GOD SAVE THE SHINJI!
 
 
 
 
 
第十九話:サイテー!
 
 
 
 
 
「マリュー、あんた良い夢でも見たの?」
「ちょっとね〜」
 ミサトが思わずそう訊いたほど、従姉妹はご機嫌であった。浮かれる、迄は行かないにしても、単に良い夢を見た程度にしてはご機嫌すぎる。
 とは言え、シンジから密かにアタックがある訳もないし、問いつめるまでもないと深くは訊かなかった。
 なお、マリューがご機嫌な理由だが、無論そのシンジだ。
 散歩したから、と言うこともあるがそれだけではない。
「シンジ君って、女の子のタイプとかあるの?」
 そう訊いたマリューに、
「特にはないですけど…」
「けど?けどっていうことは、一応ラインはあるんでしょ?やっぱり顔?それともスタイル?」
「いえ、それは後から何とでもなりますから」
「そ、そう」
(なる訳ないでしょ!)
 内心で突っ込んだ辺り、まだマリューはシンジの事を分かっていない――人間の肉体など、どうとでもなる所で生きてきたのがシンジという少年なのだから。
「条件って言う程じゃないけど、左官業とタバコが好きじゃない人、かな」
「左官業?タバコ?」
 タバコはまだ分かるとしても、左官業というのは一体何なのか。
「ねえシンジ君、その左官業って何?」
「朝起きた時、誰だか区別が付かない人ですよ。そういう気持ち悪い人っているでしょう?眉が無かったり頬がボコボコだったり、それはそれで素材だから仕方ないのに、まるで左官屋さんみたいにベタベタ塗りまくって誤魔化してるの。あれって、とっても気持ち悪いんですよね」
「厚化粧は嫌って事?」
「寝顔見た時、誰だか区別が付けばいいです」
(シュールなご意見ね)
 確かにシンジの言うとおり、普段からメイクによる素顔隠匿を、それも見合い写真並みにしている女はごまんといるが、素顔の特徴を残したまま勝負出来る女など、それこそ一握りしかいるまい。
(ナタルもメイクは薄いけど…まさかね)
 浮かんだ考えを振り払い、
「たばこ吸う女は駄目?」
「駄目じゃないですよ。ただ全滅してほしいだけです――男女問わずですが、女性はとくに」
「ぜ、全滅ぅ!?」
 シンジの口から出たのは、えらく物騒な台詞であった。
「な、何でまたそんなに嫌がるの?」
「自殺志願者と殺人鬼を兼ねてるから。吸わない人と比べての罹病率は知ってるでしょ。その上で吸い続けるなんて自殺志願者そのものだし、副流煙で周囲に迷惑を掛けまくって患者をせっせと増やすのはもう、殺人鬼兼精神病患者です。マナー悪い人も大量だし、禁煙すると禁断症状起こして暴れたりするし、同じ人間扱いされるだけでも迷惑です。禁断症状が出ると精神衛生上良くないとか言って、妊婦が吸い続けたら胎児にどんな影響が出るか、マリューさんだって知ってるでしょう。マリューさんはタバコ吸うんですか?」
 シンジが愛煙家に、かなりの嫌悪感を抱いているのは分かった。
 が、幸運な事に自分はセーフラインだ。
 良かったと胸を撫で下ろしたマリューが、
「吸わないわよ。匂いしないでしょう?」
「えーと」
 きゃっ、と声は出たが、内心で済んだ。シンジにいきなり抱き寄せられたのだ。
 くんくんと匂いをかいでから、
「ほんとだ。いい匂いがする」
「そうでしょうそうでしょう」
 大人の余裕を見せて笑ったが、脈拍は普段の三倍位に跳ね上がっている。
「で、でもシンジ君、どうしてそんなに吸う人間を嫌うの?何か被害でもあったとか?」
「内緒です」
 シンジは笑って誤魔化した――ように見えたが、その目が笑っていない事にマリューは気付かなかった。
 無論それが、汚染等という事には、根底から無縁の妖精界で育った故、という事など全く気付かない。
(ミサトが時々吸うってのは、黙っておいてあげるか)
「じゃ、戻ろっか」
 どさくさに紛れて手を握ってみたが、シンジが振り解こうとしなかった事で、機嫌のバロメーターがプラスの方に大きく振れて帰ってきたのだ。
 
