GOD SAVE THE SHINJI!
 
 
 
 
 
第二十話:OYABIN on the mountain of gold
 
 
 
 
 
「シンジ君を働かせる?僕のシンジ君を?却下だ、さっさと下がれ!」
 クーフー・リンに切り出された女王は、話を聞こうともせずにそっぽを向いた。
 下等妖精が悪戯で拉致してきたシンジは、現在女王メイヴのお気に入りとなっている。
 上級妖精はおろか、天使達にすら目もくれなかったメイヴは、シンジの事を別とすれば文武と美貌まで兼ね備えた文句なしの名君なのだが、シンジの事になると駄々っ子になる。
 クーフー・リンの意見に耳を貸そうとしないのも、いずれは人間界に戻すつもりと分かっているからだ。
 自分はこんなに好きなのに、シンジは応じてくれない。そんなつれない所も、却って燃えちゃう一因になったりして目下夢中な訳だが、自分に振り向いてくれていないという現実問題は、未だ解消されていないのだ。
 そんな時に人間界に戻すなど、以ての外である。
「陛下、話をお聞き下さい。何も、今すぐにシンジ殿を戻そうとは言っておりません。それに、陛下の側でお使いになればよろしいでしょう」
「僕の側で?」
 メイヴの顔がちょっと戻ってきた。
「そうです。それに陛下もご存じの通りシンジ殿はあの性格故、人間界に戻る時に幾ら金を持たせようとも、決して受け取りますまい。遙か後になろうとも、いずれはシンジ殿も戻らねばなりません。人間界には、シンジ殿の縁故に屑しかいないのは陛下もご存じでしょう。受け入れてくれる先がないまま、シンジ殿を無一文で放り出す事がお望みですか?」
「そ、そんな訳ないだろ!下らない事言ってるとその首打ち落とすぞ!」
 女王の激昂にも、クーフー・リンは穏やかな声で続けた。
「では陛下、シンジ殿のご就職の件――よろしいですね」
「…分かったよ、お前の好きにしろ!」
「では」
 退出する甲冑の後ろ姿を、まるでメイヴは恋敵でも見るような視線で睨んでいた。
「使徒?サードインパクト?」
 シンジが、ナタルの髪を撫でながら聞いた時より、数年前の話である。
 
 
 
 
 
 自慢ではないが、ナタルは余り趣味がない。昼寝が趣味、と言うほど安上がりでもないのだが、毎月つぎ込むような趣味はない。
 あってもお菓子作りくらいのもので、それとてたまの休日にやる位だから、金額は知れている。
 その為、シンジとの同居で増える生活費は既に計算してあり、自分の1.5倍掛かるとしても、十分賄えると踏んでいた。
 がしかし。
 シンジとホテルにいた事を誤魔化す為とはいえ、愛車は結構なダメージで破壊されており、これをいつまでもそのままには出来ないと、全く想定外の事で少し頭を痛めていたのは事実だ。
 大体、あちこちぶつけたような車を乗り続けるなど、ナタルのプライドが許さない。
 かといって、ネルフの整備班を使う事など思いも寄らないし、さてどうしたものかと考えながらマンションを出てきたナタルの足が止まった。
「…誰の車?」
 唖然として、呟く。
 そこにあったのは――どう見ても新車であった。
 手元のキーを操作するとロックの開いた音がしたから、自分の車なのは間違いない。
 だが、十数時間前までは、お世辞にも綺麗とは言えない外観だった筈だ。
「ど、どうして…」
 ナタルの常識を、と言うより普通の人間の常識を以て考えれば、到底あり得ない事象である。
 狐につままれて、ついでに神隠しでも経験したような顔で、ナタルが運転席のドアを開ける。
「あ…」
 ハンドルには、小さな羊皮紙が貼り付けてあった。
 とある古代の文字はナタルの知識範疇外だったが、何故かナタルには読めた。
 読んだナタルの口元が、ふっと緩む。
<シンジ殿のご友人へ我らよりの贈り物を>
「ありがとう」
 宙を見上げて呟いたナタルだが、アクセルを踏み込んだ瞬間に顔色が変わった。
「違う…戻っている!?」
 新車で買った車だから、癖のないストレートな伸びの感触は覚えている。無論、自分の乗り方に合わせてエンジンにも特性が出てくるが、踏み込まれたアクセルに応えた伸びは、間違いなく買った当時のそれであった。
(エンジンまで戻せるのか!?一体どういう技術で…)
 驚嘆したナタルだが、
「これならエヴァの機体にも…」
 呟いた辺りは、ナタルの性格がよく出ている。
 なお、シンジに聞かれたら一週間位口を利かなくなる可能性大だ。
 
