妖華−女神館の住人達外伝
 
 
 
 
 
C−6:静かなるロン
 
 
 
 
 
「待たせたな」
 小柄だが純白のスーツにサングラスと、身体に数倍する位の貫禄を漂わせて入ってきた男に、シンジは軽く手を上げた。
「デートの掛け持ちだから許すけど、本当なら空中に逆さ吊りだぞ」
 と、その瞬間男の表情がびくっと動いた。
「…なんで知ってる」
「別に」
 シンジはにやっと笑った。
「密閉された亜空間ならともかく、大地が噂し風が伝えるここならば――無理だ」
「そうか、そう言うヤツだったな」
 男の名は近藤静也。
 組員総数一万人からなる広域指定暴力団『新鮮組』の総長であり、しかも昼間は下着会社に勤めると言う二足の草鞋履きだ。
 その気になれば天下を獲れる――真の姿を知る者達はそう評するが、本人にその気はまったくなく、むしろ下着会社一本にしたいのが事実だ。
 当人同士しかこの付き合いは知らないが、シンジとある意味では似ているのかも知れない。
 すなわち、将来を嘱望されながらも、本人はまったく違う道を選んでいると言う点において。
 しかし社員がいるからフユノの跡を継いだシンジ、であれば同じだがそれをシンジは嫌がっており、従ってシンジよりも偉い。
「で、今日はどうした?」
 ヘネシーをダブルで、とオーダーしてから静也が訊いた。
 静也の場合は護衛が絶対に付きっきりなので、撒いてくるのは難しい。
 撒けるのはせいぜいデートの時位だが、出先から静也が呼び出したのだ。
「猫が爪を伸ばした」
「猫?ああ、例の連中か」
「この間少し脅しておいたからな、次はマジで来るだろ」
「場所は?」
 訊いた時にグラスが出てきた。
 芳醇な香りのするそれをゆっくりと口に運んだ姿は、無論シンジよりも遙かに似合っている。
「横浜。ランドマークタワーだ――来ないでいいぞ」
 ラウンジで烏龍茶を、それもグラスで飲んでいるのは実体を見れば雰囲気にまるで合っていないが、この人物実に美味しそうに飲んでいる。
「そうは行かない」
「は?」
「その女泥棒が狙っているのは絵だろ」
「そうだよ」
「絵と言えば闇市場、闇市場と言えばオレ達のシマだろうが。没収したらこっちに回してくれ」
「俺が向こうに返すっていう発想は?」
「あるのか?」
 不思議そうな顔で訊いた静也に、シンジは僅かに苦笑した。
「何を考えてるのか知らないが、宣伝になるからと警備を断るのはいい作戦だ。今まで完全を誇る連中に対して、取ってくれと言わんばかりだな。ま、せいぜい盗られても自業自得だ」
「もう一つある」
「もう一つ?」
「お前が暴れてるのを最近見てない」
「…それだけか?」
「そう簡単に言うが、銃やドスはオレ達の得物でも、風だの火だのを使えるのは誰もいないんだ。いいじゃねえか、固い事言わないでも」
「お前なあ…」
 そうは言ったものの、シンジは既に目の前の大親分が言っても聞かないと分かっていた。
 こう見えても結構強情なのだ。
 が、そこである事を思い出した。
「横浜(ハマ)はシマじゃないだろ、どうするんだ?」
「何とかする」
「分かった、分かった」
 諦めてシンジがグラスを呷った時、静也の携帯が鳴った。
「オレだ…ああ、分かったすぐに戻る」
「子分さんか?」
「傘下の組から上納金を持ってくる日だっての忘れてたよ。まったく…お前が羨ましいぜ」
「母君に代紋を継いでもらうんだな」
「出来ればしているさ」
 静也が片手を上げて去っていった後、
「キャッツアイをパクリ損ねた警察に、代わりに近藤をワッパを掛けさせる訳には行かない。まったくもう…」
 ぶつぶつと呟いたが、ふと名案が浮かんだように顔を上げた。
「なんだ、あっちが捕まってくれりゃいいんだ。検察は怖いぞ〜」
 別に思ってもいないような口調で言うと、携帯を取ってどこやらへ掛け始めた。
 
