第六十九話
 
 
 
 
 
「お嬢様」
 カルテを見ていたユリは、呼ばれてからきっちり十五秒後に顔を上げた。
「何?」
「ドイツから来日するセカンドチルドレンの事ですが」
「それが何か?」
 コーヒーをちらりと見たユリが、軽く頷いた。この女医の場合、味を見るのに指は必要ない。
「ネルフの上層部はシンジさんの妨害カードにする気のようですが、そうなるとお思いですか?」
 サクラは、院長ではなくお嬢様と呼んだ。つまり、チルドレン達の担当医としての意見を聞いている訳ではないのだ。
 尤も、医者としての意見はサクラにとって関係がない。例えどう出ようと、ユリの方で簡単に処置出来るだろう。
「なるわね」
(え…?)
 ユリの言葉は意外な物であった。
 無論サクラも、アスカの能力や生活状況、更に生い立ちまで完全に把握している。医者だけが患者のカルテを把握しても仕方がないのだ。
 それらをすべて織り込んでも、アスカがシンジに抗しうる要因は皆無と言って良かったのだが、ユリはあると言ったのだ。
「お嬢様、それは一体…」
「正確に言えば、レイが自分から蒔いた種よ。分からない?」
「申し訳ございません」
 頭を下げたサクラに、ユリは薄く笑った。
「もっとも、直接敵になる事は無いわ。そんな力など、あの娘の何処をどう捻っても出ては来ない。シンジに手懐けられるのは間違いないが、問題はその後だ。余程の馬鹿でなければ、アオイを見て勝てるなどとは思わない筈よ。つまり、普通の男女間のように付き合う目論見はその時点で潰える。と、なるとどうなるか」
 ユリは言葉を切ってコーヒーに手を伸ばした。
 一気に半分ほど空にしてから、
「シンジがあの娘に要求するのは、戦場で自分の言う事を聞く事ではない。最も可能性が高いのは記号で呼ばぬ事だ」
「記号ですか?」
「セカンドチルドレン、或いはファーストチルドレンの呼称よ。あの娘にとって、自分はセカンドであってそれ以上の呼ばれ方は必要なかったのよ」
「はい」
「彼女の類は根本的に不可、そうなるとあの娘が何処に目を付けるかは自然と分かるでしょう」
「…妹、でしょうか」
「アスカが日本の文化を知らない事、そして何よりも綾波レイとの関係を知らなければ自然にそうなるわ」
「あ…」
 サクラは思わず声を出していた。一見すると馬鹿馬鹿しい話だが、アスカから見ればシンジにとってレイは他人の筈なのだ。
 しかも義理の関係もない。
 それが妹になっている。
 シンジ次第だが、だったら自分もと考えたっておかしくはない。アオイとシンジを見れば恋人乃至はそれに近い関係だと、普通なら一目で分かる。
 あれで肉体的な繋がりはない上に入浴と就寝はいつも一緒だなどと、十人中九人は信じないに違いない。
 サクラもその一人だったのだ。
「ですがお嬢様、綾波レイが自ら種を蒔いたと言うのは?」
「シンジがレイを妹にしたのは、根本的には自発的なものではない。おまけに、レイに妙な自我が芽生えたものだから少々後悔している。妹にまではせずとも良かった、と思い始めているのだ」
「その事をレイは?」
「知らない。まあ、それは二人が考える問題からいいとして、アスカが自分も妹にと言いだした時、シンジは当然断る。問題はそこで何と言って断るかだ。ただ単に断ればいいが、後悔しているから要らないとか言い出せば、当然アスカは取って代わると言い出すだろう。つまり綾波レイと敵対する事になる」
「……」
「が、それはアオイが許すまい。シンジを気に入らないならまだしも、そんなつまらん事で揉められては作戦に支障が出る。アオイがシンジしか担当しない以上、尚更だ」
 つまりそうなった場合、ミサトに収集能力はないと言ってるのだが、これにはサクラも異論はない。
 長門病院に勤務する看護婦の場合、共通点は潔癖性と言う事だ。無論病的なものではなく、身の回りも整理出来ぬ者に患者の身の回りは整理出来ないと言う、病院の方針が大きく影響しており、サクラとて当然例外ではない。
 ミサトの家の状況は既に耳にしているのだが、長門病院に勤める彼女としては、はっきり言って理解しがたいものなのだ。
 自分の身辺すら収められぬ者が、少女達の諍いを治められる筈もない。
「クローンの事を話すかどうかは別にして、最終的にはもう一人増える公算が高い。レイが失敗した、と言うのはその場合の事だ。シンジはレイを当分家には戻さない。サツキと同居していて、それなりに上手く行っている以上戻す理由もない。そうなると、戻る前に妹化した場合、アオイが同居を指示するだろう。セカンド一人に黒服を付けるのは費用の無駄だし、シンジの家ならば逃げ込みさえすれば防衛は完全だ。その場合」
「そ、その場合?」
「アスカとレイの立場が逆転する事になる」
(逆転…)
 確かにそうだ。
 同じ妹というラインに立つのに、一人は同じ屋根の下で暮らし。もう一人は別居になるのだ。アスカにとっては、今までのレイ以上に色々してもらうチャンスになる。
(でも…)
 サクラは僅かに首を傾げた。
(綾波レイでさえ家から出したシンジさんが、そこまで甘くされるかしら?)
 ユリの見立ては間違いではない――そう、これが普通の学園生活ならば、だ。
 力も能力も必要なく、子供達が普通に笑い合える環境ならば、少々変わった三角関係も出来上がったかもしれない。
 だがここは第三新東京市――使徒が来襲する街なのだ。
 来襲するのが人外ならば、迎撃するのもまた尋常な者ではない。
 なによりも。
 シンジと命を同じくする少女の存在に、アスカもレイもまだ気付いていないのだ。
 
