妖華−女神館の住人達
 
 
 
 
 
第八十六話:居着く娘その壱
 
 
 
 
 
 月夜の下をシンジが歩いていく。
 夜香がいないのは国内にいないからであり、麗香もいないのは帰国を知らされていないからだ。
 誰にも告げず帰国したシンジであり、フェンリルさえ今はこっちの世界にはいない。
 実家の者にすら告げなかったシンジが、帰ってきて真っ直ぐ向かった先は新宿御苑であった。白い月明かりを浴びながら、十五時間ほど空にあった身体を癒すためだ。
 中に入ったシンジはまっすぐ芝生を目指し、ごろりと横になった。
 横になって月を見上げるその顔は、何かを悟った修行者のように妙に幸せそうなものに見える。
 二時間ほど眠ってから、シンジはふと起きた。寝ようと思えば幾らでも寝られるが、逆に足りない時は常人よりだいぶ持つ。
 何故か、浴びた月光で艶が増したように見える顔のまま、ひょいひょいと歩いていくシンジの横を一台のベンツが通り過ぎていき、前方ですっと止まった。
「俺を誘拐に来たんだ、きっとそうに違いないんだ」
 どうしよどうしよと辺りを見回したが、無論助っ人などいない。しかしこの少年は出国の前日、夜の街で急襲を掛けてきた三十人からなる誘拐部隊を、一人残らず殲滅したことを、もう忘れているのだろうか。
 しかしそれが自惚れとは、すぐ明らかになった。
 止まったベンツの回りを、十人ほどの男達が取り囲んだのである。応援団で団旗でも振り回しているタイプなのか、いずれも屈強な体つきをしている。
 応援団、即ち学生と言えるのは全員が詰め襟姿だったからだ。
 しかも殺気立っており、どう見ても恐喝や因縁ではなく襲撃に見えた。
「……」
 わずかにシンジの眉が寄ったのは、月光の下で眠って機嫌がいいのに、こんなところで騒ぎの音など聞きたくはなかったのだ。
 事情は知らないが取りあえず片づけるか、と決めて手が動きかけた次の瞬間、車のドアが吹っ飛んだ。吹っ飛んだ、と言うより中から蹴り飛ばされたのである。
 しかしこのベンツは偽物ではなく、頑丈で知られるドイツ車は車に手抜きなどしていない。
 さてはプロレスラーが、敗れた対戦相手の部下から襲われたのかと思ったが、きっちり三秒後、シンジの口がぽかんと開いた。
 まず最初にブーツが現れ、ついで出てきたのはショートカットの娘だったのだ。街灯をライトに見えるその顔は、どうみてもいいところの一人娘が似合っており、逆さまにしてもこんなドアを蹴り破る芸当など出来るようには見えない。
「うっそ〜ん」
 ダブルでびっくりしたシンジだが、それはすぐにもう一つ追加される事となった。
 鉄パイプと木刀を持って襲いかかった連中が、群がったと思った次の瞬間、見事に吹っ飛ばされたのである。シンジでさえ、あんなに集られたら吹っ飛ばせるかどうかは分からない。
「うーん、お見事」
 褒めたのは掛け値なしだったが、その声に娘が気付いた。
 つかつかと歩み寄ってくると、
「お前、こんな時間にこんな場所で何をしている」
「何を…ってあの、俺?」
「お前だ、お前。それになぜ脅えていない。普通なら、それもお前のように変な髪型のやつはすぐに脅えるものだ」
 その言葉に、シンジの眉がぴくりと動いた。
「変な髪型〜?男女にだけは言われたくないな」
 ふん、とそっぽを向くのと娘の眉が吊り上がるのとが同時であった。
「その言葉、病院の上で後悔し…なっ!?」
 言い終わらぬ内にその身体は、シンジの胸へと引き寄せられており、抱き込まれた瞬間その横を何かがかすめていった。
 唸りを上げて戻ってくるそれを見やり、
「ブーメランか。後ろから投げるとは変わった真似をする」
 たん。
 靴が僅かな音を立てた途端、男達の身体は宙高く舞っていた。無論、吹き上げた水柱が男達を強烈に持ち上げたのである。
 凄まじい水勢に身体を打たれ、どっと落下する男達を娘は呆然と眺めた。
「車のドアを蹴り飛ばすから化け物かと思ったが、ごく普通の娘だったか。で、変な髪型がどうしたって?」
「な、なんでもない…」
「なんでもない〜?」
「い、いえ…なんでもありません」
 うむ、と頷いてからシンジは腕の中の姿を今気づいたように見た。
「そう言えばお前の顔…どっかで見たような見なかったような…どこだ?」
 