 
 
 
 
「総長、あそこで宙に浮かんでるのは?」
 銃口を宙に向けたまま訊いたのは、白刃のように鋭い雰囲気を漂わせた男であった。
 龍宝を取れば天下を取れる――古の臥龍・鳳雛にも例えられた龍宝国光である。
「オレの知り合いだよ。ちょっとした友人ってヤツだ」
「あれはまだガキじゃないですか、何時の間にそんな知り合いが?」
 龍宝の言葉に静也はふっと笑った。
「龍宝、ウチの組員は今何人いる?」
「全国で一万を優に越えています――お忘れですか」
「忘れちゃいねえよ」
 純白のスーツにサングラス、重すぎる程の貫禄を漂わせたまま、
「その一万を束にしても、あいつ一人に勝てねえ。オレ達とは存在が違うんだよ」
「…ご冗談を」
「オレが冗談言ってる顔に見えるか」
「……」
 組でも随一と言われる射撃の腕を持つ龍宝だが、ビルの上にいるシンジの顔までは見えなかった。
 幸運であろう。
 確かどこかで見た顔だと、首を傾げる事は無かったのだから。
 シンジの交遊はあくまで静也一人であり、極道その物ではないのだ。
 
 
 
 
 
 自分を覆う殺気など気にもとめず、シンジはゆっくりと三人を眺めた。
「上の二人、具合はどうだ?取りあえず、治癒プレゼントの手配はしておいたが」
「…何ですって」
 瞳の言葉に、
「妙だと思わなかったのか?」
 シンジは呆れたように言った。
「仕留めた手応えは無かったが、不死人でも無ければ簡単に治るわけないでしょ」
 くすくすと笑った姿は、もういつもの大旦那みたいな物に戻っている。
 三人の表情に危険な物が過ぎったが、泪の表情にすっと銃を収めた。
「それがいい、その顔が銃弾で崩れても面白くないからな」
 言うと同時に、シンジの手がすっと動いた。
 瞬間的に反応して三方に散ったが、シンジの動きはそれではなかった。
 闇夜を見透かす視線は、うぞうぞと去っていく車の群を見ている。
「やくざに助けてもらうんじゃな…っ」
 言い終えぬ内に、愛の足元から炎が吹き上げた。
「ガングロ――顔面グロテスクの略だが、お前もそうなってみるか?ちょっと焼けば髪はアフロで顔は真っ黒け。グロテスクには丁度いい」
「うるさいっ」
 飛来したカードをひょいと避けた瞬間、シンジのすぐ後ろでそれは爆発した。
「火を出せるのはあんただけじゃないんだからねっ」
「…出してないっての」
 肩をすくめたシンジだが、その心中に目の前の娘達はいなかった。
(引き上げたか…礼を言うよ)
 シンジの術を、そう言った静也だったが既に引き上げたのは、やはり銃口だけなんとかしてと言ったシンジの意志を優先したのだろう。
 無論、銃など何の意味もないシンジではあるが、静也流の厚意を無にするような事は選択しなかったのだ。
 口許に笑みの浮かんだシンジをどう見たのか、三人が一斉に動いた。
 左右から迫る泪と瞳の手には光る物があったが、ナイフとは違うとシンジは見た。
 が。
「痛…?」
 右腕に鈍痛が走り、何だとそこを見たシンジだったが、そこはすっと抉られている。
 咄嗟に口を付けたが、取りあえず危険な味はしない。
 毒が入っていたら一体どうする気だったのか、その思考はどうも妙な所があるが、その表情が崩れたのは次の瞬間であった。
 その足元が、ぐらりと揺れたのである。
「そーゆー手があったか」
 刃先に塗られていたのは痺れ薬、一瞬とは言えぼやっとしていたのがミスだったらしい。
 ゆっくりと片膝をついたシンジに、
「圧勝は絶対にあり得ない。でも、二人いればどちらか一人が傷つけられればと思ったのよ。もっとも、こんな簡単に行くとは思わなかったけれど…約束は守ってもらうわよ」
 即答しなかったシンジに、
「約束を反故にする気?もっとも…もう意識が遠のいているかし…!?」
 泪が愕然と目を見開き、瞳と愛も呆然とシンジを見た。
「約束は守るよ」
 すっと起きあがったシンジが、にっこりと笑ったのだ――凶ではなく、ダメージもまったく感じられない顔で。
「勉強とか運動能力、私の資料にはそれしか載っていない筈だ」
 軽く右腕を回しながらシンジが言った。
「通常資料では要らない範疇だからな。それ以上の物を求めるなら、魔道省の方でしかない。先にお前達が見たのは火、そしてこれが風だ」
 シンジの左腕――その小指だけが動いた刹那、三人の足元が揺れたのだが、それは突如襲った風のせいであった。
「揺らしてくれた礼だ。そして――これが水」
「ま、まさか…」
「おかしな物が血中に入っても、血液調整で押し流すのはさして難しくない。そして作るのもまた」
 シンジの腕から鮮血が滴り落ちる。
「血を失えば作ればいい。これなら月経による貧血もあっさり解決だ」
 笑いもせずに言うと、軽く右手を開閉して見せた。
「これで元に戻った――さて、これでもう終わりか?」
 三人を見回した時、その口許にかすかな笑みがわき上がった。
 
