妖華−女神館の住人達
 
 
 
 
 
第九十四話:女神館の火薬庫(中編)
 
 
 
 
 
 ぶらりと姿を見せた雇用主の姿に、作業員達は一斉に直立不動の姿勢で出迎えた。
 ただし、月収百万から取れる者達を、時給数百円で働かせる鬼雇用主だが。
「藤宮、進捗状況はどうなってる」
 居並ぶ者達はいずれも手先にあちこち機械油がくっついており、男はまだしも半分以上は年頃の娘だから、親や彼氏にばれたら赫怒するに違いない。
「問題ありません」
 無機質な声が返ってきた。
「んな事は訊いてない。どうなってるかと訊いてんの。俺は予定表もらってないんだから問題なんて言われてもわかんないでしょ」
「これが進捗表です」
 とは言え、別にシンジは怒ってるわけではない。こんな事で怒るほど、癇癪の導火線は短くないし、これが紅葉の持ち味だと納得しているからだ。
 だが。
 
 
「良くないね」
「何がだい、ばーさん」
「…あの娘さ。シンジちゃん、あんたも分かってるんだろう」
「ま、いいじゃないの」
「良かないさ。あまり、馬鹿な事をお言いでないよ。本邸のメイドは、殆どが御前よりあんたに心服してる者ばかりだ。一緒に歩いていて、誰かがあんたに肩をぶつけてそのまま行くだけで、半殺しにしちまうような娘達だし、魔道省の連中だって似たようなもんだ。あんただって、わざわざあの子に災禍をもたらすために仲間に引き入れたわけじゃないだろう?」
 ナオコが言ったのは、合ってる所と合ってないところがある。
 以前四百五十号が、シンジと街を歩いていた時の事だ。ショーウィンドウにあった純白のジャケットを、
「これ若様に似合う筈です。ええ似合うに決まってます」
 そう言ってシンジの反応も待たずに買うと、これまた無理矢理着せたのだが、間もなく女子高生の二人連れがシンジにぶつかった。
 彼女たちに取って不運だったのは、万引きを成功させてまんまと手に入れたルージュを歩きながら点検していた事であり、もっと不運だったのは碇シンジに連れがいた事であろう。
 純白のジャケットに付いたシミに、血相を変えた四百五十号だったが、ああ大丈夫だからとシンジは手を振ったものの、二人が言語に絶する悪夢にさいなまれた挙げ句、夢のそれが現実の身体に現れ、文字通り骨と皮になりやせ衰えて死んだ事を知ったのは、それから2週間後の事である。
「そんな事言ったってさあ、あれはもうああいう設定なんだから」
「設定?」
「そう、設定。性格とか声とか、直るのは二次的な物だけど、直らないのはもう設定って言うんだ」
「じゃあ、そのままにしておく気かい?」
「ううん、俺が何とかする…多分出来ないけど出来たらね」
 と言う経緯があり、間違っても怒ってみせることは出来ないのだ。
 表を受け取ったシンジはそれを眺め、
「うん、時給七百円にしては良く働いているな。大したもんだ」
「はい」
 と頷いた紅葉の表情に、ほんの一瞬だけ感情の色が揺れた。
 とそこへ、
「若様」
「どしたの、四百五十号?」
「実は仲間達と考えたんですが」
「うん?」
「ストライキ起こそうかなと」
「はあ?なんか不満でもある−ひたたた」
「本来の私達は時給一万円近く稼いでます。それがどうして数百円で、しかも真っ黒になってやらなきゃならないんですか」
「そうですよ、若様」
「七百七十七号、お前もか」
「私もです。大体これ、家族とかにごまかすの大変なんですから」
 我も我もと寄ってくる者達に、
「あー分かった分かった。それでどうしろって言うのさ」
「あの、それなんですが…」
 四百五十号がもじもじしながらシンジの耳元に顔を寄せてきた。
 時給三十倍とか言うのかと思ったら、
「あの、キスして下さいませんか?も、勿論頬で結構ですから」
「死んでもごめんだね」
 シンジの答えは早かった。
「『え…』」
 落胆と動揺がさざ波のように拡がって行くのを見て、
「あのねえ、俺はノーマルなの。ホモ好きの変態同人女か、お前達は?」
「ちっ、違いますよ若様っ。わ、我々にはその…サ、サイン下さい」
「…サイン?」
「とある筋では高く売れるんです。それに、何にも勝る護符として飾ってある家もあると聞いております」
「おしゃべりな客には、譴責が必要だな」
 わずかに眉が寄ったのは、心当たりでもあったものか。
 しかしすぐ表情は元に戻り、
「ま、いいや。労使交渉はさっさと終わらせるもんだしその条件受けよう。ただし」
「ただし?」
「サインは書くだけだから良いけど、頬にするのは一人だけね」
「『え…』」
 その瞬間、居並ぶ娘達の間に何とも言えぬ緊張感みたいな物が走った。あえて言えばぬくぬくしてる家から、氷点下の原野に下着だけで出たような感触である。
 シンジの告げたとんでもない条件に、サインをゲットする事が決まった男達の間にも沈黙が流れたが、
「冗談ですよ冗談」
 からからと笑って、
「全員にやらせたのに、一人だけじゃ迷惑だよね。ただし他には内緒だよ−特にうちの姉貴には、月夜の晩でも無事に帰りたかったら、絶対耳に入れるんじゃないよ」
「『は、はいっ』」
 無論彼女たちも、弟好きのアブナい女の事は知っており、こくこくと頷いた。
 かくして労使交渉は無事に終わり、エヴァ機体の改造と建造は恙なく作業を再開する事となった。
 なお、現在八割まで完成している−搭乗者の資質は無論別として。
 