 
 
 
 
 シンジが缶を取り落とし、静まりかえったケージ内に重たい音が鳴り響いても、コウゾウはすぐに動かなかった。
 少年の精神的大ショックに対し、どう反応するのがベストなのか、この老人は分かっていたのだ。
 ぼーっと、焦点の定まらない視線で宙を見上げているシンジのそれが、ちゃんと像を結ぶまで待っていた。
「…ハッ!?」
 漸くミルクティのこぼれた服に気付いてから、
「もう落ち着いたかね?」
 ハンドタオルを差し出した。
「ありがとう、フユツキさん」
(ふむ、フユゲツさんではなかったか)
 ズボンをきゅっきゅと拭いてから、
「名前覚えてないんですけど…」
「フユツキコウゾウ、だよ」
「……」
「違うのかね?」
 シンジは、米粒と間違えて、消しゴムの破片を飲み込んだ鶏でも見るような視線を向けてから、
「そんな事はとっくに知ってます。僕の母親だった人の名前ですけど」
「そ、そうか…何?覚えていないのかね」
「ええ、全然」
「碇ユイ、だよ。思い出したかね」
「えー?」
「何かね、その反応は」
「ちょっと思い出したんですけど、末尾が曖昧なんです。つまり、事故死とか病死じゃないって事です。何でこんな所にいるのか知らないけど、僕を放っておいてこっちを自分で選んだんでしょう?その意味ではもう一人と変わらないじゃないですか」
「…シンジ君…」
 あと十年、いや五年若かったら殴っていたかも知れない――例えそれが、自らへの死刑宣告であると分かっていても、だ。
 もう一人とはゲンドウであろう。
 だがユイ君は違う、碇とは違うのだ!とそう言いかけて、ふっと我に返った。
 それは傍から見た意見で、シンジからすれば最初にユイがいなくなり、ついでゲンドウに捨てられたのだ。
 少なくとも母親さえいてくれれば――。
 自分は今親無しなんです、とシンジはそう言ったのだ。
「大人の事情とかは別に興味ないし、と言うか言われても分からないんですけど、どうしてこうなってるの訊いても良いですか?」
 初号機を指して訊ねたシンジに、コウゾウは頷いた。
「一言で言えば起動実験中の事故だよ。彼女は、人の形を取り戻す事が出来ない所まで融合してしまったのだ――エヴァンゲリオンとね」
「生命反応はずっとあったんですか?」
「いや、数分で消失した」
「んーと?」
 シンジは小首を傾げて、
「理由はともかくとして、人が一人溶け込んだそれを、この機体の核に使ってるんですよね」
「そうだよ」
「でも変だな…」
 首の角度は更に傾いた。
「意識が、或いは知能が残っていて、しかも十年以上会ってない息子を認識した、と言うそれ以外には有り得ないんだけど」
「どういう意味かね」
「つまり、僕が乗った事で僕のDNAを照合して知った、というのは不可能なんです。何せ僕、DNAレベルで別人になってますから」
「ほう…」
「諸般の事情で変えてもらったんですよ」
 さらっと、不気味な事を言ってのけてから、
「そもそも、この手が伸びて僕を守ったり邪魔したりしたのは、僕が乗る前でしょう。どうしてそんな事したのかな」
「分からん」
 コウゾウの答えはシンプルかつストレートであった。嘘ではないし、どう言った所で分からない事は分からないのだ。
 このエヴァには、色々と分からない事が多すぎる。
「私が君の立場だった場合――」
「はい?」
「自分の乗る機体に母の魂がある、と聞かされて感謝するかどうかは分からん。いや、おそらく出来まいな。自分に出来ないことを君に強いる気はないよ。ただ、自分の乗る機体のことは、知っておいても困りはするまい」
「分かってます」
 シンジは頷いた。
「訊いたのは僕なんですから。ところで」
 初号機の話は終わり、と言うように立ち上がり、
「僕を呼んだのってコアの事だったんですか?」
「いや、違う。戦略の件だよ。後は、私の部屋へ行って話そう」
「分かりました」
 コウゾウが先に立って歩き出し、シンジがその後に続く。
 ケージを出る時、シンジはちらっと振り向いた。
「多分、大人の事情があったんだろうとは思う。でも、カーチャンのせいで僕は大迷惑した。サイテー、ペッ!」
(うん?)
 先を歩いていたコウゾウの足が止まりかけた。
 何か違和感を感じたような気がしたのだ。
(気のせいか)
 また歩き出したのだが、それは事実であった。
 シンジがぷいっとそっぽを向いて歩き出し、その身体がケージから出た直後、不意に電源が落ちたのだ。
 それも計ったようにケージ内の電源だけが。
 まるで初号機が――真っ暗な室内に蹲るヒキコモリを模したかのように。無論係員達が走り回り、懸命の復旧作業に当たったのだが、結局その一日ケージの電源が回復することは無かった。
 