 
 
 
 
 不意にコウゾウの肩が震えた。
(フユゲツさん)
 シンジの声は幻聴ではなく、明らかに脳内へ直接語りかけてきたのだ。
(シ、シンジ君、君は…)
(超能力者じゃありませんよ。こんなのは初歩です)
 何がどう初歩なのかと、大いなる疑問を抱いたコウゾウに、
(顔にはさしてダメージが無かったはずです。あの大仰な包帯は?)
(擬態、だろうな)
(…そうですか)
 ホームラン級の馬鹿といい組み合わせだ、と呟いたシンジだが、この時ばかりは間違っていた。
 と言うより、情報源のコウゾウが間違っていたのだ。
 結局医務室泊まりになったゲンドウだったが、朝になってレイがやって来た。
 何を思ったのかは不明だが――顔の左側をキスマークで埋めて去っていった。
 三十分後にリツコが訪れ、額に青筋を浮かばせたものの、これまた何を思ったのか空いている片方を、文字通りキスマークで埋め尽くしていったのだ。
 結果、この有様だ。
 それがシンジとコウゾウからはろくでもない見方をされるのだから、両手に花というのも考え物だろう。
 そんな二人の考えなど無論知る由もなく、
「碇司令、お連れしました」
「来たか」
 手を組んでその上に顔を乗せたスタイルだが、包帯づくめとあっては迫力がない。
 七割位ダウンしている。
「IDカードは受け取ったな」
「そんな用件なら帰る。こっちまで柄の悪いのが移りそうだ」
 さっさと踵を返しかけたシンジに、リツコの眉はすうっと上がったが、ゲンドウは気にした様子もなく――実態は包帯に埋もれて分からない――サングラスを軽く押し上げて、
「そう邪険にする事もあるまい。おまえには、謝らねばならんと思っているのだ」
「……」
(何!?)
 シンジは足を止めたのみだが、驚いたのはコウゾウだ。この男が、十年放置していた息子の奮戦を見て改心し、謝る事などあり得ないと一番分かっているのはコウゾウなのだ。
「バジルール少尉辺りから既に聞いたと思うが、使徒は一体倒して終わりではない。まだ当分は乗ってもらう事になる。無論、無償で動けとは言わん。それなりの代価は払うつもりだ」
 
(オヤビン、こいつらの首でいーんじゃねーの)
(あたしが取って来たげよっか?)
 物騒な――だが魅惑的な事を囁いてくる仲魔達に、シンジは軽く手を挙げた。
(も少し待ってて)
(はーい)
 
