妖華−女神館の住人達
第二十話:真打ちは遅れてやって来る
「ん?」
シンジを背にしたフェンリルだが、あまり急いでもいない。
と言うより、途中から速度を落としたのだ。
その気になれば、シンジを積んだままでも二百メートルを十秒以内で走る能力は持っているが、シンジが途中で止めた。
「ちゃんと教育は出来てるみたいだな」
二人の視界には、次々と誘導されていく区民が映っており、その先は東京学園のグランドだろう。
「避難訓練くらい、少しやれば出来るさ。それよりマスター」
「なに?」
「脇侍の出現、妙だと思わないか」
「遊びだろ。或いは偵察か」
シンジはあっさりと言った。
帝都に出現、と言うよりこの新宿に出現する事の意味は、二人とも分かっている。
魔気を糧とする降魔達に取っては、この新宿を押さえてしまえば、文字通り無敵になれるだろう。
溢れるほどのそれが、この新宿には満ちているのだから。
だがそれにしては、随分とあっさりした出現である。
シンジ一人、加えてフェンリルまでいるとなれば、脇侍クラスなど一万いても足りはすまい。
一騎当千、どころか文字通りの万に値する彼らであり、今回はあまりにも微量な戦力であった。
ただし。
フェンリルの背に乗ってここへ来るまでに、数体の脇侍が倒されているのを見た。
学園の生徒が倒した物だが、いずれも十人掛かりで一体を倒している。
アスカ、それにレイも脇侍相手に決して余裕ではなかった。
その事は、シンジの力を試すと言ったあやめが、脇侍を一体しか出さなかった事でも分かる。
フユノからシンジの能力を聞いてなお、一体しか出さなかったのだ。
人外のフェンリルはともかくシンジは、到底常人ならぬ戦闘力と言える。
「大体、避難しか出来なくてどうするんだ」
「まあそう言うなってば。あれでも、その辺の一般人よりは強いんだから」
庇うように言ったシンジに、
「お前、もう少し楽しめるって言ってなかったか?」
「それなら大丈夫だよ、きっと」
あまり自信がなさそうな口調に、
「嘘だったらあたしの性奴にしてやるからな」
犯してやるぞ、と脅したフェンリル。
これでは、どっちが偉いのか分からない。
「その割には乳首、敏感すぎない?」
からかうような口調に、
「くっ」
にいっと、邪悪に笑ったシンジだが、
「?」
フェンリルの足がこれも止まった。
「マスター、飛ばすぞ」
「任せた」
二人の感覚は、同時にある物を捉えたのだ。
今までは明らかに違う、数倍は強い妖気を感知したのである。
フェンリルが大きく地を蹴った瞬間、シンジの髪が後ろになびいた。
だが掴む事はなく、軽くその背に手を置いたままで、二人は一陣の風のように駆け抜けていった。
妖気を察知した方向、すなわち戸山町の方向へと。
「少し、落ち着いて来たかしら」
愛刀の水月を持った腕を、ぶるんぶるんと振り回したマユミ。
シンジがレイに渡したブレスレットは、マユミにはあまりにも強い刺激であった。
体中が火照るような気の充実に、刀ごと人斬り包丁と化したマユミは、既に三十五体を片づけていた。
それも、すべて片手討ちで。
それがどの位の数字かというと、アスカは十体を少し超えた段階で息切れ、ブレスレットを着けたレイは、二十体まで行かず息切れ。
その二人を足した数を超えているにもかかわらず、マユミにはまったく疲れた様子がない。
と言うよりも、火照る躰がやっと少し静まったような感じにさえ見える。
ふう、と息をついて胸をおさえたが、その頬が妙に赤く見えるのが、その証拠かも知れない。
