妖華−女神館の住人達
 
 
 
 
 
第百二十八話:同衾に仕掛けられた怪しい罠
 
 
 
 
 
 ボディガードに最も求められるのは強いことだ。
 読んで字の如く、対象の身体(ボディ)を守るのに、それ以下では話にならない。碇シンジにガードが付かないのは、単に対象より強い護衛が居ないからだ。
 更に言えば、それは基本的に業務である。だから、両者の間に恋愛感情やそれに似た物が生まれるのも困る。
 愛は力、と言う不気味な現象もあるが、危険な仕事だったりすると恋人をあっさりと失ったりすることにもなるからだ。
 となると、強くて感情を挟まない機械的に任務をこなせる者、と言う事になるが、来栖川芹香・綾香姉妹に取ってボン・クレーは最高のボディガードと言える。
 ただし、最初から今のような関係だったわけではない。ボン・クレーに取っては、綾香の格闘技など児戯にも等しく、初めからこれに付き合ってはいなかったのだ。
 
「黒瓜堂の紹介だから間違いは無いと思うけど、でもオカマってのは…」
「アンタねえ、そう言うのは本人の前で言わないものよーう。ま、表で偉そうな事言いながら、裏で正反対の事する奴よりはましだけどねい」
「あたし、そう言うの嫌いなのよ。裏でこそこそするなら、最初から言うなってのよ」
「黒ちゃんが言ってた通りの性格ねい。そーゆー子、嫌いじゃないわよ〜」
「…それはありがと。で、それどうにかならないの?」
「……………」
 姉の芹香が制するような表情を向けたが、
「いーのよう。でもねい、あちしもオカマだけど、アンタ達だって男共有してるじゃない。来栖川重工のボスの孫娘達が毎晩男と3Pってのはドゥーかしらねーい。それにアンタが学校出たら、ひっそりと三人で籍入れるって言うじゃナイ」
「どっ、ドゥーして知ってるのよっ」
 別に真似した訳ではない、伝染ったのだ。
「黒ちゃんに訊いたのよーう。大体、アンタ達が黒ちゃんの所に行ってるのって、あそこでしか売ってない催淫剤とか精力剤買ってるからじゃない。バレバレよーう。まーねい、別にアンタ達の趣味をどうこう言う気はナイわよう」
「……」
「で」
「え?」
「姉さんが繋がってる間、アンタは何してるわけぇ?」
「ど、どういう事よっ」
「ドゥーってそのままよう。普通は男と女の一対一、それが穴が増えたら一個余るじゃなーいのよーう」
「くーっ!!」
 芹香と綾香の顔が羞恥で真っ赤になった。
 怒りがないのは、ボン・クレーの口調に冷やかしが無かったのと、奇妙な顔が真面目な表情だったからだ。
「あ、あんたねえっ、そう言うこと乙女に訊く?ふつー!?」
「バカねい、乙女ってのはフツー処女の事を言うのよーう。アンタ達、前も後ろも処女じゃないじゃなーい」
「…な、なんでそれを…」
「あらー、本当だったのねい。ちょっと鎌掛けてみ――」
「え?」
 不意に車が止まった。信号ではなく、明らかに急ブレーキのそれであり、
「ちょっとどうしたのよ」
「お嬢様、囲まれたようです」
 普通とは違い、防弾仕様のガラスの中に更に真っ黒な板が入っており、通常は外が見えないようになっている。板が降りると、柄の悪そうな連中が十数名、手に手に武器を持って車を取り囲んでいるのが見えた。
「…あたしが行くわ」
 悪気がないのは分かっているが、オカマにいいように玩ばれて、殺気だった綾香が蹴飛ばすようにドアを開けると表に出た。
「…………」
「妹を頼むって?わーかってるわよう。黒ちゃんはボンクラを人に押しつけたりはしないのよう」
 にっとボン・クレーは笑ったが、最初から来栖川姉妹の誘拐目的の連中であり、あっという間に綾香が四人を片づけた。
 だが、きれいな足がくるりと回転した時、そこに待っていたのは鉄パイプであり、激痛に綾香は崩れ落ちた。
 たちまちそこへ殺到しようとするチンピラへ、
「ドっきなサイよう。お前達邪魔よう」
「『あ!?』」
 にゅうと顔を見せた長身の…オカマを見つけ、
「何だてめーは」
「こいつオカマじゃねーか、気持ち悪ぃな」
「オカマはすっこんでなァ!?」
 ぶうん、と鉄パイプを振った途端、
「どうぞオカマい拳!」
 ほんの軽く触れたようにしか見えなかったが、モヒカン頭は鉄パイプを持ったまま十メートル近くも吹っ飛んだ。歯をまき散らして吹っ飛んだ仲間に、たちまち殺気だって襲いかかったが、
「アン!」「ドゥ!!」「オラァ!!!」
 巫山戯ているとしか思えない声の前に、手も足も出せず、しかも急所だけを狙った一撃に重傷者の山を築き上げていった。
(う、嘘…)
 彼がいれば他の護衛は一切不要、そう言い切った黒瓜堂の主人だが、まさかここまでの強さとは思わなかったのだ。
「がーっはっはっは、口ほどにもナイって言うのはアンタ達ねーい。これで終わりじゃあちしが欲求不満じゃないのよーう」
 大口を開けて笑ってから、
「アンタ、脚大丈夫?」
 一歩踏み出した途端、
「ひっ…」
 綾香の口から絹のような悲鳴が漏れた。視線の先には、ナイフを腰溜めにして突っ込んでくる男の姿がある。ボン・クレーよりも男との距離の方が短く、自分は脚への痛打で身動きが取れない。
 綾香が思わず目を閉じた瞬間、
「オカマケンポー、爆撃白鳥!」
 妙に鈍い音がした。
 数秒後、恐る恐る目を開けた綾香の目に映っていたのは、男の身体を文字通り貫いていたボン・クレーの脚であり、よっこらしょと引き抜いた脚は返り血で染まっていた。
「あ、あ…」
 蒼白な顔の綾香に気づき、
「アンタ達の事は黒ちゃんに頼まれてたんだけど…アンタには刺激が強すぎたみたいねい。ま、黒ちゃんに言って違うヤツを付けてあげるわよう。も少し強くなりなサイ」
 くるりと身を翻した後ろ姿に、
「ま、待って…」
「何よう」
「だ、誰があんたをくびにするって言ったのよう。あたしが脅えてるですって?ジョーダンじゃなーいわよーう。さ、さっさと助けなさいよう」
「……」
 綾香の顔を眺めていたボン・クレーが、やがてがっはっはと笑って、
「イイ度胸じゃナイ。ただの淫乱なお嬢様じゃなかったって事ねい。気に入ったわ、アンタの教育引き受けたげるわよう」
 軽々と綾香を肩に担いだが、
「でもアンタ、それあちしの台詞。著作権侵害よう」
「細かい事気にするんじゃなーいわよーう」
「……」
「……」
 がーっはっはっと二人揃って笑ったのは数秒後の事であり、ボン・クレーが綾香を相手にするようになったのは、それ以降の事である。
 
