GOD SAVE THE SHINJI!
 
 
 
 
 
第二十八話:『エロ可愛い』のガイドライン
 
 
 
 
 
「えーとあの…」
「なに?」
「マドラックス、さん?」
「ええ、そうよ。聞き覚えある?」
「い、いえその…ちょっと珍しい名前だなって思って…」
「それしか覚えてなかったのよ。色々とね。さ、乗って」
「あ、はい」
 全てを隠匿はしない代わりに、あるラインからは踏み込ませない。やり方としては悪くない――ただし、一般人相手なら。
 
(覚えてなかった、ねえ。さて何を隠しているのやら)
(今検索してる。人間モドキが我らを相手に隠し事など…オヤビン?)
(人の事情を詮索しちゃだめ。いいね?)
「『…へーい』」
 
「何か言った?」
「ううん、何でもない」
 仲魔達の秘密暴きを阻止し、シンジはマドラックスの腰に掴まっている。ヘルメットをかぶっているとは言え、速度の割に風を感じないのは運転技術によるものでも車体の性能によるものでもない。
 無論、保護されているのはシンジだけだから、マドラックスには分からない。
 当然の事として――
(今、独り言呟いてなかった?)
 と、こうなる。ナタルからは最重要人物と言われたが、それならネルフ関係者の筈だし、そんな少年にどうして護衛も付いていないのか。普通の仕事なら一度きりの護送だし、二度と会う事は無いからどうでもいいのだが、ナタル絡みでしかもこの学校に通っている以上、今後も縁が出来る可能性がある。
 あまり妙な相手なら、継続は考えねばなるまい。
(でも迂闊に訊いて墓穴掘っても困るしね)
 思考の迷路に入り込んでいたマドラックスだが、この時点で一つ大きな過ちを犯していた。
 自分に掴まっている少年――碇シンジ本体はは普通の少年だが、その想われ人は妖精の女王であり、しかも首には南瓜と雪だるまがぶら下がっているという事を。
 つまり、
(筒抜けなんだよね…)
 後部座席で、どう反応していいのか困っている少年がいるのだ。身体が密着している状態で、しかもオヤビンの生命線を握っている人間の思考について、仲魔達が無関心である筈がない。
 
(墓穴が好きと見える。逆さに放り込んで上から砂でも掛けておくか)
(それ賛成。ほら、人間がよく変なオブジェとか造るじゃない)
 