 
 
 
 
「少年、俺の船に積んだ機体に何してやがる」
 返ってきたのはドスの利いた声であった。
「何か非協力的でやな感じ…あれ?」
 首を傾げたシンジが一瞬宙を見つめてから、
「もしかしてモーガンのおじさま?」
「まったく、最近の若い者は上官に挨拶する事すら忘れていやがる。横須賀に着いたら営倉にぶち込んでくれる」
「そんなあ」
 差別だと天を仰いでから、
「街で美味しい店を見つけたんです。今晩ご案内しますから」
「小僧、本当だろうな」
「あ、勿論です」
「まあいい。久しぶりだな、シンジ。アオイが引き取りに来た時は驚いたよ。まさか紅の女神がネルフなどに入るとはな」
「最近は不況で就職先もないんです」
 はっはっはと豪放に笑ったサムが、
「本館の電源は用意してあるよ。横のお嬢さんはどうしたね」
「いるよ。アオイに替わってくれる?」
「分かった」
 替わったアオイが、
「随分横が静かなようだけど、何かあったの?」
「何もないよ。ただ、嘘つきな女の子がキスだけでダウンしてるの」
「ふうん」
 アオイがちらりと振り返った。
「艦長、サードチルドレンは今晩私の家で用がありますの。残念ながらお食事をご一緒するのは無理ですわ」
「わ、分かった」
 一瞬冷やかしてみようかと思ったのだが、脳裏で黒衣に身を包んだ人物が首を振ったのだ。
 なお、その物は真っ黒な大鎌を手にしていた。
「それはそうとアオイ、自己起動なんてやった事無いよ」
「自己起動?」
「親に会いに行った事を話したら、日常会話が出来るなら大丈夫だから思考を合わせてと来た。天才って、自分と他人を同じに考えるから嫌さ」
 全然嫌そうでない口調で言うと、
「後十秒くらいでそっちに移るから、電源用意しておいてね」
 通信を切ると大きく跳躍した。
 
 
「で、お前らを斬りもせずにくっつくままにされたか」
 少し呆れたような口調で言ったが、
「まあ、碇さんの度量は通常を超えているからな。決して敵に回してはならぬ方だが、敵に回した筈なのにまだ大丈夫って事がある。大方、お前らもそのケースだろうよ」
 船内をうろうろしていたヒカリとトウジは、サツキに捕縛されて船室へ連れてこられた。これ以上ウロウロするなと軟禁されているのだが、このサツキからして美貌に加えて並以上のスタイルを持っている為、どうしても口調とイメージにギャップがある。
「あ、あの…」
「何だ」
「あ、綾波レイさんは、最初から碇さんの妹だったんですか?」
「どういう事だ?」
「い、いえその、碇さんが来てから綾波さんは随分性格が変わったような気がして…」
「別に、最初からそうだった訳じゃない。最初からああまでシンジさんを慕ってはいなかったさ。とはいえ」
 一瞥し、
「お前ら程、無謀でもなかったし敵意を見せてもいなかったぞ」
「『は、はい』」
 やはり迫力が違う。
 肩肘張ったそれと、生来身に付いた物では根本的に質が異なっているのだ。一瞥されただけでこれなら、怒らせて睨まれたらどうなってしまうのかと震え上がった二人に、
「まあ、お前らももう懲りただろ。今後は、間違ってもシンジさんには絡まん方が身の為だ」
「も、勿論です」
 軽く頷いたサツキが、
「それはそれとしてそっちの少年」
「ワ、ワシですか」
「お前だよ。シンジさんが縁でくっついて、で、お前らはどこまで行ったんだ?」
「『そ、それはその…』」
 揃ってかーっと赤くなった二人を見て、
「お前ら、少しも進歩してないな。今の内に子供位作っておかないと後悔するぞ」
「『こ、子供…』」
 気絶したトウジがヒカリの膝の上で起きた時、見つめ合ったまま三十秒ほど硬直していた二人であり、仲と言ってもその程度のものである。
 自分達の発想を遙かに超えた台詞に、ネルフの関係者はこういう人が揃っているのかと、二人はそっと顔を見合わせた。
 