「さて、準備運動は終わったわ。本番、行きます」
ゆっくりと刀を青眼に構えたマユミを見て、
「あ、あれ準備運動だったの?」
「マユちゃんって…刀持つと性格変わるタイプ?」
ひそひそ囁いていた二人だが、すでに残った脇侍は十体もいない。
準備運動で、マユミがざくざく斬りすぎてしまったのだ。
妖気が滴るような刀を横に構えた時、
「あら?」
仲間が倒されても、まったく怯む事なく掛かってきていた脇侍達が、一斉にその方向を変えたのだ。
まるで、誰かに呼ばれたかのように。
「ちょ、ちょっと私はこちらです。よそ見をしている場合じゃ…!?」
ぴくっとマユミの眉が上がった次の瞬間、脇侍達は一斉に走り出したのだ。
「『あ、あれ?』」
三人が呆然として眺める中、仲間の残骸を残して脇侍達はすたすたと走っていく。
「ど、どこへ…?」
「あ、あたしが知るはず無いでしょ」
「シンちゃんがハーメルンの笛でも吹いたのかな」
三者三様の反応だが、ハーメルンの笛とは、ヨーロッパのある都市に現れた変な度の男が、子供を集めるのに使った笛とされている。
ただ、元は大量発生したネズミを、領主の依頼により笛で集めて海に落としたが、処女百人の礼をすると約束したのに、あっさりと反古にしたからとも言われている。
が、若い子供達に絞ったのは、その性癖に因る物かは分からない。
とまれ、奇怪な現象に呆然としていた三人だが、脇侍達の目指した先がシンジ達と同じ、すなわち戸山公園である事は知らない。
そしてそれが、アイリスが機銃の引き金を引いたのと同時である事などは。
しかし数秒後、
「あれ、撤退したと思う?」
ふと呟いたアスカの言葉に、
「それはないよ、絶対に」
「多分、どこかへ集結したのでは」
「じゃ、どこへ…」
三人で揃って首を傾げていたが、
「レイちゃん、電話持ってる?」
「え?あるよ、はい」
携帯を取りだして渡してから、
「どうするの?」
「ミサトさんに電話して聞いてみるの。何かあったかも知れないから」
言いながらボタンを押し、耳に当てた。
「あ、もしもし、マユミです。あの今…え?戸山町?分かりました、すぐ向かいます」
電話を切ったマユミに、
「マユミ、戸山町って何?」
「エヴァを二体、戸山町に向けたからすぐ向かうようにって」
「どう言う事」
「え?」
「エヴァは三体出撃可能でしょ、どうして二体なのよ」
「なんでも、すみれさんが高熱出して寝込んでるって」
それを聞いて、アスカはふんっと嗤った。
「あの高慢ちき女でも風邪引くのね。いいわ、行きましょ。アイリスとさくらじゃ不安だしね」
アスカの言葉を聞いて、
「すみれさんには悪いけど、熱出していて助かったかしら」
ふと考えてしまったマユミだが、無論口にはしない。
「でもアスカ」
「何よ」
「マユちゃんならともかく、ボク達が行っても足手まといになるんだけなんじゃ…いったーい!」
「あんたバカァ?このアスカ様が行けば、百人力に決まってるじゃない。ほら、マユミもさっさと行くわよ」
アスカがリーダーモードに入ると、口出しは無用である。
と言うよりも危険なのだ。
「そうね、そうしましょう。さ、レイちゃんも」
「う、うん」
うー、と頭をおさえていたが、ここは応援に向かうことに決めた。
今度仕返ししてやる、と思ったかどうかは不明だが。
だが応援だ、と気軽に決めた彼らだが、脇侍が方向転換したのはまさに、アイリス達が公園に突入した直後だったのだ。
