GOD SAVE THE SHINJI!
 
 
 
 
 
第十八話:カーチャン…カーチャン!?
 
 
 
 
 
「……」
 シンジの眼が開いた時、ナタルは隣で寝息を立てていた。
 やっぱり姿勢は崩れていない。
 女の寝姿など、見慣れている訳ではないが、ここまで来ると実は人形ではないかという気さえしてくる。
 体内時計ではもう少し寝る予定だったが、初号機の手に握られた夢を見た所で目が覚めた。
 あまり目覚めは良くない。
 ただ空はうっすらと白んできているから、今起きてもさして寝不足にはなるまい。
「散歩でも行ってくるかな。フロスト」
「いるよオヤビン」
「出かける」
「合点だ」
 シンジ自体は普通の存在なので、南瓜と雪だるまがいないと何も出来ない――人外の事は。
「ちょっと行ってくるね」
 ナタルの頬を軽くつつき、シンジはすっと起きあがった。玄関から靴を持ってきてベランダに出る。
 飛行する気なのだ。
「行くよ」
「了解」
 手を広げて飛び降りる。端から見れば、間違いなく自殺に見えるだろう。
 無論重力に従って落下する事はなく、一メートルも行かないうちにふわふわと浮き上がった。
 そのまま降りかけて、
「あ、ちょっと待った」
「何?」
「一旦屋上まで行ってみる。非常口も見ておかないと」
「了解」
 が、シンジはすぐに後悔する事になった。
 屋上、どころか一つ上の階まで上がった途端、見知った顔と出くわしたのだ。
「マ、マリューさん!?」「シンジ君!?」
 ベランダに出て、ジュースを飲んでいるマリューとばったり会ってしまった。
「キャ…もごっ」
 普通、少年が空を飛んでいれば悲鳴くらい上げるだろう。そしてマリューは、その辺では普通の女性であった。
 マリューの口を慌てておさえ、
「大丈夫、ちゃんと動きは制御出来てますから」
「ほんとうに…大丈夫なの?」
「大丈夫ですよ、これからちょっとお散歩なんです。じゃ、また」
 ふわふわと飛んでいこうとした所を、きゅっと服をつかまれた。
「はい?」
「あの…わ、私も行っちゃだめかしら?」
「別にいいですけど…ちょっと待って下さいね」
(ランタン、追加体重何キロまで可?)
(えーと、61キロまでね)
「マリューさん、今体重何キロあります?」
「たっ、体重っ!?」
 胸囲は、と訊かれれば胸を張れるのだが、体重はそうもいかない。
「ど、どしてっ?」
 聞き返した声は少し上ずっているし、おまけに気温の低い時間帯なのに何故か汗ばんでいるマリュー。
「どうしてって負荷の限界があるんです。僕が飛んでるのはおまけですから」
 困らせようとして訊いたのではない、と言うのは分かった。
 がしかし。
「61キロ以内なら大丈夫です。マリューさん、60キロも体重無いでしょ?」
(アイドルなんかと一緒にしないでよっ!)
 そんな魂の叫びは、胸の内に仕舞いこんだ。
「もっ、勿論よっ。そ、そんなにある訳無いでしょう」
「じゃ、大丈夫です。行きましょう」
 手を差し伸べられてから、マリューは自分の格好に気が付いた。だらしなくはないが、如何せんパジャマ姿であり、無論ノーメイクだ。
 眉毛が無くなったりはしていないものの、このまま出るには少し恥ずかしい。
「ちょ、ちょっと待っててねっ」
 慌てて家の中に駆け込んだ。
 なお、マリュー・ラミアスの身長及び体重だが、
 
