GOD SAVE THE SHINJI!
 
 
 
 
 
第十六話:天然のネコ耳少尉
 
 
 
 
 
「サークス・サーク?何それ」
「この飲み物の名前だよ、シンジ殿」
 クーフー・リン。女王メイブを守護する騎士にして、妖精界最強の武人でもある。その武術をシンジに伝授しなかったのは、
「マンドクサイ」
 と、シンジが嫌がったからだが、それでも女王の想いを受けた人間ということで、敵意を受けがちだったシンジを陰に日に守ってくれた。メイヴの寵愛を――やや一方的だったが――受けたとはいえ、クーフー・リンがいなかったら、今頃は低級妖精のおやつと化していただろう。
「正確に言えば、心弱き者の本質を知る事ができる物だ。妖精ならば中級程度までにしか通じないが、人間達ならいかなる者でもその心の奥にある物を知る事が出来る。飲ませた後、こう囁くのだ――サークス・サーク、と」
「つまり劇薬みたいなもん?」
 否、とクーフー・リンは首を振った。
「普通に飲む分にはただの飲み物だ。ほら、飲んでみるといい」
 グラスに注いで差し出されたそれを、シンジは躊躇することなく飲み干した。
「うん、結構美味しい」
 はふ、と息を吐き出したシンジだが、人間の飲み物に換算した場合、濃度60%位の怪しいウオッカをグラスに五杯立て続けに飲み干したようなものだ。無論、これでもアルコールは入っていないが、原材料が人間の思考とは根本的に異なっているのだ。
 シンジがビールを、麦の味がする水、として文字通り水のように飲み干したのも、元の生活を考えれば至極当たり前の事であった。
「ねえクー」
「何か?」
「一つ訊きたいんだけど」
「うん?」
「僕には効くの?」
「効かない」
 即答だが、そこにあった僅かな空白にシンジは気付いていた。
「何か隠してるだろ。言えこら」
 人間という種族に属しながら、クーフー・リンにこんな口を利いた者は、後に先にも碇シンジただ一人であり、妖精界に於いては女王メイヴ以外にはいない。
 しかしそんな口調に怒る事もなく、ふっと笑って、
「すべての人間と中級妖精までならすべて通じるそれが、シンジ殿には効かないという事だ」
「…僕の体質が妖精化したって事?」
「僕の濃厚な愛情のおかげだね」
「ア?」
「――と、陛下が」
「……」
 ふいっと立ち上がり、
「ちょっと打ち首にしてくる」
 歩き出したシンジの後ろ姿を見送り、
「飲み物として飲ませる時は百倍に薄めてからなのだが…まあ良かろう、実験してみれば副作用も分かることだ」
 
 
 
 
 