 うるさい、と突っ込もうとしたのだが、口にするとまた怪しい評価がアップする。仕方がないので服の上からキーホルダーをきゅっと掴むと、かすかに潰れたような声がした。その後は物騒な仲魔達も静まり、マドラックスに掴まったまま揺られていたシンジだが、ふとその目が開いた。
(あれ?)
 後方から迫ってくる音の中に、殺気を感じ取ったのだ。気のせいかとも思ったが、やはり間違いない。
「あの…」
「分かってる。私狙いよ」
「……」
 自覚はあったらしい。
 やがてシンジの視界に、騒音源が見えてきた。バイクに乗った連中が二十人ばかりおり、いずれも木刀や鉄パイプを手にした怖そうなお人が揃っている。
「もしかして、マドラックスさんて暴走族の人?」
「ナンパをお断りしたのよ」
 確かに、武装した連中に誘われて付いていくのは、空腹で気が立っているライオンの檻に薄着のまま、生肉を手にして入るようなものだろう。
「どうするんですか?」
「逃げる」
 そうですね、とシンジが頷いた直後、その横を銃弾がかすめていった。
「…あれ?」
 バックミラーに、こちらへ向けられた銃口が映る。
(オヤビン!)
 胸元からすうっと殺気が立ち上るのを押さえる。マドラックスと名乗った娘の能力は不明だが、ナタルが寄越した以上ただの一般人ではないと見たのだ。
(ナタル、信じてるからね)
 内心で呟いた直後、車体が一気に加速した。髪を靡かせるマドラックスの後ろで、徐行運転と変わらぬ状態のシンジがいるという、傍から見れば奇妙な光景で車体は猛然と加速していったが、裏路地に逃げ込むには車体が大きすぎ、後ろから見ればウロチョロする的になったに過ぎないのだ。
 カサカサと逃げ回ったが、銃弾は依然として豪勢に追跡を続け、とうとうマドラックスが腕に二発被弾した。かすめただけという事もあり、さすがに悲鳴を上げるような事はなかったが、後ろに大きな荷物を積んでいた事もあったのだろう、ぐらりとバランスを崩し、制御を失った車体はスピンを始め壁へ向かって一気に突っ込んでいった。
 壁にぶつかる寸前、
「フロスト!」
「合点だオヤビン」
「え?」
 足で壁を蹴って何とか止めようとしたマドラックスだが、不意に車体と壁の間に白い壁が現出し、車体を受け止めた。それが妙な雪の壁と理解するのに五秒ほど掛かったマドラックスに、
「傷は大丈夫?」
 いつの間にか降りていたシンジが声を掛けた。
「ええ、これ位ならかすり傷だから」
「そう、良かった。じゃ、運転変わって」
 良かった、と来てこれでは日本語が成立しない。そもそも、こんな少年が運転などできるのか。
「でも君運転は…」
「いいから」
(この子…雰囲気が変わった…?)
 逃走中、シンジが自分にしがみついていた事しか知らないマドラックスは、既に再起動が掛かっている事など、無論知る由もない。半信半疑で運転を代わったのだが、真意がハンドルを握った途端車体が咆吼した――明らかに車体から妙な気が立ち上り始めたのである。
「フロストは補助、ランタンは砲撃用意」
「『了解』」
(え?)
 声はぶら下がっているキーホルダーから聞こえるから、後ろにいるマドラックスにはシンジがまた独り言を言っているように思えたが、応じた声はいずれも別物であった。
 さっきの妙な雪もどきも含め、事態の推移がさっぱり理解できないマドラックスを積んで、車体は滑るように走り出した。スピンしたせいで余計な時間が掛かり、一旦は振り切った連中が、こちらを見つけてまたぞろ奇声を上げて追ってくる。
 けっこうしつこい。が、シンジは気にした様子もなくバイクを走らせ、車体はみるみる速度を上げていく。
 と、マドラックスは妙な事に気付いた。シンジの髪がまったく揺れていないのだ。シンジは自分にヘルメットを渡し、ノーヘルで走っているからかなりの風を感じている筈なのに、髪がまったく揺れていないのはどういう理屈なのか。
(ズラ…じゃ無いよね。そもそも服もだし…この子は一体…)
 ウェルダン確定のろくでもない内心を知ってか知らずか、初めてバックミラー越しに後ろを見たシンジが、
「そろそろかな」
 と呟いた。
「え?」
「いつまでも追ってこさせる訳にいかないでしょ」
「それはそうだけ…ああっ!」
 腕を銃弾がかすめても堪えたマドラックスの唇から悲鳴が洩れる。それは、女のものであった。
 原因は無論シンジにある。赤信号が見えているのかいないのか、国道へそのまま突っ込んでいき、そこへ走ってきたのは大型トラックであった。どう考えても、回避する術があるとは思えない。
 最重要人物だから、とナタルに念を押されたのにこんな所で揃って事故死かと、マドラックスがぎゅっと目を閉じた次の瞬間、その身体が大きく傾いた。
(え…!?)
 マドラックスが見たのは、殆ど限界まで倒されながらまったく制御を失っていない車体と、下から柔らかく支えられている自分の身体であり、その視界で雪だるまがにんまりと笑うのを見た時、マドラックスの意識は急速に薄れていった。
 意識が、目覚めている事を拒否したのである。
「オヤビン、失神したぞ」
「あー、その方がいいや。起きてられると面倒だから」
 自らもあり得ぬ角度まで身体を傾け、シンジが頷く。
 追ってくる連中が角を曲がった時、ちょうどバイクがトラックの下に車体を傾けながら突っ込んでいく所であり、これはもうミンチで間違いないとトラックが通り過ぎるのを楽しみに待っていたのだが、
「いねえぞ!?」
「ミンチはどこだ!」
 カニバリズムの主義でも持っているらしい連中だったが、その視線が路上から上に行き――ある一点で止まった。
「ランタン、タルカジャ撃って。フロストはマハーブフ」
「『了解!』」
 連中が見たのは、こちらに向けてバズーカ砲らしきものを構えている少年と、その前で宙に浮いているカボチャ及び雪だるまであった。
 数十センチ四方の妙な空間が出来た直後、
「マハーブフ強化良し、オヤビン撃って!」
「発射(ファイア)!」
 白い粒が寄り集まって石となり、それがみるみる内に鋭い氷柱となって飛来する。無論、凄まじい速度と圧倒的な威圧感を伴って飛来するそれを、避ける術も防ぐ術もある筈が無く、顔を強張らせたまま呆然と眺めていた。
「フム」
 すぐ側に巨大な氷柱が突き刺さり、顔面蒼白となったところで吹雪にくるまれて人間入り氷柱となった連中を見て、シンジは一つ頷いた。
「さってと、追ってくる怖い人達もいなくなったし家に帰ろっか」
「『りょーかい』」
 
