妖華−女神館の住人達
 
 
 
 
 
第六十一話:シンジ――萌える闘魂
 
 
 
 
 
「ふんふん…ふふふん」
「?」
 妙にご機嫌な先輩に、マヤは首を傾げていた。
 機械人形ではないが、こんな風に感情を出すなどそうそうある事ではない。
 もっとも、この学園を代表するリツコはそうそう一喜一憂なども出来ず、クールは自ずから求められるのだ。
 そして、彼女が見せる数少ない原因にマヤは心当たりがあった。
(シンジさん?)
 マヤがリツコに惹かれるのは、基本的にその優秀な能力にある。
 自分より上の者に会った場合、素直に感嘆出来る才能をマヤは持っていた。
 才能と言うと違和感があるが、素直になれない事で損をする者が多い事を考えれば、やはり才能と言えるかも知れない。
「あの、先輩?」
「何?マヤ」
「今日は随分とご機嫌みたいですね」
 たまに墓穴を掘る事もあるから、幾分用心して声をかけたのだが、
「あら、分かっちゃったかしら?私もまだまだ未熟ね」
 それを聞いた時、間違いなくシンジが原因だとマヤは確信した。
 しかし、シンジはここしばらく顔を見せていないのに何故?
 疑問はすぐに解けた。
「見なさいマヤ」
 リツコがよこしたのはクレジットカードの明細書であった。
「名義は…先輩ですね」
「シンジ君に渡したカードよ。当座の生活費にって渡してあるのよ」
「はあ…あら、これここの所金額が増えてますね」
 日ごとに集計されているそれは、上昇のカーブを描いている金額の線を示していた。
「シンジ君の財は、その気になれば私なんか足元にも及ばないわ。でもそれでいて金銭感覚疎いのよ。いずれは大物になるのは分かってるんだし、その若い頃に援助していた美貌の理事長−良い響きだと思わない?」
「そ、そうですね」
 マヤとシンジの場合、どちらかと言えば憧憬に近い物があるのだが、これもやはりさくらと同じでその能力にある。
 もっとも、自らも鍛錬された武を求めるさくらとは趣を事にしているが。
 しかし、マヤには到底リツコのような発想は浮かんでこない。
 美人云々は別としても、
「それって…光源氏計画って言うんじゃ…」
 ふと浮かんだが、ぎゅっと唇を噛んで抑える。
 リツコを良く知るマヤは、その考え出す特異なお仕置きにもまた、よく精通していたのだ。
 本来のシンジならどれ位使って普通なのかは分からないが、少なくともここでご機嫌なリツコを翻意させる必要はない。
 『侵入する悪い子へのお・仕・置・き』
 と、わざわざ区切って銘打たれたそれは、普通なら到底想像したくない領域へと達している。
 おまけに悪いことに、セーフガードと同様相手を選ばずに発動する可能性を持った代物なのだ。
「ツッコミは我慢よ」
 自分にそう言い聞かせてマヤは、
「今度は長く使ってくれるといいですね」
「そうねえ…これで何枚目かしら」
 教育に問題があったのか、或いは本人の性格なのかこのシンジ、既に何枚もクレジットカードは無くしている。
 しかも現金収入の入ってくる仕事は、シンジが魔道省に顔を出せば掃いて捨てる程にある。
 退魔なら、優秀な者を願うのが普通であり、そしてシンジはその道ではほぼ頂点に位置している。
 従って、退魔で得た収入で生活し、カードが拾われるまで分からない事も少なくはないのだ。
 それはシンジの問題だが、マヤの一言はやはり余計だったかも知れない。
「これで七枚目です、せ…!?」
(しまった!)
 後悔してももう遅く、
「そう、よく知っているのねえ…マヤちゃんは」
 言葉尻と目許に危険な物が混ざり、そろそろと後退しようとした途端足に何かが巻き付いた。
「最近この部屋の防御システムも試していないのよ。新装備もあってどうしようかと思ったけれど、いい実験台が出来て助かったわぁ」
 たちまち金髪の悪魔と化したリツコに、
「いやあああー!」
 悲鳴を上げたマヤだったが、
「そうそう、この部屋一段と防音効果が上がったのよ。早速試してくれて嬉しいわ」
 それはもう嬉しそうに微笑んだリツコを見て、ゆっくりと意識がブラックアウトしていった。
 
