妖華−女神館の住人達
 
 
 
 
 
第四十四話:日独和平条約?
 
 
 
 
 
「あの二人、大丈夫かなあ」
 アイリスとレイが、アスカ達を中へ運んでいったのだが、
「これより治療にかかる。二人とも邪魔」
 と、つれなく追い出されたのだ。
 訓練の筈だが無論中断しており、
「水治療はお上手だから大丈夫だと思うけど…」
 シンジの行動が読めないだけに、マユミも首を傾げている。
 果たしてシンジが、二人を仲直りさせるのか、或いは違う行動を取るのか。
 取りあえず、治すのは間違いあるまい。
 だが問題はその後であり、後者を取る可能性も少なくない。
 と言うより、シンジの性格を考えるとそっちの方が高いような気もするのだ。
「『うーん…』」
 残った者達が顔を見合わせた時、
「お前達が気にする事ではない。そんな事より、さっさと続けるぞ」
 おそらく、もっともシンジの思考を察しうる人物の声がした。
 
 
 
 
 
 台の上に、全裸の娘が二人横たわっていた。
 言うまでもなくアスカとすみれだ。
 アイリス達が出て行ったのを確認すると、シンジは躊躇う事無く、さっさと二人の服を脱がせてしまった。
 引っ掻き傷があちこちについているのだが、それを見下ろすシンジの視線は何となく冷たい。
 と言うよりも、誰かに似ているのだ。
 ある看護婦達なら、こう指摘するかも知れない。
「院長先生の、オペの時の表情に似ています」
 と。
 男が全裸の女を見る時の視線−欲情にはほど遠く、かと言って治療への意欲の視線にも見えない。
 あえて言うならやっと手に入れた被検体へのものか。
 俯せで寝かされている二人を見ると、肌の色はすみれの方が幾分白い。
 ただ、欧米の血が入っているだけあって、肢体としての出来はアスカの方が上だ。
 胸はアスカの方が大きかったが、すみれの身体が全体に引き締まってみるのは、日々の鍛錬を欠かしていないからだろう。
 努力の『どの字』も無縁のような二人であり、と言うより決して見せない二人だが、実際には猛烈な努力を積んでいることは、既にシンジも知っている。
 それが天賦の才に見えても、実際それだけなのは少ない。
 今、肩がわずかに上下する裸体を眺めている青年は、その最たる者と言えるかも知れないが、表裏で異なるタイプをシンジは嫌いではない。
 二人とも、その点ではよく似ていると言え、それだけに一度折が合わなくなると、互いへの敵対心は募る一方になるのかもしれない。
 ミサトが無能だった訳でもないだろうが、シンジが来る以前二人の仲に、改善が見られなかったのは一目瞭然である。
「女の事は女同士、と言うが…使えないやつだ」
 やれやれと肩をすくめた時、
「女の事を全部女が分かるなら、男と女が対として創られてはいないわ」
 不意に声がしたが、シンジはそっちを振り返ろうともしない。
「何しに来た」
「あら〜冷たいわねえ。勿論、吊されたお礼よン」
 にゅう、と伸びた腕がシンジの首に巻き付いてくる。
 が、すぐに離れて、
「本当はね、私も思わないでも無かったのよ」
 シンジの横に立つと、並んで二人を見下ろした。
「でもね、その後の自信がなかった。とことん喧嘩させても、それが取り返しの付かない事になるんじゃないかって。女同士だけじゃ、出来ない事もあるのよ…」
「役立たず」
 冷たい言葉を投げると、先にすみれに手を伸ばした。
 あやめの時とは違い、傷口にではなく頸椎部分に掌を当てた。
 呪文を呟くでもなく、意識を集中するでもない。
 ただ当てているだけだが、それだけで急速に傷口は回復を見せていく。
 取っ組み合い引っ掻き合ったとは言え、この程度の傷なら、シンジに取っては造作もない事であり、文字通り片手間の事だ。
 二十秒ほどですれみのは終わり、アスカのも変わらぬ時間で終わった。
 シンジが顔だけ向けると、ミサトがすみれの身体の下に手を入れて仰向けにさせる。
 全裸のままのそれだが、シンジの変わらぬ表情は、治療の終了を示していた。
 その顔にも、肉弾戦の痕はまったく見られない。
「次」
 言われるまま、ミサトがアスカの身体に手をかける。
 仰向けにされたそれが、これも元に戻ったのを見てから、
「着せ替えは面倒だからやっといて」
 それだけ言うと、ミサトの反応も待たずさっさと部屋の外に出た。
「もう…人使い荒いんだから」
 ぶつぶつ言いながらも、置いてあった服を取り、
「下着無し?」
 気付いたように口にした。
 
 
 
 
  