 
 
 
 
「総長いいんですか?帰って来ちゃって」
「あいつらが銃を使うのだけ阻止してくれって言われてたからな。それに本当は、寝ていても勝てるような相手だよ」
「それでしたら何故?」
 リムジンの後部座席に、龍宝と静也が向かい合って座っている。
 その龍宝が、愛銃の手入れをしながら訊いた。
「何となく、さ。しかし…地検を動かすとはオレも思わなかった。オレ達の世界では即抗争だからな。ある意味、堅気でなければ出来ない事だが」
「奴らが報復に動きますよ」
「それはない」
 静也はすぐに首を振った。
「バックも、オレ達でさえそう簡単に手を出せる相手じゃねえんだ。それにその気を見せれば、組織自体が壊滅しかねない相手なのさ」
「そんなヤツが堅気に?」
 考え込んだ龍宝に、
「止めとけよ、龍宝。オレ達の知らない方がいい相手ってのも、この世の中にはいるんだよ。それよりスコッチがあっただろ、出してくれ」
「…分かりました」
 納得のいかない風情ではあったが、妙に浮いて見える総長を見て、龍宝は黙って従うことにした。
 サングラスにはグラスに注ぐ龍宝を映しているが、その視線は外にあった。
(三人に囲まれてたが、あれが十倍百倍になっても変わらねえんだろうなあ)
 遊んでいるシンジの姿が脳裏に浮かび、静也はふっと笑った。
 
 
 
 
 
