妖華−女神館の住人達
 
 
 
 
 
第六十八話:碇シンジ的柔尋問
 
 
 
 
 
 滑車、と言うのは本来人力が及ばぬ所を助ける物であり、例えば深井戸から水を汲み上げたりするのにも使う。
 本来はそう言った事が目的だったが、何時からだったろうか−それが人を吊すのに使ったりするようになったのは。
 江戸時代には牢内に於いて、女囚への仕置きに使ったとされる記述が残っているし、近年になっても囚人を責めるのにはやはり使われている。
 そして今。
 既に栖暦1999年まで来ていると言うのに、やはり女を吊すのにそれを用いている者がいた。
「シ、シンちゃん冗談でしょ?ねえ、冗談よね」
「生まれてこの方、冗談など言った記憶はない」
 空中から聞こえてきた声を、シンジは冷たく遮断した。
 普通は身内より他人を、と思う筈だがシンジの場合は逆らしく、零号機と弐号機の操縦者を聞き出すのに、さくら達が駄目と見てミサトに矛先を転じたのだ。
 無論ミサトが口を割るわけも無いのだが、
「あっそ、じゃあいい」
 あっさりと諦めたかとほっとした瞬間、ミサトの意識は飛んでいた。身体を覆う違和感に目が覚めた時、ミサトは自分の足が地に着いていないのに気付いた。
「ん…あっ」
 下着一枚で自分が宙に−正確にはパンティーだけの姿で吊されているのを知った時、さすがにミサトも青ざめた。弟が本気だと知ったのである。
「燃やすよ、と言った時も凍らせると告げたときも全部本気だ。勿論、吊すと宣言した時も」
 熟れた肢体に縄目が食い込んでいないのが、惜しいと見るかまだしもと見るかはやや微妙な所だが、後ろ手に縛られて吊されているのは間違いなく、しかも両手にはぎりぎりと縄が食い込んでくる。
「だ、だからなんでそんな事知りたが…んんっ」
 シンジの人差し指が飛ばした風は、さして強くはなかったがミサトの乳首を直撃し、思わずミサトは仰け反った。
 ただし、当然の結果としてまたすぐ戻ってきたが。
「俺がいない間におかしな妄動が多いようだし。最近は姉さんの裸も点検する機会がなかったからな」
 点検なんかした事ないくせに、思わず毒づきかけてミサトは止めた。いつも側にいる妖狼が、その姿を見せていないことに気が付いたのだ。
 フェンリルがいない、シンジの場合は二つに分かれる。
 すなわち、幸運かあるいは不幸かだ。
「もっとも、点検する前にもう変化してる?」
 くすっと笑ったシンジに、ミサトは背筋に冷水を掛けられたような気がした。
 これはシンジ−だが違う、超一級の腕前のくせに幼児の依頼も、それこそ殆ど無報酬で受けて頭をかいてるシンジじゃない。借金の肩に淫魔を取り憑かされてソープに沈められた娘を見た時、娘を失神させてから霊を人差し指で討ち取り、やくざの情婦に殺人鬼の地縛霊を微笑って取り憑かせたシンジだ。
 たしかあの時は、生前の殺人鬼以上の力をつけた女が、機関銃の一斉射を浴びて全身を蜂の巣にされながらも、平然と組員数十名を虐殺した筈だ。
 まさか、まさかシンジはわたしを…
 馬鹿と天才は紙一重、と言う言葉がある。明らかに対極にありそうな両者だが、区別が付かないのは似たような所があるからだ。爆発、或いは混沌から生まれる事の多い芸術だが、芸術家のそれが他人から見れば首を捻る素行に満ちている事も決して少なくない。
 目がきらきらしてる辺りも似てるかも知れないが、シンジの場合には精神状態からして見分けが付きにくい。
 今のシンジは、道でツーショットを頼まれて被写体の片割れになった時の顔であり、もう一方で薬漬けにされて死んだ女の除霊を頼まれ、そいつを凶暴化させて解き放つときの顔だ。
 しかし、ミサトとしては何としても、口を割るわけには行かなかった。
 今海外のカンナとマリアだが、出立前の状況を考えれば、フユノがどちらの存在を知られたくないのかは見当が付く。しかも、徹底して資料を隠している以上、あの原因も多分シンジにあるのだ。
 弟を物にせんと企む姉としては嫉妬すべき状況だが、今はそんな場合ではない。フユノが黒幕と知れば、間違いなくフユノに矛先を向けるシンジだし、今のシンジならフユノの屍から聞き出しかねないのだ。
(さーて、どうすっかね〜)
 ほとんど全裸で吊されているにしては呑気だが、これがミサトの性格である。ピンチでも平素でも変わらぬこれが、ある意味彼女の危機を救って来たのであり、またその人生を形成してきたのだ。
 だが、考える時間は与えられなかった。
 シンジが足音も立てずに身体の側に立つと、二本の指に乳首を挟んでやや強くねじったのだ。
 唇を噛んで何とかこらえようとする姉に、
「姉さんだし、苦痛には強いでしょ?例え身体をばらされても口を割らないはずだ」
 不気味な事をさらっと口にすると、
「でも、こっちなら−どう?」
 舌なめずりすると、赤い唇が一層艶めく。
 そのままミサトの顔を軽く持ち上げた時、ミサトは邪悪な弟の意図を知った。
 