 
 
 
 
「何で放り出すの!」「碇さんひどいじゃないですか!」
 ドアの外でジタバタと暴れる二人に、シンジの眉はピキッと上がったが、間もなく諦めたようにドアを開けた。
「巣にカエレ!」
「『やだ』
「……もういい。廊下で騒がれると俺の人格が疑われる。さっさと入って」
「はーい」
 嬉々として入ってきた二人だが、別に薄着でもなく下着が見えているわけでもない。
「で、何で俺の布団に入ってたの」
「だから、お泊まりに来たんじゃないですか。ほら、ちゃんと泊まる格好でしょ?」
 泊まる格好の定義はよく分からないが、
「二人で一緒に行こうって来たの?」
「『そ、それは…』」
 ちらっと顔を見合わせ、
「た、多少の紆余曲折はありましたけど…」
「目的の為に日伊同盟が成立したわけね」
「ま、まあそんな感じです」
 えへへと、誤魔化すように笑った二人だが、シンジは別に怒りはせず、
「まあいい。にしても、織姫もだいぶまともになったね」
「まとも?」
「そう、まとも。この間までは、一緒に連れて歩くのもちょっと恥ずかしかったし」
「あー、碇さんひどいでーす。私だってわざとじゃないのに」
「天然って一番質が悪いって知ってる?まったく、こっちはボンクラーズの教育で頭が一杯なのに」
「ボンクラーズ?」
 シンジの指がすっと伸びて、二人を指した。
「ボンク」「ラーズ?」
「違う。ボンクラの複数形だ」
「『ふうん…何ですって!』」
「聞いたままだ。イイ?取りあえずあやめの開発は第一段階が終わったの」
「あやめさん?」
「そう。魔界を彷徨かせた結果、基礎体温の底上げに成功した。もう少ししたら俺は出かけるから、留守の間指揮を執ってもらう」
「『?』」
「どしたの」
「何を底上げしたんですか?」
「基礎体温…あ、間違えた基礎霊力だ」
「碇さんのえっち」
「男の部屋に泊まりに来るような子に言われたくありません。大体、寝たかったらどっちかの部屋に泊まってりゃいいでしょ」
「碇さんだって、うずうずする事あるでしょ」
「ウズウズ?」
「うずうずして、お屋敷のメイドさんにえっちな格好させたり…いったーい!」
 スパン!
「んなモンあるわけないだろ。俺はそういうのに興味がないヒトなんだ」
「ふーん…」
「何よその反応は」
「普通、碇さんくらいの年頃って、そう言う事に興味があるんじゃないんですか?」
「君らの年頃でも、援交で男に薄汚い股開くのが大好きな女が沢山いるが?」
「あ、あたしはそんな事に興味ありませんっ!碇さん失礼です」
「そだね。で、俺もメイドを性奴にする事にはまったく興味ないの」
「あ…すみません」
「別にいいけどね。とにかく、俺は目下君らをどうやってレベル上げさせるか考え中なんだ」
「ねえ、碇さん」
「何、織姫?」
「私達の何処が気に入らないの?」
「え!?」
「……」
 織姫の言葉に、さくらはびっくりしたような顔を向けたが、シンジの表情は変わらない。
「急に何を…い、碇さん?」
「なに?」
「ま、まさか織姫さんの言った事本当…なんですか?」
「好き嫌いって事じゃないよ」
「…え?」
 シンジの台詞で、ますます混乱したらしいが、織姫は分かっている。
「要するに、お嬢様なんだな。どれもこれも。もっと言えば、俺が敵で心理作戦を執れる部下が一人いれば、ここは簡単に引っかき回して陥落させる自信がある」
「あ、あたし達の仲が悪いって言うことですか?」
「そう言う単純なことじゃないよ…って、君ら仲悪かったの?」
「いえ、別に悪くはないですけど」
「要するに、修羅場をくぐってきた子が少なすぎる。特にアイリスとレニが危ない」
「アイリスとレニが?」
「あの二人は俺の事気に入ってるから、俺の幻影見せられて引き込まれたら、簡単に敵に回りかねない。シンジが言うならって、レニなら一発だ」