 
 
 
 
「俺の拉致や暗殺に協力しようと別に構わないが、もう少しですみれも巻き込まれるところだった。泪、処分はお前に任せる」
「かしこまりました」
 任せる、と言う言葉の意味は、泪には十分に通じており、すっと一礼すると二人ともシンジの視界から消えた。
「長篠城は落ちなかった。だが常にその居所が不落と思わない事だ」
 奇妙な台詞は無論、池田屋の主奥平貞昌の名前にあろう。鳥居強右衛門の犠牲と引き替えに、武田勝頼に攻められた長篠城は落ちなかった。それが結果的に長篠の合戦を生み、武田家滅亡の第一歩を築いたのだが、シンジが口にしたのはその事であったろう。
 冷ややかな眼差しを崩さぬまま身を翻したところへ、
「久しぶりだな、シンジ」
 女の声がして、シンジがちらりと振り返った。
「だな?シンジ?」
「あ、いやその…シ、シンジ様」
「そこまで低姿勢にならんでもいいだろ。久しぶりだね、あきら…ってこら」
「何か?」
「何かじゃあない。なんだ、その幸せそうにぶっ弛んだ顔は」
「わかるか?いたたた」
 指輪をかざしたとたん、娘の首はきゅっと極められていた。
 首を極められたまま、
「でも、シンジには本当に感謝している。私がこんな物を嵌められたのはシンジのおかげだからな」
「わかってればよろしい」
 あまり思ってなさそうな声で言うと、挟んでいた首を放し、
「今日はすみれのお供だが、とりあえず親父さんのそばで安泰だ。少し表にでも出ようか?」
「そうだな」
 頷いた娘を伴い、シンジは門の外へと歩き出した。
 この娘、名前を神取あきらと言う。
 無論、シンジが見たドアを足で蹴り飛ばした娘だが、その時シンジに飛来した物体から助けられて以来のつきあいだ。
「何?お前も来るのか?」
 出かける用意をさせていたあきらの父親が、怪訝そうな顔で娘を見た。あまりの粗暴ぶりに廃嫡ならぬ縁切りしようと思ったら、なぜか碇財閥総帥から撤回命令が来た。
 内政干渉とか思う余裕も間もなく慌てて取り下げたのだが、なんで碇フユノが介入してきたのか、未だに分からない。
 碇シンジ、と言う名前はそこには出てこなかったのだ。
 自分は取りあえず義理があるから出なくてはならないが、この娘が出る理由などないし、まさか神崎忠義の位牌に灰を投げたりしないだろうなと、内心冷や冷やしていたのだ。
 が。
「あきらはどこに…!?」
 長身と腰まである黒髪、その顔と名前は政界か経済界に少しでも通じる者なら、知らない者はいない。あの碇財閥総帥碇フユノに切り札と言われながら、本人にまったくその気がない事も知られている碇シンジだ。
 皆喪服なのに、なぜうす紫のスーツなぞ着ているのかは不明だが、その顔が凍りついたのはその横に娘を見つけた時であった。
 並んで出ていくのを遠目に見つけた時、父親は顔から血の気が音を立てて退いていくのを知った。
 娘の性格を考えれば、ここで外交を展開するより違う事の方が可能性は強いのだ。
 無論娘がシンジと知り合いだなどとは、つゆほども知らない。
「大学落ちて管理人に就職したらしいな」
「どっから聞いてくるんだよ、そんなこと。少し情報の漏洩には注意しないといけないな」
「何言ってるんだか」
 相変わらず、滅多に笑わぬ表情に小さく笑みを見せ、
「16で結婚可能なのにもう18だ。娘を差し出したくてうずうずしてるのはいくらでもいる。それと−差し出されたがっている娘も」