 
 
 
 
「あふ…眠い…」
 口元に手を当てて、可愛くあくびした思い人の頭を、アスランは軽く引き寄せた。
「キラ、寝不足か?」
「だって…」
 ぽーっと赤くなり、
「ゆ、夕べはアスランがなかなか寝かせてくれないから…」
「仕方ないだろ」
 さも当然のように、
「キラが可愛い声出すからだ」
「ア、ア、アスランッ!」
 ボン!と音を立てて顔どころか全身を真っ赤に染めたキラが、元に戻るのに五分近く掛かった。
 やっと色が元に戻ったキラの髪を軽く撫でながら、
「キラ、シンジ君の事は聞いてるか?」
「シンジ君の?」
「ああ、学校の事だが。シンジ君の事は、副司令が色々手を回しておられるみたいだが、学校の件はどうされるのだろう。転入になると思うのだが…」
「多分大丈夫だと思うよ。副司令が忘れることは無いはずだから。それに」
「それに?」
「シンジ君は、僕たちが考えるより遙かに大人だよ。僕らなら絶対無理な事でも、ごく普通にこなしてみせると思う。だから心配は要らないよ」
 キラにしては珍しい断言口調で言ってから、
「でもアスランのそういう優しい所も好き」
 裸の胸に乗せた顔をくりくりと動かして、
「アスランの顔見てたら身体が熱くなってきちゃった。ねえ、アスランいいでしょ?」
 二人とも、服は着ていない。
「夕べなんか最後は失神してたのに、もう疼いてるのか?仕方のない子だ」
「にゃ」
 二人の手が絡まり、抱き寄せられたキラが子猫みたいな声で啼く。
 こんな二人が、ひとたび銃を持たせれば、例え百人を相手にしても一歩も引けを取らないなどと、誰が信じよう。
 
 なおこの二人――性別はいずれも男である。
 
 
 
 
 