 身長:170cm・体重:63kg。
 
 明らかにオーバーしている。
 五分後、マリューが出てきた時、シンジは宙にふわふわと浮いて待っていた。宙に浮いたままの人待ちは、シンジに取っても初めての経験である。
「ごめんね、お待たせ」
「いえ、も少し大丈夫でした」
 はい、と差し伸べられた手に捕まったマリューを、シンジはひょいと抱き上げた。
(え!?)
 マリューは驚いた。まさか、こんな不安定な姿勢から抱き上げられるとは思わなかったのだ。
「マリューさん掴まってて…あれ!?」
 マリューの腰の辺りに手を回した次の瞬間、みるみるその落下し始めたのだ。無論、シンジも一緒である。
「キャーッ!?」
 文字通り真っ逆さまに落ちていきながら、
(フロスト!)
(いやそう言われても…申告内容が違ってた訳だが)
(体重オーバー?)
(分かり易く言うとそうなるよね)
(悟ってないで何とかして。落としたら許さないぞ)
(分かってるよオヤビン)
 マリューはと見ると、ぎゅっと目をつぶってシンジにしがみついている。シンジのプライドに賭けても、地に激突などさせる訳にはいかない。
 幸い、三階地点まで落下した時点で二人の身体は制止した。重力に逆らった動きで、ゆっくりと降りていく。
 地に降り立ったシンジが、そっとマリューの身体を離す。
「マリューさん、もう大丈夫だから」
「う、うん…」
 マリューの柔らかな肢体は少し震えていたが、それはそれとして。
「ところでマリューさん」
「な、なあに」
「重量オーバーっぽかったんですけど…ほんとーに?」
「ご、ごめんね…つい、見栄はっちゃって…」
「本当は何キロあるんですか」
「ろ、63キロ…」
 真っ赤になって俯いたマリューを見て、ちょっと追い込みすぎたかなと、
「誰かと比べてる訳じゃないし、どうしてもオーバーするなら僕の方で調整しますから、ちゃんと言って下さい。もしも落っこちて、マリューさんの顔に傷でも付いたら大変でしょう。それに、マリューさんは背も高いし胸も大きいから、体重も平均以内だと思いますよ」
「本当に…そう思う?」
「はい」
「ありがと。シンジ君って優しいのね」
 
(エエェェエエ?)
(あれってどうでもいいってだけよねえ?)
(まったくだ)
 
 仲魔達のツッコミは無論聞こえているが、シンジにしては珍しく、うるさいと遮る事もなく、
「まあそれはあるね」
「え?」
「いえ、何でもないです。じゃ、行きましょうか」
「ええ」
 並んだまま、しばらく二人は無言で歩いていた。
(空気は悪くないね)
 何から切り出そうかと考えているマリューに対し、シンジの興味は大気にあった。仙台はもう少し空気がひんやりとしていたが、ここも悪くはない。
「マリューさん」
「な、なにっ?」
 思わず狼狽えたのは、予想外の反応だったからだ。
「すみません、考え事してました?」
「う、ううんそんな事無いわ。何?」
「あ、いえ昨日はあまり眠れなかったのかなって思って…」
「んー、珍しく目が覚めたのよ。普段はギリギリまで目が覚めないのにね。シンジ君の位置をキャッチしちゃったからかしらね」
 冗談めかして言ったのだが、シンジには通じなかった。
「今までそれが出来たのって一人しかいなかったんですが…マリューさんってもしかして、人外の存在なんですか。それともニュータイプ、とか」
「ふえ!?」
(やばい、シンジ君の目がマジになってる)
「ご、ごめん冗談よ、冗談だってば。私にそんな能力があるはずないじゃない。そうだったらいいなあって、思っただけよ。目が覚めたのは偶然、本当よ」
「そう、ですか」
(…あれえ?)
 シンジの表情が一瞬残念そうに見えた、のは気のせいだったろうか。
「シ、シンジ君はっ」
「はい?」
「いつもこの時間に起きてるの?」
「いいえ。ただ今朝は妙に夢見が悪かったので」
「どんな夢?」
「エヴァの手に捕まってる夢でした」
「…使徒、じゃなくて?」
「違います、エヴァでした」
(シャ、シャープな夢ね…)
 使徒ならいざ知らず、どうしてエヴァなのかよく分からないが、シンジの深層心理にはそれなりの理由があるのだろう。
 マリューは話題を変える事にした。
 と言うより、こっちの方が本命なのだ。
「ねえシンジ君」
「はい?」
「昨日一晩過ごして、ナタルはどうだった?」
「べっ、別に一晩過ごしたって初夜とかじゃないんですからっ」
「…誰もそんな事訊いてないんだけど」
(あ、あれ?)
「あたし達が帰った後、話とかしたんでしょう?ナタルの印象はどうだったのって訊いてるんだけど。それとも何か初夜の心当たりがあるのかな〜?」
 表情は笑っているが、目許はまったく笑っていない。この辺り、まだマリューとミサトでは人生技倆に差がある。
「違いますよ。大体マリューさんが一晩過ごしてとか、変な事訊くからでしょう。ナタルの印象は?って最初から訊けばいいじゃないですか」
(やぶ蛇だったかな)
「そうね、訊き方が悪かったわ、ごめんなさい。それで、シンジ君から見て彼女の印象はどんな感じ?」
「何の印象ですか?」
「何のって…」
「性格とか家の中とか、色々あるでしょう?」
「性格ね。同居人の性格は、シンジ君から見てどんな感じ?」
「んーと…」
 顔に指を当ててちょっと考え込んでから、
「がんばり屋さんの秀才って感じですね。両方の意味で」
「良い方は?」
「物事を全部理詰めで判断する。マリューさんやミサトさんとは、根本的に違うタイプでしょ」
「…それって褒めてるの?」
「マリューさん達は、壁に当たったらまず壊すでしょう。それが出来なかったら迂回を考えて、それも無理だったら、その後で頭を捻って対策を考えます。ナタルさんはその逆で、壊すか迂回するかその他にするか、一番効率の良い方法を考えて、最も率の高い方法から試していくでしょう」
「へえ…よく見てるのね」
「見てるっていうか、そんな感じがしただけですけどね」
「大体合ってるわ。で、ナタルの性格の悪い方って?」
「ナタルさんは、軍人としては優秀でしょう。兵を駒として使わせれば、悪いけどマリューさん達は遠く及ばない」
「……」
「でもここはそう言う戦場じゃない。まして敵には通常の兵器は通用しない。積み上げてきた<理>が根本から覆された時、どう対応するのかなっていう所です」
「私達の方が適任って事?」
「いえ、別にそこまでは…ハウ!」
 ムギュ、と胸の中に押しつけられた。
「確かにシンジ君が言う通り、軍人としての能力はナタルの方が遙かに上ね。それは認める。でも使徒みたいな訳分かんない敵相手なら、ゲリラ的な戦術取る方がいいんじゃなかって…ちょっと自画自賛だけどね。で!」
 更にシンジを谷間に挟み込み、
「シンジ君もそう思うわよね〜?」
 
