった。万が一おかしな所にプスッと刺したら一大事である。
 住人達が学校や魔界へ出向いている間、シンジは葉子へのお土産を探し回っていた。
 言うまでもないが、最初からお仕置きだと出向く相手に、ひよこまんじゅうを買っていく訳はない。
 そうこうしている内に、あっというまに五日が過ぎる。
 出発の日の早朝、シンジはすっと起きた。まださくらもマユミも寝ている時間だ。
 黙って発とうとしたのは、会うとまたアイリス辺りが駄々をこねそうだと踏んだのに加え、万が一にも“お土産”が衆目に晒されては困ると思ったからだ。
「じゃ、行ってくるからね」
 小声で呟いた途端、いきなり肩に痛みが走った。
 噛まれたとはすぐに気づいたが、声が出るまで二秒を要した。
「いったーい!」
 誰であっても火炙りだと憤怒の形相で――自分で思っただけで実際には平素と変わらなかったが――振り向いたシンジの目に、四人の乙女達が映った。
 すなわち神崎すれみであり、真宮寺さくらであり、ソレッタ・織姫であり、そして惣流・アスカ・ラングレーであった。
「噛む女、ですわ」
 ふふっと笑ったすみれだが、微妙に声が硬いのはシンジの一撃も考えたからに違いない。
「随分ひっそりとしたご出立で…すのね?」
 カラン。
 購入者の意図に反し、デイバッグから一つの物体が落ちた。
 根元には電池ボックスのような物が付いており、その上にはシリコン製の棒状の物がある。根元には一本の分岐があり、先端にはカバーが付いているのだが、その中の形状は亀頭を象った物である。
 世間一般では、これをバイブレーターと言う。
「シ、シンジそれ…」
 静かな館内だが、この瞬間この場所だけ一切の物音が消滅した。
 
 
 
 
 
(つづく)

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