 瓢箪の蓋を開けて、匂いをかいだシンジはすぐにそれと分かった。
(使えってこと?)
 だが返事はない。
(あれ?)
 シンジは一応空を飛ぶ事は出来るのだが、それは胸元のキーホルダーにフロストとランタンが揃っていて、尚かつ彼らに飛翔させた場合であって、勿論シンジ自身にそんなスキルはない。三位一体的な時期が長かったので、別に外して欲しいとは思っていないし、そもそもナタルと抱き合っていた時は見物されていたのだ。
 そこへ洗い物を終えたナタルが戻ってきた。
「それは?」
「ああ、僕用のジュースというか飲み物。ちょっと濃厚」
「そうか」
 ちょこんと座り直したナタルが、
「その…い、今更だが、よ、よろしく頼む」
「え?あ、はいはい」
 正座しなおしたシンジが、ぺこっと頭を下げた。顔を上げた二人の視線が絡まり、どちらからとなく顔を寄せた。
 ちう、と二人の唇が重なり、数秒間動かなかった。触れ合うだけのキスなのに、離れた顔はどちらもうっすらと赤くなっている。
「な、なんか…ちょっと恥ずかしいね」
「う、うん…」
 何となく沈黙が漂ったが、二人にとっては決して嫌なものではなく、むしろどこか甘い空気であった。
「あ、あの」
 最初に口を開いたのはナタルであった。
「何?」
「昨日は何時間寝た?」
「え?」
「そのほら、私達が潰れてしまって迷惑を掛けたから…あまり寝ていないのではないのか?」
「四時間は寝た」
「でもそれじゃ疲れが…」
「うん、少し疲れたかな。でも良いモン見たから治った」
「良いモンとは」
「内緒」
「別に隠す事もあるまい。何を見たのだ」
「内緒だってば…あ、こら」
 がしっと肩を掴まれ、ナタルが顔を寄せてきた。
「一つ言っておくが、ここはシンジの家として確定された訳ではないのだぞ」
「気に入らなかったら出すって事?」
「こらっ」
「痛っ」
 むにゅうと頬が引っ張られ、
「そんな事しか思いつかないのか?やはりまだ子供だな」
 ムカッとは来たが、年の差は歴然としてあるし、事実なので仕方ない。
「じゃ、何なのさ」
「分からないか?」
 離した手で軽く頬をつつき、
「別にシンジを縛ろうなどとは、毛頭思っていないさ。ただ、私がシンジの事を把握しておかないと困るのだ。私の家に来た事で精神的悪影響があった、などと判断されたら即刻引っ越しになるぞ」
「…あ、そっか」
「折角来てくれたのに、短期間で出て行く事もあるまい」
「そうだね。でも可能性はかなり低いと思うけど」
「何故そう言える?」
「ナタル・バジルールじゃ駄目、と思ったら最初からここには来させてない。つまりある程度保護者的な役割も兼ねての許可でしょ。でもってここから出した場合――」
 シンジは指を折って、
「碇シンジを入居させていい所がないじゃん。どいつもこいつも論外ばっかし」
 どいつも、と言うのは分かる。おそらくゲンドウだろう。
 だがこいつも、と言う他の対象は誰なのか。
「そこまで限定の中で選んでもらったとは光栄だな」
 微笑ったナタルに、
「ハン?」
「…違うのか?」
「誰が保護者認定を?これだから思いこみの激しい人って困るんだ」
 確かにここがいい、とは言ったがナタルが良い保護者になる、とは全く言っていないのだ。ではシンジは、自分の事をどう見ていると言うのか。
「私の役割は何だと思っている?」
「さあ」
 ちょっと首を傾げて、
「別に、ナタルに何かの役割を求めてる訳じゃないよ。大体ナタルって、僕より一回りも差はないじゃない。保護者とかじゃなくて――」
 じっとナタルの顔を見た。
「ナタルは僕のお気に入りだから。ただそれだけ。合わなさそうな人と住むほど嫌な事って、そうそうないでしょう?」
「ああ…」
 頷いてから数秒後、ほんのりと赤くなった。時間差の特技ではなく、理解するのに時間が掛かったのだ。
 即ち、自分を気に入った事と、相性が良さそうだというその二点だけで、シンジが決めたらしいという事に。
「ナタルは嫌?」
「そんな事はない。勿論全部ではないが、少なくとも身体の相性が良い事は分かっているし」
 
 アタリ。
 
「それって、ナタルが初めてだったのに感じてくれたってこと?」
「うん。痛みさしてもなく…!?」
 
 合わせ。
 
「痛みもなく?」
「……」
「あれ?」
 小首を傾げた途端、その首はきゅっと絞められていた。
「わ、私を釣ったなっ!」
「釣ったわけじゃないよ。ナタルがどう思ったか訊いただけで…はうっ」
「そ、そういうのを釣ったというのだ!そ、そのような淫らな事を私に言わせてっ!!」
 淫らかどうかはともかく、別に催眠術を使ったのではないし、出てきた言葉はナタルの本心だ。それを釣りとか羞恥プレイみたいに言われると、シンジも少しムッと来たりする訳で――。
「でもナタルは大人じゃない」
「だ、だから何だ」
「ナタルは大人で僕は子供。つまりナタルってば子供の僕に釣られちゃったって事だよね?大人のくせに」
「な、何だと!」
 今度はナタルがカチンと来たのか、手を離してシンジをキッと睨んだ。
「私はそういう腹黒い釣りなどした事がないから引っかかっただけだ。そっちこそ子供のくせにそんな事覚えて、今から将来が思いやられるぞ!」
「そうだね」
(え?)
 シンジは拍子抜けするほど素直に頷いた。
「確かに先は思いやられるかも。でも僕の年なら十分修正可能だけど、ナタルの年で簡単に釣られるようじゃな、もう修正難しいんじゃない?確かに優秀かもしれないけど、それだけじゃねえ?」
 矛を引いたと思ったら、今度は弓をつがえてきた。
「よ、余計なお世話だ」
 ぷいっとそっぽを向いたナタルが、
「大体、私がなりたいのは優秀な軍人であって、花嫁などではない。一度のミスは二度と繰り返さん。もう釣られたりしないぞ」
「ふーん」
 ナタルの顔をじっと眺めて、
「可愛いのにね」
 シンジの言葉にかーっと赤くなり、
「ま、またそうやって私をからかうつもりかっ!」
「ストレートな感想なのに。軍人さんってひねくれてるんだね」
「誰のせいだと思ってる!」
「ナタルが勝手にひねくれたんでしょ」
「シンジのせいだ!」
「ナタルの性格だよ」
「そっちだ!」
「そっちでしょ」
 