「さっきは身体に巻き付いてるレオタードがロープで…これはどこにしまってあったんだ?」
 飛んできた何かを払い落とした途端、それはシンジの手に巻き付いて強靱なロープと化した。
 引っ張っているのは泪と瞳であり、磔状態のシンジに愛がぴたりと銃口を向けた。
「悪く思わないでね」
 その銃口は一直線にシンジの胸を狙っているが、その愛に緊張感のない声でシンジが訊いた。
「それの中身は?」
「巨像でも一発の麻酔弾よ。すぐ楽にしてあげるわ」
「どうして殺さない」
「ぼくは殺したいんだけどね、姉さん達があんたを殺すと面倒って言うんだ。さっさと殺せば片が付くのに」
「殺さないでいいのよ。それに、賭けを守ってもらうには死なれては困るんだから。さあ愛、終わらせなさい」
「分かってるよ…じゃあね」
 能面のような表情で引き金を引いた愛だが、その場でぶっ倒れたのは撃った本人の方であった。
「愛っ!?」
 一瞬起きた事が分からず、思わずシンジを放り出して駆け寄った二人の目に映ったのは、緑の物体が巻き付いている銃であり、
「これは…蔓!?」
「言い忘れてたな。火に水に風、後は大地も入ってた。これで四つ目だ」
 無論、シンジは拘束から抜け出しており、きっと眉をつり上げて跳ね起きた二人もあっさりと拘束された。
 雁字搦めになった泪達を見ながら、
「大体分かった。よーするに、お前ら弱すぎ」
 びしっと三人を指差し、
「さっきから、既に六回殺す機会を捨てている。もっとも、殆どが不戦勝だった連中では無理もないか――撒いてしまえば倒す必要などないからな。つくづく無能な連中だ」
 どっちを指して言ったのかは不明だが、明らかに飽きたと言う感じのシンジであり、
「俺も飽きた、もう終わりに…ん?」
 ふとシンジが気付いたような彼らを見た。
 発展途上の愛はともかく、上の二人の肢体はほぼ完成の域にあり、レオタードからは収まり切らない胸がのぞいている。
「どこまで持つか、少し見せてもらおう」
「な、何を…きゃあっ」
 愛を呪縛しているのは、元々屋上の片隅にあった鉢植えから伸びた物だったが、それが更に枝分かれしたのである。
 触手のようなそれと来れば、あとはもう使い道は決まっている。
 たちまち枝分かれした触手が、二人の肢体を覆うレオタードに襲いかかった。
 唇が、太股が、そして乳が締め付けられ、あるいは異物の侵入を許し、一大拷問絵図が出来上がる。
「ね、姉さん達を離…もごーっ!」
 叫んだ愛の咥内には、絡み合って太さを増した蔓が侵入する。
 こんな太い物を口の中に押し込まれたなど、愛にとっては生まれて初めての経験であったろう。
「ついでに嬲っとけ」
 シンジの言葉に反応したかのように、全裸に剥かれた三人の娘が想い人には決して見せられぬ姿で責められる。
 必死に唇を噛んでこらえる姿を、シンジは楽しそうに見ていた。
「三分だな――三分保ったらキャッツアイへの追求は二度と無い…って聞いてないぞおい」
 既に達する寸前の三人に、シンジがちらりと腕時計を見る。
「…二分半だ」
 やれやれとつまらなさそうに口にしてから、
「これで…ロンだな」
 静かな口調で告げた直後、
「『あああーっ』」
 どんな快感で上り詰めたら出るのか知りたくなるような声を上げて、三人姉妹が同時にいった。
 びくびくと身体を震わせているそれを見ながら、
「これとこれは処女――これ以上は狂うか」
 すっと立ち上がり、何やら指を動かすとたちまち全裸の娘達が蔓によって荷造りされて、シンジの前に放り出された。
「ありがとう」
 その一言で満足したかのように、本来の姿を失って危険な暴走を始めていた蔓が一斉に戻っていく。
 十秒としない内に元の姿に戻っており、それはもういつもの観葉植物であった。
「さて運び手は、と」
「お呼びですか?」
「片づいたよ」
 見れば分かります、とは夜香は決して言わない。
 全裸のまま、まだ余韻の消えていない娘達を見ながら、
「こちらで宜しかったのですか」
 と訊いた。
「暴走しそうだったんだよ――俺がね。少しは楽しめるかと思ったが、やっぱり格闘ゲームには向かないキャラだったな」
 そう言ったシンジの口調はちょうど、脱衣格闘ゲームで脱がされたキャラを分析するような口調だったが、そこには欲情の色は欠片もなかった。
 とは言え三人はあられもない姿で悶えていた訳で、女としては最高の屈辱と言える。
 ただこの場合、しない方が悪いのかさせられぬ方が悪いのかは、若干議論の余地を残すだろう。
「これをどちらへ?」
「家へ。取りあえず、ボディガードにでもしてみる。夜は女の方が良かろう」
「承知いたしました」
 ただし。
 例えシンジの言葉であっても、夜の一族の長が運んでいいものではあるまい。
 夜香が軽く手を振ると、夜空を一斉に黒い物体が埋めた。
 蝙蝠だ。
 飛来したそれに、たちまち三人の身体は覆い尽くされ、彼らが一斉に羽ばたいて飛び立った後、そこには何の痕跡も残っていなかった。
 