(むうっ)
 二人の頬が少しふくらんだ。
 アイリスとレニの名前が出て、自分たちの名前がかすりもしなかったのが不満なのである。裏を返せば、自分たちの事はシンジに認識されていないと言う事になる。
「い、碇さんっ」
「え?」
「あ、あたしとかは心配じゃないんですか」
「大丈夫でしょ。さくらはしっかりしてるから」
「別に碇さんとも関係ないし?」
「そうそう…ふぐー!」
 言いかけた途端、きゅっと首を絞められた。結構力が入っている。
「ちょ、ちょっと何すんのさ」
「ふんだ、碇さんの馬鹿っ」
「ば、馬鹿?あ、ちょっと待てこの馬鹿、それ飲んじゃだめ」
 プイッと立ち上がったさくらの視界にはワインの瓶――つかつかと歩み寄ると、シンジが止めるのも聞かずにきゅっと飲んだ。
 一口飲んで更に…飲めない。
 ばたっと倒れ込み、その手から瓶が落ちるのを慌ててシンジが止めた。
「さくらさん、こんなに弱かったですか〜?」
「…普通の人間が飲むモンじゃないんだよ」
 黒瓜堂謹製。
 シンジが飲めば何故か酔わないが、普段蟒蛇の筈のミサトは簡単にダウンした奇妙な代物であり、
「これじゃ明日の朝まで起きないな。まったくもう」
 ぶつぶつぼやいて栓をしたシンジに、
「ね?」
「ん?」
「さくらさんがどうして怒ってるか分かってる?」
「知らない。興味もないし」
(…もう)
 とは言え、ライバルも一人減った事だし、
「膝」
「膝…この膝」
「そう。座って!」
「は、はい」
 言われるままに座ると、横になった織姫が膝に頭を載せてきた。
「膝枕って言えば良かったのに…痛っ」
「なんか言いました?」
「ううん、なんでもない。で…あれ?織姫髪解いた?」
「もう、気づくの遅いんだから。あ、あの…おかしくない?」
 普段のくるくるとカールした髪がストレートになっているのに、やっと気づいた。
「そっちの方が多分可愛い」
「…多分?」
 微妙な台詞に、織姫が見上げたまま訊くと、
「織姫とかすみれって、普段から目立つんだもの。俺はこっちがいい」
「碇さんが?」
 織姫の顔を過ぎった色には気づかずシンジが頷いた途端、
「うんって言いましたね?言いましたね?」
 にゅうと伸びてきた手が頬を両手で挟み、
「ん〜」
 ぐいとそのまま引っ張られた頬摺りされた時、シンジの表情が一瞬歪んだのは首が妙な音を立てたからだ。
 シンジはミロクと違い、首が伸びるようには出来ていない。
 目許をうっすらと染めて織姫が顔を離した時、既にその色は消えている。
「くすぐったい」
 自分の頬に触れながら、織姫がくすっと笑った。そのままシンジの顔に手を伸ばし、今度はそっと抱き寄せる。
 無論、目は軽く閉じられており、口許はうっすらと開いている寸法だ。
「……」
 が、シンジの顔が近づくと寸前で押しとどめられた。
「モゴ…」
 ぱちっと目を開けた織姫が、シンジの顔を押さえながら、
「一緒に寝てくれるですか?」
「やだ」
「…じゃ、ワイン」
「ワイン?グラスはそっち…いひゃい」
「口移し」
「いいの?」
 別に構わないが、一口含んだ瞬間意識は飛ぶ。その先例は既に彼女の目の前に転がっている。
「……」
 三秒考えてから、織姫は起きあがった。しっとりと濡れた髪が揺れ、わずかに甘い芳香が漂った。
 今度は膝枕ではなく、身体ごと寄りかかってきた。
 無論男と女なのだが、何故かシンジと織姫の場合には少し違う。さくらやすみれとの時とは違い、むしろレニとの関係に近い。
 兄妹だとか、仲の良い友人とかそっちの関係に見えるのだ。これがさくらなら、寄りかかった所でもう一度上を向いて唇で誘っているところだ。