 二人が出会った時からの様子を一通り知っている者なら、その辺から消火器を持ってこさせたくなるような、明らかに不毛な――おまけにどう聞いても痴話喧嘩だ――言い合いをしばらく繰り返した後。
 ふと気付くと、ナタルはシンジを自分の下に組み敷いていた――分かりやすく言うと騎乗位のそれだ。
「『あ…』」
 お互いの姿勢に気付き、急速に戦争熱が冷めていく。
 一つ咳払いしたナタルが、
「その…言い過ぎた。ごめん」
「ううん、僕も。ナタルが素直に出してくれるからつい」
(素直に出してくれる?)
 自分が何を出すのかと、気にはなったが分からない。
「も、もう一度訊くけどその…本当にここで…いいんだな?」
「否」
 シンジは首を振った。
「そ、そうかやはり…」
 ムキになってしまった自分を見て嫌になったのかと思ったが、
「で、じゃない」
「え?」
「ここでいい、じゃなくてここがいい、の。ナタル・バジルール、よろしくね」
「あ、ああこちらこそ」
 此所で良い、というのは言い方を変えれば、此所でも良いと、つまり第二志望以降とも言える。それに対して此所が良い、とは無論第一志望だ。
「その…」
「何?」
 シンジの黒瞳に見つめられ、急にナタルは気恥ずかしくなった。なお、ナタルはまだシンジの上から降りていない。
「その…わ、私もこんな性格だから…け、喧嘩とかあるかも知れないが、その…出来るだけ仲良くやっていこう」
「うん」
 頷いたシンジはにっこりと笑ったが、考えている事は少々邪悪であった。
(そう言うのって新婚初夜の旦那の台詞じゃん。でもナタルの場合、多分天然なんだよね)
 勿論そんな事は口に出さず、シンジは下から手を差し伸べた。
「え…」
「きゅってして」
(そ、そんな瞳で私を見るな!わ、私の理性が…っ)
 ナタルの脳裏では、漆黒の軍服に身を包んだ黒ナタルと、紫のベビードールを着た白ナタルが対峙している。
 但し、ベビードールに関する知識がまだ希薄な為、白ナタルのイメージが薄いのは仕方ないところだ。
(コリントス一番から四番、目標白ナタルへ向けて発射後、バリアントの集中砲火!撃てーっ!)
 黒ナタルが出す命令は鋭い声で、普段のナタル・バジルール少尉そのものだ。
 自分への対空防御ミサイルとカノン砲の斉射命令を聞きながら、
(全砲門開け。N2爆雷砲撃用意。全弾を黒ナタルへ向けて発射)
 白ナタルはあくまでも甘い声で命令を下し、三秒で勝敗はついた。ボロボロになった黒ナタルを見下ろした白ナタルが、
(今、ナタル・バジルールの心に何があるか、と言う事よ。あなたの心がいつも通りなら、私は決して勝てなかった)
(私の心…)
 黒ナタルは、言うまでもなく理性の部分だ。それが袋叩きにされた時、ナタルの身体は勝手に動いていた。
「お、重かったら言って…」
「ん」
 無論シンジも、乗ってる時点でもう、とか下らない茶々を入れるほど馬鹿ではない。
 少し身体をずらしたナタルが、ゆっくりと上体を倒してきた。身体を密着させて顔を近づける。唇が触れ合うかに見えたが、その寸前でナタルの顔は進路を変えた。
 頬と頬をくっつけたのだ。
 本来ならシンジを上にしても良さそうなものだが、そこまでの考えは及ばなかったらしい。
 時節柄二人共厚着はしておらず、密着した胸を通してお互いの鼓動が伝わってくる。
「ナタルの胸がトクトク言ってる…」
「ふ、不整脈ではないぞ」
「え?」
「な、何でもない」
 幸いそれ以上突っ込まれはしなかったが、ナタルは壁に頭でもぶつけたい気分になっていた。裸では無いとは言え、どうして抱き合ってるこの状況で自分はそんな事しか――それも不整脈だとかムードなど欠片もない事しか言えないのかと、泣きたくすらなっていたのだ。
(……)
