妖華−女神館の住人達
 
 
 
 
 
第六十二話:そういう責め方もアリ
 
 
 
 
 
「どーゆう事?レイ」
 拉致られたみたいなマユミだったが、レイは一人冷静に首を傾げていた。
「だからさ、すみれちゃんの時と同じだよ」
「『何ですって?』」
「どうして重なるのさ、二人とも?」
「べっ、別に…」「こ、これはその…」
 重なったのはアスカとさくらだったが、
「結構ストレートだよねえ」 
 スパン!
「い、いったーい」
 余計な事を口走ったせいで、アスカから一撃を喰った。
「いっぺん舌抜かれてみる?」
「ボクはいい、アスカと違ってそんな趣味無いから遠慮する」
「何ですってー!」
「二人とも路上コントでもするの?」
 冷静な顔でアイリスが突っ込んでから、
「すみれと同じってどういう意味なの?」
「多分何か企んでるんだよ。でも、すみれちゃんの時も単なるデートじゃ無かったでしょ?碇君は多分そう言う人」
 最後の台詞だけ妙に静かな気がして、一瞬全員の視線が集まったが、
「でも降魔退治じゃ無さそうだし、半分くらいは楽しんでくるんだよ。さくら、帰ったらお仕置きする?」
「いいえ、簀巻きにして打ち込み台代わりにするだけで許してあげ…な、何を言わせるのっ」
「ふーん、やっぱりさくらって−」
「ま、待ちなさいっ」
 ドタバタと走り出す二人を見ながら、
「まったく二人とも子供なんだから」
 アスカもでしょ、そう言おうと思ったがアイリスは止めておいた。
 時々理不尽に怒るこのクォーターを、わざわざ挑発することは無いのだ。
 従って、
(同じレベルだよね、おにいちゃん?)
 アイリスも多分黒幕だと思った、どこかにいるであろう青年に心の中でそっと語りかけた。
 
 
 
 
 
「碇様、いかがでしょうか」
「うん、いいです」
 セッティングされた店内を見て、シンジは満足そうに頷いた。
 ただし…その口許には邪悪な物がちゃんと含まれている。
「ところで碇様」
「何?」
「今から来られる方はその…碇様の…」
 さすがに付き合ってるの単語は出なかった支配人に、
「大事な人−大切な獲物なんだから」
 シンジはにやあと笑った。
「太らせて食べるんだから、たっぷり食べてもらわなきゃ」
 碇シンジ−碇財閥総帥碇フユノの大切な孫であり、速見も噂は聞いた事がある。
 地位に或いは財産に、まったくと言っていいほど興味が無いのは少し知っているが、今実物を見ると何となく清廉のそれとは違うような気がして来た。
 無論、権力への飽くなき欲を仮面で隠しているそれではないが、本質的にどこかが違うような気がするのだ。
 そう、あえて言えば…住んでいる世界自体が違うような。
 ただし、熟成された接客マナーは決してそれを表情に出すことはなく、勿論シンジをもってしても勘づかせる事も無かった。
「で、迎えは?」
「今リムジンが向かっております。既に車中と連絡がありました」
「分かった」
 軽く頷いたシンジだが、それがいかにも手慣れている風情なのに速見は気が付いた。
 
 
「あ、あの私これでは…」
 マユミが躊躇したのも当然であったろう。
 着替えくらいは用意されているだろうと、普段着のまま車に乗り込んだのだがその気配は全くなく、ホテルマンがずらりと居並んで出迎えたのだ。
 どう見ても、こんな普段着で入れる場所ではない。
 が、これだけの場所に合う服はこのマユミ、冷静に考えれば持ってない。
 しかしそんな事を考える余裕はなく、帰りますと身を翻しかけたところですっと手を押さえられた。
「いらっしゃい」
「え…碇さんっ」
 押さえられた手に振り向くと、グレーのスーツに身を包んだシンジがひっそりと立っている。
「お待ちしていました。さ、どうぞ」
 当然朝の時点ではスーツなど着ておらず、また着ているのを見た事もない。
 長身に映えたそれに、
「は、はい…」
 思わず頬を染めたのは自分でも気が付いていない。
 シンジの口許が僅かに緩んだのは、マユミのこの顔を見るのは初めてだからだ。
 ある意味シンジと一番付き合いのあるマユミだが、こっちの方に表情を変えるのは初体験なのだ。
 さくらと双璧の剣道娘の手を取ると、そのまま中へ連れて行く。
 ただマユミがぼうっとしているせいで、似合いの二人と言うよりどこか玉の輿で上擦っている娘の手を引く父親に見えるのは仕方あるまい。
 しかも一歩中に入った途端、更にマユミを驚かせるものが待っていた。
 そこには目的のレストランまで、ずらっと絨毯が敷かれていたのだ。
 王城にある玉座への道、と言うよりどう見ても結婚式場のそれに見える。
「碇シンジ流歓迎の道−行く?」
「はい…」
 交際(つきあい)に初な娘を落とすには状況設定に限る−首筋までもう染まっているマユミは、一も二もなく頷いた。
 
