第四話
 
 
 
 
 
 薄れゆく意識の中、彼女は願った。
 もう一度だけ会いたい、と。
 長い年月の後、その願いは幾分形を変えて、叶った。
 無論血の通った両腕に抱きしめる事も、言葉を交わすことも、そして慕われる事すら無い。
 会いたい、というただそれだけの、小さな願いへの代償としては、いささか大き過ぎたかも知れない。
 想い人と同じ姿を得るため、自らの大切な声を捨てた海中の美姫は幸せだったのか?
 そして、人型兵器の核に眠る魂となりわが子を待つ碇ユイは?
 その答えを知る者はいない…。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 シンジとユリが、無人改札を出た時、辺りも無人であった。
 唯一エンジンのかかった黒塗りのベンツが目に留まったのが、どこか違和感を感じさせる。
 運転手の姿は見えない。
 大きなエンブレムと車高の下げられた車体は、AMGを示している。
 省エネの動きに逆らうような、エキゾーストは、溢れるパワーの証だ。
 ユリが、つかつかとベンツに近寄った。
 無人をいい事に、無断拝借するように見えなくもない。
 それを見ていたシンジが、ふと横を向いたとき、
「綾波レイ?」
 呟いた先には、綾波レイの姿があった。
 気のせいかも知れない。
 思わず瞬きしたシンジは、一瞬にしてその姿を見失っていたから。
 ユリがベンツの周りを一周したのは、不審物の確認の為だったが、先程の電話で、この車がシンジの乗用車となる事を、シンジは聞いていなかった。
 ユリに目で呼ばれて、刹那首をかしげた後、ベンツに近づいた。
「これが一台目の車になる」
 言われて、シンジの顔が少しほころんだ。結構嬉しいらしい。
 実は、シンジが欲しがっていた車をユリが伝えたとは、知らない。
 だが、
「私が運転して後ろから付いていく」
 妙な言葉に、シンジが聞き返そうとしたとき、爆音をならして、真青のルノーが滑り込んできた。
 ただし、ドリフトより、単なる荒っぽい運転に属している。
 シンジの脳裏に見せられた写真が甦った。
「ホルスタインの暴れ牛」
 声に出さずに呟いたとき、
「ごめん、待った?」
 降りてきたのは、言わずと知れた葛城ミサト。ユリの言葉どおり道に迷ったらしい。
 シンジの髪を見た目に僅かに、羨望が浮かんでから、ユリを見た。
 "なんて綺麗な女性(ひと)…"
 思わず声に出しそうなのを抑えて、
「貴女は?」
「チルドレン達の専門医、長門ユリ」
 鈴を振ったような声に、引き込まれ掛けたミサトを、響いてきた爆音が無理に引き戻した。
「わ、私は…」
「シンジの上司、葛城ミサト嬢。聞いている、シンジをお願いする」
 思わず、サングラスを外して、直立不動で敬礼した所へ、
「なんか、うるさいみたいだけど」
 一見のんびりに聞こえるシンジの声がかかった。
 その中に含まれる、僅かな苛立ちをユリは感じ取っていた。
 判るほどに乗せていないのは、ユリにいきなり微笑まれた人間の反応を、よく知っているからだ。
「そ、そうね、乗って」
 助手席のドアを指してから、収容能力に思い至ったらしい。
 ユリの顔に微笑が浮かぶ。
「え、えーとあの…」
「ドクター、で結構」
「あ、はい、ドクターはその車で?」
「いや、私は少し遅れて行く。それにこの車の正当な持ち主はそこにいる」
 白い指の先には、シンジがうっすらと笑っていた。
「あ、あれあなたの…?」
「そうとも言うらしいです。それより、急ぎません?」
 ミサトもシンジの口調に含まれた物を感じ取り、同時に単なる普通の少年ではなさそうだと察知して、質問は後回しにして乗り込んだ。
 高回転まで回してから、サイドブレーキを外す。タイヤが悲鳴を上げて飛び出した。
 ベンツの運転席に座ったユリが、
「これより一旦避難する。シンジ、無事を祈る」
 と、どこか楽しそうな表情で言った事を、無論シンジは知らない。
 シンジが視線を前に戻した瞬間、
「あれが…使徒?」
 前方に対峙する二体の巨大な人型の物体を見た。
 まだ見ぬエヴァと間違わなかったのは、尻尾のように生えている電源と…完全な劣勢からだった。
 現在大苦戦中、そう告げたユリの言葉が甦る。
 ミサトが車を止め、ダッシュボードから小型の双眼鏡を取り出した。
 僅かに香水がシンジの嗅覚を刺激する。
 後ろのスーツケースに手を伸ばしたシンジが、大型の双眼鏡を出してミサトに渡した。
 左右が2,0以上の視力を持つシンジには、この距離ならほぼ見えている。
「ありがと」
 短く言ったミサトが目に当てると同時に、違法改造と分かる無線機を入れる。