 ただし、最近は相姦を旨とする双子の兄妹もいたりするから、油断は出来ない。
 シンジが、織姫の少しだけ湿っている髪を軽く撫でた。指で数度梳くと、織姫が顔をこっちに向けた。
 表情がふにゃっととけている。
「もっと撫でて…」
「ん」
 よしよしと数度撫でると、柔らかな肢体から力が抜けていく。やがてふにゃふにゃと倒れ込み、潤んだ瞳で見上げてきたが、意志の力はしっかりしているようで、木天蓼に惑わされた猫のような目はしていない。
「織姫」
「はい?」
 先に口を開いたのはシンジであった。
「何となく泊まりたい、それでここに来たんじゃないでしょ」
「…どうして?」
「目が起きてる」
「…目?」
「そう、目。寝るだけなら、さっさとワイン飲んでダウンしてるでしょ。織姫、何かあったの?」
「もう…妙に鋭いんだから。あのね…明日、パパが出発するです」
「明日?そっかもう出発るのか…ん?」
「なに?」
「何でお前ここにいるのさ。最後の晩でしょ、帰らなくていいの?」
「パパがね、おまえはもう碇さんにお預けしたんだから、与えられた任務を最優先しなさいって。降魔を倒したら、その時は私と一緒に行こうって」
「んーん…」
 数秒考えてから、
「今行っとけば?」
「え?」
「楽勝できればいいけど、出来ない可能性もある。単に学校を卒業(で)るとか言うのとは、訳が違うよ」
「それで?」
「…は?」
「指揮官は誰?」
「俺様」
「そう。その俺様が執っても戦死…指揮官はボンクラーズ?」
「なにおう!」
 織姫はふふっと笑った。
「大丈夫でしょう?」
(むう)
 確かに指揮は碇シンジだ。
 が、兵隊は碇シンジではないのだ。
 名将が楽勝とまったく関係ない事は、歴史が如実に示している。古の諸葛亮を始め皇帝ナポレオン、或いは兄に疎まれた源義経であり、あるいは有害な上司に遅まきながら気づいた砂漠の鬼将軍ロンメル、その他文字通り掃いて余るほど居るが、いずれも本体が有能であっても功を為す事の出来なかった名将・名軍師である。
「織姫ってば、最近悪知恵付いてきた」
「純粋なだけじゃ勝ち抜けないでーす」
「受験?」
 織姫は、うふふと笑っただけで答えなかった。
「さっきボンクラーズって言ったでしょう」
「うん」
「ボンクラーズはボンクラーの複数形、ボンクラは役立たずでしょう?」
「そんなとこ」
「でも、アヒルの子でーす」
「アヒル〜?」
「知らないの?」
「…醜いアヒルの子?」
「そう、それ」
「それなら知ってるけど…日本人の一般教養だし。で、アヒルの子がどうしたの?」
「今はアヒルの子でも、ちゃんと白鳥になるでーす」
「…ならねーよ」
「え?」
「あれは、元が白鳥だから一時的にそう見えただけだっつーの。進化じゃないぞ」
「知ってるでーす」
「…?」
 シンジの顔が三十度ほど傾いてから、
「すると何か、あの話は周囲が白鳥の幼態に気づけなかったボンクラって事で、俺もボンクラってかい?」
「その通りでーす」
「おのれはー!」
 ただし、言葉の割には怒ることも攻撃することもなく、
「毛虫が不気味な蛾に変貌するか、芋虫がきれいな蝶に変化するのか見せてもらおう」
「ええ」
 織姫は頷いて、
「碇さんと一緒なら…頑張れるから」
「……」
 ん、と頷いたシンジだが、いずれ機が熟する時が来るとは思っていた。
 だが、シンジは知らない。
 織姫ではなく、自らの身体が朱に染まる事を。
 そしてそれを知りながら、笑って受け入れる事もまた、無論知らないのだ。
「碇さん、もう寝る」
「寝る…寝る?」
 自分が寝るだけなら、一々言いもするまい。ん?と見ると、織姫の視線の先にはワインがある。
「グラス?」
 訊いたらキッと睨まれた。
 論外らしい。
「はいはい」
 
