妖華−女神館の住人達
 
 
 
 
 
第二十三話:慢心の産物…シンジの離脱…
 
   
 
 
 
「姉貴に一つ訊きたい事がある」
 シンジがミサトを見て、
「どうしてそう、いつもいつも間が悪いの?」
「し、しようがないじゃない、さっき病院から電話があったんだから」
 そう言ってつかつかとシンジの前に歩いていくと、右手を振り上げた。
 パン、と小さな音がかすみの頬で鳴った。
「御前様からの伝言よ。シンジに手出しは、断じて許さぬと」
 ほとんど力も入れていないし、軽く叩いた程度だったが、それでもかすみは唇を噛んで俯いた。
「どうして…どうしてそこまで…」
 わずかにミサトの眉が上がり、
「あんたに、そこまで大事に出来る人がいないからよ。自分のすべてを賭してもいいと思うくらい、大事な人が出来たら分かるわよ」
 が、それを聞いてシンジが、
「ちょっと待て」
 異議を唱えた。
「姉さんにそんなのいたっけ?」
 あなたよ、と目で熱っぽく囁きながら、迫ってくるそれを見て、さっとシンジは身を引いた。
「弟のくせに姉に逆らうつもり?」
「姉のくせに弟に迫るの?」
「勿論」
 断言したミサトは放って置いて、
「藤井」
 と、これは幾分優しげな声で呼んだ。
「…はい」
「今回は、見逃しておく。寝ている婆さんにも言わないで置くさ」
「え…?」
「もし知れたら、金輪際口は利いてくれなくなるぞ」
 すっと顔色を青ざめさせた所へ、
「そんなんじゃなくて、来世まで縁は切られるわよ」
 ミサトの言葉に、
「だ、そうだ」
 と頷いて、
「別に、年取ったからさっさとあの世に送ってやろう、と思った訳じゃないぞ」
「じゃ、どうしてなの」
 不意に、違う声が割り込んだ。
 振り返ると、これも顔を強ばらせたあやめとかえでが。
 ただし、さくらとマユミは幾分事情が分かっている。
「あ、あのあやめさんっ」
 さくらが口を挟んだのへ、シンジはすっと手を上げて制した。
「いい」
 それだけで、絶対の意志を感じてさくらは口を押さえた。
「何か、勘違いしているようだな」
 かすみを呼んだ時とは違い、明らかに冷ややかな声でシンジは言った。
「碇フユノが俺の手に掛かったとして、お前さん達に何の関係がある?」
 視線は普段のままだが、それでも彼等を呪縛するには十分であった。
 硬直したが、かろうじてかえでが、
「あ、あるわ」
「ほう」
「ご、御前様に何かあったら、女神館の住人をどうやってまとめていくつもりなの?それに、歌劇団としての全員が集まったのも、御前様に惹かれての者達ばかりなのよ。何よりも、学園の運営はどうするつもり」
 だがそれを聞いてもシンジは、
「さて」
 と言ったのみである。
「なんですって…」
 言いかけた所へ、
「無用な事だ」
 とこれは、静よりも動に近い、やや危険な声がした。
 フェンリルである。
「フユノはもう、学園運営ならマスターに任せる気でいる。それと訊くが、なぜマスターを管理人なんかにしたと思ってるんだ?一度シビウ病院の地下で、脳ごと取り替えた方が良さそうだな」
「なっ!?」
 思わず顔色が変わった所へ、
「本来なら特別料金だけど、シンジの側におかしな物も置いておけないし、今なら無料でお引き受けするわ」
 冗談みたいな台詞だが、内容は鋼の刃そのものである。
「ちょっと待て、尋問されたのは俺だぞ。勝手に出番を取るなっての」
 抗議したシンジに、
「あら、失礼」
 シビウが口元に妖しく笑みを乗せた所で、
「歌劇団の運営は、実質的な利益として換算されてはいないはずだな。それと、その本職は華撃団としてのそれであって、芝居がメインじゃない。だが」
 一旦言葉を切ったのは、珍しく迷ったものか。
「俺などはいいとして、ドクターシビウとそれにフェンリル、この二つの名前を削除したら、今日の戦闘はどうなっていた?」