 次の瞬間、全機に離脱を告げるやや高い女の声が聞こえてきたが、それを聞いた二人の反応は異なっていた。
「こんな所でN2地雷!?」
 1オクターブ高くなったのはミサト。
 シンジの方は、
「ベンツの運転手、何か知っていたな。また僕だけ蚊帳の外だ。許せん」
 ちっとも怒ってない口調で、言った次の瞬間、
「伏せてっ」
 だが声と秒の差でミサトの腕が動く前に、シンジはミサトを引き寄せ、胸の中に抱き込んでいた。
 かつての想い人とは違うが、年齢よりだいぶ堅い感じの胸に、押しつけられたミサトはなぜか頬が上気しているのを感じた。
 がしかし。
 シンジの珍しい行動が、押しつけられる胸を選んだからだと知ったら、どんな顔をするだろうか。
 そんな事は知る由もないミサトが、素直に感謝した直後、投下された爆雷の大火炎の余波が襲ってきたのだ。
 シンジの胸に押しつけられてから、ちょうど三秒後に、衝撃をもろに食った車が、ゴロゴロと二回転した。
 運良く正常位に戻った時に、ミサトが見たものは、髪の痛みを気にして撫でているシンジであった。
 ミサトと目が合った時、髪に触れていた手をポケットに入れハンカチを取り出した。
 渡さずにミサトの頬に当てる。
 ミサトが何か言う前に、コンパクトミラーで顔を見せた。
 あらあ、と呟いたミサトの顔に切り傷ができている。ガラスででも切った物か。
 幾分上気したまま礼を言ったミサトに、無言のまま車を降りた。
 ボンネットを開けるよう目で合図して、周りを一周する。左後ろのタイヤがパンクしている以外は、エンジンの方も無事なようだ。
「タイヤ交換は?」
「私がやるわ」
 そう言ったミサトがシンジの服を見て、申し訳なさそうな顔になる。
 その視線を追ったシンジの目に、怒りとも迷惑とも付かない色が浮かんだ。
 ミサトはかすり傷で、ドレスアップした服は無事だったが、シンジの4ツボタンのジャケットは、両袖があちこち裂けかかっている。
 ミサトの頭があった部分に、ルージュが付いているのを見て、ふう、とため息を付いたシンジがジャケットを脱いで後ろを見た。
 使い物にならなくなっているのが一目瞭然であったが、ミサトの眼は、ドレスシャツの下の上半身より、ジャケットの左右のポケットから覗く、黒い物体と、腰の右に差し込まれた、シルバーナイフに吸い付けられていた。
 少ししか見えないのだが、違和感を感じた辺りは、ひとえにミサトの勘だ。
「碇シンジ君、それは?」
 語尾に幾分緊張が乗っているのは気のせいではあるまい。
「シンジ、で良いです。これ、護身道具みたいな物です」
 足首の小型拳銃の事までは触れない。
「ふ〜ん、さすがに碇司令がガードは無駄って言う訳ね。あ、あたしもミサトで良いわよ」
 スペアタイヤとの交換にかかりながらミサトが言った。
「あの、ガードってチルドレンに付けるの?」
「ある程度の情報はある訳ね。その通りよ」
 シンジが首をかしげたのを見て、ミサトの眼に疑問符が浮かんだ。
「パイロット達に護衛を付けなきゃならないほど、ネルフって恨み買ってるのかなって思って。やっぱり犯罪組織だったんだな」
 ミサトが笑い出した。
「違うわよ、チルドレンの護衛は単に人類の切り札だからよ。第一、こんな綺麗なお姉さんが犯罪組織にいる訳無いでしょう」
 それが言いたかったらしい。
「きれい、か」
 その言葉に何を感じたのか、ミサトの顔色が僅かに変わる。
 タイヤの交換が終わり、出発するまで、会話は無かった。
 ネルフまで3キロまで来たとき、不意にシンジが言った。
「ゲートはあると思うんだけど、液状爆弾仕掛けて通れば良いの?」
 ユリもアオイもシンジの前で、一度も自らの容姿を自慢した事はない。シンジ自身が目も眩むような美少年ではないから、仕方がないが、明らかにレベルの違う友人達でさえしなかった発言は、シンジのどこかに触れたのかも知れない。
「ごめんね、忘れてたわ。これ、司令から預かったの」
 ステアリングを切りながら取り出した封筒は、厳重に封がしてあって表面には、
「碇シンジ直々開封之事」
 と達筆で書いてある。少し苦笑したシンジが封筒の端に爪を当てた。ヤスリ掛けも大してされていない爪が、封筒を一気に切っていくのを、ミサトは半ば呆然としながら見ていた。
 不意にシンジの右手が伸びて、電柱に一直線の車体を引き戻した。
 慌てて、前を向いたミサトだが、封筒の中身を視界の隅に捉えたとき、今度は大きく目を見開いた。中に入っていたカードが、総司令である碇ゲンドウとほぼ、変わらない物である事を知ったのである。無論自分より余程上だ。