 
 
 
 
「お帰り、シンジ」
 髪を軽く束ねながら入ってきた孫に、フユノは柔らかい視線を向けた。
「さっき地検から連絡があったよ。あれだけの資料があれば、すぐにでも一斉摘発が可能ですと、な。あんな物は嫌っているとばかり思っていたが、違ったようだね」
「嫌いだよ」
 シンジは短く言った。
「でも、使えるときには使えばいいのさ。それはそうと」
「なんだい?」
「お婆の夜が少し気になってね。要る?」
 持ってきて、と告げたシンジの声に運び込まれたのは棺であった。
「開けて」
 重たげな棺だったが、葉子の繊手は軽々と開けた。
 中から出てきたのは、無論泪達三人だったがちゃんと服は着せてある。
 
 
「若様これは?」
 運ばれてきた三人娘に葉子がシンジを見たが、そこには僅かに妬心にも似た色が漂っている。
 第一、この娘達はどう見てもイった後の表情と躰であると葉子にはすぐ分かったのだし、シンジが直に抱くことはあり得ないとしても多少は仕方ない。
「猫の目」
「はい?」
「何でもないよ。それより服着せ直して棺桶に入れておいて」
「…はい」
 それ以上葉子が訊かなかったのは、シンジの口調がどこか疲れているように聞こえたせいだ。
 手応えが無さ過ぎたのかもしれない、葉子はぼんやりと思ったのだが、まさかその通りだとの確信までは持っていなかった。
 
 
 
 
 
「ここは…」
 最初に目を開けたのは愛であった。
 年齢の分だけ回復も早いのかも知れない。
 三十畳程もある広い部屋に、最初に目に入ったのは椅子に腰掛けている老婆とその横に控えている娘であった。
(あ、メイドさんだ…)
 がばと跳ね起きなかったのは、まだ脳が正常に動いていないせいだが、二秒後にシンジの姿を見つけた時、その双眸はかっと見開かれた。
 しかもシンジは、椅子に座って葉子に肩を揉んでもらっていたのだ。
「少し凝ってますが」
「おっぱいが大きいから…あ、起きた起きた」
 胸がどこに、と突っ込む前にもうシンジの視線は転がっている娘達に向かっていた。
「姉さん起きてっ」
 愛の声に二人も続いて目覚めたが、とんでもない室内の造りとのんびり座っているシンジにがばと跳ね起きた。
「少しイき易いんじゃないの?乳首と膣口までであれじゃ、彼氏もすぐ飽きるよ」
 シンジの台詞に三人が真っ赤になったが、シンジは気にした様子もなく、
「ここにローマが、じゃなかった老婆がいるんだが、夜の護衛は黒服が務めてる――やるか?」
「ど、どう言うこと」
「聞いたそのままだ。ボディガードやるか、と聞いている」
「断ったら?」
 瞳の言葉に控えているメイド達に殺気が漂ったが、シンジがじろりとそっちを見た。
「邪魔だ、出せ」
 シンジの低い言葉に、
「下がっておれ」
 フユノが出口を指し、メイド達が下がっていく。
 ただし、葉子は残ったままだ。
 六人だけになった所でもう一度、
「どうする」
 とだけシンジが訊いた。
 屈辱的な台詞にぎゅっと唇を噛んだ所へ、
「永石とか言ったな」
 思い出したように呟いたシンジに、三人の顔がぎくっと上がった。
「な、永石さんに何をしたのっ」
「別に何も。ただし、お嬢様命で襲ってくる老人を放って置くほど俺も暇じゃない」
 三人の顔から血の気が引いていったが、どう見てもシンジの口調は挑発的であり、どう聞いても配下を勧めるようには聞こえない。
 フユノはシンジに任せた、と言う感じで黙ってシンジの横顔を眺めている。
 十秒ほど沈黙が漂った後、
「その役目、お受けするわ」
 ゆっくりと言ったのは泪であった。
 何の変哲もない観葉植物が、シンジの操りで凶暴な蔓と化して自分達を犯したのは分かっている。
 そして自分達が数分と保たなかった事も。
 しかも、膣内には侵入して来なかったというのに。
 文字通り完膚無きまでの敗北、それを悟った泪の仕事は、自分はともかく妹二人の安全の確保であり、例え自分の命と引き替えにしても二人だけは助けるつもりでいた。
「『ね、姉さんっ?』」
 驚愕の二人を目で制し、
「よろしくお願い致します」
 フユノに深々と頭を下げた。
「いいのかい?お前の妹二人は納得していないようだよ」
「二人には、私からよく言い聞かせておきます。二人とも、私の命令よ」
「『姉さん…』」
 もう終わったのよ、瞳は静かに視線で告げていた。
(そうね…ここまでね)
(やだな…ここまでなの)
 達観というか諦観みたいな感じだったが、商談成立と見て、
「まとまったみたいだな。じゃ、葉ちゃん」
「はい」
「あの三人に色々教えといて。メイドじゃなくてガードだからね、間違えるんじゃないよ」
「あの、若様は?」
「もう寝る…と言いたい所だがちょっと病院行って来るわ。じゃね」
 シンジが出て行くのをまだ呆然と見ていた三人に、やっとフユノが視線を向けた。
「シンジが殺さず、しかも儂の所に持って来るとは珍しい事もあるものよのう。何を考えているのか、儂にも分からぬのは相変わらずじゃ」
 と、何故か嬉しそうに言った時、
「御前様、すぐに気を許される事は危険です」
「ほほ、分かっておる。後のことはお前に任せておくわ」
「かしこまりました」
 一つ恭しく頷いてから、
「御前様にご挨拶しなさい」
 葉子がやや冷たい口調で命じたのは、やはり運ばれてきた時の姿の影響も大きかったろう。
 
