妖華−女神館の住人達
 
 
 
 
 
第百六話:結婚するって本当ですか(中編)
 
 
 
 
 
「元気そうで安心しました」
「まったく、碇さんに喧嘩を売るなんて、脳細胞に虫でも湧いてるんじゃなくて?」
「うるせえなあ。文句言いに来たのか見舞いに来たのかどっちなんだよまったく」
「もちろん」
 一呼吸置いてから、
「見物ですわよ」
「あんだとこの――」
 カンナが起きあがろうとした所へ、
「まだ、院長先生から退院の許可は出ていませんわ。もう少し、安静になさっていてください」
 薄絹みたいな声と共に、人形娘が入ってきた。
 ドレスの端を軽くつまんで一礼した動作のなんと自然な事か。付け焼き刃など到底及ばぬ、文字通り生まれ持ったような気品であり、すみれでさえも自分の及ばぬところと一目で気付いていた。
 しかし、身にまとう雰囲気は幾分触れがたいものがあり、
「本来なら診療も受付も拒否されるところです。くれぐれもお気を付け下さい」
「あ、ああ分かってるよ…」
「あ、あの」
「はい?」
「ち、治療も受付も拒否されるってどういう事ですの?こ、ここは病院でしょう」
「その通りです」
 奇妙な表情で訊ねたすみれに人形娘は頷いて、
「ここはシビウ病院――死からは最も遠い場所です。ただし、碇さまのお手によらない事が条件ですが。この病院の院長はお姉さま――ドクトルシビウです」
 “シビウ先生とキスしてました”
 この場にはいないさくらの台詞が、皆の脳裏を鏑矢のように過ぎった。
 それにこの娘はなぜ、碇さまなどと呼ぶのだ?
 これが適当な愛称ならばいい。
 だが彼女がカンナとマリアに付いて行った事は、この場に居る皆が知っている。そして、ドクトルシビウが何となく人選することなど、決してあり得ないと言う事も。
 単なるお世話係として行かせたなどという事はあり得ない。同時にまた、ボディガードも兼ねていた筈だ――それも、この二人を間違いなく守りきれる強さの、だ。
 すみれとマユミの脳裏を過ぎったのは、自分達の手で宙に吊されているシンジであった。
 もしかしたら…自分達はとんでもない相手にとんでもない事をしているのではないか、そんな考えが顔に出たのか表情が強ばったすみれに、
「すみれ、おいすみれどうしたんだよ」
「な、なんでもありませんわ」
 怪訝な顔で声を掛けたカンナに首を振ってから、
「そ、それで…カンナさんはいつ頃退院出来そうなんですの?」
「碇さまが戻っても良いと言われれば、今すぐにでも」
「……」
 至極当たり前のように告げられた台詞に、娘達はそれ以上続ける言葉を持たず、その場に立ちつくした。
 
 
 
 
 