「ここ、は…?」
 ベッドに寝かされていた二人だが、ほぼ同時に目が覚めた。
「ミサトさん?」
「あら、もう起きたの?あと一時間くらいは寝てると思ったのに」
 二人揃って上体を起こしたが、視界にお互いを認めてぷいっとそっぽを向く。
「まったく懲りない馬鹿二人ね」
「『え?』」
「あんた達、自分の顔触ってみなさいよ」
「自分の?」
 言われるまま顔に触れ、あっと同時に声を上げた。
「これは…ミサトさんが?」
「私がやると思ってるの?頼まれたってごめんだわ」
 その前に、ここまでは可能範囲に入っておらず、そうなると出来るのは一人しかいない。
「シンちゃんに、ちゃんとお礼言っときなさいよ。あんた達の傷、全身直してくれたんだからね」
 とそこへ、
「放っといたら痕残っちゃうし」
 うーんと伸びをしながら、シンジが入ってきた。
「後はもういい。それより、他のメンバーの見といて。多分今、フェンリルが残ってる筈だから」
「え?」
「多分、準備運動だとは思うけどね。戻るように言っておいて」
「分かったわ」
 ミサトが早足で出て行くのを見てから、シンジは間に置かれた椅子に座った。
「い、碇さんあの…」
「何」
「ご、ご迷惑お掛けしました」
 アスカも追うように、
「あ、あの…ごめん…」
「それは別に構わないけどね」
 軽く頷いてから、
「二人とも、よく似てる」
「『は?』」
「才−天賦のそれだけで来ているようでも、実際には違う。秘かな努力のそれは、常人のそれを大きく上回っている。もっとも、それが普通だからね」
「ど、努力って別にっ…」
 すみれが言いかけたが、すべてを見切っているような視線に俯いた。
 代わるようにアスカが、
「普通?」
「天賦の才は、マスターのための言葉だ」
 後ろから聞こえた声に、
「いや別にそこまでは」
 わずかに笑うと、今度は振り向いた。
 入ってきたフェンリルに、
「他の住人達はどうした?」
「脇侍二十体を倒す、それだけさせたのに三体も出来なかった。あれでは失格ね」
「…それってもしかしてフェンリル印の?」
「無論よ」
 フェンリルが操る脇侍、それを二十など彼女達に出来るレベルではない。
 フェンリルのそれは、実戦では銀角にも等しいのだ。
 一体倒しただけでも、大したものである。
 はあ、と溜息をついた時、
「あ、あの碇さんその方は?」
「そうか、すみれはまだ知らなかったか。フェンリル、俺の従魔だ」
「フェ、フェンリルってあのまさか…北欧神話の?」
「その通りだ、よく知ってるな。ラグナロク−神々の末裔をその身で知った妖狼、神の末裔だよ」
「嘘っ!?」
 素っ頓狂な声を上げたのはアスカだが、
「だ、だってそうとは言わなかったじゃない」
「言わねばならぬか−小娘」
 フェンリルの静かな声に、アスカが俯く。
「ご、ごめんなさい…」
 シンジとはタイプが違うが、ひとたび妖気を放てば、それはシンジの比ではない。
 視線を向けられただけで、アスカは顔を上げる事も出来なかったが、
「あ、あの…」
「どしたの?」
「い、今妖狼って言われませんでした?」
「言ったよ」
「狼と言う事ではありませんの…?」
「神話の精通が少し足りないよ、すみれ」
 が、そんな事を言ってるシンジも、最初にこの姿を見た時は呆気に取られたのだが。
「私の事などどうでも良かろう。だが貴様達、あまり我が君の手を煩わせるな」
 聞く者を否応なく従わせるだけのものを持った声は、
「『は、はい…』」
 アスカとすみれも、その影響から逃れることは出来ず、揃って深々と頭を下げた。
「それはそうとフェンリル」
「何?マスター」
「もういいよ。手間なら十分掛かっているし」
 す、と制した手の動きに、フェンリルは何も言わず、すっとその姿をシンジの中に消した。
「もう帰ったから大丈夫」
 とシンジが言っても、二人が顔を上げるには十秒以上掛かった。
「シ、シンジ…か、神が従魔ってどう言うこと?」