 とても敏感、と言う事もないが、一部であっても肌を合わせていれば何となく分かる部分はある。壁に頭をぶつけているナタルの心象風景は、ぼんやりとだがシンジには伝わってきた。
「ねえナタル」
「な、何か」
「あまり、気にしなくていいと思う。今までずっと、軍人として自分を磨く事だけ考えてきたんでしょ?そのナタルがいきなり甘い事とか言えないと思うし」
「か、考えが読めるのか…あ、いや読めるの?」
「肌が重なってると何となく伝わってくるんだ。勿論読心術なんて出来ないけど」
「肌と肌…」
 呟いたナタルがかーっと赤くなった。何を連想したのかは不明だが、シンジもつられて赤くなる。
 全身の血が顔を目指して集まってくるような感じで、真っ赤になっていると自分でも分かるが、不快な感覚はなかった。或いは、頬と頬が重なっていても、相手の視線が直接視界に入らない事もあったのかも知れない。
「重く…ないか?」
 少年は、答える代わりに背へ手を伸ばした。
(あ…)
 ナタルの手がおずおずと、シンジの身体に回る。
 少し微妙な体勢だが、二人にとっては十分で、お互いの吐息と鼓動を感じ合いながら、シンジもナタルも動かなかった。
 規則正しい鼓動の音すら聞こえてきそうな、静まりかえった部屋の中で、柔く抱き合った二人は、言葉など無くとももっと深いところで語り合っていた。
 十数分が経ったろうか、少し躊躇いがちに手を離したのはナタルであった。
「私が上では…シンジに負担を掛けてしまうから」
 シンジに、と言うより自分に言い聞かせるような口調で言うと、ナタルはそっと身体を離した。
「そ、そろそろ…家の中を案内しておかねばならないな」
「ん」
 食事したり痴話喧嘩したり抱き合ったり、といくつかの課程はこなして来たが、まだ家の中の案内はしていなかったのだ。
「さ、ほら」
 立ち上がったナタルが、シンジに手を差し出した。
(老人じゃないんだけど…)
 ちらっと思わない事もなかったのだが、ナタルの厚意だろうとその手に掴まって立ち上がった。
「見ての通り殺伐とした家で、あまり物はないがおかげで部屋は余っている。今回は幸いしたな。この八畳部屋が空いているから、シンジの部屋はここでいい?」
「うん、いいよ」
 案内された部屋は和室で、松の模様をあしらった壁紙が畳によく似合っている。畳は取り替えたばかりと見えて、室内にはいい匂いが漂っていた。
 実を言えば、強欲な預け先の夫婦にさっさと見切りを付けたシンジは、小さいとは言え一軒家に住んでおり、八畳一部屋に収まる荷物の分量ではない。ただ、一番多く割合を占めるのは本だったから、コンテナでも借りれば何とかなると、既に頭の中では荷物の選別を始めていた。
「こっちが私の部屋だ」
「広さ同じなの?」
「ああ、リビングは十四畳で他は皆八畳だ…あ、あまり綺麗じゃないから…」
 自分から中を見せたとは言え、シンジにまじまじと眺められてちょっと恥ずかしくなったらしい。それでも見るなと閉める事まではしなかった。
「イイ」
「え?」
 室内を眺めていたシンジの口から出たのは、一瞬判断に困るような微妙な単語であった。
「本がいっぱいある。僕と気が合いそうだ」
「そう?」
「ハーレクイーンとかじゃないでしょ?」
「ハーレク…なに?」
「女性向けの、ちょっとイっちゃってる人が読むけっこうイっちゃってる恋愛小説。読む訳ないよね」
「あ、ああ」
 応じながら、何故シンジが知っているのかとそれが気になった。あまり良い印象は持っていないようだったが、そもそもある程度の知識が無ければ、好き嫌いは判断できまい。
(食わず嫌い、なのだろうな)
 と言う事にしておいた。藪をつついた場合、何が出るか分かったものじゃない。
「あ、そうだ」
 シンジがふと思い出したように、
「下着見せて」
 口調と違ってとんでもない事を言い出した。
