第八話
砂塵の舞うかの大地で、誇り高き大将軍は、単騎匈奴の前に立ちふさがった。
迫る大軍を僅か数十機で撃退した後、涙ながらに冥府までの供を願う部下達を無理に落としてから。
天下をその手に掴み掛けた稀代の風雲児は、部下の叛刃の前に、燃え上がる古刹の中にその姿を消した。
最愛の婦人と、幼い小姓達を落としてから。
狂人と呼ばれながら一大帝国を築く事を夢見た、誇り高きベルリンの総統は陥落を悟った時、古い軍用拳銃をこめかみに当て銃口を引いた。
腹心全てを遠ざけてから。
何時からだったのだろうか、それが全て自分ではないかと思うようになったのは。
桶狭間で迎え撃った迫り来る大軍に、何故か北方騎馬民族の、大軍のイメージが重なった時か。
あるいは、ガス室に無辜の民を送り込み虐殺した時に、ある総本山に火を放ち、男女老若を問わず皆殺しを命じた事が、つい昨日のように甦った時か。
シンジはアオイとの会話を終えて、電話を切った後、5分もしないうちに眠りについていた。
左手は、レイの手を軽く握ったままである。
安らかな寝顔で眠る少年が、妖々と立ち上がったのは数分後の事であった。
全身から凄まじいまでの鬼気を漂わせたその姿は、普段の少年のものとは明らかに異なっていた。
ぐいと手を離しかけて、何を思ったのか、ゆっくりと手を離した。
「おれが、一人でないのは初めてだが」
妙な科白を呟いてから、自分の手を見た。
「砂塵の中に立っていた時からベルリンで我が身を撃ち抜いた時まで、常に俺は俺だった。それが今回の生は、こんな少年と共生だとはな。しかも、俺の方が副だと来ている。とはいえ、久々にすっきりできた。礼を言うぞ、シンジ」
その言葉は、初号機が再咆吼したとき、自分に任せたことを言っている。
あの時、目の前におぼろげに浮かんだ影は、殆ど記憶に無いとは言え、紛れも無く碇ユイであった。
碇ユイだ、と知った訳ではない。
ただ、違和感を感じたシンジはその手をはねのけ、みずからの立ち上がりを捨てて、もう一人の己に任せたのである。
呟いた後、ふとレイを見下ろし、
「綾波レイ、か。お前の好きにするが良かろう」
シンジと同じようにその手を握り、数十秒で寝息を立て始めたとき、その顔は既に普段の少年の物に戻っていた。
朝日が顔を覗かせ始めた頃、既にシンジは目が覚めていた。
とはいえ、第六感は常に警戒態勢にある上、同室にいるのはアオイではない。
レーダー兼抱き枕が無い以上、熟睡などあり得ない。
ゆっくりと起きあがった時、
「また、か」
と呟いた。
眠っている間に何かあっても、すぐに判るのだが、もう一人の自分になった時だけは別である。
殆どの場合、そこだけ記憶がすっぽりと抜け落ちている。
睡眠時間中に、数分の空白をシンジの深層意識は捉えていた。
一つ判っているのは、自分とは身体(いれもの)を共有はするものの、魂すら異なる別人格である、と言うことだ。
話しかけられた事は無い。ただ一度を除いて。
使徒の光の矢に縫いつけられて、意識が遠のきかけた瞬間、シンジは誰かが意識の中で呼ぶのを訊いた。
幻聴ではない。なぜならその声はこう言ったのだ。
「後は任せて」
と、若い女の声で。
その声を認識した瞬間、シンジのアドレナリン分泌量は、安全値を越えた。
危険な台詞を吐きかけて、寸前で止めた。
「シンジ、闘いに於いて、決して欠いてはならぬ事の一つ。そしてもっとも大きな事は平静、即ち冷静でいる事よ」
アオイから常に教えられてきたシンジは、自らの激情をあわやの所で抑えた。
シンジが呟いた小さな声、
「後はよろしく」
その声に反応があろうとは思わなかった。
だが、シンジは確かに聞いた。
「良かろう」
と。
シンジが薄く笑ったのはその所為だったのである。
内なる他人格を初めて知ったのは数年前であった。
殆どの場合、入れ替わった時の記憶は自分には残されない。
残される時は意識的にであると、知ったのは暫くしてからのことであった。
自分に対する呼称からして子供扱いされているのは判っている。
片手で軽く伸びをしたとき、僅かにレイが身動きした。
シンジが、昨日の事を思い出して微笑したのと、レイが目を開けるのとが、同時であった。
だが、シンジは知らない。
シンジがレイの手を握ったのは、離れたシンジの手を求めるように、レイの手が空を彷徨ったからであると。
「おはよう、レイちゃ…」
言いかけた言葉が止まったのは、いきなりレイに抱きつかれたからだ。
どうしたの、とは訊かない。レイの身体が震えているのを感じたから。
抱き返しはしなかったが、レイの震えが治まるまで待ってから、顔に手をかけ自分の方を向かせた。
「あ、あのね、夢を見たの」
「夢?」
「夢とは睡眠中に、いろいろな物事を現実のことのように見たり聞いたり、感じたりする現象の事」
それは知ってるけど、と言いたくなるのを抑えて、
「見たことは無かった?」
と、訊いたのは勘による。
レイは頷いて
「一度もなかったわ。それが怖い夢を見たの」
「怖い夢?」
「お兄ちゃんが何処かに行くって言ったの。私の手を振りほどいて、待ってって私が言っても…」
「どこか行っちゃった?」
ふるふると首を振り、
「そうしたら、お兄ちゃんは待ってくれた。戻ってきて私の手を握ってくれたの」
正夢だったとは、レイには判らない。
取りあえず、
「僕は此処にいるから、大丈夫」
と、笑っておいた。
「う、うん、ご免なさい」
小さな声で言うと恥ずかしそうに俯いた。
「起きるよ」
そう言って、立ち上がりかけたが、ふと止まった。
レイの姿に気が付いたのである。
黒いシルクのパジャマは、シンジのサイズだが、幾分大きめになっている。
それをレイが着たのだが、何故か第二ボタンまで外れており、中の陶器のような肌が除いていた。
(下着は?)