 
 
 
 
「シンジちゃん、この子に全部任せるのかい?」
 藤宮紅葉を連れて、シンジはリツコの所を訪れた。
 会合に出る寸前だったが、
「急用が入ったから今日はキャンセルよ」
 ドタキャンされて、さぞ相手も迷惑したに違いない。
「別に行っても良かったのに」
 つれない言い方に、
「シンジ君が来るのに、そんな事出来ないでしょう?」
 流し目を向けてみたが、いつもの通りぴくりとしない。
 と、リツコが妙な事に気付いた。女の匂いだ。
 女だから、或いは女慣れしている者なら分かるかも知れない匂いを、リツコはシンジから嗅ぎ取ったのだ。
(まさかこの子が!?)
 刹那紅葉に鋭い視線が飛んだがすぐに和らいだ。あり得ないと、本能で察したのである。
(この子じゃない。となると一体誰が?)
 アスカかあるいはさくらか、予想外でアイリスもあり得ると思考のループに入ったリツコに、
「聞いてないならさっさと会議にでも行くんだね」
 母の声に、慌ててリツコが我に返った。
「彼氏とのデートプランで悩んでいたの?」
 柔らかい声で訊いたシンジに、
「あなたの事よ」
 とはもちろん言わず、
「来年度の生徒の事を考えていたのよ。ネルフ学院の霊能科、今年の合格者はゼロだったから」
 そう言った顔には、女の影など微塵も見えなかった。
「え?本当に?」
「あんたが出来るからと言って、他の者も出来ると思っちゃあいけないよ。あんたはもう少し自分の才能を自覚するべきだね」
「き、気を付けます」
 よく分からないがはあと頷いたシンジに、ナオコはちらりと紅葉を見て冒頭の内容を尋ねたのだ。
「問題ない」
 よくゲンドウが口にし、ユイにツッコミを入れられていた台詞を、無論ナオコはよく憶えている。
 先代はシンジと違い、ナオコには頭が上がらなかったのだ。
「そうかい、あんた藤宮紅葉と言ったね」
「はい」
「この碇シンジに選ばれたと言うことは、それだけの重みを持ってるんだ。この子がその気になれば、いくらでも優秀な整備士が手にはいるしあたしだって、知り合いからいくらも持ってこれるさ。それを置いてあんたを選んだんだ、それだけの覚悟はしておくんだよ」
「あの、ちょっと」
 シンジが言いかけたのには一瞥もくれず、
「碇シンジに直任された事が知られれば、それはそのまま嫉妬や恨みを買う事になる。その覚悟がないなら、今のうちに下りた方が無難だよ。いいや、到底機体の整備などは任せられないね」
(母さん?)
 一瞬何故ここまでと内心で首を傾げたが、すぐに思い当たった。
 シンジの場合才能だの容姿だのは別として、まず第一に本人の意思を別に碇財閥の次期後継者なのだ。
 いかに男女平等と言ってみても、所詮女が男の上に、或いは同等がまず適わないのは実態であり、母の例が珍しいことをリツコはよく知っている。
 エヴァ、と言う機体整備一つにしても、その辺の青年の仕事なのとシンジの委託によるのとではまったく事情が異なり、普通ならこれを機に少しでも母体と関係を深めたいと思うところだし、それが一介の素人娘とあれば当然ナオコが言ったような感情も向いてくるだろう。
 無論、シンジが指をくわえて眺めている訳もないのだが。
「多分、大丈夫です」
「多分?」
 ぴくりとマヤの表情が動いたが何も言わない。
 シンジはと言うと、別にナオコを睨みもせず、黙って紅葉を眺めている。
「なぜ、多分なんだい?」
 一瞬リツコの手が動いたのは、母のこの口調が極めて危険な前兆である事が多いからだ。いくらナオコと言えど、シンジが選んだ娘を手に掛けて無事で済むとは思えない。
「碇さんは変わった人だと、カヲルから聞かされています」
「……」
 世の中には、決して怒らせてはならないタイプの人種がいる。
 シンジのことではない。
 やり手の中年婦人、なだけでそれ以外はごく普通のタイプに見えるナオコだが、その実力を知っているのは、実は娘のリツコよりも他人のシンジであった。
 そのナオコの口許が、ふっと緩んだのである。