「学校?」
「そう、学校だよ。君の通うところだ」
「あー」
 ぽむっと手を打ってから、
「それが何か?」
 と訊いた。
「いや、君の転入手続きだ。既に済んでいるから、明日からでも通うといい。それで、どうするかね」
「通学手段ですか?」
「うむ。君の友人は免許を持っているが」
「却下」
 シンジの反応は早かった。
「変態が伝染る。もう間違いない」
「そ、そうかね」
「違うとでも?」
 コウゾウを見た目には、殺気すらあるような気がした。どうしてかは分からない。
「い、いや、シンジ君の言うとおりだろうな。では、とりあえずバジルール少尉に送ってもらいながら、君が免許を取ればいい」
「あの、僕未だ十四才なんですけど…」
 フ、とコウゾウは笑った。一転して、悪の副総裁の笑みであった。
「ネルフは超法規機関、と言うことは知っているはずだ。アスラン・ザラもキラ・ヤマトも、無免許で車を運転している訳ではない。下らない法規より、パイロットの安全の方が遙かに優先されることなど、言うまでもない事だ」
「ナタルさんに送ってもらって、あと四年後に取ってもいいと思うんだけど」
「君には言いたいことが三つある」
「こ、今度は?」
「一つ、男の価値は免許所持の有無で倍増する。二つ、彼女がもしダウンしたらどうするつもりかね?三つ、免許は通学だけに使う物でもあるまい」
「あ、そうですね食事の買い物にも使えるし」
「無粋だな」
 コウゾウがシンジに冷ややかな視線を向けた。
「だ、駄目ですか?」
「彼女と一緒に出かける、と言う発想が何故出て来ない?修行が足りんな」
「あ、そっか…」
 呟いてから、何故か赤くなったシンジ。またぞろ、怪しい事でも考えたに違いない。
「フユゲツさん」
「うん」
「面倒掛けますけど、免許の手配お願いします」
「そうだろうとも」
 二人は、うんうんと頷き合った。悪のラインで合意に達したらしい。
「では学校の件はそれで良かろう。次にエヴァの事だが、現時点で初号機が使える有効な武器はまだ無いそうだ。但し、小型のナイフはあと三日で完成する」
「でも先日出た時は無かったんでしょう」
「まあそれは…」
「やっぱりホームラン級の馬鹿。イラネ」
「…ずいぶんと、低評価で固まったようだね」
「此所の役目は使徒退治でしょ?有事に際して、エヴァにどれだけ万全の用意が出来るかで評価されるのは当然だと思うけど…フユゲツさんは違うんですか?」
 エヴァが使徒を倒せば後始末も要らず、武器があればそれ以外の準備が要らないと言う訳ではない。その意味では、シンジは間違っている。
 ただ、リツコ個人を対象とした場合は、やはりシンジの言うとおり、エヴァを万全の態勢で前線に出すことが要求されるのだ。
 その割に、アスランとキラの機体を中破させたマリューとミサトに対し、シンジの点数が甘いことは少々気になったのだが。
「まあ、君の言うとおりだな。いずれ、君の希望を訊く事になるから、考えておいてくれたまえ」
「武器ですか?」
「そうだ」
「じゃ、金棒タイプを」
「…金棒?」
「使徒相手に通用するやつを。あと三日で完成するとか言うナイフと同じ材質でもいいですよ。それなら使えそうだし」
「接近戦に自信があるのかね」
「ある訳ないじゃないですか。フユゲツさん、僕を誰かと勘違いしてませんか?」
「……」
「アスランとキラの機体が、じきに直ってくるんでしょ?僕は後衛です。二人なら、倒せなくとも結構なダメージは与えるはずですから、ヨイサー!と僕の一撃で木っ端微塵に。良いアイデアでしょ」
「……」
 即答はしなかったが、発想自体は悪くない。
 金棒云々ではなく、シンジが後衛に回ると言った事だ。武器なんてなんでも良いですよ、僕は言われたままに乗るだけですから――と、そう言われる方が困る。
 無論従ってくれるのはいいが、やる気がないと咄嗟の場合、つまりマニュアルにないケースに遭遇した時の回避行動に、大きな差が出てくる。
 特に、現時点でまともに使える機体が初号機だけである以上、消極的な攻撃から足元をすくわれる事態は、間違っても避けねばならない。
「確約は出来ないが――」
 コウゾウは言葉を選びながら言った。
「最優先事項とする事は約束しよう」
「うん。長距離は射撃、接近戦はナイフだけ、なんていう間抜けな事だけは止めて下さいね」