 
 
 
 
「そう言えば、今回は珍しく保ってるな」
「何が?」
「金髪に渡されたカードだ。いつもなら、もう無くしている頃だろ」
「説教役がいないんだよ」
 妖狼の背で、シンジの言葉は少し間延びして聞こえた。
「葉ちゃん以外に怒られるなんて御免だ。それに、無くすとリッちゃんが大変だし」
 基本的に贅と言う物に興味の無いシンジだが、若干感覚がずれている所もある。
 現金もカードも無造作に扱うのはその一端だし、アンティークで気に入った物を見つけると、とんでもない値段の物を買おうとするのもそのせいだ。
 ただ、それでもフユノやミサトに比べれば経費は遙かに少なく、ある特定の分野−アルコールに多額をつぎ込むミサトと比べればだいぶ可愛いものだが。
 そんなシンジがカードをどこかにやると、いつも葉子に怒られていたのだが、今回は葉子がいないからしないと言う。
 案外、オプションを見越してやってるのかも知れない。
「マスターの趣味も変わってるな…離せ」
 余計なお世話だと、シンジが上から毛をチクチク引っ張る。
 フェンリルが巨体を揺らして振り落としてやろうかと考えた時、
「あ、ここだここだ」
 落ちる前にシンジはひらりと飛び降りた。 
 
 
 
 
 
 ドアがノックされた時、ミサトはグラスにアイスロックを放り込んだ所であった。
 カラカラと鳴らしてから、ゆっくりとグラスを傾ける。
 それが空になってから、
「う〜い誰ぇ?」
 革張りのソファから顔だけ向けた。
「昼間から飲酒など、またシンジに嫌われても知らぬぞ」
 入ってきたフユノに、
「ふんだ!」
 とミサトはそっぽを向いた。
「どーせ若い娘の方がいいのよシンジは。あっち行ってから住人とベタベタばっかりしちゃってさ。あーんな冷たい弟はこっちから願い下げですよーだ」
 すっかりぐれてる孫娘に一瞬苦笑したがすぐに真顔に戻ると、
「ミサトよ、儂がおらぬ間随分と迷惑を掛けたの」
 祖母の言葉に、ミサトはすぐには反応しなかった。
 空になったグラスを持ち上げ、軽く揺らすと中で氷が乾いた音を立てる。
 それを聞きながら、
「私はいいけど婆様、レニに残した傷は大きいわよ…もっとも、あたしも人のこと言えないけど」
「お前のせいではない。あれにその道を押しつけたのは儂じゃ。無論、そう簡単に消えるとは思っておらぬ。いや、冥土へ発っていた方が楽だったかも知れぬわ」
 口ではあっさり言ったが、その表情が苦悶を押し隠している事を、ちゃんとミサトは見抜いていた。
 レニは、決してフユノを恨むような事は口にはすまい。
 だがシンジがいる。
 シンジの脳裏から、レニの受けた傷が消えることもまた、決してあり得ないのだ。
 フユノが唯一安堵していたのは、それがミサトにまで向かなかった事であった。
 シンジが死の刃を向けた時、その時点でミサトの命運は決まる。
 レニの事を、フユノが決定したが大きかったのか、とまれシンジはミサトに問わなかった。
 だからミサトはピンピンしていられるのだが、
「ま、しようがないじゃない。実際、レニがシンちゃんの結婚相手だなんて、あの時点では十年早かったのよ」
 どこか、棘があるように聞こえたのは気のせいだったろうか。
「大体シンちゃんがぼんやりしてるのが悪いんだから、あまりしつこいなら私が天に代わってお仕置きしてやるんだから」
 天がミサトに代わられたいかは不明だが、それ以前にこの自信がどこから来るのか、フユノにも時々分からなくなる。
 が、フユノもそれ以上は言わず、
「その折はお前に任せるわ。それよりミサト、屋敷の者が掃除したくてうずうずしておる。瓶の乱舞だけは止めよ」
「は〜い」
 空になっている瓶を、薄くマニキュアを塗った足の指で器用に持ち上げ、
「まったく雑踏という芸術を理解できないのかしら」
 ぶつぶつ言いながらグラスを満たすと、今度はストレートで一気に空けた。
 
 
 
 
 