胸中で訊いたのは当然である。
勢い良く抱き付かれたため、幾分前屈み気味になったレイの胸元からは、うっすらと色づいた乳首がおとなし目に、だがはっきりとその存在を主張していたからだ。
妹の着替えに際して、あっちを見ていたのと、ベッドの反対側に落下物が無かったか、調べなかったのは大誤算だったようだ。
レイを首に巻き付けたまま、向こう側を覗き込んだシンジは、一瞬だけ固まった。
靴下とブラジャーは、予想範囲内であった。
だがまさか、ショーツまで落ちていようとは。
「……」
ちらりとレイのパジャマに視線を送った。
(朝食は…)
とある料理名が浮かんだのを、軽く首を振ってうち消した所へ、
「どうしたの、お兄ちゃん」
無邪気に訊ねるレイに、
「ちょっと首を伸ばしただけ。さて、朝ご飯はどうしようか」
言ってしまってから、ミスに気付いた。
案の定レイは俯いて、
「ごめんなさい…何も買って無いの」
「どうして人が万物の霊長といわれるか、知ってるかい?」
「え?」
「無い袖は振れないが、無い食物は調達する事を知ってるからさ」
意味の分からない理屈に、きょとんとしているレイの手をそっと外して、
「何か、買ってくるけれど」
意味は通じたらしい。即座に、
「私も行くっ」
と、立ち上がった。
レイが勢い良く上着を脱いで、真っ白な肌が露わになった時、シンジの目は玄関に向けられていた。
シンジの前だから気にしない、のではなく、どこで脱いでも気にしないような気がしたが、シンジは別にカウンセラーではない。
レイを教育しよう、などという発想は持ち合わせていない。
制服に着替えたレイと、近くのコンビニエンスまで買い物に赴いたが、シンジの左手はレイに占領されたままであった。
店に入った時そっとほどくと、レイは一瞬微妙な表情を見せたものの、シンジの行動に異を唱えようとはしなかった。
コーヒー牛乳と、サンドイッチを籠に入れてから気付いた。
(あの子の好み、訊いてなかった)
な、と。
レイの方を見たが、何故か置いてあった水槽の熱帯魚を、一心に見つめているのを見て、声を掛けるのが躊躇われた。昨日見た光景に何処か似ていたのである。
レジで支払う時には、現金にした。こんな所で、しかもこんな少額で無制限のゴールドカードを出すのはなにかいやだったのだ。
既にカード払いが広く浸透しているが、それに伴う犯罪もやはり後を絶たない。
そのため、未だに現金にこだわる人も少なくないし、ゲンドウに渡されたそれは、普通のクレジットカートだったのだ。
とある国の元首さえ葬ってきたシンジ達にとって、金銭感覚は薄い。
両後ろのポケットを合わせ、200万はいつも持ち歩いている。
が、実はこれはシンジの発想ではない。
それだけ持っているよう命じたのは、他でもないアオイである。
ただし奇妙な事に、彼女自身は数十万も持ち歩かないのだが。
分厚い財布を取り出した少年に、レジの中年の男性は、一瞬目を向けたが、何も言わなかった。
無造作に突っ込んであったネルフのIDのおかげだが、シンジは気付かない。
もっとも、本物以上に精巧に出来た免許証も、当然ながらシンジは持っている。身分証明書も持たずに、あちこちの国を飛び回る訳には行かないのだ。
熱心に水槽を見ているレイの後ろに立つと、呼ぶ代わりに軽く脇腹をつついた。
「あうっ」
昨日の一件ですっかり敏感になったのか、小さな声を上げて身を捩った。
行こう、と目で促して店を出た。
シンジの手を取ろうとしたが、左手に買い物袋があるのを知り、右手に絡めようとしたが、
「悪いけど」
拒まれて、一瞬硬直したレイに、
「右手は空けておくことにしてるから」
と、淡々と告げた。
「どうして」
訊かれたのに対して、
「アサシンですから」
と答えたのをユリやアオイが知れば、やや驚いたかもしれない。
「シンジ、一体何を」と。
「そう…」
言葉を切ったレイに、知ってるのかなと思った時、
「アサシン…どこかで聞いたような単語だけど、よく覚えていないの。だから」
「だから?」
「今度教えて」
「分かった」
「良かった。ではこれはこうしましょう」
言うなり、シンジの買い物袋を取り、自らが持った。
手詰まりの難問に、見事な解決策を見いだしたかの如く、得意げになって、シンジの左手と手を繋いだ。
「これで良いわ」
そう言った顔は、いかにも嬉しそうだ。
「名案だね」
胸の携帯が鳴った。
瞬時に取り、
「はい、シンジ」
「ユリというものです」
「この番号は使われておりません。お掛け直し」