(信じられない…)
 声にはしなかったが、顔にはしっかり出ているミサトをどう見たか、
「要る?」
 と、訊いた。
 気合いの抜けたようなシンジの声だが、その瞳の奥に途方もない、何かを見たような気がして、ミサトは首をぶんぶんと振った。
 ミサトが横の少年の正体という、到底解けぬ難問に頭を悩ませていた頃、既にゲンドウはエヴァの出撃用意をしていた。
 もとより、使徒を完黙させるには、通常兵器で使える物はない。N2爆雷の爆炎で高笑いした間抜けな軍人達が、慌てふためき、ネルフに全権を委任するまで、さして時間はかからなかった。
 ゲンドウには、シンジが使えないかも知れないという不安は皆無であった。
 ただ、葛城ミサトに遠慮してアオイが上京してない。
 二人が二日以上、離れていた事が無いのを知るだけに、ミサトの飄々とした性格が、シンジの気に障るかも知れないと、それだけが不安であった。
 今では親友の赤木リツコに、大学時代母の高名もあり皆が敬遠する中、ミサトだけは平然と近づいたと聞いている。その性格が裏目に出ない事を願った。
 だいたい、関心がなかったシンジが、写真を見て決めたレイは、起動実験の失敗のせいで負った傷は大したこと無かったが、先ほどの急仕立ての出撃で、あちこち負傷して帰ってきた。
 レイを見られれば、ナイフの2,3本が飛んでくるのは覚悟の上だけに、この上、
「やっぱり帰る、後はご随意に」
 と言われるのだけは避けたかった。
 ふと腕時計を見ると、到着予定をだいぶ過ぎている。
 既に、使徒は第三防衛戦まで迫りつつある。このままでは嫌でもレイを出さざるを得ない。平素からどこか不機嫌に見える顔に、より負の表情が加わった時、滑り込んでくるルノーが見えた。
 どうやら間に合ったらしい。
 僅かに安堵の息を吐いたとき、
「嬉しそうだな、碇」
 幾分冷やかすような感じの笑みを浮かべて訊いたのは、闇同盟の盟友にして、参謀でもある冬月だ。
 良き理解者でもあるのだが、たまにこんな感じで、物を言う事がある。
「来ただけだ。回れ右して帰る可能性もある」
 わざと、ぶっきらぼうに言うと、シンジの顔色を確かめに出ていった。
 ゲンドウがエレベーターに乗ったとき、ミサトは赤木リツコから、お叱りを頂戴している所であった。
「遅いわよ、葛城一尉。食事にでも行っていたの?」
 皮肉を乗せて言ってから、横に視線を移す。
 シンジと合う目に、棘があったのはゲンドウのせいである。
(この子がユイさんの忘れ形見……)
 初めまして、と言うはずだった。
 だが、口から出てきたのは、
「ずいぶんと、綺麗な髪ね」
 それも、ミサトには分かる程度であったが、皮肉をきちんと乗せて。
 だが、シンジはそれにすぐ気づいた。ユリがゲンドウの愛人だろうと、言っていたのを思い出す。
(僕に何を見てるんだ、まったくもう)
 しかし事実無根であれ、相手が何やら敵意らしき物を持っている以上、何とかしなければならない。
 シンジが取った行動は、リツコの耳に顔を寄せ、囁く事であった。
「いつから親父の愛人に?」
 普段は冷静そのもののリツコの顔が、音を立てて真っ赤になった。
 呆気にとられるミサトも目に入らず、
「ど、ど、どうぢで、ぞれを…・」
 呻くように言った声は、既に裏返っている。
 それには答えず、シンジは、
「華燭の典はいつに?」
 と、訊いた。
 会心の一撃は、リツコをよろめかせるのに十分であった。
 慌てて支えたミサトが、
「一体何を言ったの?」
 と、幾分声を荒げたのには冷たい一瞥を投げて、再度リツコに、
「遊び?」
 今度は、普通の大きさの、だが冷たさのかなり混じった声で訊ねた。
(この子の眼、今血の色がした…)
 リツコを引き戻したのは、その冷たさである。
 ほんの一瞬考えてから、微かに首を振った。幾分顔は紅いままだ。
 それを聞いたシンジが、にっこり笑った。
 人を魅入る、妖しい魔力を持った笑みであった。
  リツコとミサトがつい見とれた所へ、
「未来の夫の息子とは、仲良くした方がいいですよね?」
 と、これはリツコの耳に囁いた。これで、完全にリツコは陥落した。
 こっくりと、頷いたところへ手を差し出した。
「よろしく……未来のお義母さん」
 幾分小さめな最後の部分は、強烈な賄賂となり、シンジをリツコの強力な味方となし得た。
 しかし、シンジは二人が結ばれるのは気にしない、らしき事は言ったが、応援するとは一言も言っていない。第一、父親の本心など訊いてもいないのだ。ユイの影から離れ切れていないゲンドウを知りつつ、餌をちらつかせる辺り、策士を通り越して、悪人と言えるかも知れない。