「し、下着っ!?」
「うん」
 口調だけ聞けば、テレビ欄を確認する為に新聞を借りるとでも思うだろう。瞬時に却下しても良かったが、万一さっきの繰り返しになっても困ると、きゅっと唇を噛んでナタルは頷いた。
「わ、分かった…」
 出来るだけ平静を装いながら服の前を開けると白いブラがのぞいた。
「ほ、ほら」
「…え?」
 シンジが怪訝な表情を見せた。
(た、足りないのかっ)
 これだけでは足りないのかとスカートのホックに手を掛けたナタルに、
「あ、ごめんそっちじゃなくて」
「し、下着を見せろと言わなかったか?」
「言ったけど、しまってある方。今穿いてるのって、昨日見たっしょ?」
「そうかきの…っ」
 言いかけて首筋まで赤くなったナタルに、
「か、勝手に赤くならないでよ僕だって恥ずかしいんだから」
「わ、分かってる」
 又も釣られたような気がしたが、シンジを見るとこれも赤くなっており、ちょっと満足した。
「下着はその、ここだ」
 引き出しの中にあったのはどれも真っ白な下着で、色付きは一つもない。小さな飾りが付いているのはあるが、皆シンプルな物ばかりでそれがきちんと畳まれて収納されているのだ。
 持ち主の性格がよく出ている。
「色つきは?」
「汚れを目立たなくするほど洗濯無精ではないつもりだが」
(ナタル…)
 何でそっちに行くのかと内心で突っ込みを入れてから、
「そうじゃくて。ほら、黒とか紫とかお洒落度アップ用のがあるじゃない」
「必要ない。下着の役目は見せびらかす事ではないし、無論色つきを穿いた所で気分が変わる訳でもないし」
 あくまで合理化を追求するナタルに、もういいやと投げ出したくなったシンジだが、途中で投げ出すのは何となくしゃくに障るからと、
「ナタルなら似合うと思うんだけど」
「色つきが?」
「うん。脚もすらっとしてるし、黒で上下固めたりするととてもセクシーに」
「……」
 何やら考え込んでいたが、
「本当にそう思う?」
「うん」
「分かった」
 と頷いた。
「但し、シンジも知っての通り私は白以外持っていないし、まして何が似合うのかなど分からない。シンジが選んでくれるのなら付けてみようと思う」
「んー、選ぶ位なら」
「約束したぞ?」
「…え?」
 急に嫌な予感がしたシンジだが、もう遅かった。
「買い物へ行った時、一緒に店内で選んで貰う。まさか、通販のカタログだけで判断する気だったのか?」
「ま、まさか。そんな訳ないじゃない」
「シンジならそう言ってくれると思っていた。明日の買い物、シンジのセンスに任せるから」
(ヒー!脱出不可能!?)
 シンジが内心でジタバタしている事など、手に取るように分かる。
 ナタルはうっすら笑って、
「そんな顔をするな。私だって白以外の物を買うなど初めてなのだぞ」
(……)
 両手足を呪縛されたシンジには、もう突っ込む気力もない。
(ふふ、シンジのこんな顔を見られるのは初めてだな)
 別に仕返しのつもりではなかったが、出会ってからずっと自分が釣られてばかりだっただけに、ナタルは内心で満足げに笑った。
 ただし、世の中は万事――ごく一部の例外を除き――小型の弥次郎兵衛が管理している。つまり、片方に揺れすぎると必ず引き戻されるのだ。
 背中に妙な背景を背負っているシンジを次に案内したのは、風呂場であった。
「ここがお風呂場。二十四時間体制にはしていないが、十分もあればいっぱいになる」
「へえ、ずいぶん広いんだ」
 おそらくシステムバスだろうが、それにしても浴槽が広い。どう見ても特注品に見える。
「これって三人家族用かな」
「そうだな」
 応じたまでは良かったが、
「とりあえず、二人で入るには十分だろう」
「そうだね…え?」
 シンジが聞き返した時にはもう自分が墓穴を――それも勝手に掘り進んだ事は分かっていた。
