妖華−女神館の住人達
 
 
 
 
 
第九十三話:女神館の火薬庫(前編)
 
 
 
 
 
「エンコー?どこのスーパーだっけ?」
「んなわけあるかい、援助交際の略だよ」
 幾分シンジが機嫌良さげに見えるのは、静也と飲みに行った帰りだからだ。無論静也の奢りで、ついでにシンジはアルコールは一滴も口にしてない。わざわざ取り寄せたウーロン茶だったが、水みたいにボトル二本空けたのを見て、本当に人間かと首を捻った静也である。
 同じ水分でも、アルコールとジュースの類は全く違うのだ。ただし、変な物を用意した日には、一ヶ月位はすぐ縁を切る相手だから、おいそれとは用意できない。
 これが一万人からの極道の上に立つトップだと知ったら、シンジは間違いなく幹部連に狙われるに違いない。
 無論、全組織が壊滅するのは目に見えているが。
「ああ、子供がはした金で股開くやつか。それがどうかしたの?」
「身も蓋もないな、まったく」
 静也がサングラスを軽く押し上げて苦笑し、
「おイタが過ぎて、たまに変な霊に取り憑かれるガキがいるらしい。ガキの火遊びも過ぎれば、終点はヤクザの網に掛かるだけだ。何人か、頭の逝かれたガキがみつかったのさ」
「それがどうかしたか」
「どうかしたかって、そう言うのは碇の分野じゃないのか?」
「下らん」
 シンジは一言で切り捨てた。
「目を血走らせた男に犯されているのを見れば、助けもするし忌まわしい記憶の消去に最適な病院を紹介もするさ。だが、はした金で自分から臭い股間を開く小娘が、俺と何の関わりがある?下らない事を訊くなど、らしくもないな」
「碇…」
 冷めてるとは思っていたが、ここまでばっさり切り捨てるとは思っていなかった。とは言え、本人の意思が全く伴わないレイプとは根本的に異なり、シンジの言う事は正論である。
 それだけにそれ以上の事は言えなかったが、ふと前方を見た静也の足が止まった。
「さっきの店に上納金でも忘れてきたか?」
「碇、悪いがここから車でも拾ってくれ。オレはこれ−ぐえ」
 たっと、走り出そうとした襟をシンジはきゅっと掴んだ。
「呼んどいて放り出すとは、金輪際付き合いはお断りだ。二度と、俺の名前なんぞ呼ばないでもらうぞ」
「だ、だからそう言う訳じゃないって。ただ−」
「ただ?」
 シンジの視線がある物を見つけ、
「中年親父に腕絡ませてるあの小娘か?どう見ても親子には見えないが−流行の援交ってやつか?」
「先輩の…会社の先輩の娘だ」
「あ?ああ、堅気の方か。放っておけばいいさ。どう見たってあれ、数枚の万札が身体より大事って顔だ」
「…そうも、行かねえんだ。やっぱり、無視は出来ない」
「やれやれ」
 小柄だから、シンジとは根本的に歩幅の違う静也が早足で歩み寄る後ろで、シンジがすっと手を挙げた。
 次の瞬間、若い娘を抱けると鼻の下を伸ばしていた親父が、なぜか腕を絡めていた娘を残してショウウィンドーに背中から突っ込み、ガラスを木っ端微塵にして店内へ不法侵入を果たした。
 静也が慌てて娘の手を引くのを見てから、
「あいつ、やっぱりやくざは似合わないわ」
 呟いて踵を返し、シンジは歩き出した。
 だが、横丁へ曲がった時、ふっとその足は止まった。数人の男達に取り囲まれたのである。
「ん?」
「こいつだよ、こいつ」