 少し急いだ方が、のシンジの一言で自動走路の上を早足で、通り抜けた。
 走路から最後尾のミサトの足が降りた瞬間、アナウンスが流れた。
「総員第一種戦闘配置」
 幾度も聞くことになるこの命令は、この時は冬月の声であった。
「らしいわね」
 そう言ったリツコの顔は冷静な科学者のそれであった。
「マジで時間無いわね。近道しましょ」
 ミサトの案で乗り込んだホバークラフトは、前列にミサトとリツコ、シンジは後ろにいる。シンジの顔に緊張の欠片もない。珍しそうに辺りを見回している。
 だが、リツコに手を差し出したときも、そして今も、右手は完全に開けてあるという事を、前の二人は知らない。
 シンジの視界に巨大な手が映った。おや、と首をひねった瞬間ホバーがその横を走り抜けていた。行き止まりになった所で停めて、3人が降りた前にドアがあった。
 ドアを抜けた瞬間、初号機の横顔が視界を占めた。
「悪趣味…・」
「お気に召さなかったかしら?」
 訊ねたのはリツコだが、最初の視線とはうってかわって、親しげな感じがこもっているのには、ミサトが驚いた。
(さっき一体何を密談していたのかしら)
 首を捻った所へ、
「これが、人類最後の砦?せめて全身白にして、羽ぐらいは生やしてほしかったな」
「一般的な天使の絵図ね。ところで、これにあなたが…」
 乗ることは知っているの、と言おうとしたとき、
「遅かったな、葛城一尉」
 ゲンドウの声が降ってきた。
「申し訳ありません。爆発に巻き込まれまして」
 来る前に迷っていたみたいだよ、とはシンジは言わなかった。大人である。
「君が爆発に巻き込まれて、シンジの服がボロボロになっているのはどうしてだ?」
 突っ込まれて、ミサトが下を向いたのを見ると、シンジに視線を向けた。
「ご苦労だったな、シンジ」
「長いこと隠していたのはいいとしても、この悪趣味は親父の好み?」
「べ、別にそう言うわけではないが…」
 内心ではやばいか、と焦りが生まれている。
 部下達の前で、保つべき最小限の威厳を含ませたまま、
「ともかく、これにお前が乗るのだ、異存はないな」
 出撃、と言おうとしたとき、
「はい、異議あり」
 シンジが手を挙げた。
「何だ」
「こんな悪趣味な色は嫌。せめてオールペンで純白にして貰いたい」
 リツコがなだめようとしたとき、
「シンジ、さっさと乗った方が良いと思うが」
 声の主は車輪の付いたベッドを押しているユリであった。
 リツコが怪訝な眼を向けたのへ、
「私立では日本一を誇る長門病院の一粒種、長門ユリ。チルドレンの専門医だけど、聞いてなかった?」
 納得したリツコだが、シンジの眼がすさまじい光を帯び始めているのに気が付いた。
 その視線はユリの押すベッドに向けられている。
 横たわっているのは綾波レイその人だ。あちこちに巻かれた包帯が痛々しい。
 と、ユリが何か囁くとゆっくりと起きあがった。すっと近づいたシンジ。
 二人の視線が合った時、レイの眼にリツコと似た、しかも数倍強い感情をシンジは読みとった。
(げ、ここにも一人…)
 何思ったか、シンジが右手を出した。
「碇シンジです」
 握られるとは思っていなかった。
 だが、まさか包帯を巻いた手で叩かれるとは。
 しかも、弱々しいがはっきりした声で、小さな口から出てきたのは、
「貴方、敵」
 と、いうシンジに取ってとてつもないショックな言葉であった。
 その証拠に、一瞬血の気が引いているのだが、それを見てユリが妖しく笑った。
 どうにか、立ち直り軽く首を振ると、
「出撃、承知した」
 ゲンドウに告げたが、その全身から僅かに冷気が上がっているのに、ユリだけが気づいていた。
 ゆっくりと、初号機の方を振り向いた瞬間、凄まじい衝撃が起きた。使徒の攻撃の余波だ。シンジの頭上にライトが落ちてきた。すっとかがみ込んで、足首から銃を引き抜こうとしたシンジの顔に一瞬驚愕が浮かんだ。エヴァの手が水中から、シンジの頭上に突き出されたのだ。シンジの鉄甲弾の的となることもなく、ライトは吹っ飛ぶ。
 横から巨大な防壁が伸びてきた、と見た瞬間シンジは地を蹴っていた。
 レイが担架から落ちかけるのを、あえてユリが見逃したのを知り、落ちる寸前、腕の中に抱き留めたのだ。薄いブルーのドレスシャツに僅かだが血が付いた。
 安堵の息を洩らしたが、小声でどいて、とつれなくされあーあ、と呟いた。
 不安定な姿勢から、数メートルを一気に飛んだのだが、それよりもミサトやリツコに取っては、初号機の行動の方が驚嘆に値したらしい。
「インターフェイスもなしで、この距離で反応!?」