 
 
 
 
「御前様、ただいま戻りました」
 うむと頷いてから、
「それでシンジが何用であった?」
「それが、スーツを一式急ぎ持ってくるようにと」
「寮の方か?」
「いえ、それが帝都ホテルの方へとのご伝言でした」
「そうか…」
 一瞬考える素振りを見せたが、ふっと視線を逸らした。
 何かを思いだしたのかも知れない。
「御前様?」
「いや、よい−それより、少し出かける。たまには足で歩かねばの」
「お供致します」
「お前に任せる」
 瞳は未だ、レニのことを詳しく聞いてはいないし、またあえて知ろうとも思わない。
 ただ幾分は既に聞き及んでおり、何よりも巨大財閥総帥の表情に刹那浮かんだ物に気付いてはいたが、無論口にすることは無かった。
 
 
 
 
 
「碇さん…!?」
 マユミがふっと我に返ったのは、その喉が甘い物体を嚥下した時であった。
 ぼんやりしていた焦点が合い、不意に自らの状況を把握する。そしてそのマユミが見たのは、自らの前にずらりと並んだ空の皿であった。
「こ、これは…」
「自我が戻った?」
 笑みを含んだ声にそっちを見ると、言葉よりも幾分笑みの多いシンジの顔があった。
「操意識下にあったとは言え、いい食べっぷりだった。一人でも友人連れでも、ケーキを二十四も平らげたのは初めてでしょ?」
 はあ、と頷いたがどうも様子がおかしい。
 まだぼんやりしているせいもあるが、
「どこまで覚えてる?」
「く、車を降りた所までしか…」
「そうだと思った」
 予想していた答えのようにシンジは頷くと、軽く片手を上げた。それを合図に、二人の前にすっとホワイトスクリーンが降りてくる。
「あの、あれは…!?」
 一瞬マユミの目が見開かれ、次の瞬間ぼっと音がしたような気がシンジにはした。
 いや、確かにしたに違いない。
 秒と掛からずに、マユミはそれこそ全身を染めたのだ。
 ただし、今度のはさっきとは違い原因は分かっている−羞恥だ。
 或いは恥辱かも知れないが。
 ちょうど披露宴で新郎新婦の過去を暴くのに使われるようなフィルムのそこには、さくっと切り取ったケーキをフォークに乗せて差し出すシンジと、
「はい、口をあけて」
 それをまるで、母鳥の餌をついばむ雛のように受け取るマユミが映し出されていたのだ。
「うそっ、嘘ですこんなのっ、ね、ねつ造ですっ」
「そんな訳無いでしょ」
 シンジはあくまで冷静に突っ込むが、その服がもうスーツではないことにマユミは気付いていない。
「“はい口をあけて”、“あ〜ん”って感じで、それはもう美味しそうに」
「……っ!」
 がたっと席を立とうとした途端、その腕ががっしりと掴まれた。
「こら何処行く」
 妙にドスの利いた声は、とある総長直伝の物だが初めて聞くマユミには、その全身を萎縮させるに相応しい物であった。
「こ、こんなのって…」
「別に薬を使ったわけでも何でもない。この場を望んだのも、そしてあそこで食べてるのも山岸だ。まさか、対山岸用にセットされたこれを、放り出して逃げるなんて言わないよねえ?」
 声も顔も笑っているが、どこか危険な物を含んでいる。しかも…シンジが指差したその先には、二十人が十日くらい掛かってやっと片づきそうな甘い物の群が−それこそマユミが見たことも無いような物までずらりと並んでいる。
「和洋中、それに仏と露も入っている。民族系も入っているから、一ヶ月位は甘味の匂いも嫌になる位の筈だ。さ、座って座って」
 無論マユミも、甘い物は嫌いではない。
 小さい頃から剣の道を厳しく教え込まれてきたとは言え、その辺はごく普通の女の子である。
 だがそこに用意されてあった量は、紛れもなく対マユミ用の物量作戦とも言えるものであり、いかなマユミと言えども漂う匂いだけで身体がその一部に溶け込むような気がした。
「あ、あの碇さん私もう…」
「ああ、そうだ」
 シンジが思いだしたように言った。
「はい?」
「断っても別に無駄にはならないが、まだ全体の十分の一も片づいていない。従って半分以下で音を上げた場合、先ほど撮影されたとても愛らしい映像が京都の実家に送られる事になるのでそのつもりで」
「なっ!」
「山岸の姉上にはまだお目にかかってないけれど、大切な妹さんを預かっているんだから近況報告はしないとね。山岸だって、家族の誰かが遠方に行ったら近況は知りたいでしょう?」
「あ、あなたって人は…人は…」
 ぶるぶると手を震わせているマユミに、
「甘い物を条件に出された以上、最大のもてなしはしなくては−五精使いの名に賭けて」
 碇財閥の次期当主、と言うなら別だがなぜ五精使いなのか、マユミには分からなかった。
 しかしそこに、何故か燃えているシンジの姿を発見し、これは抗うだけ無理だとへにゃへにゃと椅子に座った。
 いや、崩れ落ちたと言った方が正解かも知れない。
「受ける気になってくれたみたいだね。さて、取りあえずケーキは少しこなしたから次は中華と行こう。点心ならすっと胃に入る?」
「こ、これ食べたら少しおやすみしていいですか」
 さすがのマユミも限界は分かっており、断られたらどうしようかと思ったが、
「いいよ、取りあえず三つ位は食べてからね」
 あっさりと頷いたシンジだったが、この時点で気づくべきだったろう−シンジが妙にあっさりと納得した事の異変を。
 胸に、いや体中にケーキが詰まっているような気がしたマユミには、残念ながらそこまでの余裕はなくシンジの言葉にほっと安心したのだが、
「じゃ、持ってきて」
 運ばれてきたそこに通常の三倍くらいある物体を発見し、
「いっ、いやあああああっ」
 ぎょっと目を見開いた後、これはもう普段の毅然とした姿勢は面影もなく甲高い悲鳴を上げた。
 