 
 
 結局マドラックスが目覚めることなく、シンジが運転して家まで帰ってきた。正確に言えば、前部席に座ってあちこち眺めていた、と言うのが正しい。
 操縦は仲魔達に任せており、前など見てもいなかったのだから。
 勿論実際の運転手達は一般人には不可視の存在であり、少年が手を離して跨っているだけのバイクが快走する光景に、合計で車五台が衝突事故を起こしている。
 いくら何でもこのまま放置は出来ないと、肩に担いできたのだが、マドラックスの方がシンジより身長はあるし、何より気絶している人間は結構重いのだ。仲魔達に任せれば済む話だが、九割九分九厘の高確率で、宙へ逆しまに浮いた娘が浮遊したまま移動する光景を見る事になる。
「ちょっとだけ重い…かも」
 重いぞこら、と言わないのはシンジたる所以であり、口の中でモゴモゴと呟いてからインターホンを押す。
「はい」
「僕だけど。帰りました」
「あ、お帰り。今開けるから」
 僅かに声の調子が上がり、ぽたぱたとやってくる足音が聞こえた。と、そこまでは良かったのだが、鍵が開けられた直後、
「ちょっと待って」
 入るのを止められたのだ。
(ハン?)
 シンジが首を傾げた数秒後、
「もう大丈夫」
「あ、うん…」
 玄関に危険物があったわけでもなさそうだしと、小首を傾げながらシンジがドアを開けた直後、シンジとナタルの身体が硬直した。
「おかえりなさいま――!?」
 シンジが見たのは、全裸にエプロン姿で三つ指突いているナタルであり、ナタルが見たのは無論マドラックスを肩に担いで呆然としているシンジの姿であった。
「は、裸にエプロン…」
 が、立ち直ったのはシンジの方が早かった。みるみる歪んでいくナタルの顔に気付いたのだ。
「キャ…モゴっ」
 悲鳴をあげかけたところへ、脱兎のように駆け寄って口を塞ぐ。
「ナタル、しーっ」
「ど、どうしてマドラックスが…」
「バイクで振り回したら失神したの。とりあえず寝かせてくれる」
「う、うん…」
 頷いて立ち上がったが、折角ネットで検索した成果が無意味に終わったのは分かっており、悄然と歩いていく。そのナタルの白いお尻をじっと見たシンジが、
「あ、ナタル」
「え?」
「その…エロ可愛い」
「え…な、何をっ、シ、シンジのばか!」
 早足で歩き去っていったが、その横顔はうっすらと赤くなっている。一方、柄でもない事を口にした少年も赤くなっており、
(蕁麻疹が出来た。謝罪と賠償を要求する)
(裸のあの女を見たら大体想像ついたでしょ。のんびりしているフロストが悪いのよ)
(……)
 