「まさか、あり得ないわ」
 信じられない、といった顔の二人へ、
「普通に考えれば、訳の分からない使徒が攻めてくる方が、あり得ないことだ」
 やや、冷たい声で言ったユリは、シンジを見た。
 ユリの放置はシンジの跳躍を踏んだ上での行動なのだが、結果がどいて、では報われない。シンジの表情は微妙であった。
 だが、それでも笑顔をユリに向けたのは、
「感謝してもらおう」
 というやや強引な意思を、ユリの表情に読みとったせいもある。
 何か信じられない物を見ている目つきで、初号機を見上げているコンビに目を向けるとリツコに、
「準備を」
 と、促した。
 動きが慌ただしくなった。
 エヴァから停止用の仮プラグが抜かれ、シンジを詰め込んだエントリープラグが挿入される。
 飛び出した右腕が再度固定された。
「固定完了」
「了解。第一次接続開始」
 計器類に一斉に光が灯ったところで、
「LCL注入開始」
 足下から急激に水がそそぎ込まれても、慌てもせず、
「何これ」
と訊いたシンジに、リツコが感心を言葉に乗せて、
「思い切って飲んで。肺が一杯になればそこから酸素が吸入できるから」
「良かった」
 この呟きは、拳銃とナイフをスーツケースにしまっておいたことを指す。
 指示は無かったが、何となくの行動である。いまスーツケースはユリの手元にある。
 プラグがLCLで満たされると、神経接続を示すランプが次々に点灯し始めた。
「第二次コンタクト、準備良し」
「主電源接続」
 異変が起きたのは次の瞬間であった。双方向回線は開かれておらず、シンクロには至っていない筈なのに、初号機が咆吼したのである。
「ど、どういう事」
「どうなってるんだ」
 混乱の中、ゲンドウだけは顔色も変えず、僅かに呟いた。
「そう言うことか」
 と。
 シンジは異変に気づいていた。ゆっくりと風呂にでも浸かっているような、体が包み込まれていくような錯覚に陥っていた。体はそれで良いのだが問題は心の方であった。 落ち着くを通り越して、何か取り込まれそうな程だ。簡単に言えば、ユリに妖しい目つきで、催眠術を掛けられたような感じ。
(嫌な気分じゃないが、やっぱり嫌だね)
 すっと、シンジの眼が細くなり、
「うるさい」
と言った瞬間、咆吼はぴたりと止んだ。
「リツコ…今の、何?」
「暴走、じゃないことは確かよ。見事な物ね」
と言ったが内心では、
(愛する我が子との再会を祝す号砲ってところかしら。手強いわね…)
 全く別の事を考えていた。
 A10神経接続は問題なく進み、思考形態を日本語にセットする。
「双方向回線開きます」
 その直後、文字通り驚愕の声が上がった。
 サードチルドレン碇シンジのシンクロ率は、175%を示していたのである。
「信じられない、でもこれなら…行ける、行けるわ」
 興奮気味のミサトの声にかぶせるように、
「シンジ、最大出力で」
 ユリの声に、そこにいた者達が振り向く。
 プラグの中で苦笑したシンジが、ゆっくりと目を閉じていった。
 丹田に意識を集中し、集中したままそれを脳に持ってくる。
 ユリの言葉に素直に従ったのは、自我を集中させないと、取り込まれそうな感じが自分でもしていたからであり、それはユリも感じ取っていた。シンジのうるさい、と言った声だけで見抜いたのは流石といえる。
 素人の口出しに、幾分苛立ちを乗せて振り向いて彼らの目は、ユリの美貌に磁石に吸い付けられる砂鉄のように集まった。
 意志の力で何とか引き戻したとき、彼らの目は極限まで開かれた。
 “シンクロ率280%”
 見合わせた互いの顔に手をのばし、つねり合う光景が彼方此方で見られたが、ミサトとリツコも例外ではなかった。リツコの顔から手を離したミサトが振り向く。
「かまいませんね?」
 ゲンドウの表情は変わらず、
「使徒を倒さぬ限り、未来は無い筈だが?」
 と、逆に聞き返した。
 その様子を見ていたユリが、そっとレイの耳元に口を寄せた。まだ抱きしめたままである。
「碇シンジは、エヴァに乗るために来た。あなたから総司令を奪うためではないわ」
 少しレイの体が震えた。
「既にシンジは、貴女のクローンの事は知っている。でも、一人の女の子として、あなたに興味を持ったのよ。とても珍しい事だけど」
 ユリがこんな口調で語りかけることも、珍事に当たるのだが、そんなことは知らないレイの眼が大きく開かれた。
「ほ、本当に?」
 黙って、だが微笑したまま頷いたユリが、レイをベッドに横にならせた。
 ショックからか体が弛緩したのを感じ取ったのだ。
(さて、縁結びのお礼には何を頂戴しようかな?)