「何だ?」
 不意に手を挙げたシンジに、ゲンドウとリツコは怪訝な視線を向けた。
「何でもない。続けて」
(…まずいな…)
 奇妙な行動だが、コウゾウは一人事態を察知していた。
 即ちそれが、シンジを支える者達との密談だという事を。
 そしてシンジの気分次第で、この部屋が業火に包まれるという事を。
 或いは余す所無く鋭い氷柱に貫かれるか――。
 本部内をぶち抜いた巨大氷柱は、結局そのままになった。火炎放射器で焙ってもまったく溶ける様子が無く、それを見たコウゾウが独断で保存を決めたのだ。
 チェーンソーか何かでばらす位は出来ようが、そうまでして除去しても、後に残るのは巨大な穴であり、修復費用を考えれば到底割に合わない。
(碇、墓穴の縁に立っている事を忘れるなよ)
 ゲンドウに何かあれば、そのまま自分の双肩に重荷が乗ってくる。息子の扱いに関してはボンクラもいい所だが、それ以外の面では有能な男であり、何よりも――人類補完計画の総責任者はこの男なのだ。
 こんな早期に舞台から転げ落ちられては困る。
「差しあたってはそうだな、一回の搭乗に付き一億円支払おう。それでどうだ」
(一億だと?碇、何を考えている)
 出す事自体は別に構わない。
 最優先事項は使徒殲滅だし、予算の遣り繰りなど何とでもなる事だ。
 だが問題は、その動機にある。ゲンドウが善意でする事など決してあり得ないし、それに単なる報酬としては条件が良すぎる。
 何を考えているのかとゲンドウを見た瞬間、コウゾウの表情が強張った――刹那、視界に入ったリツコの顔は、笑っていたのだ。
 正確に言えば嘲笑っていた――口元だけを歪めて。
(こやつら…)
 学習能力をどこかの温泉辺りにでも捨ててきたのかと、半ば呆れ顔で二人を見た。
 内心で何を考えようとそれは自由だ。
 だが今要求されるのは、シンジを気分良く乗らせる事であって、その為には煽てておけば済む。下策を弄して怒らせる事など、間違ってもあってはならない。
 それなのに――。
 この部屋を燃やしたいのかと、唇を噛んでシンジを見たが、
(…シンジ君!?)
 当のシンジはと言うと、何やら迷っている様子ではないか。
「い、一億…うーんと、えーとそれなら…」
 ゲンドウとリツコの陥穽は明らかだが、どうやら気付いていないらしい。かと言ってここで制止するのも妙な話だ。
 とりあえず様子見かと思った瞬間、その眼が見開かれた――鈍い音がして、ゆっくりとシンジの身体が前に倒れ込んできたのである。
「『うん?』」
 無論、これはゲンドウも想定外であった。シンジの周囲にだけガスを撒いたりはしていない。
 何事かとシンジに集まった三人の視線が、ある一点に止まった。
 即ちシンジを失神させた原因に。
「何やってるのよフロスト」
「落下場所を間違えたようだ」
 雪だるまと南瓜が、宙にふっと浮かび上がる。
「人間(クズ)がはした金でオヤビンを使役するというか。おめでたい話だ」
 シンジの後頭部を直撃したのは――黄金に輝く金塊であり、空間にいきなり現出したそれが、倒れたシンジを取り囲むようにして、みるみる内に積み重ねられていく。
 文字通り、黄金の壁だ。
 あっという間にシンジの姿は見えなくなり、それでもまだ金塊の流れは止まらない。
 たっぷり五分以上経ってから、漸く金塊の現出は止まった。器用に積まれたそれは、黄金の山と化しているが、シンジの姿はその中に埋もれている。
 無論、シンジを避けているのは言うまでもない。
「一つ当たり二十キロ、人間共の価値では三千万程度か。我らの世界では装飾品にも使わぬ代物だが、人間はこんな物に高値を付ける。この塊三つ程度でオヤビンを縛ろうとは、クズはどこまで言ってもクズという事か」
 フロストの冷ややかな声が、無闇に広い司令室内に冷え冷えと響いた。
 
 
 
 
 
