妖華−女神館の住人達
 
 
 
 
 
第百三十四話:二人きりの夜に最悪の放置
 
 
 
 
 
 見に行ってこいと使役されたすみれだが、場に居辛かった事もあって却って気楽であった。
 シンジとは内緒の約束があるが、現時点では履行どころか秘密裡に縁を切られかねない。だったらまだ、さくらを引っ張り出しに行く方がましである。
 どうせ寝てるに違いないと、ノックはせずにドアを開けた瞬間、すみれはぎょっとして立ちすくんだ。
 僅かに顔を見せた月の放つ光が、カーテンを全開にした窓から差し込んでおり、その先には寝入っているさくらの姿があった――それも全裸で。
 元から変わったところもある娘だし、別に裸で寝ている事自体では、驚愕まで行く事はない。
 すみれの目を釘付けにしたのはその身体を縛している縄であった。文字通り亀の甲を模したようなそれは体中を縛しており、腕もきっちり縛られている。おまけに乳房はきゅっと締め付けられており、股間は食い込むように締め上げられている。
 シンジの仕業と一目で気づいた。
 と言うより、他にこんな事を出来る者は誰もいない。
 この時点で妬心と怒りのミックスされたゲージは中間点を超えていたのだが、さくらに歩み寄った途端それは一気にマックスを振りきった。
(濡れてる…)
 勿論、緊縛プレイが目的ではないから、乳も股間もくっきりと跡が付くような強い力は入っていない。
 だがそれでも股間への刺激は十分だったらしく、明らかにそこだけ縄の様子が変わっている。専用の縄ならそんな事はないが、用意されたのはあり合わせだったせいで、わずかな変化も表れてしまったのだ。
 ピキッとすみれの眉が吊り上がり、机の上に置かれたはさみを取るとあっという縄を寸断していく。最後に両手を縛していた縄を切り落としてから、いきなり左右に張り飛ばした。
 がくがくとさくらの顔が揺れて、うっすらと目が開いた。
「もう、碇さん優しくないといやぁ…」
 第一声がこれである。
 すみれが鬼女みたいな表情のまま、
「何を寝ぼけているんですの、さっさと起きなさいっ!」
 一喝すると、やっとさくらの表情が通常に戻った。
「あ、あれすみれさん?こんな所で何してるんですか?」
「何をしているかですって?あなたを起こしに来たに決まっているでしょう!それが来てみればこんな姿でおまけに濡らして…なんてふしだらなっ」
「ふしだら?」
 ふやっと首を傾げたさくらが、ようやく自分の姿に気づいたらしい。
 ところが、
「だってこれ碇さんがしてくれたんです。すごく気持ちよかったのに…すみれさん切っちゃたんですか」
 と来た。
「あ、当たり前でしょう。あなたがいつまで経っても来ないから、碇さんが起こしてくるようにと言われたんですのよ。それを何ですの、はしたなく濡らしたりして。何か言ったらどうなんですの」
「……」
 数秒黙っていたが、
「すみれさん、羨ましいんですか?」
 明らかに余裕を含んだこれ見よがしに聞こえる口調であり、その瞬間すみれの中でどこかの線が一本切れた。
 自分は余計な事を言ってしまったと心が重いと言うのにこの小娘は――。
「何よこんな物でいい気になってっ」
 さくらの頬が甲高い音を立てた瞬間、
「そのこんな物に焼き餅焼いてるのはすみれさんでしょっ」
 すぐにさくらが叩き返す。
 すみれが人工低血圧だった事もあるが、さくらの方も縄をいきなり切られた事で機嫌が悪い。
 さくらの方は、シンジがしてくれたと良い方に――大体270度ほど方向転換して受け取っているのだ。
 一瞬頬を抑えた二人だが、先に飛びかかったのはすみれであった。
 どっちもどっちでアレなのだが、こうなるともう抑えはきかない。夜の道であったライバル同士の雌猫みたいに掴み合い、引っ掻き、相手を抑え込もうとして転がり回る。
 GO、とシンジの寄越した第二陣レイが見たのは、ちょうど二人がお互いの顔に爪を立てている最中だったのだ。
 
 
 
 
 