 
 
 
 
「な、な、何言うのよっ」
「そ、そうよレイちゃん何で急にっ」
 むせたのは、さくらを初めとした四人娘だが、
「別にいいじゃん」
 レイは動じることもなく、
「別にアスカとかすみれちゃんの好きな人訊いてる訳じゃないんだから。だよねー、碇君?」
「え?ああ、別にいいんじゃないの」
 とこちらはまるで他人事みたいだが、
「でも、さくら達が嫌がってるから別の話にしましょう。閑話休題、えーと」
「あ、あのっ、シンジっ」
「あ?」
「べ、別に嫌なんじゃなくてその…す、少し聞いてみたいかなあって、ほら、えーと管理人の趣味とかさ、ほら」
(何がほらなんだか)
 とレイは思ったが、これ以上頭が痛くなるのはやなので、口にはしなかった。
「ふむ」
 何を思ったのか、シンジは頷いた。普通なら間違いなく嫌がる所だが、その理由はすぐ明らかになった。
「君らの履歴書、経歴から全部俺知ってるしね」
 ぴくっ。
 一瞬微妙な空気が流れたが、やむを得ないと諦めたのか、
「そ、そうですわ碇さん。わたくし達のだけ知っておられるなんて不公平ですわよ」
「そうでーす、碇さんの事もっと知りたいです」
 ややストレートな意見は、やはり性格の故か。
「と言ってもねえ−あ、アイリスもういいから」
 スクランブルエッグをあーんと運ぼうとしていたアイリスの手をおさえ、
「別に好きな人なんていないんだよね」
「『いっ、いないのっ?』」
「うん…て、何もそこまで反応しなくてもいいじゃない。いくら俺が彼女の一人も作れないからって」
「そ、そう言う意味じゃなくてさ、シ、シンジだったらすぐ彼女とか出来そうだなって思ったから。そ、そうよねさくらっ」
「そ、そうなんです。まったくもってその通りなんです」
「ふうん、まあいいや。とにかく好きな人はいない。これでいい?」
「じゃ、好きな人のタイプは?」
 間髪入れず訊いたレイに、
「なんで?」
 シンジは逆に聞き返した。
「碇君てさあ、逆の意味で興味あるんだよね」
「逆?」
「うん。一体どんな人を好きになるのかなあって。で、どんなタイプなの?」
「どんなタイプって…君らも?」
 こくこく。
「そんな事にねえ−女の子って妙なモンだ」
 一人勝手に納得したが、
「俺の好きなタイプタイプ…と」
 ぼんやり宙を見上げているシンジに、マユミとレイを除く面々の耳目が密かに集中している事を本人は気づいていない。アイリスまで、じっとシンジの口元を見つめているのだ。
 答えはすぐに出た。
「別にないね」
「はあ?」
「ちょ、ちょっと碇さん何もわたくし達にまで隠し事なさらなくてもよろしいじゃありませんの。それとも、わたくし達にはお話などされたくないと言うことですの?」
「にゃ」
 シンジは首を振った。
「そうじゃなくて、本当にないんだってば。君らも多分そうだよ」
「き、君らってあたし達?」
 訳が分からず聞き返したアスカに、シンジは軽く頷いた。
「例えばアスカ、背が高くて裕福で性格が良くて、なんて妄想癖のある女流同人作家が自分の好みを放り込んだ像が好きだとして、実際に結婚するのは現実通りぐっとランクが下がるもんだよ。男同士が絡み合ってるような小説に出てくる、目の輝いたキャラなんて俺の知る限り戸山町に一人いるだけだ。ま、せいぜい俺クラス…ん?」
 ぼっ。