 やや、穏やかな声で訊ねた。
 怒るのも、面倒だと思ったのかも知れない。
 実際シンジは触れなかったが、もしもシンジがその気になって学園を見る事にでもなれば、シビウ病院にも優秀すぎる位の税務担当がいるのだし、内調の方とて、そのまま放っておく事はあり得ない。
 言い方を変えれば、シンジがお山の大将となって、頂点にふんぞり返っていても問題ない物は、十分出来るのだ。
 それに何よりも、シンジにシビウ、それにフェンリルがいなかったら、今回の戦闘の結果など目に見えている。
 だいたい、ミロクが撤退したのは、ひとえにシンジがいたからであり、いなければ無論撤退などしていない。
 いなかったらどうなるか?
 ミロクにたどり着く前、すなわち銀角の群を相手にして、全員が枕を並べて討ち死にである。
 いや、アスカ達はその前に、脇侍の群に囲まれて袋叩きに遭っていただろう。
 図星を突かれて、
「そ、それは…」
 かえでが言い淀んだ時、
「シンジがなくば、全員が討ち死にしておるであろうが」
 不意に声がした。
「『ご、御前様っ!?』」
 全員の視線が、一斉にそっちを向いた。
 ちょうどそこには、車椅子に乗ったフユノが赤木リツコに押させて、やって来る所であった。
 シビウ病院を脱走した、訳でも無いだろうが、その服は入院用の衣服のままであり、普段のフユノからは考えられない。
 もっとも、シビウ病院に患者として入り、脱走出来た者は今だかつていない。
 ただ一人を除いては。
 きいきいと、シンジの所まで車椅子がやってきた所で、
「集中治療室で全身包帯じゃなかったのか」
 シンジの言葉に、
「院長がね、この婆の願いは叶えてくれないそうだよ」
 どこか、影薄くフユノが笑った所へ、
「シンジに送られる事を願い、しかもそれを叶えるなど、この私の名において許せないのよ」
 医師の物らしい、そしてもっとも医師らしくない言葉であった。
「ふーん。でも妙だな」
「何がかしら?」
「ちょこまか出来るような力は残して無いはずだが」
「その通りよ。きっと、どこかのお節介焼きな人が手を出したのよ」
「まったく、迷惑な話だ」 
 この場にいた者達は、少なくともあやめとかえでは、かすみの言葉を完全に信じ切ってはいなかった。
 と言うよりも、碇フユノの名を冠する者に、手出し出来る者がいるとは、まして殺さんとする者がいるなどとは、想像も出来なかったのだ。
 だが今、フユノの状態はそれをはっきりと物語っている。
 でなければ、どうしてあのフユノが車椅子でなど、それも他人に押させてまで来るものか。
 だが、
「ドクターの言われる通りだよ。まったく、こんな所まで醜態を晒しに来なきゃならないなんてねえ」
 ぼやいているようだが、言葉とは裏腹に、研ぎ澄まされた矢のような視線は、あやめとかえでを射抜いている。
「ご、御前さ…」
 言いかけた所へ、
「あやめとかえで、それにかすみ。お前達、シンジに随分と面白い真似をしているようじゃあないか」
 静かな声だが、まるで落雷のように、それは三人を瞬時に硬直させた。
「いつから孫に、あたしの孫に手出しできるほど、偉くなったんだい」
 これはやばい、と瞬時にシンジは知った。
 本来フユノは、自分の事を儂と呼ぶ。
 だがその呼称が変わった時、それは烈火の激怒を指しているのだ。
 ただし。
 シンジは自分に向けられたそれを見た事は、今までに一度もないが。
 無力な筈だが、その腕が伸びた途端、あやめとかえでは吹っ飛んでいた。
 数メートルあまりも吹っ飛び、受け身も取れずにベンチに背中から激突する。
 老いてなお、の言葉を痛感させるフユノの伎であった。
 がしかし、
「三ヶ月くらい、ベッドの上で反省おし」
 二撃目を繰り出そうとしたそこへ、
