妖華−女神館の住人達
 
 
 
 
 
第六十七話:適材適所?
 
 
 
 
 
「名前は」
「藤宮紅葉です」
「年齢は」
「二十歳です」
「SEX」
「FEMALE」
 紅葉が「FEMELE」を、すなわち女の性別を意味する単語を告げたとき、シンジの表情が少しだけ動いた。
「処女って言われなくて良かった」
「…私が顔を赤らめると思ったんですか?」
「税関のおっさんがひっぱたかれてました」
「え?」
「豪州に行った時だったんですが、何聞くのよ変態ってぴしゃーんと。中年の夫婦ってまだお盛んみたいで…げほごほ」
 まったく無関心なのに気付いた途端、何故かシンジは咳き込んだ。
「勘違いは誰にでもあります。笑うような事ではないわ」
 確かにそうだ。だが違う。
 大抵この手の話はどこにでもあり、予め気を付けようと例えで引き出されるのだが、人の話を聞いてないとこうなる。
 さすがに眉を寄せるような事はしなかったが、ここまでとは思わなかった。
 いや、普通じゃないとは思っていた。何しろ、推薦人は双子の兄妹同士による近親相姦を嬉々として謳歌する片割れの一人だし、この娘が普通なら類友の単語は嘘と言う事になる。
 それに、シンジの知り合い自体、普通が皮をまとったような知り合いは殆どいない−女神館の住人達を含めて。
 住人が聞いてどんな反応をするかは不明だが、ある意味シンジは耐性が付いていると言えるだろう。普通だったら、いきなりこんな反応が返ってきたら、唖然とするか或いは切れて襲いかかるかも知れない。
「それもそうだね」
 とりあえずかわしてから、
「それで、機械に触れた事は?」
「少しだけあります」
「結構。で、今したいのが対降魔用の−」
「あなた一人で十分だと聞いているわ」
「いやそんな事は別に…」
 途中で切られるとは思わなかったのだ。
「女神館の住人はどれも対降魔用の力は持っている人たちばかり。でもすべてを合わせてもあなたには遠く及ばない。それなのに、わざわざ彼女達を指揮する理由はどこにあるの」
「幾つもある、いや考えつくと言うべきかな。藤宮は何か萌えてる…じゃなかった燃えてるものは?」
「無いわ」
「でも持ってる人もいる。まず一つ言えるのは、俺は別に救世主志望じゃないって事。こんなのが前に出るより、降魔撃退に燃えてる娘の方が適任。もう一つ、俺が前に出て全部片づけたとする、そしたら彼女達の存在価値はどこにある?」
「必要ないわ」
「ほう」
「必要なのは結果でしょう。この帝都が、いえ新宿が制圧されればそれはそのまま日本をほぼ掌握される事を意味しているわ。数名のプライドよりも、それは大切な物だと言うの?」
「大切」
 シンジは即座に肯定した。
「藤宮がどう思ってるかは知らないけど、碇フユノが最初から俺を前面に、なんて思っていたとしたらそれは存在理由の消滅だけではなく、最初から体よく踊らされていただけと言う事になる」
「それはならないわ。あなたが来れば変わるけれど、あなた自身乗り気なわけではないと自分で言ったでしょう。来なければ彼女達が出ることになるのだから、うそを言われた事にはならないわ。何よりも、あなたの前の備えなら不名誉でもないでしょう」
「……」
(何を見ている?)
 単語をつなぎ合わせたような言葉だが、どこかあらかじめ用意された質疑応答をしているような気がしてくる。シンジを否定しているわけでもなさそうだが、無機質な双眸に何が映っているのかよく分からない。
「あなたが自分を出したくない、と言うのならそれもいいと思うわ。でも、実力の差を考えれば、それで後悔する事もあるはずよ」
「だから藤宮がいる」
「え?」
「機体を万全に仕上げること、それが藤宮の仕事だ、違う?」
「その通りね」
 紅葉はあっさりと認めた。
「最後にもう一つだけ聞かせて」
「何?」
「あなたが何と言おうと、しようとしている事はあなたの知り合いを駒にする事よ。住人達がもしもそれを知ったらどうするの」
「どうもしない。俺の役目は元々管理人であって、白馬の王子様じゃない。従って、あの娘達に代わって降魔に天誅を下しに来た、なんて事を考えてるのは一人もいない筈だ−多分ね」
 何となく弱気に聞こえたのは、それもやはりシンジの本音だったろう。
「分かったわ」
 紅葉は軽く頷いた後、ハンドバッグから書類を取りだした。
「エヴァ各機は現在汎用型、でも個人の能力差を考えれば個人型に戻した方がいいと思いますが」
「各機ごとの攻撃法変更は」
「刀、機銃、いずれも改善の余地は残しています。と言うよりも、正確には霊力の通り道を最大限に拡げるべきでしょう」
 なおも続けようとする紅葉にシンジは、すっと手を上げた。
「…?」
「藤宮紅葉」
「は、はい」
 紅葉の無機質な声にも何ら反応しなかったシンジの、初めての声であった。
「機体の改良は君に任せる。必要な物はすべてこちらで用意する、遠慮なく言うがいい」
「住人達の承諾は得たの」
 分かり切った事を訊く紅葉に、
「必要ない」
 シンジは当然と言った風情で応じた。
「管理の範疇が家賃と敷地の管理なら−それはそのまま、敷地内にある機体にも及ぶという事になる。もっとも、幾分は意味を外れる事になるかな」
「どう言うこと」
「うちの住人達は愉快な仲間達ばかりだが、母上を亡くした君がすぐに付き合うには少々濃いところがある。かといって通い妻もならないし、当分は帝劇に行ってもらう事にするよ」
「…二号さんとか妾とか好きなんですか」
「…別に」
 これからしばらく経った時、顔を赤くしたら絶対突っ込んでやるとシンジは決意したが、無論口にはしなかった。
 その代わりに、
「日本人の体躯の二倍位のサイズだから、そんなに触るのが面倒でもない筈だ。以後あれがどう動くかは、すべて藤宮の手に掛かっている、任せたよ」
 自分の素性を確かめようともせず、最重要機密とも言える事項を、あっさり任せたと言ってのけたシンジに初めて紅葉の表情が動く。
「最善を尽くします」
 相変わらず無機質な声だが、表情に僅かながら感情の色を乗せて紅葉が頷いたのは、数十秒経ってからであった。
 