 後半の付け足しは、差し出すと言う単語にシンジの表情が反応したからだ。この神取あきらはすでに結婚しており、シンジの強さに憧憬はあるがそれ以上の物はない。
 ただし、これが決して追いつけない類の物である事は本人もわかっており、ライバル心が全くないのはそのためだ。
 これが五精使いではなく、一武道家だったらまた余計な敵愾心を持たれたかもしれない。
「俺にその気がある、と思ってる?」
「だったら姉上を調教する事だ。別に素材は悪くないはずだ」
「…まあね」
 あきら自身、優秀な弟としばしば比較され、というより父親の言うなりになっていた弟と好きな武道へまっしぐらに突き進んでいたあきらとでは、周囲がどっちを高く評するかなど火を見るより明らかであった。
「あのさ、あきら」           
「ん?」
「なんで俺の両親は、もう一人子供作らなかったんだ?」
「わっ、私がそんな事を知るわけないだろう。知りたかったら両親に聞いてこいっ」
「なんでそこで顔を赤くし−ああ、今作ってるさい…ぶぎゃ」
 あっという間にコブラツイストがきれいに極まったシンジだったが、秒と経たずに抜け出した。
「……」
 あきらは数秒シンジの顔を見たが、すぐ諦めたように姿勢を元に戻した。
「でも、幸せそうだな、いろいろと。顔と言わず体中に出てるぞ」
「う、うるさい」
 顔を赤くして否定しても効果はないというもので、どうやら図星だったらしい。
「幸せ談義は別の機会にするとして、顔が見たくて俺を呼んだ訳じゃないでしょ?」
「小娘を集めてハーレムを作るために、わざわざ管理人になった訳じゃあるまい。何を考えてるんだ」
「ハーレムだよ」
「はあ?」
「正確に言えば、俺が一流に仕上げられるだけの素材を持った卵の集まりだ」
「一流?」
「決まっている−最弱から最強への変貌だ」
 シンジの基準らしいとは言えるが、住人たちが聞いたら、屋根から吊されるかもしれない。
 そうか、と言ったきりなにやら考え込んでいたが、
「一つが終わればすぐに次が出てくる−羨ましいぞ。わた…いたっ」
 ぴしっと弾くと、
「お前が知ってるか知らないか知らないが、思い切り脚開いて力入れて、その中から妙な物体がおぎゃあと顔を出す時、看護婦の助けがいるのは無論だが、本人も死にそうなほどの激痛が襲う。梅雨でじめじめしていらいら、ついでに月経で体調不良−それでも子供は好きなように泣いて騒ぐ。死ぬような思いをして産んで、自分のすべてを賭けて育てても子供は平気でぐれる。全部忍耐して、縁側で日向ぼっこするしかやることがなくなってから言うんだな」
「ず、ずいぶんリアルだな」
「いや、全部聞いた話」
「おのれは〜」
 手を振り上げかけたが、途中で止めた。いちいち怒っていたら、シンジの相手など身が持たないと知っているのだ。
「武力で相手を制圧するのは至極簡単な事だが、子供ができて以降は自分との戦いになる。お前がそっちでどうするのか、ゆっくり見物させてもら…何?」
「私の事より、自分の方はどうなんだ。管理下にあれだけ女がいてまったく相手に…いや、私が心配する事はなさそうだな。シンジ、時間が空いたら私の家にも遊びに来てくれ。一撃で吹っ飛んだサンドバッグは、まだ天井から吊ってあるからな」
 何か言いかけて止め、あまつさえ勝手に身を翻したあきらに、シンジの口があんぐりと開いたがそれも一瞬のことで、
「どうした?」
 振り向いて訊いた声はもう、管理人の物に戻っていた。
 
 
 
 
 