 一瞬呆気に取られたリツコとマヤだが、シンジだけはその意味に気付いている。
 しかし、それが爆発することは遂になかった。
 あっはっはと、シンジが呵々大笑いしたのだ。
 何がおかしいのかひとしきり笑った後、
「渚カヲルも良いことを言う。それより藤宮、類友って知ってるか?」
「類は友を呼ぶの略ですか?」
「そ。俺が変なら付き合ってる藤宮も変って事、分かってる?」
「仕方ありませんね」
 愛想の欠片を探す方が難しいような口調に、マヤでさえも一瞬表情が変わったが、シンジの方はその答えが気に入ったのか、顔から笑みは消えていない。
「ここまでいい女とは思わなかった。いずれにせよミスがあったなら、それは任命者の責任になるさ」
 シンジの台詞にもう紅葉を使うことを決定してると知り、
「あんたがそれでいいならそうするといいさ。それで、五号機の建造にはもう取り掛かるのかい」
「もう入ってる。突貫で、なおかつ最大の成果を要求してあるよ。機体が揃えば、まずは兵力も一通り集まった事になる。ところでリっちゃん」
「えっ?」
 不意を突かれて慌てたリツコに、
「今、操縦者がいない機体があるんだけど、乗ってる人間のこと何か知らない?マヤちゃんのファイルにも無かったんだけど」
「そ、それは…」
「やっぱりこっちも駄目、か」
「後は誰に訊いたんだい?」
 ふとナオコが訊ねたが、
「誰が知ってるの?」
 逆にシンジが聞き返した。
「いや、うちの祖母は知らないの?」
 妙に落ち着いた、そして静かな声であった。
 刹那空気が止まったが、ナオコの表情はまったく変わらない。これも無論、肯定する事が意味する所は分かり切っている。
「聞き出すつもりかい?」
「俺よりも藤宮が困る。データがないと、機体の改造なんか無理な話だ」
 さっきはシンジが紅葉を救ったが、
「そんな事はありませんが」
 その逆は成立しなかったようだ。
「は?」
「いま乗っている人ならともかく、ここにいない人なら搭乗してのテストが出来ませんから、データだけあっても無意味です。それよりはむしろ、目下の搭乗者達の完全なテストを行う方が優先です」
「…藤宮、俺に何か恨みでも?」
「別にありませんが何か」
「いえ、何でもないです」
 諦めたように肩を落としたシンジに、ナオコがくっくと笑った。
「今度は、あんたが足止めされる番になったようだね。まあ、もうじき戻ってくる筈だし、そうなれば必ず分かることになる。取りあえずはその子の言うとおりにおしよ」
「……もういい帰る」
 ぷう、とふくれて出て行く後をすっと紅葉が追う。
「……」
「気になるかい?なに大丈夫、出て数十センチも歩けばもう表情は戻っているさ」
「そうじゃなくて…」
「どうかしたのかい」
「シンジ君から…妙な匂いがしたような気がしたのよ」
「妙?ははあ、それは女だね」
「『え!?』」
「考えてもご覧よ、それは秘密ですって言われて、シンジちゃんがああそうですかと諦めるタイプに見えるかい。でもあの子は住人達を尋問はしないだろうし、御前ならばそれこそ命に関わる事になる。両方とも違うとなると、残るのはただ一つ、ミサトちゃんしかいないよ。拷問に耐える女を落とすには、方法は一つさね」
 すうっと顔色の変わった二人だが、ナオコはなぜか溜息をもらした。
「お前達はそんなので、よく今までその地位にいられたものだよ。答えを得られていれば、シンジちゃんがあんな反応をする訳ないだろうが」
「『あ…』」
「まったく、二人とも幼稚園から出直した方がいいかもしれないね」
 年の割に進歩のない二人だが、今更分かり切った事に落胆する程、ナオコは暇ではない。この二人を再教育するよりも、前途ある若者達に希望の進路を行かせる方がよっぽど重要なのだ。
「あんた達は当分、自分達の生業にだけ専念しておいで。その間にもう少し、本当の視力を回復してくるんだね」
「『は、はい』」
「分かったらさっさとおいき」
 もう用はないと言うかのように、手を振ってさっさと二人を追い出してしまった。
 