 
 シンジが旗艦に着艦する時、考えたのは格好よりも衝撃の吸収である。マントで全身を覆ったまま、屈むような格好で着地したのだが、ぐらっと蹌踉めいたもので慌てて艦橋に掴まった。
 慣れない事はするものではない。
 ばっさばっさと道中合羽代わりのマントをはためかせてから、よいしょと電源を取って差し込む。
 起動時間が無限になった所で、
「僕はおたくの娘を抱いてる。代わりに始末しておいて」
 余人が聞いたら仰天するような台詞を口にした。
「あの…」
「何?」
「私はそう言う訓練はしていないし、アスカは勿論あなたの足元にも及ばないと思うんだけど…」
「困ったねえ」
 アスカの髪を軽く撫でながら、
「お母さんが頼りにならないから僕がやっておくね」
 起きている子に言うような口調で告げると、
「銃はどうせ積んでないだろうし、ナイフしかないな。ナイフはあるんでしょ?」
「上腕部に装備してあるわ」
「了解…ってちょっと待って」
「何?」
「一応訊いておくんだけど、僕って今シンクロしちゃってるの?」
「178%」
 コアから返ってきたとんでもない答えに、シンジの眉がきゅっと上がった。言うまでもない事だが、高すぎるシンクロ率はダメージもそのまま感じる事になる。
 何よりも、本来の持ち主がたたき出す最高数字の二倍である。
「下げられないの?」
「さっきアスカとキスしたでしょう。あれでアスカの分も上乗せになっちゃってるの」
「人聞きの悪い事言わないでよもう。だいたい、正直に申告する教育を受けてないからああなっちゃうんだ」
「ごめんなさい…」
 母親の言葉に、今までどこにいた母親なのかを思いだした。
「あ、いや別にいいの。悪い子じゃないし、最初はもう洗脳まで考えてたから素直で助かった」
「私が側にいられなかったから――」
 不意にキョウコの言葉が止まった。
「シンジ君、来るわ。正面よ」
「うん」
 シンジの視線は既に、うぞうぞと離陸していく戦闘機の群れを捉えていた。着艦のショックで二機が落ちてしまい、これ以上の損失はご免だと一斉に発ったらしい。
「甲板上にはもういない?」
「ええ、大丈夫よ」
 返って来た直後、巨大な物体が水面を割って姿を現した。
「痛いのは嫌」
 振動で落ちる物はないしと、シンジがナイフを手に甲板を蹴った。
「シンジ?」
 見ていたアオイが目を見張った程の跳躍であり、事情を知らぬ者にとっては無謀に見えた動きである。
 無論、動き位は制動出来るだろうと踏んだ上の跳躍であり、コアにいるキョウコも自我を持っている為その辺の呼吸に問題はない。
「ざっと十倍以上」
 何となく嫌な感じはしたのだが、他人の機体のせいだと、
「斬!」
 顔面部分を気合い諸共斬りつけた。
 手応えは十分で、辺りに鮮血を撒き散らしながら吹っ飛ばされた使徒が、ふらふらと海中へ消えていく。
「はふ〜」
 息を吐いたシンジが、
「殺ってないでしょ」
「ええ。コアは健在だったわ。まだ死んでない」
「取りあえず顔斬っておいたんだけど、コアは何処にあったの?」
「口の中よ。がばっと開く前に斬られたから開ける事は出来なかったのね」
「あの〜」
「どうしたの」
「もしかして、口を開けるまで待ってれば良かった?」
 嫌な予感はこのことだったかと思ったが、
「いいえ、そんな事無いわ」
「え?」
「嘴に当たる部分が長かったもの。待ってれば嘴の一撃を受けていたところよ」
「そう言えばそうでした。さて、次はどっちに来るかし…!?」
 文字通り、第六感であった。
 針先のようなものだったが、それがシンジの第六感に触れたのだ。シンジが後ろへ飛び退くのと、尾の一撃が襲うのとが殆ど同時であった。
 一瞬でも遅れていれば、弐号機は脚部に強烈な一撃を食っていたのは間違いない。
「シンジ君、大丈夫っ?」
「ん、なんとか」
 アスカはまだ目覚めないから、当然自分が片手で抱きかかえている。シートに頭をぶつけたのだが、そんな事は大した事ではない。
 起こした方が良さそうだと思ったが、甲板に目を転じて止めた。使徒の血が甲板から艦橋に掛けてたっぷりと散っており、いくら女が血は平気な種族と言えども刺激が強すぎると思ったのだ。
「取りあえず、ヤツが今どこにいるかわかる?」
「船の下を泳ぎ回ってるわ。気配があるもの。それより、艦橋の方はいいの?」
「こんな時に心配されるほど僕は大事にされてない」
 アオイはとっくにシンジに任せきってあるし、そんな事はシンジだって分かっているのだが、わざわざ言うのも口幅ったいので言わなかった。
「それならいいんだけど…!?」
「どうしたの?」
「いえ、何でもないわ」
 キョウコの目には一瞬、飛び散った血が集まったように見えたのだ。そんな事がある筈はないと否定したのだが、それは失敗だったとすぐ明らかになった。
「シンジ君、左よ」
「了解」
 五秒後に再度飛び上がってきた使徒は、まだ顔面が修復されていない。
 シンジは、今度はナイフを使わなかった。僅かに身を後ろへ反らして、思い切り蹴り上げたのだ。
 顔が落ちてきた所を、切り裂き魔と化して下からザックリという寸法である。派手に蹴り飛ばされた顔面がしなって落ちてくる、とここまでは予定通りであった。
 後は切り裂いて、次の襲来でコアを仕留めればいいのだ。
 だがシンジのナイフが下から切り裂く事は、遂に無かった。それどころか、その身体は海中に飛び込んだのである。
(!?)
「シンジっ!」
 声を上げたアオイだが、一番仰天したのは本人だ。さあ切り裂いてやるぞと待ちかまえていたら、いきなり何かが足を押したのだから。
 水陸両用に非ず、それはシンジが一番分かっている事であり、何はともあれ上がらなきゃと思った途端、
「あ」
 シンジの視界に映ったのは、ぱっくりと口を開けて迫ってくる使徒であった。涎は間違いなかったし、背びれだか胸びれだかに当たる部分には、間違いなくナイフとフォークを持参していた。
「僕のシンクロ…絶対に嫌」
 178%と言う桁外れの数値は、キョウコが言う以上間違いあるまい。と言う事は、あの口に噛まれたらえらい事になる。
 かっと目を見開いたシンジが機体を反転させ、さっき自分が切り裂いた口の上部にしがみついた。
 予想もしない行動に逆上したのか、口に弐号機をくっつけたまま使徒が一気に水中を走り出す。
「ケーブルってどれ位?」
「二百メートル」
「長すぎ」
 しかし、あっという間にその二百メートルは過ぎ、凄まじいショックが弐号機を襲った。反動で引き戻されたのである。
 ちょうど、首でも吊ってるような格好で停止した弐号機に、
「これって首吊った直後だな」
 シンジが頷いた時、
「シンジ生きてる?」
 のんびりした声が聞こえてきた。
 