 アスカの声が、どこか震えて聞こえたのは、気のせいではなかったろう。
「そのままだよ」
 シンジはあっさりと頷いて、
「でも、最初はかじられるかと思ったのは内緒ね」
 しーっと、唇に指を当てたものだから、思わず二人とも噴き出した。
 場の空気が変わったのは事実だが、意図してしたのかは分からない。
 同時に笑ったのに気付き、一瞬見合わせた顔をすぐに逸らした二人に、
「俺は山岸とは違う」
 真顔で言いだした。
「はい?」
「ぶつかればその結果分かり合えるかも知れない、なーんて言うほど、俺は体育会系じゃない。でもこれだけは言っておく。今は休止中にせよ、すみれは花組の女優だし、それを除いても二人とも女という生き物だ。自分達の性別を考えるなら、降魔との戦闘はともかくとして、顔に傷が付くような事は控える事だね」
 すみれはアスカと違い、シンジがあやめを治した事は見ていない。
 だがマユミから聞いているし、何よりも自分の高熱を治したのはシンジだと知っている。
 綺麗にはなったが、シンジがいなければ痕が残っていたであろう事は、自分でも分かっているだけに返す言葉もない。
「…シンジ…」
「あん?」
「仲良くしろって…言わないの」
「言わない」
 あっさりと、それはもう拍子抜けする程あっさりと、シンジは否定した。
「俺がアスカを、或いはすみれに特に肩入れしたからこうなった訳じゃない。更に俺が是非やれと、二人を煽った訳でもない。別に俺が因子じゃないし、何よりもそこまで口を出すような関係じゃないしね」
 妙に冷たいことを言ったシンジだが、反論できる素材が、生憎と二人にはない。
 元々、対シンジの急先鋒だった二人であり、住人達にしても、まともだったのはアイリスとマユミだけなのだ。
「似た者同士、反発する事も引き合うも一つの道。じゃ、俺は戻るから。多分メンバーが、フェンリルに振り回されてダウンしてるだろうから」
 軽く手を上げて、シンジはそのまま出て行った。
 無論、室内には二人だけが取り残される。
 何とも気まずい空気が支配したが、シンジの言葉を咀嚼しているのか或いは。
 しばらく沈黙が漂っていたが、先に口を開いたのはアスカであった。
「あ、あのさ…」
「なんですの」
「あーその、えーと…」
 一瞬躊躇ったが、
「ごめん」
「え!?」
「あたしが言い過ぎたわ」
 取りあえず、先に謝ってしまおうと決めたらしい。
 ただし、打算がまったくなかったとは言えまい。
 これですみれが応じたとしたら、先に手を差し出したのは自分と言う事になる。
 だがもしすみれが応じなくても、自分は歩み寄って見せたと言うことは出来るのだ。
 アスカの思考が読まれたのかは不明だが、
「わ、わたくしも…言い過ぎましたわ」
 すみれが選んだのは前者であった。
「あ、あたしもその…怒ると頭に血が上るタイプだけどさ、シンジが次もあれで済ますとは限らないし、取りあえず休戦にしない?」
「そ、そうですわね。碇さんにご迷惑を掛けたくありませんから」
 頷いた所へ、すっと手が差し出された。
「え?」
「だ、だから握手よ握手。仲直りの印に」
 今時、青春ドラマでも出てこないような台詞と、自分でも分かっているのかその顔は赤くなっている。
 とは言え、すみれにもそれは分かったのか、手を伸ばしてきゅっと握り返した。
 手が繋がったままの状態で、
「神崎、ってのもおかしいし、今度からすみれって呼ぶから、あたしのことも普通にアスカでいいわよ」
 本当はあんたの、と言いかけたのだが寸前で止めた。
 賢明と言えるかも知れない。
「いいですわ、アスカさ…いえ、アスカ」
「それでいいわ。さてと、あたしはもう戻るわ。すみれはどうするの」
「わたくしも今行きますわ。少しでも遅れを取り戻さないと」
(遅れ?)
 内心で首を傾げたが、意味までは聞かなかった。
 二人が、揃って戻ったのは五分後の事である。
 