 アスカの顔が朱を噴いたのを見て、シンジは慌てて訂正した。
「いやそのアスカなら俺より大分上のランクだ、ごめん」
 さあっとアスカの顔から色は退いていったが、
(もう…バカっ)
 内心で、思い切り口を尖らしていた事など知らず、ましてある三人が一瞬ぎくっとなり、次の瞬間ほっとした事など知るよしもないのだった。
 咳払いして、
「話を戻すけど、好みとか理想なんてそんなモンなんだよ。いざ結婚してみれば、理想とは大分違うゾって話になるし、本当に好きになっちゃえば、好みと大分違っていても気にならないもんだから」
「あの…碇さん」
 不思議そうに呼んだのはマユミであった。
「何?」
「なんかこう、単に理屈を聞いてるだけって言う気がしないんですけど、彼女とかいた事ないんですよね?」
「ないよ」
「なんでそんなに説得力出るんですか?」
「うちの親がそうだったから」
「うちの親って、碇さんのご両親ですか?」
「そっ、あの二人は夫婦仲は最高だった。理想の夫婦像ではあったが、両親という点では失格だったな。俺と姉さんが気にしなかったらから良かったけど、最期まで二人で手を繋いで旅行に行くような夫婦だった。ところが、祖母に聞いたら嫁に来る前、俺のマミーは子供が生まれたらずうっと片時も離れずに側にいたいとか、口走ってたらしいんだ。ところが、いざ生まれてみたらメイドはいるし姑はいるし、自分が何もしなくても育つ環境は十分にある。それでも、姉さんの時は最初は見てたらしいけど、俺の時には完全にほったらかしだったな。それでも、力を忌まれた事は一度もないけどね」
「好みと違うってその事ですか」
「そう。それに俺もね」
「おにいちゃんもそうなの?」
「そうなの。普通は放っておかれたら親を恨むんだけど、俺はマミーとパピーを羨ましいと思った事はあれ、恨んだ事は一度もないよ」
 そう言ってシンジはくすくすと笑った。なにやら思い出したらしい。
「とにかく、理想とかそう言う物は、結構簡単に崩れちゃうものなんだ。三高じゃないと結婚しないとか言ってる女のうち、何人が理想を叶えてると思う?もっとも。そんな事を言う女に限って、自分自身には一つも高がなかったりするんだけどね」
「大体分かった。じゃあさ碇君」
「ん?」
「もし、もしもだよ、タイプを仮に定義するとしたらどんなタイプ?例えば…この中で例えるとしたら」
 きっと吹き出すに違いない、間違いなくそうだとシンジは思った。
 だが予想に反してそんな事はなく、しかも、もっと意外な事に皆が真面目な顔をして自分の顔を見ているではないか。
(なんで?)
 首を捻ったシンジではあったが、訊くのも面倒だし、
「うーんそうだねえ…」
 居並ぶ顔を見回した時、ぶるぶるると携帯が震えた。
「はい」
「…儂じゃ」
 フユノの声は、どこか遠く聞こえた。
「どうしたの、お婆?」
 電話の向こうで、フユノが大きく息を吐き出したのを知ったが、シンジは何も言わなかった。
 ミサトはまだ磔だし、フユノしかいない。
 しかし、出た途端、二度と掛けるなと切られたらどうしようかと、おそらくは随分迷ったに違いない。その一言が数百万人の命運を左右し、億単位の金が即座に動くフユノであっても、たった一人、たった一人の青年の言葉だけに怯えていたのだ。
 これが死ならまだいい、しかし自分がすべてを賭した孫から縁を切られる、それはフユノに取っては死などより余程つらく、苦しい事であったろう。