言いかけたところへ、
「夕べは良く眠れた?下着を纏わぬ美少女と共に」
「この変態看護婦、さっさと訂正しておけ」
「何をかしら?」
「この子におかしな格好させたの、お前だな」
どことなく楽しそうなユリの声であった。
レイの、全裸にパジャマはユリの案だったらしい。
では、シンジがパジャマを貸さなかったらどうなっていたのか。
シンジの脳裏に浮かんだ、軽く頭を乗せると跳ね返すだけの弾力を持った胸は、レイの物ではなかった。
「今から出る。アオイへ伝言は?」
「さっきまで話していたよ。あ、操作法も教えずに送り出す、ナイスな上司だったと伝えておいて」
「承知した。それから」
「え?」
「8×、4×、8×」
「何?」
いきなり告げられた数字の意味が、分かるはずもなく聞き返したが答えはなく、いつもの通り、向こうから切れた。
シンジがその意味に気付くのは、数時間後の事になる。
暗号めいた事を言われるのには慣れている。
そのうち分かるだろうと電話をしまってから、
「今日の予定は?」
「ネルフ本部で、シンクロ率のテスト。お兄ちゃんは戦闘訓練だと思うわ」
「ふむ」
「どうしたの?」
「やはり、いきなりボイコットする訳にも行かないな。午前中で全行程を終了させちゃった方がいいね」
行動予定を立てた時、ふと気が付いた。
「零号機は頭を突っ込んだまま。君が初号機とシンクロすると僕は?」
「お兄ちゃんはシュミレーションモードだと思うわ。初号機は私が乗っ取るから」
そう言うと、悪戯っぽく笑って見せた。
こんな表情もできるらしい。
妙な感心をしたシンジは、車に一瞥を向けてから綾波邸へ入って行った。
軽い食事を済ませた後、二人はネルフへ向かった。
本部へ着いた時、ユリの眼差しを受けて、一晩うなされていた上に、普段から寝坊癖と遅刻癖を持つミサトがいなかったのは当然として、ゲンドウとリツコの姿も見えなかった。
ゲンドウの肋骨の一件はシンジも知っている。あれで一晩リツコと運動すれば朝は起きられまいと思ったが、既に来ているという。
規定より三十分近く前に着いたため、職員もまばらであったが、オペレーターと何やら話していた冬月がシンジを見つけ、声を掛けてきた。
「シンジ君、昨日は良く眠れたかね?」
三時間でもシンジにとっては、それなりに当たるらしい。
すました顔で、ええと頷いた。
「確か冬月副司令、でしたね」
「ヤマトに訊いたのかな」
「何でもネルフは、冬月で持っているとか言ってました」
平然と告げたシンジだが、ネルフのネの字も、つい先日まで知らなかったシンジである。この辺は、邪悪な天賦の才とでも言うのだろうか。
実際はオペレーターの一人、長髪の青年がそう呼んだから、データと一致したに過ぎない。
「そうか、ヤマトがそこまで言ってくれたか」
相好を僅かに崩した冬月に、罪悪感を感じることもなく、
「ところで、総司令と赤木博士は?」
と、訊いた。
「食堂に行ったが、何でも昨日脇腹を痛めたとかで、赤木博士が付いていったよ」
「予定変更を決めたから、捜してきます」
出て行きかけたシンジを、女性オペレーターが呼んだ。
「あ、碇シンジ君」
数秒考えてから、
「何ですか?伊吹マヤさん」
自分がらみの直近の職員は、頭に入っている。ただ、顔だけは一致していない。
後の二人が、どちらかが日向マコトで、もう一方が青葉シゲルだとは、知っている。
そんな事は知らないマヤが、思わず目を見張ったところへ長髪の方が、
「シンジ君、もしかして俺達の事も知ってるのかい」
と、来た。
何か親近感溢れる口調だね、そう言いかけたのを抑えて、
「確か、青葉さんでしたね。青葉シゲルさん」
さして手入れはしていない長髪の持ち主と訊いていたのを思い出した。
小柄の眼鏡は、日向マコト、そう思い出した時果たして、
「お、俺の事も?」
と訊かれた。
「ええ、日向マコトさん」
おお〜、と感心してるのを余所に、
「伊吹さん、何か言われました?」
食堂の場所は知ってる、と訊こうとしたのだが、不意を突かれて言葉を忘れた。
「い、いいえ。何でもないわ」
シンジの髪に見とれ、案内役を買って出ることで、優しいお姉さんとしてのポイントを得ようとしたかどうかは、定かでない。
「レイちゃん、ちょっと待っててね」
そう言うと、出ていった。
昨日まで、嫌悪感に近い物を見せていたレイが、シンジに急になついたのにも驚いたが、残されたレイが、
「お兄ちゃん…」
と呟いたのには、残った全員が驚嘆した。