 甘い脅迫。
 
 マリューの行為は、一般的にはこう呼ばれるものだ――人によっては快楽の極みだったりもするが。
「微妙にね」
 シンジの場合は、そんなにでも無かったらしい。
「もー、こう言う時は嘘でもそう思うって言うものよ」
「嘘は嫌いですから」
「……」
「でも、僕がエヴァに乗るなら、そう言う指揮の方が楽です」
「え…それってどういう…」
「その内分かりますよ。さ、行きましょう」
「え、ええ…」
 ナタルの方が良い、と思ってはいないらしいと分かった。が、自分達をどう思っているのかは今一つ分からない。
 それでも正面から拒否されるよりはましだと自分に言い聞かせ、足を早めてシンジを後を追った。
 予想外にない事態、とは裏を返せば知識範疇外の事態という事だが、シンジの懸念が杞憂に終わらない事、そして楽だと言った事を理解出来ずに終わってしまう事になるとは、言った方も言われた方もまったく想定してはいなかった。
 
 
 
「お早うナタル」
 甘い声で囁かれ、ナタルはうっすらと目を開けた。
「ほら、もう朝だよ起きて」
 男の声に一瞬身構えたが、すぐに脳が状況を認識する。
(そうか、私は昨日からシンジと一緒に…!?)
 ナタルの目に映ったシンジはスーツ姿であった。
「今日は会議があるから先に出るよ。時間には帰れると思う」
 おまけにその容姿はどう見ても大人のものだ。
「朝ご飯は作ってあるから。じゃ、行ってくるね」
 何かが違う、と何処かで警鐘が鳴っている。それは、シンジが近づいて来て頬に軽く口づけした時、最大限の音量となった。
 がばっと跳ね起きる――辺りは見慣れた室内であった。
「夢、か…どうして…あんな夢を…。欲求不満でもあるまいに」
 自分の台詞に、かーっと赤くなったナタル。
 ふと、足りないパーツに気付いた。
「…シンジ?」
 周囲を見回したが、家の中に人の気配はない。反射的に立ち上がり、早足で玄関へ向かう途中で台所から漂ってくるいい匂いに足を止めた。
「食事?…あ」
 テーブルの上には、サンドイッチと手紙があった。
「ナタルへ。冷蔵庫を漁ってサンドイッチを作りました。野菜スープは鍋の中に入ってます。朝食はちゃんと摂って下さい。寄る所があるので先に行ってます。シンジより」
 鍋のふたを取ると、クリーム仕立てのスープに野菜がたっぷり入っている。見るからに栄養価が高そうだ。
 どう見ても、三十分やそこらで仕上げたものではない。
「まったく…余計な気をつかうものだ…」
 そう言いながら、その表情はどこか優しげであった。
 鍋の中からはまだ湯気が立っている。と言う事は、ガスを止めてからまだ時間が経っていないという事だ。
「さっきのは…一部正夢?」
 呟いたナタルの顔が、ほんのりと赤くなった。
 