 
 艦橋で腕を組んだまま見ていたアオイだが、さすがに海中へ引きずり込まれては黙って見ている訳には行かなくなった。
 弐号機の装備が陸戦専用である事位、アオイもとっくに知っているのだ。
 とそこへ、
「アオイ様」
 姿を見せたサツキがどさっと放り出したのは、全身を朱に染めたミサトであった。
「サツキちゃん、この子どうしたの」
「艦橋へ入ろうとして、使徒の血を浴びたようです。巻き込まれたくないので、そのまま担いできました」
「もう、困ったものね」
 ちらりとミサトを見てから、
「彼女は一人だったの?」
「ええ、一人です。飛行甲板の方にいましたが、何をしていたのやら」
「私達のヘリを心配してくれていたのよ、きっと。窒息されても困るから、サツキちゃん悪いけど洗ってきてくれる」
 リョウジが脱出した、とすぐに分かったのだが、サツキには言わなかった。ミサトは知っていたという事になり、この際だからと鮫の餌にしかねない女だ。
「分かりました」
「艦長、彼女にバスルームまで案内して下さい」
「分かった。おい、誰か彼女をご案内しろ」
 ミサトを肩に担いだサツキが消えた後、
「アオイ、どうする気だね?」
「まだ何とも言えませんが…多分、中で何かあったのでしょう」
「あの娘かね」
「違いますわ」
 アオイは首を振り、
「アスカちゃんはまだ失神したまま。でも、初めて乗る機体にしてはシンジの動きが良すぎます。例え、いい感じでシンクロ出来ていたとしてもあの動きはそれ以上ですわ。後は、取りあえず海中で囓られていない事を期待しましょう」
「任せておいて大丈夫かね…いや、これは失礼した。余計な事だったな」
 咳払いして明後日の方向を向いた艦長は放っておいて、アオイはマイクに手を伸ばした。
「シンジ生きてる?」
 あまりにも呑気な口調に、却って横で聞いているサムの方が心配になった程である。
 