「車椅子に乗ったまま凄むなっつの鬱陶しいから」
「…シンジ?」
「棺桶に片足突っ込みながら来ないでもらおう、迷惑だ」
 邪魔だ、と言わんばかりの台詞に、フユノの顔が悲しげに歪んだが、その原因を知っているのはさくらとマユミだけである。
「誰も来いなんて言ってないだろうが」
「頼まれてからしか来ないようでは、さっさとあの世に行ったほうがましだよ。かすみの表情がおかしいと訊いて、ミサトを行かせたがどうも気になってね」
「間に合わなかったぞ」
「だと思ったよ」
 ミサトに視線を向けたがすぐ戻し、
「いいかいお前達、よく訊いておおき。シンジが儂に何をしようと、お前達の知った事じゃない。二度と、いや金輪際シンジへの手出しは許さないよ。もしするなら儂を、この碇フユノを敵に回すと知って置くんだね」
  宣言したのはいいが、その上体が力を喪ってぐらりとよろめく。
「御前様っ」
 周囲が血相を変えて走り寄ろうとするのを、
「騒ぐでない」
 視線だけで止めた。
 そして黙って見物していた一人、孫を見ると、
「シンジ」
「何でしょうか」
 他人行儀な返答に、フユノの顔に悲しげな色は隠しきれず、
「愚かな婆のした事…許しておくれでないかい」
「いやだね」
 シンジはあっさりと、そして冷たく拒絶した。
「……そうかい」
 項垂れたフユノなど、誰が今までに見たろうか。
 しかし、誰も口出しすることが出来ない。
 いや、したくともシンジの雰囲気がそれを拒んでいるのだ。
「ね、さくら」
「何?」
 ふとレイが、さくらをつついた。
「シンちゃんに何したの?」
「自分で訊きなさい」
 さくらがつつき返した時、
「そんな下らん用事ならもう帰ってもらおう。いても邪魔だ」
 一体何があったというのか、重苦しい気が支配しかけた時、
「マスター、もうその辺でよろしいでしょう」
「『え?』」
 普段は、どっちが偉いのか分からないような言葉遣いのフェンリルが、突然そんな事を言いだしたもので、周囲は思わず度肝を抜かれたが、
「あ?」
 ギヌロ、と見たシンジに、
「学園の手伝いなど、わたくしもまだ面倒です。時間が随分と減ってしまいます」
「それが本音か。シビウ、お前は」
「濃密な診療の時間が無くなるわ。面倒な事は老体に任せておきなさい」
 すぐには言葉を返さなかったが、ややあってから、
「よかろう」
 それを聞いて全員が思わず安堵したが、どうしてと自分に訊いたのは、数秒後の事である。
 ただし、
「言っとくが次はない、それだけは忘れるな」
 その台詞だけ、どこか羅刹にも似た口調に変わり、その場にいた者達全員の背に、寒い物が走った。
「分かっている…憶えておくよ…シンジ」
 金剛石に刻み込むような口調でフユノは言った。
 肩越しに後ろを見ると、
「悪いけれど、また頼むよ」
「お任せ下さい」
 軽く頷いてシンジを見ると、
「館にはマヤを行かせたわ。あれでも機械警備くらいなら出来るから」
「面倒掛けたね」
「いいのよ、その位なら。じゃ、私はこれで」
 また車椅子を押させて去っていくそれを見ながら、
「動けないようにしておいたのに、誰が余計な事をしたのかしら」
 シビウが行ったのへ、
「そう言えばそうだ」
 そう言いながら、視線はある所を見ている。
 すなわち、自分の姉を。
「あ、あの場合仕方なかったのよ」
「仕方ない?やむなし?相変わらず救いようもない言い訳だな」
 ばっさりと斬ったシンジに、
「放っておいたら、あの二人も絶対に納得しないでしょ。あたしは平和主義者なんだから」
「平和主義者って、ナニ?」
 聞いた事もないと言うような顔で首を傾げたが、
「まあいいや。で、あの二人どうすんの?いや、プラス1は」
「私に任せて」
 姉がこう言う時、昔からろくな事にならなかったのを、シンジはよく知っている。
 