 
 これもポテっと倒れ込んだ織姫とさくらを担いでベッドに寝かせ、シンジは部屋の外に出た。
「!?」
 だが、一歩出た途端その身体は硬直した。
 腕を組んだまま、壁により掛かっていたのはマリアだったのだ。しかもそれは、明らかに自分が出てくるのを待ち、それも出てくると読んでいた風情であった。
「マ、マリア…どうしたの?」
「二人はもう寝付いたかしら?」
 マリアの台詞は、シンジの足をオブジェと化させるには十分であった。
「ど、どうしてそれを…」
「私が部屋に入れたからよ」
 マリアは事も無げに言った。
「!?」
「別に企んだわけじゃないわ。ただ、部屋の前で張り合っていたから、二人とも中に入れたのよ。喧嘩なんかしたら、シンジの部屋じゃなくて部屋の外で過ごす事になるわよってね」
「そ、そう…」
 それ以上の言葉は出てこなかった。
「それで、二人ともちゃんとイッたのかしら?」
「…マリア?」
「ふふ、冗談よ。でも、波風立てなかったんだからお礼位はしてもらわなくちゃね」
 言うが早いか、片手でシンジを壁に押しつけた。
 何かに魅入られたのかと思うほどの力であり、シンジは微動だに出来ない。
「ん〜?」
 成都での痴態再びかと思われるような艶めいた表情だったが、唇が触れたのは頬であり、その瞬間シンジの意識は遠のいていった。
 
 
「部屋に小娘がいれば従魔は不在と聞いたが、こうも容易く運ぶとは」
「それだけ抜けていると言うことだ。これなら落とすのも簡単だな」
 同時刻、どこかでアブナイ声がした。
 
 
 
 
 
(つづく)

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