 
「よろしいのですか」
「うん」
 テーブルに突っ伏しているマユミを見て、シンジは満足そうに笑った。
「口止め代わりに甘い物をって言うから、最大限のおもてなしを。これでこの子も満足さ」
「では、残りは私どもで処分して−いかがなさいましたか」
 無論嫌味ではなかったが、不意に速見はシンジの視線に気付いた。
「出された物は残すなって教わらなかった?女神館の方へ運んでおいて」
「こ、これは失礼致しました。すぐに手配致します」
 思いも寄らぬ言葉であったが、確かに通常計算で二十人分位用意した量は、このまま廃棄すれば国津神の呪いを受けそうに見える。
「あっちには四人いる、いずれも育ち盛りの娘達ばかり。折角用意してもらった物を無駄にはしないよ。さて、食い倒れ娘を運んでいくか」
 ほら帰るぞ、と声を掛けたがマユミは動かない。
 ただそれも予想済みだったのか、軽々とマユミを抱き上げると背に乗せた。
「後は任せたよ」
「かしこまりました」
 妹を背にした兄みたいな絵だったが、出て行くシンジの後ろ姿を見送って、
「恋人のご関係かと思ったが−」
 取り片付けの指示を出してから、速見はふと呟いた。
 
  
「今晩は、シンジ様」
 降ってきた声に、シンジはちらりとそっちを見た。音もなく何かが落下して、すっとシンジの横に並んだ。
 黒ずくめの瞳には視線を向けぬまま、
「こんな時間に何をしていた?」
「御前様が夜道をお出かけになりましたので」
「そう。もう一人は?」
「姉さんは今日は店の方の引き継ぎで出ています。愛ではもう少し不安が残ってますから」
「別に要らないのに」
「はい?」
「わざわざ泪まで付けることはない。そうそう、もしも襲われたら放り出して逃げてもいいぞ」
「……」
 普段通りのシンジの口調だったが、瞳はその横顔をちらりと見た。
「あまり、そのような事を口にされてはなりません。少なくとも、シンジ様がその気になられるまでは」
「ならないよ」
「では尚更です。御前様に何かあれば、それが即意味することはご存じでしょう」
 今度はシンジが瞳を見た。
「瞳、何か勘違いしているな?」
「私がですか?」
「そう、お前がだ。瞳の脳じゃその程度が関の山だろうが俺は違う。知り合いの女医だが、目下の研究は生きた人間のコピーを造ることだ。うり二つのものが出来ればもう用はない」
「なぜ、そこまで思われるのです」
 この距離なら絶対に避けられない、そうと知りつつ瞳は訊いた。
 シンジがその気になれば、あっという間にこんがり瞳が出来上がったろう。
 だが炎も風も水も来ることはなく、
「そこまで大切なら自分で保護していろ、とそう思ってるな」
「ええ」
 見透かされた事で度胸がついたか、瞳はすぐに頷いた。
「でも俺に言わせれば、銀行は何のためにあるのかと言う事になる。あるいは託児所は何のためになる?愛にしたってそうだよ」
「愛が?」
「今の教育は基本的に腐ってる。本当に大事なら、行かせず手元で教えるべきじゃないの?」
「そ、それは…」
「でも大丈夫と思って行かせるでしょ。それにレニにしたって、あの性を見抜いていれば、最初から預けてなど置かないよ」
「だからそれが−」
 瞳が言いかけた時、
「止めなさい、瞳」
 背後から声がした。
「姉さんどうしてここに」
「まったく、すぐ立場を忘れるんだから。申し訳有りません」
「……」
「はい?」
「泪、俺の台詞を取りに来たね?」
「…ごめんなさい、ですが…」
「ま、いいや」
 シンジは珍しく、ころころと笑った。
「背中にしがみついている娘に免じて、今日は許してあげよう」
「?…痛っ」
 一人訳の分かっていない瞳の脇腹に泪の一撃が食い込んだ。
「瞳、少し黙ってなさい」