「おい、聞いたか、今の」
「ああ、お兄ちゃんだってよ」
「そんな事より、あのレイが言ったのよ。早速先輩に報告しなくちゃ」
どこか浮き浮きした表情で言ったので、一気に醒めたらしい。
またか、と言う表情でコンソール盤に向き直り、冬月も戻っていった。
発令所を出たところで、
「無人の食堂だと、結構燃えるんだよね。何時人が来るかもしれないし」
何が燃えるのか、不明の事を呟いてから、右の方向へ歩いて行ったが、ふと立ち止まった。
「場所、知らなかった」
辺りを見回してから、
「しかも、案内図も無い、ときた」
レイを連れてくるか、あるいは、オペレーター陣に聞いてくれば良かったのだが、今更引き返す、という発想は無いらしい。
適当に見当を付けて歩いていった。
その先が、非常口に繋がる通路だとも知らずに。
定刻より十分遅れでミサトが入ってきたとき、親友の姿はそこにはなく、所在なさげに立っているレイの姿があった。
とは言え、ミサトにしては早いほうである。
「あらおはよう、レイ」
いつも通り、帰っては来るまいと思っていたが、
「あ、はい」
それだけでも帰ってきたのには驚いた。
まさか、シンジ君、徹夜でレイにお勉強させたんじゃ無いでしょうね?
中年の助平親父みたいな事を考えてから、ふとレイの様子に気付いた。
「レイ、シンジ君は」
「碇司令と赤木博士を食堂に捜しに行きました」
「食堂?どうして?」
「碇司令が昨日脇腹を痛めたから、赤木博士が付いていったそうです」
昨日の事を思いだしたミサト。我が身の事もついでに思い出し、一瞬青くなった。
「と、ところでドクターは医務室?」
「いえ、今日から三日間実家に行かれたそうです」
「帰っちゃったの?」
シンジを止めうる唯一の人物と見える現在、帰られては困る。
だが、レイの返事は、
「いえ、何か作ってこられるそうです。お兄ちゃんが言ってました」
「ふーん…お兄ちゃん!?」
「はい、シンジお兄ちゃんが」
(照れてる!?しかも紅くなってる!!夕べ何があったの?)
怪しげな笑いを浮かべて訊こうとした瞬間、背中を何かが走り抜けた。
セカンドインパクトから無事生還した後、幾度と無く背中を走った物である。
何とはなしに、やりかけた行動を取り止めて−パトカーがいると気付かずにアクセルを踏みかけた足が止まったり、急な寒波で幾人も死者を出すことになった観光地への旅行を取り止めたり−その度に、救われてきたのが自分の第六感なのかなと、思うようになったのは最近である。
但し、私利私欲が絡むと途端に力を失うのだが。
ともあれそれと同じ感覚を感じたのである。それもかなり強烈なものを。
躊躇わず、ミサトは質問を取り下げた。
「ところでレイ、シンジ君が行ってから時間は経っているの?」
ちらりと時計を見て、
「二十分位です」
玄関での二人の状況が甦ってきた。
「レイ、捜しに行って来たら?もしかしたら迷っているかもしれないし」
最悪の場合、二人は既に骸と化している可能性もあるのだが、それは考えないことにした。
宝籤を数百回買った中で、一度も当たったことのない女の勘ではあったが。
ところで、シンジとユリには、少々変わった趣味があった。
宝くじの総取りである。
長門病院の地下、ユリの私室にあるコンピューターは、そこからマギへの侵入もしてのけた代物だが、数当てゲームにも使われている。
地方のくじから年度末の物まで、常に購入は三枚。
それが予想した数を買ってくるのだが、今までに外した事はない。
おかげで、銀行ではすっかり有名になったのだが、取り分はと言うと、シンジがその八割をいつも分捕っており、これは割に合わない。
が、ユリにとっては当てる行為にしか興味はなく、数のそれを買いに走るシンジに、全部持って行かせても構わないのだ。
もっともシンジとて、資金に困る身分ではない。
事実、分捕ったとも言える金額はその半ばが、いくつかの口座に分散されて、不気味な金額が入っているのだ。
なお当然のことだが、シンジとユリが自分の絶対的な敵になっている事を、この時点でミサトは知らない。
先だっての、真夏の億単位の賞金がかかったそれも、束単位で買い込み全部外した。
無論シンジとユリのコンビがさらったのである。
しかも金額に関わらず三回に一回は、殆ど数日で使い切る事を知っていたら、気も狂わんばかりに嫉妬するかも知れない。
シンジが迷っている、と言う部分は合っていたが、そんな事は知らないレイは、解き放たれた矢の如く、一散に飛び出していった。