 
 
 無論、全くありもしない事を夢に見るほど、ナタルの精神(こころ)は想像力豊かではない。
 マリューとの散歩から戻ったシンジが食事を作り、そっと頬にキスして出た所までは事実だ。
 マンションを出たシンジは、駐車場にやってきた。ナタルの車はランタンが言った通り、走行に影響はないものの、見た目はかなり破壊されている。
 とはいえ、もう用は済んだのだ。
 地面にしゃがみ込んだシンジが、指でとんとんと叩いた。
「ドワーフ、ドワーフはいるかい?」
 十秒後、硬いアスファルトは音もなく人影を吐き出した。その数は七つ。
 現出した有様を除けば、一般人が見ても仰天はするまい。
 耳は尖っているが、そんなに目立つほどでもなく、成人しているのに子供位の背丈しかないが、それとてよく見なければ分かるまい。
 色とりどりの帽子を被り、手にはそれぞれ道具を持っている。ある者はツルハシだったり、またある者はハンマーだったりと様々だ。
「ごめんね、急に呼び出して」
「何を水くさい事を。シンジ卿に呼ばれて、我らが断ると思うのか?」
 リーダーらしき者は豪放に笑った。
「で、どうなされた?」
「悪いんだけど、この車直してくれない?ランタンに壊してもらったんだけど、もう用は済んだから」
「了解した、シンジ卿。ところでこの車…」
 車のドアを開けて、
「女物のようだが、人間界でお気に入りが出来たかい?」
 シンジは曖昧に笑った。
「ちょっとお気に入り、かな」
「それは良かった…なんて言ったら陛下に煮られそうだが、元々シンジ卿はこちら側の住人だからな。上手く行くといいな、シンジ卿」
「ありがと」
「じゃ、これは直しておくよ。早いほうがいいんだろう?」
「そうだね。持ち主が来ないうちに」
「あいよ」
 金属が打たれる音を聞きながら、シンジはその場を後にした。金属の修復に掛けては地霊ドワーフに敵う者はいない。
 人間など到底及ばぬ正確さと短時間で、修復してくれる事だろう。
 バスと徒歩で、ネルフに着いた時、時計の針は八時半を少し回っていた。コウゾウとの待ち合わせにはまだ間があるしと、シンジが向かった先はケージであった。通行証となるカードはナタルから受け取っているし、大体の地図は頭に入っている。
 ケージでは、紫の巨人が肩までLCLに浸かっていた。これが風呂なら、さぞ気持ちがいいに違いない。
「中に人間が居る、という事はあり得ない」
 シンジは呟いた。
「でも手は僕を庇い…僕がオウチにカエルのを邪魔した」
 紫の巨人の顔をじっと眺め、
「ダレダ!キサマハダレダ!」
 腰に手を当てて威張ってみたが、辺りはしんと静まりかえっており、無論答えがある筈もない。
「まあ、正直言えば別に庇ってもらわなくても、下敷きになったりはしなかったんだけどね。でもあれは絶対意志があった感じだし、一応お礼言っとく。ありがと」
 シンジがくるりと身を翻した背後で、初号機の両目は一瞬だけだが確かに光った。
 無論、シンジは気付かない。
 出口まで来たところで、
「よう」
 上から声が降ってきた。
「あ、青葉さん」
「どうだい?改めて眺めた初号機(それ)の印象は」
「悪くないけど…センス無いね」
「デザインかい?」
「ううん、色の方。なんでこんなグロテスクな紫に塗っちゃったの?」
 一瞬間が開いてから、シゲルはくっくっと笑った。まさか、色で来るとは思わなかったのだ。
「何か変な事訊いた?」
「あ、いや悪い悪い」
 表情を戻し、
「いきなりこんなのに乗せられて、しかも決して楽勝じゃなかったろ?あんな目に遭えば、普通は恐怖とかそっちが先に来る。ところが色のセンスがないと来た。やっぱりお前さんは大物だよ」
「そう?」
「ああ」
 シゲルは力強く頷いた。
「俺だったら、とっとと逃げ帰ってるよ。まあ、二、三回乗れば慣れるかも知れないが、随分適応力は高いみたいだな」
「変態ヒゲロリコンのおかげで」
「…そうか」
 無論ゲンドウの事だが、罵倒という口調ではない。あたかも、それが普通の呼称でもあるかのように呼ぶのだ。
