妖華−女神館の住人達
 
 
 
 
 
第三十二話:ドクターシンジの夜の治療
 
 
 
 
 
「医者の特権濫用って知ってるか?」
「それはあなたの造語かしら」
 妖艶な女医は、右手を滑り込ませたまま訊いた。
 ただし、シンジの服の中に。
 風邪の治し方を訊きに行ったら、診療台の上に座らされていきなり襲われたのだ。
 しかも、左手が極めてあるのか、身体が動かない。
「動かないわよ」
「何?」
「人体なんて脆い物、何カ所かを抑えれば身動き一つ取れなくなるのよ」
「俺で実験するな、この変態医者」
「とっくにしてあるわ。だからこれは実践」
 すっと近づいてくる美貌を、まるで不気味な物でも眺めるようにシンジは見た。
「さっさと離せ」
 ふっとシビウが離れ、
「そのつれなさ、そこが一番の問題ね。まずはそこから治療しなくてはならないわ」
「他の男なら、いや女でもお前の視線であっさり落ちる。それでいいだろ」
 あ、とシンジが思ったのは、それを聞いた途端シビウの顔に、危険な物が浮かんだからだ。
「想い人に届かない。その程度の物に何の意味があって?想い人が一顧だにしないそれを、君は美しいと呼ぶの?」
 不意に、部屋の空気が変わった。
 どこか淫靡を孕んだそれが、死を帯びた物へと変わり、シンジを包むように押し寄せてくる。
「病は気から。気を持って治してあげましょうか」
 仲のいいドクターが、突如危険な存在に変化したのを、シンジは知った。
「気、では俺は変わらんよ。もっとも、変われる存在なら良かったかも知れないが」
 シンジは静かに言うと、軽く手を振った。
 と同時に、押し寄せてきていたそれは、あっさりと霧散した。
「能力も、時には面倒なのね」
 そう言ったシビウの表情から、もう危険な物は消えていた。
「風邪の直し方、だったわね」
「そう」
「触診が基本よ」
 シビウの右手が、言葉と同時に危険に蠢いた。
 
  
 
 
「何が触診よ、だシビウのやつ」
 侵入したシンジは、思い出したようにぶつぶつぼやいた。
 が、その表情が動いたのは、ベッドの脇へ立った時であった。
 高熱−すくなくとも四十度近いそれを、シンジの感覚は感知したのだ。
「誰か来てやれば…」
 言いかけて途中で止めた。
 他のメンバーも、風邪こそ引いていないにせよ、余裕もなかったと思い出したのだ。
 それにしても、とシンジは周りを見回した。
 新しい、と言う単語を凝縮するとこんな風になるのかもしれない。
 電気をつけてはいないが、月光の幾分差し込む部屋ならば、シンジは殆ど見通せる。
 鏡台は分からなかったが、タンスとこのベッドは、確か去年末に行われた家具のモデル発表会で、出たばかりの代物の筈だ。
 タンスもおいそれと手が出る代物ではないが、ベッドにしたって三百万は下らない代物の筈だ。
 碇家のそれは、文字通り世界レベルの大富豪だが、シンジ自身はそうでもない。
 正確に言うと、シンジ自身は同い年の子供と、さして変わらぬ位のお小遣いしかもらってこなかった。
 別に甘やかさない、との方針があったわけではない。
 フユノなどは、元からシンジに関しては理性の堰が壊れやすい方だから、文字通りシンジが埋もれる位の金額でもいいと言ったのを、シンジがいらないと言ったのだ。
 結果、現在に至ってもほとんどフユノからの金を受け取ろうとしないのは、彼女に取って大きな悩みの一つとなっている。
 痛みを与えぬ退魔をこなせるとあって、十五の頃にはもう依頼がうぞうぞと舞い込んできていたのである。
 そこへ持ってきてフェンリルまで加わると、もう手の付けようがない。
 秘された宝を探るなど、フェンリルに取っては造作もない事であり、とある金銀をちりばめた玉衣をあっさりと見つけたのもこの二人である。
 正式に扱われなかった、と言う結末は付くが。
 とまれ、親のすね、と言う部分は無縁に近かったシンジであり、その為すみれの感性はどうも理解しづらい部分がある。
 確かに花組が演じた舞台、その収入もあったろうが、到底それで賄える料ではない。
 だとするとやはり神崎重工−祖父、或いは父親の線から出ている、そう考えるのが妥当だろう。
 それにしても、どんな高価な家具や衣装を集めてみても、色を為さなければ褪せるだけである。
 少なくともそう、風邪を引いた主を見守るだけの役目とあれば。
「ん…んんっ」
 不意にすみれの口から苦しげな声が漏れ、シンジはちらりとそっちを見た。
 シビウによれば、血液の流れであっさり治療は可能だと言うのだが。
「じゃ、始めるか」
 退魔の時のように呟くと、すみれの手を軽く取った。
 