彼らが手こずった脇侍、その十倍以上の力を持つ銀角が、列をなして待ち受けるその真ん中へと。
「駄目、効いてない」
シンジはエヴァの仕様書を見て、マヤに幾つか注文を出したが、まだその手は入っていない。
つまり、アイリスが撃ちまくっている機銃は、改善前なのだ。
とは言え、弾丸も普通の物ではないし、降魔用に呪文が刻まれている。
一般の人間が直撃すれば、場所は問わず卒倒するし、魔の属性を持った者には一層の効果を発揮する…筈であった。
だが今、銃口から吐き出される弾丸は、ことごとく空を切っていた。
アイリスの腕が悪いのだ、と一概に決めつける訳に行かないのは、その汎用性にも問題があるからだ。
マヤがシンジに言った通り、エヴァの機体は花組のメンバーが誰でも、そしてどれに乗っても使えるようになっているのだ。
内蔵電源式だが、各人の霊力を変換することで、かなり長時間の稼働が可能である。
例えばシンジが乗った場合。
おそらくは、いや間違いなくほぼ無限に動くだろう。
ただし、霊力で動かすことになると、個人の波長に合わせるか、或いは霊力であれば種類を問わない物とするか。
マヤがフユノに進言して、汎用タイプのそれにしたのだが、実はナオコが設計した時点では個別型になっていたのだ。
利便性を重視したことと、もう一点はアイリスの能力にあった。
個人戦闘なら、銀角の数体くらい宙に持ち上げてぶつけるのは、さして難しい事でもない。
だがエヴァに搭乗してとなると、その能力は大幅に落ちる。
つまり、そのまま直には伝わってくれないのだ。
結局武器に頼る事になるが、さくらの日本刀、またすみれも薙刀を得手とするが、アイリスにはそれがない。
銃とて、決して得意な範疇ではないのだ。
ガチンと音がして、強い衝撃が機体に伝わる。
銃弾が尽きたのだ。
今アイリス操る参号機が持っている機銃は、ベレッタM1918SMG−欧州大戦末期に使われたそれを模した物となっている。
やや古い型のそれだが、銃口の下には折り畳み式の銃剣を装備しており、レバー一つで飛び出すようになっている。
ただの銃だけでは、弾丸が尽きた途端、ぶん殴るだけの棍棒と変わらなくなるのだ。
しかも折れるのを気にせずに済む棒に対して、過度な衝撃を機銃に与える訳には行かない。
銃弾発射の衝撃とは、訳が違うのだ。
ところで、銃剣式の物なら日本にもあるが、あえてイタリアにしたのは、イタリアに憧れたからではなくアイリス絡みなのだ。
そう、彼女の実家のシャトーブリアン家絡みの。
ただし、このことを知っているのはフユノを含めて数名しかおらず、花組のメンバー達は皆、ナオコの部屋にベレッタ社の拳銃が、大量にコレクションされているせいだと思っている。
つまり、ナオコの個人的な好みのせいだと。
咄嗟にレバーを引いて長い刃を露出させた途端、長い腕を伸ばして一体の銀角が襲い掛かってきた。
まるで、弾が尽きたと察したかのように。
「きゃあっ」
咄嗟に後ろへ転がりながら、大きく横に薙ぐと、奇怪な指が数本地に落ちた。
それだけである。
「駄目、これじゃ…」
だが、
「俺に同じ事を二度言わせるな」
極地の冬夜にも似たシンジの言葉は、アイリスから退却の言葉を喪わせていた。
嫌われたに違いない、そう思いこんだのだ。
「絶対に…引かないもん」
そう言いきったアイリスだが、見る者がいればこう言ったに違いない。
「死の匂いが漂っている」
と。
立ち上がるのと、二体が左右から迫るのとが同時であった。
(どっち?)