 憎々しげにシンジを指さしたのは、高校生くらいの娘であった。暗がりの中だが、吸血鬼と交友のある極めて珍しい人種のシンジにとっては、その姿を見極める事くらい造作もない事であった。
「けばい小娘に指などさされたくないが」
 静かな声だったが、娘の表情がぴきっと引きつった。どうやら、自分でも気にしているところだったらしい。
「せっかく本人がお小遣い稼ぎしようってのに、それを邪魔するとはてめーは越後の縮緬問屋か?」
「ヤクザの三下か。確か、ヤクザの語源は役立たずから来ていたな」
 囲んだ人数は総勢六人、一緒にいた静也の姿すら知らない所を見ると、文字通りの三下か或いは違う組織だろう。
「貴様−」
 すっとその手が内懐に入った途端、銃声が轟いた。無論連中の物ではなく、音からしてほぼ完全に近い消音器付きの物だ。
 六人中五人が声もなくぶっ倒れ、小娘が悲鳴を上げかけたそこへ、滑るように近づいた影から強烈な一撃が放たれ、ずしりと重い拳を水月に食ってこれまた昏倒した。
「な、なん−」
 一瞬何が起こったのか分からず、ワンテンポ遅れて後ろを振り向いた最後の男に、ぴたりと銃口が突きつけられた。
「お前も夜の散歩?」
 囲まれた事にも、まるで月夜の満月を眺めるみたいな雰囲気は変わらず、銃弾を受けて絶命した男達にも、マネキンが倒れたような反応しかしない。
 さすがの黒木も一瞬呆気に取られたが、それが倍増したのは次の瞬間であった。
「夜に銃なんて無粋な物持ち歩くなよ、まったく」
「…は?」
 聞き取れずに聞き返した事はあるが、呆然として聞き返したのは初めてである。
「も、申しわけありません」
「まあいい。とりあえずその人は冥府に送って。それからそっちの姉ちゃんは、年少に数年放り込んどけ。びっしょりの衣はいくらでも出来るだろ」
 ぬれぎぬの事らしいが、物騒な事を口にするものである。
「分かりました。四年くらいでよろしいですか」
「構わない」
 シンジは頷いて、
「増殖する前に、根は断っておかないとね。お説教で済むんじゃ、調子に乗る子が多すぎる」
「かしこまりました」
「最近の子は発育が良くなったと言うが、この帝都に於いては違う意味で健康優良児だな。ここの気に中毒ったせいか、エッチな子が多すぎる。親もきっと嘆いているし、嘆きの健康優良児だな」
「嘆きの、ですか?」
「なんでもない、こっちの話だ。ところで黒木、何で助けに来たの?」
「はい?」
「いやだからさ、俺が弱くなったとか思ったのかなあと」
「い、いえ、そう言うわけでは決して−ただ、囲まれておられたので手がつい−」
 これは本当だ。別にシンジの強さ云々ではなく、囲まれているのを見た途端手が動いたのであり、不運だったのは凄まじい抜き打ちの早さを持つ黒木だった事であった。
「本当に本当?」
「も、勿論です。あ、あの若ちょっと…」
 じり、と後退ったのは、無論自分の命を狙ったヤクザより、なぜか助けた自分に危険な視線が向いた事を知ったからであり、この少年の物騒な一面を知っている黒木としては、当然の反応だったかもしれない。
 例えそれが、今なお世界最強の称号を背負う男だったとしても。
「やっぱり弱いとか思ってるな。攻撃用意!」
 巨大な炎が凄まじい風に押され、屈強な男を追撃し始めたのは、それから間もなくの事であった。
 