「やっぱり跡形無く、のお考えみたいね」
「そうね」
 瞳と泪はもう表に出ており、ざわめく邸内を外から眺めている。
「でも、少し引っ掛かるのよ。本当に潰すなら、私達がするよりご自分の電話一本で済むでしょう。なのにどうして私に任せると言われたのかしら」
「多分…面倒だからじゃないかしら」
「面倒?」
「今日来られたのは、自分の事じゃなくてあのすみれと言う娘の付き添いでしょう。そんなときにまで、わざわざ動きたくなかったのよきっと」
「と言うことは」
「手抜きしたらお仕置きね、きっと」
「お仕置き?なにされるのかしら」
「何ってそれは勿論…あら?」
 そう言えば主人になっているシンジではあるが、怒られたり怒鳴られたりした経験が無いことに気が付いた。
 無論、お仕置きも。
「でもしたくない初体験を試しに受けるより、さっさと終わらせましょう」
「そうね、あの人達には邪魔した相手が悪かったと諦めてもらう事にして」
 あったま来た、とかシンジが言っても本当に怒っている訳はなく、また怒っているという表情自体二人とも見たことがない。
「何でも使っていいならいくらでも手はあるし。ところで瞳、ミサトさんには逃げられたみたいね?」
 
 
 
 
 
「あ、あの…碇さんがいらっしゃないと、余計なものが色々と寄ってきますの。それでその…側にいていただいた方が思って…」
「わざわざ迎えに来たの?ありがとう」
 おそらく、すみれは気になってこっちの様子を窺っていたのに違いない。だからシンジより先にあきらが気づいたのだ。
 だがそうと知りながらも、それを口にする事はなく、
「じゃ、行こうか」
 すっと立ち上がった。
 慌てて後に続いたすみれだが、
「あ、あの碇さん…」
「何?」
 内容はわかっていたが、顔だけ後ろに向けた。
「さ、さっきの方はあの…」
「あきら?俺の知り合い」
「そ、そういうことではなくてあの方、たしかご実家から素行不良で勘当一歩寸前だったとか」
「よく知ってるねそんなこと。その通り」
「その通りって碇さ…まさか?」
「世の中には知らない方がいい事もあ…何?」
「何でもありませんわ。さ、行きますわよ」
 きゅっと腕がとられ、そのままずんずん歩き出したすみれに、なんじゃこの娘はという視線を一瞬向けたシンジだが、まあいいやと言うように歩き出した。
 しかし、この組み合わせで歩調が揃うと言うのは奇妙だが、普段は身長差と歩幅の差により、シンジがペースを落とさないとすみれは付いていけないのだ。無論、他の住人たちも同様である。
 今二人のペースが揃っているのは、すみれがすたすた歩いているからだ。
 正面から入るかと思ったら、裏から回っていき、連れて行かれたのは十畳ほどの和室であった。
「父が今来ますから、待っていてくださいな−他の娘など口説いたりせずに」
 トゲが何本か生えた口調で出ていくすみれに、シンジは機嫌が傾いた理由をおぼろげに知った。
 ふすまが音を立てて閉まりそうな寸前、
「すみれ、あきらの指見なかったの?」
「指?」
「墓場の象徴が嵌っていた筈だが」
「は、墓場?」
「結婚は人生の墓場だ」
「…じゃ、じゃあもう結婚しておられるんですの?」
「そ。人のもんには手を出さないよ」
「そ、そうですわよね。碇さんがそんなこと…今、お紅茶淹れますからちょっとお待ちになって」
 あっさりと機嫌を回復したすみれに、ほっと安堵の息をついたシンジだが、両者の思考は微妙に違っていた。
 シンジの思考にあったのは、不潔とかそっちのレベルであり、間違っても帰ってからすみれに、碇さんが結婚している方を口説いてとか言われてはならない。そんな事になればたちまち蓑虫にされて天井から吊されかねないのだから。
 一方すみれの方は、言うまでもなくそんな事は考えていない。ただ、シンジの交友関係を考えると、その思考の行く先もある程度はやむを得ない事なのかもしれない。
 もしここでシンジが、
「すみれちゃん、焼き餅?」
 などと口走る性格であれば、到底美貌の院長も味方にはおらず、まして幾分歪んでいるとはいえその想いを寄せる事などはあり得なかったに違いない。 
 十分ほどしてふすまが開いたが、顔を見せたのは重樹の方であった。
「すみれは?」
「ウェッジウッドのカップに曇りがあるとかで、今磨いている所です。気が済むまできれいにしてから持ってくるでしょう」
 娘を名前で呼ばれても重樹の表情が変わらないのは、既にすみれの心を知っているのと、どう切り出そうかとそれどころではないと言う事もある。
 重樹の方は、忠義がしでかした事で、シンジが激怒していると思っているのだ。
「あの…碇さん」
「ん?」
「先般は父が大変ご迷惑をお掛けしました、申し訳ない」
 膝に手を置いて頭を下げた重樹を眺めてから、
「迷惑?えーと…ああ、思い出した。気にしてたの?」
「…え?」
「確かに、ウチのモンが知ったらここの人間は全滅するかもしれない話だ。でも、そんなにたいした事じゃない。それに、死んだ人間は構わないが、残った人間は悲しむ事になる。すみれのあの顔を見ては、残党討伐もできまい。ただし、池田屋は滅ぼす−跡形も残さずに。狙いと被害が碇シンジ一人ならまだしも、すみれにまで累が及んだ。直接荷担してなかったとはいえ、責任は取ってもらうぞ」
「はい…」
 残党討伐はしない、と言ったが放っておくとも言ってない。しかし、たとえ自分の命と引き替えにしてもここだけは守らなければならない。
 重樹がぐっと唇を噛んだ時、
「ところで、すみれの母はスイスにいると聞いたけど」
 シンジの口から出たのは、あまりにも意外な言葉であった。
「ひ、雛子は確かに…スイスにおりますが…」
「すみれと最後に会ったのは何時?」
「もう二、三年にはなりますが、何かありましたか」
「一度…母子水入らずで過ごさせた方がいいかもしれない。と言うより…療養だな。父親より祖父の方が気に入ってたようだし、すみれにはショックも大きいはずだ。無論それで参る事はないにしても、今は舞台の方も休みだしちょうど−」
「余計なお世話ですわ、碇さん」
 言いかけた所へ開かれたふすまは、少しではあるがはっきりと怒気を含んでいた。
 