 それから十分後、シンジとナタルは並んでソファに座っていた。シンジは私服に着替えているが、ナタルの格好はそのままだ。
「そっか、ネットで勉強したんだ?」
「うん、私はその…そう言う事には全然疎かったし…自分に関係あるようになるとは、その…思ってなかったから…あ、あんまり見るな。は、恥ずかしいから」
 シンジの視線を感じると顔を赤くしてもじもじしているが、シンジは着替え禁止令など出していない。ナタルが自分の意志で着替えていないだけだ。とはいえ、そんな事を突っ込むのは無粋極まる話で、シンジもそこまでつまらない少年ではない。
 ナタルを見ると、ほんのりと上気している素肌は殆ど化粧しておらず、それでも匂い立つような艶香が漂ってくる。化粧品の方から逃げるような、男が一生に一度触れられるかどうかの極上ではないが、ナタルは余り化粧に頼るタイプではないのだろう。無論個人の自由だが、その事で微塵も魅力が減ったりしないのも事実だ。
 一方ナタルの方は、シンジの心中が気になって仕方がない。マドラックスという邪魔が入ってしまい、シンジの反応はよく分からずじまいだったのだ。
(やっぱり…引いているのだろうか…)
 ちらっとシンジを見た瞬間、二人の視線がばったりと出会う。シンジも、ナタルをちらちらと見ていたのだ。
「『!』」
 同時にかーっと赤くなり、慌ててカサカサと視線を逸らす。しばらく沈黙が漂った後、先に口を開いたのはシンジであった。
「あ、あのさナタル」
「な、何」
「さっきのは何だったの?」
「やっぱり…似合っていなかったか。いいんだ、自分でも分かってるから…」
 落胆した表情を見せたりはしなかったが、声は明らかに三ランクばかり落ち込んでいる。
「似合ってないなんて、言ってないよ。そうじゃなくてその後」
「後?」
「ほら、玄関にぺたんと座ってたでしょ。あれって何かなと思って」
「あ、あれはその…に、にいづ…」
「?」
「だ、だからその!に、新妻だと言っただろう。へ、変な事言わせ…シンジ?」
 世にも恥ずかしい台詞を言わされたが、シンジの反応は奇妙なものであった。怪訝な顔をして首を傾げているのだ。
「でもナタル、あれって確か十五年前にはもう海の底に沈んで…」
「じゅ、十五年前の流行遅れで悪かったな!どうせ私は流行も知らない堅物だ。モウイイ!オウチカエ…十五年前?」
「新島はセカンドインパクトで海の底に沈んだ、と聞いてるけど。その新島に伝わる何かなの?」
「……」
 ふー、とナタルは息を吐き出した。自爆ではなかったが、こういう時に浮かぶ感情を何と表現すればいいのだろうか。数度深呼吸してから、
「こ、これが最後だ。もう言わないぞ。その…新妻だ」
「ごめんね、さっぱり分からない。それより、もう一回やってくれない?」
「も、もう一回!?」
「うん」
 どうやら、単語自体を知らないらしい。確かに、この年齢では殆ど無縁の言葉だし、目をキラキラさせて見つめてくるシンジを見ると、何となくやってもいいような気になり、ナタルは床に降りてぺたんと座った。
「その…お、お帰りなさいま…キャ!?」
 言い終わらぬ内に、シンジに飛びつかれたのだ。
「やっぱりナタル、エロ可愛い。可愛い奥さんになれるよきっと」
「ば、ばか何を…ん?シンジ、わ、私をダマしたなっ!」
「大正解」
 むぎゅ、と押し倒され、
「新妻のはだエプは日本の伝統、それ位僕が知らないと思ってたの?」
「ーっ!!」
 顔を真っ赤に抗議しようとしたナタルの唇が塞がれる。
 舌は入ってこなかった。
 唇が離れ、
「ところでナタル、どうやって検索したの?」
「企業秘密、と言いたい所だが…」
 こほん、と咳払いして、
「さ、さっきのをもう一回言ってくれたら教える」
「…さっきのってどの辺?」
「も、もーその手には乗らないぞ。また私を騙すつもりだな」
「…僕に全部巻き戻し再生しろって言うの?僕はナタルじゃないよ」
「う…」
 現在二人は床の上で抱き合っており、シンジが上になっている。位置的にも、心理的にもナタルの方が不利だ。確かにシンジの言う通りではあるが、まんまと騙されてから一分も経っていないのだ。いくらナタルが単純とはいえ、あっさり信じる方が難しい。
「本当に…騙していない?」
 少女みたいな瞳で見上げるナタルに、シンジは頷いた。
「二回続けて釣ったりはしないから」
「う、うん…」
 まだ少し躊躇っていたが、やがて意を決したように、
