妖華−女神館の住人達
 
 
 
 
 
第百二十四話:なにそれ初耳よっ
 
 
 
 
 
 群を抜いて良い、と言う訳ではないが、客が来たらきちんと出迎える基本的な教育は出来ている店だ。
 そう思っていたのだが、なぜか今日に限って玄関先に立っても誰も出て来ない。
「誰も居ないの?」
 声を張り上げると、ようやく若い娘が一人顔を見せた。
「店先に誰もいないなんて、一体どうしたのよ」
「済みません、ちょっと今日は全員作業に入ってまして。さ、お上がり下さい」
 通されると、黒瓜堂の主人はいつもの部屋で梅の入ったお茶を飲んでいた。
「あ、いらっしゃい。今日は何かありましたか?」
「何かじゃないわよ。ぬあーんでだーれも出て来ないのよーう」
「ちょっと作業入ってまして。あ、祐子さんコーヒーお出しして」
「はい」
 立ち上がって出て行った娘を見ながら、
「作業って一体何やって――え?」
 黒瓜堂の主人が、隣の部屋をすっと指した。
 その先を見たミサトが、一瞬唖然とした表情になってから絶句した。
 店員総出で何をしているかと思ったら、刺繍作業だったのだ。
 しかもそれは、どう見ても“おかま道”にしか見えない。
「お…おかま道?」
 とつい口にした途端、明らかに土星人を見るような視線を向けられた。
「な、何よう」
「道じゃなくて、ウェイ。常識でしょ常識」
「くっ…わ、悪かったわね。で、誰が着るのよ」
 つうっと上がった親指は、まっすぐに自分を指した。
「そ、そう言う趣味があったわけ?」
「人類は元々二人ですよ」
「はあ?」
 何を思ったか、黒瓜堂の主人は全然関係ない事を言い出した。
「従って、二人の子供は必然的に近親相姦になったでしょう。でも、それは遙か昔の事であって、今には関係ありません。なのに、この人口過剰の時代になっても実の弟に、それもよりによって彼氏がいながら懸想する気持ちワルイ人もいますが」
「わ、分かったわよっ。あたしが悪かったわよっ」
「結構です。それで、何です?」
 店に数十の回線から同時にいたずら電話でもしてやりたくなったが、何とか踏みとどまった。
「今日は買い物じゃなくてね、頼みがあるのよ」
「頼み?ウチに来られるとは珍しいことで」
「他だと出来ないし…と言うより、始末させたくない相手なのよ。ま、ムカつく相手ではあるんだけどね」
「屋敷のメイドさん達に止められないものが、私に出来る訳ないでしょう」
「ところがぎっちょん、これが出来るのよねえ――多分」
「多分〜?」
「きっと」
「きっと〜?」
「と、とにかくお願いっ」
(誤魔化しましたね)
 思ったが口にはせず、
「この間弟君のアダルトな写真を買ってもらった事もありますし、お話だけはお聞きしましょう」
 ミサトがほっと息をついたところへ、店員の娘がコーヒーを運んできた。
 
 
 
 
 