 
 
 
 
「あいつって…あんなにもてたんだ…」
「まさか碇さんに、あそこまで人気があるなんて…」
 珍しく、住人達の方がシンジより先に目が覚めた。さくらとマユミは別だが、アスカとすみれは結構ぎりぎりまで寝てることが多い。いつもなら、ベーカリーレストランへ行くかシンジが何か作ってあるから、ふらふらと引き寄せられるように食堂に来たら、皆が同じ事を考えていたらしく、話は自然と昨日のシンジに移った。
 無論住人達も、大量の花束とラブレターをシンジが抱えて門を出た所までは知っているが、その後の事は知らない。
 すなわち、ミサトにとっ捕まってちゅうっと吸われた事と、シンジがそれをどう思っていたかは。
 結論だけ言えば、シンジは別に喜んでもいない。これはミサトが邪悪な所為だが、会った事も話した事もない娘から、手紙だの花だの貰っても、別に喜ぶシンジではないのだ。そもそも、そんな状況に関心がないと言う事もあるが。
 だいたい、シンジの周りはレベルが高すぎるのだ。ドクトルシビウ然りフェンリル然り、これに麗香までいた日には、どんな美女とて霞んでしまうではないか。
 もっとも、それがなければ逆に、住人達の間で目移りして、違う意味で関係がギクシャクしていたかもしれないが。
「でもあたし達、碇さんの事なんて知りませんでしたよ。レイちゃんは少し知ってるみたいでしたけど」
 そこへ朝練を終えたばかりのさくらとマユミが顔を見せた。二人ともまだ胴着のままである。
「それがおかしいのよねえ。あんなのが一番上にいれば、あたし達にも話くらいは聞こえてきてもいい−」
 言いかけてアスカが気づいた、すみれも気づいた。ワンテンポ遅れてさくらやマユミもまた。
「ミサトさん…」
 彼らの口から、ほぼ同時に一つの名前が出てきたのは、偶然と必然が重なり合った結果であろう。
 ここに、弟に固執する姉がおり、しかも弟が女を惹き付ける素材を持ち合わせていたとしたら?
「つまり、姉さんが弟命だったから、近寄るのを防いでいたってこと?」
「普通はないけれど、でもバレンタインも碇さんは変な風に覚えていたし…」
 マユミの口調にも、ミサトならと言う思いが滲み出ており、間もなく居合わせた娘達の脳裏を、自分だけがチョコを送って喜々としている女の顔が占めた。
「……」
 その場に沈黙が漂ったが、すぐにそれは破られた。
「でーも、碇さんは私がもらいます。問題ないですねー」
「お、織姫さん」
「バイブルにも、近親相姦は罪と書いてあるです。だから私が、そこから救い出してあげるです」
「な、何言ってるのよあんたっ。シンジがあんたなんかの物になるわけないじゃないのよっ」
「そ、そうですよっ。だ、大体碇さんの事どれくらい知ってるんですかっ」
「あなた達よりは知ってまーす。それに会った時期なら私と殆ど変わりませーん」
「知ってるって、どのくらいですの」
 不意にすみれが静かな声で訊いた。
「え?」
「す、すみれさん?」
「わたくしは織姫さんに訊いてるんですのよ。どうなんですの」
 すみれの言葉をどう取ったのか、織姫が真顔になった。見つめるすみれの視線を真っ向から受け止め、二人の視線が空中で絡み合う。
 視線は外さぬまま、
「あなたも碇さんの事、知ってるですね」
「えーえ、当然でしょう。それに、碇さんはあなたなんかの手には負えなくてよ」
「やってみなくちゃ分からないでーす。それに、碇さんを好きなのは私が一番、あなた達には無理です」
「あら、わたくしだって碇さんの事は−」
 一瞬言いよどんだが、
「好きですわよ」
 振り切るかのように言い切った。
「『なっ!?』」
 驚いたのはアスカとさくらである。この織姫はどうせシンジと知り合いみたいだし、好きとかなんとか言っても別に驚かないが、まさかすみれがストレートに口にするとは思わなかったのだ。
「そ、そんなのずるいですっ。あ、あたしだって碇さんの事−」
 刺激されたかさくらが大きな声を出しかけたそこへ、
「お止めなさい、みんな。朝から揉めて、また碇さんに叱られても知らないわよ」
 さすがにここの両親ならぬ良心と言われただけあって、マユミが止めた。
「碇さんを好きなのはいいけれど、それでどうするの?」
「え?」
「ど、どうするってどういう事」
「好き、それで終わるのかって言うことよ。例えば、もし私が碇さんを好きでも、彼女になりたいとか付き合いたいなんて、絶対に思わないわ」
「…なんで?」
「釣り合わないからよ」
 マユミの答えは単純明快であった。
 