「やっぱりそっちか。ま、そんな所だと思ってたんだ」
 掌でコロコロとダイヤを転がしながら、別に呆れた風情も見せずにシンジは言った。
「がしかし」
「え?」
 スパン!
「な、なにを!?」
 頭をおさえたリョウジに、
「帰ってくるのが遅すぎる。俺の貞操が失われたら命の一つや二つじゃ済まさないぞ」
「そ、それは済まなかった。これを手に入れるのに時間が掛かった上に、俊夫が現地で妙なモンに興味を持ったせいで」
「お、俺のせいだけじゃないだろ。だいたい、向こうで現地妻作りかけたのは誰だ」
「あれは敵の内部に入り込む為にだな――い、言っておくが決して浮気じゃないぞ」
「別に俺の愛人じゃないしどっちでもいい。そんな事より――」
 シンジが言いかけた時、扉がノックされた。
「開いてるよ」
 失礼します、と入ってきた途端その足が止まった。
「と、俊夫っ」「瞳…」
「とりあえず、サクッと行きそうな方から先に選んでおい――」
 言葉が終わらぬ内に、俊夫の頬が甲高い音を立てていた。
「ずっと、ずっと待ってたのに…連絡もしないでどこをほっつき歩いてたのよっ」
「ち、違うんだ瞳これには訳が」
「どういう訳よっ、どうせリョウジさんと遺跡でも荒らしてたんで――あう」
 ぽかっ。
「言っとくが、そーゆうのは俺とフェンリルの専門分野だ。それとも何か?俺に対抗してもっといいモン見つけるってかい」
「ち、違います、そう言う意味じゃなくてっ」
 慌てて瞳はぶるぶると首を振った。
 こんな所で揉めるなと言われるならまだしも、同業者(ライバル)だなどと認定された日には、それこそ墓に入って葬られる瞬間まで安堵の時は消え失せてしまう。
「ほんとか〜?」
「ほ、本当ですって。ね、ねえ俊夫」
付いていけなかった俊夫は振られて一瞬慌てたが、
「そ、そうですよ、別にシンジさんの邪魔しようなんて気はちっともっ」
「怪しいがまあいい。土産話は店に行ってやってくれ。俺はとりあえずウェディングトラップ大作戦を考えにゃならないんだ」
「よ、よろしいのですか?」
「今日はもういい。ただし」
「はい?」
「お前が落としたカップと中身掃除してからだ。ところで、この木っ端微塵になってる物体はマイセンじゃないの」
「も、申しわけありません。同じ品をお返しして――」
「ああ、それ無理」
 シンジはあっさりと否定した。
「ど、どうしてですか」
「青いタマネギなんか大した事無いけど、この絨毯にも染み入ってるんだよねえ。それとも彼氏の給料で返す?」
 二人の顔からすうっと血の気が退いていく。シンジは無造作に踏んづけているが、このペルシャ絨毯など一体幾らするのか想像もつかない。
「『も、申しわけありません…』」
 揃ってうなだれた二人だが、シンジの方はちっともまったく全然気にした様子がなく、
「と言っても、染み入っちゃったもんは仕方ないしねえ。ウチのばーさんにでも掃除させとくとしよう。行っていいよ」
「わ、若様それはっ」
「いいの。蜂の巣よりそっちを選ぶ筈だから」
 奇妙な台詞を呟いてから、
「ほら行った行った」
 まだ顔色が元に戻らない二人をさっさと送り出した。
「オニオンさんが青くなったらブルーオニオンだな。だいたい、こんなのはワンセット数百円で十分なのに。こんなモンばっかり使ってるんだから――どした?」
「いや…つくづく似合ってると思ってね」
「誰が」
「シンジ君さ。君がもし、財産や地位、あるいは名誉に固執する性格だったら、これだけの人脈は集まらなかったろうな」
「異議あり」
「え?」