「あんな妹だったら…私も欲しいわね」
我が儘な事を考え、あまつさえ呟いたミサト。
それを聞いたある者は苦笑し、ある者は顔を少し顰めた。
ただ、この時点でシンジがそれを知れば、首を傾げたかもしれない。
ネルフの主、とも云えるレイは、迷うことなく数分で着いた。
入り口にある衝立のおかげで、右側の方は見えない。
つかつかと中に入っていったレイの目に映った光景は。
スクランブルエッグを箸で取ったリツコが、ゲンドウにそれを食べさせている姿であった。
二人の年齢差は一回り近くあるのだが、知的な雰囲気で年齢のイメージを上げているリツコとゲンドウは、何処か似合いの夫婦にも見えた。
レイの足は止まったのだが、突然近づいてきた足音にびくりとして、こちらも急に動きを止めた、リツコとゲンドウ。
三人の間に沈黙が流れた。
先に口を開いたのはリツコであった。
「レ、レイ、どうしたの」
「赤木博士、今の行為は何ですか?」
不思議そうな口調に、嫉妬の片鱗もない。
一瞬強い口調で言いかけたが、我が身に科した制約と、昨晩ゲンドウとのベッドの中で出た、睦言の内容を思い出した。
「し、司令がね。昨日の肋骨のダメージで食べられないから、私がお手伝いしていたのよ」
「碇司令、美味しいですか?」
リツコは箸を取り落とし、ゲンドウは辛うじて吹き出すのを堪えた。
「な、何を言うのだレイ」
「美味しいですか?」
重ねて聞いたレイの言葉に何かを感じたのか、リツコがゲンドウを横目で見た。
「あ、ああ」
諦めたゲンドウの言葉であった。
「美味しい…」
その言葉を咀嚼するように呟いたレイが、にっと笑ったのは数秒後であった。
それを見た瞬間二人の背は凍り付いた。
レイがちらりと視線を向けた瞬間、抱き合っている自分たちに気付き慌てて離れる。
本能的な行動だったらしい。
「では、失礼します」
出ていこうとしたレイを慌ててリツコが呼び止めた。
「ちょっとレイ、あなた何しに来たの?」
レイの目が大きく見開かれた。真剣な表情になっている。
「お兄ちゃんが」
「シンジ(君)が?」
「赤木博士と総司令に話があるからって、此処に来た筈なんです」
「来てないわよ。それに此処の位置は知っているの?」
「多分、まだ知らない筈です」
「迷ったかもしれんな」
ゲンドウの言葉におろおろした様子を見せたレイ。
「わ、私…どうしたら…」
零号機のエントリープラグが自動射出され、叩き付けられた時も、殆ど感情は見せなかったレイである。
それを知るだけに、今のレイの様子は何とも言えない感じを、二人に与えた。
「取りあえず、落ち着きなさ…」
リツコが言いかけた時、
「迷ってみました…っておや?」
のんびりした声で、入ってきたシンジの目に、ぴたりとくっついているゲンドウとリツコ、それにどこか悲しげにさえ見える、レイが目に入った。
「お二人とも、仲がいいのは結構だけど、何かしたの?」
リツコの脳裏に、昨日の悪夢がフラッシュバックした。
必死で抑えて、
「シンジ君の帰りが遅いってレイが捜しに来たのよ。あなたが迷ったかも知れないって思ったら、この表情よ」
ゲンドウの余計な一言が引き起こした、とは言わない。
実は、肋骨の怪我の所為で昨晩は正常位だけで終わったのだ。
この上もう片方まで痛めたら、当分お預けになってしまうではないか。
しかも昨日は珍しく、濃厚なキスまでしてくれたのに勿体なかった…。
早いところ怪我を直して、またバックから激しく。
妄想に入りかけて、ふと我に返るリツコ。
三対の目が自分を見ているのに気づき、軽く咳払いしてから、
「レイがさっき、シンジ君が私たちに用があるって言っていたけど、何?」
その瞬間、シンジの目に確実にあった、ある種の感慨が消えたのを見て、リツコはほっとした。
「今日の予定の事なんだけど」
「シンジ君は仮想空間で使徒戦を模した、戦闘訓練。レイは零号機があの有様だから機体交換実験をかねて、初号機でのシンクロテスト」
「ふうん」
「どうかしたの?」
「昨日綾波邸に行った。セントラルドグマと変わらなかった。良い部屋だね」
ゆっくりと告げるシンジ。
「とても人の住む部屋とは思えない。」
そこまで言うと二人をじっと見た。
微笑んではいるが、とてもこの年齢の少年の雰囲気ではない。
思わず二人は目を伏せた。
「彼女の部屋、どうするつもり?」
その言葉に、挽回のカードを見つけたらしいゲンドウが、
「ふっ、問題ない」
とニヤリと笑った。
「笑ってる場合じゃないでしょ」