 
 
 
 
 千葉県の某市にある黒瓜堂。
 シンジがある筋から、品揃えと接客の悪さはナンバー1だと聞いて訪れたのだが、まさに噂に違わぬ店であった。
「買うなら早くしろ。でなきゃさっさと帰れ」
 こんな店など、普通は一日も保たない筈だが、地下倉庫の品揃えのおかげなのか、初めて訪れて以来、数年経っても潰れる気配はない。
 その黒瓜堂にシンジが呼ばれたのは、年末の事であった。
「これ、お餅?」
「出来たばっかりだ」
 頷いてから、
「ただし、これは行く先が決まってる。欲しかったら一臼搗いてもらおう」
「お、俺が!?」
「当たり前だ、他に誰がいる。これが杵だ。さ、搗いた搗いた」
「ちょ、ちょっと待…お、重い…」
 ずしっとくるそれにふらふらしながら、
「ちょ、ちょっとフェンリルからも何とか言…何をしている?」
「これが餅と言う代物か。柔らかいな」
 シンジの視界に映ったのは、物珍しそうに餅を突っついているフェンリルであり、
「この物体がこれになるのか。マスターやるぞ」
「やだよ疲れるし」
「そう言わずに、少し触ってみるといい。ほら」
 きゅっと手を引っ張られ、搗きたてのそれに触れてみると、
「あ、柔らかい…」
 初めての感触に、そのままつんつんと突っついてみる。
 ぷにぷに…むにむに…。
「あ、この感触はなかなか−」
「ああんっ」
「!?」
 がばと跳ね起きたシンジは、それが記憶の一片だった事を思い出し、
「…レニ、何してるの」
 柔らかい感触の先を見るとパジャマの中に−それもレニのパジャマに潜り込んでいる自分の手があった。
「もう、シンジったら大胆なんだからあ」
「…俺が手を突っ込んだの?」
「ううん、僕が当てたの…あうっ」
 げんこつ。
「朝っぱらから何してるんだまったく」
「だ、だって揉んだのはシンジだもんっ」
「…ナヌ?」
「ぼ、僕が胸に手を当てたら、そのままむにゅむにゅってシンジが揉んだんだから」
「……あ」
 すう、とシンジの顔から血の気が退いた。どうやら餅だと思って揉んだのは、レニの胸だったらしい。
 それにしても、初夢でないとは言え何という夢をと、宙を見上げたところへ、
「ねえ、シンジ」
「何?」
「僕の胸を触った手つきとか、すっごく嫌らしかったんだけど…初めてじゃないでしょ」
「え゛?」
 自分では揉んでる感触などなかったのに首を傾げたら、
「だからほら、おっぱいの先が大きくなっちゃ…いったーい!」
 スパン!
 今度はさっきより格段にパワーアップしており、レニがズキズキする頭をおさえたそこへ、
「むにゃ…おっぱいがどうしたの〜?」
 薄目を開けたアイリスが見たのは、レニの服に侵入して胸を触ってる−アイリスにはそう見えた−シンジの手であり、
「…おにいちゃんとレニ…何してるの」
 一発で目が覚めたアイリスの危険な声がした。
 
 
 
 
 