 
 
 
 
「ま、こんなもんだろうね」
 戻ってきたシンジだが、そこは予想通りの状態であった。
 フェンリルが起動させたのは、むろんあやめ達が持ってきた脇侍の原材料からであったが、フェンリルが起動させた事で、シンジの予定より大幅にパワーアップしていたのだ。
 マユミを始め、レイやアイリスも完全にダウン状態である。
 さくらはと言うと、ダウンどころかKOされて伸びている。
 取りあえずマユミを起こして、
「あれはどうしたの?」
 と聞くと、やはり最後まで保ったのはさくらだったらしい。
 強さで言えば、フェンリルのそれもシンジのと変わらないが、加減度がまったく違うだけに、三体も倒してのけたのはかなりのレベルと言えるかも知れない。
 かも知れない、と言うのは実体は分からないからだ。
「さくら生きてる?」
 揺り起こすと、
「もう駄目です〜」
 と、蚊の鳴くような声が返ってきた。
「しようがない、ほら起きて」
 手を取って引き起こしたのだが、ふらっとよろめいてそのまま倒れ込んできた。
 さくらの全体重までは計算に入れていなかったシンジが、図ったようにあっさりと押し倒される。
「あー、さくら!」
 なんとか起きたアイリスの眉が上がるのと、
「重くないけど痛いからさっさと降りて」
 肩に体重の掛かったシンジが、さくらを抱き下ろすのがほぼ同時。
 押し倒されるのは嫌なタイプのようだ。
 が、
「あ、あの碇さんごめんなさいっ」
 真顔で謝っている所を見ると、本当に偶然だったらしい。
 しかも、よく見ると膝が笑っているのだ。
 他の住人達を見ても、これはもうここまでだと判断して、
「今日はここまでにしておこ…おや?」
「ちょっと〜、こっちはやっと身体暖まったのに、勝手に終わらせないでよね」
 アスカとすみれが、並ぶようにしてきたのはさっきと同じ。
 ただそこにある空気を、シンジ一人は見て取った。
 シンジ一人と言うのは、他の住人達は心配そうに見ていたからだ。
 彼女たちには、アスカとすみれの空気は分からないらしい。
「もう起きたか。すみれはどう?」
「わたくしも、これからですわよ」
 結構だ、と頷いて、
「じゃ、二人には取りあえず模範演技を見せてもらうとしよう。元気も余ってるようだし、最大出力で見せてもらおうかな」
 にゃっと笑って、指を鳴らした瞬間、再起動した脇侍が現れる。
「まずは実力テストから。先にアスカ、やってみて」
 頷いたアスカの手に、大きな炎がわき上がった。
 
 
 
 
 
 さて翌朝。
 朝から風呂に入って来たシンジが、食堂に入るなりうっすらと笑った。
 待っていた住人達が全員、お揃いのように包帯を巻いていたのだ。
 ある者は捻挫だったり、またある者は打撲だったり。
 誰一人として例外はおらず、アスカとすみれもまた例外ではなかった。
 こっちはシンジ印の脇侍だったが、二人とも二体を倒した時点で、討ち死にの結果に終わった。
 改造・再生されたそれの強さを、まざまざと見せつけられる結果になったのである。
 結果的には、一番多かったのはさくらの三体で、最少はアイリスの一体。
 ただし、シンジが従魔に訊いた所、シンジのそれよりも抑止率は多かったらしい。
 つまり、アスカ達が相手したそれよりも、更に強かったと言う事になる。
 しかしシンジはそれは言わず、
「初めてはこんなものだし、実力は付けていけばいいよ」
 と言っただけであった。
 シンジ以外、全員がどこかしら包帯娘と言う一種不気味な状況で、朝食は始まったのだが、シンジ印とは言えたった二体しか倒せなかった事で、やはりどの顔もショックは隠せない。
 だが、そこで起きたことは、ショックなど銀河の果てに吹っ飛ばすようなものであった。
 食べ出して数分経った時、
「誰かしょう油取って」
 アスカの言葉に、さくらが手を伸ばしたが、それよりも一瞬早く他の手が伸びた。
(すみれさん!?)
 すみれが手を伸ばしたのを見て、嫌な予感がしたのはさくら一人ではなかった。
 ところが、
「はい、アスカ」
(は!?い、い、今なんてっ?)
 きっと聞き間違いだ、とそう思った所へ、
「ありがと、すみれ」
 さらなる衝撃が襲ってきた。
(い、今すみれって呼んだよね?)(し、しかもありがとって…)
 呆然としているメンバーを見て、シンジがくすっと笑った。
「間抜けな顔してないで、さっさと食べないと遅刻するよ」
 シンジの言葉に、なんとか箸は手にしたものの、まだどこか夢でも見ているような表情のままだ。
 ロボットみたいな動作で食事、及び機械人形みたいな仕種で出かけた住人達だが、直前でシンジが、
「アスカ、すみれ」
 二人を呼び止めた。
「何?」
「さっき、名前で呼んだね」
「え、ええ…そ、それがどうかしまして?」
「二人がそれを選んだなら、俺も顔に水治療の必要は無くなるな」
 よしよしと、まるで子供でも褒めるみたいに二人の頭を撫でたが、ぽっとその頬が赤くなった。
「じゃ、行ってらっしゃい」
 ひらひらと手を振るシンジに、
「い、行って来るから」「い、行って来ますわっ」
 早足で出て行く二人を見ながら、
「仲良きことはうつくしきかな…かな?」
「自信無い?」
 声は足元から聞こえた。
 真っ白な毛並みを撫でながら、
「ま、また喧嘩する事もあるだろ。さくらと山岸だってそうだし。でも、俺の構想に前衛と後衛の信頼関係は欠かせないからね。取りあえずは進歩だよ」
「もし、ならなかったらどうしていた?マスター」
「内緒」
 唇に指を当てると、
「さてと、もう一回風呂にでも入り直すか。行くよ」
 巨躯にひらりと飛び乗った。
 
 
 
 
 
(つづく)

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