 
「あの」
「え?」
 ナオコが言った通り、数秒としないでシンジの表情は元に戻っていたが、先を行くシンジを紅葉が呼んだ。
「何故、そんなに気にするの」
「操縦者の話?何故気にするか、じゃなくてなんで隠すかが気になる。これは多分だけど、隠匿事項なんじゃなくて俺に知られたくないに違いない」
「思いこみかも知れないわ」
「なんでさ」
「心当たりがあるの?」
「あまり会いたくない娘は確かにいる。ただ−」
 言いかけてから、まさかねとシンジは首を振った。
 首を振ったがそれはむしろ否定すると言うより、信じたくないと現実逃避するような動きに見え、
「あって欲しくない現実なのね」
 紅葉の冷静な言葉に、びくっと首を振った。
「妙な所で鋭いんだからまったく」
「両親が死んだ時もそうだったわ。二人とも、一週間前にもう分かってしまったの」
「−それは医者の宣告で?」
「いえ、脳裏に白布を掛けられている二人の顔が浮かぶの。父親の時は虫の知らせかと思ったけど、母の時もまったく同じだったわ」
「予知能力持ってるの?」
「少し勘がいいだけだわ−でも、それが出るのは自分が望まない時だけ…え?」
 シンジが、軽く紅葉の肩に触れたのだ。
「能力を全部自分の好きに使えたら苦労しないよ。機体をいじる時、ポイントが勘で分かればいいじゃない」
 シンジの言葉に一瞬紅葉の表情に動きが見えたが、
「そう、ありがとう」
 一言告げた顔はもう、無機質なそれに戻っていた。
 
 
 
 
 