「た、例えだ例えっ」
「僕は三人家族用って言ったんだけど…何の例え?」
「くっ…」
 さっきまでの優位は逆転し、今度はナタルが赤くなって横を向いている。ランジェリー店にシンジを引っ張り出す話をした手前、忘れろとは言えないのだ。
(んー)
 追い込もうかどうしかようか迷ったのだが、深追いはしない事にした。そもそもナタルは、深追いされる事にもする事にも慣れていないと分かっている。
 どう収拾しようかと考えた時、浴室内に月光が射し込んでいる事に気が付いた。
「あ、きれい」
「え?ああ、ここは月光が入るからな。月明かりを浴びていると気分も落ち着いてくる」
「癒し系もいいけど」
「ん?」
「浴槽の中で柔らかい身体をぷにぷにって触ってる方が楽しいと思う」
(触るって…自分の身体をか?変わった趣味を持ってるのだな)
 無粋な事を考えた次の瞬間、脳裏で点と点が繋がった。
「シ、シンジそれは…も、もしかして私の事かっ?」
「もしかしなくても」
 二人で入るには十分だと、さっき自分は口走った。その事へのフォローなのだろう。
(ありがとう…)
 内心で呟いて、
「こ、今度一緒にその…」
「ん、そだね」
 家中の点検が終わったのは、十五分後であった。
「シンジ、その…どうかな。遠慮は要らないから、思った事を言って欲しい」
「僕には合う、そう思った」
「そうか、良かった」
 何の飾りもない言葉だったが、本心から出ていること位は分かる。
 無論、一緒に暮らしていく上では色々トラブルもあるだろう。皆無な方がおかしいのだ。それでもやはり、第一印象が重要な事は間違いない。
「そう言えば着替えは?」
「あるよ。鞄に入ってる」
「私も着替えてくるから、シンジも着替えた方が良かろう」
「そうする」
 室内着に着替えて、シンジはもう二分足らずで着替え終わったのだが、ナタルは一向に出て来ない。
(…もしかして織物?)
 どこかへ出かける筈はないし、化粧に時間が掛かるとも思えない。そもそも、ナタルのメイクはかなりナチュラルだ。
 厚化粧をナチュラルに見せるそれではなく、本当にあっさりしているのだ。それだけ自信があるのだろう。
 他に思い当たることはないが、扉を開けたら織物を織っている姿に出くわした話を思い出し、まさかねと首を振った所へナタルが出てきた。
「ナタルおけ…!?」
 お化粧かと思ったと言いかけて、そのままシンジは絶句した。
 化粧はしていなかったし、眉が無くなっていた訳でもない。
 ただナタルが立っていただけだ――着ぐるみパジャマに身を包んだナタルが。ネコを模したそれは、頭部は脱げるようになっているタイプだが、すっぽりとかぶっているから、ナタルにネコ耳が生えたように見える。
(ネ、ネコ耳ナタル…)
 シンジの視線に気付いたのか、
「ああこれか?見た目は少しファンタジーだが、私には合っている」
「そんな感じ」
 何が合っているのかも分からず、そう応じるのが精一杯であった。
「そうか?昼間は半袖で十分だが、夜は時折冷え込むので私にはちょうどいいのだ。この上ない防寒になるし、寝相が悪くても脱げたりしないからな。ほら」
 手を動かすと――当然のように肉球が動く。単なるプリントではなく、ちゃんと作り込まれているのだ。
「に、似合っていないか?」
 多分、似合うとか似合わないとかそんな基準で買ったのではあるまい。自分で言った通り、防寒に主眼を置いて選んだナタルらしい選択だろう。
 きっと、似合うかどうかなど気になったのは初めてに違いない。
「似合ってる。可愛いよ」
「あ、ありがとう」
 ネコ耳をピコピコさせたまま、ナタルはちょっと照れたように笑った。
 
 
 
 
 
(つづく)

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