 
 
 
 
「この方は?」
「帝劇のどっか、部屋空いてるだろ。無かったら三人が物置に行ってもらう」
「あ、あの碇さん?」
「分かったらさっさと用意する」
「だ、だからそうじゃなくて…」
「ん?」
 その時になってやっと気付いたようにシンジは三人を見た。
「そうそう、言い忘れてた。藤宮紅葉、今後エヴァの機体整備をすべて任せる娘だ」
「そうなんですか、エヴァを…え!?」
「ワンテンポ遅い。それにその顔は何さ」
「い、いえその、そんな簡単に機体を…」
「この帝国劇場、高卒資格の娘達がそう簡単に扱える物では無いはずだが。それとも碇フユノから、スーパー椿やスーパー由里になる改造でも受けたの?」
「そ、それは…」
「それに経験値のそれを言うなら、住人達にしたってまだまだ不安だ。霊力無視なら傭兵でも集めて、強制的に霊力を増強した方が効果的と思わない?」
「ごめんなさい、余計なことを」
 既にシンジの意志が固まっていると知ったかすみは、それ以上続ける愚を知った。これ以上続けたら、自分達がまとめて馘首されかねないのだ。
 紅葉に向き直ると、
「ここで働いている藤井かすみです。よろしくお願いしますね」
 残りの二人も慌てて、
「た、高村椿です」
「榊原由里です」
 後に続いたが、
「藤宮紅葉です」
 まったく表情を変えることなく返したのみであった。刹那三人の表情が動いたが、それが別段驚いてもいないような事にシンジは気付いた。
(見慣れてる?まさかね)
 内心で呟いたが、それが正解だとはもう少し後で知る事になる。
「で、部屋は空いてるの?」
「幾つも空いてます。椿、由里、案内して差し上げて」
「分かったわ。じゃ、行きましょうか」
「ええ」
 無機質な紅葉にも、二人は怒る様子など微塵も見せず、由里がスーツケースを持って歩き出した。
 三人が去っていくのを見送ってから、
「かすみ」
「はい」
「人形みたいな娘だが、他にもあんな知り合いがいるの…何?」
 何故か、かすみはくすっと笑った。
「女の子は変わるものです。もっとも、その件は他の方から聞いて下さい。それと碇さん」
「はい?」
「機体の保管場所を考えれば、女神館の方がよろしいかと思いますが」
「藤宮は先だって母君を亡くしたばかりだ。あの無機質が生来の物ならともかく、ショックが絡んでるならうちの住人達は賑やかすぎる。あ、それから」
「何でしょう」
「エヴァをこっち持ってくるからよろしく」
「え!?」
「一時的だよ。藤宮もその方が作業しやすいだろうし、通い妻にも出来ないし」
「……あ、あのっ」
「ん?」
「か、通い妻ってそんな…ふ、不潔ですっ…い、碇さん」
 このシンジ、何を思ったかにやあと笑った。
「よし」
「は?」
 さては脳のネジが三本ほど飛んだかと、シンジの顔を眺めたかすみに、
「やっぱりそこで顔を赤くしてくれないとつまらない。こうでないとね」
「……」
 さっきの事を気にしていたのか、結構シツコイ。どうやら、外した事を根に持ってでもいたらしい。
「いずれにしても、藤宮の事頼んだよ。うちの住人達には頼めないんだから」
「分かりました。あの二人も、個人の事にわざわざ入り込むような性格じゃありませんから」
「そうだね、よろしく」
 ほんの少し微笑ったシンジの表情を見て、かすみがちょっぴり誇らしげな気分になったかどうかは知らない。
 が、その頬が幾分赤くなったのだけは確かであった。
 