一瞬の迷いは、そのまま挙動へと表れる。
「えいっ」
右側の奴へ突き出した途端、それはすうっと後ろへ下がった。
囮だったのだ。
当然のように、左側の奴がすすっと間合いを詰めてくる。
「ああっ」
思わず叫んで目を閉じたが、衝撃は来なかった。
「あ、あれ?」
おそるおそる目を開けると、片腕を吹っ飛ばされた銀角がそこに転がっていた。
「アイリス、油断しちゃ駄目よ」
「あ、あやめさん…」
「さ、片づけちゃいましょう」
「はいっ」
元気良く頷いたアイリスだが、あやめもまた無傷ではなかった。
後ろで戦っていたのだが、銀角の腕が太股を掠った時、ざっくりと傷が出来ており、アイリスは知らなかったが、そこは朱に染まっていた。
「やっぱり、脇侍とは違うわ…」
奇声と共に襲ってくるそれは、テレビで見た山猿の群にも似ていた。
人間が無責任に餌付けした結果、急速な勢いで繁殖し、餌を求めて民家はおろか、敢行客までも襲うようになったサルの群に。
素手の物と獲物を持った物とがおり、
「きけえええ」
と突き出してきた槍を両断したとき、脇侍達の群をまるで赤子の腕でも捻るように片づけていた、シンジの事が脳裏に浮かんだ。
「碇さんがすごいのね…」
ふっと呟いた時、拳銃の弾を詰め替えたあやめの姿が目に入った。
それと、こっちは弾が尽きて銃剣に切り替えたアイリスの姿も。
だがそれよりも、さくらの視線はあやめの傷も見抜いていた。
「あっ、あやめさ…」
思わず叫びかけて、慌てて口を押さえる。
おそらく、アイリスは気付いていないだろうと知ったのだ。通信が双方向で開かれている今、アイリスは知らない方がいい。
何よりも、あやめ自身が傷を押してアイリスを援護しているのだ。
「アイリス、すぐに行くからね」
小さく口にすると、さくらは猛然と斬りかかっていった。
「マユミちょっと…待ってよ…」
無論シンジとは違い、妖狼の背があるわけでもなく、テレポーテーションが使える訳でもない。
移動手段は自分の足しか無いわけで、三人は疾走していたのだが、ここに来てアスカが最初にダウンした。
レイはまだ持ちそうだし、マユミに至ってはぴんぴんしている。
「アスカ普段から運動してないからだよ。まったく食っちゃ寝なんだから」
「な、何ですってえっ」
さっきの仕返しとばかりに、ここぞとレイがからかう。
拳を振り上げて怒っているが、如何せん座り込んだままでは迫力がない。
「アスカもレイちゃんも、そんな場合じゃないでしょ」
マユミが窘めたが、
「マユミ、何であんたそんなに元気なのよもう」
肩で息をしながら、それでもアスカが立ち上がる。
「どうしてかしら?」
はて、とマユミが首を傾げたが、
「マユちゃん、もしかしてそれじゃない?」
「それ?あ」
レイが見ているのはマユミの手首。
そこにあるのは、勿論シンジに借りたブレスレットである。
「な、なんであいつのがそんなに力出るのよ…」
ぶつぶつぼやいたアスカに、マユミがすっとそれを外した。
「アスカ、はいこれ着けて」
「え?い、いやよなんであた…」
言いかけて途中で止まった。
マユミの視線が、アスカにそれ以上言わせなかったのだ。
「多分、いえ間違いなくこれが力の源よ。アスカ、着けなさい」
有無を言わせぬ口調に、
「わ、分かったわよもう…」
ぶつぶつ言いながら、それでも受け取って腕に着けた途端、
「なっ、何これっ」
その肩が、びくっと大きく動いた。
「ね、すごいでしょう」
「す、すごいなんてもんじゃ…てりゃっ」
アスカの手から火球が放たれた途端、それは大破して転がっていた車に命中した。
ドーン、と凄まじい音と共に車が爆炎を吹き上げ、
「ちょ、ちょっとアスカ何を…」
「これよこれえ…これなら…ふっふっふ」
予想外の力を得て、危ないヒトになったアスカに、マユミとレイが一瞬引いた。
「さ、ほらさっさと行くわよ」
急に元気になり、走り出そうとした所へ、一台の車が滑り込んできた。
車体を漆黒に塗ったそれが、三人の前で急ブレーキを掛けて停車した。
「ちょっとあんた!危ないじゃな…かすみ?」
運転席の窓から顔を出したのは、急行してきたかすみであった。
当て身を食らって失神したが、目を覚ますとそのまま碇邸へ急行した。
フユノが重傷と聞いて病院へすっ飛んでいったのだが、
「どうかしたのかえ?」
編み物をしているフユノの姿に、あんぐりと口を開けた。