「地位や名誉に汲々と固執するタイプでも、政財界に太いパイプ持ってるのはいる。あれは何でだ?」
「それは本人限りさ。いわゆる、私が死んでも誰も泣かないってやつだ。君がもし死んだら、何人後を追うか分かったものじゃない。ここの使用人は半数が――」
 言いかけて途中で止まった。シンジがその顔を眺めていたのである。
「使用人、その言葉を二度と口にするな。ウチにいるのはお手伝いさんだけ、それを忘れないでもらおう」
「分かった」
 シンジはすっと立ち上がり、
「俺の性格談義などしてる暇があったら、姉貴に花嫁衣装を着せる算段でもする事だ。白無垢でも尻尾の長いやつでもいい、とにかくこれ以上俺の貞潔を狙わせるな」
 手の上で転がしていたダイヤをぽいと放り投げると、そのまま出ていった。
「一応義弟にはなるが……義兄なんて呼ばせたら、多分その日が命日になるな」
 呟いてから、ふっと息を吐き出した。
 シンジが廊下に出た途端、白い腕がにゅうっと巻き付いた。
「何?薫子」
「分かっておられるとは思いますが、私は元々使用人とか志望ではありません。若だからお仕えする気になったのです」
 言ってる事は問題ないが、主の首に腕を巻き付けながらである。
「若様に何かあったら、初七日に辞表を出して殺人鬼にでもなろうかと思ってますの」
「それは駄目。お前なんかが殺人鬼になったら、何人犠牲者が出るか分かったもんじゃないぞ」
「よくご存じですわ」
 はふ、と息を吹きかけて、
「では、お供しますわ」
「どこに」
「冥土まで。やはりメイド足るものご主人様と一緒に冥、あっ」
 言い終わらぬ内に、一本背負いの要領で前に引き寄せられ、服の間に手が滑り込んでいた。
「薫子」
「はっ」
「とーってもつまんない。実につまんないぞ。だいたい、ひっそりこっそり聞くなんて趣味持ってたか?」
「いいえ。ですが、ドアは開いていましたが」
「…あいつら〜」
 薫子がシンジに嘘を言う事はない。瞳か俊夫が閉め忘れて行ったのだ。
 軽くシンジの手に自分の手を重ねながら、
「そんな事より若様」
「ん?」
「そろそろ、戻ってきていただけません?こちらの方に」
「それは無理だ。結構やる事出来たし」
「日本にいないなら諦めます。ですが、目の前におられるといらいらするんですが」
 くすくすとシンジは笑って、
「あまりいらいらすると皺が増えて、折角の顔が崩れるよ」
「身体の線が崩れなければ、別に構いません。顔だけ良くても、若は絶対に手を出しませんし」
「うん、出さな――いだだだ」
 碇家本邸のメイド達は、仲は悪くないが、出自は結構バラバラである。派遣されてそのまま残った者や、あるいは千鶴のようにフユノが連れてきた者、そして一番多いのはシンジがアイテムとしてゲットしてきた者だ。
 無論薫子はその筆頭だが、他の娘達と比べると、シンジ第一の精神(こころ)は断然強い。
 何よりも、薫子とシンジの付き合い方は、一見すると葉子とのそれに似ているが、元がシンジに捕縛されただけあって、根本的に異なっている。
 極めた関節を解放してから、
「それで、あの程度の小娘達を使って、何を企んでおられます?」
 他の者が口にしたら即座に燃やされそうだが、
「難しいんだよ」
「上手に操るのが?」
「そうそう上手い事言って持ち上げて…ってちがーう、そうじゃない。最終目標は彼女たちが帝都を守った伝説を作る事だが、その前にあまり被害が出ると計画が頓挫するし、俺が全部やっちゃうなんて論外だし」
「なぜそんな非合理な事をされるのです?」
「少し前に降魔が出て来たろ」
「ええ」