 
 
 
 
「気分はどう?」
「…大丈夫です」
 レニの元を訪れたシビウだが、フユノに告げた内容とはやや違っていた。
 すなわち、完全な無菌室に収容され、その肢体は殆どが包帯に覆われており、膨らんだ胸が唯一、その性別を表している程度である。
 では、フユノに告げたのは虚偽の内容だったのか。
 いや、
「歩けるまではあと三日。なかなかの精神力ね」
 この言葉からすれば、間違った内容ではあるまい。
 ただ、この状態が元気と言えるかどうかは、素人には判断しづらい部分なのだが。
「あの…先生」
 口許が覆われているにもかかわらず、声ははっきりと届いた。
「何かしら」
「シンジは…その…」
「余計な事は考えなくていいわ」
 シビウは断ち切るように言った。
「碇フユノが命を落としても、それはあなたのせいじゃない。人は誰しも、自分のした事に責任をとらなくてはならない。人の生を変える事は、小さな事ではないのよ」
「はい…」
「今の君に必要なのは、早く身体を完成させて、またシンジの前に元気な姿を見せる事よ。いいね」
 小さく顔が動くのを見て、シビウは軽く頷いた。
 だが、手元の資料に視線を向けた時、その表情が刹那険しくなった。
 発育不良、の文字がそこには記されており、それも精神面から来る物が原因だと、はっきり書かれていたのだ。
 最初にレニを診た、担当医が所見として記した物だ。
 本来、どんなに完全な処置、或いは手術であっても、シビウの目にかかれば幾らでもミスが発見されるため、シビウの元へ回されるカルテに、担当医が所見を記すことはまずない。
 それがはっきりと記されているのは、間違いないと担当医が判断したからだ。
 自分が全責を負えると、断言できるほどに。
 シンジがレニを見た時、そこにまで気が付かなかったのは幸いであったろう。
 久方ぶりだったのと、シンジの長身がそこまでは分からなかったに違いない。
 もしそこまで気付いていれば。
「葬儀屋の用意ね」
 シビウの言葉には、どこか冷ややかな響きがあった。
 
 
 
 
 