「悪いけれど、いまここにいる中で、本当に碇さんと釣り合う人はいないと思うわ。それは皆も分かってる事でしょう?」
「そーんなの分かってるに決まってるじゃないの」
 脳天気な声がした。
「レ、レイ、あんた今の聞いてたのっ?」
「んー、要するに碇君の取り合いでしょ。わかりやす…あっつー!」
 ゴス。
 四つの手が−なぜか織姫の手までぴたりと揃い、一斉にレイの後頭部を襲った。
「いったいなー、もう何すんのさ。大体、今のボク達じゃ釣り合わないって、マユちゃんも言ったばかりじゃないか」
「ボク?あんたもシンジの事気に入ってんの?」
「ここのヒトって意味だよ。ボクは競争率高い恋愛はしない主義だから」
 生意気な事を言うと、
「でも四人とも、どうせ告白はしないんでしょ?」
 ぎくっ。
「べ、別にあたしはその…えーと…」
「ふうん。じゃ、アスカは関係ないんだ。じゃ、これでライバルが一人減ったね」
「だ、誰もそんな事言ってないじゃないっ、勝手に決めるんじゃないわよっ」
「全く素直じゃないんだか−おっと」
 飛んできた手を今度はかわし、
「でもさあ、黙ってたら勿論伝わらないけど、告白ったって、分かってるよ嫌いなら管理人なんてしないよ、で終わっちゃうよねえ。どうするの」
「あなた綾波レイさん言いましたね。なんでそんなに碇さんの事知ってるですか?」
 不思議そうに織姫が訊いた。
「ボクは多分…マリアちゃん以外では、一番碇君に近いからだよ。幸せとか、未来とか言う単語に全く縁のなかったボクはね」
「…ふーん。ま、昔の事は聞かないです。でもあなた、別に碇さんの事好きじゃないですね」
「うん。嫌いよりは好きだけど、それ以上の感情じゃないな。マユちゃんもそうでしょう?」
「そうね。それに、私までのめり込んだら困るでしょう」
「ちょっとマユミさん、その“まで”ってなんですの、までって言うのは」
「だってさ、最初はアイリス以外みんな攻撃してたのに、もうすっかり惹かれちゃって…OUCH!」
 レイを襲ったのは、本日最大の攻撃であった。
「とにかく」
 マユミが咳払いして、
「止める事も誰かを応援する事もしないけど、ここをギクシャクさせるような事だけはしないでね」
「心配ないわよマユミ。あたしがすぐゲットして終わらせるから」
「あなたになど、碇さんが似合うわけないでしょう。やはりわたくしのような美しさこそ−」
「碇さんの強さにはあたしの方が似合ってますっ」
「あなた達では色香が足りないでーす。ま、マユミさんとは気が合いそうですねー」
 無論、身体の凹凸の事を言っているのであり、
「『なんですってえっ』」
 バチバチと火花が散ったそこへ、
「朝っぱらから元気そーだなオイ」
 かなり不機嫌そうな声がした。
 
 
 
 
 