「そ、その…か、かわい…んっ」
 言いかけたところで、シンジの指がナタルの唇に触れた。
「え?」
「ナタルの裸エプロン、可愛い。とても似合ってたよ」
「っ!?」
 いきなりの直球に、一瞬ナタルの顔が青くなり、次の瞬間その全身が火を噴いたように真っ赤に染まった。
「なっ、ななっ、何を急にっ!わ、わわわ、私はそそ、そんな事っ」
 顔を赤くして狼狽えてから、
「う、うん…」
 小さく頷いた。どちらからともなく二人の唇が触れ合い、お互いの唇を柔く啄む。互いの髪に優しく触れながら、まるで幼少時からずっと変わることなく恋人同士だった二人みたいに、甘い口づけは続いた。
 やがて唇が離れると、その間を透明な糸が繋ぎ、ナタルのほっそりとした指が拭い取った。
「あの…」
「なに?」
「胸を…さ、触ってほしい。い、今ので疼いたから、せ、責任をとってもらうぞ」
 シンジとの関係はともかく、それ以前に異性との付き合いが全くなかったとはいえ、自分でもうんざりするような台詞だったが、
「ん、いいよ」
 ナタルが拍子抜けするほどあっさり頷いて、シンジがエプロンをめくりあげた。が、すぐに触れる事はせずに、小ぶりながら形のいい乳房をじっと眺めている。
「……」
 無論、シンジが何も言わずともナタルは胸に注がれる視線を感じ取っており、手をぎゅっと握って意識を遠くに逸らす。が、すぐに限界が訪れた。
「は、恥ずかしいから…は、早くぅ」
 期せずして甘えるような声になった次の瞬間乳房が寄せられ、硬くしこった乳首を二つ同時に口に含まれ、ナタルの肢体がびくっと跳ねた。
 が、ナタルは気付いていなかった。シンジが自分の乳房を見ている、とナタルは思っていたのだが、その視線が実際にはナタルから外れていたことを。そしてその視線が、白い乳房に向けられるものとはかけ離れていた事など、目を閉じて視線を浴びていたナタルは知る由もないのだった。
 乳房が寄せられ、二つの乳首が吸われ、或いは舌の上で転がされる。口から洩れそうになる喘ぎを、ナタルは懸命に堪えていた。
(ど、どうしてこんなに上手に出来るのだ。ど、どこでこんなやり方を…)
 ふっと浮かんだ考えを、ナタルはふるふると首を振って追い払った。自分への接し方からして、女を全く知らぬ身でなかったのは間違いないが、考えたところで詮無いことだ。
 一方そんなナタルの心中は、シンジにはほぼ読めていた。無論思考内容までは分からないが、何やら違う事を考えて声を抑えていることくらいすぐ分かる。
(…つまんない)
 少し吸ったあと不意に軽く歯を立てると、一瞬声が洩れかけたがまだ抑えが効くらしい。ちらっと部屋の隅を見ると、もぞもぞと上まで這い上る。
「言い忘れたんだけど」
「え?」
「マドラックスさんに見られちゃってるよね?」
「ふぁっ!?」
 たった一言の効き目は顕著であった。がばと跳ね起きて辺りを見回すが、無論マドラックスがこちらを見ている筈もない。
「ま、また私を騙し…な、なにをするっ」
 シンジの手がするりとナタルの股間に伸びたのだ。ふにふにとつついてから、
「今ので急に濡れ…痛」
 ぽかっ!
「い、言い掛かりだ!もう…ば、馬鹿な事ばかり言って…」
 ナタルがシンジの手を振り払って立ち上がり、くるりと背を向けた。
「ごめん…怒った?」
「別に怒ってはいないさ。ただ、シンジのせいで身体が熱くなりすぎた。シャワーを浴びてくる」
 シンジの耳元に口を寄せ、
「言っておくが、私は見られて感じたりなどしないぞ。断じてだ!」
 わざわざ囁いてから歩き出したナタルの背に、
「じゃ、お風呂用意して」
「風呂を?」
「一緒に入ろ?」
 青と赤と白を足して四で割ると、こんな感じになるのではないかと、一瞬そんな顔色になったナタルが、
「か、考えておくっ」
 早足で去っていくナタルの白いお尻を見送り、その足音が浴室に消えるのを確認してから、シンジは立ち上がってソファに腰を下ろした。
「さて、と」
 呟いた声に、さっきの余韻がないどころかひどく危険なものであった。バッグから部品を取り出して組み立てると、あっという間に拳銃もどきが出来上がった。
 しかもそれは、未だ気絶している筈のマドラックスに向いているではないか。
「目覚めぬ体質ならば無事に帰れたものを――マハラギ」
 炎が一直線にマドラックスを襲い、その身体を炎が包む寸前でマドラックスは跳ね起きた。ごろごろと回転し、膝立ちの姿勢で身構える。