 すみれは夢の中にいた。
 本邸のベッドに臥せていたのだが、ふと手に暖かい物を感じたのだ。
「…お母様!?」
 トップスターだった母雛子は、女優としてはすみれの憧れであったが、その反面彼女を構うことはほとんどなかった。
 雛子が引退したのは、すみれが女神館に来た後であり、触れ合いが無かったのは当然と言えるかも知れない。
 決して、幸とは呼べぬ物であるが。
「もう大丈夫よ」
 手を柔らかく、そっと雛子は包み込んだ。
「お、おかあさま…」
 すみれの両目から、ぽろぽろと涙が落ちる。
「どうしたの、そんな子供みたいに」
「わ、わたくしは…わたくしは…」
 わっと、声を上げてすみれは母に泣きついていた。
 声を上げて泣く娘の背中を、雛子はやさしく撫でた。
 一頻り泣いた娘に、母はうっすらと笑った。
「もう、大丈夫ねあなたは」
「え?」
「泣くことも出来るし、ちゃんと暖かい涙も持っている。もう、私がいなくても大丈夫よ」
 そう言うと、そっとすみれを横たえた。
 すっと立ち上がった母に、すみれは慌てて手を伸ばした。
 また…また、置いて行かれると思ったのだ。
「お、お母様っ!」
 だが、離れた手はもう届かず、その後ろ姿はみるみる遠くなっていく。
「い、いや…いやいや…いやああっ!!」
 叫んだ瞬間、鈍い衝撃がした。 
「…?」
 ぼんやりと目を開けたすみれだが、事態がまだよく分かっていない。
 無論、がばと跳ね起きて、シンジにぶつかった事などは。
 一方シンジの方が胸を押さえているのは、手を取って治療中、いきなり涙を流してぎゅっと手を握ってきたと思ったら、突如跳ね起きたのだ。
 既に治療はほぼ済んでいるが、まさかぶつかってくるなどとは、さすがのシンジも想定していなかった。
「起きたかな」
 その声に、やっとすみれが事態を認識したらしい。
 一瞬息を呑んだが、それでも大声を上げるような真似はしなかった。
「な…何の真似ですの、碇さん」
「治療」
「は?」
 聞き返した時、シンジの手を握っている自分に気が付き、慌てて離そうとした。
 が、離れない。
「なっ!?」
 よく見ると、シンジの手に爪が食い込んでいる。
「ご、ごめんなさ−」
 言いかけたすみれに、
「ご母堂の夢を見たか」
 シンジは優しい声で言った。
「ど、どうしてそれを…」
「女優、と言うのは優れた女と書く。もっとも妻と母は、必ずしも両立しうる訳ではない。特に、ファンを優先して引退を遅らせるようでは」
 いいながら、ゆっくりとすみれの手を離していく。
 電気は点いていなかったが、月光だけでもシンジの手の甲に残る傷は、はっきりと見えた。
 さすがにすみれも、
「ご、ごめんなさい。すぐにてあ…え!?」
 すう、とシンジが反対側の手で撫でると、それはあっさりと消えたのだ。
 愕然としているすみれに、
「水治療の一種だ。神崎の熱も、それで治させてもらった。余計かとは思ったが、自己修復するとも思えなくてな」
「よ、余計ですわ。屋敷の者が来ましたのに」
「何時」
「え?」
「碇フユノが、俺に結界の波動を合わせた。大抵の、それも霊力を持った者はほとんどここへは入れない」
「ど、どういう事ですの」
 あれ、とシンジは入り口のドアを指差した。
「この部屋自体に、霊的結界が張ってある。神崎邸から来るとしたら、霊力を持った者だろう」
「?」
「どした?」
「…あなたは」
「破った」
 シンジがあっさりと言った瞬間、すみれの顔色が変わった。
 今まで、そう今までに一度もこの部屋は、無断侵入を許した事はない。
 レイが入ってくるのとは、根本的に意味が違うのだ。
 と、シンジが何を思ったか、
「主力にいつまでも、倒れられては困る」
「主力、ですって?」
「そう、主力だ」
 シンジは頷いて。
「神崎は知らないだろうが、昨日降魔が出た」
「何ですってっ!!」
 思わず叫んでから、口を押さえる。
 いきなり叫ばれて、シンジが耳を押さえたのだ。
 咳払いしてから、