 アオイが見たら、シンジを後ろ手に庇いそうな笑みが、ユリの口に浮かんだとき、
「目標は最終防衛ラインに侵入しました」
「初号機の状況は?」
 訊ねたのは冬月の声だ。
「現在、最終安全装置を解除」
 ミサトの言葉通り、ロックが外され、拘束具が解かれていく。
 シンジは中で軽く眼を閉じている。ゆっくりと深呼吸したのだが、やれやれと呟いた声は、誰にも聞かれることは無かった。既に取り込まれる感覚は無いものの、エヴァに付いていた物が取り払われる度に、自分の体に直に触れられてる感じがするのだ。高シンクロ率の副産物である。
 顔が現れて、全身を見せた初号機が発射口へと台ごと移動していく。
「外部用電源コンセント、異常なし」
「進路クリア、オールグリーン!」
 緊張のせいかやや甲高い声が、発進準備完了を告げた。
 一瞬閉じたミサトの目が開かれたとき、その表情はどこか吹っ切れた感じがあった。
 その横顔にユリの視線が注がれた。
(最前線へ赴くのは、私の親友だが)
 そんな事は知らない、ミサトの声が響いた。
「発進!」
 直立の姿勢のまま、一気に地上めがけて押し上げられる初号機。
 無論、パイロットにはそれなりのGがかかるのだが、ユリのフェラーリの暴力的な加速で慣れているシンジには、さしたる事も無い。
 シンジが考えていたのは、一つだけ。
(あの子こんな事させられてたんだ。やっぱり許せん)
 と。
 機体に強い衝撃が加わった。地上に飛び出したのである。
 シンジの視界に、高層ビルの建ち並ぶ町並みと…人型の使徒が映った。
 ミサトが何か言いかけたがその前に、
「レバーからの意志でだいたいは動くの?」
 緊張感のないというか、既に切れてしまっているというか、およそ似つかわしくない声であったが、ミサトとリツコの顔に緊張が走った。
「『しまった!』」
 何のことはない、操縦法を教えていなかったのだ。あまりにも落ち着いたシンジの態度と、摩訶不思議とも言える高シンクロ率に気を取られ、肝心な事を失念するとは。
「ご免なさい、シンジ君。その通りよ、レバーを持って行動を考えて」
「小指詰めたら許してあげる」
 笑顔のままの不気味な台詞に、ミサトの顔から血の気が引く。
(この子…もしかして、マジ?)
 不吉な予感を振り払うように声を張り上げた。
「エヴァンゲリオン初号機、リフトオフ!」
(取りあえず、動いてみるか)
 だが、シンジの行動は発令所の予想を大きく裏切った。
 僅かに身を屈めた次の瞬間、後ろへ飛んだのである。
 一斉にどよめきが上がる中で、ユリの思いは別にあった。
(私の想い人の勇姿は見られるか?自分を僕、などと呼ぶ少年に碇ユイの誘いをはねつけられるとも思えないが)
 何かを探すように、周囲を見ていた使徒−サキエルだが、初号機の出現に動きを止めた。シンジの跳躍を見てもなお動かない。
 シンジが軽く足を踏みならした。感触はつかんだらしい。
 ほっとしたような表情の発令所へ、
「武器とか、ある?」
 間延びした声が降ってきた。
「ご免なさい、それも今はないの」
 今度はリツコの声であった。
「どうなってるんだ、総司令の頭の中は?」
 全員に響き渡った皮肉に、ゲンドウが眉をしかめた時、シンジが地を蹴った。
 だが、初号機の巨体はサキエルの横を通り過ぎた。
 あら?とミサトが呟いたとき、巨体は急停止を掛けた。
 不安定な姿勢のまま左足を軸にして、右回し蹴りを放つと同時に、発令所に感嘆の声が上がった。
 数十メートル吹っ飛んだサキエルだが、シンジの動きも止まった。
(どうすれば、始末できたかな?)
 自分でも気づいていないが、幾分昂揚状態にあるため、もしかしたら訊いたかも知れない、と言う思いが確認を思いとどまらせた。
 だが、パイロットの迷いはそのまま挙動に現れる。地を蹴ってサキエルの傍らに着地した瞬間、向こう向きのまま、サキエルの右手がにゅうと、伸びてきた。
 対人格闘戦では致命的なミスだが、今のシンジはロボットの中にあり、しかもレバー越しの意思伝達だけという、操縦法では無理からぬ事かも知れない。
 だが、シンジが僅かに舌打ちして、ステップバックで回避に移った瞬間、サキエルの手は初号機頭部を鷲掴みにしていた。
「シンジ君、逃げてっ」
 ミサトの声にシンジは逃げもしなかった。体を回転させて振り向こうとする、自らを掴んだままのサキエルの手に、振り上げた手刀を打ち込んだのである。
 そんなに勢いは無かったが、サキエルの手がぶらりと下がるには十分であった。肘の辺りで折っていたのである。
 が、次の瞬間サキエルは予想もしない行動に出た。右足で初号機の腹部を蹴り飛ばしたのである。無防備なまま今度は初号機が吹き飛んだ。
 プラグ内で脇腹に手を当てるシンジ。
 お見事、と呟いた声はさすがに重い。