 
「生きてるよ。機体は首吊ってるけどね」
「そんな趣味があったの?」
「最近は首つりが流行ってるんだ。それより、ケーブルをネズミが囓る前に、数十メートル引き戻してくれる?動ければ、後は何とかやってみる」
「分かったわ。五十メートル巻いておく」
「よろしく」
 回線を切った直後、首つり状態のまま引き戻されていく。
「だいぶ自由になったな」
 わさわさと両手を動かしてから、
「取りあえず、一番手っ取り早い方法は?」
「食べられる事でしょうね」
「…せめて飲み込まれるって言おうよ」
「ごめんなさい。飲み込まれてから、内部でコアを破壊する事ね」
「やっぱりそれだ。ところで、アスカのシンクロ率って今どれ位なの?」
「40%くらいよ」
「僕のは暴利じゃないか。まあいいや、それで囓られるとこの子も痛いんでしょ?」
「多少は痛いと思うわ。でもこの子の痛みくらいなら私が吸収出来るから…あ」
 僕はどうなる、とは言わなかったが、シンジの方は文字通り激痛になるのだ。
「ま、それしかないよね」
 他人事みたいな口調で呟いてから、手にしたナイフを握り直した。
「シンジ君あの…」
「何?」
「く、来るわ。後方よ」
「うん。そんなに気にしないで。実の娘より他人を優先したら問題でしょ」
「え、ええ…」
 とは言え、単純に数値で四倍近い他人の方が、ダメージは遙かに大きいのは間違いなく、さすがに後ろめたいらしい。
 一方、後回しにされた方はまったく気にした様子がない。
「あ、来た」
 のんびり呟いた直後、弐号機はぱっくりと口内に飲み込まれたのだが、これにはシンジの方であえて飲まれた部分が大きい。
 頭だけ残すと、首から上を囓られる事になるわけで、それならまだ完全に飲まれた方が痛みは無い事になる。
「線は歯の間に挟まってるから大丈夫。さてと、始末してさっさと帰りますか」
 投擲の要領で、コア目掛けてナイフを投げようとしたちょうどその時、アスカの目がぱちっと開いた。
「あれ…ここは?」
「使徒の口の中」
「え?」
 アスカの目が見開かれ、自分の状況とエヴァの状況を脳が識別する。
 体勢…シンジに抱かれた格好。
 エヴァ…海中に落ちた上に、使徒に食われている。
「ちょ、ちょっとどうしてこうなってるのよっ!?水中戦は向かないって言ったのシンジでしょっ!どうするのよっ!?」
「いや、何とかなるからそんなに暴れないでって…もう遅いか」
「え?」
 シンジの声と同時に、内部表示が切り替わった。
「ど、どうしたのよ」
「半端に囓られると、シンクロしてる君が痛い。従って全身すっぽり口に収まって、今からコアを壊して出る予定だったの。でも君が暴れたから電源ケーブルが切れちゃったってわけ」
「動けなくなったの?」
「五分間は動ける。十秒後にあのコア壊して終わりなんだけどね」
「じゃ、じゃあいいじゃないの。もう、びっくりさせるんだから」
「うん、使徒はね」
 シンジは頷き、
「ケーブルが切れたから引き戻せない。と言うわけで、君に弐号機を使って海面までクロールしてもらう事になる」
「そ、そんなの出来る訳無いじゃないの」
「つまり帰れないってこと」
「え…」
 狭いプラグ内で、一瞬時間が止まった。
 
 
 
  
 
(続く)

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