「兵糧攻め、でございますか?」
 さすがに奇妙な表情になった支配人に、
「そうそう兵糧攻め…あ、違った甘味攻めだ」
「はあ」
「黙っててやるから甘い物をおよこし、って言った娘がいる。願いを叶える為にも、ここは是非うんざりする程の量を以てして――」
「分かりました、やりましょう」
 帝都ホテルにやって来たシンジだが、
「総支配人に会わせて」
 第一声がこれであった。
「あの、お約束はございますでしょうか」
 長身の美女を伴った青年に怪訝な視線を向けると、
「こんなモンで」
 掌にぽっと火の玉を作ってのけた。
 咄嗟に緊急通報用のボタンに指が伸びかけたが、押さなかったのは正解だったろう。
 正確には、彼女の勘が彼女自身を救ったのだ。
 こうなれば上役に任せてしまえと、半ば任務放棄的な気持ちになったことで、この日の終業後に五体満足で帰れたのだから。
 無論シンジは、
「あーあ、押しちゃった」
 位だが、後ろに控える美女の前ではそうは行かなかったろう。
 下手したら、そのままロビーで全裸になって自慰を始めさせられかねない。
 押し掛けた分際で、結構危ない連中なのだ。
 通された部屋で、総支配人の速見と名乗った初老の男性は、
「当ホテルに不都合がございましたでしょうか」
「いや、レストランの貸し切りをお願いしたいんだけど」
「食堂でございますか?生憎通常のお客様もご利用のため、そのようなご依頼は――」
「こんなのがある」
 すっと差し出したのはクレジットカードであった。
 しかも無制限保証の。
 上限無しのこのカードは、よほどの地位と信用がないと持てず、持てたとしても普通は持たない。
 別に必要ないからだ。
「元の持ち主は東京学園理事長赤木リツコ。で、これがこのヒトの身分です」
 あっさりと白状して差し出した名刺――とも呼べぬカードには、碇シンジとだけ書いてある。
「碇シンジ様ですか…」
 きっちり三秒後、その顔が上がった。
「私の知り合いの娘が、去年から魔道省に入りました。一応巫女ですが、ある来賓に出す飲み物を憶えるのが一番大変だそうです――心当たりはおありですか?」
「それなりに」
「分かりました」
 と速見は頷いた。
「それで、ご使用の目的はどんな事でしょうか?」
 ここで冒頭の台詞に戻るのだ。
「甘い物でしたら心当たりはあります。それで何名来られますか?」
「一人だけ。だからたっぷりと」
 一本だけ指を上げたシンジに、
「なるほど、そう言うことでしたか」
「は?」
「決まった相手はおられないとお聞きしましたが、そういう事でしたら是非お手伝いさせて頂きます」
 
 
 
 
 