ゲンドウを制しようとしたリツコだが、ゲンドウと目があった瞬間、その思考が伝わった。
やはり『二次的接触』というのは、根本的に思想の作りが違う異性間に於いて、意志の疎通を図る上では、欠かせない物のようだ。
父親のニヤリ笑いはともかく、リツコまでが同じ様な笑みを浮かべたのを見て、一瞬シンジが引いた。
レイに至っては、シンジの袖を掴んでいる。
「あの、お話が良く」
見えないんだけど、と言おうとしたシンジに、
「『シンジ邸に部屋は幾つある(の)?』」
ぴたりと重なり合った声であった。
一瞬、シンジの顔に奇妙な表情が浮かんだ。
「それは僕に…」
「同居だ(よ)」
またしても息は合っている。
お断りだよ、そう言いかけたシンジの脳裏に、レイの部屋が浮かんだ。
カギの壊れた玄関、省みられる事のない郵便物の詰まったポスト、得体の知れない死骸が錯乱していた床…・。
数秒考えてから、二人をちらりと見た。
「あの家を設計した時から、既にそういうシナリオでもあったの?」
三秒間考えてから、
「別にそうではないが」
言った瞬間誤答だった事を知った。
「お前なら変えられるかもしれんと、アオイ嬢には云ってあった。訊いていなかったのか」
あの時は、半ば詭弁でそう言ったのだが、今のシンジには少なくとも、アオイに告げた内容を持ち出すべきであった。
「それならば、情状酌量の余地はないね。あの部屋の管理人達にはそれなりの責任をとって貰おう」
シンジの雰囲気が僅かに変わり、ゲンドウとリツコが硬直した時、
「お兄ちゃん」
話の見えないレイが、袖をくいくいと引っ張った。
「本人の意思確認が優先しよう。僕と一緒に住むか?」
一瞬、その言葉を吟味してから。
レイの顔に満面の笑顔が浮かんだ。
自分たちの前では、一度も見せなかった笑顔に、僅かながら複雑な気分になった二人だが、ここは取りあえず、黙って成り行きを眺める事に決めた。
「お兄ちゃんと一緒…一緒…」
大体考えている事は想像が付いたが、シンジは口にはしなかった。
とろんとした目になりかけているのを、リツコ達に気付かれる前に現実世界に引き戻した。
「いいんだね?」
小さな声で抱き枕が、と呟いた。勿論誰にも聞こえないように。
「うんっ」
つい先日までのレイなら、
「命令があれば、そうするわ」
そう言ったであろう事は、シンジは知らなかった。
「そうだ、もう一つ」
逸れかけた追求が戻って来たかと、二人の顔に一瞬不安がよぎった時、
「シンデレラは、普段から綺麗なドレスを着ていた気がするよ」
「分かった。これでいいだろう」
ゲンドウが取り出したのは、クレジットカードであった。
「魔法使いの魔女の役、任せた」
リツコとレイにはこの話は分からなかった。
ゲンドウが、週に一度だけ顔を見せていた時に、幼い息子に読んで聞かせた童話の内容だった、等とは。
しかもそれは、セカンドインパクト後の大混乱の中、教養とか幼少教育とかいった物が粗末にされる風潮を余所に、信濃家では原本に近い形で、保管されていたのである。
レイは無論のこと、母から枕元で童話を読んで貰うと言う、幼子にとって不可欠な体験が、一度も無かったリツコにとっても、遙か彼方の事由であった。
その部分を見る限り、少なくともさほど悪しき父親ではなかった、と言える。
「午後から行くから、午前中に終わらせたい。いいかな?」
訊かれて、
「許可できないわ」
とは言わなかった。
「いいわ。その分午前中がんばってね。あ、それからシンジ君の学校」
「学校って僕の?」
「そう、転入は明日付け。制服の注文は要らないって司令に言われたからしてないけど、良かったの?」
シンジの以前居た所はブレザーであったが、地軸の変動があって年中夏のような気候に於いては、開襟シャツが普通になっていた。
だが、シンジは常に長めに設えたベストと、長袖のドレスシャツで登校していたのである。
腰の周りの吉備団子ならぬ、物騒な護衛官達を覆う為だったのは言うまでもない。
シンジが通うはずの新東京市にある中学は、基本は詰め襟、年中夏服の所だったのだが、ゲンドウの制服はいらん、という指示で注文はしていないのだ。
シンジにとってもその方が都合が良い。
あっさりと頷いて、レイを促した。
先にレイが出ていき、シンジも続いたが、ふと出口で立ち止まった。
「あの」
「なあに?シンジ君」
「若返りは、やはり閨房術に限るね」
真っ赤になることも忘れて、硬直した二人を残して出ていったシンジは、昨晩ユリが同じ様な事を呟いた、とは勿論知らない。