 積極的に戦線に参加し、腕に傷を負ったさくらとすみれだが、これは二人が張り合った結果であって、他の娘達には関係ない。
 一応待ってはいたが、アスカと織姫は参加しなかったのだ。
 披露宴の会場に向かって歩きながら、
「取られちゃったわね。さくらもすみれもすぐ張り合うんだから」
 くすっと笑ったアスカの顔には、なぜか悔しさの色は微塵もなかった。
「そうね」
 すんなり頷いた織姫に、
「で?なんであんたは参加しなかったのよ」
「アスカだって。別に手も出そうとしなかったのはどうして?」
 どちらからともなく足が止まり、二人の視線が中で絡まった。
 相手の心を見るように、そしてどこか考えを探り合うように。
「多分、あんたと一緒よ」
 先に口を開いたのはアスカであった。
「私と?」
「そ。あんたもそう思ってるんでしょ」
「多分、ね」
 ある意味荒療治だったが、その後同居するようになったのが同年代の娘だったのが効いたか、織姫の口調はだいぶ治ってきた。今なら町中で話しても、なんて単語を口にするのかと周囲を気にする必要もかなり減った。
 かなり、ではあるが。
「どこがって言われると、正直困るのよ。三枚目じゃないけど、すっごく美形ってわけでもない。大富豪の家に生まれてるけど、本人がまったく興味ないって言うあれは本心だし。能力はとても高いけど、それで大きく置いてきぼりを喰うわけじゃないし」
「でも横にいられない…でしょ」
「そうなのよね。結婚って両方が対等な関係なのは当たり前だけど、今のシンジとじゃ絶対にそれは無理。誰が相手でもそう、断言してもいいわ」
「……」
 二人の脳裏に、シンジの横で花嫁となった自分たちの姿が浮かぶ。
 無論二人とも年頃の乙女だし、ミサトの位置に自分を重ねもしたのだ。
 がしかし。
「富める時も、貧しき時も、病める時も、健やかなる時も生命あるかぎり、この者だけを愛することを誓いますか?」
「そう言う予定はない」
「…は!?」
「俺の物は俺の物。アスカの物も俺の物。従ってアスカは俺のモン――ずっと一生」
 シンジならきっとそう言うだろう。
 それは別にいいのだが、問題はそれが実情である事だ。それは外面であって内心ではちゃんとパートナーとして認められている――そう言い切るだけのレベルに、残念ながら自分たちは居ない。
 ミサトの晴れ姿を見ながら、二人の心に去就していたのはその事だったのだ。それがあったから、ブーケ争奪戦にも参加できず、その行く末を眺めていたのである。
「…ん?ちょっと待ってよ、それってあんたシンジと結婚するとか思ってるわけ?」
「当然でーす。アスカは恋に恋してるだけ、本当に想ってる私が一番相応しいでーす」
「じょ、冗談じゃないわよ、あんたみたいな猫娘がシンジと上手く行くわけないでしょうが」
「なんですって」
「何よ」
 さっきまでの雰囲気はどこへやら、ふぬぬぬと睨み合う乙女二人だったが、
「止めとけっての。こんな所で張り合うのはあの二人だけで十分だ。おめえらは、あのヘビ女達よりは大人――だろ?」
 自分には関わりない事でシンジに突っかかるのは、子供と言うより命知らずと言うべきだが、この場はそのカンナが抑えに回り、二人とも少し引きつった表情ながら、ぴたっと睨み合うのを止めて笑顔で振り向いた。
 