 
「これにはね、アラジンの精が入っているのよ。願い事が叶うから、蓋を開けてごらんなさい」
 半強制を伴った猫撫で声に、シンジが壺を開けた時。
「コノウラミハラサデオクベキカ」
 男に貢ぐだけ貢がされて、挙げ句の果てに殺されて捨てられて埋められた女の霊が、中からどろどろと出てきた。
 しかも、
「あら?きれいな顔してるじゃない」
 と気に入られ、もう少しで取り憑かれる所だった。
  
 
「依頼受けるの面倒だな」
 報酬は二千万の仕事だったが、夜更かしでシンジが寝坊した時。
「じゃ、お姉さまが行ってあげるわよ、任せなさい」
 朝っぱらから下着一枚でやって来て、胸をぶるん、と揺らして出かけたのはいいが、
「若大将、申し訳ありませんがご出馬を」
 除霊するはずの霊と喧嘩して、結界を壊してしまった姉。
 取り憑かれた依頼者の娘と、上下になって大喧嘩していた情景を、今もシンジは忘れていない。
 
 
「めちゃくちゃにしてあげる、の間違いじゃないのか」
 口の中で呟いた時、
「で、あんた達どうするつもりなの」
 フユノがまったく手加減しなかったらしく、したたかに打ち付けて呻いている二人の前に、腰に手を当てて立った。
「ミ、ミサトさん…」
「これ以上異論があるなら、私が聞くわよ」
 こんな時だけ、ミサトは妙な迫力を見せる。
 抵抗するかな、と思ったら、
「『ごめんなさい』」
 揃って頭を下げた。
「私に言ってもしかた無いでしょ、誰に謝ってるのよ」
 腰を押さえながら二人がやってきて、
「『あの…ごめんなさい』」
 同時に頭を下げたのを、シンジは黙ってみていた。
「別にいいよ」
 シンジは穏やかに言った。
 だが、それを聞いた瞬間ミサトの顔色が激しく変わった。
 自分の弟がこんな風に物を言う時、それが何を意味しているのか、ミサトはよく知っていたからだ。
 ほっとして顔を上げた二人に、
「金輪際、俺は帝都の防衛とやらには手を出さない。せっかく優秀な指揮官がいるんだから、俺などが出る幕でもないだろう」
「『なっ!?』」
 これには、二人よりもむしろさくら達の方が、愕然となって顔色を変えた。
 シンジがいなくなる、それが何を意味してるのか、今日一日だけでいやと言うほど分かった二人だったのだ。
 そしてそれは、シンジのブレスレットに助けられたレイもまた、同様であった。
 ただし、顔色も変えず、平然としているのが二人いたが。
 その片割れに向かってシンジが、
「フェンリル、明日にでも出国する。今日のうちに用意しておけ。それとシビウ」
「なに?」
 と、どこか嬉しそうにすらその声は聞こえた。
「下らん事に時間を食った、付き合わせて悪かったな」
「想い人なら当然よ」
「四川省へ行って極細麺の捜索再開だ。お前の所、院長無しでもスタッフはしっかりしていたな。一緒に来るか?」
 にこり、とシビウは微笑んだ。
「お招き、喜んでお受けするわ」
「なら決まりだ。シビウ、パスポートは三人分、偽造して置いてくれ」
 とんでもない事を言いだしたが、
「三十分あればできるわ。さっき預かった患者だけ、完全治療の手配をして置くわ」
 レニの事であろう。
「それでいい」
 頷いて、
「フェンリル、シビウ、行くよ」
 この二人を名前で呼び捨てるなど、他に誰が出来よう。
 そして、この二人が唯々諾々として従うのもまた、他に誰がいると言うのだ?
 世にも美しい美女を二人左右にして、さっさと歩きだそうとした所へ、呆然としていたさくらとマユミが、必死の面もちでその前に立ちふさがった。
「何?」
「ま、ま、待って下さいっ」
「なあに?」
 シンジの黒瞳に見つめられ、さくらの頬が思わず赤くなる。
「さくら」
 優しい声に、
「は、はい…」
「悪いが俺は、他人の家庭に口を出す連中と付き合う気はない。それに何よりも」
「え?」
「帝都の存亡など、俺の知った事ではない」
 降魔相手に屍の山を築いた者の台詞には、到底聞こえないのだが、ミサトには分かっていた。
 弟の言葉が、強がりでもなんでも無いことを。
 見方を変えれば、あやめ達姉妹が自分を受け入れず、そして彼女たちが指揮官である以上、自分が身を引いたとも言える。