「で、さくらとすみれの顔に引っ掻き傷があったわけね」
「え、ええ」
 さすがに恥ずかしそうに頷いたすみれにも、シンジは別段の反応を見せなかった。
「仲直りした?」
「それが…」
 した事はしたのだが、ぷいっとそっぽを向いて歩く二人をとっ捕まえ、こんな事で引っ張り出されるのはご免だ仲直りしないなら二度と関知しないと言われ、有無を言わさず仲直りさせられたのだという。
「で、でもね碇さん」
「あ?」
「わ、私もさくらさんも仲直りしなくてはって、思ってはいたんですのよ。だ、だってあんな事で喧嘩するなんてみっともないですし…」
「女の基準は分からん。それに俺が口出す事でもないし。大体、さくらが縛られてたってすみれには関係ないでしょ」
「あ、ありますわよ。どうしてさくらさんだけ…え?」
「すみれってそう言う趣味もち?信じらんない」
「べ、別にそう言う訳じゃありませんわ。そ、それより碇さん」
「なに?」
「さくらさんの姿をわたくしに見せたのはわざとでしたのね。それでわたくしの気を逸らして…」
「さくらは勝手に起動した。別に最初からさくらのカードを切ろうとは思ってないよ」
 すみれの言う事は合ってるが微妙に違う。
 部屋へ泊まりに来たすみれを帰した時、シンジはこう言ったのだ。
「魔界へ行ったら瀕死になる。その時全裸で、いや違った全身揉んであげるから」
 と。
 顔を赤くして、
「む、胸もですのっ?」
 と早口で訊いたすみれにシンジは頷いたのだ。
 少々不謹慎な話ではあるが、皆が魔界で吸気に悪戦苦闘している間、すみれはさくらの緊縛姿ばかりが脳裏に点滅していた。
 無論、縛られていた女に興味はない。
 ただ、そのおかげで他の娘達が軒並みノックアウト状態でダウンする中、すみれはそこまで行かずに済んだのだ。
 これでまともに魔界と向き合っていたら、今頃は他の娘達と同じ状態になっており、シンジが服を脱がそうが愛撫しようが――絞殺しても気づくまい。
 シンジが入ってきた時よりましになっているのは、その気に触れて少し回復したからだ。魔界では体力よりも先に霊力を消耗し、結果体力を大幅に減耗する。だから性質は違うが、量は人並み外れているシンジの精に触れれば回復する。
 別に直接触れなくても構わない。
「あ、あの碇さんそろそろ…」
 この瞬間の為にお泊まりも我慢して、ずっと待っていたのだ。
 シンジが自分の裸に反応しない?そんな事は十年前から分かり切っている事だ。
「いいよ、横になって」
「あの…出来れば…」
「背中じゃなくてお尻からがいい?それとも乳か恥丘でも揉んで欲しい?」
「そっ、そうじゃなくてっ」
 答えに一瞬間が空いたのは、その光景が浮かんでしまったからだ。
 そう、シンジの手が乳房と股間へ同時に伸び、あられもない声を上げて喘いでいる自分の姿が鮮明に。
 顔を赤くして首を振ってから、
「で、出来ればその…わ、わたくしも縛って…」
「縛ってドゥーすんのさ」
「し、縛ってから揉んでくださいな」
「断る」
「え?」
「もう少しさ、普通に言えない?そう言うの慣れてないんだ」
 確かにシンジの口調は普通であり、普通の人と変わらない。元より普通を好むシンジだが、すみれにも課す気らしい。
「じゃ、じゃあ…縛ってから体中揉んで欲しいの。いいでしょ?」
「少々口許が引きつってるがそれはいいとして。でも却下。すみれちゃん欲張りすぎ」
「だめ?」
「だめ」
「じゃ、じゃあ縛りを…」
 どうしてもさくらには負けたくないらしい。
 ただし、ご褒美ではなくて膣内拡張の代わりのお仕置きだと知れば、また違う反応を見せたかも知れない。
「了解」
 頷いたシンジは縄を取り出すと、あっという間に縛り上げた。
 縄が身体を這う何とも言えない感触を、目を閉じて半ば楽しんで感じながら、シンジの手が離れたのに気づいてすみれは目を開けた。
