妖華−女神館の住人達
 
 
 
 
 
第百二十七話:最凶のオカマで最強のボディガード
 
 
 
 
 
「サマーソルト!」
 身体がくるりと一回転し、爪先が鋭い槍と化して一気に襲いかかったが、
「アン!」
 五十センチ手前で楽々と止められ、
「ドゥ!」
 左手の底掌がふくらはぎを襲い、来栖川綾香の顔が歪んだ。
「痛っ!」
 片方の脚で手を蹴り飛ばして逃れ、そのまま後方へ飛ぼうとして…飛べなかった。
「オラァ!」
 二倍近く長いリーチから、着地寸前の体勢へ強烈な蹴りが飛んだのだ。
 綾香を蹌踉めかせるには十分だが、これが本気には程遠いことを知っている。しかもここから続くコンボが分かっていながら、かわせないのだ。
 片手を突いて避けたところへ、
「マスカラブーメラン!」
 時間差を開けて襲来するマスカラ――ただし側面の鋭利さは女の柔肌など簡単に抉ってしまう――の片方は避けたが片方が武道着ごと皮膚を裂く。
 普段とは違う連続攻撃にとうとう体勢を崩したそこへ、
「白鳥アラベスク!!」
 重く空を切り裂く蹴りが、綾香のしなやかな身体を数メートルも吹っ飛ばした。
 くてっと綾香がダウンするのを確認してから、
「がーはっはっは、あんたじゃまだ、あちしに勝つのは十年は無理よーう。これでもあちしは本気を一割も出してないんだからねい。ま、取りあえず鍛える事ねい。後三十倍くらい強くなったら、少しは歯も立つんじゃナーイ?」
「そ、それって全然駄目ってことじゃないのよ…」
「んがっはっは、あんたも分かってるじゃナイ。さ、それじゃ屋敷に帰るわよう」
 つかつかと歩み寄ると、綾香を軽々と抱えて肩に担いだ。
「これでも毎日訓練してるのにまったく歯が立たないなんて…」
 キッと口惜しそうに自分を睨む娘に、
「あんたがあちしより強かったら、黒ちゃんがあちしをあんた達のボディガードにするわけないじゃナイ。せいぜい頑張るのねい」
「い、いつか絶対勝ってやるからねっ」
 肩に担がれたまま気勢を上げる娘に、
「楽しみにしてるわねい」
 男はもう一度、がっはっはと笑った。
 身長は180を優に超え、その強さは学園内で他の追随を許さぬ強さを誇る綾香を以てしても、歯どころか指すら立たない程だ。
 ほぼ完璧なボディーガードと言えよう。
 そう、ただ一つを別にすれば。
 ボン・クレー。
 最凶のオカマにして最強のボディガードであった。常に発揮されるオカマ振りは、来栖川財閥の総帥でもある、綾香と芹香の祖父をして表情を硬くさせる程のものではあるが、この男が綾香と芹香のボディガードに着いてから、二人の身に危険が迫った事はただの一度もない。
 以前は綾香が自ら姉や自分を守った事もある。無論、護衛達がまとめて倒されたからだ。
 だが、このボン・クレーは違う。
 文字通り、鉄壁の護衛なのだ。
 綾香の出番など、この男がいる限り永遠に来ないような気さえする。
 そしてまた、全力を尽くして挑んでも片手でたやすくあしらわれ、数十度挑んでダメージを与えた事すらまだないのだ。
 帰りはこうやって肩に綾香を担いで帰るのが、もう習慣のようになっている。
 綾香がまったく無防備な状態である事を考えると、それだけ信頼しているのだとも言えるのだが、ボン・クレーの方に微塵も興味がないのも大きい。
「芹香の薬も切れるし、そろそろ黒ちゃんの所に行くはずよねい。あちしのあげた商標権、使ってなかったらオカマケンポーよーう」
 同時刻、遠く離れた場所で品物の点検をしていた黒瓜堂の主人は、軽く鼻に触れた。
 一瞬むず痒さを感じたのだ。
「オーナー、どうかしましたか?」
「いや、何でもない。おそらく――オカマにでも噂されたのだろう」
 
 
 
 
 