 粋がっているのなら、それと区別は付く。自分にもそう言う経験はあったからだ。
 だが、シンジの場合それがない。
 無論呼称を変える以上、どう呼んでも同じと言う事はあるまい。
 ただ、シンジはもうゲンドウを父とはみていないのだろう。義絶とかそんな事ではなく、もう存在していないのだ――例え、ゲンドウを父と呼んだとしても。
 普通に考えれば、年頃の少年に取って決して良い事ではない筈だが、何故かシンジに限ってはそれがないような気が、シゲルにはしていた。
 持って生まれた性格故、ではなく育った環境から来るものだろう。
 一体どんな場所で過ごせば、シンジのような性格が出来上がるのか。
「こいつは確かに人類最後の砦だが…君のような少年を乗せざるを得ない、と言うのは正直済まないと思っているよ」
「とは言っても、別に青葉さんがそう設計した訳じゃないっしょ。細かい事は気にしない」
「気にしないって…それでいいのか?」
「いいのか、とは?」
 シンジの口調が微妙に変化した。
「自慢じゃないけど、人類の艱難に際してこの身を擲って、なんて言うほど人間出来てない。人類が滅んでも、僕の帰る所は残ってるし」
「……」
「こんな年端もいかない僕が乗るなんてヤダー!って駄々こねたら、青葉さんに何か出来るんですか?出来ない事が分かってるなら、最初からかかわらないで、何も出来ないけどまあ頼むわ、とこう言っとくのが一番ですよ」
(少年…)
 人類が滅んでも帰る所はある、と言うのがやや気になったが、シンジの言う事も一理ある。いいのか?と訊いて良くないと返されても、何かが出来る訳でもないのだ。
「そうだな…悪かった」
 謝った時、シゲルの携帯が鳴った。
「シゲル、どこをほっつき歩いてる?作業は山とあるんだぞ」
 電話はマコトからであった。
「やれやれ、忙しい事だ」
 一つ肩を竦めて、
「シンジ君、じゃまたな」
「はい」
 シゲルを見送った後、
「従兄弟とツレがいるし、僕にはそれで十分。勿論、所属になるのは死んでもご免だけどね」
 少し冷ややかに呟く。
 ナタルの名前は出てこなかった。
 初号機を振り返ってから視線を戻すと、コウゾウが入ってくるのが見えた。
「ここに居たのかね」
「お早うございます。今行こうと思ってましたけど」
「いや、ここでいい。ちょうど作業員も遠ざけた所だよ」
 偶然、といった口調だが手には缶コーヒーを持っている。偶然にしては出来すぎだ。
「コーヒーかミルクティだが」
「じゃミルクティで」
 受け取った缶は温かかった。
 近くにあった作業員用のベンチに腰を下ろす。
「住まいはバジルール少尉の家に決めたそうだね」
「はい」
「同居人として彼女はどうかね、君と上手くやっていけそうかな」
「生活の感じは似てます。悪くありません」
「そうか」
 缶を開けて一口飲んだコウゾウが、
「では、女としてはどうかね?」
「女?」
「私の見た所、彼女は異性経験が無かった筈だが」
「ヴッ…ガハゲヘゴフッ!」
 コウゾウの台詞に、シンジは激しくむせ返った。
「ど、どど、それってどういうっ!?」
「聞いたままだよ。まさか、お互い指一本触れてもいないが、自分とよく似た生活パターンだから同居を選択した、などと言いはするまい?付け加えておくが――」
 コウゾウは軽く手を挙げた。
「非難する気もからかう気もない。私は真面目に訊いているのだよ、シンジ君。身体の相性も肝要ではないか、と私は思っているという事だ」
 確かに人間など遙かに及ばぬ存在に囲まれて育っては来たが、人生経験の差というのは如何ともしがたい所がある。
 コウゾウに弄う気配が髪の先ほどもあれば、炭化させてそのまま初号機が浸かるLCLへ放り込んだろう。
 だがシンジの視線にも、コウゾウはまったく尻尾を見せる事はなかった。
「僕は…いいと思ってるけどどう思われてるかは…」
「それでいい」
「え?」
「女としての彼女の存在が、君がここへ留まる理由の一端にでもなれば僥倖というものだ」
「ちょっと待ってそれって…」