二十分後、何故かゲンドウとリツコは別々に戻ってきた。
普段も、そしてついさっきまで空いていた、リツコの服のボタンが全てかかっているのは、シンジが自らの単語にある術を込めたからである。
そこに何があるのか、張本人達に加えて、仕掛け人のシンジは無論知っている。
どことなく上気しており、しかも同性にしか分からないある種の匂いを、僅かながら漂わせて帰ってきたリツコにミサトは、
「リツコ、あんた熱でもあるの?」
言葉に皮肉をくっつけて訊ねた。
大丈夫よ、と平静に告げたリツコにマヤが寄ってきた。
「先輩、先輩、一大事なんです」
ここのところ、構ってくれないリツコを振り向かせるには、丁度良いニュースだと踏んだのだが、あっさりと、
「後にして」
冷たく振られた。
「じゃあ、シンジ君いい?」
五分後、シンジに確認が取られた時、既にシンジはエントリープラグの中にいた。
「どう?シンジ君」
「このLCLとかいうの、せめて色変えられません?」
「今は無理なの、ご免なさい」
冷徹に近い科学者としてのリツコしか知らぬメンバーにとっては、驚愕に値する発言であった。
だが、ミサトは知っている。
それが止むを得ない事であると同時に、リツコとシンジの間にそれなりの関係が築かれたからであろう事も。
「EVAの出現位置と、兵器の納められた兵装ビル、それと非常用電源の位置を、いま画面に投影するから」
画面が浮き上がってから、丁度十五秒後、
「あ、もういいです」
本当に、とは聞き返さなかった。
「いいかしら。では行くわね」
言葉が終わると同時に、町並みに次々と巨大生物が現れる。昨日の使徒とはやや形状を異にしたそれらは、どこかSF小説の宇宙人を思わせる。
標準がそれらの頭部や胸部に定められ、数秒で次に移っていく。
射的ゲームの感覚だ。
だが、シンジは撃たない。
3体目が初号機に肉薄した瞬間、リツコはプログラムを止めた。
「どうしたの、シンジ君。手が止まってるわよ」
シンジは的を眺めながら、
「実用性が少し足りないんじゃない?」
さすがに一瞬言葉を失い、それでもどうにか平静を保ち、
「どう言うこと?」
「ランダムな要素がないから、二巡もすれば慣れちゃうでしょ。ランダムにして、僕の撃てる速度に合わせてもらえます?」
リツコのプライドを粉砕するような事は口にしなかったシンジ。
役に立たない、と本音はそこにあったろう。
だが、そこまでは言われなかったことでほっとしたリツコが、
「それもそうね。ついでにコアも付けて置くわ。マヤ、プラグラムの書き換えを急いで。五分以内よ、できるわね」
「やります」
やってみます、とは言わなかった。
リツコの右腕を自認するマヤに取り、リツコの変貌の理由は知るべきではない。
その任務を忠実に遂行するまでだ。
丁度5分後、書き換えられたプログラムが出来上がった。
要領は簡単だ。次々とビルの谷間から顔を出したり、地面から生えたり、あるいは画面上空より落下する使徒もどきを、標準が合い次第撃っていく。
さっきと違うのは、出てくる標的が完全にランダム化している事、銃の引き金を模したそれが、自分で使徒に合わせることだ。
取りあえず、近くのビルに向けて一発撃ってみる。
撃った感じは、アオイの357マグナムに近い。
とは言え、鉄甲弾に合わせてバレルを強化し、グリップを大幅に軽量化されているアオイのそれとは幾分違う。
(それに、これはあくまでシュミレーション用だ。実際のそれとどこまで合うか)
そう思ったが、口にはしなかった。
「いつでもいいよ」
のんびりと告げると、右手の力をすっと抜いた。
開始を告げるブザーが鳴った瞬間、使徒もどきがビルの影から飛び出した。
取りあえず、頭と足に撃ち込んだ。
使徒サキエル戦の最後の方で、漸く高シンクロ率の負荷から解放されたシンジが見たのは、サキエルの胸部にあった紅い核に、初号機が踵落としを決めた光景であった。
使徒の形態がすべて同じなら問題ないが、違った場合、即ちコアが隠された部分にあった場合には、一点あるいは二点を常にねらう射撃だけに長じていると、裏目に出る危険性がある。
それに最初に初号機が出た時、足止め代わりの爆雷は、まるで意味を為していなかった。
おそらくは、近接格闘でとどめを刺す必要が出てくると、シンジは見ていた。
標的の動きを封じておいてから始末する事、これは基本的な戦法である。
それに、使徒は一秒間に二が体姿を見せた。
従って毎秒、四発の発射が求められる。