「ねえキラ君」
「何?」
 昼休み、ふと呼ばれたキラは、読んでいた本から顔を上げた。
 アスランは、ドイツの許嫁に長距離電話中だ。本当はキラの方が要望なのだが、あまり気乗りしないので、アスランに生け贄になってもらったのだ。
 キラを呼んだ少女はミリアリア・ハウ――このクラスの中では数少ない良識派の娘である。
 良識派とは、無論、アスランとキラの仲を見つめてうっとりするという、気色悪くおぞましい事この上ない趣味を持っていない事を指す。元々、アスランもキラも単体で人気は高いのだが、去年のバレンタインには『キラ君はアスラン君以外からはもらっちゃ駄目』などと、ろくでもない上に理不尽な事を主張した連中のせいで、結局二人は誰かも貰わなかったのだ。
 但し、元から甘い物好きでもないし、ドイツの許嫁からは箱一杯に送りつけられ、仲良く揃って歯医者通いにはなったのだが。
 なお、脳内に花畑を造成している女生徒が思うような結果になったかどうかは、定かではない。
「ちょっと話があるんだけど…時間いいかな?」
「うん、いいよ」
 気軽に立ち上がったキラが、てくてくとミリアリアの後に付いていく。時々アスランの写真を頼まれたりするので、多分その手の事だろうと思ったのだが、屋上に出て振り返ったミリアリアの顔は、珍しく真剣であった。
「あのね、キラ君…」
「なに?」
「その…訊きにくいんだけど…」
 言い淀んだが、数回深呼吸して、
「あの、この間…出撃した?」
「この間?ああ、あの時か」
 一応機密扱いにはなっているが、アスランとキラがエヴァのパイロットである事は、既に知れ渡っている。
「いや、僕では出撃(で)てないよ」
「じゃあ、アスラン君が?」
「ううん、アスランも出てない」
「そう…良かった」
 心から安堵したように、まだ年相応に控えめな胸を撫で下ろした。
「ミリィ、あの晩何かあったの?」
「昨日ね、マユラが従姉妹の山岸さんと、中央病院に行ったんですって。ほら、あそこは歯医者があるでしょ。山岸さんの治療に行ったんだけど、その帰りに鈴原君を見たのよ」
「鈴原ってうちのクラスの、だよね?」
「そう、鈴原トウジ。妙に沈んだ顔してるから、マユラがどうしたのかって訊いたんですって。そしたらね――」
 周囲には誰もいなかったが、ミリアリアは声を潜めて、
「この間の戦闘に巻き込まれて、妹さんが大怪我しちゃったんですって。おまけに、今は絶対安静だって聞いて…」
「それで、僕かアスランが出撃したか訊いたの?」
「ええ。でも違うなら良かった…」
「別に良くはないんだけど」
「キラ君?」
「この間の状況報告書は読んだよ。でも、避難シェルターが壊れたとは書いてなかったんだけど、どこかのシェルターに亀裂があったの?」
 何故そんな事を言うのか不思議に思ったが、
「いいえ、そう言う話は聞いてないわ」
「避難勧告じゃなくて避難命令は出ていたし、逃げる暇が無かったのかな」
「そうでもないと思うけど…」
 ここまで聞けば、ミリアリアにも何となくキラの言いたい事は分かる。
「逃げる暇もあって逃げた先は安全地帯で、でも怪我をした。絶対安静って言う位だから、逃げる途中の怪我じゃないよね。そういうのって自業自得って言わない?」
「キ、キラ君…」
 珍しい、どころか文字通り希有に近いキラの反応に、ミリアリアは戸惑っていた。まさか、キラがこんな攻めに出てくるとは思わなかったのだ。普段のキラなら、自分には関係なくとも、お見舞いに行こうかな位は言うだろう。
 だが今のキラは、まるで別人に見える。
 無論、キラには理由がある。いつもなら、ミリアリアの思う程お人好しでなくとも、非難するような事を口にはするまい。
 しかし搭乗していたのはシンジ、キラの従兄弟なのだ。シンジの全面過失ならともかく、どう考えても逆恨みのそれを、シンジに向けさせる訳にはいかない。
 シンジの過失だったら?
 それはそれでやっぱり庇うだろう――シンジがキラの立場だったら、間違いなくそうするように。この従兄弟達の関係は、普通とは少々違うのだ。
「誰が搭乗していたのか、勿論知っているけど言う訳にはいかない。それと、ミリィの話を聞く分にはどう考えても転んだ子か保護者の責任だよ。無いとは思うけど――」
 すっと立ち上がり、
「もしもシン…あ、いや乗っていた人を逆恨みするような事があれば、僕もアスランも絶対に許さないからね」
「……」
 ミリアリアの反応を待つ事もなく、キラはさっさと歩き出した。
「ご、ごめんね呼び出して…」
 蚊の鳴くような声で呟いたのは、キラの姿が校内に消えてからであった。
 
 
 
 
 