「やるね」
 あやめを一目見たシンジの口許に笑みが浮かんだ。
「ずいぶんと大きくなったものだ」
「お、大きく?」
「要するに霊力開発。ここまでになれば、うちの小娘達も異論は唱えないでしょ。短期間で、よくここまで成長したものだ」
「あ、あの碇君」
「何?」
「わ、私にはよく分からないんだけど…」
「かえでは?」
 視線を向けられたかえでも首を振った。
「ごめんなさい」
「別に謝る事はないよ。見た目には別に変化無いんだし」
 ここ最近、あやめの日課は魔界へ行って帰ってくる事だけであった。シンジから時間の指定はされているが、それ以上の事は告げられていない。
 最初は文字通り、歩いただけで体中が悲鳴を上げていたのだが、いつの間にか歩けるようになっていた。当然ながら、その次は折角刀もある事だし使ってみたいと思うのだが、その機会はなかった。
 まだ歩けぬ時に数度襲われ、命からがら逃げ出した雪辱を果たすと決心していたのだが、不思議な事にまったく遭遇しない。
 見かけるのは、人間界では決して見ることのない奇妙な姿形はしていても、まったく敵意は持っていない生き物であり、さすがのあやめもそれを斬ろうとは思わなかった。
 しかし何より奇妙だったのは、時折凶暴そうな唸り声が聞こえた事であった。それも明らかにすぐ側にいると分かるような声なのに、あやめの目には何も見えないのだ。
 無論、あやめが盲目になったわけでもステルス仕様の生き物が徘徊していたのでもなく、想い人に囁かれた魔界の女王の仕業である。
「でもあの…」
「ん?」
「魔界の往復だけで…どこかが変わったの?」
「変わった。それも間違いなく」
 シンジは短く断言してから、
「かかって来なサイ」
「『…え?』」
 
 
 
 
 
「どう?あのバカ共の行き先分かった?」
「どうやら、中南米の方へ向かったようですが、具体的な行き先まではちょっと…」
「中南米…って事はまーた遺跡荒らしね」
「遺跡巡りって言いなさいよ。別に荒らしはしない筈よ」
「似たようなモンよ。で、あんたシンちゃんに外されたって本当なの?」
「ええ。妊婦になった時、膨らんだ腹で護衛も出来ないだろうから、今のうちに削除しておくって」
「それって、好きに子供作っていいって事よね」
「そ、そうね」
「それをあのバカ共が〜!」
 ミサトの言った通り、瞳の結婚を機にシンジはフユノのガードから外した。言うまでもないが、黒服の付かない時の護衛は襲われ率もなかなか高く、ただ付いていればいいというものではない。
 結婚して双方の合意があれば、身体に問題が無い限り大抵は子供が出来る。最近の傾向は、生活苦の家族に限って子沢山だったり、子供が子供を産んで捨てるような風潮が増えているが、この二人の場合はどうなるか。
 とまれ、ガードから外れたと言うことはそのまま、ミサトと適当に対等になるわけであり、会話が変化してるのはその為だ。
 がしかし。
「泪、お前も外すから。もういいよ」
「…シンジ様?」
「なに?」
「なに?じゃなくて、何を考えておられます」
「別に。ただお前達付けておく必要がなくなっただけ」
「代わりの誰かを?」
「そんなのは居ない。だいたい、お前達以上がそうそういる筈ないだろ」
「あ、ありがとうございます。でも、それなら尚のこと外しては駄目でしょ」
「いい」
「シンジ様、まだ怒ってるんですか?」
「別に怒ってなどいないよ。ただ、付加価値が無くなっただけさ」
(……もう)
 レニのことが未だに尾を引いているらしいのは、泪にも分かっている。確かに可愛がっていた従妹だし、ましてシンジの場合は自分の事など自分でやる性格だから、自分にしか向かない目玉などくり抜いて生ゴミにしておけ、位に思っているのは間違いない。
 とは言え、フユノの心の方が泪にはよく分かる。だいたい、シンジは妙に自立し過ぎなのだ。
 自分だって、二親代わりに育てて来た愛に妙な虫が付いた日には、放置する自信はほとんど無い。
 レニが妙な虫だとは言わないが、フユノにとっては大切な手中の珠であり、自分の思う者と結婚させる気は無いにしても、子供の戯れ言でシンジの相手を決めたくないと言うのは分かる。
(…ん?)
 だとしたら、保護者というのは多かれ少なかれ、多少はそういう所があるのかもしれない。
 妙な事に合点した泪だが、この我が儘な孫の言うとおりにするわけにはいかない。
「シンジ様の言うことは分かります」
「どれ位?」
「これ位」
 人差し指と親指の間は、一センチほどもない。
「むう…やっぱりお前碇フユノの同類だろ。前から怪しいと思ってたんだ。愛に彼氏が出来たら興信所と自分使って調査するタイプだな」
「絶対に違うと否定はしませんわ。でもシンジ様だって、大切な身内が出来たら分かりますわ。ミサトさんと想いが逆だったら、どうしてました?」
「でも、それはなってない以上仮定じゃない。父親が健在だったら、泥棒と刑事の関係になる事もなかったし、もっと早く結ばれていたかもしれない。でも、もしかしたら父親の妨害が入ったかも知れないでしょ」
「それは…」
「とにかく、今はもう泪を付ける必要はな――」
「いけません!」
「むう」
「もう少し、自分の言動には責任を持って下さい。その辺のチンピラを始末するのとは話が違います。御前様に何かあった時、替わって全指揮を執る覚悟はおありですか?」
「分かった、好きにするといいさ」
 こんな会話があった事など、ミサトも瞳も知らない。
 ただし、シンジとて猪突猛進しか知らぬ猪武者でも、一時の感情に任せる激情家でもない。
 覚悟はあるのかと言われた時、シンジの表情が動いたことに泪も気づかなかったが、ブレーンをそっくり入れ替える位の知り合いを既に手配してあるのは、ごく少数しか知っておらず、黒木豹介は数少ない中の一人であった。
「じゃ、行く?」
「そうね、行きましょ。これ以上俊夫達に好き勝手はさせないわ」
 がしっと手を握った二人だが、
(シンジ様にお知らせした方が…)
 比奈の心にちらっと不安が過ぎった途端、
「イイ?シンちゃんに言いつけたら、あんた磔にするからね」
「は、磔?」
「十字架に張り付けて、体中に鳥の餌を接着剤でくっつけるのよ。そこに鳩の群れを襲来させたらどうなるかしらね〜?」
「わ、分かりましたっ」
 いくら比奈でも、襲来する鳩相手に勝ち目はなく、慌てて首を振った。
 