 
「ピラニアでしょう」
「ピラニアですねえ」
「それで、ピラニアがどうしたんです?」
「だからピラニアがねえ、もう少しで処分されるところだったんだから。絶対餌にしてやる」
 聞いててイライラするわい!と突っ込む者もおらず、いつの間にかシンジの殺気はふにゃふにゃと萎えかけていた。
「別にいいじゃないですか。あっちは得したんだし」
「…得?」
「だから、その特急みたいな名前の女性がピラニアの処分を進言したんでしょう」
「そうそう」
「で、誰が止めたんです」
「えーと…確か姉貴が」
「そうで、それを君に告げたのは?」
「帰ってから姉さんに聞いたけど」
「それだけ?」
「え?」
「ピラニアは守ったからね。じゃ、あたしはこれでって終わったんですか」
「確かあの時は…」
 一瞬、何かやな物を思い出した表情になり、
「舌入れられたんだ」
「ポジティブな姉君で。つまりそう言う事ですよ。確かに処分をとは言ったけれど、結局守られたから君に実害はない。それを教えた姉君も、弟から熱いキスを貰って満足、と。何より、何年も顔を見るまで殺気を忘れてたなんて、大した事じゃありませんよ」
「むう…でもやっぱりやだ」
 強硬姿勢を崩さないシンジに、
「仕方ない。じゃ、うちの店員部隊に連れてってもらいましょ」
 言葉が終わらぬ内に、わらわらと現れたのはいずれも黒瓜堂の店員達だ。いつの間にか忍び込んでいたらしい。
「温泉に浸かれば気も変わるでしょう。丁寧に拉致を」
 とんでもない事を言い出し、たちまちシンジは抵抗も出来ずにお縄になった。何よりも、首に掛かっている縄が邪魔になっている。
 だが拉致が完成しようとしたその瞬間、
「動くな!」
 後方から鋭い声が飛んだ。
「あれ?」
 ちらっと見たそっちには、愛銃を構えたマリアの姿があった。既にセーフティは外れているに違いない。
「女騎士さんがお迎えですが」
 その言葉を聞いた途端、シンジが跳ね起きた。身体の縄などまったく気にした様子はなく、
「あー、待った」
 すっと手を挙げた。
「“あれ”は俺が持ってくから。今回はあの大年増生かしとく。じゃ、これで」
 立ち上がった身体から、綺麗に寸断された縄の破片が落ちる。
 店員達は誰も緩めていない。
 つかつかとマリアに歩み寄り、
「式場で発砲する気か、マリア?」
 低い声には触れるべからざる殺気が含まれており、マリアは銃を持った姿勢のまま立ち竦んだ。
 一瞬シンジの手がピクッと動いたが、それは結局何も放つ事無く止まった。
 黒瓜堂から、式場で血を流すなと出張って来たのに、マリアは銃口を向けた。自分の状況はともかく、何一つ分かっていないではないか。
 自分が拉致されると、勝手に思いこんだ事も、そして銃を抜いたここが何処なのかという事も。
「銃を持たぬ相手に向けるなと言っといた筈だ。学習能力までも、雲南の地に置いてきたのか」
 冷ややかな言葉に、マリアががっくりと膝を突く。
 そのままさっさと歩き出そうとしたシンジだが、
「うちの精鋭なら、五精使いでも拉致できますよ。だったら、管理人さんの事は心配でしょう」
 項垂れた傷心の娘など置いていかれても困ると、背後から掛かった声にその足が止まった。
「はふー」
 向こうを向いたまま、ゆっくりと深呼吸してから振り向いた。
「マリア、そんなところでみっともない格好してないで、ほら行くよ」
 一瞬のセルフコントロールは…八割方成功したらしい。
 何とかマリアが立ち上がり、二人して姿を消すのを見送ってから、
「危なかった」
 黒瓜堂の主人は、やれやれと息を吐いた。マリアの闖入がなければ、あっさりとシンジは縄を抜け出していたに違いなく、更なる捕獲に自信の程はあまりなかったのだ。
「これで、コンコルドに乗って消しには行かないでしょう。とりあえず貸しは出来ましたし」
 三年ほど寿命が縮んだような声で呟いた。
 ところで、はふーと息を吐いたのはシンジ一人ではなかった。
 ケーキに入刀しながら、ミサトの視線はシンジに向いていたのだ。勿論、シンジがすうっと殺気を帯びて出て行ったのも、その後をマリアが追ったのも気づいている。入刀の手元が微妙にずれたのはそのせいだ。
 殺気の意味は分かり切っているし、カードは不発なら自分が行かねばと、少しお尻は浮いていたのだが、幾分項垂れ気味のマリアを伴って入って来た時ほっとしたのだ。
(でも、なんでマリアが悄げてんのよ)
 はてと小首を傾げた。
『逃げた弟にゃ未練はない』とまでは行かないが、一応心の整理はついた。これ以上未練がましいのは、碇ミサトの沽券に関わる。
 そうなれば次はもうやる事は決まっている、観戦モードだ。
(ま、うじゃうじゃいるけど、どれもこれも着外よね)
 着外とは、競馬や競輪等に於いて掲示板に載らない事を指す。一着から五着までは着順掲示板に載れるのだ。
 ミサトが何やら考え込んだ時、
「ほらミサト行くぞ」
「え?」
 不意に小声で呼ばれた。視線だけを周囲に飛ばすと、どうやらお色直しで退場の時間になっていたらしい。
「ちっ、色直しなんて面倒くさい。何着たってあたしは綺麗なのに」
 着付け係をも恐れぬ台詞を呟いたが、
「あ、そうだ瞳」
 ふと気づいたように呼んだ。
「何です?」
「あたしと賭けしない」
「賭け?」
「あたしはさ、もう終わった事なのよ…ってあんたらはそっちでしょうがっ!」
 聞き耳を立てている男共を追っ払い、控え室に入ると厳重に鍵を掛けた。
「あたしはね、もうシンちゃんの事は諦めたのよ。ほら、これでもう人妻だし。でもねえ、黙って終わっちゃ面白くないのよね」
「……」
 さすがに直接ちょっかいを出す気はなさそうだと、瞳は黙って聞いている事にした。
「今さ、シンちゃんを好きなのって何人かいるじゃない。その中で誰が射止めるか、賭けない?」
「シンジ様に知られたら、どうなるか分かって言ってるんですか?」
「あんたもまだ、シンちゃんの事分かってないわね。そりゃ、煽ったりすれば怒るだろうけど端から単に賭けてるなら、そんなの自由じゃない。嫌なら――」
 ずいと顔を近づけ、
「さっさとあたしの二の舞になればいいのよ、そうでしょ?」
 ミサトに取って、結婚は厄災と大して変わらないらしい。
「ま、まあそれは…」
 しかし、肝心のシンジが恋だの結婚だのに、ちっともさっぱり全然興味が無いという事は忘れているようだ。
「近いのは帝劇の娘達なんだけどね、やっぱり最後は住人達の中で決まると思うのよ。あんたは誰になると思う?」
「普通に考えればレニさんでしょう。以前は許嫁だったとかいう話も聞きましたし」
 ふふーん、とミサトは笑った。
「ま、オーソドックスに言えばね。でもね、あたしの目は誤魔化せないのよ。今は――」
 そこまで言った時、不意にドアがノックされた。
「誰よもうオッズ決めてるのに」
「…お二人とも、早く支度なさらないと次に間に合いませんが」
 一瞬顔を見合わせ、
「『しまった!』」
 何をしに来たのか、すっかり忘れていたのだ。
 しかも数回ノックされたのに気づかず、おまけにミサトはともかく瞳まで一緒だった事を知り、フユノが呆れたようにため息をつくのは二十分程後の事になる。
 