 しかしそんな事などまったくなかったかのようなシンジの言葉に、事実フユノは息を吐き出したのだが、控えていたメイド達もまた同様であった事までは、シンジも知らなかった。
「今日、住人達が二人帰ってくる。結界は緩めておいた方が良かろう」
「今日来るの?」
「そうじゃ、今日帰ってくる」
「ん、分かった」
「それとシンジよ、娘が一人増えたそうじゃな」
「うん」
「どこを見たのじゃ?」
「うーん…潜在かな。それと、俺の愛人と」
 ぴきっ。
「分かった、お前の好きにするがよい。もう港に着くはずじゃ、帰ってきた途端弾かれてはならぬぞ」
「はいはい…って、帰ってきた?降魔を前にどこ行ってた訳?」
「養生にな、しばらく世界を見物させておったのじゃ。もう大分良くなった故、戻ってきたのじゃよ」
「ふーん。分かった、こっちの結界は緩めとくから。じゃあね」
「碇さん…」
 俺の愛人、すなわち存在する意味で発言された単語に、殺気すら含んで呼ばれたのは電話が終わった直後であった。
「何?」
「愛人って、どなたですか?」 
「俺そんな事言いました?」
「『言いました!』」
「そうかなあ、君らの気のせいじゃ…ふぐぐー!!」
 たちまち六人から総攻撃に遭い、
「ジャ、ジャスタモーメン、タイプの話がまだ終わってな…きゅう」
 窒息しかける寸前、
「じゃ、さっさと話しなさいよっ」
 げしげしと踏まれ、
「もう、ひどい目に遭ったよう」
 ぶつぶつ言いながら席に戻り、
「えーと、とりあえずね、さくら」
「え、えーっ!?」
 今度はさくらの顔が真っ赤になり、抗議の声が上がるかと思われた途端、
「−の十乗」
「『…え?』」
「つまり強さって事。なんなら、さくらと山岸を足して二百七十五倍位でもいいや」
「ちょ、ちょっとシンジどういう事よそれ」
「簡単な事だ。アスカとかさくらが暴走、或いはまとめて暴走しても構わない。俺が一人で止めるから。でも俺が暴走したら君ら全員足しても止められないでしょ」
「『ん?ん?』」
「つまり、強くない人と付き合う限り、俺はいつまでも自制してなきゃならないじゃない。そんなのはやだし」
「『あ、ああ』」
 皆、なんとなく分かったような表情にはなったが、さくらはやはりショックだったかもしれない。どうあがいても、さくら個人ではないのだから。
 がしかし。
(でもあたしの名前が出たって事は、あたしが一歩有利って事ですよね)
 もう立ち直ったらしい。
(そうは行かないわよ、誰だってチャンスがあるんだからねっ)
(そうですわよ。まあ、最期に笑うのはこのわたくしですけれど)
(可能性なら私が一番でーす。絶対に負けませんからねー)
 俯いて密談し、危険な火花を散らしているところへ、
 スパン!
 きれいな一撃が入った。
「『いったーい』」
「俺を置いて何の密談してるか知らないが、もう急がないと学校に遅れるよ。ほら全員行った行った」
 ちょっと鈍いような気もするが、逆にこれがもし女の戦いの中身を知られたら、と思うと正直怖い気もする彼女たちであり、これでいいのかと妙なところで思考に一件落着する事になった。
 ほら早く早く、と全員を送り出し、
「あっそーだ、結界取っとかないと」
 と、思い出したように結界を最小レベルまで落としたのは、間もなくの事である。
 