「じゅ、重傷をと…」
唖然としているかすみへ、
「儂の願いは、ここの院長が叶えてくれないそうだよ」
にっと笑った時、もう院長は院内にいなかった。
無事と知って泣きながら飛びついたかすみに、
「シンジに送られるなら、これ以上の望みは儂にはない。そんなことより、マユミ達が足止めされておる。すぐに行ってやるが良かろう」
寝床から指示されて、その足でここへ向かったのだ。
「御前様の命令です。エヴァ隊へ合流しますから、さあ早く乗って下さい」
三人を急かすと、車を急発進させた。
一方そのころ残りの二人は、
「はいそっち、押さないでくださーい!」
「そこはもっと隅へ隙間を空けて。ここは安全だから押さないで!」
学園の敷地内に誘導されてくる、避難民の整理に押されている最中だったが、
「で、かすみはどこ行ったの」
「私に聞かないでよ、知ってる訳無いじゃない」
普段から劇場勤めなだけあって、手際よく誘導していたが、いなくなったトリオの一人に、首を傾げている最中であった。
「まだ十体…先は長いわね」
さくらの初号機、アイリスの参号機、それと銃のみで戦っているあやめ。
既に一回、さくらが敵を一手に引き受けて、アイリスはその機銃を電子銃へと変えていた。
銃弾が尽きる事はないが、その代わり電源であるトレーラーは絶対に死守しなければならず、応急手当を済ませたあやめに加えて、かえでもまた車から降りていた。
今や、その役割は完全に決まった物となっていた。
トレーラーから十五メートルの距離で、電子銃を撃ってじりじりとダメージを与えていくアイリスと、車の守備に徹しているあやめとかえで。
後ろがいない、つまり背後が安心できないため、さくらも深く切り込んでいく事は出来なくなっていた。
つまり、守勢に回っているのである。
さくらの初号機が、辛うじて敵を寄せ付けていないものの、アイリスはともかくあやめとかえでは完全な劣勢に回っている。
と、初号機が一瞬バランスを崩した。
既にケーブルから霊力変換へと切り替えているが、残ったケーブルの残骸が足にからみついたのだ。
「しまったっ」
咄嗟に機体を横へ流したが、その前に銀角が二体にゅうっと伸びてきた。
「さくらっ」
アイリスが叫ぶのと、銀角の首にぼっと穴が開くのとが同時であった。
「!?」
「またせたわねさくら。このアスカ様が来てあげたわよ」
ブレスレットの力は、軽い火球でも普段の奥義並の、いやそれ以上の力をアスカに与えており、あやめとかえでも目を見張った。
「さくら、おまたせ」
抜き身を引っさげたマユミが、ひらりと車から飛び降りるのに続いて、
「レイちゃん見参」
レイも身軽に降りてきた。
「あんた達…」
ふう、と一瞬肩の力が抜けたあやめだが、その足の傷にレイが気付いた。
「あやめさん、足怪我してるよっ」
「大丈夫よ、この位なら」
笑って見せたが、笑いは筋肉を使うわけで、一瞬顔をしかめた。
「ボクが水治療使えたら…」
レイが唇を噛んだちょうどその時、
「水治療くらい、ちゃんと使えなきゃ駄目だぞ」
めっ、と叱るような声に、視線が一斉にそっちを向いた。
「待たせた。さくら、無事か?」
「はいっ」
無線で元気な声が入ってくる。
「あやめ、直してやるから脚出せ」
が。
「あ、あのシンちゃん…」
「あ?」
「そ、それ…狼?」
ひときわサイズの大きくなったフェンリルを、全員が呆然と見ている。
それもその筈で、ここに来るまでに何人か、火事場泥棒を働いていた連中を片づけて来たせいで、血を吸った毛皮はさらに純白の輝きを見せ、その体躯すら大きさを増しているのだ。
「俺の友人だよ」
椿達に言ったのとは違う事を言うと、つかつかと歩み寄ってあやめを抱き上げた。
「ちょ、ちょっと何をっ」
「水治療。綾波じゃ無理みたいだからな」
言うなり、太股に手を当てて一気に引くと、服が裂けて白い脚があらわになる。
「これなら数分で治る」
それが聞こえたのか、あやめの顔が赤くなったのと、あるエヴァの中で操縦士が、
「碇さん…」
むーっと、頬を膨らませるのとがほぼ同時であった。
だがその時、シンジ以外は誰も気が付いていなかった。
すなわち、銀角達がその動きを止めていたことに。
そしてそれが、シンジとフェンリルから放たれている、圧倒的な妖気に原因があったことに。
何よりも。
「一体何があったんだい」
奥に陣取るボスが、忌々しげに呟いたことなどは。