「アレを見て分かったんだが、現時点じゃ連中を片づけても、面白くも何ともない。何よりも、帝都を守るってお婆が配属した娘達もいる。となれば、後はやはり育成だよ」
「…いらいらしません?」
「しない。薫子と一緒にするな。お前ペットとか飼った事ないだろ」
「必要ありませんから」
「今度一回飼ってみるといい。最初は掌に載る位の子猫が段々大きくなっていって、最後はすっごく生意気になるんだ。壮大なドラマだぞ」
「…経験あるんですか?」
「無い」
 ささっと薫子から離れたシンジに、
「別に取って食べたりはしませんよ」
「怪しい。とにかく、魔界に穴開けてあの子達放り込んで、その間に機体も完成させてと、結構やる事があるし、全部片づくまではこっちには来ない。ま、少しは顔出すようにするから」
「本当に?」
「ここの生活にはもう飽きたの?」
「多分私は――若と同じタイプなんです」
「その心は?」
「平凡が似合わない」
「そうか……そうかも知れないな」
 平凡・ありきたり、そんな単語を死ぬ程嫌うシンジだから、薫子の心はよく分かる。
 と言うよりも、そうでなければ敗れたとは言え、薫子が従いもしなかったろう。ポケットには青酸カリもあったし、事実飲もうと思えば可能だったのだから。
 す、と薫子の頬を両手で挟み、
「羽が欲しくなったら言うがいい。大空へ舞いたければ、俺は妨げは――」
 声は途中で途切れた。
 正確には、薫子の胸の谷間へと吸い込まれていた。
 一度銃を持たせればシンジなど、いやミサトですら遠く及ばぬ腕がシンジを抱きしめていた。
「私にとって、敗れる事はそのまま死を意味していました。それが私の生き方であり、そしてプライドだったのです」
 薫子はシンジに囁いた。
 そして抱きしめたまま、
「でも、碇シンジという少年に降った事を、私は一度も後悔した事はありません。そして、これからも永遠に」
 すっとシンジから離れ、
「では、私はこれで」
 歩き去る後ろ姿を見ながら、
「本当に良かったのかな」
 呟いた数秒後、微妙な笑みが浮かんだ。
 葉子の顔が浮かんだのである。
(若様が迷ったりしたら、若様目当てで来た者達が困るでしょう)
 葉子は以前そう言ったのだ。
「俺目当てって何さ」
「そのままです。つまり、碇シンジをすっかり気に入ったと言う事ですよ」
 ちゅ、と音がした頬に指で触れながら、
「つまり?」
「主と使用人、と言う関係は同じですが、金銭の雇用関係だけでは、結局それ止まりです。それ以上の感情がないと、すべてを賭す事は出来ません」
「葉ちゃんは?」
「私ですか?私は最初から若様の物ですから」
 当然のように葉子が言ってのけたのを、シンジは思い出した。
 ぴきっ。
 わずかにシンジの眉が上がる。
「思い出したぞ」
 呪文を読むような声でシンジが呟いた。
「俺の物って事は勝手に脱走したりしない。と言うのにあのガキャ未だに帰ってこないし」
 別に脱走したわけではないのだが、
「今度家まで押し掛けて、腰が抜けるくらい嬲ってやる。いーや、もう決めたね」
 身勝手な仕置きを宣言したが、すぐ真顔になった。
「碇ミサトが、すんなり加持リョウジと結婚すると思う人は挙手を」
 辺りを見回すが、無論誰もいない。
「賛成ゼロだってさ。そうだよなあ」
 奇妙な投票をしてから、はあ〜とため息をついた。
 リョウジに捕まえる算段をしておけとは言ったが、どうやら出来ないものと現実的に判断しているらしい。
「それにしても、自分の貞操の為に姉を結婚させるのって…何人いるんだろ」
 急に天然記念物になったような顔で呟いた。
 