 出撃前に、280%を示していたシンクロ率は、幾分上昇し現在は310%を示している。シンクロ率の上昇はそれだけ、細かい行動も可能にするが、エヴァの感じる物をそのまま、パイロットに伝えるという、副作用ももたらす。実戦で一度もこんな無様を晒したことのないシンジにとって、かなりの激痛であったがその目にはむしろ、冷たい怒りが沸き上がっていた。
 ただ、つま先にコンクリートを詰めたブーツでの、ボレーシュートを食らったような激痛は初号機の動きを止め、サキエルに攻撃の時間を与えた。
 今度は、頭部と腕まで一緒に掴んだ。学習したらしい。頭部への痛みより、お礼参りと言わんばかりに、強い握力で捕まれた右腕への痛みに、シンジの口から僅かに声が漏れた。
 対人戦なら、腕にナイフが突き刺さっていても、反撃に出るシンジだが、自分の物ではない、それでいて余りにも我が身への直に近い痛みは、動きを鈍らせた。
 ついに右腕の手首が握りつぶされた。人間と同じ深紅の体液が吹き出す。
 手を押さえる事も許されず、初号機が空中に上がった。サキエルが持ち上げたのである。そのまま、ビル群へ叩き付けられる。
 僅かに呻いた瞬間、白い矢が初号機の頭部をビルに縫いつけた。
 エヴァのモニターが振りきられたのは次の瞬間である。
「どういうことっ」
 幾分パニック気味で訊ねるミサトへ、オペレーターが、
「神経接続計測不能です」
「プラグを強制射出して」
 ボタンに手を伸ばし、
「だめです、信号を受け付けません。制御不能です。内部モニターも切れました。パイロットの生死不明ですっ」
「あれで死ぬなら、今頃ここにはいるまい」
 小さなユリの声は、騒ぎで起きたレイの耳にだけ届いた。
 本能的に、どこか自分の味方だと判断したユリに、もたれ掛かるようにして起きあがると、
「大丈夫…ですか?」
 と訊ねた。その顔が硬直したのはユリの笑みを見たせいである。
 ようく見ておくと良い、そう囁いたユリの顔は見る者を凍り付かせる程の、妖艶な笑みを浮かべていた。
 シンジは妙な矢が突き刺さった瞬間、白濁していく意識を感じ取っていた。
 だが、僅かに笑ったように見えたのは、何故か。
 縫いつけられた初号機の前にサキエルが立った。
 とどめを刺すべく、ゆっくりと手を伸ばそうとして…止まった。
 まるで、見てはならぬ物を見たかのように。
 初号機のグラフが全て正常に復したのは、次の瞬間である。
 それを見たリツコは目を疑った。シンクロ率が40%まで下がっていたのである。
 ミサトと顔を見合わせ、どういうこと、と呟いたとき、
「高くなっても所詮は、一体化はできん。取り込まれたどこかの女の二の舞は、踏みたくはないからな」
 声を聞いた者達の手が止まった。確かにシンジの声だ。
 だが、違う。
 辞書に緊張感という言葉が無いような、シンジの口から出る言葉ではない。聞いた者を凍てつかせる声は鋼を含んでいる。声はさらに続けた。
「人を死地に放り込むときは、もう少しまともな状態にしておけ」
 ミサトやリツコ、それにゲンドウまでが凍り付いたとき、初号機が再度咆吼した。
 ケージ内の物とは違い、野生を感じさせる声であった。右腕が振られ、一瞬で再生する。驚きの声を上げるミサト。
 だが、驚きはさらに強まった。矢が刺さったまま、つまりビルに縫いつけられたまま初号機が妖々と立ち上がったのである。強引な立ち上がりに、ビルは半分からもぎ取られていた。苦もなく矢を抜くと、ビルは崩れ落ちた。矢を放り投げるとおもむろに自らの頭に手を当てる。頭部の拘束具を引きちぎった。
「さて、行くか」
 冬の静夜のような声は、人類の最後の砦である、エヴァパイロットの物の筈だが、聞く者達に、死に神の声のように響いた。
 あのレイが、思わずユリにしがみついたほどである。
 本能的な恐怖から来る行動らしい。そっとユリが手を重ねた。
 初号機は躊躇わず、サキエルの喉元に貫手を突き出した。少し触れたようにしか見えなかったがサキエルは、吹き飛んだ。吹き飛ぶままにはしておかず、後を追って空を飛んだ初号機は、落下寸前のサキエルに、蹴りを叩き込んだ。
 だが、勢いよく落下…はできなかった。初号機が腕を掴んでいたのである。
 顔が地面に口づけした瞬間、腕が引き上げられた。
 サキエルの付け根に手を当てて、無造作にへし折った。
 しかも肩口を足で踏みつけて、腕を力任せに引きちぎったのである。
 腕は放り投げて、頭部を掴み持ち上げてキャッチボールのように投げつけた。
 なおも攻撃を加えるべく、サキエルに近づいた初号機が、弾かれたように止まったのは、次の瞬間である。
 オレンジ色の巨大な八角形の壁が、初号機の接近を阻んでいた。
「『A・Tフィールド!?』」
 ミサトとリツコの声が同時に上がったが、ユリとプラグ内の主はほう、と呟いただけである。一瞬で復元した右腕をじっと見た。何思ったか、