 
 
 
 
「あ、あの掛かってこいってどういう事」
 スラーンとエクスカリバーを抜いたシンジだが、敵うはずはないし、不安そうにシンジを見たのだが、
「別に勝てなんて言ってないさ。ただ、斬りかかってくればいい。要するに、斬りつけてみって言ってるの。あ、かえでからね」
「え…?」
「ほら、早くはやく」
「……」
 妙な言葉に顔を見合わせたがかくなる上は是非も無しと、
「たーっ」
 上段から斬りかかった。
「ん」
 片手で受け止めて、
「ほらね」
「え…あうっ」
 あっさりと跳ね飛ばされた。
「あやめ、はい次」
 からかわれている、そう気づいたあやめの目がすっと細くなり、刀身に殺気を帯びて斬りかかった。
 からかってなどいない、と知ったのは次の瞬間であった。
 斬りかかった途端、白羽鳥が光を帯びたのだ。
「こ、これは…」
「そう言うこと」
 うりゃ、とこれもやっぱりさくっと弾かれたが、
「剣技、と言うのはあまり伸びないの。でも、叩き付ける力が増えれば効果も倍増するでしょ。つまり」
「『つまり?』」
「今のあやめは、女神館(ウチ)の小娘達全部を合わせたより強いって事。腕はさくら辺りの方が上かも知れないけど、一撃当たれば斬り捨てるのも簡単になってる」
「ど、どうして?」
「魔界をうろついたから。脂肪の減らし方は知ってるね」
「脂肪?えーと…脂肪が脂肪酸になって運動エネルギーに変わる…だったかしら」
「正解。魔界もそういう事だ。魔界の空気は人間界(ここ)とは違って、かなり重い。具体的に言えば、精神エネルギーを必要とするの。あやめ達なら霊力だ。要は、歩いている内に嫌でも霊力が増幅するって事になる。霊力がそのまま空気とのクッションに変換されて、普通に歩けるようになる。それが出来なければ、死ぬだけさ」
 事も無げに告げたシンジに、かえでの顔から血の気が引いたが、
「でも、どうして私を選んだの?」
 あやめの方は、そんなに動揺を見せることなく訊いた。
 シンジはそれには直接答えず、
「あやめ、人を斬った事あるでしょ」
「!?」
「ウチの住人達を使うべきか、俺は今でも迷ってる。使えるのは綾波レイとマリア位のもんだ」
「レイ?」
「そ。後は、要するにお嬢様だ」
「……」
「最初は知らなかったが、今は少なくとも俺がいる事を知っている。葵叉丹が間抜けででなければ、単なる玉砕は選ばない」
「あの子達に何を望んでいるの?」
「人を斬れる事」
「…何故そこまで?」
「俺が葵叉丹ならそうするからだ」
「?」
「一般人を操って襲わせるか、或いは誰かに取り憑いて仲間を襲わせるか。ウチの住人達の中で、両親がいるのは山岸くらいだからな。後はいくらでも付け込む隙がある」
「アイリスだっているでしょう」
「あやめ」
 不意にシンジの口調が変わった。
「屑を二親とは呼ばん。その位は知っておく事だ」
「い、碇君あなた…」
「俺は少なくとも、碇ゲンドウとユイに産んでくれと頼んだ記憶はない。お前は親に産んでくれと頼んだの?」
「そ、そんな事出来るわけないでしょう」
「その通りだ」
 シンジは冷たく頷いた。
「イリス=シャトーブリアンも出来はしなかったろう。勝手に産んだ挙げ句、その能力を恐れて幽閉するような屑が親を名乗る。決して許されん事だ」
「そ、それは…」
「パリに花組と同じ物があるな」
「ええ」
「何処に何があっても、俺には関係ない。だが、パリのそれはシャトーブリアン家が資金源になっている。アイリスの事を知っているのかは知らんが、随分と人のいい事だ。連中の間抜けな面を一度見てみたいものだ 」
「…っ!?」
 今度こそ、二人の顔から同時に血の気が引いた。
 シンジの耳に巴里の事が入ったのは、つい先日だと聞いている。既にここまで知っているとは思わなかったのだ。
 シンジの言うとおり、巴里花組の資金を全面的にバックアップしているのは、アイリスの実家シャトーブリアン家だ。そしてそれは、アイリスの両親であるロバートとマルグリットの慚愧の念から来ているのだが、それをシンジがあたかも蛇蝎のように忌み嫌っているのを二人は知った。
 シンジならシャトーブリアン家無くとも、巴里花組の資金など簡単に出せる。
 自分のことではなく、レニの生き方を踏みにじったと、祖母のフユノすら抹殺しようとしたシンジが、今後は気を付けるようにであっさりと看過するかどうか。