 
 
 
 
「それで、何故私が絵を手に入れなくてはいけないのかしら」
「そんなこと言わないでお願い」
「お断りよ」
 地下の部屋でタランチュラの生態を眺めていたシビウの所に、ふらりとシンジがやって来た。
 時間は別に構わないのだが、
「西風・季節の女神・天空神、この三枚の絵をちょうだい」
 財布無いからお金貸して、みたいな口調でいきなり言い出した。
「ケチだと嫌われるよ」
 シンジの言葉に、やっとシビウがこちらを向いた。
 振り向いた時に豊かな胸も一緒に揺れる。
「一晩付き合うなら考えてもいいわ」
「邪魔したね、帰ります」
 あっさりとシンジは身を翻した――が、開かない。
「開かないわよ」
 シビウは零下の口調で告げた。
「夜中に襲来して、放言して帰る男には開かないようになっているの」
「どうしたら開く?」
「さて、ね」
 ガチャガチャとノブを回すが、無論開くわけは無い。
 ドクトルシビウの本拠地で、力業を行使するほどシンジも愚かではなく、
「しようがないな」
 てくてくと戻ってくると、じっとシビウの顔を見た。
「おぞましい表情を近づけないでくれないかしら」
 なお、普段はこの部屋に留まることをしばしば強制している。
 と、シンジが何を思ったかシビウの顔に触れた。
 そのまま指先がゆっくりと下降していく。
「それ以上触れたら婦女暴行罪で訴えるわよ」
 あくまでもシビウの言葉は冷たい。
 そんな事はお構いなしに、更にシンジの指はシビウの豊かな肢体を這っていき、ある一点で止まった。
「ここが少し凝ってるみたいだけど、お疲れ?」
 けしからん指が止まった先は太股の上であった。
「それで?」
「あの、よろしければ治療などを…」
 低姿勢なシンジに対し、
「結構よ、医者の不養生を実践する気はなくてよ」
 冷たくはねつけたシビウだったが、
「ただし、どうしても手伝いたいならさせてあげない事もないわ」
「はい?」
 聞き返した時にはもう、その身体はシビウの腕の中に引き寄せられていた。
 とす、とやや強引にシンジの頭を股に乗せ、
「これでもいないよりはいいわ。しばらくそこにいなさい」
「あ、はい」
 それきりもう、侵入者の事など忘れたように毒蜘蛛へ慈愛の視線を向けたシビウだったが、数分経った時その赤い唇が動いた。
「三日以内に手に入れておくわ。それでいい?」
「うむ」
「…どうしてこんな迷惑な人と知り合いになったのかしら?」
「運の尽き…あ、ちょっと」
 シビウの指が伸びてきて、シンジの豊かな黒髪にそっと触れた。
「勝手で我が儘でつれなくて――こんな男は街に出すわけには行かない。例え一晩でも拘留しておくのが医者としてのつとめね」
 危険を感じて起きあがろうとした時、まるで毒蜘蛛の毒牙のように、ゆっくりとシビウの美貌がシンジの顔に近づいて来ていた。
 
