妖華−女神館の住人達
第五十話:DD4−デートの誘い方
「ど、どれに…これかしら…それともこっち…」
女神館の住人達は、皆一人一室をあてがわれている。
いや、それは正確ではない。
入口は一つだが、中に部屋は三部屋あり、どちらかと言えばマンションに近い。
違うのは、それぞれの部屋にはキッチンとトイレがない事か。
ここはすみれの部屋だが、彼女は一室をまるまる衣装部屋にしており、自分でもその総数は分かっていない。
何せ、気に入ったら片っ端から買ってくるせいで、総量を把握出来ていないのだ。
で、現在衣装に埋もれて懊悩中。
無論原因は、さっき此処を訪れた管理人氏にあった−。
「え…い、今なんて?」
明晰な筈の頭脳が、刹那回転を止めたのはシンジの言葉に因がある。
「デートしない?」
シンジはそう言ったのだ。
その表情はいつもと変わらないが、こんな事を言い出すタイプには見えないだけに、さすがのすみれも、一瞬理解できなかったのだ。
「だからデート。正確には風俗探査」
「ふ、風俗っ!?」
当然行ったことは無いが、そっちの用語は知っている。
と言うよりこの新宿で、それを知らずしては生きられまい。
何を言い出すのかと、噛みつきかけたが、
「風俗って、裸のお姉さまが乱舞してるとこじゃないよ」
「…え?え?」
「そっちに行きたかったの?」
ぶん、と飛んできた平手をひょいと避けると、
「バレンタインとやらの市井調査に行く。だから付いてらっしゃい」
「…わたくしが?」
「そう、わたくしが」
頷いて、
「告白する日、と言ったな。と言うことは、上手く行ったらそのままデートもあり得る訳だ」
「ま、まあそれは多分…」
「浮かれた愚民共をたまには自ら視察するのも良かろう」
(こんな人だったかしら…)
世界制覇に乗り出した、某国の凶人のイメージが何故か重なり、すみれは内心で首を振った。
「で、来る?来ない?」
口調が戻った。
「じゃ、じゃあ行きますわ。それで、どこに?」
「おさかなのお友達になるのと、物品を見て歩くのとどっちがいい?」
「おさかな?お友達?」
意味がさっぱり分からなかったが取りあえず、
「お買い物の方がよろしいですわ。屋敷から運転手を呼んで…あう」
「こら」
ちょい、とその頬をつついて、
「運転手なんか持ってきたら、金輪際縁切るからね。ちゃんと自分の足で歩くこと」
「駄目?」
「絶対駄目」
理由は分からなかったが、シンジが車に乗っているのを見た事がないと思い出した。
シンジならば、それこそ歩く必要など皆無な程、車は用意されているであろうに。
それに周囲が押し切ったとは言え、フユノの移動はそのほとんどがリムジンなのだ。
「分かりました、碇さんがそうまで言われるなら仕方ありませんわ。でも今度だけですわよ」
「は?」
「今後は絶対車に乗って−」
「次もあるの?」
「な、なっ!?」
とんでもないことを口走ったと知り、その顔が瞬時に紅潮する。
それが反対に切れる前に、
「じゃ、明日の九時に呼びに来るから」
「あ、明日ですの?」
「欠席の旨は、もうリっちゃ−じゃなかった理事長に伝えてある。じゃ、おやすみ」
「…リっちゃん?」
その呼称に首を捻っていたせいで、既に伝えたの部分は気に止まらなかった。
そう、シンジが既に確信を持っていたと言うことは。
「碇さん」
「ん?」
シンジの足が、階段を上がりかけた所で止まった。
「山岸?」
呼び止めたマユミの表情は、わずかに硬く見える。
「眠れない−訳じゃないね」
「ごめんなさい、さっきのお話、聞こえてしまいました」
すみれを誘ったのがばれたらしい。
だが、どうしてマユミの表情が硬い?