 言いかけた台詞は途中で止まった。
 コウゾウがシンジを見たのだ。睨まれた訳でも見据えられた訳でもないが、シンジは言葉を続ける事が出来なかった。
「君が何を言いたいのかは分かるがね、言わないでおきたまえ。それから、シンジ君には言いたい事が三つある。一つ、君の女性経験は知らないが、少なくとも最低限の事だけは見抜けるようにしたまえ。二つ、身体で君を繋ぎ止める事など、バジルール少尉には不可能だ。三つ、縦しんば私がそんな命令を出したとして、素知らぬ顔で君に接する等という芸当が出来ると思っているのかね」
「…すみません」
 うむ、とコウゾウは頷いた。
「ま、それはそれとして僕が残る理由の一端って何?」
「色々考えたのだが、君には乗る理由がないのだよ」
「理由ってこれに?」
 初号機を指したシンジに、
「そうだ。君が何処にいたかは知らないが、我々が生息するこの世界であれば、十年の長きに亘ってMAGIの眼から逃れる事は出来ない。即ち、君は少なくとも人間界には居なかった事になる。言い方を変えれば、人間が滅んでもさして影響が無いという事だ。違うかな」
「どうでしょ。でも僕には従兄弟がいますけど?」
「彼らの性癖は異端――同性愛者だ。そして君はノーマルだ。アスラン・ザラとキラ・ヤマトの両名が氷漬けにされかかった、と聞いているが。それに、いざとなれば君は彼らを連れて元の世界へ帰るだろう。君が乗る理由がない、と言ったのはそう言う事だ。そして、我々から返せるものも見あたらなくてね、困っていた所だ。少々言い方は悪いが、君が彼女に興味を持ってくれて良かったと思っているよ。そう――人類の為にもね」
 僕がナタルをお気に入りだと世界の為になるんだって、と耳元で囁いたらナタルはどんな顔をするかと、ふと考えが浮かんだがすぐに首を振った。
 ナタルは多分怒るだろう。
 シンジは私が義務から応じているとしか思っていないのだな、と。
 止めておこう。
「ところでシンジ君」
「はい」
「まっすぐケージ(ここ)へ来たのかね」
「ええ」
「機体に何か気になる所でもあったかな」
「機体に…あ、そうだちょっと訊きたい事があるんですけど」
「何かな」
「先日使徒退治の時、このロボットの手が伸びて僕を庇ったでしょ。しかも僕の行く手まで遮った」
「覚えているよ」
「遠隔操作じゃない以上、このロボの自発的意志だとしか思えないんですが…これって中に何か入っているんですか?」
「気になるかね?」
「…当たり前です」
「そうか」
 立ち上がったコウゾウが、機体の側に近づいた。
「これに乗った時、どんな感じがした?」
「変な液体でむせ返ってたから、気持ち悪い感触しかなかったですよ。ゆっくり感触を確かめる余裕なんて無かったし」
「そうかもしれんな。だが…」
 コウゾウが不意に振り向いた。
「懐かしい、とそんな感覚は無かったかな、シンジ君?」
「全然」
 ふっと苦笑したコウゾウが、
「私が教えずとも、君はいずれ知るだろう――必要の有る無しに関わらず、な。エヴァンゲリオンは、全てその中に核(コア)を持っている。無論、この初号機も例外ではない。そしてこの初号機の核に眠るのは碇ユイ…即ち君の母親だよ」
 一瞬シンジの表情が張りつめたかに見えたが、すぐに緩んだ。
「ツマンネ」
「な…なに?」
 コウゾウのこんな表情を、かつての教え子が見たら仰天するに違いない。
「ネタとしては三十点。ひねりが足りない」
「…こんな時に冗談を言う趣味など無いのだがね。子を守る母のそれを、君は感じなかったのかね」
「だからそんな余裕はないと…マジ?」
 シンジの顔から笑みが消えた。
「大マジ」
 コウゾウも結構ノリが良いと見える。
「カーチャン…カーチャン!?」
 ぼんやりと初号機を見つめて呟いたシンジの手から、まだ中身の入っている缶が重たげな音を立てて地に落ちた。
 
 
 
 
 
(つづく)

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