「役立たずか?」
 と言ったのである。その瞬間初号機の右手がオレンジ色の光を発した。
 それでいい、と短く言って左手に軽く力を入れた。双手に使徒と同じA・Tフィールドを発生させると、使徒の発生させる空間に突っ込んだ。
「そんな、馬鹿な」                   
「どうして、シンジ君があんな事を」
 別に根拠はない。
 ただ使徒が人型で、エヴァの体液が赤だったため、彼我は同類項だろうという、漠然とした推測であり、向こうにできるならこっちにも出来る筈と、考えただけである。何よりも、今のシンジは『俺』なのだ。
 だが、最初の役立たずか?の意味は何か。
 お互いの空間が干渉しあったのも数秒の事、あっさりと初号機はサキエルの空間を破壊し去った。
 サキエルの目から、ビームらしき物が放たれ、初号機を直撃した。
 手をかざして容易くはじき返した初号機は、僅かな距離ながら大きく跳躍した。
 弾かれた勢いで倒れている、サキエルの胸部にある紅い核の上に、重心を乗せた踵で着地。コアにひびが入った。余裕と見たか、大きく振り上げた足の、踵落としが綺麗に決まった。蜘蛛の巣状にひびが広がったところへ、ゆっくりと右の拳を握りしめた。
 意識を集中していると、見切ったのはユリ一人。
 反撃の力が尽きたか、と焦りを見せるミサトを後目に、振り下ろそうとした瞬間、サキエルが動いた。最後の、文字通り死力を尽くして取った行動は、初号機に巻き付く事であった。
「自爆!?」
 期待に違わず、凄まじい音響と爆炎を吹き上げ、初号機に巻き付いたまま、サキエルは自爆した。
 あまりのすさまじさに期せずして、発令所に沈黙が流れる中、ユリは一人言った。
「お見事」
 と。
 爆炎が収まった中から、ゆっくりと初号機が姿を現した。
 被害を受けた様子は微塵もない。使徒に対しての通常兵器と同様、初号機には無意味だったようだ。
 鋼を含んだ、だがやや疲れ気味のシンジの声が響いた。
「終了した。これより帰還する。ユリ、後は頼んだ」
 久しぶりに名前で呼ばれた、美貌の女医の顔に嬉しそうな笑みが浮かんだ。
(綾波レイとの橋渡しは、今ので帳消しにしておくわね、『シンジ』)
 全身にかすり傷一つない初号機が、ゆっくりと帰還してきたのは間もなくである。
 途中から、プラグ内のモニターだけは、途絶えたままだったため、周りは幾分気が急いていたのだが、プラグが開けられた時、そこには穏やかな顔で目を閉じているシンジの姿があった。
 思わず大きな声でミサトが呼んだ時、ゆっくりと目を開けて、
「役目は終わったよ」
 と、とても激闘を演じた直後とは思えないゆったりした声で、告げた。
 それを見ていたミサトもリツコも、
「お、お疲れさま」
 と、一言言うだけで精一杯であった。初号機が変貌した直後の、シンジの声と今のシンジの声とのギャップに、ショックを受けたのである。
 だが、シンジが小さな声で、
「今回は、代償は結構大きかったな」
 と呟いたのは知らない。
 プラグから出て、ユリの方を見たシンジとレイの目があった。先に逸らしたのはレイの方であった。
 よく見ると、最初の時のようなはっきりとした嫌悪感は無いのだが、さすがに疲れているシンジには、ユリとレイの会話など知る由もなく単に、
(嫌われたみたいだね)
 と落胆を深める結果に終わった。
 ユリから、使徒退治にネルフへ行く事を告げられたシンジだが、この時シンジの考えでは、一体倒せば終わり、と言うことしかない。
 降りてきたゲンドウが、
「ご苦労だったな、シンジ」
 と言ったのに対し、軽く首を振って、
「少しね、でもこれで終わりだからいいよ。後は普通の学生生活でしょ?」
 周りが、目を剥く発言をしてのけたのも、あながち無理からぬ事かも知れない。
「何ですってぇー」
 シンジの発言に、ミサトから上がった声だが、これにはシンジの方が驚いた。
 当分は、ここで使徒退治の日々が続き、Aクラスの秘密を知った、シンジの行動にはかなり制限が付くと聞かされたシンジ。
 いやだ、とも言わずにユリに手を出した。ユリもシンジの行動を見抜き、スーツケースからウージーを取り出し、ご丁寧に弾倉を押し込んで、安全装置まで解除してシンジに渡した。
 45連発まで撃てるよう、危険に改造してあるサブマシンガンを、おもむろにゲンドウに向ける。
「取りあえず」
 そう言ったシンジの指が引き金を引いた。
 ミサトとリツコは叫ぶ事しか出来ず、思わず立ち上がろうとしたレイは、ユリの胸の中にむぎゅ、と押しつけられている。
 発令所に銃声が鳴り響いた。
 
 
 
 
  
(続く)

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