 
 
 
 
「しかし…よく考えたら俺って大胆?」
 何となく推してしまったものの、よく考えれば確かに紅葉の事など何一つ知らない。多分大丈夫だろうとは思うが、もしも万が一外れたら?
 その時はその時、シンジは小さく呟いて頷いた。
 今まで十八年余も、ずっとそうやって来た。そして何とかなって来たではないか。
 確かに帝都の命運を背負ってはいるものの、一人の少女を助けた事に起因して降魔の大群と対峙する事になった時だって、シンジは恐怖心など感じはしなかったのだ。
「私がいたからだな」
 ふっと隣に出現した気に、シンジはちらりとそっちを見た。
「何処行ってた」
「その辺を散策に。冷たい主の憂さを晴らすには向こうの世界へ行くにかぎ−」
 美女の形を取ったフェンリルの言葉は、最後まで続かなかった。
 シンジが珍しいことに、フェンリルの腕をすっと取ったのだ。
「フェンリルがいなかったら、あの時も苦戦を強いられていたことは間違いない。いやそれよりも、俺の能力自体が遙か以前で停滞していた筈だ」
「マスター」
 珍しい台詞に美貌が緩みかけ−
「妖気の源を感知して、降魔の大群と対峙することになったのも私のせいだ。それでもそう言うの?」
「勿論」
 そう言うとシンジはフェンリルの腕を放し、何を思ったか後ろに回った。そして、そのまま後ろからきゅっと抱きしめたのだ。
「マ、マスター、こんなところで…んっ」
 首筋にふっとかかった吐息に、フェンリルが逃れようとわずかに身動きするが、微動だに出来ない。また、フェンリルも本気で抗っている訳ではなかった。
 一分近くしてやっとシンジが離れたとき、
「…なぜ?」
 フェンリルは幾分喘ぐように訊いた。
「何となく、だ」
 有能な主からの答えは、いつもの通りであった。
 
 
 
 
 