最初の頃は、やや精一杯と言う感じがあったが、数分もすると、ほぼ慣れてきたようで、消える寸前まで、コンマ何秒の差ではあったが、ぎりぎりまで待ってから撃てるようになってきた。
「目標をセンターに入れてスイッチ」
と、呟いたりもしている。
シンジがウージーで、魚拓ならぬ人拓みたいな物を作って見せた一件で、銃器の扱いにも妙に長けている事を知っているメンバーは、さほど驚きはしなかった。
最初の一巡が、7分で終了した時、標的は全て頭部の真ん中と、足部を撃ち抜かれていた。
何故かコアには一体も当たっていない。
故意なのは明白であった。
しかしリツコは、何らかの意志があっての事だろうと、詮索はしなかった。
答えは二巡目に出ることになった、それも強烈に。
「一応、上半身は出してくれる」
シンジの注文通りにされたプログラムが実行される。
最初の標的が、注文通り腰から上を見せた瞬間、シンジの手は秒の速さを見せて、引き金に掛かり、頭部の真ん中と心臓、それにコアを模した紅い核らしき部分へ、正確に撃ち込んでいた。
しかも出てくるスピードは同じ、即ち毎秒2体。
一秒間に六発を叩き出し、全弾命中させていくシンジ。
誰も気が付かなかったが、シンジは完全に乗り気になっていた。
正確に言えば、楽しんでいたのである。
自らを含め、人類の命運を左右するそれへの訓練も、シンジにとっては遊戯の一環らしい。
シンジの家の地下一階には、浴場と共に射撃場も一応ある。
コースの選択に従って、次々と標的板が姿を現して来るのだが、こちらは実践の、それも対使徒戦を模しているため、全身は一気に現れては来ない。
逆にその方が、実戦用の慣れは出ると言えるのだが。
ただし、早くも慣れを見せたシンジは、どの場合にもコアは外しておらず、後は出てくる場所を的確に撃ち抜いている。
が。
シンジ自身は、P99を常用としており、射撃自体はそんなに得意としてはいない。
得手とするのは、むしろナイフを自在に操るそれにあり、近接戦にあると言っていい。
無論大型拳銃のP88とて、普通よりは上に扱ってみせるが、せいぜい今の射撃くらいであり、曲芸並までは行っていない。
とは言え、その辺の軍人よりはだいぶ上だが。
そのアオイとシンジだが、アサシンとしてはやや異種の位置にあった。
二人が片づけた人数は三桁、それももうじき四桁に届く数まで達しているのだが、その八割近くは、依頼を蹴られた逆恨み、あるいは一度も守秘義務が破られた事は無いにも関わらず、猜疑心から口封じを図ってきた連中であった。
要するに、実際に標的として片づけたのは、極めて少ないのだがこれには訳がある。
二人が依頼を受けるかどうかは、金額の大小では無く、難易度でもないのだ。
即ち、始末されるべきかどうか、と言うことである。
とかく感情的になりがちな依頼人の訴えだけではなく、自らが確かめる事で、一時の感情に任せた無益な殺戮や、金だけの殺人マシーンとなることを防ぐようにとは、アオイの祖父である信濃ヤマト夫妻の教えであった。
傭兵に比べれば、遙かに甘ったるい考えに見える。
だが背中合わせで敵に囲まれた時でも、互いに対する信頼感と、相手に傷を付けさせないという強固な意志は、幾度も絶体絶命の危地を脱してきている。
基本的に一匹狼の傭兵とは、一線を画す点でありまた、それに劣らぬ、いやそれ以上の力をこの二人が出せる所以でもある。
射撃が全て終わったとき、シンジがゆっくりと力を抜いて息を吐いた。
見ていた者達から感嘆のどよめきが上がった。
までは、良かったのだが。
「お疲れさま」
リツコの声に、
「少し疲れた。出来はどう?アオイちゃん」
言った瞬間空気が凝結した。
あ、と洩らしたのはシンジ。
暫くぶりの全力射撃に、つい気が緩んだのか。
いや、正確には射撃の時には常に隣にあった、その存在が大きいせいだ。
しかし原因はともかく、それを聞いた者達が更に凍り付いた。
拡声器で発令所中に響き渡った、訳ではない。
危険な発言と同時に、とある地点を中心に冷気が発生し、あっという間に広がったからだ。
運悪くミサトとリツコはそのすぐ傍にいた。
足首に凍るような冷気がまとわりつき、ふくらはぎに沿って上がってきたかと思うとあっという間に、脊椎に移った。
おそらく両三日は寝込む事になるかも知れない。
美少女の冷気を跳ね返すほど、肉体年齢は若く無いのだ。
「お兄ちゃん。アオイちゃん…て…誰?」
訊く者を凍り付かせる、危険な温度の声が妖々と響いた。