「…は、はい…」
 無論の事、当事者二人は事情が分かっており、瞳は一人蚊帳の外である。
 ちょっとふくれた感じの瞳は放って置いて、
「シンジ様、代わりましょうか?」
「これ?じゃあ頼…いっだーい!」
 背中に背負ってるマユミを降ろそうとした時、ぎゅうっと首に手が食い込んだのだ。
「あら…起きて?」
 いいや、とシンジは首を振った。
「起きてるならとっとと降ろしてるよ。完全に寝てるさ」
「そうですか…」
 妙だとは思ったらしいが、その視線を向けるような真似はしなかった。
「このまま運んでいくさ。さて、それよりもういいよ、戻って姉妹団らんでもしてるといい。多分運んだ荷物が着いてる筈だからな、きりきり帰らないと大変だ」
「…分かりました、ではこれで」「失礼します」
 すっと気配が消えた方は見ようとせず、
「法を蹂躙してまで父を追ったのは誰だ?だが、思いを向ければいいというものではないぞ」
 ぽつりと呟くと、また足音を立てずに歩き出した。
 
 
 
 
 
「で、これは何な訳よ」
「マユちゃんの残りじゃない?」
「あいつ〜、わざわざ嫌がらせに送りつけたって訳ね」
 住人達の前には、無論シンジが送らせた物がどっさりと届いている。甘い物の大群はたちまち周囲を芳香で満たしたが、嫌味と取ったアスカは早くも危険モードに入りかけている。
「あの、それはちょっと違うんじゃないかと」
 横から口を挟んだのはさくらであった。
「何が違うってのよ」
「碇さんの性格なら、多分もっと違う物を嫌味で送ってくると思うの。残り、と言うのは合っているけど最初から想定済みだったのだと思うわ」
「想定済み?」
「ええ、だってレイちゃんが三人くらいいればこの量も三日くらいしか保たないでしょう?」
 じゅる、と涎を拭ったレイを見ながらさくらが言った。
「そ、それはそうだけど…」
「ねえさくら?」
「何?アイリス」
「おにいちゃんとマユミはどこ行ったの?」
「すみれさんと同じ−多分もう潰れているはずよ。ただ…碇さんの行動は分からないから…」
 分かったら却って問題であろう。
「ふーん。じゃ、要するにこれは食べちゃって−」
 いいよ、と男の声が引き取った。
「シンジ、あんた何してたのよっ」
「ね、これ食べちゃっていいのっ?」
「おにいちゃん…どうしてマユミをおんぶしてるの」
「お札のおっさんじゃないんだから、いっぺんに言わないでよまったく」
 が、
「山岸が甘い物をって言うからごちそうしてたの。で、だらしなくダウンした山岸を担いで来た所。レイ、好きなだけ食っちゃっていいぞ」
 ちゃんと聞いてたようだ。
「あの、碇さんマユミは…」
「部屋に連れてって寝かしてくれる?当分は甘い物なんぞ見たくないはずだ」
 にやっと笑ったシンジに、メンバー達は一瞬にして事態を理解した。
 すなわち、シンジがマユミの接待に萌えちゃった事に。
(迂闊に燃えさせると危険ね、まったく)
(すみれさんの時もマユミも…でもこれもいいかしら?)
 反応はそれぞれだったが、一番嬉しそうなのはやはりレイであった。
 それはもう、捕らえた獲物を前にした空腹の肉食獣並である。
 
 
 そして一時間後。
「あ、いい気持ち…出てこないのか?」
「その甘ったるい匂いは遠慮する。それが抜けてからにしてくれ」
「はいはい」
 従魔に振られて思い切り伸びをした時、
「あの…おにいちゃん…」
 扉の向こうで声がした。
「なに?」
「あ、あのね…い、一緒に入ってもいい?」
「…ふげっ?」
 伸ばした両手が空中で静止した。
 
 
 
 
 
(つづく)

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