 
 
 
 
「あたしが動こうか、婆様?」
 ブランデーを並々と注いだグラスを一気に空けて、ミサトが低い声で言った。無論、ストレートである。
「棺桶に片足突っ込んだ爺さんの言うこと真に受けて、シンちゃんさらおうとするとはいい度胸じゃない。一族と三下ども、七代まで後悔させてやるわよ」
 瞳が持ってきた機械は電気ビリビリの代物であり、髪がちょっと焦げてしまった。その後おもむろに精神改造ボタンを押そうとしたから、一発かまして逃げてきたのだ。
 それにしたって、きっちり縛られた麻縄をあっさり引きちぎったのは、やはり恐るべしであり、血は争えないものと言える。いや、シンジにはそんな肉体的な芸当はできないから、姉の面目躍如であろう。
「その必要はあるまいよ。今回の事、狙われたのはシンジだが、すみれも巻き込まれておる。そのままにするようなシンジでもあるまい」
「だからしゃくに障るのよ。あんな小娘なんか、ほっとけばいいのに」
 やっぱり趣味と生き甲斐を兼ねたそれは治らないらしい。
「ミサトよ、そんな事を言っていて良いのか?」
「何のこと?」
「シンジが男どもの呼び戻しを命じたそうではないか。呼び戻した二人に、冒険話などせがむシンジではなかろうが」
「いいもん、その前に機械いじくってシンちゃんと籍入れてやるんだから」
「愚か者。シンジが賛成するなら構わぬが、シンジが嫌がっているのを無理矢理など決して許さぬ。下らぬ事を考える暇があったら、さっさと式場でも選んでおかぬか」
「ふんだ」
 ぷいとそっぽを向き、
「京子!注いで!!」
 ぐいと突きつけたグラスに、
「はい」
 メイドの一人が静かに頷いてもう一度満たす。この本邸でも唯一双子メイドの姉妹だが、二人とも性格はよく似ている。ここのメイド達は殆どがまだ年若く、大半が二十代だが双子というのはこの樋口京子と典子の二人しかいない。
 しかし若いとはいえ、仕える相手が相手だけに並の者では務まらず、そしてミサトの癇癪位でいちいち脅えてなどいられないのだ。
 ミサトの機嫌と口調にも顔色一つ変えぬ京子だが、フユノもフユノでシンジが望まないからだと言った。だとすると、シンジがオーケーと言えば、近親のそれを後押しする気なのだろうか。
 その精神構造も不明だが、やはり碇一族はどれも特殊と呼べる一面を持っているのかもしれない。
 