 やはり起きていたらしい。が、炎が床を燃やさずに消滅したところを見ると、シンジもこの反応は想定済だったものか。
「随分と…乱暴な起こし方じゃない?碇シンジ君」
 シンジはそれに答えず、冷ややかな視線をマドラックスに向けた。その視線も雰囲気も、暴走族に追われてマドラックスに掴まっていた少年とはまるで別人に見える。
「一つだけ訊いておくね。遺言はある?」
「……」
「言っておくけど、生かしては帰さないよ。僕の事はいいけど、ナタルの痴態をこっそり盗み聞きしていたのは許さない」
(どうやら本気みたいね)
 マドラックスの目が自分の荷物を見た。銃は取られていないが、安全装置は外れていない。一方、シンジの奇妙な銃もどきは完全に自分をロックしている。とはいえ、何もせずに撃たれるのは主義に反するしと、マドラックスが跳躍に向けて身を屈めた直後、
「シンジ…」
「ナタル!?」
 姿を見せたのは、バスタオルを巻き付けたナタルであった。格好からして、この状況を知っているのは明らかだ。
「私の事は構わないから。シンジ、マドラックスを許してあげてほしい」
「…ナタル」
「私が逆の立場なら、同じ事をしたと思うんだ。それにその…もぞもぞと起きられたりしたら…そっちの方が困ってしまうから…」
「……」
 すぐには銃口を降ろさなかったが、数秒経ってから一つ息を吐き出し、
「ナタルは甘いんだから。でも、ナタルがそう言うなら見逃したげる」
「ありがとう…。マドラックス、私は気にしていないから」
「ごめん…起きるに起きられなかったのよ」
「分かっている。私だったら、びっくりして飛び起きてしまうかもしれないが。起きずにいてくれて助かったよ」
「でも、ちょっと安心した」
「え?」
「ナタルの事だから、あんな可愛い声で喘ぐなんて一生ないんじゃないかって、心配してたのよ。いい人が見つかって良かったね――ちょっと怖い人だけど」
 ぴく、とシンジが反応したのを見て、マドラックスはさっさと退散する事にした。
「じゃナタル、またね」
 マドラックスがカサカサと退散してから、ナタルはゆっくりと振り向いた。すっと指でシンジの唇をおさえ、
「甘い、と言うのは分かってる。私のした事が正しかったかどうか、自分でも分からない。せめて記憶位は操作するべきだったのかもしれん。シンジの知己なら簡単な事だろう」
「……」
「ただそれは出来ても、悪影響が皆無かは分からん。だから止めたのだ――というのは建前で…」
 何故か頬を赤く染めたナタルに、シンジは首を傾げた。
「ナタル?」
「シンジが言ったろう、その…僕の事はいいけどって…」
「あ…」
 シンジは脱いでおらず、それに喘いでもいなかったらそう言った迄で、ナタルを最優先した訳ではなかったのだが、ナタルは良い方に取ったらしい。
「そっか。でもナタル…最初から聞いてたの?」
「違う。ちょっと聞き忘れた事があって戻ろうとしたら、シンジの声が聞こえたのだ」
「何を…あっ」
 シンジが不意に妙な声をあげた。ナタルに抱き上げられたのだ。
「今入るか後にするか、確認に来たのだが?」
 少し顔を赤くしたナタルが、じっと見つめてくる。この状況で、後回しという答えを求める女はいないだろう。いるとすれば、自分は女に生まれるべきだったのではないか、などという妄想にかられた挙げ句性別を変更した精神病患者位だろう。
「じゃ、今。でもすぐに沸く…」
 言いかけたところへ、浴室から湯量が満ちた事を告げる音が聞こえてきた。
「ちょうど良かったようだな。さ、掴まって」
「うん」
 
(だから、あのような陛下に決して見せられぬ光景を展開するなと言ってるだろオヤビン!)
(目隠しの結界大変なんだからね。まったくもう)
 
 仲魔達の仕事はシンジのフォローだが、その中には妖精界から部下の目を盗んではシンジの様子を見たがる女王から、シンジの現況を隠匿してやる事も含まれている。決して楽な事ばかりではないのだ。
 とまれ、入浴する為に浴室へ向かった二人だが、二時間経ってから顔を上気させ、ふらふらになって出てきた。
 身体だけさっと拭いて、そのままベッドへ二人して倒れ込む。
 
 そして――翌日より、二人は家から一歩も出なくなった。
 色欲に彩られたヒキコモリの始まりであった。
 
 
 
 
 
(つづく)

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