 
「さ、お二人とも足下にお気を付けて」
 竹下桟橋に堂々と入港した豪華客船から、マリアとカンナは人形娘に手を引かれて降りた。
 自分より遙かに大きな体躯の娘の手を、軽々と引いて微動だに揺れぬ娘であった。
 久方ぶりに帰ってきた帝都に、二人が揃って腕を伸ばしたところへ、
「碇フユノ様から、女神館の方へ直接向かうようにとご連絡がありました。なんでも管理人が新しい方がなられたとか」
「管理人が変わった?んな事言ったってよ、御前様かミサトさんしかいないだろ。他に誰かいるのかい?」
「それは、向こうで直にお会いになって下さい。勿論、フユノ様がお認めになった方ですわ」
「カンナ、御前様が言われたのなら間違いないわ。ご命令なら、直接向かわなくてはならないわ」
「あ、ああそうだな。じゃ、ドクターによろしく言っといてくれ。あたい達も一回帰ってから、病院へ挨拶に行くからよ」
「分かりました、お気を付けて」
 ちょこんと一礼した姿は、美しさと愛らしさがあふれているが、そこにはほんの少し微妙な感情もあった。
 無論それは、シンジがこの場にいたならばどんな反応をするか、分かっている事に起因する。
 
 
「ん〜、何だココ?」
 門を入ってすぐ、カンナはわずかに首を傾げた。さすがに武道を極めているだけあって、張られた結界の存在に気づいたらしい。当然既に緩められてはいるものの、何かがあった−違和感のような物を感じ取ったらしい。
「カンナ、どうしたの?」
「いや、あたいの気のせいかもしれねえけどよ…なんか勘に引っかかるような気がしてな」
「気のせいよ。それにもしかしたら、降魔が出現したようだから、そのせいかもしれないわ」
「あ、ああそうだな。しっかし降魔が来るとはな〜、腕が燃えるぜ」
 この巨躯の娘の場合、腕は鳴るのではなく燃えるものらしい。
 そんなカンナにわずかに苦笑して、先に歩き出したマリアを慌ててカンナが追った。
「しっかしな〜、なーんであんな夢見たんだろ」
 シンジは一人、部屋で首を捻っていた。例えばこれが、シビウの熟れた肢体を責めている夢でも見たのなら、レニの胸を揉んでいてもなんとなく分かるが、なぜ餅が出てくるのかさっぱり分からない。
 別に餅が食べたいわけでもないのだ。
 まあ、その筋に話したら性的欲求不満です、で片づけられてしまいそうだが、そんな事は無いはずだ−多分。
 少なくとも、従妹と美幼女の乳や尻に悶々とする事はあり得ない。
「困ったもんだ」
 と呟いた時、部屋の扉がノックされた。
「あ、来たかな。はいはい」
 よっと立ち上がり、ドアを開けた途端いきなり目が点になった。
(お、大きい…)
 何が大きいって、なにせシンジよりも高いのだ。この霧島カンナ、身長は一メートルと九十七センチあり、しかも航海中にまた伸びたような気がする。
「あんた今、あたいがデカ物とか思ったろ?」
「え?あ、いやそこまでは思ってない。大きいなと思っただけ」
「本当か〜?ま、いいや、知ってるだろうがあたいは霧島カンナ。で、こっちが…マリア?」
 まさか、その思いはあった。
 名字は聞かず下の名前しか知らなかったが、探そうと言うほどの気力は、戻ってきた当時のマリアには残っていなかった。
 中国の奥地で会って以来、一時も脳裏からその名前が消えた事はない。
 そう、シンジという名前が。
 声を聞いた途端、今まで溜まりに溜まっていたものが、一気にどっとあふれ出た。
「シ、シンジ…」
「マ、マリアおめえ…」
 カンナがぎょっとしたのも当然であったろう。一年前、マリアがどこかに派遣されて戻って以来、一度も前のマリアに戻る事は無かった。
 冷静沈着が服を着たような性格は消え失せ、見るも無惨にやつれて帰ってきたマリアであり、それが身体の病からではないとカンナには分からなかった。
 そのマリアの双眸から、見る見る涙があふれ出すのを見て、度肝を抜かれたのはカンナだけ…ではなかった。
「マ、マ、マママリアー!?なな、ななんでここにー!?」
 ここまで狼狽えた姿など、従魔のフェンリルですら見た事は無いに違いない。
「…ひ、久しぶりね…シンジ…やっと、やっと会えた…」
(じゃあ、このロン毛の兄ちゃんがマリアを変えた原因かよ?)
 カンナ自身もショックの中でそんな事を考えたが、一瞬で現実に引き戻された−秒速の早さで引き抜かれた拳銃と共に。
「シンジなんか死んじゃえ!」
 カンナが、いやそれどころか彼女を知るすべての者が、茫然自失の態に陥りそうな台詞と共に銃声が鳴り響いた。
 カンナが止める間もあらばこそ、あっという間にけたたましい音と共にガラスが木っ端微塵に割れ、シンジの身体は真っ逆様に落下していった。
 
 
 
 
 
(つづく)

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