 
 
 
 
 結局、永石の入院は三週間となった。
 仕えてきた令嬢を見捨てられないとは言え、シンジに敵対したにしては随分と軽いと言える。
 そしてシンジがシビウの居室に一晩拘留されてからちょうど三日後、呼び出されたシンジが渡されたのは三枚の絵であった。
「怪盗に興味を持っていたとは初耳だわ」
 何故か妖華みたいに微笑んだシビウに、
「今度監禁したら訴えるぞ」
「余計な従者もなく二人きり――青史に残せる一晩だったわ。私が少し達しやすくなっていたのは気になったけれど」
 後半の台詞は無視して、
「永遠に日の目を見ない歴史書ならね」
 受け取った絵は、無論そのまま瞳達に渡ったのだが、初め三人とも信じられないような表情であった。
 何しろ、自分達がどうしてもたどり着けなかったそれを、至極あっさりと手に入れてきたのだから。
「父を捜したければ捜すがいい、二ヶ月の時間をやる」
 雇ったばかりの者達には破格の待遇だが、シンジの言葉は絶対であり、フユノも異を唱えることはしなかった。
 その三週間後、東欧の地に父親と再会した三人だったが期限までには戻ってきた。
 その手の中に、父親の遺骨をしっかりと抱いて。
 娘達が再会した時は既に末期のガンに冒されており、しかも医者の宣告した余命期間は過ぎていたと言う。
 この世に留まらせていたのは、ひとえに娘達への思いであったろう。
 深々と頭を下げた三人に、シンジは軽く頷いた。
「喫茶店の方だが、あの爺さん一人では客足も遠のこう。愛と泪は、店に戻って続けるといい」
 自分の前ではあっけなかったが、普通に計ればそれなりの実力を瞳が持っている事を知り、三人も要らないと二人は戻すことにしたのだ。
 
 
 
 
 
「やっぱり返しとくわ」
「いらない?」
 極道の大親分からの電話を、シンジは寝転がったまま受けた。
「どれも全部本物――あんな物を流したら市場が混乱する」
「そうなの?」
「それもあるが、あれだけのブツが流れると必然的にルートに注目が行く。極道と付き合う気はないんだろ?」
「全くない」
 くっくと、静也は電話の向こうで低く笑った。
「完全な堅気は…いや、何でもない。また今度、時間を空けといてくれ。ボトルに入れた烏龍茶をキープしておくよ」
「最高級のヤツだ」
「分かってるさ」
 電話を切ってから、シンジは葉子に受話器を放り投げた。
「お知り合いですか――男の方に見えましたが」
「まあね」
 一つ頷いて、
「俺がもし、ふっと姿を消したら捜す?」
「捜しません」
 葉子はすぐに首を振った。
「あっという間に姿を消される若様をいつもお捜ししていたら、この身が持ちませんから」
「それもそうだね」
「ですが、もし行方不明になられた時は火星までも連れ戻しに行って差し上げます」
「じゃ、先にシャトルの用意でもしておこうか」
「はい」
 葉子は一つ頷いてからシンジの背後に回り、漆黒の髪へ丁寧にブラシをかけ始めた。
 
  
 
 
 
(了)


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