 縄の感触が残っている部分はにはちゃんと縄が通っており、乳を輪が一周し股間も湿られている。
 満足した。
 さくらの肢体は正確に覚えている。これで少しでも記憶と違っていれば、すみれのプライドはいたく傷付いていたに違いない。
 ただ…これだけなのだ。
 すみれが微妙な心境でシンジの方を窺った時、
「少し刺激が足りんか」
「え?」
 一瞬驚いたようにシンジを見たが、すぐにこくこくと頷いた。
 すみれが淫乱になったわけでも、羞恥心が消え失せたわけでもない。万札紙幣数枚で誰にでも股を開く脳細胞のいかれた小娘共とは訳が違うのだ。
 殺されるとまではいかなくとも、手足を失う位の経験をした方が本人の為になる愚かな娘と一緒にされてはすみれに失礼である。
 ただ、学習したのだ。
 すなわち、この相手に駆け引きは通じないと。
「分かった」
 シンジの両手は同時に動いた。
 左手がすみれの肩を押し、右手が何やら取り出す。簡単に転んだすみれの視界に映ったのは、羽毛のようなものであった。
「羽根…ですの?」
「羽根。基本の道具だ」
 羽根を使って文字を書くとはお洒落な事を、すみれがそんな事を考えた瞬間、
「ひはぁっ!?」
 その身体はびくっと跳ねた。
 羽毛の先が股間を軽く撫でたのである。
「い、碇さん今のは…」
「見たとおり羽根」
 身も蓋もない返答が合図になったかのように、シンジの手はすみれの裸身を固定すると、実に絶妙な手つきで羽根を使いながら嬲り始めたのだ。
 上手いとかそんなレベルではなく、羽根をペンにして爪楊枝に般若心経でも書いているような指使いであり、只でさえさくらの緊縛に刺激されて高ぶっていたすみれが耐えられる筈もなく、みるみるうちに身体は反応し始めた。
 身体の隅々までが上気して色付き、弾けばぶるっと揺れそうなほど硬くしこった乳首はその周囲もしっとりと汗ばんでいる。おまけに淫唇はぷっくらとふくらみ、その上方からはこれまた赤く色付いて硬くなった淫核が顔を出した。
 口は半開きで涎が糸を引いて流れ落ち、時折切なげな吐息が漏れる。
 ただし、普段嬲られている時のような喘ぎはない。
 理由は簡単で、物足りないからだ。
 その証拠に、数分経って身体は思い切り感じている兆候を見せながら、こっちを向いたすみれの表情は平素の物であった。
「お、お願い碇さん意地悪なさらないで…」
 潤んだ瞳には涙さえ浮かべてすみれは懇願した。
 確かにシンジの羽根使いは上手い。ただ、あっという間に移動してしまうから快感がわき上がって来ないのだ。
 乳房や脇の下、それに脇腹や太股など、すみれの感じる所を知り尽くした感のある動きではあるが、明らかに焦らす嬲り方であり、感じるまでにはどうしても至らない。
 まして、いく事など絶対に不可能なのだが、最初からシンジがこれを目論んでいた事には気づいていない。
「どうしてほしいの?」
 シンジがひどく優しげな声で訊いた。あからさまに怪しすぎるのだが、すみれはそれに気づく余裕もなく、
「も、もっと強く…強く弄って責めてっ」
 叫ぶように言ったすみれにも、
「どこを?」
 口調は優しいが、言ってる事はろくでもない。
「む、胸とかそ、そのもっと…っはあっ!!」
 言い終わらぬ内に、シンジの指が乳首をぎゅっとひねり上げた。愛撫にしては随分乱暴だが、散々焦らされたすみれにとっては最高の快感であり、
「お、お願いもっと…」
 身体の一点にだけ官能の火が点いてしまい、たまらなくなったすみれが切なげにお願いすると、意外にも今度はあっさりと頷いた。
「ん」
 指が、或いは羽根の根元の少し尖った部分が、刺激に飢えていた身体を次々と弄り回していく。