 
 少々の問題はあったが、予定は一応順調に進んだ。
 各テーブルにある百個近いキャンドルには、宙に上がった巨大な火の玉があっという間に拡散して舞い降りて点火して会場を大いに沸かせたし、宙に残っていた人魂みたいなそれを打ち消したのは鋭く伸びた水の槍であった。
 前者はシンジだが、水はレイである。
 残念ながら、まだアスカの火はそこまでのレベルにはない。レイの方も、少しパワー不足だったのを補ってもらったのだが、今回の供給源はシンジからではなかった。
 両家謝辞は、来生家からは永石が代わりに出た。ずっと父代わりだった、と言う事になっており、旧悪の一味と知っているのはシンジ達を除けば、冬月位しかいない。
 理由はどうあれ、見逃すというのは大問題なのだが、その前に警察では手も足も出なかったという大前提があり、更なる問題は目下シンジが飼っていると言う事であった。
 花嫁挨拶の時には、もうミサトもシンジに濡れた目を向ける事もなかったのだが、まさか自分を対象にして賭けを企んでいるなどとは、思いも寄らなかった。二人に花束が贈られ、その後新郎式辞となる。
 が、アイリスとレニはともかく、住人達の方は折角用意された料理にもあまり気は向いていなかった。
 言うまでもなく、シンジとマリアが原因だ。何があったのかは不明だが、シンジと一緒に戻ってきたマリアが完全に落ち込んでおり、シンジに至ってはそっちを見る事も、声を掛ける事すらしない。
 単に喧嘩したと言う感じではなく、ご主人様に見捨てられた奴隷の風情すらある。
 無論主人でも奴隷でもないが、シンジの言葉がマリアに重くのし掛かっていたのだ。
「単なる不審者なら、うちのメイドさん達が通してない。紅蘭の件で、結局マリアは現場にいない反応しただけじゃない」
 シンジの口調は静かだったが、与えるダメージは十分であった。以前シンジが李紅蘭に拉致された時、その場にいたのに止めた止めなかったとアスカとすみれが大喧嘩しかけたのを、誰がシンジを拉致出来るのだと言って止めたのはマリアであった。
 マリアからすれば、シンジが妙な気を帯びて抜け出したから、てっきり襟元に仕込んだ通信機に誰かが警護を破って乱入したと、通信でも入ったかと思ったのだ。だからすぐに後を追ってみれば、シンジが事もあろうに縄を掛けられて拉致されかけている。
 銃を抜いたのは、ある意味当然の反応であったが、その辺の連中がシンジを拉致など出来ないと言った本人の行動としては、少々問題がある。
 シンジが望まぬ相手に拉致などされぬ事――今回は少々怪しかったが――何よりも、ここが式場だという事にやっとマリアも気づいたのだ。シンジにしてみれば、余計なお世話どころか単なる邪魔以外の何者でもない。
 本来なら、誰かが酔って絡んできてもいいが、全員素面なのはそのせいだ。
 カンナとマリア以外は全員未成年、というのはこの際放っておく。現に、シンジが来てくれないと仲良く拗ねているアイリスとレニは、フユノの横でさっきから次々とグラスを空にしているのだ。
 花嫁の弟ながら、ぼんやりと舞台を眺めているその姿に何かを感じたのか、近づいてくる者もいない。本来ならさっさと帰っているのだが、戻ってきて席に座った途端身体がぷるぷると震えた。
 携帯を取るとメールが来ており、
『最後まで残る事』
 と書いて寄越したのは黒瓜堂の主人であった。マリアを連れてはいったが、帰りたくなってるに違いないと、見抜いていたのだ。
 付き合いは深くないが、販売店と顧客の関係はこれ位でなければつとまらない。
「お、お手洗いに行って来るわ」
 居たたまれなくなったようにマリアが立ち上がった後、
「ね、ねえシンジ…」
 おそるおそる呼んだのはアスカであった。
「グラスが空?はいはい、ちゃんと注いであげるから」
「あ、ありがと…ってそうじゃなくて、マリアの事よ。事情はともかく、許してあげてくれない?」
「……」
「あたしが余計な事してるってのは分かってる。事情も知らないし、多分マリアがミスしたか、余計な事したかでシンジ怒らせたんでしょ。でも…今日はほら結婚式だ――い、いひゃ」
 むにーっ。
 シンジがアスカの頬を思い切り引っ張ったのだ。本気ではないが、結構むにょんと伸びている。
「あ、結構伸びるんだ。何も知らないと自覚してるだけタチが悪い。アスカの分際でイイ度胸だ」
 誰の分際ならいいのかは分からないが、シンジはすいっと立ち上がった。
「あ、あのどこに?」
「どこ?女子トイレに侵入してマリア連れ出してくる」
 物騒なセリフを残して出ていったシンジに、余計怒らせてしまったかと不安な顔で見送ったアスカだが、その手にそっともう一つの手が重なった。
「え?マユミ?」
「大丈夫よ。碇さんはそんなに根に持つ方じゃないし、あっさり許してくれるわ」
「本当に?」
「ええ。だって今日はお姉さんの結婚式――そうでしょう?きっと上手くいくわ」
「う、うん…」
(あまり仲直りされ過ぎても…)
 刹那ちらっと浮かんだ考えに、アスカは慌てて首を振った。
 