 南瓜の頭が動き、ゲンドウをギロッと睨んだ。
「ランタン、こいつら何考えてた?」
「はした金でオヤビンを使役するのかと思ったら、このクズ共それ以下の事を考えてたわよ。払うのは一億程度の上に、出た損害はそこから支払わせるそうよ」
「ほう?」
 雪だるまが首を傾けた次の瞬間、凄まじい冷気が吹き上げた。
「ランタン、止めるなよ。オヤビンのお叱りは俺が受ける。このクズ共だけは、生かしておくとろくな事にならんのは分かり切ってる」
「分かってるわよ。っていうか何であんただけ楽しいおも…待って!」
 既にフロストの足元には、見るからに殺傷能力の高そうな、先端の鋭利な氷柱が生えだしていたのだが、ランタンの悲鳴のような声にその動きが止まる。
「ランタンどうし…しまった早すぎたか」
 コウゾウ達には分からなかったが、金塊の山に埋もれたシンジが意識を取り戻した事を、仲魔達は察したのだ。
「フロスト戻してっ」
「分かってる」
 フロストの言った通り、妖精界に於いて黄金というのは殆ど価値がない。だから別に勿体なくもないし、そんな物でいいならと、メイヴが妖精達に命じて山と作らせたのだが、肝心のシンジが受け取ろうとしない。
 だからメイヴに持たされたそれは、ジャックフロストが亜空間に保管しておいた。ここに出てきた分もごく一部なのだが、無論、シンジに見られる事だけは絶対に避けねばならない。
 機密保持は何よりの最優先であり、妖精達は慌てて黄金の隠匿に取りかかった。シンジを覆っていた金塊が、みるみる内に宙へと姿を消していく。
「ん…痛た…?」
 シンジが後頭部をさすりながら起きた時、何とか最後の一個が姿を消した所であった。ギリギリで間に合ったらしい。
「あれ…僕どうしたんだっけ?」
「ポルターガイストにでも遭遇したんだろ。しっかりしてくれよオヤビン」
「そうだっけ?そう言えばさっき何の話を…」
「オヤビンその件なんだが、そこの老人が良い案を出してきてな」
「冬月さんが?」
「ああ。どさくさで出し忘れていたんだが、クーフー・リン様から書状が届いていてな。オヤビンへの労働対価が間違っていたそうだ。ほらこれ」
 渡された羊皮紙を読んだシンジの表情が、少し曇った。
「だからフロスト、こんなにいっぱいもらえな――」
「オヤビンいい加減にしろ」
 シンジの声を断つようになフロストの声は、珍しくきついものであった。
「人間如きを相手にしてる訳じゃない。オヤビンがいたのは女王陛下の所だぞ。その辺の人間相手じゃあるまいし、それとも陛下を愚弄する気か」
「そ、そんな訳じゃないけど…」
「ならば受け取っておけ。子供の戯言に付き合うほど暇じゃないんだ」
 言うまでもなく、妖精も人間と同じで動く為にはエネルギーが居る。通常は大地から摂取するが、中級妖精までは大量に摂取する能力がない。だから悪戯好きの妖精でも余り大胆な事は出来ないし、上級妖精は人間と関わる事を好まない。
 その辺でバランスが取れているから、人間界が妖精に乗っ取られたりしないのだが、このフロストとランタンは下級レベルで、しかも使える技のランクはやけに高い。
 シンジは普通の人間なので、動力源になれる筈もない――メイヴから直接受け取っているのだ。下級妖精で女王から力を貰うなど、世界中を見回しても他に例が無く、文字通り史上初めての事だ。シンジに絶対服従ではあるが、その上に女王メイヴが位置する為、優先順位はそっちの方が高い。
 きつい口調になったのもそのせいだが、それを取りなすように、
「オヤビン、ちゃんと働いた対価なんだから、もらっておきなよ。メイヴからなんかもらえないって聞いたら、きっと女王陛下も悲しまれると思うよ。ね?」
 ふーっと息を吐き出し、分かったよと頷いたシンジが、
「冬月さんがどうしたって?」
「修正分を考えれば、そこの変態ヒゲロリコンから金などもらわずとも、十分にやって行ける。オヤビンの立場は今まで通り、乗ってやってるだけで束縛はされないって事で決まったんだ。そうだな?」