 普段なら苦痛の声を上げるほどのそれも、今のすみれにとっては最高の快感にしかならない。さっきまでしっとりと湿っていただけの股間も、いつしか本人の気づかぬうちにぐっしょりと濡れてシーツに染みを作っている。
(これなら…これならもう少しで…)
 本人の記憶からは消去されているが、決してあり得ぬ体位での自慰経験以来、自分がいく瞬間も分かるようになってきた。
 絶頂に向けて一気に体中の熱が上がり、全身の神経が一点に集中する。
(あと少し、あとほんの少し…!?)
 きゅっと唇を噛む事で意識の放出を堪えていたすみれだが、突如としてシンジは手を止めてしまった。
「い、碇さんっ?」
「もういいでしょ」
 悪魔の笑みに気づいたのは、数秒が経ってからであった。
(まさか…まさか!?)
 そう、そのまさかだ。
 これでシンジが来てくれなかったり、来てもすぐに帰ってしまっていれば、火照った肌を持て余してもまだ救われる。
 だがシンジは望み通り縛った上、焦らされはしたが疼きを静め――てくれる予定だった筈だ。
 なのにシンジは直前で止めた。文字通り、あとほんのちょっとだったのだ。
「そ、そんな碇さん止めないで…」
 現在自分は緊縛されており、万が一シンジがこのまま帰ってしまった場合、シクシク泣きながら自分を慰めるしかない。
 しかしシンジは首を振った。
「すみれの姿はなかなか扇情的でね。それに反応もいい」
「そ、それなら――」
「つられて、舌で嬲ってしまいそうだ」
「!?」
 シンジの台詞を聞いた時、まだシンジが許していないのをすみれは知った。普通ならプライドが傷付く台詞であり、もしもすみれが逆の立場で同じ事を言われていれば、間違いなく張り飛ばしているに違いない。
 意識より身体の方が先に現実を認識した。
 みるみる醒めていく官能の炎を、すみれは哀しく受け入れるしかなかった。
 まだ言葉の出ないすみれを置いて、シンジはすっと立ち上がった。
「他の部屋も回らなきゃならない。じゃ、俺はこれで」
「ま、待って…」
 蚊の鳴くような声を何とか振り絞ったのは、シンジの手が扉に掛かってからである。
 官能が醒めきった状態で緊縛されている乙女にシンジは振り返った。
「なにか」
「こ、このまま置いていくなんてあんまりですわ。せ、せめて…」
「動けない、と言った筈だよ」
 悪さをしてお仕置きをされる子供に、何度も繰り返した注意を思い出させるような口調で言った。
「明日の朝まで、他の住人達が起きてくる事はあり得ない。それに、縄の方はあと数時間で消滅する。縛られるのが好きみたいだから、たっぷり楽しむといい。今夜のすみれから眠りは消える筈だ」
 放置だって碇さんの責めならいい。縛られるのだって碇さんの手に依るなら…いいえ碇さんが側に居てくれなくては何の意味もないのに。
 すみれの思いは消された電気で光と入れ替わった闇に吸い込まれ、シンジの姿は静かにドアの向こうへ消えた。
「い、碇さん…」
 シンジを責めようとは思わない。
 ただ、自分の甘えが入った我が儘を、シンジがいつも許してくれると思っていた自分が嫌で。
 でもここまで高ぶらせながら、あっさりと手を止めたシンジも少しだけ恨めしくて。
 なによりも、この格好で醒めきったまま、今晩一人だけで過ごす自分を考えると悲しくなって。
 きゅっと唇を噛んだすみれの目から、一筋の涙が落ちた。
 部屋を出て廊下を歩くシンジの横に出現した影は、世にも美しい女の形をしていた。
「あの娘の部屋に行く事、私は賛成しなかった筈よマスター」
「ほう」
 シンジの足は止まらず、気にした様子もない。
 と、その歩みがふっと止まり、
「このまま行くのは少々難がある。戻って風呂に入ってからにするとしよう――お前はそこで何をしている?」
 伸びた腕がシンジの手を取り、思わずシンジが顔をしかめる程の力が加わったのは、歩き出した直後に追いつかれてからであった。 
 