「不純異性交遊には反対?」
冗談めかして言ったが、少し後悔した。
「そんな事ではなくて」
すぐに冷ややかな返答があった。
「私はさくらとは違います。それに、アスカとも」
「あの、何のお話を?」
「何でもありません」
更に冷たい。
「碇さんが誰と出かけられようと構いません。ですが−」
「ショッピング及び昼食。その後は適当に見て回った後カラオケを。ついでに夕食も摂って、ホテルのラウンジへ案内。これが行程なんだけど、山岸も来る?」
「……」
「どうしたの?」
「本当に…普通のデートなんですか?」
「妙な事を言うね。それとも、俺にデートの単語は似合わないと?」
「そ、そんな訳では…」
あくまでも、口調は冗談めかしたものを崩さないシンジに、マユミも言い出せずにいた。
すなわち−シンジは本当は、デートなど少しも考えていないのではないか、と。
それどころか…わざわざすみれを引っ張り出したのではないかと言うことは。
すみれとの会話の中に、どこか危険な物が混ざっていたような気がしたのだ。
おそらく、さくらがいれば同じように気付いたかも知れない。
もっとも、マユミ同様冷静に分析出来れば、の話だが。
だがここにさくらはおらず、マユミにはどうしても、それを口にする事が出来なかった。
口にしてはならない、善悪のレベルではなく、本能がそれを抑えていたのだ。
防衛本能に似たものだと、マユミが気付く余裕はなく、
「な、なんでもありません。呼び止めて、ごめんなさい」
口から出たのは、謝罪のそれであった。
「別にいいよ−山岸は鉄壁症だから」
「あ、あのそれを言うなら潔癖性で…それに私はそんなんじゃ…」
「じゃ、いん…な、何でもありません」
チキ。
抜く手を文字通り全く見せずに抜かれたそれが、ぴたりとシンジに向けられている。
「これも、一応霊刀なんですよ。試してみます?」
「え、遠慮します…」
「よろしい」
す、と鞘に収まったそれに、ふうと安堵したシンジだが、さくらもマユミもこんな物をしょっちゅう持ち歩いているだけに、刀狩りでも出すかとふと名案が浮かんだ。
がしかし、ここは無傷で退くのが最優先である。
「碇さん」
「は、はいっ」
抜き身を持ったせいか、妙に強気になっている気がする。
「デートでも何でも、楽しんで来られるなら構いません。でも、すみれさんは私達の仲間です。その事だけは忘れないで下さい…おやすみなさい」
きびすを返して去っていくマユミを、シンジは黙って眺めた。
「マスター」
「何?」
「それは私の台詞よ」
「半分位だ−おそらく」
会話はこれだけだったが、この主従には、余計な単語すら必要ないらしい。
「それで?」
「放っておく。別に明日、付いて来る事もないだろうし。そんな事より、真剣を持ち歩くのがままある方が、俺には問題だぞ」
「追いつくくせに」
「それはそうだけど、何時来るか分からないでしょ。非力な人間には怖いんだよ」
「お戯れを」
きゅっと主を抱き寄せると、
「そう言う台詞は、神を従魔にした男の台詞ではないよ、マスター。それより明日、麗香は何と?」
「時間指定はしてない」
腕に抱き取られたまま、シンジがちらりと窓の外を見た。
「ただ、おそらくは未知だと。やっぱりあの時、敵図鑑でももらっておいた方が良かったかなあ」
ふふふ、と笑ってから、急に真顔になった。
「俺はナイトじゃない。だから、ここの住人を守ってあげるんだ、なんて事は口にしない。でも、さくらの贄だけは絶対にさせない。叩いて置いた方が、住人の負担も少しは減るだろ」
「仰せの通りに」
フェンリルの顔から艶が消えた時、二人の距離は一メートルほどに離れていた。
ナイト=騎士だが、その発想はシンジには根本から無い。
だから、自分が守るんだ等と言う台詞は、シンジをそれこそ逆さにしても出て来るまい。
ただその代わり、でもあるまいがある部分に関しての矜持は高い。
シンジに取って、誰かを生け贄にして帝都を守るなど、それは断じて許容できる事ではない。
『誰かが犠牲になるのは、周囲が無能だからだ』