(これが潮時だな)
 コウゾウは内心で呟いた。さっき湧いてきた金塊は、ほぼ間違いなく本物だろう。単価で三千万と言っていたが、軽く見積もっても一万個以上はあった。
 おそらくあれが全てではあるまい。となると、ネルフ全体の年間予算すら遙かに凌駕する可能性がある。どうやらシンジに受け取る気がないようだが、ネルフから一億を支給するなどとなれば、雪だるまと南瓜が黙ってはいまい。
 何よりも――。
(この愚か者共が)
 コウゾウは視線の端でゲンドウとリツコを睨んだ。南瓜の言によれば、一億は払うが出した損害も又、シンジに背負わせる気だったという。
 そんな事を言えばどうなるか位、見当が付かないのか。
「その通りだ」
 ややあってから、コウゾウは頷いた。
「報酬面に関しては、こちらから支給する必要はないとの事だったのでな。それに、君がここへの所属を嫌がっていた事もある。戦闘時に於いては、一応葛城・ラミアスの両少佐の指揮の下に入る事になるので、可能な範囲で従ってもらいたい。いいかね?」
「はい」
「それと、金銭面では無報酬だが、無論その他の面で要望があれば、最大限叶えさせてもらう。現時点で、何か望む事はあるかね?」
「とりあえずほっといて下さい。それが一番有り難いですから」
 フロストに怒られたのなど実に久しぶりだが、さっき切り出された一億という金額には、何となく裏があったのではないかと感じ取っていた。そもそも、ゲンドウがいきなり報酬を、それも一億などとは人が良くなりすぎる。
(フロストには後で謝っとこ)
「分かった」
 コウゾウは思わず苦笑した。シンジからすればそれが一番、つまり関わりたくないという事だろう。
「ああ、それともう一つ」
「何かな」
「アスランとキラにも、例の追跡用に使う粒子が入ってるんでしょ?あれ、取り除いておきますから」
「分かった」
 にも、とシンジが言った時、ナタルから取り除いたのはシンジ達である事をコウゾウは知った。
 有事の事を考えれば、場所を探知出来る方が救出にも使えるのだが、ネルフに対する信頼度はその程度、と言うより皆無という事なのだろう。
「他にはあるかね?」
「ううん、特にないです。あ、それとさっきの件お願いしますね」
(バジルール少尉の件だな)
「分かった。手配しておこう」
「じゃ、僕はこれで」
 コウゾウに軽く一礼してから、シンジは踵を返した。ゲンドウとリツコには目もくれない。
 その姿が消えたか消えないの内に、
「碇司令、あのまま行かせるおつもりですか。図に乗るにも程があります」
 火を噴くようなリツコの言葉であった。
 会っていきなり虚仮にされた上に、氷漬けにされた屈辱も決して忘れてはおらず、気に入らない事この上ないのだ。
「別に構わんよ」
「司令!?」
「奴はここに関わりたくないと言っている。となれば、放っておいた方が内部に興味は持つまい。それに、こちらには人質があるのだ。初号機を強奪してどうこうしようとは考えないだろう。無論」
 科学者ではなく女の目で見つめてくるリツコに、
「余計な牙は、こちらに取って邪魔になる。我らにとって必要なのは、都合の良い駒のみだ。ただ今は放っておくがいい。世の中にはバランスを司る者がどこかに居ると、奴はまだ理解していないからな」
(……)
 あくまでも墓穴を掘りたがる二人に、もう付き合いきれないとばかりに、コウゾウはさっさと背を向けた。
 コウゾウが出て行った後、ゲンドウはリツコを見た。
 その視線は来いと言っており、頷いてゲンドウの傍らまで歩み寄ったリツコが、その肩に顔を乗せた。
「よく我慢した」
 無骨な言い方だったが、リツコの目尻から一筋の涙が流れ落ちた。
 ゲンドウの顔に唇を寄せていくリツコ。
 だが、その涙はどこから来たのか。
 科学者として大いに傷つけられたプライドか?
 或いは――。
 