 シンジはどうするとも言っていないが、二人の背中をぞっとするような鬼気が走り抜けた。
「さて、と」
 シンジの表情が緩んだ時、二人はほっとしたのだが、
「本当は、今の内に十人位殺(や)っておくのがいいんだけど、無理強いすると自我に変調を来しそうだし」
 シンジの口から出たのは、またしても物騒な台詞であった。
「い、今の内って一般人を殺せるわけないでしょう」
「誰がそんな事を言った」
「…え?」
「大日本帝国下の憲法なら、拳銃や日本刀を持って襲ってくる相手を返り討ちにしても殺人罪には問われない。それどころか、有罪にすらならない。後ろから蹴飛ばせば、拳銃を引き抜く連中なんて、その辺にいくらでも転がっているし」
 確かに、気の荒い極道なら蹴飛ばして、おまけに因縁を付ければ十分だろう。
「それに、俺がし向けたなら、警察に介入はさせないし」
「それ位の知り合いはいるものね」
「何言ってんのさ」
「?」
「逃げるに決まってるじゃない」
「……」
 三十六計も逃げるには如かないのだ。
「踏みとどまるなんてカバカバしい事はやんないよ。とにかく、ウチの小娘達をもう少し使えるようになったら、指揮は少しの間あやめに任せるからね」
「どこかへ行くの?」
「出雲。バイブ調教しに行ってくる」
「そう、バイブ調教…バッ、バイブ!?」
「それが何か?」
「べっ、別にっ…」
 今度は二人揃って真っ赤になった。
「一向に帰って来ない馬鹿メイドのお仕置きに行ってくる。留守の間は任せるからね」
「ちょ、ちょっと待って。任せるって言っても…」
「さくら辺りが駄々こねたら、一発かましても構わないから。何なら、腕の二本位折っても構わない」
「い、碇君っ」
「別に冗談でも大仰に言ってるわけでもない。さくらが俺にくっつくのは、単に俺の強さへの憧憬だ。自分が手も足も出ない強さの相手なら、指揮官としてさくらも認める気になるだろ」
 半分違う。
 確かに、シンジへの憧れはあるが、今のさくらの思考を分解すれば、それは三割ほどでしかない。
 強い男に惹かれる――強いだけで済むのは原始時代の話であり、今は平筬の世の中だ。
 それに、真宮寺さくらはそこまで単純ではない。
 ただシンジの場合、鈍いと言うより色恋沙汰には壊滅的なほど興味が無く、だから気づかない部分も大きいのだが、普通興味がないことには鈍いのが当然であり、女心に鈍いなどと人権を無視したような台詞で括るには問題がある。
「そんなに単純かしら…」
「何か言った?」
「いえ、別に何でもないわ。それで、どのくらいの間離れるの」
「そこなんだよ、あやめちゃん」
「…え?」
「母親が成仏しない限り、多分こっちには帰ってこない。とは言っても、強硬手段はとれないからね。ま、いいとこ三週間位。その間に襲ってこなければラッキーデイ、と」
「はあ」
「機体の方は仕上がってるし、後はボンクラーズをまともにするだけだ」
「ズなの?」
「ズ」
(うーん…)
 さくら達がシンジを好きなのは知っている。それもシンジが自覚している憧憬程度のレベルではなく、恋レベルまで行っている事も。
 しかし、シンジの方の認識はボンクラーズ程度でしか無いらしい。そしてそれは、さくら達ではなく自分を最初に魔界に行かせた事でも分かる。
 本当にさくら達を評価していれば、彼女達を最初から行かせていたろう。降魔戦争の生き残りという、単にそれだけで優先するような男ではない。
「でも、考えているのはあの子達でしょう。さっさと仕上げてね」
「うん?」
「私が陣頭に立って退治するんじゃなくて、私はあくまでも碇君の代わりで――」
 言いかけたあやめの言葉が途中で止まった。
 微妙に動いたシンジの表情に気づいたのだ。
「どうしたの?」
「統計から言うと、人を好きになるってのは、ろくなモンじゃない。特に、能力(ちから)を持った者限定ではほぼ十割だ」
「『碇君?』」
「さってと、恋愛論はその辺にしておいて、今日は初体験済んでない妹行くぞ」
「初体験っ?」
「何を慌ててるのさ。魔界行くって言ってるんだけど」
「ま、魔界…そ、そうよね魔界よね」
「ませた妹さんだこと」
「だっ、誰が!」
 一度魔界へは行ってるし、正確に言えば初体験ではない。
「安定して歩けるのはこれが初めてだから」
「安定って?」
「安定期」
「……」
「もーイイ!」
 そっと落とした地雷が不発に終わり、シンジはプイッとそっぽを向いた。
 