 
「ほほう。するとあんたじゃないんだな、ん?」
 ピタピタと祖母の頬を叩くシンジだが、メイド達も手が出せず遠巻きにしたままだ。
 相手が相手なのに加え、おまけに平手ではなく真剣と来ている。
 黒瓜堂に拉致されかけて翻意はしたが、絶対に善意で来るような相手ではない。どこぞに黒幕がいるはずだと、帰ってきて早速尋問中なのだ。
「覚えておらぬ。儂も一々覚えてるほど暇ではない。例え、たった一枚しかない切り札であってもじゃ。だいたいシンジよ、そんな事で刃物など振り回している暇なのかえ」
「ナヌ?」
「イザベルが今、どこで何をしておるか興味はないのかい」
 ぴくっとシンジの表情が動いた。わざわざ、シンジを怒らせるためにそんな事を言い出すフユノではない。
「今はフランスの筈だな。エッフェル塔で、スパイダーウーマンの真似でも」
「いいや、巴里花組の指揮を執っておる」
「…もう一度」
「降魔の出現がこの帝都だけと思うたか?巴里歌劇団花組五名、もっか稼働中じゃ」
「…性別は?」
「全員女」
 一度言葉を切ってから、
「ただし、隊長は男じゃ。もっとも、お前の足下にも及ばぬがの。そうそう、それからシンジよ」
「はい?」
 もう完全に攻守は逆転しており、フユノは明らかに楽しんでいる様子がある。
「ミサトが巴里の者達に、散々お前の事を自慢したそうじゃ――シンちゃんが来れば、女神館の住人は巴里の者など足下にも及ばなくなる、とな」
「は!?」
 シンジに取っては初耳どころか、寝耳に氷水みたいなものである。
 こんな表情など珍しいが、それを楽しむように、
「碇シンジ、とは一度も言っておらぬ。故に――碇シンジと帝劇華撃団の娘達は、目下かなりのライバル心を持たれているそうじゃ」
「な、な…なにそれ初耳よっ!!」
「別に儂が煽ったわけでも、唆したわけでもないからの」
「何でそんな事を今までっ」
「聞かれなかったからの。降魔がこの地域限定なのか、と言うことくらいは聞くべきであったろうが」
「くうっ!」
 姉の近親相姦願望のせいで、自分と花組の娘達がライバルとして認定されているという。ミサトがどんな顔で自慢したかなど、シンジにはほぼ予想がついた。
「もー、信じらんない!」
 シンジの様子に、居合わせた娘達がつい笑ってしまったのだが、これがまずかった。
「ほほー、そんなに面白いんだ」
 さっと手が上がると同時に天上から降りてきた捕縛システムが、たちまちメイド達を逆さに吊し上げた。
「日頃のお礼もあるんで、心の中と一緒に、お尻の中も綺麗にしてあげる。何、300も流し込めば十分でしょ」
 通常の倍以上の量である。
 目が笑っていないシンジに、彼女たちの顔からすうっと血の気が引く。夫がいる者はもう帰宅しているし、ここに居たのは運悪く二十代の娘達ばかりであった。
 そのまま放って置いたら、注射器にグリセリン液入れて持ってこいと言い出したかもしれない。
 プリプリしてるシンジだったが、もうミサトは諦めているし、今更突っ込むのも気が引ける。ここはやはり、メイド達に浣腸調教でもするべきかと考えた時携帯が鳴った。
「ア?誰だこん…ふうん」
 送られてきたメールに一瞬眉が上がったが、何が書いてあったのか、にやあと笑うとパキッと指を鳴らした。
 途端に縄が外れ、どさどさと娘の肢体が下に落ちてくる。
「機嫌治ったから帰る。じゃあね」
 スカートが捲れ上がり、あられもない格好になっている娘達には目もくれず、シンジはさっさと出ていった。
 