「エヴァは心身双方が左右するから、熱を出している神崎を乗せる訳には行かない。と言うわけで、他のメンバーで撃退しておいた」
「そ、そんな…」
 初の実戦、そこに自分がいなかった事は、すみれに取っては大きなショックだったのだろう。
 が、俯いた所へ、
 ぴしっ。
「い、いたい。な、何をっ!」
 頬を弾かれ、眉をつり上げたすみれに、
「降魔が出現するのはこれで終わりじゃない。次もまだある、その事は忘れるな」
「…あ」
 次回に取り戻せばいい、シンジの言葉を感じ取ったのだ。
 もっとも、今回の戦闘内容をすべて見れば、自分がいなかった事をさして悔やみもするまい。
 いたら、もっとショックが大きかったかも知れない。
「それはそうと」
 空気を変えるかのようにシンジが言った。
「済まなかったな、神崎」
「え?」
「神崎すみれのプライドまでは思考に入れていなかった」
 自分の発熱の原因を、すっかり知られていると気付いて、すみれの顔がかーっと赤くなった。
「な、何を勘違いしていらっしゃるんですの」
「む?」
「わ、わたくしが勝手に風邪を引いただけで、あなたには何の関係もありませんわ。それを、わ、わざわざわたくしの部屋に勝手に侵入して…ひ、非常識ですわ」
「かもしれない」
 シンジは別に否定しなかった。
 この程度の反応は、むしろ十分に予測範囲内だったのだ。
「ま、まったく余計なことを…」
 俯いてぶつぶつ言っているのを聞いたら、間違いなく血相を変える者はそう少なくはないが。
「それだけ元気があれば大丈夫だな」
「なっ!」
 すみれが顔を上げた時にはもう、シンジはあっさりと身を翻していた。
 腰まで伸びた黒髪に、妖しく月光が色めいて散る。
「あ…」
「邪魔したな。そうそう、出入り口は俺が直しておくから。今夜一晩寝ていれば、明日の朝には完治する筈だから、薬飲んでちゃんと寝るように」
「薬?」
 常備薬は無いはずだと思いながら聞くと、
「枕元のスタンドに置いてある液体だ。風邪の治りかけなら、それ飲んで一晩すれば完治する代物だ。じゃ」
「ま、待って…」
 その背に声が掛かったのは、シンジがもう出口に足をかけた時であった。
「どうした?」
 シンジはゆっくりと振り向いた。
「ひ、一つだけ…教えて…」
「何か」
 シンジが頷いた時、その影が妙に伸びたのだが、無論すみれは気付かない。
「あの時…あの時のあなたなら…口惜しいけれど、目眩ましなどせずともわたくしを好きに出来たはず。それなのに…どうして?」
 何を言っているのか、シンジにはすぐ分かった。
 すみれと対峙した時、そう、確かにすみれの言うとおり、シンジの伎量ならすみれを蔓で操ることは、いや蔓に犯させる事さえ容易かったろう。
 無論シンジはそうはせず、しかもわざわざ煙幕もどきさえ張ったのだ。
「大した理由じゃないさ。ただ」
「ただ?」
「ここへ来る前、住人達が一枚岩ではないと聞いてきた。そしてそれが、エヴァに乗る者とそうでない者との間にある、と言うことも。あの時は細部までは知っていなかったからな。神崎が、見られたくないと思ったのさ」
「じゃ、じゃあそれだけの為にわざと」
「そうなるな」
 シンジは頷いた。
「昨日の晩、惣流を除いた他のメンバーと食事に行ってきた。至極仲は良かったよ。合わないのは、神崎と惣流だな」
「……」
 無言の肯定を見抜いたシンジは、
「来て早々、いきなり人間関係に触れるほど俺は物好きじゃない。ただ一つ言って置くと、仲の悪い相手にあんな様を見せたくはあるまい、そう思っただけだよ。おやすみ」
 ぱたん、と小さな音がしても、すみれは動かなかった。
 その手がゆっくりと動いてスタンドに伸びたのは、月が更に移動した頃である。
 手にしたコップからは、林檎の匂いがした。
 小さい時によく飲んだ、林檎をすり下ろしたそれの匂いが。
 少し躊躇ってから口を付け、
「おいしい…」
 ぽつりと呟くと、そのまま一気に飲み干す。
 空になったコップを見つめていたが、やがてその双眸から涙が流れ落ちた。
 それは…何を意味していたのか。
 