「ほう、珍しい事もあるもんだ」
 やっぱりおっぱいが大きくないと嫌なんだ、と寝起きのアイリスに絡まれ、しかも運悪く引っ込めようとした手が引っかかってしまい、納得は行かないがレニの乳房を引っ張ってしまい、シンジはダブルで責められる事になった。
 アイリスはシンジの肩におり、きゅっと腕を組んでるのはレニだ。
 若干名からクレームの来そうな姿ではあったが、珍しく不機嫌なシンジの姿に、さくら達もつい抗議できず、
「朝から何を騒いでいた?」
 ギヌロと睨まれた視線に、
「な、なんでもないのようんっ」
「そ、そうですよ、ちょっと哲学の論議をしていただけでっ。そ、そうですよねすみれさんっ」
「え、ええそうですわ。悪妻の発端と言われたかの哲学者の妻について話していたのですわ」
「なんでそれで揉めるの?」
「そ、それはさくらさんが悪妻じゃないとか言ったからでーす」
「…ふーん」
 明らかに疑惑の視線を向けるシンジに、
「あ、あのっ、きょ、今日はあたし達がご飯作るから、シンジは座っててっ」
「そ、そうですね、碇さんはゆっくりしていて下さいっ」
「なんか妙だが…まあいいや、お風呂入って来るからその間に作っといて」
「『はーい』」
 ひらひらと手を振って送り出したが、
「何で私達が作るですか?」
「あんたバカァ?シンジが中身知ったら、あたし達どんな目に遭わされると思ってるのよっ」
「そうですよ。火あぶりとか熱湯風呂とか、それはもう怖いんですから」
「い、碇さんてそんな趣味があるですか?」
 それはそれでワイルドなと、宙を見上げてうっとりしている織姫に一発かましてこっちの世界に引き戻し、四人は慣れぬ手つきで朝食へと取りかかった。
 なお一緒に付いていき、ごく自然に入ろうとした二人だが、
「何をしておる」
 寸前で阻止されて、追い返される事になった。
「和洋中か、悪くないよねえ」
 テーブルには苦戦の後が残っており、それよりも色々な料理がごちゃごちゃ出てきていて、さながら博覧会みたいな様相を呈している。
 一口食べて、
「うん、悪くないね」
 シンジは頷いたものの、アスカとさくらとすみれの顔を見れば、満足してないのは一目瞭然だ。
「…まずいって言うか、今一?」
「なんかこう…違うんですよね」
「ま、まあ仕方ありませんわよ。比べるのが間違いですわ」
 言うまでもなく、彼女たちとて一応当番制を取っていたから、口に入れられぬ物は作らない。
 だが、シンジの腕がそれを遙かに上回っているのだ。
 大層な物など作らずとも、ごく普通に出てくる物からして違う。同じ材料、同じ調味料を作っても、出てくる物が全く違うのだ。
 顔を見合わせた娘達に、
「俺の基本はご大層な料理教室とか権威じゃないし。家庭の味が基本だから、今の君らじゃ無理だよ。今はこれで上出来だから」
 家庭の味、と言ったが、シンジの場合その意味からして普通とは異なる事を彼女たちは知らない。
 慰めるように言われて、やっと箸を手にしたが、ふとアスカがにやっと笑った。
 ちょっと大きさの不揃いなキャベツの千切りを取りながら、
「あのさ、シンジ」
「ん?」
「今度その…料理教えてくれない?」
「『え!?』」
「あ、いやほら、シンジが風邪とかひいたらあたし達即座に餓死じゃ困るじゃない。せめてあたしだけでも作れるようにならないと」
「ちょ、ちょっと何ですかそれっ!碇さんあたしもっ」
「碇さんわたくしだけ除け者って言うことはないですわよね」
「入ったばかりで分からない私からが当然でーす」
「…止めなさい」
 また収集付かなくなりそうなので、マユミが一喝して止めさせた。
(まったく、油断も隙もありゃしませんわね)
(なによっ)
(一人だけ抜け駆けしようなんてずるいですよ)
(自分の下手な料理を逆手に取るなんて最低でーす)
(あんた達が鈍いだけよっ)
(なんですってっ)
(止めなさいって言ってるでしょっ)
 局地的戦闘を展開してる娘達だが、シンジは気づかない。無論、普段ならすぐ分かる筈だが、
「おにいちゃん、あーん」
 朝から自分をほったらかしにしてレニとべたべたしてた、と言う罪状でアイリスに食べさせられてる最中だからだ。
 レニが絡んで来ないのは助かるが、
「……」
 時折妙な視線で、自分の胸元をじーっと見つめているのはかなり気になる。
(こっちこっち)
 首を振って気を引き戻し、
「やる気がないよりあった方がいいけどさ、姉貴にでも習ったら?」
「え?ミサトさんに?」
「自分の嗜好入れるから、ろくなモンが出来てこないけど、本来の基礎はかなりなものだよ。基礎をおさえるならそっちの方がいい」
「え!?」
「どしたの?」
「『う、ううん、なんでもない』」
 ブルブルと首を振った娘達に、レイがくっくと笑った直後、きれいな一撃がその後頭部を襲い、
「いったー!」
 頭をおさえながら、
「ちょっとムカッと来たぞ」
 ゆっくりとレイの顔が上がり、
「ちょいと碇さん」
「は、はいっ?」
「今、好きな人とかいるの?」
「『ぶーっ』」
 揃って吹き出したのは、シンジのものではなかった。
 
 
 
 
 
(つづく)

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