 
 その翌朝、住人達の安眠はけたたましいスキール音で破られた。
「シンちゃんっ!!」「シンジ様っ!」
「もう、何よう朝っぱらから」
「何よう、じゃないわよ居ないのよ!」
「誰が?」
「俊夫ですっ」「あのバカよ!」
 だいぶ呼称は異なっているが、
「今頃はもう機内でしょ。追いつけないよ」
 あっさりと告げた。
「シ、シンジ様それってどういう…」
 壮絶なまでに嫌な予感がした瞳だが、
「結婚は人生の墓場――シンジ君が良い事言った。ミサトはあんなんだし、瞳もまだ家庭に落ち着ける年じゃない。無論俺たちだってそうさ。と言うわけで、またしばらく旅行してくるよ。今度はメイドさん達の襲撃が無いように頼む。それじゃ」
 シンジは見せたのはメールであった。本邸で、一転してご機嫌になった理由はこれだったらしい。
「何それ初耳よっ!」
「だよねえ」
 ゆっくりとミサトの手が震え始める。本気で怒っている証拠だ。
 が、
「これ、夕べ来たのよね。シンちゃん、何であんた言ってくれなかったのよ」
「聞かれなかったし」
「『は!?』」
「き、聞かれなかったって…」
 だがミサトの言葉を封じるように、
「巴里歌劇団て、何?」
「…え?」
「シンちゃんが来ればどうのこうのって、なーんの事かなあ」
 びくっ。
「なんか、ずいぶん隠し事してるみたいだし、姉さんにはイロイロ聞かないとねえ」
 攻守逆転、ゆっくりとシンジの手に炎が出来るのを見て、
「ひ、瞳帰るわよっ」
「え?あ、ちょっとっ」
「ほら早くっ」
 あっという間に駆け出す後ろから、
「待てえ」
 虎の形をした巨大な炎が、初夜の晩、夫に逃げられた花嫁達を追いかけた。
 
 
 
 
 
(つづく)

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