 
 
 
 
 さて翌朝、いつも通り一番先に起きたのは、さくらとマユミである。
 そして竹刀で練習をこなした後、これもいつも通りさくらが先に風呂に入った。
 やはり、一緒に入るのは気乗りしないらしい。
 続いてマユミが入ったのだが、マユミはそこで珍しい人物と出くわした。
「あらすみれさん?」
 眼鏡がないせいで、視界はぼんやりしている。
 多分そうだと声を掛けたが、
「おはよう、マユミさん」
「お、おはようございます」
(すみれさんがこんな時間に?)
 内心で首を傾げたがふと思いだし、
「あ、あの風邪はもう大丈夫ですか?」
 軽く頷くだけかと思っていたが、
「ええ、もう大丈夫よ」
 珍しくちゃんと返ってきた。
 しかも、
「いいお薬を頂いたから」
 補足まで付いてきたのには、さすがのマユミも度肝を抜かれた。
(え!?)
 お薬を頂いた、すみれがそう言った時、声の調子が僅かに変わったのをマユミは感じていた。
 とは言えそれも、同じ女でなければ分からなかったかもしれない。
 先に上がったマユミだが、首を捻っていたせいで、脱衣所の壁とキスする羽目となった。
 
 
「おはようございます、碇さん」
「ん、おはよう」
「おはよう、おにいちゃん」
「はいおはよう」
 ふああ、と降りてきたシンジだが、睡眠時間はメンバー中一番少ない。
 無論、普通に起きて普通に寝ただけなのだが。
 すみれの部屋は十秒も経たずに戻ったし、部屋に戻ったらいつも通り、フェンリルを枕にして眠ったのだが、一般人のそれよりはかなり濃いと言えるかも知れない。
「今日からは全員学校でしょ。遅刻しないようにちゃんと…おや?」
 見回すと人数が足りない。
「惣流は」
「アスカはいつも遅いからいいんだよ。どうせ低気圧なんだから」
 レイの言葉に、
「颱風?」
 シンジが訊くと、レイはけたけたと笑った。
「あはっ、それ言えてるう。朝起こすとね、大抵爆発するんだから」
「で、誰が起こしてるんだ」
「ボクだよ。ま、いつも一番遅いから、もうじき来るんじゃ」
 言いかけた所へ、すみれが姿を見せた。
「あ、すみれちゃんおはよ」
「おはよう」
「すみれさん、おはようございます」
「おはよう」
 見ていると、やはりレイが一番気安い。
 ちゃん付けで呼んでいるのはレイだけであり、アイリスも名前で呼んでいるが、これは文化習慣だろう。
 とは言え、
(俺まで“ちゃん”はたまらんぞ)
 レイに禁止令を出そうと決心したとき、誰かが前に立った。
「ん?ああ、神崎」
 他の住人達は、無論昨夜の事など知らないし、すみれがほぼ粉砕された所しか知らない。
 どうなるかと固唾を飲んでいたから、
「お、おはようございます碇さん」
(は!?)
 全員が仰天した。
 シンジの方は、別段動じる事もなく、
「おはよう、神崎」
 返したが、
「それ、結構ですわ」
「ん?」
「わたくしのこと、名字で呼ぶのは他にいませんの。で、ですから…な、名前でよろしくてよ」
 確かにすみれの言うとおり、すみれを名字で呼ぶのは他にいない。
 アスカくらいのものである。
 さくらの例があるから、
「そ、わかった」
 あっさりと頷いた。
 が、この時すみれの表情に微妙に変化があったのに、気付いた者がいた。
 レイである。
(ふーん、何かあったんだ)
 一人気付いたのは、本来気付きそうな−アイリスとさくらは呆然としていたから。
 ただし、ここで爆弾を投下するのは避けた。
 改善されたならそれでいいや、と納得したのである。そして勿論−二人から袋だたきにはされたくなかったから。
 ちょうどそこへ、アスカが顔を見せた。
 シンジの姿を見つけると、これは最初に声を掛けた。
 ただし、
「おはよ、優等生」
 微妙に棘が感じられるものではあったが。
「はいはい、おはよう」
 シンジが返した時、食堂内が固まっているのに気が付いた。
「あれ?みんなどうしたのよ」
 特に彫像になっているのがさくらだったが、
「いや、何でもない。それよりご飯が冷える。早くしないと遅刻するよ」
 シンジの言葉に、呪縛が解けたかのように一斉に席に着いた。 
「『いただきます』」
 声が揃っているのは、フユノの方針が行き届いていたためだ。
 食事は全員で、と言うのはシンジも聞いている。
 朝食を終えて、全員が学校に向かったのを、
「行ってらっしゃ〜い」
 シンジはヒラヒラと手を振って見送った。
 その後、ゆっくりと自分の左手を見た。
 何故か髪の長い少女に、すれ違いざまぎゅうっと抓られた腕のそこを。
「推定無罪」
 奇怪な事を呟くと、温泉に浸かるべくふらりと歩き出した。
 
 
 
 
 
(つづく)

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