 
 すみれに告げたとおり、風呂から上がったシンジは各人の部屋に侵攻した。
 ただし、やる事は至ってシンプルであり、パジャマの背中をめくって一枚何やらを貼り付けるのみだ。
 住人達の部屋を順番に回っていったが、どの娘も死んだように眠っている。この分なら、挿入されるまで気が付かないに違いない。
 三十分ほどで、無事全員の部屋を回り終えた――ただ一つ、マユミの部屋の防衛装置が破壊された事以外は。
 この男、乙女達の肌の感触を――背中限定だが――楽しんでいたのか、マユミの部屋で自動動作する仕組みの事を忘れていたのだ。
 マユミをとっちめた所、別にシンジが来たから貞操の危険を感じて付けたわけではなく、自分の身(と部屋)は自分で守れと命じ、自らもそれを実践していた姉マナの影響らしい。
 今度上京してきたら日干しにしてやるとシンジが秘かに決意し、またそれとは別の所で問題が起きたりするのだが、それはまた別の話である。
 とまれ、火と水と風をふんだんに使い、マユミの部屋のシステムを灰燼に帰さしめたシンジは、全員の処置を終えて帰ってきた。
 なお、すみれの部屋には立ち寄っておらず、覗こうともしていない。
 
 
 翌朝、住人達は二人を覗いて微妙な表情で起きてきた。
 二人とはマユミとすみれであり、他の娘達は自分の行動に不審を持っているのだ。
 魔界へ行って、シンジに言われたとおりさして保たずにダウンした。それはもう分かっているのだが、その後どうやって帰ってきたのかまったく憶えていない。おまけに身体に疲れは残っておらず、目覚めはすっきりしていたのだ。
 マユミの方は、何となく事情が分かっている。これも帰途は知らぬものの、部屋の装置が完全破壊された事で犯人はシンジだと分かっているし、おそらく以前同様にシンジが忍び込んで何かしてくれたに違いないと思っている。
 ただ、壊さなくてもいいじゃないですかと言うのがあり、それが眉の端に微妙ながら表れている。
 無論、一番最悪なのはすみれだ。
 シンジの言葉通り、朝五時きっかりに縄は消滅し、身体を見回しても痕など一カ所もない。
 とはいえすみれの記憶は鮮明に夜の事を憶えているし、起きた事が無くなる訳ではない。同じ縛られるにしてもさくらとは天と地ほどの差だと、屈辱と微妙な妬心に震えながら夜を過ごしたのだ。
「マリア、よく寝られた?」
 シンジが最初に声を掛けたのはマリアであった。
 この娘は枕の下に銃をしまっており、ひそかに胡椒入りの弾と取り替えておいたのだが、殺気が無いところを見ると銃は撃っていないのだろう。発覚した場合、肛門から胡椒入りの弾を撃ち込まれ、一生痔に悩まされるおそれがある。
「ええ、もう大丈夫よ。魔界からはシンジが?」
「アノネ」
「どっちなのよ」
 他の娘達が一瞬妙な表情を見せる中、マリアはすぐに反応した。
 アノとネは、それぞれチェコ語ではいといいえを意味している。無論知っていて使ったのだが、反応したのはマリア一人であった。
 シンジはうっすらと笑って、
「俺じゃない。俺は運んでくるほど力無いからね」
「誰が?」
「企業秘密」
 あっさり封じてから、
「さて今日は」
 言いかけた途端、
「魔界に決まってますわ」
 遮るように言ったのはすみれであった。
「いいの?」
「当然でしょう。帰り道も分からぬような醜態で、そのまま良しとするような娘はこの女神館には一人も居ませんわ。そうですわよね?」
 妙に力強いすみれに、ついつられて他のメンバーも頷いたが、最初から思っていた者は少なかったらしい。睨みはしていないが、じっとシンジを見る視線に夕べの匂いはまったく感じられない。
「分かった。君らがそう言うならそうしよう。一週間も行けば、自分で帰ってこれる位にはなるでしょ」
「あ、あのシンジ」
「どしたのアスカ」
「自分で帰るのに一週間もかかるの?」
「なんとも微妙。でも、初日であんなダウンではそれ位掛かるでしょ。もっと縮める自信はある?」
「そ、それはないけどもう少しその…なんて言うか大丈夫だとかさ」
 ふむと考えてから、
「大丈夫じゃない事は断言しよう」
「は!?」
「でもアスカなら大丈夫。頑張ってね」
 すうっとアスカの顔が赤くなり、
「あ、あったり前じゃないのよアタシを誰だと思ってんのよ。一番に“魔界慣れ”してみせるから待ってなさいよ」
「ん」
 意気揚々と出ていったアスカを先頭に、全員で魔界へと向かったのだが結果は同じであった。
 自分で帰ってくる事も出来ず、前日同様運んできた人形娘は、
「魔獣から子守するのも大変だとモリガンさんが言っておられましたわ」
「嫌ならさっさと降りて巣にカエレと言っておいて」
「分かりました」
 ころころと笑ったのだが、乙女達の方はそう上手くは行かなかった。相性があまり良くないのか、一週間経っても三十分程度の滞在がやっとであり、こっちの世界へ戻ってくると同時にダウンしてしまう。
 それを人形娘が女神館まで運び、シンジが受取書にサインして受け取る。で、各部屋に配達し、夜になるとまた秘かに侵入するのだ。
 ただし、素肌に妙な物を貼り付けたのは最初の夜だけで、後は香に切り替えた。アロマテラピーもどきだが、効果はもっと強烈で覿面の代物である。
 本人達に自覚はないが、霊気レベルをチェックしているシンジには、微量ながら底上げされて来ているのに気づいていた。
 ただ新学期も始まり、全員揃って行くわけにはいかなくなる。
 そんな中、
「出雲に行って来る」
 シンジが切り出したのは、新学期が始まって数日が経ったある晩の事であった。
 
 
 
 
 
(つづく)

TOP><NEXT