 さてその晩のこと。
「え?エヴァの整備を任せる人が見付かった?」
「そ、見付かりました」
 うむ、と頷いたシンジだが、座っているソファの横にはアイリスが、スカートの捲れたあられもない格好で転がっている。
「だからそーゆー事に力を使うんじゃない」
「だ、だってお兄ちゃんを吊して放り出してその…」
「駄目」
 シンジの口調に何を感じたのか、じりじりと後退るアイリス。それをあっさりと壁際まで追いつめると、為す術もなく少女はシンジの手に落ちた。
 天誅、と称してくすぐられたアイリスは−但し、シンジ直々のもの−笑いすぎて変になるかと思うくらいくすぐられた後、ソファにぽいと放り出されたのだ。
 くすぐり、と言うのは痛みを伴ったりするものではないが、腕の中に抱え込まれて全身をくすぐられたりすると、結構きつい物がある。アイリスも例外ではなく、最後はもう手足を突っ張らせた状態となっていた。
 放り出したアイリスには目もくれず、シンジは全員を呼んだ。
「当初の予定とは狂ったが、おかしな趣味が蔓延しても困るからな。ま、推薦人も一応自信ありげだったし、何とかなるでしょ」
「で、でも碇さん」
「何?」
「その方、機体の事にはお詳しいんですか?あまり知らないとその…」
 訊ねたさくらに、
「俺が仕様設計書読んで理解した以上に知ってた。指名交代の後数十分位しかなかったのにちゃんと読んできたし、今時珍しいね」
(?)
 それを聞いた時、アスカのアンテナに何かが触れた。
「あ、あのさあそれって若い男なの?」
「いーや、女の子」
「『え?』」
 シンジの台詞に何人かが反応し、くてっとなっていた娘もにゅっと起きあがった。救世主の声に墓から起きあがった死人の感がある。
 それを知ってか知らずか、
「ただ事情があって、取りあえずは帝劇の方に部屋を用意した。それから、しばらく全機を向こうに持っていくからね」
「向こうって帝劇に?」
「そう。ここへ来てわざわざ整備してもらうのも大変だから。と言うよりも、あまり住人以外が出歩かない方がいいでしょ。それと、エヴァをもう一機増やすから」
「え?ふ、増やすって碇さんそう簡単には…」
「もう建造の手配はしてある。レニの機体がないからね。所属先不明の二機も、レニのじゃないんでしょ?」
「違いますよ…はい?」
「なんでもない−アスカ」
「何よ」
「あの機体、乗ってるのは誰?データがまったく残ってなかったぞ。俺から隠さないとならないような奴?」
「それは知らないけどね、シンジには教えるなって言われてるのよ。もう少ししたら本人達も帰ってくるはずだし、その時に会えばいいじゃない」
「…箝口令?誰から?」
「ミサト」
 フユノ、と言わなかったのはアスカなりの配慮であった。
「それよりシンジ、まさかあんたその子に…」
「何?」
「何っていやその…」
「今度デートしてもらう」
「はあ?」
「住人達が冷たいから、傷ついた心をいやしてもらうの。ま、可愛い子だからデートしても…ふぐぐー!」
 ぎゅう、と背中から乗っているのはアイリスであり、がしっと拘留してるのはさくらである。
「お兄ちゃんって女の子見るとすぐデレデレするんだから!」
 それは嘘だ、と言うより間違っている。
 その種の反応に関しては、ある意味で対極に位置してるとも言えるのがこのシンジなのだ。シンジが本当にそうなら、あちこちで惨劇が発生しているのは間違いない。
「碇さん、どうしてわざわざ女の子を選んだんですか?」
 と、これは目元の笑っていないさくら。
「別に俺が選んだ訳じゃなくて、その前に渚製薬の娘が紹介して−ぎにゅっ」
「やっぱり女じゃないのよ!」
 アスカ一匹追加で、更に重量が加わった。
「だ、だから娘を選択した方が、色々と細かい所も気付くしいいかなと…お、重いよう」
「本当に?」
「一応ね…あ」
 これを墓穴掘りと言う。
「一応?」「本当は思ってないって事だよね」「私達が体内から煩悩を追い出してあげますから」
 シンジを押しつぶすと、煩悩が出て行くという寸法になっているらしく、さくらの合図で一斉に三人がシンジの上に座り直す。
 しかも娘搭載の時点で一人加わった。
「ぶぎゅー!!なんでレイまで乗ってるんだ!」
「面白いから」
 にっこり笑ったレイだが止せばいいのに、
「素直に他の女の子の見て欲しく無いって言えばい…ふげぐ」
 きゅ、とアスカに首を絞められ、
「あんたは余計な事言わないようにいっぺん締めといたげるわ」
 上に乗ってるのが四人で、しかもその二人が暴れていると来てる。
「お願い、もう助けて…」
 不良に囲まれた女子高生みたいに、宙を掴もうとした手がかくんと折れる。
 煩悩が退散したかは不明だが、娘達に乗られて潰れたカエル状態になっているシンジを見て、
「あれを愛情表現というなら…屈折してるわね、本当に」
 一人加わらなかったマユミが、
「でも…碇さんに知られたくないってマリアさんでもカンナさんでも…一体どう言うことなのかしら」
 目の前の喜劇を観察するように眺めていたが、僅かに首を傾げて呟いた。
 
 
 
 
 
(つづく)

TOP><NEXT