「分かっている。それと街の防衛システムの件だが、説明するから頭に入れておいてくれたまえ」
 渡された書類を見て、シンジは数度瞬きした…さっぱり分からない。
「えーとヘルダートとゴッドフリート、こっちが…漏洩グリン?悪徳業者の名前ですか?」
「漏洩じゃなくてローエングリンだ。よく見たまえ」
「あ、ほんとだ。で、これが?」
「コリントス、対空ミサイルだ」
「何処かで聞いたような地名ですね」
(地名じゃないんだがね)
 呟きは、声にはしなかった。シンジがさして興味がないと、一目瞭然なのだ。
「一番使えるのはどれですか?」
「ローエングリンだ。N2爆雷程の威力はないが、使徒の足止めには十分使える。もっとも、そうそうは使えんがね」
「なんで?」
「使徒の体内にぶち込んで上手く誘爆出来ればいいが、出来ないと地表汚染が結構なレベルになる。一発だけなら誤射…もとい大したことはないが、使徒相手に一発だけという訳にもいくまい」
「だーかーら!どうしてそう言う使えない物ばっかり、わんさか揃えるんですか。もしかしてネルフの上層部って、自虐趣味の人ばかり集めたとか?」
「無いよりはましだ、と言うよりこれが精一杯でね。正直なところ、ギリギリまで使いたくはないのだ――この日本ではな」
 コウゾウの表情が変わる。それは、歴史を見てきた者の表情であった。
「日本人は、未だに核アレルギーを克服出来ていない。これを使って放射能汚染が起きればどうなるか…逆に言えば、それを期待して持たせた、と言う事だよシンジ君」
「ネルフの敵は使徒だけに非ず、ですか。さすが、悪の親玉を頂点にいただいている組織は敵が多いと見える」
 詳細は分からないが、N2爆雷というのは非核兵器だろう。そしてローエングリンよりも威力は上らしい。
 だがどこぞの誰かさんは、ネルフにそれを持たせなかった。
 そんな物騒な物の扱いは専門家に任せろ、と言う事なのか或いは――。
「冬月さん」
 しばらく街の図面を眺めていたシンジが、静かな声で呼んだ。
「何かね?」
「足止め、乃至は煙幕を作るなら、このコリントスかゴッドフリートでも十分でしょう。ローエングリンの使用は避けて下さい」
「分かっている」
 頷いたコウゾウに、
「あなたの命令で、必ず制止を。戦況次第では、ナタルさんは使用を躊躇わない筈です」
(シンジ君…)
 シンジの言う通りだ。マリューやミサトとは違い、ナタルにとっての至上は戦果だ。
 しかも人類というとてつもない被保護対象があるとなれば、一部の地域が放射能に汚染されようと、躊躇うことなく使用を上申するだろう。却下出来る状況にある内はいいが、戦況次第ではそうも言っていられない可能性もある。
 例えそうなろうともコウゾウの一存で使わせるなと、シンジはそう言っているのだ。
 大気や大地の汚染とか、そんな事ではあるまい。
 シンジの視点はもっと違う所にある。無論、人類が滅んでも自分には帰る所があるなどと、愚にも付かぬ事ではない筈だ。
「これ以上、汚す事もないでしょ」
 遙か年下の少年の言葉が、コウゾウには何故か遠くに聞こえた。
「アスランとキラの機体が直るまでに、何匹来るか分からないけど、僕の方で始末してみます。直ってきたら、あとは二人に任せればいいんですから」
「ああ…そうだな」
「ところで、この数字が書き込まれてるのは何ですか?」
「兵装ビル――見かけは普通のビルだが、中にはエヴァ用の兵器が格納されている――いや、される予定だ」
「はい」
 されている、と言い切ってから直したのは、無論シンジの視線に遭ったからだ。
 厳密に言えば、アスランとキラが使える装備はあるのだが、初号機のそれはなく、現時点で動かせるのは初号機のみと来ている。
「……」
 何か変だ、とシンジは感じ取っていた。地下都市のジオフロントと比して、余りにも規模が小さすぎるのだ――この第三新東京市は。
 しかも、こんな兵装ビルなど普通の街に造れるものではない。予算云々は別として、最初から戦時下にあるような街でなければ、武器と聞いただけで思考が固定されてしまうような連中が、それこそ気違いのように喚き立てるだろう。いくらネルフが超法規でも、気違い共を完全に押さえ込むのは無理だ。
 しかも、この街がセカンドインパクトからの復興に於いて、異様に進んでいる事もシンジは気付いていた。
 