これがシンジの発想だからだ。
と言っても女神館の中では、間違いなくシンジの帝都防衛意識が一番低い。
その事は、先の降魔戦のそれを見れば明らかだが、そのシンジの能力が最も、そして傑出して高いと言うのは、ある意味では皮肉かも知れない。
ある所にはあると言う、まるで金の回りみたいなものとも言える。
「分かってるよ、マスター。そんな所も、好きよ」
距離は、間違いなく変わっていなかったが、まるで耳元で囁かれたかのように近くで聞こえた。
「も?じゃ、さして取り柄ないん…こら」
言いかけた時、にゅうと腕が伸びてきて、柔らかな感触がシンジを包んだ。
「あれで…良かったのかしら…」
刀をかざしながら、マユミは一人呟いていた。
今までに異性と付き合った事はなく、無論男の扱い方なるものなど、全くと言っていいほどに知らない。
だが、すみれを誘うシンジの口調は何故か、普通ではないと感じたのだ。
そう、単なる男女交際のそれではないと。
第一すみれには悪いが、シンジがすみれを誘う理由が無い。
まだ、さくらの方が納得できる。
何より、女を喜ばせるべく、シンジが自ら動くタイプか。
「違うわ…自信はないけれど」
語尾の通り、確信はなかった。
だいたい、デートに誘う作法など−あるのかも不明だが、マユミは知らないのだ。
「でも…あれは違うような…」
うーん、と首を捻ったが、いくら考えても答えは出ない。
「碇さんを…信じましょう」
信じる、と言うのもおかしな言い方だが、マユミは自らの選択を半ば後悔する事になる。
そして−半ばはそれで良かったと思うことになるのだ。
無論、今のマユミはそれを分かってはいないが。
「叉丹様、ご無沙汰しておりました」
「お前は元気そうだな、いつもと変わらず」
「それだけが取り柄ですから」
真っ黒、と言うより小麦色に日焼けした大男は、にっと笑って一礼した。
その巨躯、おそらく身長はシンジと変わるまい。
「して、例の奴がここに戻ってきているとか」
「その通りだ」
苦々しげに頷いた叉丹に、
「あの折、野郎に好き勝手させたのは、我らがすべて揃っていなかったせい。今度はそうは行きませんぜ、取りあえず俺が一泡吹かせてやりますよ」
「期待している」
「任せて下さい」
どん、と厚い胸板を叩くと、
「明日にでも、取りあえず行って来ます。葵様はここで奴の首を待っていて下さい」
そう言うと、葵叉丹の返事も聞かずに大股で出て行った。
その後ろ姿に、明らかな軽蔑のそれを見せて、
「あ奴に倒せるほど、碇シンジは甘くありますまい」
ミロクの言葉に、
「確かにな。金剛では、荷が重すぎる」
「では、何故許可されたのです?」
「止めて聞くような男でもあるまい。それに、今のあいつには余分な物が付いているだろう」
「余分−金剛にですか?」
「違う、碇シンジにだ。女ばかり集めて管理人と言うではないか。あやつらの乗るエヴァとやら、脇侍よりは上でも銀角よりは下だ。加えて今回の主力−あんな物では歯が立たん。そんな荷物を抱えて、碇シンジがどう動くか、見ようではないか」
言葉を額面通りに取ると、既にシンジには追跡調査が入っていると見える。
だがさすがの悪の総裁も、迫る気配のそれを、シンジが掴んでいる事までは知らなかった。
そしてそれを、自分の意志通りに使おうと企んでいる事までは。
「とりあえずミロク」
「はっ」
「銀角の調整、急いでおけよ。当面は、脇侍を尖兵に銀角主力になるからな」
「承知しました」
深々と一礼したミロクが顔を上げた時、既に葵叉丹の姿はそこにはなかった。
「こう来たか」
んー、と腕組みしてシンジが外を見る。
無論今日はデートの約束だが、その双眸に映る景色は一面銀色に染まっていた。
帝都に降った初雪である。
「コタツでごろごろは駄目かな…」
「いいからさっさと風呂行くぞ」
冷え冷えする気温など無視して、シンジの腕ががしっと掴まれた。
「寒いよう」
ぶつぶつ言う主の腕を取ると、そのままずるずると引きずっていく。
が、浴場ですみれと鉢合わせしたのは、数分後の事であった。