 だが、実際には単に面倒になっただけなのだ。
 指揮など無くとも、優秀な指揮官と優れた兵士も兼ねているシンジに取って、余計な指示などは不要である。
 むしろ、シンジに全指揮を任せた方が、よほど効果は期待出来る。
 スポーツ界などでは、優秀な選手が名監督には繋がらない事がしばしばあるが、シンジに限って言えば、それは当てはまらない。
 それに今、シンジにこの帝都を去られたらどうなるか−
 女神館の結界を見れば、主が去った事はすぐ分かる。
 その時にミロクなどが、銀角を大量に伴って攻め込んできたら。
 いや、その前に脇侍だけでも十分帝都は半壊出来る。
 何よりも、ミロクはこう言ったではないか。
「あの方も来ておられる」
 と。
 すなわち、ミロクよりも更に高位のボスがいると、はっきり告げたのだ。
 確かに脇侍なら、あやめ達が何体か捕獲し得た。
 しかしながら、あやめとかえでが脇侍を捕獲し得たのも、ミサトの力が多分にあったからなのだ。
 それがなければ、捕獲するなど到底なしえなかったろう。
「い、碇さんそんな…」
 さくらの目から、涙がこぼれ落ち、
「お、お願いです、行かないで下さいっ」
 必死にマユミがシンジの袖を掴んだ。
「山岸?ああ、それなら問題はない」
「…は?」
「シビウは少ししたら戻すから。その時はちゃ−」
「違いますっ!」
 シビウの事だと思ったが、思いがけない声量でマユミは否定した。
「違うの?」
「違いますっ!あ、あなたは…い、碇さんは帝都に取って、そして私達にも必要なんですっ。碇さん言ったじゃないですか、ちゃんと勉強も見てやるって」
「それなら姉貴でも足りるし、そこの姉妹でも十分だ」
「嫌ですっ!!」
「……」
 別の大音量に、シンジが片耳を抑えた。
「碇さんじゃなきゃ…碇さんじゃなきゃやですっ」
「…さくら?」
 ぎゅうっと服にしがみついて来たそれに、シビウの手が動く。
 だが、引き離さんとしたそれへ、シンジは首を振った。
「山岸」
「はい?」
「悪いが、ブレスレット返せ」
「は、はい…」
 言われるまま、銀のそれをシンジに渡す。
 それを受け取ると、
「さくら、手出して」
 さくらの手を取ると、そこにブレスレットを着けさせた。
「んんっ」
 それがはまった途端、体中が熱くなり、思わずさくらは小さく喘いだ。
「こ、これは…」
「俺のブレスレットだ。市販の物で仕組みは不明だが、俺の霊力がかなり蓄積されたから、力はだいぶ増える筈だ。とりあえずこれで、銀角位なら残骸の山を築ける」
「ま、まさかっ」
 餞別と悟り、涙で濡れた顔を上げたさくらに、
「さくら、元気でね」
 そっと反対の腕も離すと、それは力無く地に落ちた。
 一瞬後ろを振り返り、
「綾波、水盾を後数分継続して放てれば、十分戦力にはなるよ。もっと自分に自信持っていいさ」
「シンちゃんのばか…に、逃げ出すなん…」
 これもぼろぼろ泣いており、言葉が出てこない。
「ミサト、俺の部屋は完全閉鎖して置いて」
 掃除、とシンジは言わなかった。
 閉鎖、と告げたその心中には何があるのか。
「さて、行くか」
 再度歩き出した背後で、
「い、いやあーっ!!」
 さくらが泣き崩れたのを耳にしても、その足取りは止まらない。
 シンジの長身が、二人の美女を共にして、暗闇の中へ消えていく。
 残ったのは嗚咽の声と、どす黒く落ちた沈黙であった。
 自分たちの行動が何をもたらしたのか、あやめとかえでは今だ分かっていない。
 呆然と立ちつくす二人の耳に、低い呪詛が聞こえたのは、まもなくの事である。
「…さない…るさない…くも…よくも碇さんを…」
 ゆっくりと上がったさくらの顔、その双眸は深紅に彩られていた。
「よくも碇さんをっ!」
 シンジの腕輪は、その者のキャパシティも関係するが、圧倒的な力を与える。
 そして運悪くさくらは、膨大な容量の持ち主であった。
 文字通り、火のような烈気を帯びた荒鷹を引き抜くと、呆然としているあやめとかえでに、殆ど構えもせずに斬りかかった。
  
 
 
 
 
(つづく)

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