 異様に復興が早くて半ば戦時下扱い、そして自国の軍備にのみ異様なアレルギーを示す気狂い共が全く生存しない街――。
 
 しばらく図面を眺めていたシンジの脳裏に、ふとある考えが浮かんだ。
「使徒は…このネルフを目指していると最初から読んで…る?」
「シンジ君…!」
 思わず上がった大きな声に、シンジがびくっとこちらを見た。
「はい?」
「あ、いや…何でもない。正直すまんかった」
 大きな声を上げるなど、実に何年ぶりだろうか。内心で苦笑したコウゾウだが、同時にそれがシンジの呟きを肯定した事も分かっていた。
 ただ、幸いにもシンジはそれ以上触れず、
「大体の事は分かりました。兵器の事はよく分からないんですが、一つ変えて欲しい所があります」
「変える所、と?」
「はい」
「いつまでも僕だけなら別だけど、強くて変態のコンビがもうじき戻ってくるでしょう?二人が戻り次第、装備の重点を変えて下さい」
 シンジは、コウゾウの顔をじっと見て、
「対使徒ではなく、対人戦闘用に」
「!?」
「宝くじとか、プラスの方向では思い切り外れます。でも、ろくでもない予感とか、マイナスの方向で外れた事はないんです。僕の予感って」
「分かった」
 コウゾウは軽く頷き、
「内密に進めた方がいいのかね?」
「勿論です」
 立ち上がったシンジが、
「この絵図面、お借りしてもいいですか?」
「構わんよ。ただ、一応機密扱いなのでね」
「分かりました。あ、それともう一つ貸して下さい。今日、午後から買い物に行くんです」
「ん?」
 一瞬怪訝な表情になったが、すぐにふっと笑った。
「買い物に行くには脚がいるな。午前中で上がるように言っておこう」
「よろしく。ちょっと考え事したいので、今日はこれで」
「うむ。引き留めて済まなかったね」
「いえ」
 シンジが出口に歩き出した時、扉がノックされた。シンジがコウゾウを見やる。
「入りたまえ」
 失礼します、とドアを開けたのはリツコであった。
「おやホームランさん」
 挑発率120%の口調に、リツコの眉がすっと上がったが意志の力で抑え込み、
「副司令、碇司令がお待ちです」
「碇が?」
 今日は会議など無かった筈だ。と言うより、起きあがって実務に復帰出来るほど、回復したとも思えないのだが。
「サードチルドレンを伴ってお越し下さい、との事です」
 ご子息でもなくシンジ君でもなく、サードチルドレンと来た。
「じゃ、僕はこれで」
 無論、シンジにとっては関係ない話だと思っているから、とっととリツコの横をすり抜けて出て行こうとした所へ、
「シンジ君」
 後ろからコウゾウの声が掛かった。どこか苦しげな声であった。
「はい?」
「本当は今日渡すつもりだったが、急に色々話した事で、君も少し整理する時間が必要に見えたので渡しそびれてしまった。すまない」
「?」
 コウゾウに渡されたのは、IDカードであった。
 シンジの写真と名前入りのカードだが、そこだけ見れば別に驚くに当たらない。
 だが問題はその下の文字にあった。
 チルドレンナンバー、と記されており、その横の数字は3となっていた。
「サードチルドレンって、僕の事?軍属になった記憶はない、と言った筈ですが?」
 礼など要求する気はないが、シンジの感覚はあくまでも『第三者として乗ってやっている』であって、間違ってもここの所属になどなる気はない。
 ナタルに渡されたカードにも、ネルフ所属を思わせるような文字は全く記されていなかった。
「分かっている、シンジ君。ただ対外的にも、どうしても単なる一般人を搭乗させておく訳にはいかないのだ。それに、私とて君を無償で乗せたいとは思っていない」
 言葉とは裏腹に、シンジが報償など最初から興味が無いと分かっているような、そんな口調であった。
「話だけでも…聞いてみてはくれないかね」
 だったらコウゾウからでも良いだろうに、と思いはしたが口にはしなかった。
 首脳部上位三位中、シンジが相手にしているのはコウゾウ一人だが、立場上はあくまでも副司令なのだ。コウゾウの一存で決められる事にも範囲があろう。
 
 何よりも――。
 
(オヤビン、顔見て鳥肌出るようなら、その場で滅ぼしておいてやるよ)
(先にこの女から燃やしておく?)
 何とも頼もしげな仲魔達の言葉であった。
(鬱陶しかったらそうしてもらうから。とりあえず今はいいや)
(合点だ)
 やれやれ、と一つ肩を竦めて、
「いいですよ、冬月さん」
「そうか…面倒を掛けるね」
 コウゾウは謝したが、リツコの方はこんな子供風情に、と言う視線を隠そうともしない。
 十分後、司令室で三人を迎えたのはゲンドウだが、以前にも増して表情が読めなくなっていた――顔中を包帯で覆っていたのだ。
 
 自分を隠す時にはサングラスと包帯、これに尽きるかも知れない。
 
 
 
 
 
(つづく)

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