 
 
 司令室を出たシンジは、ナタルを探してウロウロと歩き回っていた。こんな所で飛ぶのは意味が無いし、そもそもここは広すぎる。
「フロスト、何処にいるか分からない?」
「多分自分の部屋か、或いは発令所って所だろ」
「ふーん…で、ナタルの部屋ってどこ?」
「さあ?」
「使えない奴だ」
 ぶつぶつ文句を言いながら、彷徨く事更に二十分、漸くマコトを見つけてナタルの部屋を聞き出した。
「そんなに運動は必要じゃないんだけど…」
 目的が分かっている場合とそうでない場合には、同じ運動量でも疲労度がかなり違ってくる。この時のシンジはまさに後者で、一時間以上歩いたような気がしていた。
「これで部屋にいなかったら…あれ?」
 歩き出した矢先、その視界に見慣れた姿が映った。
「ナタル発見、ナタル!」
 声を上げて呼んだ次の瞬間、その口がぽかんと開いた。
 見た――確かにナタルはこっちを見たのだ。それなのに、早足で歩き去ってしまったのである。
 携帯で電話中でもなかったし、誰かと一緒でもなかった。そもそも、シンジはそんなに大きな声を上げてはいない。
「フ、フ…フロストー!」
「はいはい、分かってるよオヤビン。出でよピクシー!」
 呼応するかのように現れたのは、人差し指ほどの大きさの少女であった。ただし、背中に付いている羽が人外である事を示している。
「もー、折角お昼寝してたのに…あら、シンジ卿じゃない。こんな所で何してるの?」
「人捜し中。ちょっと協力して」
「いーわよ。じゃ、ちょっと失礼するわね」
 サイズはそのまま、ふわふわと飛んできてシンジにちゅっと口づけした。
「ふうん、この子ね。今マッピングしてあげるからちょっと待ってて」
 諸説あるが、ピクシーは本来属性を持たない妖精で、上手く付き合えば文字通り巨万の富を手に入れる事も出来る相手だ。
 がしかし、人間が欲張りだったり間抜けだったりするせいで、財を失ったり子供を連れて行かれたりする結果に終わっている。
 ちっちゃな指がシンジの額から離れ、
「シンジ卿、もういいわよ。じゃ、頑張って探してね」
「ありがとう」
 対象を思考から読み取り、その行く先を探すなど造作もない事だ。
 問題は、対象が必ずしも思考通りに行動しない事にある。つまり、やっぱり止めたと気が変わった場合、そこまでは分からないのだ。
「こっちか」
 カサカサと、シンジが早足で歩き出した。
 五分後、エレベーターの前で待っていた所にナタルが現れた。こっちは予定通りだったらしい。
「お待ち」
「シ、シンジ…」
 シンジに気付いた途端、ナタルはギクッと足を止めた。あからさまに怪しい。
「さっき僕の顔見て逃げなかった?」
「き、気のせいです。すみませんシンジさん、今は仕事がありますので」
 用が押しているならそのまま乗り込むはずだが、又してもナタルは踵を返した。
 早足で去っていこうとするナタルに、さすがのシンジもムカッと来た。
「あっそ、そうやって理由も言わずに避けるならもういいよ。僕だって考えあるんだから」
 ぷいっとそっぽを向いて、反対方向に歩き出した。
(あ…)
 理由がはっきりしているなら仕方ない。でも、シンジには全く心当たりがないのだ。
 いくら何でも、理由一つ告げずに避けるなんてひどいではないか。
「ま、待って…」
 数メートル歩いた所で、その肩が掴まれた。
「何」
「そ、その…」
 
(フロスト、この女何考えてるのよ。オヤビンの気を引く新たな手口ってわけ?)
(違う。愚にも付かない理由だ――ランタン止せ)
 発動しようとした相棒を、フロストは慌てて止めた。
 
 言い淀んでいるナタルの手に、シンジは軽く自分の手を置いた。
「ナタルさん、一つだけ聞かせて下さい」
(ナタルさん!?)
 シンジは決して、さん付けで呼ぼうとはしなかった筈だ。
 そう、少なくとも二人きりの場所では。
「はい…」
「僕が何かしたの?」
「い、いえ…」
 夢見のせいでまともに顔が見られないなどと、普通に言えるような性格をナタルはしていない。
「僕じゃないんだね。じゃ、もういいです」
 
 触れ合った手から伝わる意志は――決別。
 
 人間の愛を――いや、人間自体を信じられぬようになっていた少年と、少なくとも自分は分かっていたのではなかったか。
 ぎゅっと、きつく噛み締めた唇の端から鮮血が流れ落ちた次の瞬間、ナタルの身体は勝手に動いていた。
 肩を掴んで振り向かせ、小脇に抱えて走り出していたのだ。
 使徒を始末した直後、シンジがしたのと丁度立場が入れ替わった事になる。
「助けて人さらいー!」
 
(オヤビンに訊きたい事が三つある)
(何だ!)
(一つ、何時の間に声帯をやられた?二つ、そうは見えないがなぜそんな蚊のなくような声でごにょごにょ言ってる?三つ、無駄を嫌うオヤビンの事だから理由あってだろう。そんな小声で人を呼べる技術を何時の間に?)
(フロストうっさい!)
 
 着いた先はシャワールームであった。
 シンジを降ろしたナタルが、
「シンジは何も悪くないのだ…すまない…」
「……」
(涙?気のせいだよね)
 既にシンジは半ば『グレモード』に移行している。
 ナタルに肩を抱かれても反応することなく、内心で冷たく呟いた。
 
 
 
 
 
(つづく)

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