 
 
 
 
「あんな事を考えていたなんて、信じられませんわ」
 喫茶店で濃いキリマンを前にぷりぷりしているのは、無論すみれである。一方的な快感はやや不本意ではあったが、嫌われているならよがり狂わされている筈だし、少しリードしたとご機嫌だったのが、自分をスイスへ更迭する計画を知り一気におかんむりになってしまったのだ。
 娘の顔色を見た重樹は、
「申し訳ないが、客への応対がありますのでこれで。碇さん、すみれの事よろしくお願いいたします」
 と、巻き込まれる前にさっさと逃げ出してしまった。
 すっかりご機嫌斜めになってしまったすみれに、シンジが音を上げてこの店へ引っ張り込んだのだ。ぷりぷりしている娘と街を歩いては、どんな目で見られるかわかったものではない。
「別にすみれを避けた訳じゃない。ただ、疲労と言うのは見えなくても溜まるんだ−ましてそれが精神的な物なら」
「嘘ばっかし」
「嘘じゃないって、ほんとだよ」
「じゃ、どうしてわたくしへ直におっしゃって下さらなかったんですの」
「すみれは独り立ちしてないから。娘を母の元へ送るのに、父親の許可なくしてできるかい?」
「でも、それでしたらわたくしへ先にお話があって、それからでしょう。碇さんはわがままですわ」
 思考まで乱れたか、とんでもない事を言いだした。
「わ、わがまま?」
「わがままですわ!」
「わかった…ごめん」
 ここは、あっさりと投降する事に決めた。こんな事なら黙って箱に入れて、海外便で送りつけても良かったが、ばれちゃったものは仕方がない。
 最初にすみれに言わなかったのは、無論保護者云々ではなく、絶対イヤだと言うような気がしたからであり、だから親の了解を先に取り付けようとしたのだが、見事に失敗した。
 ゲリラ戦を展開して徹底抗戦してもいいし、最終手段で局地的核ミサイルを使ってもいいのだが、面倒なので止めた。
 まだ腕組みしているすみれに、
「あの、どうしたらご機嫌直るの?」
「…そうですわね、じゃあキ−」
「キ?」
「な、なんでもありませんわっ」
 慌てて口元をおさえ、
「今日のお食事、わたくしが好きな物を作っていただきます、今回はそれで許して差し上げますわ」
「えーと…はい」
 
 
「こらシンジ」
「何?」
「今日は何の記念日なわけよ?」
「俺に初潮が−止めなさいて」
 辛うじて受け止めたデミグラソースのパックは、ふたが開いたままであった。
「平日にコース料理が出るって、やっぱりお金持ちは違うわよねえ」
 たっぷり嫌みのこもった声であり、
「んなわけないだろ」
 と言い返すのも面倒でましてこれがすみれのリクエストだなどと、口にするのも億劫だったので黙っていた。
「人には色々事情があるんだよ」
 と言うのが精一杯だったが、クリームを溶かしたコーンスープを口に運んださくらが、
「あ、そう言えば碇さん」
 ここで声に何か混ざっていれば、シンジも気づいたかもしれない。
 だが一切の感情を含めぬ声に、さすがのシンジも気づかず、
「何?」
「お見合いされるって言ってましたよね。あれって何時なんですか?」
「あ、そう言えば明日だ。スーツ引っ張り出さないと…あれ?」
 ぴきっ。
 その途端食堂内に何とも言えぬ、だが確実に危険な気が満ちた。
 
 
 
 
 
(つづく)

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