 
「きゅっ!?」
 帰って早々、いきなりシンジは首に抱き付かれた。
 と言うより締め上げられて、潰れたカエルみたいな声を出したシンジが、
「お、織姫どうしたの?」
 離れなさいっ、と引っ剥がそうとする住人達をおさえて訊いた。
「碇さんひどいでーす。私だけ置いてきぼりですう」
「置いてきぼり?君らいじめたの?」
 スパン!
「OUCH!」
「あんたが置いていくって言ったんでしょうがっ」
「はい?」
「車の中に置いて行かれたって拗ねてんのよ」
「……?」
住人達の顔を見回していたシンジが、
「あー、思い出した思い出した。織姫、あれはほら、織姫が酔っちゃったから」
「駄目です」
「は、はいっ」
「それとも、もう織姫は邪魔ですか?」
ちらっと潤んだ瞳で見上げられて、シンジはふるふると首を振った。
「んふふ〜、碇さんって優しいから好きでーす。じゃ」
「…何それ」
「キスしてくれたら信じるです」
 んちゅーっと突き出された唇だが、本懐を遂げる前にあっさりとひっ捕らえられて取り押さえられた。
 だいたい、フルメンバーが揃ってる中でシンジにキスさせるなど、アブラカダブラと唱えて紅海の水を割るようなものである。
 かの大予言者モーゼでさえ、一応杖は必要としたのだ。
 ただその中で一人、すみれは加わらなかったのだが、それに気付いた者は誰もいなかった。
「だいたい、あんたが勝手に酔ってたんでしょっ!なんでそれをシンジが――キ、キスなんかしなきゃいけないのよっ」
「そうだよ。自分の健康状態も管理できない挙げ句に、それをシンジに押しつけるだなんて」
「まったくだ」
 珍しくうんうんと頷いてから、
「でも、目が覚めた時に一人きりだと寂しいよね」
「『え…』」
「碇さん…」
 うっとりした表情でシンジを見上げた織姫の頭を、よしよしと撫でてから、
「まあ車酔いは気持ちいいものじゃないし。織姫の席はここにしよう」
 何を思ったかこの男、椅子に座ってその膝に織姫を乗せたのである。
「『!?』」
 たちまち嵐になるかと思われたが、
「で、どうだったの?」
 シンジがその前に封じた為に、抗議の声が上がる事はなかった。
 無論、納得した顔などしてないし、アイリスに至っては自分の席を取られたと、ぷうっと頬をふくらませて織姫を睨んでいる。
「どうって、何の事ですか?」
「桐島カンナ。全員で揃って見に行ったんでしょ」
「『そ、揃って?』」
「うん。別に誰と誰は行くな、なんて言ってないし、車には全員乗ってたじゃない。それとも、他に誰か用事でもあったの?」
 全員が一緒ではなかったと知りながら、シンジも人が悪い。
「い、いえっ、全員一緒でしたよ。みんなで病室まで行って――ね、ねえさくら」
「そ、そうですよ。みんなで行かないわけないじゃないですか」
「織姫は?」
「『あっ』」
「織姫は一緒じゃなかった筈なんだけどなあ。おかしいなあ?」
 わざとらしく首を傾げてから、
「まあいいさ。それより、瞳とミサトの彼氏達が帰ってきた」
「彼氏達って、加持さんと――」
「内海俊夫。君らは知らなかったか。とりあえずさっさと結婚させようと思うんだ」
「なんで?」
「邪魔だから――もとい危ないから。何時までも俺に想い寄せられても困るし…どうかしたの?」
 一瞬妙な沈黙があったような気がしたが、
「う、ううん何でもないわっ」
「え、ええ碇さんがお姉さん思いだなあって」
「ふうん。それで結婚式にはお留守番しててね」
「何でですか?」
 怪訝な表情で訊いたさくらに、
「いや、式の後にブーケ投げのイベントがあるから、なかなか縁遠い方に取ってもら――ふぐー!」
「『ぜーったいに行きますからねっ!!』」
 本音を言えば、彼女たちがブーケに興味を示し、争奪戦で怪我などしてはと思ったのだが、彼女たちにしてみれば、こんなレアアイテムなど見逃せる訳がない。
 しゅっと伸びてきた手がシンジの首を締め上げ、
「『いいですねっ?』」
「あ、あい…い、いいですう」
 気道を圧迫されながら、半ば潰れたような声で承諾する以外、シンジに道は残っていなかった。
 何しろ…マリアとマユミ以外は全員がシンジを襲っていたのだから。
「ブ、ブルータスお前もか」
 無論レニの事を指しているが、
「シンジが連れて行かないなんて意地悪言うから。シンジが悪いんだからね」
 余計なお世話だったらしい。
「それよりシンジ」
「何?マリア」
「カンナの事はどうするの。あのまま入院させておくつもり?」
「別にそれでも構わないが、マリアはそうしたいの?」
「……」
 冷たい一瞥を向けたマリアに、
「さっさと引き揚げて来ないと、狙われる確率が高くなるな。マリア、明日あたり行って来て」
「どういう事?」
「どういう事って、お迎えだけど何か?」
「だからそうじゃなくて――」
 言いかけてマリアは止めた。
「いいわ、病院に行けばいいのね」
「退院できるようにしておくから。じゃ、俺は部屋に戻る。おやすみ」
 そっと織姫を降ろしてシンジが出ていった後、誰にともなくマユミが呟いた。
「シビウ病院では碇さんの手に依る患者は受けないって…本当かしら」
「でも…だとしたら、退院できるようにしておく、とか碇君が言ったのも説明はつくよね」
 と、これはレイ。
「シンジの失敗作という事でしょう」
「マリアさん、それどういう事ですの?」
「シンジがその気になった相手なら――」
 入院する結果にはならない、つまり必ず殺すと言いかけたが、ここのメンバーに気付いた。
 周りにいるのは、シンジと同じ世界の人間ではないのだ。
 咳払いして、
「シンジなら病院へ送るのは簡単だけど、間違えてろくでもない患者を作り出したのよきっと。大方シンジならその程度よ。私もこれで失礼するわ」
「『お、おやすみなさい』」
 何となく二人に違和感を感じながらも、誰も口にする事はせずに見送った。
 シンジと姿を消した筈のマリアだが、何故か一人だけでカンナの病室に現れたのである。どうしてシンジが連れ出したのか、訊きたいと思いながらも訊ける者はおらず、無論マリアも一切黙して語らなかった為、事情は今もってさっぱり分からない。
 
 
 部屋に戻って空を眺めていたシンジだったが、枕元に何かが横たわった気配に、
「遅い」
 ぼむ、と頭を載せるとそのまま目を閉じた。
 次の日の朝、
「おっはよ〜」
「………」
 妙にハイテンションな声で起こされ、呼びつけられたシンジが本邸に向かうと、そこに待っていたのは、バーボンを数本空けたミサトと、滑車に縛り付けられたリョウジの姿であった。
「待ってたわよ〜」
 珍しくキンキンする声に、シンジの眉が少しだけ寄った。
 
 
 
 
 
(つづく)

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