「こらそこ」
「何か?」
「あの支配人、絶対勘違いしてるぞ。きっと山岸を恋人かなんかだと思ってるんだ」
「そんな所だろうな」
「まったく困ったもん…って、なんかリアクションが冷たいぞ?」
「場所はいい。何ならこの際結婚式でもしてみるか」
「…あの、フェンリル?」
「マスター最近冷たいから嫌い。小娘でもなんでも恋人にするといい」
「あ、すねてる」
 言った途端、とんでもない力で腕が締め付けられた。
 腕を組んだかに見えたが、そこに危険な力が加わったのだ。
「マスター、なにか?」
「な、何でもないです。い、痛いから放して?」
 以前、機械仕掛けの娼婦に絡みつかれた時、胴体を吹っ飛ばした経験の持ち主だが、右手を押さえている相棒にそれは出来ない。
「反省しているか、マスターよ」
「あーはい、してますしてます」
「証拠は」
「しょ、証拠?」
「無論よ、それとも口先だけで済むとお思い?」
 腕に加わる力が微妙に変化した。
 危険な兆候だ。
「え、えーとじゃあね…」
 主からの言質を取れたかに見え、フェンリルの口許が僅かにある形を取りかけたまさにその時、
「あ、お客さんだ」
 シンジの言葉を聞くのと、フェンリルの全身から壮絶な鬼気が立ち上るのとが同時であった。
 マスターを、シンジを後一歩まで追い込んだのに邪魔されたのだ。
「おい、そこのおま――」
 髪は金と茶色の中間、ハーフパンツに靴を踏んづけて歩く――懐にはナイフでも持っていそうな連中だったが、声を掛けたそいつは言い切る事は出来なかった。
「下衆が」
 死神すら任務の遂行を躊躇いそうな声と共に、空中に何かが舞い上がった。
 腕だ。
 俗に言うナンパ、或いは絡み、それを一番してはならぬ相手がいるとしたら、間違いなくこの時の二人の筈だ。
 命ではなくその寸前のパーツを…次々と手が宙に舞い上がり、足がまるで枯れ木のようにへし折られていく。
「あーあ」
 洩らしたシンジの前に、あっという間に十人分の手足が並んだ。
 文字通り、手足をもぎ取られた身体が這い蹲ったのだ。
 驚いたのは声を掛けた不良連中である。
 凄まじい鬼気が叩き付けられ、身動きはおろか声も出せぬ間に、両手が次々と付け根からもぎ取られ、足への一撃はそれを真ん中から千切り取っていったのだ。
 普段は数頼みと武器頼みの連中だが、それがまったく通じぬ相手に遭った時、根本的に間違っていたことを知った。
 すなわち――決して触れてはならぬ相手がいるのだ、と言うことを。
 口だけぱくぱくさせているそれを、さも汚らわしげに見たフェンリルは、
「我が君のお目を汚す事は許さぬ」
 ふっと横に薙いだ手が何をもたらしたのか、転がっている胴体は皆風塵と化したのである。
 凄絶なまでの気は屑とは言え、人間をして一歩たりとも動かさなかった。
 神狼のそれは、年月を経たりとは言え未だ健在であった。
 がしかし…雰囲気を壊すのはどこにでもいるものであり。
「魚河岸市場にしなくても良かったのに」
 目の前の光景など、まるで目に入らないかのようにシンジがのんびりと言った。
「別に。邪魔な物を排除しただけです」
 息一つ上がっていないフェンリルに、
「考えたんだけどね」
「なにを?」
「枕時に現在形になっていい、と言うのは?」
 ふわ、とフェンリルの表情が緩んだ。
 例えるなら、強引に生を与えられたゾンビがあどけない少女と化したかのように。
 どこか暖かさを感じる笑みを表情に彩り、
「いい返答よ、マスター」
 きゅ、と取った腕がフェンリルの豊かな胸を柔らかく潰す。
 これが十人からのグループを、それこそ跡形もなく葬ったと誰が信じるだろうか。
 腕を取られて歩き出しながら、
「もう現金なんだから」
 呟いたシンジだったが、同じ状況で同じ事を口に出来るのは世界に二人と居ないのは間違いない。
 
 
 
 
 
 さてその日の夕方。
「学校、結局さぼっちゃったわね」
「御前様が公休って言われたからいいのよ。それにあんた、一番物買ってたじゃないのよ」
「そ、それはそうだけど…」
「ねえマユミ、そんなに沢山何買ったの?」
 今日は休みでよい、そう言ったフユノの言葉で、久しぶりに揃って買い物に出た面々だったが、何故か一番多いのはマユミであった。
「そ、その生活用品とか色々あるから…」
 何故か歯切れの悪いマユミに、
「ふーん。もしかして…」
 アイリスが言いかけた時、真っ黒なリムジンが音もなく一行の前に滑り込んだ。
 シンジがこれを嫌がるのはもう知っているし、フユノにしてはおかしい。
 僅かに身構えた彼女達の前に、すっと黒服が降り立った。
「山岸マユミさんですね」
 刀に手を掛けたさくらを制して、
「え、ええそうです」
 マユミが頷くと、
「帝都ホテルの者ですが、お迎えに上がりました」
「…嫌だと言ったら?」
「とにかく連れてくるように、との命令を受けております」
 まっとうなホテルの従業員なら、口が裂けても言いはすまい。
 が、マユミはあっさりと頷いた。
「ちょ、ちょっとマユミっ!?」
 さすがにアスカが血相を変えたが、
「大丈夫。もし今日中に戻らなかったら碇さんに連絡をして。お願いね」
 それだけ言ってリムジンに乗り込んだ。
 呆然として一行は見送ったが、
「何か変だゾ?」
 レイが首を傾げたのは、もう車が見えなくなってからであった。
 
 
 
 
 
(つづく)

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