「あの院長これは−」
 看護婦が当惑した顔を見せたのも当然であったろう。
 地下室に呼び出された彼女達が見たのは、ぐったりと弛緩した肢体のまま吊されている女−ミサトだったのだ。
 しかもこれがシンジの実姉だと知らぬ者はなく、シビウを別にすればそんな事の出来る人物に心当たりがない。
 まさか院長が−
 閻魔に断罪されそうな考えが脳裏を走り抜けた時、
「なるほど、どうやら口は割らなかったようね」
 感心したような、だが明らかに冷ややかなシビウの声がした。
「はい?」
「尋問に使って構わない、と使用許可は出してあったのよ」
 しかし、周囲を見回せばもう責め具が、それも江戸時代に使われていた物がずらりと揃っており、とても最新鋭の機器と医療水準を揃える病院の地下には見えない。あるいは、もしかすると資料的に揃えてあった物を使用したのだろうか。
「あの、いかがいたしましょうか」
 本当は声など掛けたくなかったのだ。
 ミサトはぐったりと失神しているが、その表情には明らかに快感の痕が残っており、パンティーは着けているから犯されたのではないにせよ−本来とは異なる仕方で責められたのは間違いなく、しかもシビウの表情を見れば、誰が手を下したのかなど嫌でも分かってしまったのだ。
 その類い希な美貌はこう告げていた。
 すなわち、
「私の想い人に、それも恍惚の責めなど許せない」
 と。
 しかも、口を割らなかったとシビウは言った。
 だとしたら、どんな方法を使っても聞き出すか、或いはこのまま放り出すかのいずれかであり、
「第一手術室へ運搬を。記憶消去剤を三日分飲ませて放り出して。例えいかなる理由であろうと、シンジの手によるそれを残すことはしないわ−脳にも躰にもね」
 シビウが選択したのは後者であり、看護婦達は恭しく敬礼したが、一抹の安堵を感じたのはやはり隠せぬ事実であったろう。
 
 
 
 
 
「マスター」
 紅葉を帝劇に送り、一人てくてく歩いていたシンジが背後から呼ばれた。
「何?」
「失神させたのはいいが、あれでは尋問にもなるまい。何を考えている?」
「止めたんだよ」
「止めた?」
「元々、聞き出せる確信があった訳じゃないし、痛みには絶対口を割らないのは分かってた。でもよく考えたら、聞こえないから抜いちゃおうかな、なんてしたくない。AVじゃないんだから。と言うよりしてやんないぞ。大体どっかのボケナスがさっさとさらっていけば、俺に累なんか来ないのに」
 ぶつぶつぼやいているシンジに、
「で、気が変わって指だけで、か。男に飢えていたとは言え、あっさり失神させるマスターもマスターだ」
「ん?」
「それだけの物があるなら少しは雇用関係にも配慮して−」
 不意にシンジが振り向いた。
 忘れ物に気が付いた、そんな感じの振り向き方だったが、何故かフェンリルの足は硬直した。
 動けぬ美女に、
「やる?」
 とシンジが訊ねたが、
「…いや、遠慮しておこう」
 フェンリルが首を振るまでに、十秒以上は掛かっていたに違いない。
「私は−そうだな、当面は口づけだけにしておこう」
 それだけ聞けば控えめだが、そのままシンジに歩み寄ると顔を捉え、いきなり口づけしたのだ。それも舌を絡める濃厚なキスであり、いきなり往来で始まった痴態に、なぜか通行人が顔を赤くして通り過ぎていく。
 俗に言うバカップルの生態も、ここまでレベルが高いと睨む者はいないらしい。
 すっと離れた時、二人の唇を糸の橋が繋いだ。
「食事に行く。すみれがもう治ってる筈だから迎えに行ってやらないと」
「分かった」
 奇妙な二人はそのまま、何もなかったかのように歩き出した。
 
 だがその頃、話題になったすみれは病室で蒼白になっていた。
 いきなり訪れた祖父が開口一番、
「お前の見合い相手は手配してある。すみれ、退院出来次第家へ戻って来るのだ、良いな」
 静かだが、激情を秘めた口調で告げたのである。
「お、お祖父様それはっ」
「お前の意見など聞いておらぬ。確かに命じたぞ」
 それだけ言うと、くるりと身を翻した。容態は、と訊きもしない。
 昼食を運んできた看護婦が見たのは、蒼白な顔のまま、魂を抜かれたように天井を見ているすみれの姿であった。
 
 
 
 
 
(つづく)

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