 
 地雷は不発に終わったが、だからと言って結果が変わるわけもなく、完全にグロッキー状態の妹を背負ってあやめは戻ってきた。
 確認を兼ねてシンジも付いていったのだが、やはりあやめの方は確実にレベルアップしており、足取りもしっかりしている。
 その代わり、シンジの方は二人の周囲に結界を張り巡らせるのに一苦労であった。結界と言っても、単に風の防壁を作り触れるものを切り裂くだけだが、他人用のそれを作るのは自分用を作るより数倍疲れる。
 当然のことだが、魔界の空気慣れしたとは言え、修羅場を超えたわけではない。単なる行き来の繰り返しは、あくまでも霊力の増幅にしかならないのだ。
 とは言っても、霊刀による剣撃の効果は使い手の能力をストレートに反映する為、決して無駄ではない。基礎体力みたいなものではあるが、それが無ければ上達もまたあり得ないのだから。
 ウチの住人達にはどこからやらせたモンかな、とシンジはそればかり考えていた。あやめに言ったように、現時点でもまだ心は固まっていなかったのだ。
「取りあえず脳天気な剣道娘には少々痛い目に遭って…ん?」
 呟いたシンジの足が止まった。
 部屋のドアが開いているような気がしたのだ。
「気のせいかな」
 一瞬首を傾げてから部屋に入っていく。
「はー、疲れた」
 どさっと大の字でベッドに倒れ込んだ途端、
「『やあんっ』」
「…あん?」
 色っぽい声にシンジの眉が上がり、毛布を引きはがすと、
「チャオ」「はあい」
 身体を丸めて身を寄せ合っているさくらと織姫がいた。
「……何してはるん?」
「『泊まりに来たの』」
 その一分後、
「『やああんっ』
 にゅうと手が伸びて、乙女二人がぽいっと部屋の外に放り出された。
 
 
 
 
 
(つづく)

TOP><NEXT